news-button.gif (992 バイト) 131.安井田鶴子さん逝去。05年02月14日。91歳。 (2005/07/01 初稿午前5時掲載)

 遅くなってのお知らせで、申し訳ないのですが、最近届いた『ピース・ピア』(平和事務所発行)の2005年初夏号に、元原水協(原水爆禁止日本協議会)の理事長だった故安井郁氏の夫人、安井田鶴子さんを偲ぶ吉田嘉清さんの文章が載っており、それで、安井田鶴子さんのご逝去を知って驚いた次第です。今年の2月14日に、享年91でお亡くなりになったそうです。
 以下に、『ぴーす・ぴあ』に載った吉田さんの文章を転載いたします。

   追悼

   安井田鶴子さんを偲ぶ

 「杉の子」と名づけてともにはげみつつ
       原水爆禁止の署名集めぬ
                     安井田鶴子

 安井田鶴子さんが、去る2月14日に亡くなられました。享年91歳でした。
 戦後の反核運動は、導火線になったビキニ第五福竜丸被爆事件のときの、杉並公民館(当時の館長 安井郁)の安井田鶴子さんら女性たちの読書会「杉の子会」の署名運動から始まりました。今では、杉並公民館の跡地(荻窪図書館前)に歴史的事件として「原水爆禁止署名運動発祥の地」の記念碑(オーロラ)が設置されていますが、これも、夫の安井郁先生亡きあと、田鶴子さんが区長と区議会に粘り強く訴えられた結果です。
 署名運動の後も長く、国際法学者であった安井先生の原水爆禁止運動、世界大会、国際活動を文字通り支え続けていらっしゃいました。
 また、1985年から平和事務所が始めた「草の根平和の集い」(〜1991年)でも、故大石武一先生、故新村猛先生らと共によび掛け人の一人として活動されていました。平和、人道主義を貫き、気品あふるる方でした。
 安井郁先生が亡くなられてから25年――愛妻家安井先生と多鶴子様の再会の場面が偲ばれます。
 
 運動の統一の日までと
      慰霊碑に詣でざるまま夫の逝きける

 ささやかな力と知りつつひたすらに
      平和願えり母なるわれら
                     安井田鶴子

(吉田嘉清)    

 ご逝去は、遺族の方のご希望で、どなたへも通知はなかったようです。

 初期原水禁世界大会で、国際部の通訳、翻訳などの仕事に当たったメンバーによる「蜂六会」の集まりにも、何度か田鶴子さんは出席されました。
 私は、かつて『現代人物事典』(朝日新聞社編 1977年)の安井郁の項の中で、「……原水協での安井の活動の場合、それを横から支えた妻田鶴子の努力も大きい。」と書きました。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。