北海道札幌南高等学校校長への
人権救済申立事件 勧告書
発行者:札幌弁護士会
発行日:2002年2月14日(木)

(Web管理者記)
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 尚、所沢高校の生徒が日本弁護士連合会に申し立てた「人権救済申立事件」に関する
 資料は、下記のものです。
 「人権救済申立事件 校長宛要望書」(日本弁護士連合会)
 「人権救済申立事件 委員長宛要望書」(日本弁護士連合会)
 「人権救済申立事件 調査報告書」(日本弁護士連合会・子どもの権利委員会)


                            2002年2月14日 北海道札幌南高等学校 校長 山  本  宇  衛 殿                           札幌弁護士会                       会長  田  中   宏  公印            人権救済申立事件 勧告書  当会は、2001年12月28日付人権救済申立事件(申立人北海道札幌南高等学 校3年生在学の生徒■■■■■■■■、相手方同校校長)について調査した結果、貴 殿に対し、下記のとおり勧告します。  なお、本勧告の理由は、別紙「勧告理由書」記載のとおりです。                  記  申立人ら生徒には、子どもの権利条約12条に基づき、子どもの意見表明権及び参 加権が認められ、国及び自治体、貴殿らその他の子どもに関わる関係者は、(1)子ど もが意見表明や参加を要求する場合には、その機会を十分保障しなければならないと の機会保障義務、(2)子どもが意見表明を行った場合には、これに対し誠実に応答 し、特に、その意見が大人側の意見と異なる場合には、子どもが納得するように説明 するとの誠実応答及び説明義務、(3)表明された意見については、その年齢や成熟 度を考慮し「適正に重視」するとの意見尊重義務、をそれぞれ負っている。  したがって、北海道札幌南高等学校山本宇衛校長が、 1 2002(平成14)年3月1日に予定されている同校の卒業式において「君が  代」を実施するにあたり、同校生徒に対し、2001(平成13)年11月26日  付「入学式・卒業式での国歌斉唱に関する意見等について」とのプリントを配布し、  同年12月5日と同月10日の2回意見交換会を開催したものの、2度目の意見交  換会の席上このような会を今後実施する予定はないと述べて生徒との意見交換の場  を打ち切った上、同年12月12日に「君が代」を実施する旨決定したこと、翌1  3日付で全校生徒に対し「卒業式における国歌の取り扱いについて」と題するプリ  ントを配布し「今年度の卒業式において国歌を実施することにしました」と告知し  たこと、 2 さらに、前項の人権侵害状況を解消しないまま、2002(平成14)年3月1  日に予定されている同校の2001(平成13)年度の卒業式において「君が代」  を実施すること、 は、それぞれ北海道札幌南高等学校3年に在学する申立人らに保障される学校行事に 関する意見表明権及び参加権を侵害する行為であって、子どもの権利条約12条に違 反する行為である。  よって、貴殿は、2002(平成14)年3月1日予定の2001(平成13)年 度卒業式の運営にあたり、申立人ら生徒を、その決定過程の重要な参加メンバーとし て、生徒らの意見を真摯に受け止め、今後も生徒らに対し、さらに十分な説明と協議 を行い、納得を得られるよう最大限の努力を続けることを勧告する。
               勧 告 理 由 書 第1 申立の概要  1 申立人    北海道札幌南高等学校在学3年の生徒■■■■■■■■  2 相手方    北海道札幌南高等学校山本宇衛校長  3 申立の趣旨    北海道札幌南高等学校(以下「南高校」と言う)山本宇衛校長の行った下記①   の事実及び今後行おうとしている下記②の事実は、それぞれ南高校生徒である申   立人らに対する人権侵害行為に該当するので、南高校校長に対し、今後二度と同   種の人権侵害行為を行わないとの勧告を求める。 記   ① 卒業式における「君が代」について、2度意見交換会の場が開かれたにも拘    わらず、その場で生徒から出されたさまざまな意見を全く反映せず、「君が代」    の実施を決定し、実施する文書を一方的に出した事実   ② 卒業式という場に「君が代」を持ち込むことで、生徒に信条の表明を強制さ    せようとしている事実 第2 調査の方法と経過  1 申立人側からの調査    2002(平成14)年1月4日 申立人ら及び申立人代理人からの事情聴取    (約2時間)    申立人から提出された資料    同年2月2日に提出された事実経過報告書  2 相手方側からの調査    同年1月17日 相手方山本宇衛校長及び小島修二教頭からの事情聴取(2時間)    相手方から提出された資料    同年2月5日 当会人権擁護委員会の依頼に基づき追加提出された報告書  3 専門家からの意見聴取    同年1月23日 北海道大学法学部中川明教授からの法律的意見の聴取(約2時    間)    中川明教授から提出された資料  4 調査参考資料リスト    別紙「当事者から提出された資料一覧」「調査参考資料」のとおり 第3 認定した事実  前記調査により当会が認定した事実は以下のとおりである。  1 南高校における生徒の学校運営への参加・意見表明のシステム   (1) 南高校生徒会会則には、「私たち高校生は平和で民主的で私たちの個性      の発展が妨げられるようなことがなく、よりよい生活への誠実な希求が暖      かく受け入れられ、着実に満たされていくような可能性をもった社会を心      から望み、それを理想としている。(中略)学生としての弱い困難な立場      にありながらも、常に現実の環境の不合理に抗して自ら幅広い教養と豊か      な人間性を求め、主体性のある人間として判断力と批判力を身につけ、私      たちの個性的な能力の自由な発展を心から求めるものである。」との全文      が掲げられ、その前文を受けて、生徒会の運営をはじめ「前文の目的を追      求する生徒の自発的な広い意味での教育的活動」(第2条参照)に関する      諸規定が設けられている。   (2) 南高校においては、従来、かかる精神に基づき、生徒の意思が学校運営      において最大限尊重されて来た。すなわち、南高校の卒業式における大き      な特色として、生徒によるパフオーマンスの実施が挙げられるが、南高校      の自由な校風という伝統を示すとともに、学校行事運営に関し、生徒が自      由かつ自発的に意見を表明し、参加するという同校の伝統を示すものと理      解される(2001年12月5日付南高新聞)。       そして、南高校の卒業式は、従来、会場の関係などもあって、高校3年      生約400名とその家族約600名が参加して行われて来ており、まさに、      卒業生のための卒業式として位置付けられてきた。  2 南高校の卒業式・入学式における「君が代」の取り扱い    申立人ら及び相手方らからの事情聴取により、次の経過が認められる。   (1) 従来、南高校では、卒業式・入学式に「君が代」を実施してこなかった。   (2) 1999(平成11)年の国旗国歌法成立以後、南高校でも「君が代」      の実施に関する検討を開始し、同年12月頃から職員会議で話し合いを行      うようになった。       2000(平成12)年3月29日、前任の校長は同年4月実施の入学      式に「君が代」を実施するか否かについて、初めて生徒会執行部5名から      意見を聞いた。しかし、反対意見が多かったため、同年4月の入学式で      「君が代」は実施されなかった。       2000(平成12)年度も、11月頃から職員会議で卒業式における      「君が代」の実施が検討された。しかし、2001(平成13)年2月2      8日(卒業式前日)の職員会議で「君が代」の実施に反対する意見が約8      割にのぼり、さらに生徒の意見を聞いて欲しい旨の意見も出された中で、      2001年3月実施の平成12年度卒業式でも「君が代」は実施されなか      った。       2001(平成13)年3月21日、前任の校長は、2000(平成12)      年度の入学式に「君が代」を実施するか否かについて、生徒の意見を聞く      機会を持った。校長が司会を務め、実施に反対の意見が約8割に及んだ。   (3) 相手方は、2001(平成13)年4月1日から南高校校長に就任し、      前任校長からの引継に基づき、職員会議で同年度の入学式に「君が代」を      実施したいと述べた。しかし、職員から「引継がねじまげられている」な      どの反対意見が強く出された結果、相手方は入学式当日の朝、「君が代」      を実施しないとの結論を出した。   (4) 以上のとおり、南高校では従来、卒業式や入学式において「君が代」が      実施されてこなかったものと認められる。  3 本件の事実経過(2001年6月以降の経過)   ① 2001(平成13)年6月、相手方は、生徒会新聞局のインタビューに対    し、「学習指導要領では、『国歌を斉唱するよう指導するものとする』となっ    ているので、校長としては実施すべき項目の1つです。したがって、淡々と実    施していきたいなと思っています。」と回答し、2001(平成13)年度卒    業式に「君が代」を実施したいとの意向を示した。   ② 9月30日 相手方は、職員会議で2001(平成13)年度卒業式に「君    が代」を実施したいとする方針を表明した。   ③ 11月16日 職員会議で、職員から相手方に対し「生徒たちの意見を聴い    て欲しい」との意見が出された。   ④ 11月26日 ③を受けて、相手方は「入学式・卒業式での国歌斉唱に関す    る意見等について」との文書を配布し、12月5日に生徒の意見を聞く機会を    持ちたいと告知した。   ⑤ 12月5日 午後1時30分より約2時間、第1回の生徒との意見交換会が    実施された。意見交換会には約150名の生徒が参加し、相手方が司会を務め、    生徒の質問等に応答するという形式ですすめられた(なお、教職員約30名が    オブザーバー参加していたが、相手方から教職員に対し、意見を控えるように    との指示が出されていた)。     相手方は、この意見交換会の目的について、「生徒が国歌斉唱の実施に対し    て、どのような意見や考え方を持っているかを聞き、校長として実施に向けて    の考えを説明し、理解を得ること」と位置付けていた。     相手方は生徒に対し、「君が代」を実施したいので理解して欲しい旨発言し    たが、参加した多数の生徒からは、子どもの権利条約や、思想・良心の自由と    の関係から実施を疑問とする意見や、実施を考え直して欲しい、などの意見が    出され、相手方は、子どもの権利条約12条の意見表明権、14条・憲法19    条の思想・良心の自由との関係について検討する旨を応答した。     さらに、生徒から相手方に対し、第2回の意見交換の場を設けて欲しいとの    要望が出された。【質問・意見、応答内容の詳細は別紙のとおり】   ⑥ 12月5日 南高新聞に「生徒の求める卒業式とは」との記事が掲載された。    同記事には、11月29日新聞局が全校生徒に実施したアンケート結果がまと    められ、「『君が代』を制勝すべきと思いますか」との質問に対し84%の生    徒が「思わない」と返答し、「思う」は11%であった(回収率64.74%)。   ⑦ 12月7日 相手方は「国旗・国歌の意義について」と題する文書を生徒全    員に配布した上、12月10日に再度意見交換会を実施する旨を全校生徒に伝    えた。    (なお、申立人からの聴取によれば、相手方は第2回目の意見交換会を実施せ    ず、12月7日上記文書を配布しただけで事態を収束しようとしたが、生徒や    職員らの強い要望によって第2回の意見交換会が実施された、とされている。)   ⑧ 12月10日 午後3時40分より約4時間、第2回の意見交換会が実施さ    れ、約1300名の生徒が参加した。(教職員約30名がオブザーバー参加)。     参加した生徒の多数は「君が代」実施に反対の意見を述べ、第3回の意見交    換会開催を要望した。しかし、相手方はその席上「このような会の今後の実施    の予定はないので、最後にどうしても発言を求める人がおれば、聞きます。」    として、生徒から3回目の意見交換会開催の要望が出されたにも拘わらず、生    徒との話し合いを一方的に打ち切った。    【主な質問・意見、応答内容は別紙のとおり】   ⑨ 12月12日 相手方は、職員会議を開いた後、2001(平成13)年度    卒業式における「君が代」実施を決定した。職員会議では、職員から反対意見    が多く出されたが(発言者8名中、賛成3名、反対5名)、相手方は一定の話    し合いが出来たとして実施を決定した。   ⑩ 12月13日 相手方は全校生徒に「卒業式における国歌の取り扱いについ    て」と題するプリントを配布し、卒業式において「君が代」を実施すると表明    した。相手方は、同プリントに「実際の卒業式の運営においては、生徒の思想    及び良心の自由、内心の自由を保障する中で国歌を実施したいと考えて」いる    旨記載しているが、実施の具体的内容は明らかにしていない。   ⑪ 12月13日 生徒会執行部が全校生徒に「校長先生との話し合いについて」    とのプリントを配布した。   ⑫ 12月17日 生徒のうち12名が発起人となり、「日の丸・君が代」の強    制に反対する有志の会を立ち上げた。   ⑬ 12月18日 有志の会は、全校生徒に対し「生徒大会実施のための署名の    お願い」と題するプリントを配布した。     プリントには、会の活動趣旨として「私達は、自分達の意見が学校長の決断    に全く反映されていないのではないかと思い、卒業式において自分達の権利が    最低限のところで保証されるために生徒の意見を広く聞き、意見を明確にする    必要があると考え、この活動を始め」たと記載されている。     その結果、生徒大会開催のための必要署名数100名(生徒会会則第11条    1号)を大幅に越える563名の署名が集まった。   ⑭ 12月19日 職員会議で生徒大会について検討され、生徒の行動を尊重す    ることが決定された。   ⑮ 12月25日 2学期の終業式で、相手方は2回の意見交換会における生徒    の発言内容を報告した後、    ・我が国のほぼ100%の公的学校で卒業式や入学式において国旗国歌を実施     しているため、本校だけがやらなくても良いことにはならない。    ・学校において法的性格を持つ学習指導要領に基づいての国旗国歌の指導は憲     法に定められている「思想及び良心の自由」を制約するものではないと、国     の判断がなされている。    ・実際の卒業式では、国歌の指導は生徒の内心の自由にまで立ち入って強制す     るものではない。単に国歌が流されることだけでは「内心の自由」が侵され     るものではないと考える。    ・国歌を歌いたい人の権利にも関わってくる。国歌を実施しない場合、その人     から歌う機会を奪ってしまう。    ・現実の学校では、その教育目的を達成するために必要でかつ合理的範囲内で     児童生徒に対して指導や指示を行うことが出来るものと考える。校則や学校     内のさまざまな取り決めを定めることが出来、生徒にそれを守ってもらうの     が、現実の学校社会である。たとえば、この授業は嫌いであると意思表明し     ても授業を受けなくて良いことにはならない。    という形で、「君が代」の実施を決定した理由を壇上から説明し、質疑応答は    行わないとした。   ⑯ 12月25日 生徒達は生徒大会実施に向けて準備をすすめたが、参加人数    は535名(1年生:404名中116名、2年生:395名中177名、3    年生:396名中242名)で、定足数747名に達しなかったため、大会は    流会となった。     しかし、その場で生徒集会が承認され、同集会で「『日の丸』・『君が代』    の強制に反対する決議の採決が行われた。採決結果は、裁決時まで残った生徒    約400名中、「君が代」強制反対宣言に賛成した生徒が300名、反対18    名、白票54、不明2であった。(生徒指導部教員は、この採決の効果につい    て、私的なもので何ら権威づけられないと述べていた。)   ⑰ 12月28日 申立人らは札幌弁護士会に人権救済を申し立てた。   ⑱ 2002年1月25日 相手方は3年生に対し、卒業式における式次第の内    容を発表した。     相手方は生徒に「生徒と意見交換する場でも、生徒の質問を受ける場でもな    い」としたうえ、式次第に「国歌」という言葉を入れ、「入場、開会宣言、国    歌」の順番で式を進めること、「君が代」のメロデイー(歌詞が入らないもの)    のテープを流すこと、立つことや歌うことの強制はしない、立って「君が代」    を歌いたい人のことも考えて欲しい、旨を壇上から説明した。    (2002年1月17日、当会が相手方から事情聴取した際、相手方は、在校    生の合唱部や吹奏楽部に演奏させることは強制にあたる、また、起立や斉唱の    指示をすることも強制となる旨の認識を示していた。)     さらに、相手方は「3年生の一部の諸君によるHPが開設されたり、そのこ    との新聞報道等のこともあり、・・・マスコミ等による報道が予想されるが    「動揺することなく、しっかりと行動して欲しい」と話した。    (なお、申立人らの報告書では、当日、学年主任が「『君が代』問題は学校内    でおさめてほしい。いろいろなイデオロギーがあり、様々な団体が出てくる可    能性がある。北海道新聞にHPのことが掲載されたこともあり、生徒の行動し    だいで世間を敵に回す可能性も否定できないと話した」と記載されている。)   ⑲ 1月15日 生徒大会発起人等は、希望した生徒のみに「生徒集会報告」と    題する文書を配布した(生徒指導部教員から全校生徒への配布が認められなか    ったため)。     同文書によれば、生徒集会での採択結果は、「『日の丸』強制反対宣言・・・    賛成251、反対35、白票83、不明7、『君が代』強制反対宣言・・・・・    賛成300、反対18、白票54、不明4」であった。     なお、申立人らの報告によれば、採決まで残った生徒の大部分が3年生であ    った。 第4 当会の判断  1 本件における問題点   ① 相手方の2001(平成13)年度卒業式における「君が代」実施決定及び    決定にいたる経緯が、子どもの権利条約12条で保障されている申立人ら南高    校生徒の意見表明権、参加権を侵害するものであるか否か   ② 相手方の2001(平成13)年度卒業式における「君が代」実施決定と、    来る2002(平成14)年3月1日に予定される上記卒業式における「君が    代」実施が、子どもの権利条約12条、憲法19条、子どもの権利条約14条    で保障されている申立人ら南高校生徒の意見表明権や参加権、思想・良心の自    由を侵害するものか否か   が問題となる。  2 問題点①について  (1) 子どもの権利条約12条「意見表明権」「参加権」の意義     � 。隠坑牽糠�隠鰻遑横案釗�駭�茖苅寛鸛躄颪悩梁鬚気譴浸劼匹發慮⇒�      条約第12条は、      「1.締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響        を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確        保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟        度に従って相応に考慮されるものとする。       2.このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び        行政上の手続きにおいて、国内法の手続規則に合致する方法により直        接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えら        れる。」(政府訳)      という、いわゆる子どもの意見表明権、参加権について規定している。       12条自体は「参加権」という文言を用いてはいないが、同条は、自己      に「影響を及ぼすすべての事項」の決定過程に参加して意見を表明するこ      とを前提とするため、参加する権利をも保障したと解されている。国連子      どもの権利委員会も、日本への総括所見で12条=子どもの参加権という      考え方を示している(永井憲一外「新解説子どもの権利条約」日本評論社・      91頁。注①)。     �◆,海里茲Δ法■隠仮鬚蓮峪劼匹發鳳洞舛魑擇椶垢垢戮討了�燹廚砲弔い董�      子ども自身に「自由に自己の意見を表明する権利」を保障するとともに、      表明された意見をその子どもの「年齢及び成熟度に従って適正に重視する」      ことを義務づけたものとして、画期的な意義を有する(中川明教授は、      12条の「due weght」との原文から「適正に重視」との訳がふさわしい      とされている。当会も「相応に考慮」よりは趣旨に適うと考え、その訳に      従う)。       すなわち、同条は、大人の側が一方的に「子どもの利益」を考慮するだ      けでは不十分であり、子ども自らが、自己に関わる問題について参加して      意見を表明し、大人の側がこれを十分考慮することによってこそ、子ども      にとっての「最善の利益」が確保されるとの考え方に基づいている。       この権利はしたがって、同条約13条の表現の自由や同条約14条の思      想・良心の自由という権利が実質的に確保されるための前提となる重要な      権利であり、成長過程にある子どもの独自性を尊重し、子どもによる権利      の自立的行使を正当に取り扱い、将来の独立した権利行使(自己決定権・      人格的自立権)につながる子ども固有の権利として確保されるべきところ      に最大の眼目がある(「子どもの権利条約・日本弁護士連合会レポート」      113頁、中川明「子どもの意見表明権と表現の自由に関する一考察―い      わゆる「ゲルニカ訴訟」の『意見書』から」北大法学論集50巻第2号・      241~244頁)。       そもそも、子どもの権利条約は、従来保護の対象としてのみとらえられ      てきた子どもを権利の享有主体、さらには権利の行使主体として位置づけ      たところに重要な意義がある。同条約5条は「締約国は、児童がこの条約      において認められる権利を行使するにあたり・・・」と規定し、子どもの      権利行使を当然の前提としている。12条はこのことを明確にするもので、      子どもの権利条約の中でも核心的な条文とされる。       12条の意見表明の対象となる事項は「その児童に影響を及ぼすすべて      の事項について」であり、その対象に制限はない。しかし、当初のポーラ      ンド原案に「とくに、結婚、職業の選択、医務、教育およびレクリエーシ      ョン」が例示されていたという起草経過からみても、教育にかかわる意見      表明権の保障が重要な一対象であることは明らかである。     ��。隠坑坑看�慣遏�鐱椶眛云鯡鵑鯣秉擇掘�映�儀遑横夏釮�虍�悊気�      ており、国内的効力を有する。(注②)。       子どもの権利条約のうち12条から14条までは、いわゆる市民的自由      に関するもので、特に子どもの権利を改めて確認したものであるから直接      適用可能と解されている。そして、条約の市民的自由条項は、既に憲法上      保障されている人権をよりきめ細かく保障するものであるから「憲法に準      ずるものとして重く扱わなければならない」。その結果、「例えば国際人      権条約違反の具体的措置を適用違憲に準ずるものとして扱うべき場合もあ      り得る」と解されている(佐藤幸治『憲法』第3版・青林書院395頁)。     �ぁ。隠仮鬚琉婬舛蓮∋劼匹蘯�箸亡悗錣襪△蕕罎觧�爐砲弔い董�茖馨鬚�      「子どもの最善の利益」を確保するため、子ども自身の権利として意見を      表明する機会を保障することが不可欠であるという、従来国際的な諸準則      において確立されてきた考え方を手続的原則として定めたところにある。       すなわち、国は子どもの意見表明権を保障する義務を負う(shall assure)      とともに、表明された子どもの意見を「適正に重視する」という作為義務      を負っている。この作為義務は意見表明権の受け手に向けられたものであ      り、学校長である相手方もその受けてとして当然に作為義務を負う。       「適正に重視する」(due weight)とは、「子どもにかかわる事項を決      定するにあたって、表明された子どもの意見を、その表明がなされた一連      の経緯・状況などをも十分にふまえて、そのうちに存する真の意義に沿っ      て正確に把握し、そのようにして把握された子どもの意見に従った場合に      その子どもに生じる様々な影響を、その子どもの『最善の利益』の実現と      いう観点に照らして精査・検討し、その結果、子どもの自律そのものに取      り返しのつかないほど害を与えることが予想される場合には、これに拘束      されないとともに、それ以外の場合においては、その意見を、実質的なか      たちであれ、出来るだけ実現するように積極的に努力する義務を負ってい      ることを意味している」(中川明・前掲論文244~245頁)。     �ァ^幣紊里茲Δ併劼匹發琉娶�縮生�擇啝臆淡△�Г瓩蕕譴襪箸いΔ海箸蓮�      その反映として、子どもの意見表明及び参加の対象となる国及び自治体、      その他の子どもに関わる関係者が、次のような義務を負うことを意味する。       第1に、子どもが意見表明や参加を要求する場合には、その機会を十分      保障しなければならない(機会保障義務)。       第2に、子どもが意見表明を行った場合には、これに対し、誠実に応答      する義務を負う。特に、その意見が大人側と異なる場合には、その意見及      び理由を十分に説明し、子どもが納得するように説明する義務を負う(誠      実応答及び説明義務)。       第3に、表明された意見については、その年齢や成熟度を考慮し、「適      正に重視」する義務を負う(意見尊重義務)。     �Α〇劼匹發慮⇒�鯡鵤隠仮鬚亮饂櫃鬚気蕕防烋Г垢襪覆蕕弌∋劼匹發琉娶�      表明権は、子どもが自らの思想・良心ないしは人格を形成していく過程に      おいて、極めて重要な役割を負う権利と理解され、したがって、同条約1      3条の表現の自由、同14条の思想・良心などの自由と深く関係している      (石川稔「児童の権利条約―その内容・課題と対応―」一粒社230頁)。       大人は、子どもが意見表明、参加を要求している場合はもとより、子ど      もに関わる事項について、子どもが現に述べるべき意見を持ち合わせてい      ない場合には、意見を形成して、これを述べることが出来るよう具体的な      問題設定をして、あらゆる情報を提供し(子どもの権利条約13条)、自      らの意見を述べることが出来るようにする責務を負っているというべきで      ある。       特に、学校教育の場においては、この点の配慮が肝要である(注③)。       子どもの意見表明権を侵害するということは、子どもが意見を形成し表      明していく過程を通じて自らの思想・良心を形成していく権利(子どもの      権利条約14条)をも侵害していることを意味することに想いを致すべき      である。       比喩的に表現するなら、意見表明権の侵害は、人格形成力の「DNA」      を傷つけるという、人格の核心部分に対する人権侵害となり得る極めて重      大な問題である。   (2) 本件申立人らの具体的権利の内容     � /塾�佑蕕�⊂綉Ⅶ劼匹發慮⇒�鯡鵑琶歉磴気譴唇娶�縮生◆∋臆淡△�      有することは疑いを入れない。     �◆/塾�佑蕕蝋盥撮廓�任△蝓∋劼匹發慮⇒�鯡鵑砲茲衒歉磴気譴討い觚�      利主体として最高齢に属している。       したがって、その年齢や成熟度に照らしても、その意見表明権、参加権      は最大限尊重されなければならない。     ��,箸蠅錣院�感伴阿蓮�惺散軌蕾歡�僚�擦忘櫃靴胴圓錣譴觜垰�任△蝓�      生徒らにとっては、教職員、生徒らとともに学校生活を振り返り、達成し      たものを確認しあうとともに、教職員に感謝の意を表明し、さらには卒業      後の人生に対する決意を表明するなどの場、いわば「最後の授業」であっ      て、その実施及び内容について最も重要な関心を有する申立人らにとって、      意見表明の重要な対象である。さらに卒業式に「君が代」を実施するか否      かは、申立人ら生徒の思想・良心の自由とも関わるため、極めて重要な意      見表明の対象となる。       したがって、高校3年生である申立人らには、まさに当事者として卒業      式のあり方について意見を表明し、参加する権利が保障されている。       申立人らの意見表明権、参加権については、「高等学校学習指導要領」      でも、その重要性が指摘されている。たとえば、高等学校学習指導要領      「第3章特別活動」には、特別活動の目標に「集団の一員としてよりよい      生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てる」と掲げられ、指導計      画の作成にあたっては「学校の創意工夫を生かすとともに」、「生徒によ      る自主的、実践的な活動が助長されるようにすること」とある。文部省      (現文部科学省)の「高等学校学習指導要領解説特別活動編」でも、子ど      もは単なる教育・指導の客体ではなく、主体的に参加させるべきものとし      て扱われ(注④)、とりわけ卒業式などの学校行事については「学校が計      画し実施するものであるとともに、各種類の行事に生徒が参加し協力する      ことによって行われる教育活動である。」「行事の特質や、生徒に実態に      応じて、可能な限り生徒の自主性を所長することが大切である」と記載さ      れているところである(前記解説書・21、22,66頁)。       このように、学校教育、とりわけ卒業式等の学校行事における生徒の意      見表明権及び参加権の保障が重要であることは、教育関係の処法令や学習      指導要領からもうかがわれる。       なお、学校教育における子どもの参加権は、憲法26条が保障する学習      権に法原理的に含まれるとの見解もある(兼子仁「教育法学における原理      と制度」。神田修編「教育法と教育行政の理論」)。     �ぁ,靴燭�辰董⊃塾�佑蕋廓�犬寮古未�惺珊垰�任△訛感伴阿砲弔い動�      見を表明しあるいは参加しようとしている本件の場合、卒業式が上記のと      おり「生徒が参加し協力することによって行われる教育活動であり」いわ      ば『最後の授業』であること、「可能な限り生徒の自主性を助長する」必      要があることから、相手方はそれらの意見を「適正に重視」すべき義務を      負っていると認めうる。       さらに、前記の生徒会会則や南高校における生徒の自主・自律性など同      校の特色に照らし、また南高校において長年「君が代」が実施されて来な      かった歴史、「君が代」の問題が申立人らの思想・良心の自由に密接に関      連していることなどに鑑み、相手方は、相当に高度の機会保障義務、誠実      応答及び説明義務を負っていたと認めることができる。   (3) 相手方の申立人らに対する権利侵害の有無     � /塾�佑蕕慮⇒�       以上のとおり、申立人らは、南高校の生徒として、卒業式を含む学校行      事に参加する権利を有するとともに、その前提として卒業式のあり方につ      いて意見表明の機会を求め、その意見表明に対し、相手方らとの話し合い      による誠実な応答や説明を求め、生徒の権利を尊重することを求める権利      を有していた。     �◆ 峽��紂廚竜掴世反塾�佑蕕了彖曄ξ豹瓦亮�海箸量�椶粉愀�       とりわけ、本件で問題になっている「君が代」(国歌)に関しては、諸      外国においても様々な歴史を受け継ぎ議論がなされて来ている(例えば、      江波遼「アメリカとドイツの国旗・国歌法制」季刊教育法121号43頁      以下。1999年7月3日付朝日新聞。注⑤)。       周知のとおり、日本における「日の丸」・「君が代」についても、歴史      的な経緯から議論がなされて来た。1999年7月14日、当時の日本弁      護士連合会小堀樹会長談話において、「過去の忌まわしい戦争を想起させ、      また被害を受けた諸国民に対する配慮の面からも、国際協調を基本とする      現行憲法にふさわしくないと指摘する声も少なくない」中で、国旗国歌法      の「法制化によって強制の傾向が強まることは問題」とも指摘されていた      ところである。       また、「君が代」の解釈をめぐっては、1999年6月11日、政府が      「『君』は象徴天皇と解釈するのが妥当」との答弁書を一旦提出したもの      の、その後「日本国および日本国民統合の象徴であり、主権の存する日本      国民の総意に基づく天皇を指す」としたうえ、「君が代の歌詞は、わが国      の平和と繁栄を祈念したもの」と見解を変更した経緯もある(毎日新聞1      999年7月1日付社説)。       以上の経緯の中で制定された国旗国歌法は、定義規定のみで尊重義務規      定が存在せず、附帯決議でも強制はしないことが明記された(日本経済新      聞1999年8月10日付社説)。       当時の政府答弁でも「児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとす      る趣旨のものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めて      いくことを意味するものでございます。この考え方は、平成6年に政府の      統一見解として示しておるところでございまして、国旗・国歌が法制化さ      れた後も、この考え方は変わるところはないと考えます。」(1999年      7月21日衆議院内閣委員会での内閣総理大臣答弁)とされ、「内心にま      で立ち至って強制」しないことが確認されている。       このように「君が代」の問題は、思想・良心の自由、とりわけ内心の自      由と密接に関連している。       そして、思想・良心の自由は「内面的精神活動の中でも、最も根本的な      ものである」こと、「わが国においては明治憲法下において、治安維持法      の運用に見られるように、交友関係とか、読書その他の行動とか、または      密告によって、その抱懐する思想信条を憶測判断し、特定の思想信条に対      し『国体』に反するとか、『神宮もしくは皇室の尊厳』を傷つけるとか、      『私有財産性を否認する』とか、いうような理由によって弾圧を加え、内      心の自由そのものを侵害する事例が頻繁に行われた。日本国憲法が、・・・      精神的自由に関する諸規定の冒頭において、それと別個の条文で、思想・      良心の自由を特に保障した意義は、そこにある」とされるとおり(芦部信      喜「憲法学Ⅲ人権各論(1)増補版」有斐閣98~99頁)、基本的人権の中      でも、中核をなす人権である。       相手方の卒業式における「君が代」実施は、申立人らに保障されている      上記子どもの権利条約12条違反にとどまらず、思想・良心の自由(子ど      もの権利条約14条、憲法19条)の侵害とならないかも問題となり得る。       南高校では従来、卒業式・入学式に「君が代」が実施されてこなかった      経過があり、相手方の卒業式における「君が代」実施決定は重大な変更で      あるうえ、申立人らに保障される上記権利の侵害が問題となる。それだけ      に、申立人らの意見表明権、参加権に対し、相手方は強い重視義務を負っ      ており、申立人ら生徒の意見表明については、事前に問題状況がわかるよ      う資料なども提供して説明を尽くすとともに、生徒らがこの問題について      じっくり検討できるだけの充分な予告期間をおき、さらに生徒らの意見表      明、参加の機会を十分保障し、その意見表明に対して丁寧に応答・説明し、      出された意見表明を十分に尊重・重視すべき義務があった。     ��~蠎衒�凌塾�佑蕕紡个垢訖邑⊃��       相手方は、前記のとおり、職員会議で生徒の意見をも聞くべきとの意見      が出された後の2001(平成13)年12月に至って、初めて同年度卒      業式での「君が代」実施につき生徒との意見交換会を開催した。       これは、1月に入れば大学受験などのため学校に登校しない申立人ら3      年生にとって、意見交換会の時期として全く余裕のない状況であった。し      かも、相手方が意見交換会を実施した目的は「生徒が国歌斉唱の実施に対      して、どのような意見や考え方を持っているかを聞き、校長として実施に      向けての考えを説明し、理解を得ること」であり、相手方の発言は「君が      代」を実施したいので理解して欲しい、というものに終始した。さらに、      相手方は2001(平成13)年12月10日の生徒との2度目の意見交      換会に際し「これ以上の話し合いはしないということを前提に話をした」      と述べている。       このような相手方の申立人ら生徒への対応は、上述した意見表明の機会      保障義務、誠実応答及び説明義務、意見尊重義務という点において、根本      的な問題をはらんでいる。      ア) すなわち、相手方が生徒の意見を聞こうとした時期は2001(平        成13)年12月5日が最初であり、申立人らにとって殆ど時間的な        余裕がない時期になされており、そもそも意見表明の機会を十分に与        えたものとは言い得ない。         かつまた、相手方の意見交換会に向けた姿勢が、職員の意見を受け        て初めて意見交換会の開催を決めたことからも明らかであるように、        校長として「君が代」実施に向けて、自らの考えを説明するという手        順を踏むというもので、多数の生徒から「君が代」実施に反対の意見        が出されたことに対し、ひとつひとつ誠実に応答し、十分な説明をし        たとは認めがたい。         とりわけ、相手方が2度目の話し合いに際し「これ以上話し合いを        行わない」と言明したことは、生徒の反対意見にも拘わらず、自らの        結論を変える意思はなく、生徒にこれ以上の意見表明、参加の機会保        障は行わない旨態度表明したと受け取られるもので、生徒の意見表明        を真摯に聴いたうえで誠実に応答・対話するという姿勢を欠いていた        と言わざるを得ない。      イ) 上記のとおり、相手方は、子どもの権利条約12条により、生徒達        の意見を「適正に重視」(due weight)するとの作為義務を負って        いる。         この「適正に重視」の意味について、国連・子どもの権利委員会第        464回会合において議長をつとめたカープ委員(イスラエル)は、        日本政府に対する質問の中で次のようなコメントを行っている。          『子どもの意見を聴くということはその意見を本当に考慮に入れ         るということであり、それはまた、自分の意見が考慮に入れられた         という保証を子どもが与えられなければならないということなので         す。とくに、子どもの考え方が受け入れられなかった場合、子ども         の意見を聴いてその意見を尊重しなければならない人にとっては、         子どもに対し、その意見が受け容れられなかった理由を説明するの         が義務です。そうすれば、子どもにとっても、気に入らない決定を         受け入れやすくなるかも知れません。周りの人が自分の意見を考慮         してくれたということをまずは理解し、彼らには理由があったとい         うことを次に理解すれば、つまり子どもは合理的な人間だというこ         とです。こういう形で対話を作り出すことは、子どもの意見を聴く         という原則を本当に遂行する唯一の方法だと思います』(審議録         (2)237頁、「子どもの権利条約のこれから」エイデル研究所         218頁以下、中川明・前掲論文253頁)。         このような見地から相手方と生徒との話し合いの内容を検討すると、        上述したとおり、相手方は、職員会議で意見が出された後の2001        (平成13)年11月26日になって、突然生徒の意見を聴取すると        の文書を配布し、12月5日と12月10日の2回に限り生徒からの        意見聴取の場を設定したものの、それ以後の聴取を打ち切った。この        ような相手方の対応は、「君が代」の実施に反対する生徒らの意見や        疑問に対し、ひとつひとつ誠実に正面から検討し考慮したとは認める        ことができない。したがって申立人ら生徒は「自分の意見が考慮に入        れられたという保証」を与えられてはいない。         さらに、生徒と相手方との質疑を見ると、たとえば、生徒が「卒業        式で君が代を流されることにより、意見表明を強いられることとの矛        盾」を指摘したことに対し、相手方は「意見表明を強制と感じる人は        克服して欲しい」と返答している。生徒が強制による人権侵害へのお        それを指摘しているのに対し、相手方の返答は、人権侵害があったと        しても「克服」つまり「我慢して欲しい」というものであって、教育        的な見地からも、真摯に生徒の意見を聞き、生徒らの見解を採り得な        い理由、自らの見解を変えない理由について応答したとは到底認めが        たい。このように、相手方は申立人ら生徒に対し、「君が代」を実施        したいとの理由について生徒が十分納得できるような説明を尽くした        とはいえず、「対話を作り出す」という中で結論を導くあり方ではな        かったと認められる。         このような状況であるため、申立人ら生徒らは、相手方の実施した        いという意向に「理由があったということを」理解する状況には至っ        ていない。         以上から、相手方は申立人ら生徒の意見を「適切に重視」したとは        言えないものと認められる。      ウ) ところで、相手方は、2001(平成13)年12月10日で生徒        との意見交換会を打ち切ったうえ、12月13日には「卒業式におけ        る国歌の取り扱いについて」との文書を全校生徒に配布し「君が代」        を実施する旨の決定を通知した。         同文書には、「入学式・卒業式における国旗・国歌の扱いについて        は、現行の高等学校学習指導要領の特例を定める告示に基づき実施す        るものです」と記載され、その内容及び法的根拠に関する相手方の見        解が示されている。         しかしながら、同文書には、生徒との話し合いの中で、いかなるや        り取りがなされ、どのような判断に至ったのかという記述がなく、        「生徒の意見を聞いたりしてきましたが、この問題についての判断を        先送りにして、本校が国歌を実施しない学校として残り、そのことに        より、今後様々な面で本校職員、生徒が膨大なエネルギーを費やすこ        とを避けたいと考え、今年度の卒業式において国歌を実施することに        しました」と書かれているのみであった。生徒らの意見をふまえて、        相手方がどのように考えどのように結論を導いたのかについて、同文        書でも十分な説明・応答はなされていない。         以上のような相手方の「君が代」実施決定と生徒への告知は、上述        したとおり、生徒に対する誠実応答及び説明義務を尽くしているとは        認められず、申立人らに保障されている学校行事に関する意見表明権        及び参加権を侵害する行為であって、子どもの権利条約12条に違反        する行為である。      エ) 相手方の「君が代」実施決定直後の同年12月17日に、生徒有志        が「自分達の意見が学校長の判断に全く反映されていないのではない        か」との認識に基づき、「日の丸」「君が代」強制に反対する生徒大        会実現に向けての取り組みを開始し、12月25日の生徒集会で        「『日の丸』『君が代』の強制に反対する決議」の採決がなされ、採        決時まで残った生徒約400名中、「君が代」強制反対宣言に賛成し        た生徒が300名(反対18名、白票54、不明2)との採決結果に        至ったというのは、相手方が生徒に対する誠実応答及び説明義務を尽        くしていないことに対する、多数生徒の抗議意思ないし再度の意見表        明として理解される。         このことからも、相手方の「君が代」実施決定と告知は、上述した        ような申立人ら生徒の学校行事に対する意見表明権、参加権を侵害す        る行為と評価される。      オ) 相手方は申立人ら生徒に対し、2001(平成13)年12月25        日と2002(平成14)年1月25日にも、2001(平成13)        年度卒業式における「君が代」実施を告知しているが、いずれの告知        も、相手方の根拠のみを示し、生徒達に一方的に伝えており、生徒の        質問や意見を受け付けなかったというものであり、子どもの権利条約        12条にいう意見表明権、参加権を保障したものとは言い難い。これ        らの経緯からは、相手方が、卒業式の内容を決定する権限は相手方の        みにあり生徒は指導の客体である、との考え方を有しているのではな        いか、と思われ、そうであれば妥当でない。      カ) ところで、相手方は、学習指導要領が生徒の意見表明権、参加権を        制約すべき「public order」になるのではないか、と主張している        ので、この点についても検討する。         子どもの権利条約上、「public order」すなわち「公の秩序」が        規定されているのは、13条の表現の自由、14条の宗教または信念        を表明する自由に関してであり、12条は前記のとおり「子どもの影        響を及ぼすすべての事項」に関する意見表明権、参加権を保障し、        「public order」との制約原理を掲げていない。審理経過の中で、        アメリカは「『効果的にかつ非暴力的に(effectively and        nonviolently)』意見を表明するとの修正案を提案したが、他の国        から、子どもは人権規約やその他の法的文書において個人が享受する        自由に匹敵する程度の自由を持つべきであると指摘され、意見表明に        制限を加えないこととなった。さらに、カナダの提案により『意見』        の後に『自由に(freely)』が付け加えられることになった」との        経過がある(中川明・前掲論文244~245頁)。         したがって、相手方のこの点に関する主張は失当である。        因みに、13条、14条にいう「public order」は、国際人権規約        B規約18条(思想、良心及び表現の自由)、19条(表現の自由)        にも同じ表現が用いられ、その意味は「民主的社会がそれに依拠して        おり、人権尊重に合致する、普遍的に受け入れられている基本原則」        と理解されている(宮崎繁樹「解説国際人権規約」日本評論社218頁)。      キ) さらに、相手方は「君が代」の実施に対する申立人らの反対意見を        考慮して「君が代」の実施を行わないことが、「君が代」を歌いたい        人の権利を侵害することになる、との趣旨の主張を繰り返し行ってい        る。         しかしながら、そもそも人権規定は、国家機関ないし公的機関の個        人に対する人権侵害行為を規制するために規定されている。本件では、        公務員たる相手方の「君が代」実施決定と告知という行為が申立人ら        の人権を侵害するか否かが問題となっている。そして、申立人らが人        権侵害を主張している人権は、子どもの意見表明権・参加権という、        国家や公的機関による侵害が許されない基本的人権である。         したがって、相手方が「歌いたい人の人権」を根拠に申立人らの権        利を侵害することは許されず、この点に関する相手方の主張も失当で        ある。      ク) 以上のとおり、相手方の「君が代」実施決定と告知は、卒業式の内        容を決定する過程において生徒らに意見表明、参加の機会を十分に与        え、その意見を何度も時間をかけ十分聴取したうえで、生徒らに対し        ひとつひとつ誠実に応答し、かつまた納得されるような説明、告知を        したとは言えず、申立人ら生徒の意見表明権、参加権を「適正に重視」        したものとは認められないため、子どもの権利条約12条に違反する        行為である。        したがって、相手方は、今後も十分な時間をかけて、さらに生徒達の       意見にし誠実に応答し、じっくり丁寧に話し合う場を重ねることが、子       どもの権利約12条に照らし、必要不可欠であると考える。  3 問題点②について    問題点①で検討したとおり、相手方が、上記のような経過の中で2001(平   成13)年度卒業式における「君が代」実施を決定し、申立人ら生徒に告知した   ことは、子どもの権利条約12条に違反している行為である。    したがって、相手方が、子どもの権利条約12条違反の違法状態を解消しない   まま2001(平成13)年度卒業式において「君が代」を実施することは、そ   の形態がいかなるものであっても、①で詳述したとおり、子どもの意見表明権、   参加権を侵害する行為と判断されるので、問題点②について改めて検討するまで   もなく、別紙勧告書のとおり勧告するのが相当である。 第5 結論   以上のとおりであるから、当会としては、冒頭【結論】部分記載のとおり人権侵  害の事実を認定し、貴殿に対し、別紙勧告書のとおりの勧告を行うのが相当である  との結論に至った。                                     以上 ────────────────────────────────────── 注①) また、子どもの権利条約採択10周年を記念した国連高等弁務官事務所と子    どもの権利委員会の共催で開かれた国際会議では、子どもの意見表明及び参加    を支援すること、「子どもが意見を表明し、かつとくに学校、地方組織、NG    O及びメデイアを通じて大人と関わりあうための効果的な余地及び機会を制度    化するための投資が必要」と述べられ(平野裕二「子どもの権利条約採択10    周年記念国際会議」季刊子どもの権利条約6号62頁)、「見せかけ」でなく    「市民として」子どもの参加権を位置付けることが重要と指摘されている(日    本教育法学会子どもの権利条約特別委員会「提言【子どもの権利】基本法と条    例」三省堂135頁、ロジャー・ハート「子どもの参加―見せかけから市民と    して」9頁)。 注②) 日本では、一般に批准・発効した条約は非自動執行的条約でない限り、特段    の立法措置を必要とせずに国内法的効力を持ち(selfe-executing)、国の    法体系の中に位置付けられる。そして、条約と国内法との効力関係は、憲法と    の関係では憲法が優位に立ち、法律との関係では、条約の国会承認や憲法98    条2項により条約が優位するとの考え方が、政府・裁判所・学説に共通した認    識である。 注③) 子どもの権利条約は、「『参加する』ことと『学習する』こととを統一的に    とらえるものであり、それを基本にして子どもの教育と文化への権利を位置付    けている・・・つまり、参加と学習を統一的にとらえ、参加を前提とし、参加    を目的とするような学習を子どもに保障することこそが教育の課題であるとし    ている。・・・その意味では、本条約は1985年ユネスコの次のような『学    習権宣言』を引き継いでいるといってよいでしょう。『学習権とは/読み、書    きの権利であり、/質問し、分析する権利であり、/想像し、創造する権利で    あり、/自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、/個人及び集    団の力量を発達させる権利である。/・・・学習行為は、あらゆる教育活動の    中心に位置付けられ、人間を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身    の歴史を創造する主体に変えていくものである。』     ・・・このように見てくると、子どもの権利条約は日本の教育・学校にたい    して二重三重に学習観・価値観を転換することを要請しているということがで    きます。」との指摘は、教育の場における意見表明、参加権を考える際、極め    て重要である(竹内常一「学習観の転換と子どもの権利条約」・三上昭彦ほか    編「子どもの権利条約実践ハンドブック」旬報社・34~37頁)。 注④) たとえば、特別活動の教育活動としての意義について、「実際の生活経験に    よる学習、すなわち『なすことによって学ぶ』ことをとおして、全人的な人間    形成を図るという意義」をあげ、さらに、「特別活動における生徒の集団によ    る活動そのものの持つ意義」として、「単なる遊び仲間の集団ではなく、集団    の成員間に一定の目標があり、それを達成するために、生徒自らの手で活動の    計画を立てて実践していく集団」において、「各成員は、相互に協力するとと    もに、個性を発揮し合って目標を達成することが大切」であるとされ、「この    ような活動は、創意工夫の余地が広いので、学校生活の全般にわたって生徒の    積極的な意欲を育てるための適切な機会になり得ることにも注目する必要があ    る」と位置付けられている。     そして、指導に当たる教師の留意点として、「教師と生徒及び生徒相互の人    間的な触れあいを基盤とする指導であること。」「生徒の自主的、実践的な活    動を助長し、常に生徒自身による創意工夫を発揮させるようにしどうすること」    などが列挙されている。 注⑤) アメリカ・ドイツの判例など    1 日本では正面からこれを論じた裁判例は存しないが、アメリカでは、とり     わけ国旗への敬礼などの問題、公立学校での宗教に関わる活動が裁判となり、     いくつかの連邦最高裁判所の判断が示され、今なお判例法として効力を有し     ている。     � 々餞悊紡个垢觀瀕蕁γ蘋燭箸いμ簑蠅砲弔い董∀∨�嚢盧曚�■隠坑苅�      年6月14日、次のように判断している(バーネット事件)。       「自由な公教育は、世俗的教育と政治的中立の理念に忠実たろうとする      なら、いかなる階級・宗派・政党・党派にも敵味方してはならない。」      「青少年を良き国民に教育しようとするなら、まさにそのゆえに個人の憲      法上の自由の保障に気を配らなければならない。自由な精神をその権限に      おいて圧殺せず、また青少年が政府の重要な諸原則を無視しないように教      育しようとすればである。」「もしわれわれの憲法上の星座に確たる星が      あるとすれば、それは・・・いかなる公務員も、政治、ナショナリズム、      宗教あるいはその他の見解に関することにおいて、何が正当(orthodox)      であるかを指図することは出来ず、また市民に対して、言葉ないし行動に      よって、その信念を告白するよう強制できないということである。・・・      われわれは、国旗への敬礼と宣誓を強制する地方当局の行動は、その権限      に関する憲法上の限界を越え、合衆国憲法第1修正がすべての官憲のコン      トロールから保護することを目的とする、知性及び精神の領域を侵害する      と考える。」「権利章典の目的は、特定の事柄を政治的な争いから取り出      し、多数決や官憲の射程外に置き、それらを裁判所によって適用される法      原理として確立することにある。生命、自由、財産、自由な言論、自由な      出版、礼拝及び集会の自由に関する各人の権利ならびにその他の基本的な      権利は票決に服従せしめられてはならない。」「言うところの『自由』は、      『基本的ないし優越的自由』(fundamental or preferred freedom)      と『通常の自由』(ordinary freedom)とに区別できる。宗教の自由は      前者に属し、後者の自由としては例えばドライブの自由などが挙げられる。      『通常の自由』は、州の側に一定の正当な理由があれば、これを規制ない      し制約することが可能である。しかし、『基本的な自由』にあっては、州      が『止むに止まれない必要性』(compelling need)を有していることを      証明した場合に限り、これに対して規制を加えることができる。本件の場      合、『エホバの証人』に国旗敬礼を要求する、州の『止むに止まれぬ利益』      は存在しない。・・・かくして彼らの宗教上の基本的な自由の方が優位す      る。」(江波遼「アメリカとドイツの国旗国歌法制」季刊教育法121号      44頁以下。下線は当会で付した。)     �◆,泙拭���羈惺擦梁感伴阿砲�韻覽��亡悗掘▲▲瓮螢�∨�嚢盧枷�      決は、      「州の公務員が中等教育機関の卒業式における宗教儀式の遂行を指揮し、      宗教儀式に反対する生徒にとっても、それへの参加が、明白で実際的な意      味において義務的であったことである。・・・憲法は最低限、政府が何人      をも宗教を支持し、あるいは宗教活動に参加するよう強制してはならない      こと、を保障している。本件で問題となった学校での祈祷への州の関与は、      この核心的原理に反する。・・・このような事情の下で憲法違反を認めな      いとすれば、反対者を祈祷に参加するか異議申立てをするかのディレンマ      に立たせることになる。大人についてこのような選択が認められるか否か      はともかく、州が初等及び中等教育機関の生徒をこのような立場に置くこ      とは許されない。・・・十代の生徒にとって高校の卒業式に出席しないと      いう選択肢が現実にあると主張するのは極端な形式論である。」      として、生徒をかかるディレンマに置くことが憲法に違反する旨判断した      (長谷部恭男「公立学校卒業式での祈祷―Lee .Weisman,112S.Ct.2649      (1992)」ジュリスト1022号165頁以下。下線は当会で付した。)    2 ドイツでは、1949年の西ドイツ国家成立と共に、黒・赤・金の三色旗     がボン基本法により国旗として復活したとの歴史を持っている。また、「国     歌」については、いかなる意味でも法規性を欠くというのが憲法学の一般的     な理解とされているとされ、特段の裁判例は存在しない。     � ,海里燭瓠▲疋ぅ弔粒惺擦如��惻亜β感伴阿砲�い董�餞忞�餡里��      いられることはまずないとされる。       むしろドイツでは、同質の法的争点をもつものとして、公立学校でのお      祈りなどへの参加強制の可否が議論され、1979年に連邦憲法裁判所の      判断が示された後、現在学説・判例上次のように解されている。       各州は、憲法7条1項に基づく学校公権の範囲内で、公立学校において      『お祈り』を実施することが出来る。しかし、それは正規の教育活動とし      て、すべての生徒に参加を強制するものであってはならない。任意参加を      原則とし、それに参加するか否かは生徒・親に決定権がある。事実上、生      徒が参加に追い込まれることも許されない。参加を望まない生徒・親には、      参加を回避できる方途が講ぜられなければならない。学校側の法的ないし      事実上の参加強制は、生徒・親の「信仰の自由」、「良心の自由」および      「親の教育権」を侵害し、違憲である。(江波遼「アメリカとドイツの国      旗・国歌法制」季刊教育法121号43頁以下。下線は当会で付した。)     �◆,泙拭���惺擦龍擬爾坊任欧蕕譴申住擎佑量簑蠅亡悗掘■隠坑坑鞠��      月16日、連邦憲法裁判所は、以下のような決定を出している。       「基本法4条1項は、ある信仰を持つ自由だけでなく、『自分が関わら      ない信仰行為から離れる自由も含んでいる。』さらに、同条からはさまざ      まな宗教からの国家の中立の原則が導かれる。・・・一般的な就学義務に      伴い、教室における十字架は、生徒が授業中、国家によりかつ不可避的に      この象徴と直面し、十字架の下で学ぶことを強要することになる。・・・      十字架は特定の宗教の象徴であり、キリスト教に影響を受けたヨーロッパ      文化の現れではない。」「キリスト教宗派の学校でないかぎり、公立の義      務教育学校での十字架の設置は、基本法4条1項に反する。」「積極的信      仰の自由は、あらゆる宗教を信じるものに保障されている。しかし、信仰      の自由の基本権こそ少数者を保護しようとするものであるから、この自由      に関わる紛争は多数決原理によって解決すべきものではない。学校が宗教      の授業、学校の祈り等の宗教的な行事を行う場合、任意性の原則を考慮し、      差別にならないように配慮しなければならない。」(石村修「14 公立      学校における磔刑像(十字架)」ドイツ憲法判例研究会編 ドイツの最新      憲法判例・信山社98頁以下。下線は当会で付した。)    3 これらの判断は、本来、「人びとの心の問題について国家は中立性を保ち、     やみくもに出てきてはならない」(樋口陽一「個人と国家―今なぜ立憲主義     か」集英社親書58頁)という国家の価値中立性を示したものと理解される。      本件について検討する際にも、上記のような諸外国の裁判判例等が参考に     なるものと解される。      なお、中川明教授は、子どもたちの特定の思想に基づく行動を強制されな     い権利、を考える場合、空間や状況、場との関係が極めて重要であることを     指摘している。すなわち、卒業式という空間・状況・場は、申立人ら卒業生     にとって参加しないと選択することが実際上不可能ないし極めて困難で、い     わば「囚われの聴衆」の立場におかれているため、そのような場で「君が代」     を実施するなら、「君が代」の強制に反対する申立人ら生徒を、上記判例の     ような「ディレンマに立たせる」危険性は否定できないことを指摘している。 ---------------------------------------------------------------------------- (別紙) 【2001年12月5日意見交換会時の主な質問・意見内容―相手方報告書より】  ○ 国歌斉唱をやるのは「学習指導要領」に書いてあるのと、南高だけがやらない   という訳にはいかないという2つだけなのか。  ○ 「学習指導要領」が絶対的なものなのか。子どもの権利条約や憲法に違反して   いるのではないか。  ○ 実施しない場合の職務命令の可能性や処分についてどうなのか。  ○ 「~しなければならない」とのことだが、指導と強制は違うのか。強制ではな   いと言っていながら、どうしてするのか。  ○ 意見表明権が子どもの権利条約に規定されているが、意見に対して判断ができ   なければおかしい。意見表明に対して、具体的な行動、内容となって表されるべ   きではないか。  ○ 子どもの権利条約が守られるのであれば理想の姿である。校長は崇高な行動を   すべきである。  ○ 職員会議は公開できないか。  ○ 強制に対して、歌う、歌が流れる、意思を表明させられることが強制であり、   耳をふさぐなど自分の表現をさせられる。「表現しない自由」もある。  ○ 国歌を歌う意義についてしっかり説明してほしい。 【相手方の主な応答内容】  ○ 君が代実施は最高裁判所の決定により、憲法違反ではない。  ○ 学習指導要領を実行する義務が学校長としてある。  ○ 学習指導要領に基づいて実施したい。  ○ 本校だけが特別に実施しないと言うことは難しい。  ○ 国旗国歌の実施の意義。  ○ 実施しても生徒に強制するものではない。  ○ 国歌の実施によって生徒の内心の自由が侵されるものではない。 【2001年12月10日 意見交換会時の主な質問・意見内容                 ―申立人(●)・相手方(○)各報告書より】  ○●日の丸・君が代を南高校でやる必要性を、納得するように考えて答えてほしい。   南高で卒業式をやる意義を答えてほしい。  ○ 学習指導要領等の法律や国旗国歌法などの話がされるが、我々には参政権がな   いため、子どもの権利条約で訴えるしかない。  ○ 憲法99条で公務員は子どもの権利条約を守る必要がある。日の丸・君が代に関   する最高裁判決は出ていない。政府が多数決によって決めた内容も憲法に反する   ものであり、今回の内容は憲法に反している。  ○ 校長先生の「国旗、国歌の意義について」の中で「アイデンティティのあかし」   の部分が納得いかない。  ○ 本校が最後の1校になった場合の指導強化や処分についてはどうなのか。  ○ 歴史認識中での「国旗、国歌が自然発生的に生まれてくる」とあることについ   ての認識の違いについて説明してほしい。  ○ 卒業式は学校側がやるのではなく、生地が自分達で決めていくものであり、自   主自律を掲げている南高の中では一番大切なことであり、決定は生徒に委ねられ   るべきである。  ○ 儀式的な中でも自主自律が生かされるべきである。先生方の指導や先生方が判   断を下すのは指導を越えている。  ○ 僕たちは学校を愛している。札南で友達と暮らせることが素晴らしい。他の学   校がやっているからといって、君が代を実施することはない。今ある自主自律を   くずしてまで実施することはない。校長先生も学校を愛してほしい。  ○ 校長先生は処分を怖がって自己保身で言っているのではないか。  ○ 法律云々、違憲立法審査権がいわれるが、僕たちには選挙権がなく、議会を通   して出来ない。裁判にかけようにもお金がない、そんな中で自分達に押し付けて   いるのは違憲だと言えないのは論理的に間違っている。  ○ 自分の意見表明権の中で「拒否」をする権利があり、校長先生は個人的な自分   の判断の意思表明を拒否された、我々の「意見表明権」を認めないのはおかしい。  ○●校長先生は意見表明権を認めるのか。(認める)それなのに、国歌が流され、   強制はしない、「内心の自由は保障する」とのことだが、意見表明権を認めてい   ながら、国歌を流されただけで自分の意思を表明していることになり、自己矛盾   である。  ○ 3年生は1回きりの卒業式である。卒業証書よりも大切なプレゼントを欲しい。   校長先生の人間的な良心に基づいた判断をお願いしたい。  ○●第3回の話し合いの開催を要望する。  ● 一人の人間としての意見が反映されない。人格を拒否されたこととなる。  ● 自分達の代で「君が代」を認めてしまうと、今後南高校の伝統が尊重されず、   変わっていってしまうのではないか。  ● 「日の丸」・「君が代」についての最高裁判断は出ていない。つまり、学習指   導要領の法的拘束力の根拠はない。  ● 公務員は憲法を守ることが最も大切なことであり、他者に何を言われようとも   守るべきである。  ● 覚悟を持って生徒を守り、処分を受けて欲しい。  ● 我々は一人一人が個人として話をしているのに、校長は名目で聞いているとい   う態度は失礼だ。  ● 自分の考えを言わず、真剣に意見を聞こうとしないのは校長と生徒という関係   ではなく、個人個人として捉えていない態度だ。  ● 「克服してくれ」という言い方を撤回して欲しい。  ● 教育者として真実を追求して欲しい。  ● 卒業式を気持ちよく迎えたい。  ● アンケートについての見解を聞かせて欲しい。  ● 前校長は生徒を理解してくれていた。  ● 卒業するのは自分たち。主役は自分たち。決まりを決めるのは役人。どちらを   優先するのか。  ● 校長先生の態度にうんざりする。  ● 卒業式での「国旗・国歌」の意義について明確な答えがない。  ● 近隣諸国に対しても「克服しろ」と言うのか。  ● 過去の影響も考えた上で判断すべき問題である。その上で意見を述べて正当に   判断できる権利がある。  ● 強制しないと言っても「君が代」が流されることで、何らかの問題は生じる。  ● 卒業式で実施されることで、恐怖感、嫌悪感を持つ人がいて、その人に「克服   しろ」というのは横暴だ。不快感を与えることが問題。  ● 国旗・国歌をやめて欲しい。  ● より多くの意見交換の場を持って考えを深めるべきだ。互いの立場・考えを明   確にして。  ● 校長の考えに基づく理由を明確に。  ● 先生の判断ではなく、我々がどう考えるのかということではないのか。  ● 先生が卒業式で教えるべき最も大切なことは、人間には尊厳が、良心があると   いうこと。人間にとって最も大切なものは何かということだと思う。 【相手方の主な応答内容】  12・5の応答内容に加えて  ○ 意見表明を強制だと感じる人は克服して欲しい。  ○●「話し合い」が平行線をたどり進展がみられないため、これ以上話し合いの場   を持つことはない。  ● 文部省・政府見解では学習指導要領に基づくやり方は違憲にならない。    自分の考え方は、それらと同様に違憲にはならない。  ● 処分は怖くない。しかし、やらない学校が減って1つ2つになってくると、大   きな可能性として教育委員会が校長に対し職務命令を出すかも知れない。  ● 校長が職員に職務命令を出さなければならないとしたら、マイナスだ。  ● この場で個人の考えを言うことはなじまない。  ● 南高校の自主・自律の伝統を認める。  ● 「君が代」実施は試練・課題として乗り越えてくれ。  ● 主役(生徒)の意見をすべて認めてそのとおりやるわけにはいかない。  ● 校長として官僚の指示・指導を破るわけにはいかない。その中で生徒の意見を   反映したい。  ● 学校経営をしていく中での決まりを重視する。  ● 不快感を我慢(克服)してやらなければならないのが現実社会。  ● 互いの憲法解釈であり、それが崩れると自分は憲法に反する意見を言っている   ことになる。  ● 意思表明の強制はしない。しかし、卒業式の国旗・国歌の場合は一定の判断が   出ているので、その上でやっている。  ● 拒否する権利は認める。  ● 国旗・国歌を卒業式の場でやることは表明を強制することになり矛盾する。   (「自己矛盾を認めるのか」に対し)鋭い質問ですね。表明の強制はしないが、   国歌の斉唱に関しては根拠があり、憲法違反ではない。  ● 意思表示の強制はしない。内心の自由は保障する。  ● 国歌を流すか流さないか、立つか立たないか、というとことの強制の解釈につ   いては迷っている。  ● 課題を克服して、一連の流れの中で実施しようとしている。  ● できることなら他の学校でやっているようなスタイルで臨んで欲しい。お願い   をしている。  ● テープを流すことで、意思の表明の強制になるとは思っていない。  ● 先ほどの矛盾については勉強してみたい。  ● このまま続けても間違ったことを言うかも知れないのでやめたい。                                     以上 当事者から提出された資料一覧 Ⅰ 申立人から提出された資料一覧  1 2001年12月5日付南高新聞(アンケート結果)     新聞局  2 生徒手帳(生徒会会則 第8章 第42条)       生徒会  3 2001年12月5日意見交換会用の資料          教職員  4 2001年11月26日入学式・卒業式での国歌斉唱に関する意見等について 相手方  5 2001年12月7日国旗・国歌の意義について       相手方  6 2001年12月13日校長先生との話し合いについて     生徒会執行委員会  7 2001年12月13日卒業式における国歌の取り扱いについて 相手方  8 2001年12月18日生徒大会開催のための署名のお願い   生徒大会発起人  9 平成13年12月19日の話し合いに関する意見書      生徒大会発起人  10 2001年12月20日発起人の活動について         生徒大会発起人  11 2001年12月20日先日行われた署名及びそれに伴う活動の目的について                              生徒大会発起人  12 2001年12月25日生徒大会議案書            議長団  13 2001年12月25日国旗国歌問題に関する活動報告     生徒会執行委員会  14 2001年12月25日生徒大会の進行について        議長団  15 2001年12月25日生徒大会の入場について        生徒会執行委員会  16 2001年12月24日生徒大会前日業務、生徒大会当日の流れ 議長団  17 生徒大会規約・生徒会組織図  18 2002年2月2日「人権救済申立に関する総資料」と題する報告書 申立人一同  19 2002年1月17日発起人活動報告            生徒大会発起人一同  20 2001年12月25日付南高新聞(生徒大会開催へ)     新聞局  21 2002年1月25日生徒集会報告             元生徒大会発起人  22 2002年2月12日付申立人代理人意見書         申立人代理人  23 意見交換会時の録音テープ3本            申立人代理人 Ⅱ 相手方から提出された資料一覧  1 2002年1月15日人権救済申立に関する「回答の要旨」の送付等について 相手方  2 2002年2月6日付「事務連絡」補足資料に関する文書  相手方  3 2001年6月16日付南高新聞              新聞局  4 2001年11月29日卒業式に関するアンケート       新聞局  5 2001年12月5日卒業式における国旗・国歌に関する意識調査 生徒会執行委員会  6 12月7日入学式・卒業式での国歌斉唱に関する意見等について 相手方  7 2001年12月7日入学式・卒業式での国歌斉唱に関する意見等について  相手方  8 2001年12月7日国旗国歌意識調査集計結果報告     生徒会執行委員会  9 その他申立人からも提出された資料 調 査 参 考 資 料 1 子どもの権利条約・日本弁護士連合会レポート 2 中川明「子どもの意見表明権と表現の自由に関する一考察―            いわゆる「ゲルニカ」訴 訟の『意見書』から―」                      北大法学論集50巻2号・236頁以下 3 「子どもの権利条約のこれから」エイデル研究所 4 佐藤幸治「憲法・第3版」青林書院 5 芦部信喜「憲法学・人権各論・増補版」有斐閣 6 宮崎繁樹「解説国際人権規約」日本評論社 7 高等学校学習指導要領(平成11年3月版)大蔵省印刷局 8 兼子仁「学習指導要領の法的性質」ジュリスト別冊教育法判例百選312頁 9 市川須美子「新学習指導要領の法的検討」ジュリスト934号17頁以下 10 最高裁大法廷昭51年5月21日判決(旭川学テ事件)など 11 学校における国旗・国歌の指導と児童・生徒の内心の自由に関する政府機関見解や        国会答弁の内容(http://www.monbu.go.jp/news/00000373/2-1.htm) 12 国旗国歌法案提出に当たっての1999年7月14日付日弁連会長談話 13 日弁連の要望書、事件調査報告書(埼玉県所沢高等学校事件) 14 福岡県弁護士会の警告書(北九州市教育委員会事件) 15 広島県弁護士会の警告書(東広島市立高屋中学校事件) 16 江波遼「アメリカとドイツの国旗・国歌法制」季刊教育法121号43頁 17 長谷部恭男「公立学校卒業式での祈祷―Lee.Weisman,112S.Ct.2649(1992)」                           ジュリスト1022号165頁以下 18 石村修「14 公立学校における磔刑像(十字架)」              ドイツ憲法判例研究会編・ドイツの最新憲法判例 信山社 19 樋口陽一「個人と国家―今なぜ立憲主義か」集英社新書 20 永井憲一外「新解説子どもの権利条約」日本評論社 21 平野裕二「子どもの権利条約採択10年記念国際会議」季刊子どもの権利条約6号 22 日本教育法学会子どもの権利条約特別委員会                「提言[子どもの権利]基本法と条例」  三省堂 23 石川稔「児童の権利条約―その内容・課題と対応―」一粒社
(Web管理者記)
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