橋本市(和歌山県)[1998/05]

[背景]
 
阪神大震災の建築廃材の焼却を目的とし、大阪府堺市に本社を置く産廃処理業者「日本工業所」が大阪のベッドタウン化が進みながらも、美しい自然が残る橋本市の緑の谷に産業廃棄物を持ち込み始めたしたのは1994年だった。橋本は柿の名産地で、奈良の柿に優るとも劣らない品質だと言う。
 業者は谷を埋め、野焼きを行い、周囲は悪臭に包まれた。谷には一般に12万立方メートルもの産廃が埋められていると言われている。埋立に際しシートなどの遮水層は当然施されていない。野焼きによる火災が度々発生し、消防車が7回も出動した。。産廃場に200mまで近づくと眼がチカチカしたと言う。犬はコホンコホンと咳とも取れる鳴声をし、5匹の犬が急死した。ある家では猫を5匹飼っていたが、5匹共が行方知れずだと言う。猫は人のいない所で死ぬため、もう死んでいるだろう。入院者も出てしまった。
 これに対し、和歌山県は黙認・容認を繰り返した。それどころか、保健所による行政指導の元、焼却炉を導入させて廃棄物処分法上の許可を与えた。この焼却炉は木屑・紙屑を燃やす炉であった。県は1996年3月中間処理施設の設置を許可、4月には産廃処理業及び産廃収集運搬業を許可。和歌山県は住民の方を向いてはいなかったのだ。
 これにより、連日10トントラックが産廃を山盛り積んで40〜60台も搬入し、昼夜を問わず焼却炉で廃プラ・ビニールなどを含む廃棄物の焼却が行われた。煙は青い色をした時もあったと言う。木材焼却用炉のため、野焼状態となんら変わらない状態だった。また、煙突は写真でも確認出来るだろうが、11mと低く、谷に建っているため、煙は集落を直接襲った。煤塵は降り注ぎ、付近の住民から気管支炎など通院者が続出した。
 連日10トン40〜60台分も搬入しているのだが、焼却炉は1日4.8トンしか燃やせない。残りの産廃は何処に行ったのだろう。埋立である。産廃の埋立は許可後も行われ、埋められた産廃の総量は20万m3(推定)にもなった。このうち1/3は県の許可が下りてからの埋立であると言われている。
 県は一貫して業者側に立った。これは豊島でもそうだったが、産廃問題の大きな特徴である。処分場に埋め立てられた産廃を県は「一時保管」と説明した。1996年11月には、処分場に通じる排水口から悪臭ガスが噴出し、住民の訴えに対し県はガスの検査を実施したが、「大気汚染防止法で定められている規制物質については、「すべて基準以下」との結果だった。しかし、のどの痛みや頭痛などの健康被害者は続出し、「薬物中毒の疑い」で40日も入院した主婦も出た。退院後も家に入ると吐気がするため、市営住宅に緊急避難した。処分場近くで造成業者が700戸の住宅開発をしていたが「有効な住宅環境を保てない」として1997年2月、工事と宅地販売を中止した。
 1996年12月、住民が集めた9100人の「撤去」の嘆願書を市長と県知事に提出。この席で知事の「公害」との認識を引き出した。1997年2月には県の担当者を地元に呼んで住民集会を開いた。
 1997年5月、県と業者が焼却炉の操業停止を合意。だが許可取り消しではなく、法的な拘束はない。埋め立てられた産廃も表面に土がかぶされ、化粧された。7月に地上部分に山積みされた産廃2万m3を県と業者が1億5千万づつ出資してうわべの撤去する。撤去のトラックは10cmほどしか産廃を積んでいないトラックも多く、不思議な撤去だったと言う。「結局業者に1億5千万プレゼントしただけじゃないのか?」住民は不満を隠せない。谷に埋まった地上の10倍もの20万m3もの産廃については県はいっさいふれず「あれは産廃も多少混じっているが土砂である。」と言い張る。
 産廃の中からは点滴袋などの医療廃棄物も見つかっており、6月に住民が環境監視研究所に調査を依頼した所、処分場から流れる水からは水質汚濁法で定められた排水基準を超える鉛が検出された。カドミニウムでも環境基準を超えた。県も調査を水質検査を行ったが「基準値以下」。いったい県の水質検査にはどんなフィルターがかけられているのだろうか。いずれにしろ、この排水は紀ノ川に注ぎ、和歌山市などの水道水として、又海に注ぎ魚を汚染し、多くの人の胃袋に収まる事になる。
 県・市にダイオキシンと水質調査を求める街頭署名を皮切りに橋本市民の1/4に当たる1万3000名もの陳情書を知事あてに提出。また、議員にこの問題を知らしめるために働きかけもしたが、県には打開策が無く膠着状態にある。
 1997年5月15日、遂に県職員と、産廃業者社長が逮捕される。

−−−−−−−−−−5/15日の共同通信−−−−−−−−−−−−−
 焼却灰から高濃度のダイオキシンが検出された和歌山県橋本市の
産業廃棄物処理施設の設置許可に絡み、現金授受があったとして、
和歌山県警捜査二課は十五日未明、収賄容疑で同県職員、谷口泰崇
(39)、贈賄容疑で大阪府堺市の産廃処理業、達川竜雄(55)
の二容疑者を逮捕した。                   
 調べによると、谷口容疑者は同施設を実質的に監督する同県高野
口保健所(同県高野口町)の衛生課医療技師だった一九九五年ごろ
、達川容疑者から産廃施設設置申請で有利な取り計らいをした見返
りに、現金数十万円を受け取った疑い。            
 達川容疑者は九六年二月、産廃処理施設の設置許可を申請。ごみ
焼却に周辺住民が悪臭を訴えたことから、県は焼却炉の改善を条件
に翌月、施設設置を許可していた。              
 住民側はその後も、施設撤去を要求、達川容疑者は九七年五月ま
でに産廃搬入と焼却作業を停止。施設内に残された約二万立方メー
トルの産廃は今年四月下旬までに撤去された。
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参考資料:月刊むすぶNo.325、地元での説明資料、共同通信


[感想]
 案内は「産廃処理場を撤去させる会」の女性にしていただいた。
 谷の山つたいに処分場に近づく。周りの会の柿の畑には立ち枯れをした柿木もあり、汚染のひどさを物語る。谷にある焼却炉の煙突をみる。煙突の頭部が丁度目の前の高さにある。これでは煙突の役目は全く果たせない。当時低い煙が町全体を覆っていたのが容易に想像できる。
 処理場は盛土で薄化粧されており、見た目には良く分からない。何も知らなければ、ここが谷であった事さえ気付かないだろう。この谷には20万立方メートルもの産廃が埋められていると言う。いまだに中で反応を繰り返しており、管を差し込むとガスが出てくる。排水管が元々の谷沿いに設置されているのだが、冬は29℃・夏は39℃のお湯になって出てくると言う。土壌から260pg/gものダイオキシン類が検出されており、処理場に埋立られた産廃のうち50%は焼却灰だと言われいる。土壌には自然発火による焼却灰は含まれており、ボーリング調査の実施を行う必要があるだろう。
 焼却炉の横には全国最悪の30000pg/gダイオキシン類の焼却灰が1年2ヵ月も雨曝しで放置されていた。現在は撤去されているが、地面が黒っぽい。県は何処に撤去したか明言していない。もしかすると、この処理場のどこかに埋立らてているかもしれない。

     

     
煙突の高さがおわかり頂けるだろうか。
     これでは煙が地を這い、煙突の意味をなさない。





30000pg/gダイオキシン類の焼却灰が1年2ヵ月も雨曝しで放置されていた場所。地面が黒い

 谷の上の煙が直接降りかかる土地にはススキのみが生えている。この土地の下にも別の業者による産廃が埋立られているという。「ススキぐらいしか生えない」そう教えてくれた。ススキの写真を載せる。黒い枝に気付くだろうか、この黒い枝は焼却されている時に生えていた枝である。本来の枝との色の比較に驚かさせられる。


ススキ。黒い枝が混じっているのがお分かりいただけるだろうか。

 今度は反対側から実際に処理上内に入ってみる事にした。案内して頂いた女性は「処理場に入ると次の日ジンマシンが出る」との事だったがお願いして案内して頂いた「御免なさい」。
 処分場内は地面が異様にふわふわする。又、谷の上ではわからなかったが、異様な臭気が谷を覆っている。「位置によって匂いが変わる」という説明通り、いろんなバリエーションの匂いがたちこめている。この場に立ちこの下が産廃である事を改めて実感した。この下に20万立方メートルもの産廃が眠っていると思うとゾッとする。
 地面を見るといろんな廃棄物が顔を出している。管理型処分場に廃棄されるはずのプリント基板も転がっていた。医療廃棄物も混じっていた事もあると言う。名前入り墓石(名前入り)も棄てられいたこともあり、さしずめ廃棄物のデパートと言った状態だったそうだ。


当日見たプリント基板。本来管理型処分場に廃棄されるべきもの。

 県が搬入用道路と強弁する産廃の上に立つ。産廃が地中から顔を出す土手を、搬入道路と強弁するとはどういう感覚なんだろうか。県が産廃業者側に立つ。この問題の典型的パターンであり、根本的解決を困難にさせるこの状態をなんとかしなければならない。
 予想通り、県と業者が結託しており、双方に逮捕者が出た。これを機に産廃撤廃が一刻も早く進む事を願うばかりだ。


県が道路と強弁する土手の上。廃棄物が顔を覗かせる。

「産廃処理場を撤去させる会」の方々には、案内と説明をして頂き、さらには西吉野の産廃富士まで送っていただいた。



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