那須町(栃木県)[1998/10]  

【経緯】
 
那須は雄大な那須山のふもとにある。この地は夏の避暑地として開発され、山のあちらこちらが、別荘用地として分譲されてる。ただし、購入者の多くはバブル以前の投資目的が多いと言われている。実際に、家が立っていない土地は無数にある。
 投資目的の地権者は土地の値段さえ得られれば手放したり、他人に貸す人も多い。そういった土地が業者に購入・借入対象となり、産廃が投棄されることになる。現在までに、那須町に産廃投棄現場の総数は100箇所とも言われ、産廃銀座といわれる別荘通りも存在するに至っている。


【感想】
 
案内は地元の反対運動を行ってる方にしていただいた。

-「(有)東日本調質林業」という看板がある場所-
 
「建築材木乾燥用として廃プラを有効利用」という名目で廃棄物を集めた。豊島同様有価商品として扱い1t1050円で購入する構造となっている。この廃棄物は埼玉県行田市から来ている。業者は「1200℃以上で燃やすのでダイオキシンは発生しない」と説明をしているらしいが、そんな大掛かりな炉ではとても原価償却など出来ないし、材木を乾かすのにはエネルギーが高すぎる。たとえ1200℃が実現できても冷却工程をよほどしっかり設計しないとダイオキシンは発生してしまう。
 投棄場のすぐそばは湿地であり、泡のような水が流れていた。この水はいずれ那加川に合流する。

 ここの業者は逮捕され、現在廃棄物は搬出されている。


崖の上から現場をのぞむ。


近づいて見ると、生活ゴミであることがわかる。


-柏台処分場-

 1998年8月末の大雨・台風の後、産廃処分場が崩れた。柏台処分場には1992年末までは事前協議の対象外だった1500平方メートル以下の自社安定型処分場として5つもの業者が埋め立てを行っていた。
 現場は農業用水である高津用水路の湿地帯。業者は1991年〜1995年の間に、沼地に15m以上の穴をほり、産廃を投棄した。常時黒い水が流れており、「柏台の黒い水」と呼ばれている。今でもいったい何処の業者が投棄したのかわからない。雪が積もり雪溶け時期になると埋め立てられた場所から雪が溶け、異様な光景が広がると言う。
 地主はその上の斜面で牧場の経営を行っており、県の追求に対し「貸した覚えは無い」と噴飯な回答をしている。この高津用水路は与笹川にそそぎ、やがては那珂川に流れていく。

 今回の大雨で90m(縦)×3m(横)×5m(高さ)=1350立方メートルもの産廃が下流に流された。現場はビニールがお化けのように垂れた
産廃の中には注射針などの医療廃棄物も含まれていた。ボランティアとして高校生を含む人々が、散乱した産廃を拾い集めた。医療用注射針は使用用途が不明なため、「感染力がある注射針」があるのではないかと地元の人は心配している。


訪ねた日、工事をしていた。右に川が見えるが、それ以外の平坦地はすべて流された跡。
どれほどの量が流れたか実感できる。


廃棄物のビニールがお化けのように垂れ下がる。津波のようだ。


拾われた注射針。ボランティアへの感染が心配される。

-松沼-
 約10年前にある業者が産廃を埋めたと言うが、何を埋めたのか、何処の業者か今は一切わからない。産廃を埋めた表面からはガスが噴出し、近くに水が湧き出しているのだが、その川には産廃が原因の赤い泥状の絨毯が川底をびっしりと被う。1998年8月末の大雨で赤い絨毯は流されたと言うが、11月の段階では既に復活していた。この水は100m先で伏流水となり、いずれ那加川にそそぐ。



これが「赤い川」。川底が赤いふわふわしたもので被われている。


 たまに、那須町のうわさを聞いて自分の土地を心配した地権者が地図を片手にやってくる。そんな地権者に地元の方は「土地を売らないでください。貸さないで下さい。」とお願いしていると言うことだった。「「別荘地特別法」を作って、別荘目的意外では土地の売買を禁止しなければ不法投棄を防ぎきれない」地元の方は語る。日本のメジャーになりきれなかった避暑地の悲劇はまだ終わらない。
 川を共にする下流の茨城の人々はこの事実を本当に把握しているのだろうか。川を中心とした情報ネットワークの確立が今必要なのではないかと、改めて痛感した。


[ 参考資料]
那須町産廃反対期成同盟連絡協議会「産業廃棄物の現状」、下堅新聞


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