177 元福岡ベ平連の石崎昭哲さん逝去。 (2007/09/07掲載)
元福岡ベ平連の事務局長、石崎昭哲さんが癌のため9月6日午前10時過ぎに入院先の病院で亡くなられました。
お通夜は9月7日、午後6時より
ご葬儀は9月8日、午前11時より (無宗教方式)
喪主は、長男の石崎浩一郎さん。
場所はいずれも、
箱崎の
平成会館(児島葬儀 813-0053 福岡市東区箱崎3−5−45、JR鹿児島本線箱崎駅前 電話 092-632-0004、FAX 092-632-2825)です。謹んで哀悼の意を表します。
なお、「旧東京ベ平連有志」の名で、葬儀に生花をお送りしました。東京近郊の旧ベ平連のメンバーで、ご賛同される方は、下記の口座に一口1,000円をお送りくだされば幸甚です。郵便振替口座 00120-7-83204 加入者名: 旧ベ平連運動基金。
以下は、朝日新聞社編『現代人物事典}(朝日新聞社 1977年刊)に掲載されている石崎さんの紹介で、私が書いたものです。
福岡の市民運動の中心的存在。1928(昭和3)年10月26日,山口市生まれ。70年に始めたオフセット印刷所は,旧福岡べ平連の事務所をはじめ、金大中,金芝河救援運動や自主映画上映、音楽会など、さまざまな市民運動の連絡先になっている。旧制山口中学校卒業後,江田島の海軍兵学校に入るが、4ヵ月で敗戦,旧制山口高校より九大工学部入学、55年に中退。68年1月、佐世保に米原子力空母エンターフライズ号が入港した際、福岡「10の日デモjに加わることから反戦市民運動に全面的に参加,福岡べ平連(68年5月発足)の事務局長となる。以来,印刷業を続けながら「10の日デモ」をはじめ、多くのデモの届け出責任者となり、おそらくその回数では全国一かもしれぬという。福岡の運動のかなめとなる中年ながら、「官僚」やカリスマにならず,多くの若者たちとともにビラはりなどもいとわない。生活に根ざした草の根的運動者。3男2女の父親。(吉川勇一)