臨時生徒総会
参考資料
発行:生徒会本部
配布日:1999年1月19日(火)
参考資料
‘98年度協議会(第4号議案について)の流れ
ここで書かれているのは、協議会の中で出されているもののほんの一部です。
これまで出された協議会NEWSなどと照らしあわせながら読んで下さい。
1 なぜ協議会が開かれたの?
⇒ 昨年の生徒総会において承認された第4号議案が、職員会議で否決されたため。
協議会について簡単に説明します。(詳しくは生徒手帳P.55)
そもそも協議会は生徒会諸機関{生徒総会など}で決定された事が職員会議で否決
された場合に開かれます。生徒代表10名、先生代表10名で構成され、お互いが自
由に意見を述べあいながら、両者が納得できるような、新しい案を作っていくことを
目的としています。(どうしても案が見つからず差しもどしということもある)
2 なぜ職員会議で否決されたの?
職員会議で、大多数保留の状況で否決となった第4号議案。その背景には、先生方
の様々な思いがありました。{第1回協議会では、否決の理由をうかがいました}
●決議文(※)に対する生徒側の意識の低下、予想される混乱への不安…
…決議文の内容について、外部からも様々な形で騒がれている。今年も去年と同じく
混乱がおこることが予想される。そのことへの不安…そんな中で、生徒側は決議文に
基づいて活動するだけの責任をきちんともっているのだろうか。総会の時も一文抜け
ていることに気づかないなど、自覚がないのでは……。決議文の内容や、それに基づ
いて活動することの重みをしっかり考えてほしい。意識の低下している状況で活動を
続けていくことができるのだろうか。
※決議文=日の丸君が代に関する決議文
★今回は反対が多くて否決されたのではなく、大多数が保留であったというのが現状。
将来を見越した上での不安が保留を生んだ理由のようです。
2 協議会での話し合いの過程(第1〜5回の中でのポイントの部分)
※職会=職員会議 総会=生徒総会
第2回 12/18
職員側(特に保留した人たち)と生徒側の納得のいく妥協点を探ろう
ここで出されている意見はほんの一部です。先日出されたHRNEWSなどと照ら
し合わせながら読んでみて下さい。
●四号議案において不安な部分は、方針の「決議文に基づいて活動していく」という
ところです。決議文に対する意見は、人によって様々ですから……。
●今回は、四号議案の方針を見直し、決議文自体はいじらない、ということで進めて
いきましょう。(時間もないので)
●ところで、生徒のみなさんは決議文のことをどう考えているのか聞いてみたいな。
●日の君の決議文にあるように、日の君に対する思いは一人一人違うのだから、1つ
にまとめることなんてできない。やりたくない人もいるのだから学校という公の場
所ではやるべきでない。 ※日の君=日の丸・君が代
●小・中学校で、あたりまえのことのように日の君をやってきた。だけど所高に入っ
てきて考えるようになった。決議文があることで日の君について考えるきっかけと
なった。決議文は個人の考えを尊重する為にある。
●決議文に対する解釈は様々。そんな中で「やらない」と1つに決めてしまうのはよ
くないと思う。色んな解釈がある中で、その解釈に見合ったものを考えていきたい。
今のは、みんなの意見が反映していない。
●総会の時、解釈の口頭での説明を聞きのがし、そのまま承認してしまった。そんな
人も多いんじゃないかな。決議文の解釈をこの場ではっきりさせた方が良い。
100%持ち込まないというのではなく柔軟にしたい。これだけの混乱があるのに
「持ち込まない」にこだわる必要はあるのか。「原則的」という言葉を入れて色ん
な可能性を見る方が所高にとってはプラスになると思う。
●決議文の内容自体は大切だと思う。やりたい人の思想を拘束しているとは思わない。
個人の思想を守るものだから。
●決議文の存在は認めるが、これはYESかNOどちらかに決めなくてはならない状
態を作り出してしまう。全員がこの問題にかかわらなければならない状態をつくる
べきではない。
●内部だけで守っていくのなら良いけれど外部に出てしまったから…。外部に出して
色々と問題が出た。内容が学校運営にかかわってくるだけに外部も注目している。
外部とぶつかっていくことで所高が崩壊していく可能性もある。
●みんな「校長のやり方はおかしい」という点では一致していて、決議文の内容に納
得しているという点でも一致している。原因は校長のやり方だと思う。外部から私
たちに対する影響を心配したり、混乱をさけるために妥協するとかいうのはおかし
いと思う。妥協していいことと、いけないことがあると思う。もしここで妥協した
ら「校長一人の意見で学校が変わる」ことを許してしまうことを表している。今を
避ける為に妥協するのはおかしい。
●ここで妥協したら体育祭や所高祭にも影響してくると思う。今の所高がつぶれてし
まう。
●色んな問題があるけど、最後の日を卒業記念祭で楽しく卒業したい。所高最後の日
を大事にしたい。
★延々と話が進む中、生徒から出された“方針に「原則として」の一文を入れる”と
いう提案についての討議が中心に。
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第2・3・4協議会
方針に「原則として」の一文をつけるかつけないかについて
《賛成》--------------------------------------------------------------------
「原則として」をつけることで色々な可能性が見えてくると思う。
100%持ち込まないとすると卒実なども動きにくい。
新たなものも見えてこない。「原則として」を加え柔軟性を持たせることで新しい方
法も見えてくるのでは。
生徒の議決がくつがえされるというのを一番避けたい。
この一文を付け足すことで、最終的にどのような結果になったとしても、「原則的に
ということだから…」という形でとりつくろうことができる。逃げ道ができる。
決議文が無くったって所高の自治は守れる。権利章典や、憲法などの中でもきちんと
権利は保障されているのだから。
一文を入れることで、どうでもいいと考える人も楽になるのではないか。
《反対》--------------------------------------------------------------------
方針は原則としての性質をもっているのは当たり前なのだから、わざわざ入れる必要
はないと思う。
「原則として」を入れて、最初から妥協するような方向性を示すのはおかしい。妥協
点を目指すのはおかしい。
校長交渉の時など、「原則的にということは例外もあるんだね」とつっこまれるおそ
れがある。
譲る幅を持たせてしまうことになる。そうやって権利は奪われていくんじゃないか。
「原則として」を入れることは、結局、日の君を入れることを狙っているように思え
る。
どうしても嫌だという人の気持ちや卒業生のことを考えていない。
1文加えると、決議文に説得力が無くなる。
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※上のものがそれぞれに対して出た意見です。その他いくつかも紹介しましょう。
●「原則として」の一文を付け足したところで、少数派の意見を尊重することになる
とは思えない。卒実としては、この一文をつけようがつけまいがあまり関係ない。
総会では、既に「決議文に基づいて活動する」ということを可決されているのだか
ら、それを基に卒実は動いている。
卒実としては、式は認めていない。当日ギリギリのところまで交渉を続ける。
●3年生のためにも、実力行使ではなく、穏便な形でおさめたい。
●式に出たいけれど、決議文の存在や、みんなの目がこわくて出られないという人も
いるだろう。出ちゃいけないという雰囲気ができている。生徒が決議文に拘束され
ている。一文入れることで楽になる人もいるのでは。
●3年として、最後の最後に日の君が導入されて卒業していくのはくやしい。3年間
してきたことが否定されるようだ。
●いったい生徒たちにとって混乱とはどんなことを指すのか聴きたい。
●決議文を形だけ残して精神を捨てること。あと3年が日の君のある式に出ざるをえ
ない状況を作ること。
●分裂は混乱だと思っていない。「自分はどうするか」という信念を持って動けたか
ら。自分で決めることができた。
●外部ばかり気にして内部のことが壊れてしまうこと。自分の意志で選択できる方が、
自分に自信がもてる。外ばかり気にしないで、自分たちの活動を大切にしたい。意
志をつらぬくことは大切。
●分裂開催になること。特に入学式でそうなってしまうことはよくない。
●「原則的に」を入れることで混乱が避けられる可能性が多くなるのではないだろう
か。少なくとも、決議文があるからというプレッシャーから楽になる人がいると思
う。
マスコミの影響はやっぱり大きい。この問題に深入りすること自体嫌な人はいる。
このままいけば所高のシステム自体が危うくなる。つっぱらない方がいい。
●「原則的に」を入れても入れなくても、混乱はすると思うし、マスコミも来ると思
う。入れることで所高システムを守れるという保障もない。
●でも入れることでフォローの足場になると思う。(マスコミに対しても)結果につ
いて考えてほしい。
●結果がどうというより、生徒側が「強制反対」の意志をきちんと表明して行動して
いくことが大切なんだと思う。結果よりも過程。その過程で生徒がいかに自分の意
志を主張していくか……。
最後まであきらめないで主張していくという行動を示すことが大切なんだと思う。
だから「原則的に」をつけて最初から妥協する方向性を見せちゃうのはおかしい。
●生徒が「日の君やる」ってことを決定したら、今度は校長ではなくて生徒が日の君
を強制することになる。
●決議文は「やりたい人とやりたくない人、両方の意見を大切にする」という解釈。
だから、どちらかの考えを侵しているというのはおかしい。日の君に反対している
のではない。強制に反対している。色んな思想を大切にする為にある。
●方針に「原則として」っていう一文を付け足すというけれど、方針は元々原則でしょ
う? そこを確認すれば入れる必要はないと思う。
●入れることで柔軟性が出てくると思う。たとえ日の君が入ったとしても、この一文
によってプレッシャーから開放される人はいる。友だち同士が変に探りあわないで
すむかもしれない。
●柔軟って、どこまでが柔軟なの? 日の君を入れることなのか、式を認めることな
のか。自分にとっては、時間をずらすことが最低限妥協できる点。その前は柔軟の
度をすぎている。
●最終的ことは卒実が考えてゆくことだと思います。
●今後話し合っていく中で決めていくこと。
●この問題は所高の中だけのものではなくなっている。今の状況を息苦しく感じてい
る人もいる。この状況を中和したいと思っている。少数の人が意見を言うことがで
きる、どんな考えの人も自由に意見を言える状況までもっていきたい。どちらが正
しいとか間違っているなど、選べない。個人の意見は一人一人違う。まったく同じ
ことはない。
●この問題に関わりたくない人を大切にしたいというのもあるが、それより大切なも
の(強制に反対することなど)がある。回避とかで、その大切な部分をベールに包
んでしまいたくない。妥協したら終わり……。
●決議文の意味を深く考えない人に、扱わせたくない。所高システムに対して批判も
ある中、それを残すにも「原則として」という一文を入れた方が後輩に残せるので
は。権力的にはこっちが弱い。正面きっても守れないよ。
●所高システムを守りたいのはみんな一緒。学校の外にも出てる問題だし、柔軟な所
見せた方がいいと思う。
●去年みたいに新入生に判断させるのはかわいそう。卒業生は3年間通じて、自分な
りの考えを持っているのだろうけど。逃げ場所があった方がいい。それだから一文
付け足す方がいい。
●決議文に問題があったから混乱したのだろうか……。なら、日の君がなければみん
な式に出たのだろうか。(校長側の行動に問題があったんじゃないのか?)一文付
け足す必要はない。
●処分という問題もある。あきらめの気持ちがある。去年とは周りの状況も違う。
●最終的に妥協というより、最初に妥協というのを明記した方がいい。柔軟な所を見
せれば校長も変わるかも。
●方針は目標だし、よからぬ結果となっても、その目標に向かって自分は頑張ったと
いう自信があればそれでいい。大切なのはやっぱり過程。日の君を入れるのが柔軟
というのはおかしい。
式が行われてしまった時、出たい人は出ればいい。そういう所の柔軟さはいいけど。
一文入れるべきじゃない。
☆結局「原則として」の一文を入れる、入れない共に10人ずつとなり、協議会では
決着はつきませんでした。
よって、2つの案を職員会議、生徒総会におろすということで、第4回協議会は終
わりました。
次回の協議会までに、生徒が原案をつくってくるということに。
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生徒間での討議
12/28
原案を作る過程で、生徒側は、「2つの案を総会に出すのは望ましくない。1つに
したい。」と考え、もう1度生徒同志集まることにしました。そして、12/28に
1回生徒だけ(協議会メンバー+本部+来たい人)で集まり話し合いました。
というのも、それまでの話し合いの中、「原則として」をつけたい人、反対の人の
間に、似かよった部分が多いことに気づいたからです。
★「原則として」をつけるのに反対する人、賛成する人共に
(1)方針は原則的なものである
(2)決議文の内容には納得できる
(3)最終的決断は今後の話し合いの中で探っていく
という点で、生徒間は妥協できました。
何をもって混乱するとか、又どこまで柔軟できるかなどは、個人によって違ったけ
れど、最終的ゴールは違っても、スタートの時点で生徒側の意見は、ほぼ一致してい
たのです。
●「方針は原則的なんだ」なんて、今更言うと、外から「じゃあ去年は何なんだ」と
いうことでたたかれる。生徒が強行したってとらえられる。だから、方針に原則っ
ていう考えには賛成できない。
●方針=原則っていっても、原則がそんなすぐに破っていいわけない。本当にギリギ
リまで頑張って最後の最後に…ってこと。
┌────────────────────────┐
│「原則として」入れるという意見には │
│ ┌ 方針=原則を明記する…(1) │
│ └ 最初から妥協する方向性を認める…(2) │
│の2つの考えがあるよね。 │
│ 生徒側は(1)でしょう。 │
└────────────────────────┘
{とにかく大切なのは、話し合いを大切にするってことだよね。話し合いを重ねる
中で可能性などを見つけていく…ってこと。}
{つまり、「原則として」をつけることで、方針=原則はわかりやすくなるけど、
その一方決議文が形だけになるっていう心配があるんだよね。}
┌─────────────────────────────────┐
│そして話し合いの結果、生徒側は以下のような結論に達しました。 │
│ │
│☆方針に「原則として」の一文は入れず、代わりに具体的な活動の部分に│
│ 「卒業や入学の行事においては、最善の策を考えていくために話し合い│
│ を重視する」の一文を付け足す。 │
└─────────────────────────────────┘
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第5回協議会
1/8、生徒間で考えた案を協議会の場に提出しました。
【T】 「原則として」を入れるべきだと考えていた人達のその思いも様々なのに、
これではそれらの意見すべてが反映されていない。
【S】 そうでしょうか。「話し合いを重視する」の一文は柔軟性をもたしている。
総会で2つ出すと、その2つしか見えなくなって、結局他の意見を出しにくく
なったり、決断をせまることになる。
【S】 どっちかを選んで、その結果どっちかが相手をうらむという状況にしたくな
いから1つにまとめたかった。
【T】 どんな意図で「原則として」をつけることにこだわったのかをもう一度確認
してほしい。
【T】 1回、前の協議会で「2つ出す」って決めたのに、あとになって、生徒だけ
が集まり、「あれはよくなかった」と勝手に変えてしまうなんて、協議会のシ
ステム自体を崩している。
【S】 自分達の決定を自分達でくつがえしたら……所高のすべての話し合いシステ
ムに支障がでる。校長と同じこと、決定に気に入らないから勝手に変えてしま
うということを認めることになる。
【T】 しかし、生徒が合意をつくる努力をしたことは認めるべきだ。より多くの合
意を得られるなら、あまりシステムにこだわらなくてもいいんじゃないのか。
【S】 決定を覆すのはやめたい。
【T】 原則としてを入れたい側、入れたくない側両方の考えを考慮していると思え
ない。
┌─────────────────────────────────────┐
│結局、協議会の手続き無視ということで、生徒側の(決定を覆す)提案は受け入れ│
│られませんでした。従って、協議会側からは、 │
│ (1)原則として「日の丸・君が代に関する決議文に基づいて行動する」 │
│ (2)「日の丸・君が代に関する決議文」に基づいて行動する │
│この2つの議案を提案します。 │
└─────────────────────────────────────┘
☆協議会では1つの案にまとまりませんでした。けれど、これまで出されたプリント
や、このプリントを見てもわかるように、それだけ重要で、かつ意見の分かれる問題
だということがわかってもらえると思います。
総会にむけて、これまでのプリントなども読みながら、(1)と(2)のメリット
デメリットを考え討議に臨んで下さい。
{とにかく投げずに、考えてゆくことが大切}
後日、協議会に出た方々のコメントを書いたプリントを出すかもしれません。
(Web管理者記) やっと、協議会での議論がみえてきました。
それにしても、しっかりと議論していますね。これをお読みになっている皆さん、
それぞれの意見について、どのようにお感じになりましたか。私は、次の意見には笑っ
てしまいました。
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●式に出たいけれど、決議文の存在や、みんなの目がこわくて出られないという人も
いるだろう。出ちゃいけないという雰囲気ができている。生徒が決議文に拘束され
ている。一文入れることで楽になる人もいるのでは。
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ほとんどの学校で行われていることは、これとまったく逆のことだと思うからです。
だから、「学校という公の場所に『日の丸・君が代』を持ち込まない」ということで
はないでしょうか。
それにしても、どれが生徒で、どれが先生か推測しながら読むのも楽しいものです。
回答があるといいのですが・・・(^^;)ゞ
でも、多分発行されない・・・でしょうね。
これを読みながら思いました。
『やはり、情報公開は大切だ』ということです。
こうして公開されることによって、自分の言動に責任を持つということが徹底され
ると思うからです。所高の情報公開度はすばらしい!
話は変わりますが、国会の本会議と予算委員会の議事録がインターネットで読める
ようになりました。私のwebにも一部掲載していますが、他の委員会も早く公開し
て欲しいものです。「情報は民主主義の通貨」ですね、ホントに!
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