[背景]
1971年、茨城県稲敷郡新利根町(当時新利根村)に城取清掃工場が作られた。この工場は隣接する龍ヶ崎市、牛久市(当時稲敷郡牛久町)、北相馬郡利根町、稲敷郡河内町(当時河内村)の4市町村が設立した龍ヶ崎地方塵芥処理組合によって運営される施設である。この組合には新利根町は含まれていない。他都市のごみが燃やされている施設である。
当時、4市町村の焼却炉は龍ヶ崎市と牛久町共同の1日15トンしか処理できぬ老朽施設しかなく、1日20トンにも増えていたごみを処理する新工場の確保が急がれていた。地域内に建設用地が見つからず、結局龍ヶ崎市に隣接した新利根村根本地区の湿地帯を入手する。話を持ち込まれた新利根村村議会は十分な審議なしに「他都市の焼却施設」を受け入れてしまう。
1978年、清掃工場は1日60トン(15トンが4基)と、十分な焼却能力を持っていたが、急速な別途タウン化で1日54トンものゴミを処理するようになる。それに合わせ、プラスチック類、化学物質が急増し、焼却炉は急速に痛んでいく。真っ黒な煙をはきながら焼却は続けられた。
1980年、新利根村議会が全会一致で「城取清掃工場の即時移転を求める」地元請願を採択。
1986年、従来の8時間運転では処理しきれなくなり、2交代16時間に切り替えられる。黒煙はさらに激化する。焼却灰はあたりに飛び散り、周辺地域を汚染していった。
1995年1月、住民らは龍ヶ崎簡易裁判所に「一刻も早く施設を撤去するよう」司法上の調停を申し入れる。処分場周辺住民にガン患者とそれによる死亡者が続発していた。新利根町根本地区全体(人口2500人)を対象に過去11年間の死亡届の死亡原因に書かれたガン死亡者の数を地域単位で数えた結果、焼却施設から約1キロメートルに位置する「根本一区」と呼ばれる地域は他の五地域に比べて2倍のガン死亡者を出している事が判明。総死亡者57人中24人(42%)がガンで死亡していた。
1996年、新利根町に隣接する龍ヶ崎市塗戸・高作地区内でも過去10年の死亡原因を、住民自身による聞き取りによって調査される。1.1〜1.3キロ、1.3〜1.5キロ、1.5キロ以上の三ゾーンに分けて調べた所、1.1〜1.3キロゾーンでは他のゾーンに比べて約二倍のガン死亡者が出ている事が判明する。
1997年、ダイオキシン研究の第一人者、摂南大学の宮田秀明教授の指導により、焼却施設周辺2キロメートルまで、200メートル間隔を基本に合計60ヶ所の地点で表層土壌を採取して分析した結果が発表される。焼却施設から南に200メートル地点で252pg/gを最高に、500メートル地点で211pg/gなど高濃度の土壌汚染が検出される。対照地域のデータは2〜10pg/gのため、高濃度の汚染を受けている事が判明する。ドイツでは100pg/gを超えると、児童の接触が禁止されるレベルである。
1998年、宮田秀明教授による住民の血液調査が発表される。調査は1996年3月、同町上根本の城取清掃工場内のごみ焼却場の周辺二キロ以内に住む20歳代から80歳代の男女60人を対象に実施。このうち分析の終了した18人(男性13人、女性5人)の結果を発表した。それによると、血液中の脂肪1グラム当たりのダイオキシン類の濃度の平均は、男性が81ピコグラム(1ピコは1兆分の1)、女性が149ピコグラムで、いずれも正常値(20〜30ピコグラム)を大幅に上回っていた。最大値は女性の463ピコグラムで、正常値の20倍に達していた。大気によるダイオキシン汚染はそれほど大きくないと考えていた宮田教授は「ある程度の値は出るとは思っていたが、これほど高いとは驚いた」とコメントを述べていた。この調査結果は全国に大きな衝撃を与える。
現在「龍ヶ崎ダイオキシン訴訟」は水戸地方裁判所土浦支部で争われている。
参考本:週刊金曜日1998/3/27 212 津川敬
月刊むすぶ1998/1 325 披田信一郎
[感想]
案内は龍ヶ崎市で城取清掃工場問題に取り組んでいる方にして頂いた。
龍ヶ崎佐貫駅より新利根町に向かう。このJR駅は龍ヶ崎市の西側に位置し、城取清掃工場は東に接する新利根町にある。龍ヶ崎は人口7万人の首都圏・つくばのベッドタウンである。
道中塗戸地区の小さな池に立寄る。国立環境研究所の春日清一氏の呼びかけで、ヒキガエルを探していると言う。ごみ焼却場の近くの池など有害化学物質がたまりやすい場所は、生物が影響を受けやすい。調査は@体長A体の色B奇形の有無C雄雌比の四点を調べる。ヒキガエルは数百匹が一世に池から上がるため、多数の調査が行えるのだ。カエルは水中で産卵し発生することから、有害化学物質が蓄積しやすい池などの場合、形態形成の活発な胚の時期に化学物質にさらされ、特に大きな影響を受けると言う。「探してるのだけど、ヒキガエル自体が殆どいない」と言う事だった。
城取清掃工場に近づくと急に道が狭くなる。左右を見ると大きく削り取られてクレーターのようになっている。埋立用の土を取り出したという。土取り出し後には残土によって元の高さに戻すと言う事だった。残土と一口に言っても汚泥を含むもの、建設廃材を含むもの等、さまざまな問題を含んでいる。
埋立て用土を取った後。180°後ろも同様に土を取られている。
城取清掃工場に近づく。辺り一面に悪臭が立ち込めている。今でも土曜日(事業系ごみの日でプラスチックごみが多い)に真っ黒な煙を出しながら焼却している事がある。焼却場のすぐ横も埋立用土を削っていた。
城取清掃工場から1分、新清掃工場が猛スピードで建設されている。この清掃工場は竜ヶ崎市東端の板橋地区に位置し、城取清掃工場の煙突と新清掃工場の煙突の距離は400m。「龍ヶ崎の自然と環境を守る会」はこの清掃工場の建設差止も請求している。板橋地区のとなり塗戸地区も反対している。これに対し龍ヶ崎市のごみプロジェクトの役職が区長宅を訪問し「反対すれば将来子どもは市役所に就職出来なくなる」などと圧力をかけてきたと言う。新清掃工場のすぐ横では一般廃棄物最終処分場がちゃくちゃくと建設されている。
400mの位置に作られている新清掃工場
問題の城取清掃工場煙突
城取清掃工場と新工場。余りの近さに驚かれた方も多いだろう。
いまだに「汚染は無い」と公言している塵芥処理組合がどれほど
管理を出来るのか疑問だ。
新清掃工場の横では最終処分場が作られていた。正面上に見えるのが新清掃工場。
角度を少し左にずらすと、城取清掃工場の煙突が目に入る。
牛久市は龍ヶ崎地方塵芥処理組合から離れ、独自に焼却施設を建設中だが(完成予定1999年3月)、その施設は城取清掃工場から2キロの地点にある。
それぞれの市町村境に、焼却施設・処分場を作る為、境は一大汚染地区になる。これは所沢でも起きている事だ。市当局は市民に実態を見せないためにこうした地区に焼却施設・処分場を建設する。市民は実態を何も知らないまま日々過ごす。最大の問題はここにあるのではないだろうか。私は、奈良県吉野村の方が言っていた「多くの市民が訪れ、市の中心にある市役所の横に焼却所・処分場を作製するべきである」を提言したい。「ごみの現状を目の当たりにして、ごみを燃やさないにはどうしたらいいのか」皆が真剣に考える環境作りが一番重要だろう。