第17回口頭審理

意 見 書

岩下 豊彦

2000年12月13日(水)


(Web管理者記)
 【生徒の意見を尊重した学校運営】という項の上から5行目に「基本に据えている
からにほかなりません。」という記載があります。資料には「基本に据えているから
はかなりません。」とありましたが、口頭での陳述で「にほかなりません。」と述べ
られましたので、この個所は敢えて変更いたしました。

               意見書                                  岩下 豊彦  代理人の岩下と申します。私は、98年3月18日の入学説明会をはじめ、本件処 分にかかわったほとんど全ての場に竹永教諭と同席しており、現在竹永教諭といっし ょに3学年の担任をしているものです。主として、当日の竹永発言の正当性について 意見を述べたいと思います。 <第1 所沢高校の民主的学校運営>  まず、本件の処分対象となった入学説明会での竹永さんの発言が、どういう必然性 を以ってなされたか、いかに正当なものであったかを理解していただくため、改めて、 内田校長着任以前に確立していた所沢高校の民主的学校運営について述べることから 始めたいと思います。  所沢高校の教育活動の特色を簡潔に言えば、生徒の意見を尊重した学校であること、 様々な場面で民主的な学校運営がなされている点であると思います。こうした校風は もちろん一朝一夕にできたものではなく、長い年月を掛け、幾多の試行錯誤をしなが ら教職員・生徒が作り上げてきたものです。 【生徒の意見を尊重した学校運営】  さて、一つ目の生徒の意見を尊重した学校運営とは、つまり生徒の自治を大切にし、 制度としてもそれを保障してきたということです。たとえば、体育祭・文化祭といっ た行事を企画から運営まで文字通り生徒の力でやりきっています。近年、生徒の自主 性・自治能力の低下が取りざたされていますが、なぜ所沢高校ではこうした力が発揮 されているのでしょうか。それは、生徒の意見尊重を基本に据えているからにほかな りません。自主活動とは名ばかりで、教師の指示・命令で動かされているのでは生徒 が育つはずもありませんし、生徒の決定が尊重されなければ、意欲を引き出すことは できないでしょう。  もちろん、生徒の意見尊重とは放任ではありません。生徒が物事を決定していく際、 教師は必要な助言はします。しかし結論は生徒が出します。簡単なようですが、教師 には包容力と忍耐が必要となります。教師側の結論を押し付けてしまうほうがはるか に楽です。しかし、敢えてめんどうな道を選んでいるのが所沢高校なのです。  そのようにしても、なおかつ生徒と教職員の意見が食い違う場合があります。その 時に開かれるのが協議会というものです。具体的には、HR委員会や生徒総会の決定 を職員会議が否決した場合に開かれます。生徒代表10名、教職員代表10名で構成 される協議会では、双方の合意する新たな案を作り上げます。事柄によっては、合意 に至るまで述べ十数時間の話し合いが続くこともありました。時間的に言えば、はな はだしく非効率的であります。しかし、効率よりも話し合いを重視すること、教師の 意見を一方的に生徒に押し付けることをしないこと、このことが、所沢高校の生徒の 自主性をはぐくむ支えとなっているのだと思います。 【民主的学校運営】  二つ目の、民主的学校運営という点ですが、ここでは所沢高校の職員会議のありか たについて述べたいと思います。  所沢高校では、職員会議を「校務にかかわる事項を審議し、決定する」とした職員 会議規定を持っていました。いわゆる決定機関としての位置付けです。先月、県教育 委員会において改定される以前の県高等学校管理規則の運用と解説には次のようにあ りました。「学校経営の民主化は、戦後の教育の最も重視するところ」「職員会議に おいては、職員をして十分その議を尽くさせ、その意見は十分尊重して学校運営にあ たらねばならぬことはもちろんである。」こうした戦後教育の基本理念を学校運営に 生かしていたのが所沢高校なのです。  同様のことは、校内の様々な組織についても言えます。分掌の代表の互選、各種委 員会の公選といった、民主的な選出の仕方はもちろん、日常の会議の運営など極力民 主的になるよう留意しています。代表も特別な権限を持つのではなく、組織内の連絡 調整、あるいは意見の取りまとめといった役割を果たします。ですから、あの入学説 明会でも、そうした民主的システムに従って、1学年の代表である竹永さんは学年の 総意を代表して発言したのであって、個人的な意見でないことはいうまでもありませ ん。こうした民主的な学校運営は、教職員一人一人の参加意識・責任感を高める働き を持っています。校長の考えにただ唯々諾々と従っていくだけの考えない教師が、ど うして生徒に考えることを教えられるでしょう。  歴代の校長も、所沢高校のこの民主的システムを基本的に認めてきました。教職員 が十分議論して決定してきたことを覆すことはありませんでした。しかしこれは、校 長のリーダーシップがなかったということではありません。その時々の校長の教育的 力量・品格の高さ・人間的信頼があれば、その意見は自然に教職員・生徒に浸透し、 結果として両者の考えが一致していったということです。「桃李もの言はざれども下 おのずから小道をなす」という格言にこそ、リーダーシップを持った校長の本来の姿 があるのです。 【民主的学校運営を壊した内田校長】  以上述べたような学校運営の民主的システムを根底から壊していったのが内田校長 であったのです。  内田校長は、着任早々、前年度末の職員会議で、前校長も含めて決定していた入学 式の内容を独断で覆し、管理職3人だけで強行しました。内田校長は、話し合いの姿 勢と言葉をもっていませんでした。内田校長着任以前も、入学式・卒業式問題で校長 と教職員・生徒の間に意見の対立もありました。しかし、粘り強く話し合い、双方譲 り合って、合意をし、混乱なく実施してきました。ところが、内田校長には、そうし た話し合いの姿勢が最初からありませんでした。  以後、生徒・保護者・教職員の誰に対しても胸襟を開いて話し合うということがあ りませんでした。そういう状況の中で、卒業記念祭・入学を祝う会という新しい卒業・ 入学行事が作り上げられていったのです。 <第2 竹永発言の正当性>  では、入学説明会当日に話を移し、竹永発言の正当性について述べていきたいと思 います。  そもそも、入学式に代えて入学を祝う会を行うということは、職員会議と生徒総会 で決定されていた事項です。その決定に従って、生徒も教職員も入学を祝う会成功に 向けて準備をすすめてきたのですから、初めての行事でもあり、入学説明会でその経 緯や成功に向けての生徒・教職員の思いを伝えることは当然のことです。  また、その10日前に行われた卒業行事にかかわって、様々な報道がなされ、新入 生や保護者の中に不安な気持ちがあることは容易に想像されました。ですから、本来 なら校長が挨拶の中で説明すべき問題でしたが、内田校長は、一言も触れませんでし た。校長としての説明責任を全く果たさなかったのです。この点についても、竹永さ んは学年代表として必要な説明をしました。  このように、新入生や保護者の不安に応え、職員会議の決定や行事準備の経過ある いは生徒・教職員の思いを伝えることのどこがいけないのでしょう。高校生活のスタ ートの日を不安なく迎えられるように必要な説明をすることは教師として当然やらね ばならないことのはずです。  その上、この日の説明については、学年会で長い時間かけて議論してきました。 「入学を祝う会一本でやりたいが、その時程を現時点で新入生に配布するのはどうだ ろうか」「分裂開催という形はよくない」「とにかく混乱は避けるべきだ」「当日ま ではまだ時間があるのだから引き続き校長と交渉していくべきだ」そういった様々な 意見が出されました。長い議論になりましたが、そうした中で学年として、次のよう な合意がされました。  まず、自主自立の校風と教育方針・卒業記念祭の概略を伝える。さらに入学当日に 関しては、一点目として「新入生がバラバラになるのは避けたい」、二点目として 「入学を祝う会一本でやりたいが、校長との話し合いの詰めができていないので、4 月9日までは日数があるのでできるだけ話し合いを詰め、当日はできるだけ混乱がな いようにしたい」という学年の考えを伝えるということになりました。  説明会当日の竹永さんの説明は、全く学年会の合意に沿ったものでした。ですから、 4月9日の登校時間についての保護者の質問に対しても、竹永さんは校長の示したと おりの時間を答えたのです。どの点から見ても、竹永さんの発言は妥当なもので、処 分されるいわれはどこにもないのです。  一方の校長は、説明責任を放棄したばかりか、保護者に対し傲慢な態度を取りつづ け、ついには質問に対し、「いつまで続けるのか」などと恫喝を加え、会場全体がど よめきました。保護者に混乱を与えたのは、内田校長自身なのです。このことは校長 自ら隠し取りした録音テープをここで聞かせてもらえれば、誰の耳にも明らかです。  また、内田校長は、説明会開始直前に学年の挨拶状を配布しないよう言いがかりを つけてきました。「教育の基本は信頼 学校の主人公は生徒です」というものです。 これのどこがおかしいのでしょう。教師が生徒を信頼し、生徒が教師を信頼してはい けないのか。学校の主人公が生徒では困るのか。こういう感覚の人物が校長であった ことをわかっていただきたい。  さらに校長は、隠し取りのテープの中で、新入生や保護者の人格を傷つけるような 発言を何箇所もしています。中でも、最後のほうに出てくる「顔を見れば分かる。だ からその中にジーパンがいたわけよ。もうね、入学を許可しなきゃいいんだよ。」と いう発言はみすごすことはできません。あの時点で、特定の保護者の子どもに対し、 入学の許可をしない意志をもっていたということです。この一言こそ、信用失墜行為 でなくて何でしょう。また、これだけの発言を見逃した県教委も、責任も問われなけ ればなりません。だからこそ、事実が公になることをおそれ、本件の最高の証拠であ るこのテープを審理の最終回である今日までついに出さなかったのではないでしょう か。 <第3 まとめ>  以上申し述べてきたとおり、3月18日入学説明会での竹永さんの発言は、職員会 議・学年会の決定に沿ってなされたものであり、全く正当なものです。本来指弾され なければならないのは、内田校長の非民主的な学校運営であり、処分されるべきは、 入学説明会で問題発言した内田校長自らに他なりません。   にもかかわらず、なぜ県教委は竹永さんを処分したのでしょうか。それは、自主自 立の伝統を守り新しい入学卒業行事を作り上げようとした所沢高校を敵視し、その先 頭にたって奮闘していた竹永さんを事件のでっち上げによって処分し、所沢高校を変 質させようとしたのがねらいだったとしか思えません。  審理を通じて、処分の不当性は十分立証されたと確信いたします。人事委員の皆さ ん、県教委と内田校長の時代錯誤の教育観によって、一人の良心的教師が罪せられた ということの重さをお考えください。私たちにとって事実は明白なのです。全てこの 眼で見、この耳で聞いてきたのですから。皆さんが教育の条理に立ち、真実を見、勇 気ある裁定を下されることを信じて、陳述を終わります。
(Web管理者記)
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