news-button.gif (992 バイト) 158.「三里塚40年”たすきわたし”12・3集会」の報告 (2006/12/04掲載) 

 12月3日 午後1時から、東京の文京区民センターで開催された「三里塚40年”たすきわたし”集会」の簡単なご報告です。
 300人ほどが参加したこの集会は、60年代の終わりから長く続いたこの三里塚闘争がもつ、大きな思想的意味をあらためて確認させてくれる、一言で言ってとてもいい会合でした。
 
集会場には、三里塚闘争の写真が多く展示され、まず、三里塚の記録映画『抵抗の大地』など3本と、「空港はいらない静岡県の会」が作製した昨年9〜10月の強制測量阻止闘争のドキュメンタリ『やっぱりいらない静岡空港』(20分)が上映されました。静岡の映像は、かつての三里塚での闘いそのものの再現のようでした。
 ついで、パネリストとして、大野和興(農業ジャーナリスト)、柳川秀夫(反対同盟世話人)、菅野芳秀(山形・百姓)、平野靖識(東峰地区らっきょう工場)、水原博子(日本消費者連盟)、松尾康範(アジア農民交流センター)、中川憲一(本管制塔被告)、鎌田慧(ジャーナリスト)の8人の方々によるシンポジウムが行なわれました。
 
多くのパネリストが、それぞれの立場からこの闘争と自分との関わりを話されましたが、とりわけ、「土の循環」について語った山形の農民、菅野芳秀さんの話は感動的でした。
 
参加者を含む討論の後、最後に、特別報告として、静岡空港反対闘争について、同闘争の代表と事務局長から、問題点の報告や支持へのアピールが行なわれ、午後7時に散会となりました。
 ここでは、シンポジウムの司会をされた大野和興さんの文章と、この夏、三里塚東峰部落の居住者たちが東京国際空港株式会社に出した「公開質問状」をご紹介します。 どちらも当日配布されたものです。前者は、”たすきわたし”ということの意味と、闘争の中から生まれた「循環」ということの大事さを伝えてくれるものであり、後者は、三里塚の現在の重大の情勢と問題点をはっきりと示してくれているものです。
 討論の中では、参加者から、大野さんの文にも出てくる「実験村」の問題点を指摘する発言もあったことを付記しておきます。
 

“たすきわたし”ということ
                大野和興(農業ジャーナリスト)
                                                                         
 たすきわたしという言葉を思想と運動の言葉として使ったのは山形の百姓菅野芳秀である。三里塚経験者である彼は、運動の遍歴を経てふるさとへ帰り、家業を継いで百姓になった。その地で彼は、農を軸に自立する地域づくりを志した。彼なりの世直しを、自分の足元からはじめようと思いたったのだ。
 地域の自立の基礎を、彼は循環においた。循環の要は土と水である。彼の家と田んぼは朝日連峰の裾野にある。田植えが終わったばかり彼の田んぽに立って、一面に広がる淡い緑の海とも見える田んぼの連なりを見ていると、心がワクワクと満たされてくる。
 「この田んぼに満ちている水は、連峰の裾野のやや高いところにある池に山に降った雪解け水が注ぎ、そこから水路を伝って田んぼに導かれている。池も水路も、この地に生きてきた人たちが、何代にもわたって築いてきたものだし、豊かな実りをもたらす田んぼの土も、おやじや、そのまたおやじたちが山草を刈り、牛に踏ませ、堆肥に積んで肥やしてきたのだな、と、この田んぼを見ているとつくづくそう思う。
 農という営みを通して地域を根っ子のところで支えてきた土や水、それをつくる山の木々は、その地に住むものが、人から人へ、たすきのように受け渡すことで守られてきたというのだ。
 しかし、その土と水をこの40年、さまざまの開発によって壊され、そこを耕す百姓自らもまたその壊しにかかわってきた。「もっとたくさん、効率的にと農薬や化学肥料をばら撒いてね」と菅野は語る。
 水と土と、その水と土を作る山を次の世代に引き継がなくては、というところからはじまったのが、彼の運動だった。
 三里塚の40年もまた、土と水が壊される40年だった。国際空港という巨大開発がいきなり天から降ってきて40年、「農地死守」を掲げて国家に抗し続けた三里塚百姓のたたかいは、いくつもの誇るべき実践と思想を生みだしてきた。国家が空港開発という現世の利益と価値観を正面からかざして、その地に生きるものを押しつぶそうとしているとき、同じ現世の価値観に立って化学物質に頼る近代農業をしていてたたかえるのか、という、自らの存在そのものを根底から問い直す作業が、若い百姓たちの中から始まり、三里塚農法ともいえる有機農法を生み出した。
 日本でごく少数の人々が集まって有機農業運動を始める70年代初頭。その動きと時期こそ重なるがまったく別個に、権力との正面からの対時が生みだした“もうひとつの農”である。それは単に「農業のやり方」という範囲を超え、価値観の転換をともなう営為だった。「もっとたくさん」をやめ、「もっと楽に」をやめ、「もっと売れるものを」をやめ、若い百姓たちは 土と向き合った。
 このときから、たたかいは思想闘争になった。一政府・公団が何ヘクタールの土地をよこせというとき、三里塚の百姓たちは「土は売りものではない」と応じた。土地は商品になるが、土は商品ではない。この世には商品にしてはいけないものがある。自然の生態系、臓器や血液、そして土や水などなどだし この考え方は、いまの世の中をつくりあげている圧倒的多数派の考え方とは真っ向から対立する。
 もちろんたたかいだから負けることもあるし、妥協もある。そのことを飲みこんだ上で、この思想は三里塚をたたかった多くの人に共有されていると確信している。
わたしは今、三里塚百姓柳川秀夫が提唱した「地球的課題の実験村」に参加しているが、この実験村の運動は三里塚のたたかいがつくりあげた思想を受け継ぐものだと考えている。言い換えれば、地球的規模で語られる思想的高みを三里塚の百姓のたたかいはつくりだしたということである。
 そしていま、グローバリゼーションの時代。地球の隅々まで市場競争が行き渡り、地球に存在するあらゆるものが値札をつけて売りに出される時代になった。貧困が拡大し、環境破壊が進み、絶望が生まれ、それを拒否してたたかう人々に爆弾の雨が降りそそぐ。そんな世の中に対抗し“もうひとつの世界”をつくるためにも、「土は売り物ではない」「この世には商品にしてはいけないものがある」という思想を、わたしたちは人々に、次の世代に「たすきわたし」していく義務を負ったのである。
 

 

   公開質問状
        成田国際空港株式会社ならびに黒野社長殿

 あなた方は私たち東峰地区住民に対し、ここ数年の間、「東峰区の皆様へ」と題する書状、謝罪文、あるいは「回答書」という形をとった書面を数通寄せてきました。
 あなた方はその中で何度も反省しお詫びする言葉を述べています。しかしながら、現在、平行滑走路の北伸にむかって突き進んでいる姿は、その書状の文面とは正反対の、極めて強権的なものとなっています。           
 対等な話し合いの相手、共生するに値する相手とは、少なくとも自分の発した言葉に責任を持つものでなければならないでしょう。私たちは、あなた方が寄せてきた書状、書面を公にし、そして問いたいと思います。これはあなた方が書いたものに相違ないですね。そして、現在との矛盾をどう説明されるのですかと。

一、 東峰の森について

 「東峰の森(以下「森」という。)」につきましては、平成8年からの東峰区との話し合い及び同行調査等により、そのあり方や具体的な整備方法を決定してまいりました。これは、空港公団が平成7年に策定しました「成田空港周辺緑化計画」に基づく周辺整備を行うにあたり、森の利用者でもある区民の皆様のご意見をお聞きしようということが、端緒となったものです。
 最初に区の皆様にご相談申し上げた際、今後の森の整備については区の意見を取り入れながら行ってほしいとの要望もあり、今日まで区・公団双方の話し合いの下で森の整備・保全作業を行ってまいりました。これは、単に要望があったからということではなく、この森の存在が、東峰区にとって、永年慣れ親しんだ、いわば生活の一部であることを、私どもなりに理解したからに他なりません。そして、私どもの認識は今日も変わってはおりません。
 加えて今回「申し入れ書」をいただく際に、何年か先の農業を考え森を堆肥づくりの場として利用している等の貴重なご意見を直接頂戴し、この森と区の皆様の有機的な繋がりこ対し、 思いを新たにしたところです。
 したがいまして、森につきましては、区の皆様とご相談することなしに、公団が一方的に計画を策定し進めていくということはあり得ませんと、重ねてお約束いたします。
            (2003年(平成15年)2月20日受付『回答書』  新東京国際空港公団)

 東峰の森についての質問
1. 東峰の森は東峰区が長く入会地として利用してき、部落として長年手間を掛け、維持してきました。あなた方がそのことを認めていたことは上述の文書からも明らかです。
 東峰区は東峰の森への誘導路建設を認めていません。またこの問題について何の説明も受けていません。東峰区にとって、東峰の森はとても大切な森です。「区の皆様と ご相談することなしに公団が一方的に計画を策定し進めていくことはあり得ませんと重ねてお約束いたします」との文言に相違ないことを確認していただきたいと思います。
 2. 東峰神社の神社林を無断で伐採したことを、2年半前に正式に謝ったばかりです。東峰の森で再度の伐採の強行は許されるはずがありません。そのことを確認していただきたいと思います。

 二、 過去の手法について


 東峰区に空港問題の今日的なひずみの多くが残ってしまったことは、私どもの手法にその原因があったと言わざるを得ません。円卓会議において「平行滑走路の建設を必要とするという運輸省の方針は、世論の趨勢や地域社会の多くの意見を踏まえれば理解できるところである。なお、平行滑走路のための用地の取得のために、あらゆる意味で強制的な手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決されなければならない」との最終所見を関係者に受け入れていただきましたが、その後の私どもは、前段の部分ばかりが頭にあり、ただただ平行滑走路を早く完成させたい、それに必要な土地をお譲りいただきたいと、そちらにばかり気持ちがいっていたのだと思います。特に暫定滑走路建設にいたる過程においては、「あくまでも話し合いにより解決されなければならない」という後段の精神を欠落したまま、Wカップまでに滑走路をつくりあげることのみに専心し、東峰区の皆さまの心情に思いをめぐらすことが極めて不十分であったと感じています。
 つまりは、皆さま方と相談することなく計画を一方的に策定し、その計画について賛否を問うことなく、ただ説明するだけという手法でした。皆さまからすれば、何と一方的なと感じられたことと思いますが,そのような私どもの、ある意味、身勝手な手法によって今日の東峰区に見られる多くの問題をつくり出してしまったことをまず反省しお詫びしなければならないと痛感しております。
 今後は、この円卓会議の精神こ今一度立ち返り、一方的に空港建設のみを追求するのではなく、計画の段階から皆さまのご意見を伺うという民主的な手法を念顕に取り組んでいきた いと考えております。
           (2003年(平成15年)3月14日付け『東峰区の皆さまへ』
                       新東京空港公団 総裁 黒野匡彦)
  暫定滑走路整備にあたっては、東峰区の皆様こ対して、「話し合い」や私どもからの十分な「説明」はなく、「通告」だけと言われても致し方ない状況でした。
 ……東峰区の皆様との合意形成を図ることなく、取得所有地を使った一方的な計画を策定してしまいました。工事についても、事前こ十分なご説明をしないまま、滑走路の使用時期から逆算した工事スケジュールで一方的に進めてしまいました。その過程で昭和28年創建以来東峰区総有の社として、皆様の心の集り所であった東峰神社の神社林を無断で伐採してしまいました。また工事の完成が早まったからといって、一日でも長く静穏な環境で暮らし続けたいとする皆様のお気持ちに配慮することなく、1か月も供用を前倒ししてしまいました。
 その結果、工事やこれに続く供用によって、現に皆様が生きておられること、生活していることが一方的に無視され、生活環境が破壊されたことについて、皆様が非難し、怒り、以後私どもを信用できないと思われてしまったのは、もっともなことだと思います。
          (2005年(平成17年)5月9日付け『東峰区の皆様へ』「謝罪文」)
                       成田国際空港株式会社 代表取締役社  長黒野匡彦)


過去の手法についての質問
 黒野社長は、「計画を一方的に策定し、その計画に賛否を問うことなく、ただ説明するだけという」「身勝手な手法軌を反省し、お詫びしなければならない」と述べています。
今回の北側延長計画の進め方は、これまでの手法についての反省やお詫びと、まったく相反するものとなっています。何故、「身勝手な手法jを繰り返したのでしょうか。
 私たちが生業としている農業は一度でも農薬を使ったら無農薬・有機栽培とはいえないのです。言葉での反省・お詫びは一回にして、あとは行動で示していただきたいと思います。

三、 生活破壊について


 暫定滑走路を供用して3年が経過しました。暫定滑走路の供用によって、皆様の生活環境破壊してしまったことは事実でありますし、当方の非によるものであることは明らかです。
(2005年(平成17年)5月9日付け『回答書』成田国際空港株式会社)
 ……滑走路供用後2年間の騒音測定結果では、平均96デシベル、最大で110デシベルを超えてしまいました。さらに、頭上を離着陸する航空機への恐怖心は表現できないものだと思います。
 そもそも、今振り返ってみますと、暫定滑走路計画時に、皆様が日々生活を営んでおられるまさにその場所の真上数十メートルに航空機を飛ばすことが、皆様にどのような被害をもたらすかについて、深く検討もせず、皆様の存在を軽視してしまったというのが正直なところであり、航空行政に携わるものとして、全く恥ずべきことであると大変申し訳なく思っております。
          (2005年(平成17年)5月9日付け『東峰区の皆様へ』「謝罪文」)
                      成田国際空港株式会社 代表取締役社長 黒野匡彦)


生活破壊についての質問
1. 滑走路の北伸=ジャンボ機の飛行により、今までの騒音の最大値110デシベルが日常化すると聞いています。今回の決定に当たり、「どのような被害をもたらすかについて深く検討」されたのでしょうか。
2.. 「皆様の存在を軽視してしまった」と言われましたが、今回は私たちの存在をどう見られたのでしょうか。
3. 生活環境の破壊が「当方の非によるものであることは明らか」という反省と今回の決定はどう繋がるのでしようか。

四、 人間の尊厳について


 これまで申し上げましたことは、今考えますと、単なる空港建験の手法や生活環境の問題にとどまらず、人間としての名誉、尊慮に触れる問題であると思います。空港問題が発生してからの長い間の皆様のご労苦、そして失われた名誉・尊厳に対して、私どもは十分心を砕かねばならなかったのだと痛感しており、改めて深くお詫びし、反省する次第です。
 私は永年運輸省に籍を置き、成田空港の問題については、深く関知しているつもりでしたが、それは私の思い込みでした。成田空港の責任者として現場に立ち、何度か皆様と接してみて、初めて皆様のお気持ちが少しでも理解できるところに自分を置けたように思います。
そして、今私は、今後皆様の生活環境や人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやってはいけないとの強い決意でおります。
 私は、平行滑走路の問題については、あくまで皆様との話合いによって解決してまいりたいと思っております.
          (2005年(平成17年)5月9日付け『東峰区の皆様へ』(「謝罪文」)
                     成田国際空港株式会社 代表取締役社長 黒野匡彦)


人間の尊厳についての質問
1.「人間としての尊厳を損なうようなことは二度とやってはいけないとの強い決意」と述べておられます。今回の決定が同じ人の行動とは信じられません。
改めて、今回の決定と人間の尊厳について伺いたいと思います。
2.  あなた方にとって謝罪とは何でしょうか。『広辞苑』によれば「罪をあやまりわびること」とあります。あなた方の机の上にはどのような辞書があって、それには何と書いてあるのでしょうか。空港を作るための方便とでも書いてあるのでしょうか。教えて下さい。

 以上、自分の言葉に照らし合わせた回答をお願い致します。
 なお、回答は文書にて、区長あてにご送付くださいます様お願い致します。

2006年8月3日
  東峰区 区長 小泉英政
           住民一同