千葉県教育委員会 委員長殿
請 願 書
発行日:2001年2月14日(水)
(Web管理者記)
読みやすいように改行を入れるなどの整形をしました。子どもの権利条約について、
学習する必要があると思っていますが、特に教育行政にたずさわる人は、しっかり勉
強していただきたいものです。
2月23日の千葉県教育委員会会議に注目しましょう。
尚、下記請願書記載の「教指1929号」もお読みください。
「丸付き数字」は、「(数字)」に変換しました。
請 願 書
2001年2月14日
千葉県教育委員会 委員長殿
請願人 小金高等学校卒業委員会
委員長 住所氏名 印
東葛飾高等学校卒業式入学式対策委員会
委員長 住所氏名 印
「生徒、人間。」プロジェクト
(国府台、小金、東葛生徒有志団体)
代 表 住所氏名 印
その他別紙に10名
第一章 請願の趣旨
(1) 請願人は、平成13年1月5日に千葉県教育委員会(以後県教委と記す)教
育長より千葉県立国府台高等学校、小金高等学校、東葛飾高等学校(五十音順)
を含む県下九校の学校長にのみ出された「教指1929号」(以後職務命令と
記す)の撤回を求めます。
(2) 請願人は、県教委が千葉県立国府台高等学校、小金高等学校、東葛飾高等学
校(五十音順)で続いてきた学校自治の仕組みが教育の理想的な形であると認
め、侵害しないことを求めます。また、過去の「行き過ぎた平等主義や画一性」
から抜け出すために、教師(学校長、教頭も含む)と保護者と生徒が、対等な
関係で、話し合いによって個性のある学校を育んでいけるような環境の整備を
求めます。
(3) 「1997、1998年度の入学式、卒業式に絡み学校長(当時)、埼玉県
教育委員会、文部大臣(当時)に人権を侵害されたとして埼玉県立所沢高等学
校(以後所沢高校と記す)の在校生と卒業生合わせて189名が日本弁護士連
合会(以後日弁連と記す)に人権救済を申し立てていた問題(以後所沢高校問
題と記す)」で、日弁連が2001年1月26日付けで所沢高校や埼玉県教育
委員会が生徒の「意見表明権」と学校運営への「参加権」を侵害したとして、
今後二度とこのようなことが起きないように求め、「要望書」を提出しました。
請願人は、特に「国旗国歌」の教育現場での取り扱いかたを学校自治のありか
たという観点で見たときに、県教委がこのことを千葉県の教育行政にどう生か
していくのか、また今回の職務命令との関係をどう見ているのかということに
ついて県教委の明解な回答を求めます。
(4) 子どもの権利条約はその基本理念、「the best interests of child
(児童にとって最善の利益)」をまず考慮しなければならないと定めています
が、請願人は、正式な手続きを踏んでまとめられた「要望書」が職務命令によ
ってないがしろにされるということは、子どもの権利条約第12条で保障されて
いる生徒の「意見表明権」を侵害し、その基本理念「the best interests of
child」を無視していると言わざるをえないと考えます。このことについて、
県教委はどのような見解を持っていますか。明確な回答を求めます。
(5) 請願人は、本請願が議論される会議で、口頭による意見陳述を行うことを求
めます。
(6) 請願人は、本請願についての審議結果をその理由をそえて請願人に対し通知
することを求めます。
第二章 請願の理由
はじめに
私たちを取り巻く社会は転換期にあり、とりわけ世界的な情報化の波は私たちの
身近なところまで押し寄せてきています。新しい社会構造に合致する新しい教育が、
今まさに求められているのです。過去の反省をいかして、「命令より話し合いを」
という意識を持って、より自律した人間を育成できる教育に転換していくことを私
たちは求めます。
文部省(現在省庁再編により文部科学省に統合、当時の名称のまま記載)も平成
11年度教育白書(以後単に教育白書と記す)の中で、教育改革の必要性を認めて
います。その四つの「視点」は「心の教育の充実」「個性を伸ばし多様な選択がで
きる学校制度の実現」「現場の自主性を尊重した学校づくりの促進」「大学改革と
研究促進の推進」となっています。そして、改革を行うにあたって、教育白書では
「行き過ぎた平等主義や画一性からの脱却」を強調しています。また、平成15年
度から施行される新学習指導要領でも「自ら学び自ら考える力の育成(第一章 総
則)」を重視する姿勢を打ち出しています。
千葉県立国府台高等学校、小金高等学校、東葛飾高等学校(五十音順、以後三校
と記す)は文部省が改革の必要性を認識する以前から、個性や「自ら学び自ら考え
る力」を重視し、育成に努めてきました。これは教育基本法第1条、第2条の「生
徒の自主性を育み、自律性を養う」という理念に対して、常に真摯な姿勢で取り組
んできたことを表しています。
三校では、行事の企画運営段階から生徒が主体的に行動するなど、「自主自律」
「自由・選択と自己責任」を身をもって体験する場が保障されてきました。もちろ
ん、これは教師、保護者の理解と的確なアドバイス、助力によって成り立っている
ものです。
私たちは卒業式も、卒業生の高校生活の最後を飾る重要な行事だととらえ、生徒
の要望をもとに「要望書」を企画立案し、国府台高校では各ホームルームで議論、
採決、小金、東葛飾高校では生徒総会で審議、採決し可決されました。その後「要
望書」は職員会議にかけられ、審議の結果三校とも「要望書」が受け入れられまし
た。しかし、三校とも校長が職務命令が出ていることなどを理由に受け入れに反対
しています。
私たちは、生徒が試行錯誤しながら創り上げた自分たちの総意となりうる案を、
民主的な手続きを踏んだにもかかわらず、命令と言う形で一方的に破棄されかねな
い現状に強い危機感と激しい憤りを覚え、請願を行います。
命令より話し合いを
私たちがこの請願を行うにあたって、断っておかなければいけないことがありま
す。私たちは、単に「国旗国歌に反対」という立場から請願を行うのではないとい
うことです。三校は「卒業式に国旗国歌は必要か」という点で議論を重ね、「要望
書」をつくり、校内で定められたルールに則って生徒の承認を得て、職員会議で審
議にかけ、可決されたわけです。それが受け入れられていないということは、三校
がそれぞれに努力と苦労を重ねて培ってきた学校自治の仕組みそのものが否定され
たということに他なりません。だからこそ、私たちはこの問題を深刻なものととら
え、請願を行うわけです。
学校自治の仕組みとは、話し合うということです。生徒は生徒の立場から、教師
は教師の立場から、保護者は保護者の立場から意見をぶつけ合い、その過程でお互
いの理解を深め、意志の疎通を図るということです。学校の仕組みとして話し合い
を尊重しているからこそ、生徒間でも気兼ねなく自分の意見を言え、他の人の意見
をしっかり聞き尊重することが自然とできていくのです。
私たちは、このような学校自治の仕組みはこれからも必要不可欠になってくるも
のであるととらえ、今回の問題を学校自治の危機だととらえています。繰り返しま
すが、重要なのは「国旗国歌を実施するか、しないか」ではなく、学校自治の仕組
みを無視して、重要な問題が命令によって決められてしまうということなのです。
学習指導要領について
職務命令は学習指導要領をそのよりどころにしています。学習指導要領が法であ
るかないかは議論の分かれるところですが、仮に法であったとしても、憲法や法律
の下にランクされているものであることは疑いようがありません。そして、日本国
の最高法規、日本国憲法は第19条で「内心の自由」を公共の福祉を理由にしても
侵すことのできない権利として手厚く保護しており、生徒と職員の過半数が賛成し
た「要望書」を全く無視した内容が職務命令によって強行されることは、憲法の理
念に反しています。確かに生徒ならびに保護者は職務命令に強制されませんが、生
徒のため、特に卒業生のためにある卒業式に国旗国歌が強制されるということは、
私たちも束縛されるということです。
職務命令が出されるにあたって県の教育行政関係者は「反対ならば国歌を歌わな
かったり、起立しなかったり、退席してもかまわない」という趣旨の発言をしてい
るそうですが、生徒の半数以上が退席などの意思表示をしなければいけない卒業式
が何のためになるというのでしょうか。このような発言はまるで各学校で行われる
卒業式が、その学校の当事者のためではなく、教育行政、学習指導要領のためにあ
るかのように考えているのではないかという疑念を生じさせ、実に不快です。
また、そもそも学習指導要領では「その意義を踏まえ」国旗を揚げ国歌を斉唱す
るように指導するとなっておりますが、命令という形では生徒にその意義が伝わる
はずがありませんし、国旗国歌への愛着も深まるはずがありません。
上意下達と教育
また、先に述べたように、今回の職務命令は極めて一方的でした。国旗国歌問題
も含めて、卒業式のことを真剣に議論、検討していた生徒から話を聞くこともなく、
まさしく画一的に出されたものです。学校は教育行政において最も下層に位置して
いるのでしょうか。上から降りてきた命令だから従わなければいけないという理由
で、教育の場が動くことは正常なことなのでしょうか。
新指導要領が掲げる「自ら学び自ら考える力の育成」が教育の目標ならば、はっ
きりした理由を提示することなく、非民主主義的な上意下達に頼ることをやめ、個
々の学校に自由な裁量権を与え、個性的な学校を育むことが重要です。「命令より
話し合いを」重視する姿勢こそが「自ら学び自ら考える力の育成」につながるので
す。今回の職務命令は堂々と正面から生徒に向き合えない教育行政の問題点を浮き
彫りにしています。
教育行政が所沢高校問題から学ばなければいけないもの
1994年、日本国は子どもの権利条約を批准しました。条約は前文において
「児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであ
り、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神ならびに特に平和、尊厳、
寛容、自由、平等および連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し」
と述べ、第14条では「内心の自由」を保障しています。つまり、基本的には子ど
もは成人と同等の権利を有することを認めているのです。もちろん、子どもはまだ
まだ未熟であり、発育段階に応じて、父母もしくは周りの大人の助けを借りなけれ
ばいけませんし、適切な指導監督を受けるべきであるとも記載されています。しか
し、それはあくまで子どもに保障された権利です。そして、義務教育を修了しあと
数年で成人する私たちは、高度な問題についても、自ら積極的に考え、自分の意見
を表明する必要があり、権利があるのです。しかし、実際の教育行政は必ずしも子
どもの権利条約の理念を理解し、実行しているとは言えない状況にあります。
そんな中、所沢高校問題で日弁連が出した「要望書」の内容はまさに画期的でし
た。「要望書」は「従来所沢高等学校の学校行事の決定過程に参加してきた所沢高
等学校の生徒ら及び生徒会に対し、卒業式への日の丸・君が代の導入については、
(中略)生徒らの意見表明の機会を否定し」と不文律であった所沢高校の学校自治
の仕組みを慣習法的なものと認め、それを否定した当時の校長が生徒の「意見表明
権」と学校運営への「参加権」を侵害したと結論づけているのです。私たちの学校
では、生徒と教師の意見が対立した場合には協議することが生徒会規則に盛りこま
れているなど、三校とも明文化された学校自治の仕組みを持っており、それが否定
されるということは、所沢高校問題以上に、「意見表明権」「参加権」が侵害され
ていると言えます。
県の教育行政は子どもの権利条約の理念と日弁連の「要望書」の持つ意味をよく
理解し、私たちの権利を尊重して、話し合いによって物事を解決するという姿勢を
とるべきなのです。
同時に、今回校長が態度を硬化させたことの発端には職務命令があり、その点に
おいて三校が置かれている状況は所沢高校問題のときとは少し違っています。校長
は職務命令によって私たちの「意見表明権」を、また子どもの権利条約の基本理念
である「the best interests of child」をも考慮することができません。
このような状況に校長を追いこむ職務命令を出した県教委教育長は、子どもの権利
条約第3条および第12条に抵触しています。
本当の個性を育てる教育を創るために
繰り返しになりますが、私たちが問題にしているのは、生徒が創り上げた「自主
自律」の結晶である要望書が、職員会議で通ったにもかかわらず、校長の一存で破
棄されるかもしれないということなのです。生徒が「自ら学び自ら考え」て創り上
げたものが十分な説明もないままスクラップにされることなのです。これは単に
「国旗国歌を卒業式で実施するか、しないか」の問題ではありません。教育行政の
トップである文部省が示した「個性を伸ばし多様な選択ができる学校制度の実現」
「現場の自主性を尊重した学校づくりの促進」という基本方針に明らかに反した行
為が堂々と行われ、教師(校長、教頭も含む)と保護者と生徒が、対等な関係で話
し合って、学校の意思を決定するという理想的な環境が崩壊する危険性があるとい
うことなのです。「命令より話し合いを」と私たちは強く願います。
そのためには、本物の個性、キャラクターというものを受け止められる器の大き
さが求められています。個性、個性と言いながら、最終的には命令によって従わせ
ていては、本物の個性は育ちません。自主性を尊重するといっておきながら、私達
が意にそぐわないほうに向かったとたんに頭ごなしに怒鳴りつけるのでは、萎縮し
てしまうばかりで、何を考えているのかわからない子供に育つだけです。意見が対
立しているのならば、命令ではなく、話し合うことによってお互いの溝を埋めてい
けばいいのではないでしょうか。それが本当の教育ではないでしょうか。
以上を理由に、上記第一章で挙げた六項目について2月23日に行われる県教委の
場で十分な議論が行われることを求め、請願いたします。なお、上記第一章(5)につい
て、子どもの権利条約で第12条2項は子どもの「聴聞される権利」を保障していま
す。この条項に基づいて、本請願が議論される会議で、口頭による意見陳述を行うこ
とを求めます。
(Web管理者記)
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