TKOPEACENEWS
  3面 NO.20/01.9.7発行

折り鶴平和行進と東京独自集会

8月4日(土)16:15〜17:00
 ・平和公園資料館前〜県立体育館大アリーナ(大会会場)

 4月9日の「反核燃の日」に青森を出発した「非核平和行進」は、全国各地で引き継がれ、取り組まれてきました。この行進が8月4日(土)16:00に広島平和公園資料館前に到着します。この行進と合流して大アリーナまでの平和行進。行進のまえに東京としては広島大会に参加された302人による集会を開催。三多摩平和運動センター川村議長による決意表明と挨拶。

▲ 折り鶴平和行進に出発する東京の参加者


被爆56周年原水爆禁止世界大会開会総会
・8月4日(土)17:10〜19:00
・広島県立体育館大アリーナ

 開会総会は、4,000人が結集して開催され全員で原爆で犠牲になった人々に黙祷をささげた後、主催者のあいさつ、大会事務局長による基調の提案、海外代表からのアピール、子どもからの平和アピールなどをうけましたが、開会総会の報告として被爆者からの訴えについて紹介をしたいと思います。

 戦争の記憶が徐々に薄れて、原爆が風化をしているのではないかという声が、最近被爆者の中でも生まれてきています。そういう中で反戦・反核、そして平和を創り守り育てるこの本集会に参加された皆さんに、被爆者の一人として心からお礼を申し上げたいと思います。実は、私が被爆したのは13歳の時でした。広島からかなり離れた所の避難所に収容されていまして、広島に帰ってまいりましたのは9月をすぎてからでした。
 焼け野原の広島に連れて帰られまして、家もなく、何もなくなっている町を見ながら私はある小学校の焼け焦げ跡に連れて帰られました。母親の姿が見えないので、父親に「母親が何処にいるのか」と聞きましたら、非常に躊躇しながらある晩、母親のことの話をしてくれました。私の母親は全身、正常な皮膚が無かったそうであります。意識もほとんど無かったようですけれども、時々取り戻す意識の中で、私の一歳になったばかりの弟がガラスの破片が身体中に突き刺さっているために、その痛みで泣き叫んでいたそうです。その声を聞いて私の母親が、あの子におっぱいを飲ませてやるからそばに連れてくるように、というふうに父親に言ったそうであります。父親は、無理をしなくてもいいのにと思いながら私の弟を母親の乳房のところに連れていきましたけれども、弟は乳房に口をつけなかったそうです。父親が言うには、今まで見られた母親の乳房ではなくて、皮膚は焼け焦げているし、血と泥で固まった母親の乳房を見て本能的に弟は口をつけなかったんだろうというふうに言っておりましたけれども、母親にとってはそのことが十分理解できなかったらしくて、非常に訝りながら、そして私が何処にどうしているのかを気にしながら8月8日の夜遅く息を引き取りました。
 私には姉が、当時1945年の4月に結婚した姉がおりました。たまたま原爆を受けた当時に妊娠をしていたようであります。翌年になって男の子を産みました。非常に発育の遅い子供としてこの世に生を受けました。まもなく亡くなってしまいました。私の姉は「自分の夫はあの日、軍人であったために原爆で殺されたけれど、子どもは戦争を知らない。何も知らない子どもまでもが原爆によって殺された、殺されてしまった」とよく嘆いておりましたけれども、それから数年後に自分自身が白血病と診断されて、ベットの上に作られた感染を防止するための透明なビニールのテント中で非常に苦しみながら息を引き取りました。
 近年、戦争が終わって半世紀を過ぎたと、この平和の時代に「いまさら戦争でもあるまい」「原爆でもあるまい」という声が、私の耳に入ってまいります。そして、中には「もう戦後は終わったんだ」と言う人すらございますけれども、私たち、被爆者にとってみれば確かに身体に受けた傷というのは医学的には治ったんでしょう。ケロイドという異様な皮膚に包まれて、私自身の身体のあちこちにはその傷痕が残っておりますけれども、しかし、心に受けた傷というのは、今もって継続をいたしております。
「戦後がもうすでに終わったんだ」という声が私の耳に入る度に、私はこんなふうに心の中で叫んでいます。「冗談言うな!」と。「今、原爆病院でそれぞれいろいろな方がいろいろな病気で闘っておるけれども、これはまさに原爆との闘いではないか」と。「日本の侵略行為によっていろんな被害を受けられた、そのひとたちの補償すらいまだに済んでいない」「それで戦後が終わったなどということを言うてくれるな。せいぜい56年、あるいはたかが56年しか経過をしていないではないか」と。いうふうに私は心のなかで叫んでおります。
 実は私たちの「反戦・反核の闘い」も、秦の始皇帝が紀元前2世紀、時の民衆に対して人を殺す戦争を「正義の闘いは善である」と言って、大衆を戦場に送り出しました。そして近年、私たちの周囲でもいろんな戦争がおこっておりますけれども、その戦争について「この戦争は悪だ」というふうに言った為政者はただ一人いないですね。絶えず、戦争は合理化されあるいは正統化され、美化され、人間が人を殺し、奪い、焼き尽くしていく行為を正統化した声は聞きますけれども、「それは悪」と言った為政者はただ一人としていないのです。
 そういう意味では、その戦争の歴史、2千2百年も続いたその歴史の中で、私たちの闘いはわずかに現在までで56年しか経過していないのです。ひとつ、皆さん方にお願いですけれども、もし、「戦争が終わって56年も経った。今は平和だ」という声を耳にされましたら、ぜひとも、「冗談言うな」と「せいぜい56年、たかが56年しか経ってないじゃないか」と言うふうに言っていただければありがたいと思います。
 この21世紀の一番最初のこの大会に参加させていただいて、被爆者としての発言を許していただいたことに感謝申し上げて私の発言を終わります。ありがとうございました。

被爆者アピール・山城 光明


核のない平和な21世紀に!
メッセージfromヒロシマ ─子ども平和のパフォーマンス─
・8月5日(日)13:00〜15:00
・県立総合体育館小アリーナ

趣旨・目的

戦争の世紀20世紀。それを象徴するものは核といえます。日本は、アジアヘは侵略国となりました。そして、原子爆弾による被爆体験を持つ国となりました。それゆえに私たちには核のない平和な世界をめざして、その重い歴史と悲惨な被爆体験をつぎの世代に伝えていく義務があります。
 そのために、21世紀をむかえた今年2001年。その世紀をになう多くの子どもたちが参加する、21世紀を核のない平和な世紀とするための
 @子どもたちによる子どもたちへの「平和のメッセージ」の発信
 A広島を通して戦争の加害と被爆の実相を学ぶ
 B世界の子ども、全国の子どもの出会いと交流
 など、子どもたちが自ら学び考える−平和のパフォーマンスの場をつくります。
 パフォーマンスには、全国の小・中学生を中心に1,500人が結集し、チェルノブイリ原発事故で被爆したベラルーシ、広島市内で被爆した韓国の代表など世界から6カ国16人も参加しました。
 会場では折り鶴7万羽で子どもの顔のモュニメント(縦5メートル、横6メートル)を仕上げ、平和への誓いを新たにする等や、「私たちは21世紀を戦争も核兵器もない時代にします」とのメッセージが発表されステージ上のパソコンから電子メールで国連、日本政府、核保有国の政府に送りました。
 海外から参加した子どもたちは
  ・ベラルーシ(チェルノブイリ)
  ・サンクトペテルブルグ
  ・パキスタン・インド・アメリカ・韓国

▲チェルノブイリ原発事故で被爆したベラルーシから参加した子ども代表


戦争を越えて未来をつくろう
─平和はみんなの心から─ 2001年夏休み

◎「戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない」
 私たちが広島で出会った言葉です。
 戦争は私たちが当たり前のように送っている暮らしを壊します。
 毎日学校に行って勉強したり友達と遊んだりすること、自分で選んだ仕事をすること。好きな本を読んだり、思ったことを書いたりすること。一日が終わった時、自分も、家族や友達も、明日も無事で会えると安心していられること。私たちが生れる前に起こった戦争は、これらすべてのことを人々から奪いました。
 広島は、長崎とともに、戦争の悲劇の一つである原子爆弾が落とされた場所です。原爆は、人々が暮らしてきた町を焼け野原にし、そこに住む人を誰彼かまわず焼き殺し、放射能によって人々の体に現在まで残る被害を与えました。このことは人々の体だけでなく心も深く傷つけてきました。一方、日本はアジアへ侵略をしました。そこでは多くの人達を殺し、多くの心を傷つけました。

◎戦争はいまも続いています
 私たちは、戦争の悲惨さを知ることで、平和がどれほど貴重かを知りました。世界のどこでも戦争を起こしてはならないし、まして原爆が落とされることがあってはいけないと思います。
 しかし、戦争は、決して過ぎ去ったことではありません。今も、世界中で同じ間違いが繰り返され、そのたびに人々の暮らしや心が傷つけられています。家を追われたり、友達や家族を失ったりする人が後を絶たず、その中にはたくさんの子どもたちもいます。平和憲法をもつ日本でさえ、法律や憲法を変え、戦争の準備をしようという動きが大きくなっています。核兵器を持つ国もまだ多く、核実験が行われています。

◎なぜ、戦争はなくならないのでしょうか
 人と人との争いをけんかといいいますが、集団と集団との争いを戦争といいます。その戦争を起こすのは、ほんの一部の大人です。そして、たくさんの大人が知らず知らずに戦争を支えています。
 戦争が起こるのは、まったく難しいことではなく、大人たちの儲けたいとか権力者になりたいとかいう気持ち、人間を差別する気持ちが原因です。彼等にとっては、あの恐ろしい被害をもたらした核兵器も、他の国に対して自分の国の力を見せつけるための武器なのです。

◎みんなで声をあげましょう
 平和は、何ものにも替えられない大切なもので、戦争を起こしていい理由などどこにもありません。しかし、戦争によって得をする立場にいる一部の大人たちは、このことを忘れています。
 だからこそ、私たち子どもが、戦争がどれほど意味のないものか、平和がどれほど大切かを呼びかける必要があるのです。これは、子どもにしかできないことです。
 私たちも、やがて大人になり、社会を動かすようになります。その時には本当の平和があるように、そのときになって私たちがまた戦争を起こし、原爆の悲劇を繰り返すことのないように、一緒に考え、話し合い、声をあげましょう。

核のない平和な21世紀に!メッセージfromヒロシマ実行委員会

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