100.最近の状況についてのご報告やら意見やら (2003/12/17掲載 ) (04/02/29に、訂正の注を最後に追記)
以下は、必ずしもすべてが「ニュース」とは言えないのですが、最近の私の周辺の状況についての、ご報告やら、それについての意見、感想やらを順不動で述べることにします。
(1) 派兵反対などを訴える意見広告運動について。
まず、私がいま一番力を注いでいる活動、「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告」運動についてです。第1次の集計日であった12月13日(南京大虐殺の日)に、募金は1121万円余に達しました(賛同者は約2500人、賛同団体は約200)。賛同者の数と募金の額はどんどん増加し、連日、100口を越える50万から60万円の送金が続いていたのですが、なんと、15日には、243口、124万5430円という、前例のない支持が寄せられたのでした。内閣による、派兵の「基本計画」強行決定が、一挙に運動を加速しているということでしょう。
この「基本計画」は実施の時期に触れないまま決定されましたが、それは、派兵を実施しない余地が残されたことであり、今なら、引き返すことができます。さらなる世論の力 によって、イラク派兵を事実上させないままに終わらせる可能性が見えてきています。
この運動の事務局は、以下のような訴えを出しました。この運動へのさらなるご協力をお願いしたいと思います。この運動の詳しい内容や、連絡先、送金方法などは、「ご案内」欄のNo.110をご覧ください。
賛同金募集の最終期限について |
(2) 『朝日新聞』「声」欄への投稿について。
「最近文献」欄に掲載しましたが、12月10日の『朝日新聞』「声」欄に、私の投稿が採用されて掲載されました。その日のうちに、何人もの知人から、「よく言ってくれた}「同じ感想をもっていた」「賛成する」という電話をもらいました。
翌日からは、はがきが届きだし、どれもが、共感、賛同の意を伝えてくださるものでした。ありがとうございました。
しかし、投書の内容からして、賛同されるのは、ベ平連など、かつてのベトナム反戦運動に参加をしていた仲間たちであって、ベトナム反戦以後に育ったより若い世代からの反響がないのは、当然でした。
(3) 12月8日の「市民文化フォーラム」の集会について。
「ニュース」欄前号や、「ご案内」欄でおしらせしたように、12月8日には、神田一ツ橋の教育会館で、「市民文化フォーラム}(解散した「国民文化会議」に参加していた人びとを中心とする新しい市民グループ)が主催する集会「あくまで〈非戦〉をめざす」が開かれました。それに参加しました。
あまり大きくない会場でしたが、通路に補助椅子を並べるほどの盛況で、100人を超える人びとが参加しました。集会では、千葉大学の小林正弥助教授(政治学)と日高六郎さんが発題者として話され、その後、質疑応答や討論が行われました。
小林さんの話は、1時間ほどで、戦前から現在に至る日本の政治、とくに選挙の問題点を挙げるかなり広い範囲の問題を包括的に述べられたのですが、やはり時間不足で、配布されたメモのかなりの部分を割愛することになりました。
しかし、そのかなりの部分は、今年3月に出版された小林さんの著書『非戦の哲学』(ちくま新書 ¥740+税)でのべられています。
私の率直な感想を言えば、小林さんの論の結論部分には賛同できませんでした。それで質疑応答のところで、そういう意見も述べたのでした。簡単にそれを記します。
当日配布された小林正弥さんによるメモのその部分には、こうあります。
(5)非戦の原点 |
私が理解した限りでは、この結論部分で小林さんが言われたことは、以下のようなことだと思いました。少々、乱暴と言われるのを覚悟でまとめてみます。
北朝鮮の脅威よりも、イラクに自衛隊を送ることによってもたらされる危険――戦死者だけでなく、日本国内でも「テロ」攻撃などが予想され、「国民」に危険がもたらされる――の方がもっと現実的だ。それを強調すべきだ。これまでの反体制運動、あるいは反戦運動が強調していたような、「戦後責任論」や「マイノリティー論」――つまり、言い換えれば、日本の加害者性の自覚と、その理解を前提とした運動の展開――に、今の若い世代は共感せず、むしろ心理的に反発して「自虐史観」説などの煽動に惹きつけられてしまう。したがって、そういう宣伝や説得ではなく、イラク派兵によって日本国民に脅威が直接的に及ぶことを強調して、その被害を免れるために、戦後の原点であった「『国民』の生命を守る平和憲法・平和主義」という訴え方をすべきだ。つまり私なりにまとめてしまえば、加害者としての日本という認識を基礎にした運動ではなく、「日本国民」の被害者としての面に重点を置き、その被害の危険から守ってくれるのが「国民の生命を守る平和憲法」なのだ、と強調したほうがいい。それが「戦後の原点」であり、「非戦の原点」なのだ。……と。
こうした見解は、先に触れた小林さんの『非戦の哲学』では、まだ展開されていないようでした。(その後の『論座』6月号の「『反テロ』世界戦争の拡大に抗して」は未見なので、あるいはそこには触れられているのかもしれません。余談ですが、昨日、地元の図書館へ行って探したのですが、なんと驚いたことに、わが居住する西東京市の各地にある公共図書館では、どこも『論座』を備えていないのでした! 「需要が少ないものですから」が返事でした。この姿勢こそ、現在の図書館の腐敗ぶりをよく示しています。)
私は、小林さんへの質問で、「この結論部分を聞いてショックを受けた」と発言しました。「戦後の原点」あるいは「非戦の原点」とは、「戦争の被害を受けたたくない」という「被害者意識」だと言っていいのでしょうか。戦後の運動の出発時期にあっては、戦争体験として加害の問題が語られることはなく、もっぱら被害の面だけが強調され、また、「世界で唯一の被爆国日本」というような、原爆実験直後のネバダの実験場に無防備で突入させられた米軍兵士や、太平洋等の水爆実験場にされた多くの島嶼の住民たちのことをすべて無視して「ノー・モア・ヒロシマ」を唱えるような運動もありました。しかし、60年代後半のベトナム反戦運動以降、それがいかに誤ったものであり、近隣アジア諸国をはじめ、いわゆる第三世界の民衆と私たちの間をいかに切り離してきたかが認識されてきたのでした。小林さんの説は、そうした認識は、戦後平和の原点ではないとされる。私には、これは運動のここ40年の蓄積の放棄による全面的後退、村山首班内閣が日本政治でやってのけたようなことを、反戦運動の分野で再現しようとするもののように受け取れました。
若い世代が、「自虐史観」にひきつけられたり、あるいは戦争責任論や日本の加害者性について反発したりするという現象の理由は、反戦運動の側の不十分性もあるでしょうが、別の大きな原因も指摘されるべきでしょう。たとえば、これは他のところで述べたことですが(『現代思想』6月号
、『市民の意見30の会・東京ニュース』79号 03年7月)、運動の中で知識人、学者の果たす役割が大きく後退し、こうした人びとが運動の「修羅場」に出てきて泥まみれになることをし
ていません(かつての例をごくわずか挙げれば、原水爆禁止運動での安井郁、森滝市郎、60年安保での、竹内好、鶴見俊輔、日高六郎、清水幾太郎、丸山眞男、あるいはベトナム反戦運動での小田実、開高健、鶴見俊輔といったような
人びとが占めていた場にいる知識人や学者は今は皆無)。かつての経験が、若い世代との間で議論され、検討され、継承されるということにならない
原因のひとつは、そういうことにもあると思います。若い人びとの運動は、それゆえ、心情的、感情的レベルにとどまって、歴史意識、社会意識がとぎすまされてゆくということがありません。小林さんは、ご自分がされてきたイラク反戦に関する活動をいろいろ紹介されましたが、ほとんどは、狭い学者・研究者の集まりの中で、どういう議論をして、どういう声明を出したか、というようなことで、たとえば、そういう人びとが「World
Peace Now」の呼びかけ団体会議や世話人会などに出てきて、一緒に平等に議論も作業もデモもする、といったことはなかったと思います。
小林さんも、その話の中で、「World Peace
Now」の中で活発に活動した「チャンス・ポノポノ」グループのことに触れられていましたが、このグループの活動の継続として9月に出された『シノプシス』(確か、そういうタイトルだったと記憶します)という出版物(チラシ)の第1号を見ました。【注 この部分には、事実と違う記述がいくつかあり、それを、このページの最後に訂正してあります。ぜひご参照ください。04/02/29追記】 喫茶店などに無料で置かれて大量に配布されたようで、それを作成する労力と資金は大変な苦労だったと思われますが、内容には正直言って驚きました。今手元にないので、正確な引用ではないかもしれませんが、全体の編集テーマは「世界は今安全ですか」(あるいは「あなたは今安全ですか」だったかもしれない)というもので、イラク戦争を扱ったものでした。そして、イラク、アメリカ、韓国、その他の状況や問題点が解説され、書評やたしか映画評か演劇評まで載っていたと思うのですが、驚いたというのは、9月の段階でイラクでの戦争を論じ、人びとに広く訴えようという出版物なのに、その中に小泉首相の「小」の字も出てこなければ、自衛隊の「自」の字も出てこないのです。日本政府のやっていること、自衛隊がやろうとしていることは、イラクの事態と何の関係ないかのような編集です。日本の加害者性をすべて捨象し、「安全ですか」という被害の面だけを強調しているという点では、まさに小林正弥さんが提唱される方向そのものに沿ったといえるような内容でした。
私は、こうした傾向を危ういものと見ます。イラク戦争に自衛隊が出てゆくことで、たとえば日本国内での破壊活動、攻撃が触発される、あるいはその危険が現実化されるとすれば、それは被害者意識にもとづく「非戦の原点」に帰った反戦運動を成立させるどころか、逆に北朝鮮の「脅威」とオーバーラップし、きわめて歪められたナショナリズムをあおり、自衛隊の正規国軍化(たとえば、軍法・軍事法廷を持たない軍隊などない。脱走・離脱や命令拒否を許さず、厳罰を持って軍隊そのものが裁けるようにする)と9条と前文の非戦部分の廃棄へと一挙に進む世論の空気情勢に利用される可能性が大きくあるのではないか、と危惧します。
昨日聞いた話では、この12・8集会の総括会議が今度の土曜日(20日)にあるそうなので、できればそれに出席しようかと思っています。
(4)日高六郎さんの話。
小林正弥さんの発第報告の後、日高六郎さんの話がありました。小林さんの話し方が、少数の大学ゼミでの講義のような調子で、後ろの方に座っていた私には、聞き取れないところも多く、耳がだいぶ悪くなったな、などと思っていたのですが、86歳の日高さんの話は、実に張りのある声で、明瞭そのもの、必ずしも私の耳のせいだけではないと少し安心しました。日高さんは、大学生の時代の、太平洋戦争開戦時の体験を具体的な例を多々挙げながら回想されました。興味ある話が続いたのですが、現在との関連では、今度の選挙前、2大政党態勢がマスコミなどで強調されたが、それは1928年の「政友会・民政党」2大政党対立ときわめて類似していると話されました。「満州事変」が発生し、15年戦争の幕がきられるのは、それからたった3年あとのことだったのだ、と。
また、日高さんは、加藤周一さんとの会話を少し引きながら、加藤さんが憲法をめぐる今後の問題として、徴兵の危険性に注目されていたのに対し、自分は日本の周辺アジア諸国との関係を強調した、という話をされました。明確な非武装・不戦条項をもつ現憲法が、いかに周辺アジア諸国と日本との関係を安定させるものとして機能してきたか、それが改悪された場合、どんなにその関係性を悪化させ、そして、再度それら諸国に多大な害を与える危険性を増大させてゆくかを危惧している、護憲問題の大きな側面は国際問題なのだ、という話でした。
日高夫妻は一昨日、またフランスへ戻られましたが、来年早い時期に、再度日本にこられる予定があるとのお話でした。
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【注】『シナプス』についての記述の訂正
上に記した昨年の文章には、いくつかの誤りがあります。『シナプス』の編集にかかわっている知人からの知らせで、それがわかりました。以下にお詫びして訂正いたします。
(1)まず、この出版物のタイトルは『シノプシス』ではなく、『シナプス』です。
(2)また、発行の主体ですが、「チャンス・ポノポノの……活動の継続として……出された」と書きましたが、それは誤りで、制作メンバーの中にチャンスに入っている人もいるが、しかし「チャンスの中心メンバーは編集には関わっておらず、このフリーペーパーは、どこの団体を代表するものでもない」とのことです。
(3)第1号のタイトルを、私は、うろ覚えの記憶で「世界は今安全ですか」といったような……と書きましたが、実際は「世界は以前より安全になったと言えるだろうか」というものでした。マッシブ・アタックという音楽グループがライブの時にステージに流した映像にあった言葉を使ったものだそうです。フジロックフェスティバルで、この文化と政治的問いかけの融合のスタンスに触発されて、シナプスのスタンスにふさわしいと感じて、タイトルに選んだとのことです。
思い込みや、うろ覚えの記憶による誤りは、歳とともに増えていきます。お許しください。今後も、誤りなどに気がつかれましたら、ぜひお知らせくださるよう、お願いいたします。すぐに訂正いたします。(04/02/29 追記)