第5回口頭審理
意見陳述書
内田達雄
1997年度及び1998年度埼玉県立所沢高等学校長
1999年度埼玉県教育局指導部参事
1999年4月6日(火)
(Web管理者記)
この陳述書は、1999年4月6日第5回公開口頭審理の場で、明らかにされたも
のです。
処分者側弁護士の質問により[一]については、この陳述書提出の1999年3月
30日現在のことであり、1999年度県教職員人事によって4月1日からは埼玉県
教育局指導部参事として勤務しているとの訂正がありました。
さて、この第5回公開口頭審理では、1999年4月7日付けの埼玉新聞及び毎日
新聞等に記載されておりますように、「職員会議録を加筆・削除」していたというこ
とが明らかになりました。
1999年4月7日付埼玉新聞によると
『県立所沢高校の内田達雄前校長が在任当時、同校の職員会議録の内容を記録担当
教諭らに無断で加筆・削除していたことが六日、明らかになった。』
ということであり、
『同前校長は、情報公開請求があり、会議録を開示するに当たって県教委の指導で
加筆した、などと証言。』
と掲載されております。
また、同埼玉新聞によると
『作成当時は時間がなく、会議録を見なかった。情報公開請求を受け(開示決定権
者の)高校教育第一課の先生から加筆を指導された』
とも掲載されております。
そして陳述書に関しては、1999年4月7日付毎日新聞には、
『請求人側は、証拠として提出されている同校の職員会議議事録(1997年度)
について、校長発言の大幅な加筆や抹消があり、「内田校長が審理の過程でさまざ
まな根拠としているのは、ほとんどがこの修正部分」と主張した。』
と掲載されています。
陳述書
審査請求人 竹永公一
処分者 埼玉県教育委員会
右当事者間の平成一〇年(不)第三号審査請求事案につき、私内田達雄は左記のと
おり陳述いたします。
記
一 私は、埼玉県立所沢中央高等学校の校長から平成九年四月一日に埼玉県立所沢高
等学校(以下所沢高校という。)の校長に転勤し、以来同校の校長として勤務して
いるものであります。
二 所沢高校の平成一〇年度の入学式は、平成一〇年四月九日に行われました。この
入学式のことが最初に職員会議の議題として出たのは、平成九年一〇月二三日(木)
の職員会議であります。この時に出された入学式についての議題は「入学式は行わ
ない。生徒主催で職員が参画した入学を祝う会を行う」というものでありました。
この議題は生徒会顧問から提案されたものであります。私は、職員会議の議題に出
る前からも、このようなことがいわれておりましたので、入学式は行うということ
にすることを決めており、この職員会議で私は、入学式は行うので入学式をやって
下さい。入学式をやらないことは認めません。入学式を入学を祝う会に代えること
はできませんと私の決定したことを伝えました。この職員会議に出された入学式は
行わないという議題は賛成多数で可決されましたが、私は、このことを認めません
でした。これ以降も私は、入学式は行うということにしていて、この私の決定を撤
回したということはありません。そして、平成一〇年一月二二日の職員会議では、
甲第二〇号証(平成一〇年度入学式について)を提出して示し、この書面に書かれ
ている入学式と入学を祝う会のことを教職員に説明しました。この後、私は、平成
一〇年二月一二日に開かれた職員会議に私が作成した甲第二二号証(平成一〇年度
入学式について)で入学式の式次第を提出し示しました。私は、この式次第で入学
式を行うことにし、この式次第のことを説明し、これで入学式を行うことにいたし
ました。これ以降、私は入学式の式次第の内容のことについて撤回したことはあり
ません。平成一〇年三月五日にも職員会議が開かれ甲第二二号証と同じ内容の書面
を印刷して提出し、再度説明しております。また三月二三日に開かれた職員会議に
おいても式次第の内容を示し具体的に指示しております。
三 入学式は行わない、入学を祝う会を行うということが平成九年一〇月二三日の職
員会議で賛成多数で可決されましたが、私は、入学式は行うので入学式をやって下
さい。入学式をやらないことは認めません。入学式を入学を祝う会に代えることは
できませんと述べ、入学式を行わないで入学を祝う会を行うことを認めませんでし
た。その理由としては、入学式が学習指導要領に位置づけられた代表的な儀式的行
事であることや、入学式の中で入学許可候補者の入学を許可したいと考えていたか
らです。その後、入学式は行わない、入学を祝う会を行うということが、職員会議
で撤回されたことはありませんでしたし、入学式を行う、また入学式も行うという
ことが議題に上がったこともありませんでした。
所沢高校で、入学式を行わないで入学を祝う会を行うということが職員会議に議
題として出てきたのは平成九年一〇月二三日の職員会議であります。なお、この入
学を祝う会を行うことについては、それ以前に教員、生徒の中で出ていることは平
成九年一〇月一六日の職員会議に出された資料や書面によっても示されているもの
であります。この入学を祝う会の内容は、平成一〇年二月一九日の職員会議に入学
を祝う会総務から提出された資料(甲第一八号証)に示されております。なお、入
学を祝う会のプログラムは平成一〇年二月一二日の職員会議に生徒会係から出され
ております。
私は、入学を祝う会は入学式が終わってから行うということにし、平成一〇年一
月一六日の職員会議で提示しました。この時教職員から特に発言はなかったと思い
ます。改めて、平成一〇年二月一九日の職員会議で私は入学を祝う会は入学式が終
わってから行うということを伝えましたが、入学を祝う会総務係が提案した入学を
祝う会のみを行う案が賛成多数で可決されました。そこで、採決直後、私は再度、
入学を祝う会のみの開催は認めないとの発言をしました。この入学式を行わないと
いう理由としては、平成九年一〇月二三日の職員会議で入学式に代わり入学を祝う
会を行うことが決定していることをあげております。
平成九年一〇月一六日の職員会議で生徒総会での議案書が配布されております。
その中に入学式に代わり入学を祝う会を行うことが示されておりましたが、一〇月
二三日の職員会議では、前述しましたように入学式は行わない、生徒主催で教員が
参画した入学を祝う会を行うことを賛成多数で可決しているものであります。
四 所沢高校の平成一〇年度入学許可候補者説明会は、平成一〇年三月一八日に行わ
れました。この入学許可候補者説明会は毎年行われるもので、入学許可候補者やそ
の保護者に対し、入学がスムーズに行われるようその事務手続きの説明や学校の様
子が担当の各係から説明される行事です。この入学許可候補者説明会を開催するこ
とは、書面で各入学許可候補者とその保護者に対し通知しました。
なお、所沢高校の平成一〇年度入学者選抜は、平成一〇年二月二日の推薦入試と
平成一〇年二月二五・二六両日の一般入試とで行われ、平成一〇年三月四日の入学
者選抜会議で入学許可候補者が決定されました。その決定の通知の書面は、平成一
〇年三月五日に各中学校ごとに通知され、志願者各自に知らされました。
私は、入学許可候補者説明会の時に、平成一〇年四月九日に入学式を行います、
入学を祝う会は、入学式が終了した後に行いますということを、この説明会に出席
した入学許可候補者の方に最初の挨拶の中で伝えました。私は、この二つの行事を
実施することにより入学許可候補者の入学を祝ってあげたいと考えておりました。
私は、入学許可候補者説明会の時に、自分の言ったことに対して責任を持つこと
を目的に録音テープをとっておりました。なお、この録音テープの反訳書(職第一
号証)を読んでみましたが、その内容に間違っている点は認められません。請求人
は学年係の説明のときに、私が説明したことと相反して、入学式は行わず、入学を
祝う会のみで行いたいということを述べていたものです。
五 入学許可候補者説明会後、平成一〇年三月一九日に行われた職員会議で私は、平
成一〇年度入学式をその日程のとおり一学期行事予定表に入れるよう求めました。
また、平成一〇年4月九日の日程は、すでに配布した資料(甲第二〇号証)のとお
り、入学式と入学を祝う会を実施するということを四者会議の生徒に対しても指導
して下さいと言いました。これに対し請求人を含めた教職員は、入学式は行わない、
入学を祝う会を行う、このことは、すでに、職員会議で決まっていることであると
いうことでありました。
入学式を行い、それが終わった後で、入学を祝う会を行うということについて、
そういうことでもよい、そういうことで話し合うということは教職員らからは一切
出ておりません。
六 乙第一号証(職員事故報告書)に書かれていることに間違っている点は認められ
ません。
七 私は、平成一〇年四月三日付けで「入学式に向けて」と題する手紙を入学許可候
補者とその保護者あてに出しました。その目的は、入学許可候補者説明会において、
入学式を行わず、入学を祝う会のみ行うという内容の教員や生徒の説明がありまし
たので、私の意志や考えをよくわかってもらうために手紙を郵送したわけでありま
す。その内容としては、高等学校に入学するためには校長の入学許可が必要であり
ますので、平成一〇年四月九日の入学式において入学許可を行うとの内容でありま
した。もう一つは、入学式は学習指導要領において儀式的行事として位置づけられ
ており、本校でも入学式を行うことを計画したものであることを伝えるためでした。
なお、入学式と入学を祝う会は、それぞれ実施する趣旨は異なりますが、私とし
ては、二つの行事を通して新入生を温かく迎えてあげたいので、是非両方に出ても
らいたいと思い手紙を出したわけであります。
八 平成一〇年度四月九日に甲第二二号証に示されている内容とおり本校の体育館で
入学式が行われました。入学式には、入学許可候補者三九八名のうち、約六割が出
席しました。残りの約四割の入学許可候補者は欠席しました。保護者の出席率も同
じような割合だったと思います。教職員の出席者数は、二〇名前後であったと思い
ます。
前述のとおり職員会議で教職員が入学式を行わないとしていたが、私は、学校で
の教育活動に関する最終的な責任者は校長であると考え、入学式を行うために教職
員に対して入学式へ向けての準備及び当日の役割分担により職務を遂行するように
平成一〇年三月二三日の職員会議の時に職務命令書を配布し、職員室にも掲示して
命じました。式そのものは厳粛に次第どおりに行われました。なお、この入学式に
は、在校生(二、三年生)は出席しないことになっておりました。
私は、入学式において、入学式に欠席した入学許可候補者を含め入学許可候補者
全員の入学を許可しました。なお、当日は、在校生の有志が入学式に来た入学許可
候補者に対して、式場でない本校講堂に行くよう誘導して、直接入学式式場である
体育館に行かせないようなことを行い、一部のPTA役員がこれを応援したようで
あります。そのため、開式の時刻になっても式場への入場が続き、入学式の開始時
刻が遅れました。入学式終了後、入学を祝う会が行われました。
九 私は、入学式を行うことを決定する権限は校長にあると考えており、その根拠と
なる法令等は、学校教育法第二八条第三項の校長は公務をつかさどり、所属職員を
監督するとの規定及びその準用規定の第五一条であると考えております。
入学式は、必ず行わなければならない学校行事であるとは法令に直接には規定さ
れていないと考えておりますが、入学式は、高等学校学習指導要領解説特別活動編
においても、学校行事の中の儀式的行事として行う一つとして例示されており、ど
の学校でも行われており、定着しているものであります。私は、入学式は行うべき
ものであると考えております。
また、入学許可をいつ、どのような形で行うかは、各学校の校長が判断し決定す
るものであり、私は入学式でこれを行うとしたものであります。入学許可について
は、入学許可候補者の入学を許可する権限のある校長が、明確な意思表示を行う必
要があり、その場として入学式が位置づけられると思います。私は、入学式以外に
この意思表示を行う場はないと考えております。
前述したように職員会議で入学式を行わないとなったのに対して、私は、学校で
の教育活動に関する最終的な責任は校長にあると考え、以上申し上げた理由で入学
式を実施いたしました。
平成九年一〇月二三日の職員会議での入学式は行わない、入学を祝う会のみを行
うとの決定を受けて、平成九年一一月一一日の生徒総会で入学式を行わないと決定
したことについて、私は入学式のような儀式的行事の意識について理解させるよう
努力しなければならないと思いました。
なお、私は、校長が法令の定めに基づいた権限により入学式を行いますと決めた
ことに対して、その入学式の式次第の内容を否定し、入学式を行わないで、それに
代わる入学を祝う会を行うとするのは、生徒が決めたことであるとしても、それが
生徒会活動の範囲を越えているものであり、認めることはできないものであると考
えております。
平成一一年三月三〇日
埼玉県新座市○○○○○○○○
埼玉県立ところざわ高等学校校長 内田達雄 印
(Web管理者記)
さて、私が不思議に思うのは[八]に記載されている
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私は、入学式において、入学式に欠席した入学許可候補者を含め入学許可候補者
全員の入学を許可しました。なお、当日は、在校生の有志が入学式に来た入学許可
候補者に対して、式場でない本校講堂に行くよう誘導して、直接入学式式場である
体育館に行かせないようなことを行い、一部のPTA役員がこれを応援したようで
あります。そのため、開式の時刻になっても式場への入場が続き、入学式の開始時
刻が遅れました。入学式終了後、入学を祝う会が行われました。
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という個所です。
1998年4月17日(金)に発行した「常任理事会だより(第21号)」には、
次のような記載があります。
『9日当日は、県から20〜30名の職員が来校して、新入生に入学式に出るように
直接指導をしていました。』
このような状況で、どうして上記のようなことが言えるのかということです。
実際、生徒自身も「98.04.09 当日の流れ」というプリントの中でも、
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ムリヤリつれてくるような言い方はしないこと。スマイル大切。
○校門には、きっと県からの人が監視して立っています。それだけに、校門はとても
キンパクした雰囲気となっているでしょう。そんな空気を打ち破るような元気な声と
笑顔で…とにかくその場を明るく盛り上げよう! それだけで新入生も保護者も心が
なごむと思うな。もし、「やめなさい」と言われたとする…けれど、私達は主催者と
してやるべきこと(これまでの状況説明)をやるのだから、自分達のやっていること
に自信をもって、堂々と作業を続けましょう!(そこでいざこざを起こしちゃダメだ
よ。新入生はびっくりしちゃう。)
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と言って、妨害と見られることに非常に気をつかっています。
当時の新聞等の報道をを見れば明らかですが、校門前はマスコミ等の報道陣或は右翼
の街宣カーなどで混雑もしていて、雨も降っていたという状況でした。
更に、では開始が実際のところどれくらい遅れたのかと言えば、処分者側弁護士の
質問に対して、内田達雄元校長は「4〜5分遅れた」と答えております。
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