news-button.gif (992 バイト) 191 土本典昭さん お別れ会の報告 および追悼上映会のお知らせ (2008/08/01掲載)

 7月26日、東京・一ツ橋の如水会館の大ホールで、記録映画作家、土本典昭さんとのお別れの会が開催され、参加しました。

  土本さんは今年6月24日、肺がんで亡くなられたのですが(79歳)、その訃報はショックでした。今年の正月、土本さんから届いた年賀のはがきには
「糖尿病十五年ですが、年に一度は不知火海にいくつもりです」とありました。それが肺がんで急逝とは……。ガンは私のほうが「先輩」だと思っていたのですが、土本さんのガン治療については、うかつながら、まったく知りませんでした。
 その後、NHKが放映した『水俣――患者さんとその世界』をあらためて見ましたし、また、以前土本さんから送っていただいた『よみがえれカレーズ』のビデオも見直し、あらためてかけがえのない方を失ったことの大きさを痛感させられました。昨年の小田実さんに続き、つぎつぎと大事な方が亡くなられてゆくのは、なんとしても残念でなりません。

 お別れ会のあった7月26日は、まったく同じ時間に、鶴見和子さんの3回忌の集まりがあり、私はそれへの参加を申し込んでいました。しかし、その後、同時間帯にこの土本さんとのお別れ会が計画されたことを知って、困りました。しばらく考えた末、鶴見さんの方は、偲ぶ会にも、また一周忌の集まりにも参加しているので、今回は失礼をお許し願って、土本さんとのお別れ会に出ることにさせてもらいました。そのことを、鶴見俊輔さんにもまた会の準備にあたっていた藤原書店にもお詫びしてお願いしました。
 
 土本さんとのお別れ会の
正確な参加者数はわかりませんが、準備にあたった「シグロ」に事前に来た参加申し込みだけで400人以上あったとのことです。広い会場も満員となっていました。

もしもぼくが死んだら

   井之川 巨

もしもぼくが死んだら
お葬式は出さないでいい
お坊さんも招かないほうがいい
ごく親しい人だけに集まってもらいたい

もしもぼくが死んだら
屍の上に小さい赤い布をかぶせてほしい
ぼくのついに達成できなかった革命のために
ぼくの偽りのない心のために

もしもぼくが死んだら
戒名なんぞ付けないでほしい
親父の付けた名前のままがいい
威張ったようなこの俗名がいい

もしもぼくが死んだら
友達にうまい酒をふるまってくれ
ぼくが親しんだ泡盛なんかがいい
飲んで歌でも出ればなおいい

もしもぼくが死んだら
集まった誰かに詩を読んでもらってくれ
楽しい詩 皮肉たっぷりの詩がふさわしい
ぼくの詩も誰かに読んでもらいたい

もしもぼくが死んだら
ぼくが謝っていたと伝えてくれ
仲違いしたままのだれかれに
貸借を精算できなかっただれかれに

もしもぼくが死んだら
骨灰は海に散布してもらいたい
沖縄のサンゴ礁の沖合がいい
エメラルドグリーンのあの海へ

もしもぼくが死んだら
きみは自由に羽掃くべきだ
ぼくというやっかいな鎖を解き放ち
きみ自身の旅をゆっくり続けてほしい

人はいつか必ず死ぬ
うたい尽くせなかった詩は多い しかし
未完の詩はだれかがうたい継いでくれるだろう
若く貧しく名もないだれかが

(井之川巨『詩があった!』380〜382ページより)

 集まりは第一部と第二部に分かれており、第一部では、世話人の一人、熊谷博子さんが司会をして始まり、まず、土本さんの遺言代わりとして、詩人、井之川巨さんの詩、「もしもぼくが死んだら」が朗読されました。土本さんは、生前、遺言を書く暇がないが、これをその代りにと言って、この詩を託されたそうです。ただ、この詩の中の一ヵ所、「沖縄のサンゴ礁の沖合」というところの「沖縄」が「不知火海」に手書きで直されてあったとのことです。その井之川さんの詩を右に掲載します。この詩にあるように、お坊さんはおらず、もちろん戒名などなく、そのかわり、第2部の懇談の席では、九州の焼酎をはじめ、美味しい酒類がたっぷりと会場に並んでいました。
 この遺言代わりの詩の朗読のあと、娘さんの土本亜理子さんが、スライドを上映しつつ、土本さんの病気がわかってから亡くなられるまでの半年間の報告がされました。
 ついで、参加者のうち、早稲田大学での学生運動以来の友人である吉田嘉清さん、映画の同士である大津幸四郎さん、水俣の患者さんを代表して緒方正人さんから、土本さんへの熱い思いが語られました。
 そして最後にご親族から、お姉さんの小島満智子さんとお連れあいの土本基子さんからのご挨拶があって第一部が終了しました。
 休憩中に会場が一新され、歓談の第二部になりました。まず、土本基子さんがこの日のために編集、作成されたビデオ『記憶の形見』が上映されました。一所懸命に作ったと言われただけあって、このビデオは10分ほどの短いものではありましたが、美しい不知火の風景の映像とともに、土本さんの生が実に印象深く描かれた感動的なものでした。
 そのあと、羽仁進さんの発声で、土本さんへの献杯が行われ、あと、参加者の間での懇談の時間になりましたが、その間にも、水俣から多数駆けつけられた患者さんやその家族の方々、土本さんを最後まで診られた医師の方など、多くの方からの発言が挟まりましたし、楽器の演奏もありました。
 会場入り口の受付の脇には、出版されたばかりの著書、石坂健治さんとの対談による『ドキュメンタリーの海へ――記録映画作家・土本典昭との対話」(現代書館、3,600円+税)をはじめ、土本さんの作品のDVDが多数、並べられて売られていました。
 私は、この新著は、この日以前にざっとでしたが目を通していました。戦争中の学徒動員の経験から、戦後の大学での学生運動、山村工作隊への派遣など、共産党時代の経験から始まって、岩波映画を経て水俣やアフガニスタンなどでの記録映画作成に至る、まさに土本さんのすべてを明らかにしている絶対お勧めの本だと思っています。
 DVDでは、私は岩波映画時代の『ある機関助士』を探したのですが、それは並んでいませんでした。そのかわり、ジャン・ユンカーマン監督の『
HELLFIRE:劫火−ヒロシマからの旅』と一緒に入った土本監督による『ビデオ絵本 ひろしまのピカ』を求めました。どちらもこれまで見たことのない作品でした。帰宅してから、夜遅くこの二つを観たのですが、どちらにもとても感動しました。観終わったら午前3時になってしまっていましたが……。


 土本典昭追悼上映会のご案内

 土本さんの急逝に際し、緊急に作品の追悼上映が下記のように開催されることになりましたので、ご案内します。
 作品: 水俣――患者さんとその世界――/パルチザン前史/不知火海/水俣一揆 一生を問う人びと/ある機関助士/ドキュメント 路上/わが街わが青春/偲ぶ・中野重治/原発切抜帖      他、土木典昭監督作品十九作品を上映予定

9月6日()〜9月19日(金) 15:00/18:00/21:00(予定)
東京・ポレポレ東中野 【電話:03・3371・0088】