麹町区立富士見小学校の1943(昭和18)年卒1組クラス会(富士見一八会)の今年度の集まりが、5月24日に、神楽坂の毘沙門天の隣、「玄品ふぐ」で開かれました。14名出席。なんと、今回は、加藤雅君の妹、圭子さんも参加、60年ぶりの再会に話は活気を帯びました。昨年、風邪で欠席した佐藤荘次郎君が、当時の飯田町の地図(同級生の家や、懐かしい店の名前などが書き込まれている)を持参、わいわい言いながら、それに書き足したり、修正したりということにもなりました。
悲しいことは、大野勇君が昨年、亡くなられたとの報。また、石川二郎君、山梨君からは、依然として療養生活が続き、参加できず残念との手紙。また、矢島陸雄君は参加しましたが、昨年、かなり重い脊椎のヘルニアにかかり、歩行がつらそうでした。進行は止まっているが、全快は無理そうだとの話でした。あと、大平實君からは、長く滞米生活が続いていた岡本守弘君が、日本で暮らすことになり、次回からは毎回参加できそうだとの報告がありました。
なお、矢島君が小学校時代の写真を何枚か持参し、回覧しました。右はその1枚で(サムネイルですので、クリックすると大きくなります)、鎌倉・材木座にあった麹町区立の臨海学園での写真で、かなり鮮明です。左端は金田義種校長、右端は飯塚先生です。これは複写して、ご希望の方にお送りしますので、お持ちでない方はご連絡ください。私には、顔を見ても名前が思い出せない人もかなりいます。わかる限り、ここに記しますので、不明になっている旧友の名前をお分かりの方、あるいは間違いにお気づきの方、お教えいただけませんか。
(後列左から)金田校長、不明、鎌田、不明、山梨、不明、不明、坂田、不明、不明、不明、不明、飯塚先生
(前列左から)下村、藤間、堀内、井原、矢島、不明、藤井、大村、吉川