news-button.gif (992 バイト) 147.田所泉さん逝去 (2006/06/12 午4時掲載  06/20に追記) 

 「ニュース」と言えないほど、前の話になってしまうのですが、今年の4月18日、田所泉さんが脳内出血で逝去されました。73歳でした。田所さんは、日本新聞協会事務局次長をされたことがあり、訃報は当時の新聞にも出たようなのですが、私は不注意にも見落としていたようで、つい最近、逝去を知って驚いた次第です。
 私は、田所泉さんとは
1951年以来のお付き合いでした。どちらも大学生で、1学年違い。私が本郷の学生自治会中央委員会の議長をしているとき、田所さんは駒場の教養学部の自治委員長をしていました。彼は、52年のメーデー事件で実に長い間、裁判に苦労を続けたのですが、その間、私も全学連のスパイ事件との関連で逮捕、起訴され、4年ほど裁判に関わりました。被告同士の連帯もありました。
 その後、田所さんは日本新聞協会と新日本文学会、私は平和委員会や原水協、あるいはベ平連など、違った分野で生活をしていたので、一緒になる機会はほとんどなかったのだが、何かにつけては便りをやり取りし、著書を送ったり、送られたりと、亡くなられるまで、その関係はずっと続きました。どちらもガンに見舞われ、ガン仲間としてのやりとりもありました。
 田所さんの著作には、『
昭和天皇の和歌』(1997年)、『歌くらべ明治天皇と昭和天皇』(1999年)、以上創樹社刊、『大正天皇の文学』(2003年)、『昭和天皇の〈文学〉』(2005年)以上風涛社刊 など、天皇の「御製」などを詳細に分析して論じた一連の労作があり、また「新日本文学」の運動』(2000年)新日本文学会刊もあります。
 最後のやりとりは、著書『アカシアの町に生まれて 劉鴻運自伝』(2006年 風涛社刊)をめぐる手紙の往復だったかと思います。私の短い感想をお送りしたところ、田所さんからはたいそう喜ばれたご返事をもらいました。本の感想といえば、1972年、研究社から出た『講座・コミュニケーション 5 事件と報道』(鶴見俊輔ほか編)に、私が書いた「自由の危機――権力・ジャーナリズム・市民」という拙論を、田所さんが取り上げて とても好意的に評価してくださったことが大変嬉しく、今でも忘れられません。(残念ながら、その田所さんの書かれた書評の切抜きが見当たらず、何に載ったものかも思い出せないのですが……)
 ガンとのつきあいも、双方ともそれなりにどうやら何とかやれそうに思っていたのですが、脳内出血によるご逝去とは……と、暗澹たる思いをしています。昨日の『朝日新聞』によれば、日本人男性の平均寿命は79歳だとか。73歳でのご逝去は何としても残念です。ご冥福をお祈ります。

(追記)2006/06/20
 夫人の田所照子さんから、『軍縮問題資料』の06年3月号と5月号を贈呈されました。田所泉さんの「『戦なき世』か?」と「引き延ばされた『聖断』」とが掲載されています。いずれも、入院中、病院で書いた原稿だそうです。田所泉さんの最後の文章ということになるのでしょう。