146.イラク反戦のデモに参加しました。 (2006/03/24 午前2時掲載)
3月18日(土)に行われた「ワールド・ピース・ナウ」主催のイラク反戦集会とデモに参加してきました。
日比谷公園の野外大音楽堂の集会では、石坂啓さんの話などを聞き、そのあと、銀座通りを通って数寄屋橋まで、「市民の意見30の会・東京」の隊列に加わって歩きました。
このグループには、「30の会・東京」と「市民意見広告運動」の仲間たちが23人も参加していました。新宿西口地下広場での意思表示運動のグループは別の隊列を作っていましたから、それも合わせると、かなりの人数になったことでしょう。私たちは、「市民の意見30の会・東京」と「市民意見広告運動」ののぼりを先頭に並べて歩きました。
75歳になってからの初デモだったのですが、どうにか数寄屋橋交差点までは歩きました。でも、今年94歳になる母が、私と一緒にデモで歩いたのは、1999年4月4日の「新ガイドライン関連法案反対の集会」で、このとき、母は87歳でしたから、まだまだ、私は及びません。
母はまだ元気で、最近、脚が弱くなってデモには加われなくなっているものの、ブッシュや小泉批判をやりだすと、しばらくは止まりません。20日には、春の彼岸で、小平の霊園まで、一緒に墓参に行きました。 その時、意見広告運動にと、カンパを渡されました。 (写真は、諸橋泰樹さん撮影)
書き忘れたことがありましたので追加します。日比谷野外音楽堂での集会では、最後に「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」というバンドがいくつかの曲を演奏したのですが、最後は「インターナショナル」でした。「ワールド・ピース・ナウ」の集会で「インター」が歌われるなど、およそ考えられないことのはずなのですが、このバンドの編曲が陽気な音頭調であったため、正面にいた若い参加者は手をふって踊りだす人が何人もいたというありさまでした。こうなると、この歌にまつわるさまざまな思いも全て消えてしまっている、というよりは、何の歌かも知らずに手拍子をうっていた若者が多かったのではないでしょうか。『かけはし』(3/27号)の記事には「最後に……全員で『インターナショナル』を歌い集会を終えた。」とありましたが、その文面だけから受ける印象とはかなり違うものだったことは確かでした。パレードと言わず、デモと言いたい私ですが、このときは歌いませんでした。老人のこだわりですかね。