4.3~5 各団体代表など10名派遣
東京平和運動センターは4月3日から5日にかけて、辺野古新基地建設反対の闘いを現地で支援するため、各加盟組織の代表を含め、10名を派遣した。キャンプシュワブ前の座り込み、私たち平和フォーラムのカンパによる監視船 「美ら海」乗船、丁度時期が重なった菅官房長官来沖への抗議行動など中身の濃い行動となった。その様子を、部落解放同盟から派遣された青木初子さんにレポートしていただいた。
★辺野古新基地建設反対支援行動に参加して
部落解放同盟東京都連 青木 初子
東京平和運動センターの呼び掛けで、4月3~5日の沖縄辺野古の支援行動に参加した。沖縄は気温27度、さすがに暑い。
2時過ぎに辺野古の座り込み現場に到着、平和センターの旗を掲げ、フェンス前の芝生に陣取る。沖縄平和センター山城さんが、私たちを紹介。私は、部落解放同盟都連と沖縄のたたかい連帯する東京南部の会の2つの寄せ書きとカンパを渡し自己紹介。「埋め立て許さない」とゲート前のデモで抗議行動。ゲートの内側には20名ほどの機動隊。
4日は早朝6時半の抗議活動に参加。稲嶺名護市長も立ち寄って挨拶。空手やトーク、歌の披露などありテントのなかは和やかであった。
午後から、抗議船「美ら海」で、大浦湾のフェンスのところまで行く。すぐに海保の船とゴムボートが並走。海はうねりが高かったが、海に投下されたコンクリートブロックがはっきりと見え、サンゴの破壊を物語っていた。
5日、県民広場での緊急集会に参加、そのまま翁長知事・菅官房長官の対談するハーバービューホテルへ向かった。機動隊に阻まれ、近づけなかったが、会談に向かう翁長知事の車に出会いエールを送ることができた。集まっているみんなで「座り込め」「頑張ろう」などの歌を歌ったり、シュプレヒコールをやり、翁知事へのエールと菅官房長官への抗議の意志を示した。
3日間の短い支援行動への参加でしたが、とても有意義であった。特に3日の夜の交流会では、名護ややんばるでたたかっている名護市議や平和センターの方々との交流ができ、「美ら海」にも乗れて、深く感動。この間、辺野古の闘いをともにたたかってきた平和センターの長い取り組みのおかげ。この経験・交流を、東京の地で「できることを・できるときに・できるだけ」多くの人に訴えていきたい。
翁長沖縄県知事の「辺野古移設関連作業停止指示」に関する事務局長談話
フォーラム平和・人権・環境
事務局長 藤本泰成
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沖縄県の翁長雄志知事は、3月23日、米海兵隊普天間基地の移設先とされる辺野古沖新基地建設に関して、移設に関連する作業の1週間以内の停止を沖縄防衛局に指示したことを発表しました。
沖縄県は、立ち入り禁止区域を示す浮き輪を固定するために、防衛局が投下した最大45トンのコンクリートブロックが、埋め立て予定区域外の珊瑚礁を損傷しているのではないかとし、海底調査を実施してきました。しかし、新基地建設反対の運動を阻止するために建設予定地を大きく囲むように設定された立ち入り禁止区域内での調査を米軍が拒否したため、翁長知事は、岩礁破砕許可条件にある「公益上の事由」に基づいて工事の中止を命じたものです。この間、翁長知事は、仲井眞弘多前知事の埋め立て承認手続きの可否を問う第三者委員会の結果が出るまで工事を中止するよう防衛局に求めていましたが、3月12日には半年間中断していたボーリング調査を再開していました。翁長知事の今回の勇気ある決断は、法律に基づいた手続きであり、県民世論を無視した新基地建設工事の強行に反対してきた平和フォーラムは、心から歓迎するものです。
米国務省のハーフ副報道官は、「移設は計画通り進んでいくとわれわれは理解している」と語り、移設は住民の負担軽減と米軍の能力向上につながるという傲慢な見解を示しました。同様に、菅義偉官房長官は「仲井眞前知事に承認を受けた、粛々と工事は進める」として、翁長知事の指示を無視するとの発言を行っています。
2013年12月27日、仲井真弘多前沖縄県知事は、県外移設との主張を突然翻し、唐突に辺野古沖の埋め立て申請を許可し、新基地建設工事に道を開きました。「選挙で『県外移設』を掲げた政治家としての公約違反であり、県議会が重ねて全会一致で求めてきた『県内移設反対、普天間基地は国外・県外移設』とする決議を決定的に踏みにじるものである」とした、2014年1月10日の沖縄県議会の抗議決議が、菅官房長官が主張する「仲井眞前知事の承認」には、県民の支持も含めて民主的手続きを全く欠いたものであることを明白にしています。加えて、2014年11月の県知事選挙での翁長雄志候補の圧倒的勝利が、「普天間基地の国外・県外移設」が県民の意志であることを揺るぎないものにしています。日本政府および米国政府は、直ちに翁長知事の指示に従い、作業を停止するべきです。
辺野古沖やキャンプ・シュワブゲート前では、工事の強行に反対する県民の法に則った整然とした抗議行動が行われていますが、海上保安庁は、反対派女性の一人に馬乗りになって制圧するなど暴力的排除を行い、けが人の出る事態となっています。沖縄県民、そして沖縄県知事の話に耳を貸さない強硬な態度は、民主主義国家と呼べるものではありません。日本政府は、直ちに沖縄県民および沖縄県知事との対話を開始し、沖縄県民の「国外・県外移設」との要求に沿った政策の転換を図るべきです。
平和フォーラムは、政府の傲慢な姿勢を許さず、翁長知事の判断を尊重し、沖縄県民の思いに連帯して、普天間基地即時返還・辺野古新基地建設反対のとりくみに全力を尽くすことを決意します。
「フォーラム平和・人権・環境は4月15日、東京・日本教育会館で第17回総会を開催し、2015年度の運動方針などを協議・確認しました。総会には加盟団体、各都道府県組織から約150名が参加しました。
平和フォーラム第17回総会
戦後70年、「平和」と「いのち」の尊厳を求める特別決議
敗戦から70年が過ぎようとしています。誰もが日本が変貌していくことに大きな危惧を抱いています。「さようなら原発1000万人アクション」「戦争をさせない1000人委員会」の運動で、常に私たちを鼓舞しその先頭に立っている大江健三郎さんは、「戦後は明るかった」と話されます。かけがえのない友を、肉親を、愛する人を失ってもなお、涙することを許されない戦争国家が、1945年8月15日に崩壊しました。日本の敗戦はその重圧からの精神の解放だったのです。「時代の精神はずっと『不戦』と『民主主義』の憲法に基づく『戦後の精神』だった」と、大江さんは続けます。
私たちは、今まさにその「戦後の精神」の原点に戻らなくてはなりません。国内外の多くの人々の命を奪った戦争国家から、新しい憲法を手にして、曲がりなりにも70年の年月を「戦争」を行わずにきた日本の、出発の原点に戻らなくてはなりません。「不戦」と「民主主義」は人間の尊厳の基本であり、「いのち」の源泉であるはずです。
「集団的自衛権」行使容認を閣議で決定し、平和の憲法理念をゆがめ、私たちに再び銃を取れと迫る政府。そのために「特定秘密保護法」によって物言えぬ社会をつくろうとする政府。歴史事実を歪曲し、東アジア諸国との対立を煽り、あたかも脅威であるかのように喧伝する政府。沖縄県民の反対の声を無視し、アメリカのために新基地建設を強行する政府。企業の利益のために、命を危険にさらす原発を再稼働し、その原発や命を奪う武器までも輸出しようとする政府。格差を拡大し貧困をつくりあげる政府。防衛予算を増額しながら生活保護費をさらに削減する政府。
平和フォーラム・原水禁は、あの東日本大震災・福島原発事故以降、「ひとり一人の命に寄り添う政治と社会」を求めて全力でとりくんできました。あれから今日まで、政治はどこを向いてきたのでしょうか。私たちの、被災者の、社会的弱者の顔と向き合ってきたでしょうか。その瞳の奥をのぞいてきたでしょうか。「いのち」の底からの言葉を真摯に聞き取ってきたでしょうか。私たちは思います。これほどまでに「いのち」をないがしろにする政府はなかったと。
平和フォーラム・原水禁は、日本国憲法と憲法の規定する「いのち」の尊厳を基本に、市民との連帯をさらにすすめ、組織の全力を挙げてとりくみをすすめることを決意します。
私たちは、脱原発社会を求め、東日本大震災と福島原発事故からの復興への誠実なとりくみを求めます。
私たちは、基本的人権の尊重を基本に、差別を許さず多文化共生の社会を求めます。
私たちは、「平和」と「いのち」の尊厳を基本に、憲法理念の実現に向けて、全力でとりくみます。
フォーラム平和・人権・環境 第17回総会
人殺しのための新基地建設ストップ! その2
2015.2.20~24辺野古現地闘争に参加して
個人会員(元事務局長)森本 一雄 |
★海上と第一ゲート前での闘い!
辺野古での闘いは、しまんちゅう島人だ、ヤマトだなんて言っていられない。島人は那覇市から毎日辺野古行きのバスに乗り、自家用車のものは車で、非常に積極的に参加している。通いが面倒な人は、テント村で寝泊まりして闘っている。それも大勢の人がいるので心強い限りだ。そこでの寝袋も翁長知事誕生に一役を買って出た経済界からの寄贈と来るので嬉しい限りだ。水や食料は全国から現物が送られ大量にあるから心配いらない。トイレについても定期的に車の送迎がある。何不自由なしだ。
だが、緊張はバリバリだ。24時間警察官がうろうろするし、時たま、暴力的な右翼の連中も来るし、民間警備会社もヤマトの大手から、その人数ときたら、これまでの比でなく、いかめしい顔で配置についている。そして山城議長を基地内に引っ張り込んで、後ろから手錠をかけて4時間も拘束した、基地警備隊・憲兵隊などなど。隙あらば仲間を逮捕しようと写真・ビデオを撮っている私服警察もいるいる。こうした弾圧側のガードに守られて資材や労働者が運ばれてくるたびに、基地内に入れないために仲間たちが実力で阻止しなければならない。その都度、県警と「おしくらまんじゅう」だ。
辺野古での闘いの一番の悪役は、何と言っても海上保安庁職員だ。憎き彼らが第一ゲートから、一般職員を装って入ろうとするのを、仲間たちは監視し、抗議・阻止する。海上保安庁は、海上監視行動のカヌー隊に対して、あらんかぎりの暴力を振るい、これまでに数十名が負傷、保安官を暴力行為で告発している。
海上での行動はあまり、県民やマスコミに見られないと思ってのやりたい放題の横行が続いている。カヌーにゴムボートを乗り上げ転覆させるは、乗り込んで海面に突き落とすは、リーフ外に引っ張り込こむ行為など、いつ死人が出てもおかしくない暴力が続いている。
こうした保安官の暴力に対しても、仲間たちは絶対に暴力を使わないことを抗議の基本に、粘り強く闘っている。カヌー隊は島人だけでなく、県外からも参加しており、彼らは海上保安庁より真剣に闘っているので恐怖心は全くないというあっぱれな心意気だ。
これまで、島ぐるみ闘争や県道104号声実弾砲撃演習阻止・着弾地座り込み闘争など、命を懸けた闘いがこの70年であった。今、ゲート前での権力側の脅しや暴力海上保安官に対しても決してひるむとはありえない。海上でカヌーで抵抗する島人は、4大選挙での辺野古新基地反対という民意を安倍政権が聞かないのであれば、体を張って闘わざるを得ないと覚悟のほどを見せている。この姿が多くの人々に共鳴を与えていると思う。基地建設への抵抗は安倍政権がやめるというまで続く。県外・ヤマトンチュウの皆さん、一度でいいから辺野古でともに闘おう。
★初の知事権限行使
ついに、知事も具体的に動き始めた。沖縄防衛局が辺野古沿岸の海底に設置したコンクリート製のトンブロック(10から45トン)がサンゴ礁を傷つけている問題で、設置作業の停止と設置したブロックを移動しないよう、指示した。こうしたブロックの設置によって台風の際や海流の強さなどにより、ジュゴンの食場のモバやサンゴの破壊が前々から指摘され、実態が写真などで広く知られることになっていた。知事は、2月27日に権限を行使して現地調査を行う決断を行った。また、地元名護市議会でもブロックがサンゴ礁を破壊した可能性が高いとして、知事の作業停止指示を守るべきとの意見書を可決した。
抗議する人間に弾圧をするだけでなく、「美ら海」そのものを破壊する実態が明らかとなり、これ以上放置したら辺野古の海も大浦湾も死滅することになる。こうしたことは、米軍基地建設が予定された時からわかっていたことである。
安倍政権は、直ちに責任を取って辞任すべきであるが、なかでも、環境大臣までも辺野古の海が、日本の自然が破壊されていることに対して全く動かない。環境省までが米軍の言いなり省庁かと、がっかりする。
★ともかく辺野古・大浦湾は美ら海なのだ!
防衛局が工事を進める中で、海が、ジュゴンが、サンゴが悲鳴を上げていると、だれもが感じているのではないか。関東地域に生活する者にとって沖縄・辺野古の地は遠いし、費用もかかることから、そうたびたび行ってほしいとは思わないが、みなさん何とかしようではないか。
新基地建設反対は決して沖縄だけの闘いではない。戦争を止めるという崇高な闘いだ。軍隊や兵器や基地によって戦争が抑止されるなどとは、現代の神話といえる。核やミサイルが飛びかう戦争を予想すれば、戦争は絶対悪と断言できる。
戦争を学ぶ原点は、沖縄である。地上戦で県民が殺された。日本兵にも殺された人がいる。戦争状態が終わったのに米兵によって多くの女性が襲われた。このむごい犯罪は今も続いている。
沖縄には、ヤンバルのジャングル訓練場、実弾飛び交うキャンプハンセン、キャンプシュワブ、極東最大の空軍基地・嘉手納、勝連半島先端には原子力潜水艦が常時停泊するホワイトビーチ海軍基地、そして地球上で最大の訓練海域が本島を取り巻いている。この訓練海域で連日の猛訓練が行われている。そのため、嘉手納空軍基地から年間8万回以上飛行という考えられない事態がある。
沖縄で訓練された兵隊は、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、そして今も続くイラクやアフガンに送り込まれ、多くの犠牲者を出している。殺しの現場に明日はいかなければならない兵士の心境は、明日は執行されるかもしれない死刑囚と同じといわれる。沖縄の米兵は異常な状態に置かれていると断言できる。この米軍基地を全部撤去させることが私たちに課せられている。だからこそ、沖縄は遠い地であるといっていられない。
是非、辺野古の基地に来てください。帰りには沖縄の土産をたっぷり買って沖縄の経済効果に、一役も二役も貢献してください。ともに闘おう。
2号にわたって連載しました。原稿中の高江のヘリパット建設反対闘争については、紙面の都合で別の機会に掲載します。森本さん、ありがとうございました。
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