TOKOROの森
学校評議員制度検討委員会
News
No.4
発行者:所沢高校PTA
発行日:2000年12月18日(月)
TOKOROの森
所沢高校PTA
2000.12.18 No.4
学校評議員制度検討委員会 News
12月2日に学習会を開催。
埼玉県鶴ヶ島市教育長・の
松崎頼行さんのお話に、
参加者一同、感心したりの
勇気づけられたり…の
とても有意義な時間でした。
12月2日(土)、第3回学習会は、保護者17名、教職員4名、生徒3名の参加。
鶴ヶ島市教育委員会教育長 松崎頼行さんをお迎えしてお話をうかがいました。
松崎さんは、もともと市職員として社会教育関連の仕事をなさっていて、市民参加
によるまちづくりを公民館活動の分野で積極的に推進していました。社会教育課長な
どをへて1994年に教育次長、2000年4月から教育委員会教育長に就任。前職
で行ってきた市民参加の視点を教育分野に生かし、鶴ヶ島市で「教育審議会」や「学
校協議会」という先進的なシステムをかたちづくって来ました。
以下にお話の要旨を掲載します。
☆☆☆☆ 学習会 ☆☆☆☆
海外では、
地域・生徒・保護者は
学校運営と
どう関わっている?
欧米4カ国を調査。
●パプアニューギニアの「共生・共存」に学ぶ
パプアニューギニアは750以上の部族で構成される多民族国家。ということは
750以上の言語・文化があるということ。しかし部族間に支配・被支配の歴史が
ない。
1975年、独立時の宣言文には「多くの部族の文化が連帯して国ができるのだ」
という意が盛り込まれている。連帯とともに各部族の自主性も最大限尊重し合う。
たとえば、森林伐採が始まったとき、伐採を推進しようとした部族に国がストップ
をかけた。が、国が頭から規制するのはいけない、部族の自主性を尊重すべきだ、
とういうことになった。すなわち「地方分権」。
別の例。学校まで遠くて時間がかかり、なかなか行けないような場所もある。そ
れへの対処として、小・中学校の教育年限を2年間延ばした。「子どもたちは学校
で学んで国づくりの力となってくれる存在。国づくりが2年遅れるだけ」という考
え方。ひるがえって日本はどうだろうか。
農耕にしても、ジャングルを切り開く事はしない。日本式の農耕の知識もあるが、
あえてしない。たとえばタロイモは畑を作らず、ジャングルのあちこちに植える。
非効率的に見えるが、ジャングルに生えている木を伐れば環境破壊につながる、と
いう考え。地元の人は「ここでは天災があっても餓死者は出ない」という。確かに、
世界史の中では、単作に頼った畑作から餓死者が出ている。歴史を知ることは、人
の生きざまを学ぶこと。
別の例。部族全員の写真を撮ろうとする。なかに身体の不自由な人がいる。写真
を撮る場所まで40分ぐらいかけないと来られない。しかし皆、その人が来ないと
写真が撮れない、と言う。その人が欠けると全員ではなくなるから。その人は自力
でやってくる。皆よけいな手助けはしない。自力で到着するまで待っている。そし
て皆で写真を撮る。
多様なものが力を合わせていかなければ、という理念が生きている。
●学校には市民参加の道がない!
そして生まれた「教育審議会」
最近、いろいろな自治体で、職員の出前講座などをやっていると思う。これは職
員自身も勉強になる。今まで職員だけでやってきたことを市民といっしょに考える
機会だ。そのとき「何でも話す」という姿勢が必要。市民からはいろいろな意見が
出ることと思うが、それが「批判」かどうかは、行政側が決める事ではない。
社会教育と学校教育には共通点がいろいろある。が、だんだん「おかしいな」と
思うようになってきた。
公民館では、運営への市民参加を制度的に保障してきた。各利用団体内で代表者
を選んでもらい、みんなで運営していく。スポーツ審議会や図書館運営協議会も同
じ。
学校はどうかと考えると、教育委員会にも、学校運営にも、市民参加の制度がな
かった。そこで、教育に関してもそういうものを作らねば、ということになった。
全国的に見ても教育審議会等を作っているところはなかった。市で教育審議会(=
教育への市民参加制度の一環。教育委員会の諮問機関)検討委員会をつくり、1年
半ほどかけて検討を行った。
検討委員会では、日本の教育の現状、教育行政は開かれているか、などいろいろ
なことを話し合った。担当者も、個人情報以外はすべて公開が原則、と様々な資料
を提出、それをもとに議論した。
そして一致したのが「子どもを中心にした教育改革を」という点。ともすれば、
子どもは管理の対象になってしまったり、親でさえ家で学校の管理の延長のような
ことをしてしまうが、それは子ども中心ではない。1985年、ユネスコが「学習
権宣言」を採択しているが、学習とは何か、また学習する権利とは何か、考えねば
ならない。
市教育委員会の広報誌に「子どもの権利条約」について連載している。よくこの
条約について「子ども自身が読んで理解できるのか」という疑問を呈する人がいる
が、この条約は、子どもの日常の声・叫びを文章化したもの。社会や大人が理解す
べきものなのだと思う。
●子ども中心の「開かれた学校」めざし
「学校協議会」制度をつくる
「開かれた学校」にするためには、まず「開かれた教育委員会」でなくてはなら
ない。5名の教育委員で勉強をはじめた。
1998年秋の高知を皮切りに、研修で各地に。高知では、地方議会などで改善
の決議がいくつもされている。また「土佐の教育を考える会」がとてもよい提案を
文章化している。いわゆる「保守的」な人々もだんだん現状がわかるようになって
きている。稚内「宗谷の教育運動」は、学校と地域、学校とPTAの結びつきを常
に考えながら展開している。沖縄・読谷村では平和のこと、地域のことを考える試
みがなされている。
市内の校長先生たちとは、約8ヶ月間いろいろ話し合い、合意に達した。そして
「学校協議会」をつくることになった。
しかしこれは「開かれた学校づくり」のひとつにすぎない。「開かれた学校」と
は、「子どもに」「保護者に」「地域に」「教師に」開かれたものでなければなら
ない。この推進のために必要なもののひとつが「学校協議会」だ。
鶴ヶ島の「学校協議会」は、国で言っている「学校評議員」制度とはかなり違う。
国の制度では校長の裁量権が大きくなっているが、これは学校自治を確立し、各学
校独自の運営を大切にするためのものであるべき。しかし、校長個人の権限だけ大
きくなり、評議員も校長の恣意で呼んで意見を聞いて、というような運用であれば、
開かれた学校が実現できるのか疑問。
鶴ヶ島の制度で国と違うところは、協議会は児童生徒・保護者・教職員・地域で
構成。委嘱は教育委員会ではなく校長が行う。会の召集は校長ではなく委員長が行
う。協議会が学校に建議ができ、調査・研究もできる、などの点。
●「学校協議会」の実際
この制度は始まったばかりだが、まだ各校で温度差がある。「教育的配慮が必要
な場合、子どもは入れなくてもよい」ということになっているが、個々の子どもや
先生などプライバシーが話題になったとき、子どもに適切な判断ができるかどうか、
現場で心配している、ということ。また、生徒参加を実施しているのはまだ半分く
らいの学校。だが、学校の違う保護者どうしの話などで、やっている学校のことを
知った親は「どうしてうちはまだやらないの?」などと学校に言うことになる。す
るとやっていない学校もやる方向になっていくだろう。
校庭の拡張について話し合った実例。子どもから「こういう遊具がほしい」「木
がほしい」などいろいろな意見が出る。工事費が最初の見積の倍ぐらいになってし
まった。すると地域の人たちから「じゃあ木はここから持ってこよう」などと話が
出て、発展してくる。効果としては、地域の人たちの学校への見方が変わる。先生
を批判するだけでなく一緒にやっていこうという姿勢に変わる。非行・学級崩壊な
どの問題解決への力になっている。
●「鶴ヶ島では、必要最低限のことを
やっているだけです」
鶴ヶ島市の教委でやっていることは特別なことではなく、本来やらなければいけ
ない最低限のことをやっているだけ。教委は最後まで子どもの味方だ、という姿勢
が必要。それは先生の味方だ、ということでもある。先生は、不完全でもどこかピ
カッと光るものがあればよいと思う。完全な人間はいない。不完全な先生が未完成
な子どもを教えるのだから、完璧はありえない。
●●●質問・懇談タイム(P=親、S=生徒)●●●
P 教育長が社会教育畑から出るのは非常に珍しい。ずっと学校教育畑にいる人
にはかえって見えなくなっていることがあるのかも。
P 校長先生と8ヶ月も話し合ったということだが、現場の抵抗感は、校長先生
のキャラクターに負うところが大きいのだろうか。
松崎 意見が違う人の中で議論を煮詰め、考え合う訓練が教育経験の中にない。真
っ向から市民とぶつかり合う経験が、日本の教頭・校長にはあまりにも少ない
のでは。だからとても心配なのだろう。教委が後押しし、PTAとも協力して、
長い時間をかけた合意形成が必要だろう。
自分が思っていないことを、立場上「上意下達」で言わなければならない、
そういう体質が一番問題。人間性すらも奪う悲しいこと。子どもたちはそれを
見てどう思うだろう。校長をそういう立場に追いやってはいけない。そうさせ
ないのが教育行政の役割。
P 新制度を取り入れやすいような、地域的な特徴が、鶴ヶ島にはあるのでしょ
うか。
松崎 社会教育の歴史が長い。日常生活権益として、家から直線距離で800m以
内に公民館がひとつある、という条件を整えてきた。他にもスポーツ、PTA
など何らかの形で地域の人々が互いに関わりを持っている。
P 今日は痛快なお話がうかがえて嬉しかった。県内で鶴ヶ島を見習おうという
動きは?
松崎 あると思う。ただ、教育長は議会で選任される。議会の勢力とも関連し、な
かなか大変な立場。教育長も個々に話すといろいろな人がいるが、圧力等もあ
るだろう。
P 文部省からの「国旗掲揚・国歌斉唱」通知や、法改正「職員会議の補助機関
化」への対応は。
松崎 「国旗・国歌」については、文部省から教委へ「学校へ下ろすように」と通
知がある。これに関し議会で正反対の質問が2つ出た。「通知を学校へ渡すべ
きではない」「教委は実施を指導せよ」という2つ。しかしどちらも学校自治
をおかす意見。学校自治は子ども・保護者・教師で行うもの。そこで「通知は
情報として渡す。しかし校長だけで決めず、子ども・保護者・教職員にはかっ
てください」と答えた。
職員会議は、お互いに合意形成していくことが大切。意見が並行しても最後
まで話し合い、一致しないものはしないままでよい。合意形成抜きでは教育的
効果がなくなってしまう。
また、校風は1年や2年でできるものではなく、これまで関わった人々の知
恵、汗、ケンカ、などの生きざまの歴史。それを大切にするのが教育だと思う。
P 東京都では「学校評価」を行っているようだが、鶴ヶ島は?
松崎 行わない。教師の評価も含め、多少の議論にはなったが。今は、教員を守っ
ていたものが、タケノコの皮のようにどんどん剥かれている状態。適切な配置
転換の制度など、教員を守る仕組みがないままで評価は行えない。そもそも教
育とは評価できるものなのだろうか。それをやったら、福祉も評価しなければ
ならなくなるのでは。
P 子どもの「参加」の様子は?
松崎 大人より子どもたちのほうが生き生きしている。「自分たちが必要とされて
いる」「一人前である」という意識が大きいようだ。大人は、子どもの発想の
すごさ(よくも悪くも)に感心している。
P 予算はついているのか。
松崎 ない。茶菓や謝礼を出すとかえって苦情が出るかも知れない、という雰囲気
がすでにある。万一の事故に備えて保険には入っている。
P 「あたりまえのことをしているだけ」というお話は納得。だが、自分の活動
の中で、県などと話しても、自分たちの力のなさを感じる。やはり県の担当者
などが変わらないとだめなのだろうか。
松崎 たとえば子どもの成長はどうだろうか。今すぐ変わらなくても、中学に行っ
たら、また20歳になったら、いやもっとあとに変わるかも知れない。すぐに教
育行政が変わるわけではないが、確実に力にはなっていると思うし、そういう
流れにもなっていると思う。
また、所沢高校のこれまでの活動は、皆さんが考えている以上に全国の人々
を勇気づけ、人々の学びになったと思う。高校生たちだけでなく、悩んでいる
大人たちをも励ました。なかなか結果が目に見えないのでつらいとは思うが、
すばらしいことだ。所高のことをきいて「私もがんばる」と言っていた子もい
る。
S 今の教育行政の中にこういう方がいるのはうれしい。
S いろいろな所でいろいろな人が頑張れればいいと思う。所高にどんなシステ
ムが必要か、まだわからないが、話を聞いていて、所高にもまだいろいろな可
能性があるなと思った。
S 執行機関は構造が複雑で動きにくい事もあると思うが、そういうところで頑
張れるのはすごいと思う。
P 教育長を公募している自治体も出てきている。確かに教育長しだいでかなり
変わる面もある。現行の制度の中ではあまり期待できないと思っていたが、こ
ういうことも起こるのだなあ、と。校長の権限が上に対して強まるのはいいが、
生徒や教職員に対して強まるだけでは問題。
終始おだやかな語り口でお話しくださった松崎さん。出席者一同、現行の
制度でもやろうと思えばいろいろなことができるんだ!と感心もし、また大
いに勇気づけられました。お話の端々に、実践者ならではのご苦労や気持ち
の強さが垣間見られ、とても得るものの多かった3時間あまりでした。
当日配られた資料を見たいとお思いの方は、下記の問い合わせ先(役員)
までご連絡下さい。また、鶴ヶ島市の教育行政に関心をお持ちでインターネ
ットを利用できる方は、下記のホームページをご参照ください。松崎教育長
の教育改革への思いをつづったコラムもあります。
鶴ヶ島市教育長さんを囲んで、"子ども参加"のナマの実態とご苦労などを
お聞きします。
鶴ヶ島市立教育センター ホームページ
http://www.cnet-sb.ne.jp/tsuru-c/
●お問い合わせは下記まで●
□□(所沢・3年)TEL042-xxx-xxxx
□□(飯能・2年)TEL0429-xx-xxxx
□□(新座・2年)TEL048-xxx-xxxx
□□(所沢・2年)TEL042-xxx-xxxx
(Web管理者記)
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