10:35、JCOの西2kmに位置する「原研那珂研究所」では高エネルギー中性子を観測。この中性子はJCOでの最初の臨界(即発臨界)によるものであったがノイズとして処理された。那珂研究所ではその後高エネルギー中性子を測定し続ける。JCOでは事故10分後には臨界事故を判断していたが、臨界を想定したマニュアルも中性子測定器も存在しなかった。事故30分後に事故対策本部が設置され、施設周辺のγ線を測定し始めたのは11:30だった。
10.38、舟石川測定所(JCOの南2km)で通常の10倍の空間線量率を測定。
11:26、那珂町にある門別測定所(JCOの真西7km)で通常の約7倍の空間線量率を計測。臨界による希ガスが真西に小さな帯状として流れた為。
11:30、JCO敷地境界で0.84[mSv/hr]を計測。
11:35、那珂町原子力対策課「事故発生で、外出を控えるよう」街宣、幼稚園・小・中学校に窓を閉めて大気を指示。
12:15、東海村が災害対策本部を設置。12:30より屋内避難を呼びかけ始める。
13:45、ひたちなか市原子力問題連絡会を設置(対策会議は未設置)
14:00、科技庁にて安全委員会緊急技術助言組織メンバーが会議を行う。16人いる委員で臨界が理解できる唯一の専門家である住田健二が「臨界の可能性がある」と発言したが否定されたようだ。
15:00、東海村役場が現場半径350m以内の避難決定。事故が起こってから4時間半も経過していた。政府が事故対策本部を設置。
15:20、警察の判断で周辺道路の交通規制。東西方向3kmの立ち入り禁止。
16:00、茨城県が事故対策本部を設置
16:30、那珂町事故対策本部設置。
17:55、茨城県警が「JCO」玄関前の測定で中性子が上昇している」と発表。ただし、上昇ではなく「継続」であった。
18:40、那珂町、現場半径350m以内6世帯19人を近くの公民館へ避難させる事を決定。
21:00、政府が小渕恵三首相を本部長とする対策本部を設置。「再臨界が起きている可能性が高い」
22:28、JR常磐線が、水戸−日立館で上下線とも運転見合わせ。
22:50、日本道路公団が常磐道の東海パーキングエリア閉鎖。
00:50、茨城県対策本部、半径10km以内の全世帯に対し、屋内避難を指示。
02:58、沈殿槽の冷却水の抜き取り作業に着手。
06:15、事業所敷地内の中性子モニターが「0」を示す。
09:00、原子力安全委員が臨界停止を確実にするため、ホウ酸水を注入作業に入る。
経緯からは350m避難勧告がなされた15:00までの4時間半が異様に見える。余りにも遅い避難勧告であった。ここでも事勿れ主義の行政の姿が浮き彫りになる。住民第一であれば、事故発生と同時に避難勧告が出来たはずだった。こうして4時間半もの間住民は中性子を浴びつづけた。
また350m以内住民が避難した舟石川コミュニティセンターには放射線防護服、ヨウ素剤、線量計などの備品がまったく備わっていなかった。ヨウ素剤さえそなわっていないのは私にとって驚きであった。10/10に行われた京大グループの測定ではヨウ素131が測定されており、子どもの甲状腺ガンが心配される。また、汚染が予想される地域の住民が、汚染が予想される地域に避難する矛盾が大きな問題として露呈した。実際に舟石川コミュニティセンターは10:38に10倍の空間線量を測定した舟測定所の石川の40mほどの地点にある。
国の対応があまりにも遅いのも非常に気にかかる。科技庁の安全委員会緊急技術助言組織メンバーはまったく機能していなかった。国がおこなった事は小渕恵三首相を本部長とする対策本部を設置した事ぐらいだろう。それが基点と考えられる緊急措置がその後に続いている。
こうしてみると原子力防災計画とは意味があるものだったのかという疑問が起こる。結局机上の空論のみの防災計画であり、今回の事故ではまったく機能しなかった。原子力防災は「安全である」事が前提であるようだ。また、国と地方自治との連携の悪さも目立っている。防災の権限は国ではなく地方自治に与えるべきであるだろう。わけのわからない委員会が会議を開いても何も解決しない。
○住民避難の基準とは?
臨界事故で一番恐ろしいのは中性子の被曝である。この場合屋内避難はまったく意味がなく、早く遠くに逃げなくてはならない。350m以内住民退去避難が誰によって、どんな根拠で決められたのかわからないがJCOは東海村に500mの住民の避難を要請したが、東海村の判断で350mになったという。350mの理由は@人数的な制限A500mにすると那珂町にまたぐためと言われている。
ある市民団体の試算によると中性子線量は1km地点でも1[μSv/hr]であった(放射線量はバックグラウンドで0.05〜0.1[μSv/hr]程度)。私はせめて1km圏内は退去避難すべきであったと思っている(本当は10km退去避難ぐらいはして欲しい)。
実際350メートル圏内を500メートル圏内に広げる為、避難用のバスの手配を行い始めていたそうだ。屋内避難住民は、臨界が終了した翌6:15までの20時間もの間、中性子を被曝し続ける事になった。これらの地帯の人々の健康が今後特に心配される。ただし、屋内避難の住民でも多くの人々は親族を頼って退去避難をしたそうだ。
また、JCOから100mの地点に退去避難せずにいた人が二人いたが、「ホールボディーカウントにて2分で汚染無し」と診断されたらしい。血液の測定は1週間必要だし、体内被曝が心配されるので排出物の放射線測定も行わなければホールボディカウントとは言えないのだが・・・・・・・・・・・。今のところホールボディカウントを行ったのはこの二人だけと言われている。せめて1km以内の住民はホールボディカウントを行うべきだし、東海村には原研などその設備は整っている。
○原子力災害
今回の事故により、列車等の交通機関は停止した。住民は家に閉じ込められ、電話も普通となり、郵便・新聞は停止した。もし電気が停止したらテレビ・ラジオの情報も入らなくなる。もし事故が阪神・淡路地震のような震災によって引き起こされたとしたら・・・・・・・・・・。
今回の事故で最もはっきりしたのは、事故がもし起こっても行政は的確な判断能力が無い事だ。行政はパニックを恐れずに情報を公開し、杞憂だとしても住民を非難させる勇気が求められる。だが残念な事にその事を期待するのは高望みのようだ。我が身を守るには、自分自身しかない。そして、原発を止める事が皆の身を守る方法である。
事故の起きたJCO正門。警察による検問がおこなわれていた。
西側の国道からJCO事故現場を望む。水色のシートの下に土嚢が詰まれている。事故から2週間たってからJCO周辺でγ線の測定を行った所、西側県道で0.22[μSv/hr]の測定値を得た。これはバックグラウンドに較べて2〜4倍高い値である。臨界をおこした溶液が原因と考えられる。西側には住宅があり、仮に一年間0.22[μSv/hr]浴びるとして計算すると外部線量(食物起因などによる内部線量被曝は含まれない)で1.97[mSv]となり一般の許容量とされる1[mSV]を超えてしまう。1[mSV]余分に放射線を浴びるとガン発症率は2倍になると言う。土嚢を積み上げた作業員の健康も多いに心配される。