歴史を共有した4ヶ月間と歴史を作った人達に心から感謝します
――私たちは解放され、国は敗北しました
236,520時間の頚木(くびき)
管制塔基金カンパを集めてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
みなさんの力は、私たち16人を実に236,520時間に及んでつないでいた頚木から解き放してくださいました。1978年3月27日から私たちを縛っていた鎖は、私たちばかりではなく私たちの親と連れ合いと子供と職場の仲間……27年間の歳月をかけて培われた元被告を囲むすべての人とその関係を縛り続けて来たのです
。みなさんが送ってくださったカンパはその鎖の一環一環を力ではずし、元被告を囲むすべての人々を解放しました。
「本当に生きていてよかった、いい人生だった。」
私たち元被告が本当の意味で獲得したのは1億400万円のお金ではありません
。これまで生きて来て信頼できる人がこんなにたくさんいたという事実です。最後まで一緒に闘ってくれる人々がたくさんいた事実です。11月11日、国に損害賠償金をたたきつけた日の集会で元被告の若林一男が涙をかみしめながら「27年間なくしたものも多かったが得たものも多い。本当に生きていてよかった。いい人生だった。」と語ったのはその喜びの表現にほかなりません.
中川憲一の鳴咽
11月11日、九段合同庁舎前での中川憲一の嗚咽、当日夜の集会での元被告たちの涙は27年間の重荷からの解放と2000人余の真の友が自分たちには付いていることに喜び躍る心のありようそのものでした。私たちが損賠金を支払うと決めたのは27年間に培ってきた人との繋がり・関係を守ろうとしたからです。守りきることが「国から勝つ}ことだと決断したのです。
(損害賠償金分の)お金が集まっただけで中川憲一か嗚咽することはなかったでしょう。みなさんが、2000人を超える私たちと同じ心を持つみなさんの存在こそが
、私たちに「国から勝った」ことを証明してくれました。だからこそ中川が嗚咽をもらし、元被告たち全員が思い切り泣くことができたのです。私たちはみなさんに実際上の「勝利」ばかりではなく心の「勝利」をもいただいたのです。
集めてくれた人の重さ
2005年11月11日午前11時30分。
東京・九段合同庁舎地下会議室で国土交通省・東京気象台・新束京国際航空会社の三者と元管制塔被告10人・虎頭弁護人が対峙しました
。両者の間の机には1億400万円の札束が積まれました。
そしで異例とも思える事態が発生しました。両者が対峙した会議室に報道関係者と管制塔基金カンパ支援者全員がどっと入室したのです。当日、九段合同庁舎に集まった全員が文字通り「叩きつけ行動」を実行したのです。そしで中川憲一が元被告団を代表しで国土交通省航空局会計課長に宣言しました。
「私たちが運んできたのは、ここにあるこのお金は。ただの金じゃない。私たちを支えでくれた2000人を超える人たちの心そのものだ。そのことをしっかりと胸に刻んでほしい。」
圧倒された会計課長は
「よくわかりました」
と深々と頭を下げたのです。
11月11日午後6時50分。
東京・水道橋、全水道会館の「叩きつけ行動」報告集会の壇上に元被告団が登壇しました。
中路秀夫はカンバ6000万円入りの袋を持って国に叩き付けたことを、こう報告しました。
「集めでくれた人の重さをずっしり感じた」
その言葉は私たち元被告全員の感覚でした。11月11日、私たちが感したのは一緒に闘っでくださった皆さんの温かさとたくましさ、それ以上に三里塚の闘いを包む人たちの数の多さであり闘いの重さでした。78年管制塔占拠を含む三里塚の闘いの大きさと40年に渡る闘いの重みをあの日私たち元被告は改めで感したのです。
「あの日は生涯忘れることのできない一日」
私たち被告には、忘れようとしでも忘れられないシーンがあります。
78年3月26日の青空の下で翻る闘いの旗と空港管制塔下に押し寄せる人達の吶喊、空港内で火達磨になりそれでも前進しようとする仲間、拳銃を水平撃ちする警官隊、横堀要塞から手を振る人達の姿、そし
てうなだれる機動隊……。獄中暮らしの辛さは容易に忘れられても、あの日の空港管制塔下の出来事は、一生忘れる事が出来ないでしょう。何故なら、多くの人たちと一緒に私たちはあの日歴史をこの手で作ったという自負があるからです。
管制塔基金カンバ用紙に新庄市のEさんという方が「あの日は生涯忘れることのできない一日」とのメッセージを寄せておられました。あの日、多くの人が歴史を自らの手で切り開き共有したのではないでしょうか。「忘れられない一日」を作ったのではないでしょうか。
そして今年11月11日、もう一回みなさんはまた歴史を作りました。胸踊り涙に咽び汗を流しながらの熱い4ヶ月を通して再び国を負かすという快挙をなしとげたのです。「権力に打撃を与えたわけではないから勝利とはいえない」とのご意見も基金カンパメッセージにありました。その通りかもしれません。しかし、国は確実に敗北したのです。管制塔元被告を一生損害貼償金に縛り付け、闘う人達へのみせしめにする計画は失敗したのです。私たちはみなさんに守られ・解放され、そし
て国の意図は潰えたのです。
一枚の紙が、カンパ用紙という名の紙が歴史を切り開きました。
一枚の紙に思いを寄せた4000名余の人達が国を負かしました。
一枚の紙に思いを託しで汗を流しながら奔走した2000人余の人達が歴史を作りました。
一枚の紙を web に載せた人達が闘いの歴史を変えました。
私たちに、新たに「生涯忘れられない一日」ができました。
みなさん本当にありがとうございました。
元管制塔被告団は心から皆さんに感謝し共に闘ったことを誇りに思います。
12月24日またお会いしましょう。(注)
2005年11月11日
元管制塔被告団 |