news-button.gif (992 バイト) 187 私の「喜寿」を祝ってくださった会のご報告。遅まきですが。 (2008/04/27掲載)

 3月16日(日)に、知人の有志の方がたが発起人となって、私の「喜寿」を祝ってくださる集まりを開いてくださいました。どうでもいいことですが、慣習ですと、喜寿とか米寿とかの祝いは、数え年でやるようですが、私の場合は、3月14日の誕生日で満77歳になっていましたので、世間並みからすれば1年遅れということになりますか。「喜寿」と括弧を付けた理由です。
 集まりの名称は「吉川勇一さん 人生の新ステージ 七七歳を祝う会」というもので、「
新ステージ」などという大袈裟な呼称は面映ゆい次第ですが、すべてお任せするといった手前、それに従いました。会場は、東京・青山の「アイビーホール青学会館 」の大広間でした。
 ご案内は、名古屋学院大学でのかつての教え子など僅かな人びとを別とすると、主に首都圏の方々に限って送られました。100人もおいでいただければ有難いことだな、と思っていたのですが、何と170人もの方々がご参加下さり、びっくりしました。 会場は超満員となり、世話人の方が急きょ料理を追加注文することにもなったそうです(右の写真は、会場の半分だけの様子です)。都合がつかず、欠席という方がたからも、たくさんのメッセージやお祝いの花、チョコレートなどなどが送られてきました。本当にありがとうございました。心からのお礼を申し上げます。

 すでにそれから一ヵ月以上が過ぎてしまいましたが、遅まきながら、ごく簡単なご報告をいたします。

 吉岡忍さんが司会をしてくださり、まず、作家の澤地久枝さん、中学・高校・大学と同級だった薬学博士の遠藤浩良さん、そして、『ニッポン人脈記』で私ども夫婦のことを書いてくださった『朝日』の早野透さんからご挨拶をいただきました。そのあと、ベ平連以来の運動仲間で人生の先輩、福富節男さんの音頭で、乾杯が行なわれました (右上の写真)。ビールやウィスキー、日本酒などを傾けながら、懇談となりましたが途中のご挨拶では、武藤一羊、近藤悠子、辻元清美、保坂展人、水口義朗、関谷滋、東一邦さんからもお話をいただきました。それぞれ、私への思いやりや友情のこもったとても温かいものばかりでした。
 それ以外のものでは、「私の長男の勇一は、みなさんから『意地悪じじい』と言われているそうですが……」という、私の母からの録音テープでの挨拶(呼びかけ人の一人、原田隆二さんが録りにいって下さったものでした)や、50年前の私の結婚式での、連れあい、祐子の挨拶の一部などの録音も流されました。
 会の持ち方などは、すべて世話人のみなさんにお任せしてあったのですが、多彩な懸賞品つきの吉川に関するクイズなどという出し物もありました。クイズへの答えを参加者のそれぞれに用意してもらい、そのあと、正解を私が言わされ、だんだんと正解者が絞られていって、最後まで残った何人かの方に極上ワインのボトルやベ平連についてのDVDセットなどの景品が当たる、という仕組みでした。後で、福富さんからは、あのクイズの中身は事前に相談を受けたのだろう、と言われたのですが、まったく相談などなく、すべては不意打ちの設問でした。なかには、「なくなった奥さん以外に好きになって愛した人はいましたか?」などという問いもあり、それにも答えさせられました。嘘の答えはアンフェアですから、やむをえず、「正直言って、おりました!」と答える羽目に陥りました。冷や汗ものでした。
 坂元良枝さんほか、多くの方がたからたくさんの花束を贈呈され、また、お祝いの記念品のかわりにと、「感じること・雑感・駄弁」欄に書きましたように、好きなアジサイの鉢などと換えてと、「花とみどりのギフト券」を多額に頂きました。
 私のお礼のご挨拶では、生まれて初めて作った「詩」(?)を朗読しました。私を囲んでくださっている皆さんの温かい気持ちへの想いをのべたものですが、はたして詩と呼べるかどうかも怪しいもので、恥ずかしくて、ここには掲げられません。会の最後には、みんなで、「We shall overcome」を歌って閉会となりました(右中の写真)。
 当日、ご参加くださった方がたには、拙著『民衆を信ぜず、民衆を信じる』を1部ずつ献呈したのですが、サインをも止めてくださる方が列を作り、終わるのに1時間もかかりました (右下の写真)。本当にありがとうございました。(写真は、上4点が大木茂さん、最下部のものが島川雅史さん撮影)