核燃料サイクル開発機構に関する声明
1998年10月1日
反原子力茨城共同行動

 科学技術庁の設置した動燃改革検討委員会の報告書「動燃改革の基本的方向」にもとづいて、10月1日、動力炉・核燃料開発事業団が新法人「核燃料サイクル開発機構」(略:核開発機構)に移行した。われわれは、それによって何かが変るとは考えていない。

 動燃改革検討委員会は、国民が求める核燃料サイクル技術開発の抱える諸問題についてなんらの検討もしなかった。高速増殖炉の研究開発の妥当性についても検討しなかった。国民の意見を取入れるという最低限の民主主義的な配慮もまったくなされなかった。すなわち、核燃料サイクル開発の破綻を反映して、直ちに解体されるべき動燃を「組織いじり」により救済しただけだった。従って、その報告書は、国民の不安や批判を無視し、従来の核燃料サイクル技術開発をそのまま継続するとした(些末なウラン採鉱などの事業は整理したが)。これでは、単に名称の変更にすぎず、動燃自身による「安全総点検」や「意識改革」も当面の糊塗策としてしかみなせない。

 核開発機構は、その事業の柱として高速増殖炉の技術開発を掲げている。ナトリウム漏れ事故を起こした「もんじゅ」は、高速増殖炉開発技術がいかに粗末なものであったかを示した。高速増殖炉開発が必要かどうか、プルトニウム利用の価値があるのかどうか、などなど多くの疑問もだされている。それらにまったく答えることもなく「もんじゅ」の運転を再開するのであれば、動燃の体質もまた引継がれるといわざるをえない。 また、「もんじゅ」(原型炉)に続く、高速増殖実証炉、高速増殖実用炉は、すべてペンディングになっている。それらが設置される可能性はほとんどないといってよい。しかも、すでに世界は高速増殖炉開発を放棄している。事業の柱自体が、すでに「幻」となっている。非現実的な事業をあえて行うとすれば、情報の秘匿、虚偽報告等々を繰返すのは目に見えている。

 放射性廃棄物管理にみられる動燃の無責任さは核燃料開発にも引継がれる。動燃が生みだし、核燃料開発がさらに生み出すであろう膨大な放射性廃棄物の処分方法は決っていない。将来処分できる見通しもない。住民の意思を尊重する限り核のゴミを受入れる場所は存在しない。核のゴミをどこかに押しつけようとするのであれば、意識改革などたちまち捨去られてしまうだろう。

 再処理工場に付随するアスファルト固化処理施設の火災・爆発事故は、あらためて再処理工場の危険性を示した。科技庁の事故調査委員会は、事故の原因を特定できなかった。そうである以上、東海再処理工場の運転再開(RETFの一部としても)は認められない。動燃による再処理工場の安全評価(手法)は、机上の空論にすぎない。再処理工場の老朽化を考慮すれば、再処理工場の停止は当然であると考える。

 核燃料開発機構の事業は、本来、電力会社が行うべきものである。その負担もまた電力会社が負うべきである。その事業がばく大な赤字を累積させるのであれば、核燃料開発は、今日の社会ではゆるされざる寄生団体であるということになろう。

 プルトニウムの利用は、モックス産業を増殖させる。その結果として、プルトニウムの拡散にともなう核兵器の拡散という事態を招く。世界が核兵器の廃絶に向っているときに、その流れを著しく困難なものにするか、もしくは破綻させてしまう恐れもある。核開発機構は、歴史や人類に対して無責任であるといわなければならない。

 われわれは、核燃料サイクル技術開発の放棄と、動燃=核燃料開発の解体をあくまでも求めていく。東海村を核のゴミ箱にしてはならない。二度と核の被害者をだしてはならない。



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