TKOPEACENEWS
  1面 NO.7/01.5.1発行

米軍普天間基地県内移設反対闘争支援第2回沖縄基地ツアー報告

今年も、東京平和運動センター主催による「沖縄基地ツアー」が2月24日〜27日まで21団体、労働組合から26人が参加して実施しました。以下米軍基地の実態、辺野古で基地建設に反対する人々との交流、沖縄戦争の現場などを中心に報告します。


 今年も、東京平和運動センター主催による「沖縄基地ツアー」が2月24日〜27日まで21団体、労働組合から26人が参加して実施しました。以下米軍基地の実態、辺野古で基地建設に反対する人々との交流、沖縄戦争の現場などを中心に報告します。

1.沖縄をとりまく情勢について
(1)沖縄市内で7月3日未明、米海兵隊員が女子中学生暴行現行犯で県警に逮捕された。この事件は95年9月あのいまわしい少女暴行事件の再現かと県民は怒りを爆発させ、知事は沖縄にはマグマを底に秘めていると発言するほどの重大な事件であった。その熱い沖縄で7月21日からサミットが開催された。このサミットに対して沖縄の人々は、基地の押しつけの代償と普天間飛行場の県内移設をのまさせる思惑があることに警戒をしつつも、世界の目を沖縄の現状に向けさせる事ができる。27,000人で嘉手納基地をとり巻いたことで沖縄の基地問題の大きさを浮き彫りにしたこと。多くの非政府組織(NGO)が集まること。などであらかさまな反対行動は取らなかった。
 その後、米軍の犯罪と事故・事件は少女わいせつ事件、婦人への傷害事件など10数件が発生し、沖縄県議会をはじめ市議会などで海兵隊の沖縄からの撤退・削減の決議の採択など県民全体の声となり、連合沖縄も100万人署名を取り組んでいます。

(2)結果「サミット、何だった」という声に代表されるように、米軍機墜落事故、米兵隊の犯罪、実弾砲撃演習による住民の命と環境の破壊、広大な陸・海・空の訓練域による生活の破壊などなど基地による沖縄県民の過重な負担問題、基地の縮小・撤去、普天間基地の移設の条件としての「15年使用期限」問題などについてはクリントン大統領と話す機会は首相や知事たちは十分にあったのにも関わらず、一言も発言がないという日本国の主権を放棄しているといわれても過言ではないという有様でした。新聞の報道はこのことについて「沖縄県民の願い素通り」という大きな見出しを使っています。
 それどころか、クリントン大統領は「平和の礎」における演説で日米軍事同盟の強化と、軍事力による平和と安定を強調し21世紀も沖縄の基地を手放さないことを明言していました。

(3)沖縄の米軍普天間飛行場移設に伴う代替基地の基本計画について、政府と沖縄県、移設先の名護市などが話し合う「代替施設協議会」が11月29日首相官邸で開かれた。知事や市長の公約15年期限問題を棚上げし、名護市辺野古集落沖合1.1キロに建設をする案が出された模様である。

(4)地元の沖縄平和運動センター、全国基地問題ネットワークなどはこの「米軍の新しい基地建設問題」については具体的にどう闘うかということについては協議をしていませんが、県内移設反対を明確にし、この問題で沖縄人同志、沖縄人と本土人、日本人と米国人が血を流し合う惨劇をさけるべきだとする沖縄の人々の心は大事にしなければならないと考えます。

(5)そのためにも、名護市辺野古沿岸域への代替え施設建設計画を白紙に戻し、SACO合意の見直しを含め日米間で再度協議すること。国政レベル、県内自治体などでの徹底した議論の保証。力の政治を克服し平和と共生のアジアをつくる。ことなどを提言している地元マスコミの意見に賛成するものです。

2.沖縄基地ツアーの目的
(1)米軍基地の75%が沖縄に集中し、県民が過重な負担をしいられている実態をまず把握していくことにします。
(2)沖縄の実態を理解することによって、日本の安全、北東アジアの安全などについて考えていくこととします。

(3)沖縄平和運動センターをはじめ、県内の労働組合、市民との交流と連帯を強めて行くこととします。

(4)名護市辺野古沿岸域に建設されようとしている米軍基地建設に断固反対し沖縄平和運動センターや県民会議、反対する会との共闘・支援を強めていくこととします。

3.沖縄基地ツアーの日程と視察について
 2月24日(土)米軍嘉手納飛行場ー米空軍第18航空団
    北東アジアから中近東・アフリカまでを中心に軍事出撃基地として世界最大の空軍基地。ベトナム戦争、湾岸戦争への攻撃の中心であり、最近では、中国の沿岸スパイ飛行中、中国の戦闘機と接触した「米海軍偵察機EP3」も嘉手納基地から発進している。このようにいつの時代も戦争の危険な匂いのする基地となっています。
    私たちは、基地が一望できる「安保の見える丘」から基地を視察した。4,000メートル滑走路2本で羽田空港の2倍という広大な土地が沖縄戦争後56年も経過しているのにもかかわらず、日本に返還されずまたSACO合意などで21世紀も居座り続ける基地に対して、日米両政府に怒りが込み上げてくる。とともに米軍基地の撤去を求めての闘いの決意を固めたところです。
 2月24日(土)ヘリポート建設阻止協議会・命を守る会
    沖縄での移動と案内は私鉄総連・那覇交通バスを利用し平和ガイドさんより、沖縄の歴史、沖縄戦争の実態の報告、米軍基地の機能についての案内などなど2日間たっぷり視察ができました。
    沖縄本島北部・名護市辺野古沿岸域に建設が予定されている場所までの間も、嘉手納弾薬庫、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブを通過し、えんえんとつづくフェンスまさに「基地のなかの沖縄」の実態を見ることになります。
    キャンプ・シュワブなど沖縄の米軍基地はいまだに沖縄戦で日本人を一番多く殺した者の名前がついた基地が数ケ所あります。戦後56年たったいまも占領意識まるだしと批判されています。また、県道104号線越え実弾砲撃演習を本土5ケ所に移転していますが、沖縄での訓練をやめたわけではなく今でも違う武器の実弾砲撃の演習が実施され、山火事が絶えないと沖縄平和運動センターからの報告もあります。この砲撃演習のため実弾が着弾する山全体が緑を焼かれ無残な姿をさらけ出しています。アメリカ人は環境について自分の国においては非常にうるさく保護を徹底しているようだが、他の国の環境はおかまいなし、ここでも沖縄の占領と植民地意識を丸出しとなっています。
    こうした米軍基地を横目に、名護市辺野古沿岸域の新基地建設が予定されている場所に午後4時到着し、基地建設に反対する「命を守る会」の拠点において、金城代表さんらとの交流が始まりました。
    「子々孫々にまで残すべき県民財産は、基地でなく市民の尊厳であり、それを育むやんばるの豊かな自然である」として断固闘うとの強い意思とその迫力に圧倒される思いでもありました。
    闘う拠点のすぐ前が「ジュゴン」の住む豊かな海であり漁場でもありました。この自然を破壊し米軍の新鋭オスプレイ戦闘機など人間の命を奪うことを目的とした基地・戦場を想像しただけでゾッとします。今でも米軍の75%が集中する沖縄になぜ新しい基地が必要なのか理解に苦しむ。沖縄の人々に基地による過重の負担をかけるべきではない。
 2月25日(日)浦添市米軍港建設予定地
    那覇空港から那覇市内にむかう左側の広大な港がある。21年前の日米安全保障協議委員会で返還が合意されいまだに返還されず放置され続けている「那覇軍港」である。当時の返還合意も県内移設が条件であるため、沖縄県内の港を持つ市や町は危険な軍事施設の受け入れを表明するところはありませんでした。
    ところが、先の市長選挙によって政府から振興予算を条件に受け入れることを公約にした候補者が当選し、建設が具体化しつつあります。浦添市の西の海岸は米軍にとって戦争のための補給基地として最も重要なキャンプ・キンザーがあり、この計画もアメリカの戦争に具体的に協力するためしか受け取れない「米軍港」建設となります。
    私たちは、建設に反対する浦添地区労の役員の説明を受けながら現地を視察しました。米軍補給基地により海岸一体を占領され浦添市ただ一つのビーチすら奪われ、豊かな自然が将来あの横須賀や、佐世保などとおなじように米軍の巨大な空母や戦艦、原子力潜水艦などが浮かぶ港を想像するだけで命の縮むおもいです。
    それにしても、ここでも政府からの数千億円という振興予算であり、3年前名護市民は住民投票で基地建設はノーと意思表示したにも関わらず、北部振興数千億円で基地建設推進のための市長をその後誕生させるなど金・金…でどうなっちゃんだろう?
    沖縄の良識ある人々は、新たな基地を容認したらこれから50年100年基地を背負ったままになる。軍事基地は自然破壊、文化破壊、精神の破壊の元凶であると警鐘しています。本土の私たちもこのことを忘れず運動を続けていきたいと考えます。
 2月25日(日)嘉数高地の死闘と米海兵隊普天間飛行場基地
    沖縄本島中部北谷海岸に上陸した米軍はここから北部と南部に分かれての侵略攻撃に展開する。無抵抗で上陸した米軍に日本軍が自らの死を引き換えに激しい抵抗したのが「嘉数高地」であったと岸本平和センター次長の説明。この高地の17日間の攻防により日本軍守備隊は全滅と集落の人々は激しい戦闘に巻き込まれて、住民695名中374名が戦死し、162戸中54戸が一家全滅。この高地の上から当時の戦闘を想像すると米軍の近代兵器に突撃する日本兵の悲壮な姿と住民、子ども、それを助けようとする母親など戦争で死んでいくさまが頭をよこぎりなんともいえない感情が沸いてくるものです。
    ここでは米軍人も日本軍人も一般の市民も多くの死者をだし、その目の前に、宜野湾市のド真ん中に「普天間飛行場」が眼下に広がっています。戦争で死んだ人々は何と思っているだろうかとフッと思いました。この基地により戦闘機の墜落による犠牲、航空機の騒音の被害など沖縄がかかえる米軍基地問題の象徴ともいえる基地。過去にも地域住民の生活と命を奪い、いまも奪い続けている基地。だからこそ沖縄県民全体の声として一日もはやく返還してくれという基地。沖縄の観光もいいが、この基地が一望できるこの場所に是非一度は立つのも沖縄を知るためにも欠かすことができないと思います。
 2月25日(日)アブチラガマ(南風原陸軍病院糸数分室)
    米軍に追われ敗走を続ける日本軍の中で最大の悲劇が暗闇の地下洞窟病院のなかで展開されることになる。負傷兵を手当てする医者と動員された学生看護婦生、そして死者と呻き声の兵隊まさに地獄であっただろうと思います。こうした地下洞窟病院が沖縄の南部地域には数箇所ありました。私たちは、玉城村糸数の病院壕全長270メートルに入り、当時を思いながらの体験となりました。平和センター役員の説明を受けながら中心のところで持っていた懐中電気を消して本当に真っ暗闇にすると、動員され奮闘する15〜16才の少女の看護生徒の動き、負傷した兵隊のうめき声がいまでも残っているような錯覚を覚えました。こうした沖縄戦の悲劇も是非体験して欲しいものです。
 2月25日(日)平和の礎と沖縄平和祈念館
    沖縄から日本全国、世界に向けて平和の波を発信し続ける事を目的に沖縄戦の敵も味方も県民も外国人もすべての犠牲者24万人の氏名を刻まれている平和祈念公園。悲惨な戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に伝えていく継承の場として建設されています。
    この祈念公園の近くは南部激戦地のあとであり、ひめゆり部隊としてその悲劇がいまも伝えられているところなど、数多くの犠牲者をしのぶ碑が建設されています。沖縄を訪れると必ず行く所ともいえます。
    せっかく戦争を風化させないとして祈念公園も建設したが太田知事から現在の稲嶺知事になるや、すぐ隣の平和祈念館の展示物などが日本軍人による住民殺害などの実態が事実をねじまげ、歴史を覆す、物となっていることに参加者もがっくりということになりました。この沖縄ですら自由主義史観と右翼による歴史をねじまげようとする動きをみる事になりました。
 2月26日(月)慶良間諸島・渡嘉敷島の集団自決という日本軍による島民殺人
    日本軍は、信用できない沖縄住民と同居し、陣地づくりに駆り出さなければならず、重要に軍事機密である軍の編成動向をしられてしまった。そのような住民と地上戦闘を展開するにあたって「軍官民共生共死の一体化」を最大の方針とし、米軍が上陸したら自ら死ぬよう仕向けていた。
    慶良間諸島へ米軍の上陸は沖縄本島上陸よりも早く米軍の侵攻とともに島民は山の中へと避難し、最後はあらかじめ軍から手渡されていた手榴弾より316人が犠牲になるなどの悲劇が起こっています。
    となりの座間味島や読売村のチビチビガマなどでも日本軍人による集団自決という殺人が行われています。沖縄戦の実態は地上戦による住民の大被害と集団自決という殺人行為が語り継がれています。戦争を風化させないためにもこうした歴史を認識する必要があります。
    いま、沖縄では米軍によりこれまではブルドーザーと銃剣により土地が奪われ米軍基地が建設されてきましたが、地域振興という大金で基地が私たちの税金で建設されようとしています。自然や文化や精神まで破壊してしまう軍事基地の建設を断固阻止しなければならないと考えます。そのためにも「沖縄平和行進」など沖縄から呼び掛けられる基地反対闘争にこれからも多くの団体や労働組合、個人の皆さんの積極的な参加をお願いして報告に変えたいと思います。

▲辺野古沿岸域で米軍新基地建設に反対する「命を守る会」の皆さんとの交流

▲4,000メートル滑走路2本をもつ沖縄・米軍嘉手納基地

▲浦添市西海岸の米軍・軍港が予定されている場所で地元地区労の役員から説明をうける

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