「ご案内」欄のNo.158. 159でお知らせした「三里塚管制塔
占拠闘争元被告への不当な損害賠償請求執行に抗議する9.18集会」は、9月18日午後、東京・文京区民センターで開催され、予想を上回る200名の参加を得て、大いに高揚した集会となりました。
集会には、元被告団のうち、6名が出席、それぞれから支持への感謝と今後の闘いへの決意が述べられ、大きな拍手がありました。
(右の写真は ムキンポさんのサイト ( http://www.mkimpo.com/diary/2005/sanrizuka_05-09-18.html
から転載)。
集会では、ビデオ「大義の春」が上映されたあと、呼びかけ人の一人として私が挨拶をし、ついで、鎌田慧さんの基調報告、弁護団の虎頭弁護士の報告、そして、中山千夏、水原弘子、樋口篤三、柳川秀夫さんらの連帯の挨拶がつづきました。
基金運動の状況については、元被告団の事務局、中川憲一さんから、18日現在、約6,638万円が集まっているという報告がありました。
集会の詳しい状況や、各報告の内容については、「管制塔被告連帯基金支援ウエブサイト」( http://jioos.podzone.net/ )に、写真とともに「9・18集会速報」が掲載されていますので、ご覧ください。
以下に、私の挨拶の全文を掲載します。
三里塚管制塔闘争被告団に連帯する集会での挨拶 吉川 勇一 呼びかけ人を代表してのご挨拶となれば、私などより、鎌田さんが当然なのですが、鎌田さんには、あとでもっと長い時間の大事なお話をしていただくということで、まずは私がご挨拶をすることを引き受けました。お許しください。 3年前、山口幸夫、鎌田慧さんらとともに、私はベトナムをたずねました。山口さん親子と私とは、他のグループとは別に、三里塚を使わず、羽田から関西空港を経由してベトナムへ行く便を選びました。航空運賃はだいぶ損をするのですが、緊急やむを得ざる事態を除き、三里塚を使わない、と決めていたからです。他の人に要求することはしない、自分だけのルールなのですが、私には、こういう取り決めがいくつかあります。たとえば、三菱重工の株主総会に参加して総会屋・右翼・暴力団の暴行を受け、「ベ平連のチョーセンジン野郎!」という言葉を投げつけられて以来、自分の周辺から三菱資本の製品を一切排除することにしました。三菱と三菱電機の製品一切、そしてカメラのニコン、お茶の伊藤園、ビールのキリンなどです。また、新潮社との関係もそうです。『週刊新潮』の取材は一切拒否し、買いません。暮らしにくいこと、おびただしいのですが、これを自分に課しています。 三里塚闘争は、私にこういうルールを課させるほど、私にとって、大きな意味を持っています。 ホモサピエンスの数十万年の歴史の中で、この生物が「人間」として進化、成長し、その中で、正義、平等、不戦、弱者との連帯といった価値をその良心、道義として育ててきたのだとしたら、それは、これまでの歴史の中で、不正、差別、戦争、搾取といったものを自らの存在をかけて許さず、それと戦ってきた人々がいたからです。自己の不利をもかえりみず、法や権威の定めること以上に、良心の命ずることに従った人々がいたからです。それが人間としての歴史を、意味あるものとさせてきたのであり、私たちは、そうした人々に感謝します。 三里塚管制塔闘争にかかわった人々も、そうした位置を占めています。彼らが不当に受けている権力からの抑圧を、黙って見ていることはできません。1億円を超える募金というのは、容易ならぬ目標ではあります。 ここにおられる皆さんはすでに、かなりの醵金に加わっておられることと思います。しかし、今度の募金は、普通行われるカンパや、三里塚空港を使わないために出さざるを得ない余計な航空運賃の負担などとは違う、一桁も二桁も違う大きな負担を私たちは負わねばならないと思います。普通、カンパを求められ、それに応ずるとき、私たちはいくら出そうかなどと一日も二日も考え込むことはありません。無理のない範囲で結構ですが、と言ってカンパを求められることもよくあります。しかし、今度の場合は違うでしょう。私は、自分の募金額を決めるのに、1週間以上考えました。老齢障害者年金以外の収入がなくなった私でも、今度のカンパは、「無理のない範囲で」などではすまないのだ、と思ったのです。 皆さん、ここは、無理をしましょう。すでにかなりのカンパをされた人も、無理をすれば、まだ追加を出せるのではないか、考え見て下さい。私も考えます。また、周囲の人びと、かつて三里塚闘争にかかわったことのある多くの人びとに呼びかけるときも、今度だけは「無理をして、自分にとっては相当辛い」額を、貰うほうが驚くほどの額を出してもらいたいと訴えてください。 呼びかけ人の末席に加わっているひとりとして、とりあえずのご挨拶、訴えといたします。(写真は大木晴子さん撮影) |