所高生の自由と教育を考える委員会だより
発行者:所高生の自由と教育を考える委員会
発行日:2001年1月30日(火)
所高生の自由と教育を考える委員会だより
所沢高校PTA
所高生の自由と教育を考える委員会発行
2001.1.30
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学習会『開かれた学校とは―千葉県立小金高校に学ぶ―』報告
昨年11月26日、千葉県立小金高校教諭の鈴木顕定さんをお迎えし、「学校の内
にも外にも開かれた学校」を実践している小金高校の自治、「生徒・教職員・保護者」
三者による学校づくりについて、その柱である三者会議がどのように作られていった
のかを中心にお聞きしました。それは、親の学校参加の実現に向けた貴重な試みであ
り、どこまで親が学校教育に関わることができるのかを示した一つのモデルとも言え
るでしょう。小金高校は、伝統的に自主・自律の校風があり、生徒の自治も確立され
ています。いろいろな面で所沢高校との共通点も多い学校です。学校評議員制度の導
入も近いと言われている現在、小金高の取り組みを知ることは、所沢高校のこれから
を考える上でも学ぶところが大きく、貴重な学習会となりました。
* * *
鈴木先生は小金高校での生徒・父母の学校参加の過程を、(1) 運動の時期(199
4〜95年度)、(2) 制度化の時期(1996〜98年度)、(3) 変容の時期(19
99〜)の3期に分け、その中でも特に一連の学校改革の基盤が整っていった199
5年度を、「運動の発展の時期」と位置づけ、次の5つに分けて性格づけています。
(1) 小金オープンスクールの開設(学校を内から開く) (2) 四者会議の復活と制度
化(学校を内から変える) (3) 校長の出張旅費の情報公開裁判へ(学校を外から開
く) (4) M教諭の不当配転の民事裁判へ(学枚を外から変える) (5) 「公開と参
加」に基づく学校改革の開始。今回は、その中でも小金の「生徒・父母の学校参加」
の一番重要な柱となっていく(2)の「四者会議の復活と制度化」、即ち“三者会議”
の誕生と発展について、またそれと時期を同じくして始まった(1)の“オープンスク
ール”について特に詳しくお話いただきました。
1.三者会議の誕生と発展(定着)の経過
小金高での三者会議がどのように作られ、発展していったのであろうか。それは、
はじめから一足飛びに作られたものではなく、運動を続ける中での自然の成り行き
として、三者会議の定着につながったのである。
◆小金高での三者会議とは?
「小金高校は自主自律の校風の下で、教職員、生徒、保護者がそれぞれ自主的
に活動するとともに相互に尊重する関係が築かれてきました。ことに1995年
から1997年にかけての卒業式をめぐる三者の話し合いの過程で、教職員の教
育権だけでなく、生徒の自治権と意見表明権、親の教育権とそれに基づく学校教
育への参加権を認めあいながら、相互の恒常的な情報交換と相互理解のための場
として三者会義が定着するようになりました。それにともないPTA常任委員会、
職員会議、生徒総会でそれぞれ三者会議への参加が決定されました。」
(『小金高校三者会議の運営覚書 1997.2.l』・「成立に至る経過」より)
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以上が当時の資料に見られる三者会議の「成立に至る経過」である。93年に赴任
してきた花井校長が翌94年の入学式での日の丸掲揚をごり押しし、それに抗議した
教職員に対する事故報告書が県教委に提出されたため、父母を中心に「6人の教員を
処分させない運動」が始まった。小金高は、所沢高同様、生徒の自治が保証され、連
絡協議会も制度化されている。生徒の学校参加は既に尊重されていたが、保護者の学
校参加は自覚されていなかった。この運動を通して保護者が学校運営にモノ申す権利
があるのだということを実感として受け止め、学校教育における父母の教育権の自覚
が芽生えたようだ。
◆三者会議が制度化されるまで
学校の中から変える 【P・T・Sが対等に学校教育を創る】
(鈴木先生資料
「新しい学校文化を創る―千葉県立小金高校の運動 1994〜95年−」より)
1994年度
6月〜9月1日
6人の教員を処分させない運動
保護者の運動を原動力に教員の運動・同窓生の運動が盛
り上がった。その結果、事故報告書を書いた花井校長自
身も厳重注意を受けるという異例の結果となった。6人
の教員は、職員会議の決定を守れと校長に抗議した教職
員30余名のうち校長が事故報告書に実名を書いた者。
1月31日〜3月6日
卒業式をめぐり四者会議成立
管理職、教晩員、生徒、保護者の各代表が、日の丸掲揚
問題について話し合い、合意形成に努力した。花井校長
は日の丸を掲揚せずと言明。
3月8日
卒業式で一教員が日の丸を掲揚。
後日、校長がその教員に掲揚を働きかけていたことが発
覚。校長は卒業式や在校生に謝罪した。
しかし、校長が卒業生への謝罪を頑なに拒む。この問題
はPTA常任委員会の引継ぎ事項となった
1995年度
PTA常任委、生徒の傍聴を認めることを決定。
職員会議前に、P役員が卒業式についての生徒の意向を尊重する
ようにTにアピール。
2月〜3月
卒業式をめぐり三者会議成立
校長が話し合いを拒否したため、保護者・生徒・教職員
の各代表から成る三者会議となった。
2月17日のPTA常任委で三者会議の設置・参加を承
認。
3月8日
卒業式当日、校長が日の丸掲揚を図るが三者に阻まれる。
しかし、花井校長は卒業式後記者団に、日の丸を掲揚し
たと発言。
生徒会、花井校長の責任を追及する署名(70%)を集
め、県教委に提出。
3月16日〜30日
PTA、常任委で非難決議。
花井校長罷免決議のための臨時総会開催。
直前に校長の転勤が決定。民主的学校運営を新校長に要
望する決議を可決。
1996年度
4月18日
三者会議設置を職員会議で可決。管理職を含む教職員・保護者・
生徒の各代表から成る。決議機関ではないが、学校の諸問題に
ついて三者代表が話し合う場が制度化された。
95年度の卒業式終了後、三者での話し合いを卒業行事のことだけに留めず、学校
のいろいろなことを話す組織にしないかとPTA役員が提案、上に見られるように、
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95年2月に保護者が、続いて96年4月に教職員がそれぞれ三者会議の設置を可決、
承認し、その後同年12月の生徒総会で生徒の側でも承認され、こうして三者会議は
三者それぞれの場で制度化された。
◆制度化とともにマンネリ化
“何でも話せる、しかし 何も変わらない!”
こうして96年度に教職員、保護者、生徒の三者により制度化された三者会議は、
その後、年に3〜4回開かれ、授業への注文、ゴミ、盗難、保健室の問題など、多く
の議題が取り上げられ話し合われたが、必ずしも話し合いの成果が形になって現れて
こないというマンネリ化に陥りていった。そんな中で、三者会議を一番新鮮に受け止
め、喜んでいたのが保護者で、反対に一番面倒だと思っていたのが(おそらく)生徒。
生徒にしてみれば、保護者や教員から獲得すべき権利は既にかなり確保している。
(服装も自由、生徒会行事もほとんど自由)。言わば生徒の例のメリットは少なく、
三者会議を積極的に使う具体的な目標がない。教員もそれなりに対応するが、それだ
けのこと、という状況がしばらく続いた。
◆三者会議による新カリキュラム検討(変容の時期)
98年の三者会議で教員の側から2003年度に導入される新教育課程の検討を三
者会議でやりませんかと提案。これが三者会議マンネリ化の打破につながっていく。
特に、新しい試みの「総合的学習」については学校独自の自由な取り組みが許されて
おり、三者会議で検討できる余地がたくさん残されているのでは、と期待がかけられ
ている。この年度を通じて新カリキュラムを三者会議で検討していくことの方向性が
模索され、翌99年には、幅広い分野からの人材を招いた連続講演会や、教員に対す
る「授業アンケート」など、さまざまな実績が積み重ねられていった。こうして98、
99年度にかけて三者会議のあり方が新カリキュラム検討という柱で筋が通るように
なり、現在は三者を中心にそれぞれの持ち場で新カリキュラムを実現すべくうまく回
転し始めている。
◆これからは・・・?
「父母の学校教育参加のエネルギーが小金高校の学校改革の源であった」と、鈴木
先生は分析。そして、人事異動で毎年入れ替わっていく教職員集団がそのエネルギー
を学技運営に活用できるかどうかが、小金の“開かれた学校”をこれからもいい形で
維持できるかどうかのポイントと指摘する。「無関心な教員が増えていった時に、三
者会議そのものが立ち消えになっていく可能性もあるのでは」と危惧の念ももらされ
た。
2.小金オープンスクール(地域に開く公開講座)の試み
学校を内から開く
1994年2月に、神奈川県のある高校で保護者も参加した開放講座を開いてい
るという話を聞き、小金でも、ということになったのがオープンスクール開設のき
っかけ。現在、保護者と教員が3:2、または4:1ぐらいの比率で関わっている。
実行委員会形式で、基本的には学校とは関係のない別組。学校側は、立場としては
場所を貸しているだけ。現役PTAからも独立した組織としてPTAのOBが中心
になって運営されている。学蚊の中であまりきっちり位置づけてしまうとかえって
制約が多くなってやりにくい面も出てくるので、今の運営方法がちょうど良いので
は、とのこと。参加者は毎回延べ200人を超える。コンピュータ教室が一番人気
で、運営資金を支えている。参加費は大人300円、高校生以下150円。講師料
は、PTAの方(保護者)の場合は、無料でお願いしている。(外部の方で)講師
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料をお払いする場合でも、多くても1万円まで。広報活動は、校内でのPRの他、
市の広報、タウン紙、同窓会紙などに情報を掲載、同窓会紙に載せたことでOBの
参加者が増えた。1995年の8月に第1回を行ってから毎年春(3月)と夏(8
月)の年2回、これまでに11回ほど開催。テーマについては、 (1)情報 (2)国際
理解 (3)現代史・社会問題 (4)教育問題 (5)自然・環境 (6)自己表現の6つの大き
な柱が決まっており、それぞれ『はじめてのコンピューター』『アジアの人と交流
しよう』『もっと知りたい現代史』『親の教育参加』『自然・環境』『ェッセーと
手話』と題されたワークショップを行なう。毎回そのワークショップのテーマに沿
った講座内容と講演者を選び、6講座ずつ開かれている。
3.小金高・その他の取り組み
学習会の後半、質疑応答を繰り返す中で、小金高での次のようなさまざまな取り
組みについてもお話を伺うことが出来た。
◆一年生ディベート合宿
Q:ディベート合宿って何?
A:毎年1年生が2泊3日で行なうもの。以前は普通の討論の場だったが、ここ5〜
6年はもう少し形式を絞ってディべ−ト合宿を1年生の学年行事として行なってい
る。「小金はみんな話し合ってやっていくんだよ」ということをなるべく早い時期
から印象づけたい、ということが合宿をやる大きな意味。テーマは、社会問題から
演劇等などまで幅広い。95〜96年あたりは、日の丸・君が代についても取り上
げられた。生徒の個では「面倒くさい」という思いが先にたつようだが、あとにな
って、「あれはスゴイ、やってよかった」と気づくようだ。
◆生徒も関わった手作りの学校案内
Q:生徒もPTAも関わったメッセージ性の高い手作りのすばらしい学校案内が出て
いるが?
A:94年度までは学校説明会をやっていなかった。95年度からマスコミ等に出て
しまったこともあり、何かきちんと学校のことをわかってもらった方がいいのでは、
というのが作り出したきっかけ。学校説明会では、3分の2位を生徒会が説明。校
長、教頭はその前にほんの少し話すだけ。もともとはオープンスクール(95年、
8月)でやるつもりだったので、はじめからPが参加している。「PTA活動につ
いて」の項では保護者の学校参加権についてもきちんと書かれている。
〜おわりに〜
当日、小金の卒業生(96年度入学)も1人参加してくれました「自由すぎてやり
すぎてしまう面、自由のはきちがえもある」と、どこかの高校で聞いたようなセリフ
も聞かれましたが、「あの中にいた自分はすごく幸せな時間だった。卒業してからむ
しろ協議会や三者会議の重要性がわかり、すごい学校だったと今あら、ためて思う」
と語ってくれました。なお、三者会議の記録やオープンスクールの過去5年間の開催
テーマ、学校案内など、詳しい資料も出ていますので、関心のある方は委員会までお
問い合わせ下さい。また94〜95年の小金高PTAの熱いたたかいを克明に描いた
著書『おおらかに、自由の風よ―県立小金高校の熱い夏―』(稲沢潤子著、青木書店
1996)も出版されています。
担当:S・D / M・I / M・T 発行責任者:S・S(042-***-***)
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(Web管理者記)
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