[背景]
海上町は銚子市の西にあり、人口約一万一千人で農耕が基幹産業の美しい町である。千葉県は日本で第二位の農業県であり、海上町などの町がその農業を支えている。ここ1年の間に、海上町・銚子市・東庄町の市・町境は不法投棄・産廃処分場が乱立し、産廃銀座の状況となり、今後さらに悪化する危機に直面している。市境・都心からの交通など、廃棄物問題の典型的な状況に直面している。
伸葉都市開発(以下「伸葉」と略す)が海上町・銚子市・東庄町にまたがる産業廃棄物管理型処分場の事前協議を提出したのは、産廃不法投棄が行われ始めた10年前だった。伸葉はこの産廃処分場の為作られたと思われる会社で、今まで3回も本拠地を移転させている。結局この産廃処分場は地元の強い反対もあり、10年間凍結された。その計画が1998年5月、突如、事前協議が終了される。
1市2町は明らかに反対しているのに、県の強引な介入だった。事前協議を認めれない1市2町は業者との公害防止協定を終結しない事を明らかにした。これに対し県は「産廃設置条件に公害防止協定は必要ないのですね」と公害防止協定を指示事項からはずし、事前協議を終了した。
1989年8月7日、設置許可を目前にし、海上町は伸葉産廃処分場建設に対する住民投票条例を制定した。
投票は同8月30日に行われた。悪天候にもかかわらず、住民投票の結果は「投票率は87.31%、反対の得票率は97.58%」投票率は御嵩町の87.50%に並び、反対得票率は吉永町の98.23%並ぶ高い反対の意思が示された。
[感想]
伸葉産廃処分場建設に対する住民投票を8/30にひかえた8/23に産業廃棄物最終処分場設置反対町民決起大会が開催された。決起大会は18時から海上町公民館付属体育館で行われた。500人入れる体育館はあふれんばかりの人でうまり、入りきれない町民は公民館内・公民館外のスピーカーに耳を傾けた。決起大会は1000人規模に膨れ上がり、大いに盛り上がり終了した。
決起大会当日、午前から伸葉産廃処分場・不法投棄の現場見学会が行われた。その内容を報告する。
住民投票を8/30に控えた、海上町役場
-伸葉産廃処分場予定地-
伸葉産廃処分場、計画は10年前に出されている。つまり10年間許認可が凍結されていた処分場である(つまり許可が出せるような代物では無いということ)。
海上町・銚子市・東庄町にまたがって予定地は、ごぼう・にんじん畑に囲まれた農道を超えたブーメラン状の谷間にある。その予定地を写真で示す。
落花生畑が広がる。奥に茂る木々に向こうに、産廃予定地がある。
この地はもともと田んぼであったが、減反・後継者不足のせいで、休耕田である。この地に敷地面積6.7haの産廃処分場が計画されている。産廃処分場に囲まれたこの地は、銚子市の水道水である忍川の水源であり、取水口までは7〜8kmしか離れていない。「上水道・水源・水路に影響がないこと」「既設処分場から1キロ以上離れていること」などを許可用件としている現在の処分場設置基準を満たすはずもなく、なぜ事前協議を終了したのか不可解である。住民の健康を守らず業者の利益を守る役所の実態がここにある。
一般に役所は設置許可を出す際に「営業許可を与えたわけではない」などと言うが、設置許可を与え、処分場設置に多額の金を出した業者に営業許可を与えないなどと言う事が可能だろうか。誰が考えても明白である。
業者である伸葉は産廃業者の許可証さえまだ取得していない。県は設置許可を不許可にすべきである。
伸葉産廃処分場建設予定地。元々は田んぼだった。小さな川が形成されている。この先に銚子市の水道水源、忍川がある。
-森戸産廃不法投棄現場-
伸葉産廃処分場予定地から300m程のぎりぎり銚子市内地点に「あぶないからはいってはいけません」の看板と鉄条網がはられた、土地がある。この敷地の中に入っていくと、荒廃した土地が現れる。豊島・橋本と同じ匂いが漂ってくる恐ろしい土地だ。この土地は休耕田を埋めたてたものであり、埋められた底には農地転用が行われていない名義上水田の土地がある。
悪臭に我慢しながら進むと、地面が大きく陥没した地点に辿り着く。自然に陥没したと言う。幸か不幸かその陥没のおかげで今立っている大地の下がどうなっているのかわかる。陥没穴の側面からはビニール系を主としたゴミが積まれた状態がはっきりと分かる。この土地の下は全てゴミの山なのだ。陥没穴には最近棄てられたと思われるゴミも見られ、強烈な悪臭が漂っている。近くに民家・養鶏場もあり、住民の健康が危惧される。
陥没穴の側面からは、ビニールゴミが目立つ。
穴底には最近棄てられたと思われるゴミがあった。
幸か不幸か陥没のおかげで地面の下がどうなっている
のかわかった。
陥没穴。自然に開いたという。
この土地周辺はもともと「千葉ジェムカ」という産廃業者が中間処理場を作る予定だった。結局、地元の強い反対にあい、会社自体が潰れたのだが、1997年秋頃(去年の秋から!)から何台ものトラックに積まれた産廃が運び込まれたという。つまり1年立たない間にこれだけのゴミが不法投棄され、盛り土されたのだ。未だにどこの業者が不法投棄したのか、どこのゴミが持ち込まれたのか、公式にはわかっていない。
大地に隣接した小高い土地が有り、そこにも登ってみる。この土地は低い土地よりゴミの総が厚いのだ。登って歩くと、地面には何個所か穴、亀裂が入っているのに気がつく。穴、亀裂に近づくと強烈な悪臭に襲われる。亀裂に手を近づけると暖かいガスが出ているのがはっきりと分かる。この下でゴミが反応しているのだ。あまりの悪臭に吐気を催しながら進む。するともともとの谷間との境に辿り着く。高さにして20mはあるだろうか、写真を添付するが少し分かりにくいかもしれない。
この不法投棄の現場は農業用水である森戸川に隣接して設置されており、農作物への影響が心配だ。一刻も早く撤去すべきである。
この地面の下はゴミの山!!
産廃が不法投棄された場所から、元々の谷間をみる。20mはあるだろうか。この先に農業用水である森戸川があるという。
-高田富士「三友建材且ゥ社最終処分場」の看板がかけられている-
伸葉産廃処分場予定地から2km程銚子市の地点に産廃自社処分場がある。森戸産廃不法投棄現場で「まだ、ここは序の口。次はもっと凄い」と聞かされていたが、高田富士はその予想を超えた度肝を抜く凄まじいゴミの量だった。ここが元々谷間だった事、また看板から操業が1997年10月15日(去年から操業!)である事を聞き、更におどろく。ここも、森戸と同様1年たたないうちにこれほどの産廃がこの地に集結したのだ。
この地には西吉野の産廃富士に優るとも劣らないその膨大なゴミの山が立っていた。写真を添付する。優に30mはあるだろうか、とにかく凄まじい量である。
これが高田富士と呼ばれる、産廃不法投棄現場。30mはある産廃の山は異様としか言いようがない。
自社処分・安定5品目などは建前だけで、「火気厳禁」と書かれた薬品の瓶が中身入りで廃棄されていたり、「オムロン」「三菱」などの(秘)マークの入った書類など、ありとあらゆるゴミが不法投棄されている。
この産廃の山の悪臭は凄まじいばかりで、タオルを口に当てないととても絶えられるような状態ではなかった(タオルをあってても悪臭がひどかった)。あまりの悪臭に引き返そうかと思ったが、高田富士に登ってみることにした。
ゴミを踏みしめながら高田富士に登る。やがて左手に土を削りとった地点が出る。埋立用土砂を運んだ後のようで、一般にこの手の跡地は産廃・残土が埋められるケースが多い。おそらくこの地も同じケースになるだろう。
不法投棄現場のすぐ横に、土砂を運んだ後があった。いづれこの穴にも産廃が不法投棄されるだろう。
五合め付近に辿り着くと、地面から白い煙が吹き出している。ゴミが反応しているのだ。このままで放置していると、ここも火事を起こし、多くのダイオキシンを周辺にばらまく事態になるだろう。写真から煙が識別できるだろうか。
五合目付近。左手あたりから煙が出ている。当日雨が降っていたが、晴れの日も出ており、水蒸気ではない。産廃の上は匂いが非常にきつく、息をするのも苦しい。
吐気を我慢しながらなんとか頂上に辿り着く。ここに立つと高さを更に実感する。マネキンの首、マンホールの蓋など、いろんなゴミが目立った。山頂から見ると高田富士の周りは畑が広がっているのがよくわかる。この畑の持ち主はどんな気持ちで農業を営んでいるのだろうか。非常に悔しい思いに違いない。
高田富士には畑が隣接している。ここで農作業を営んでいる人はどんな気持ちで産廃不法投棄を見ていたのだろうか。
海上〜銚子の産廃不法投棄現場を見て、数々の産廃現場を見てきた「産業廃棄物全国ネットワーク」の事務局員も「現在最もひどい産廃不法投棄現場だろう」と語った。これほどの不法投棄が外房で行われているとは驚きだ。周辺住民の安全を脅かす、これほど酷い産業廃棄物不法投棄が罪にならない国が法治国家と呼べるのだろうか。
住民投票の風景
住民投票の投票は同8月30日に行われた。台風が近づく悪天候にもかかわらず、「投票率は87.31%、反対の得票率は97.58%」投票率は御嵩町の87.50%に並び、反対得票率は吉永町の98.23%並ぶ高い反対の意思が示された。