142回-参-予算委員会-10号

教育関係

1998年3月25日(水)



○委員長(岩崎純三君) ただいまから予算委員会を開会いたします。     平成十年度総予算三案についての理事会決定事項について御報告いたします。     本日の総括質疑の割り当て時間は百四十六分とし、各会派への割り当て時間    は、自由民主党二十分、民友連六十分、公明四十六分、社会民主党・護憲連合    二十分とすること、質疑順位につきましてはお手元に配付いたしておるとおり    でございます。     ───────────── ○委員長(岩崎純三君) 平成十年度一般会計予算、平成十年度特別会計予算、平成    十年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。     昨日に引き続き、総括質疑を行います。板垣正君。 ○板垣正君 おはようございます。総理初め各閣僚、まことに連日御苦労さまでござ    います。     早速伺います。     日本のあり方というものが改めて問われている、まさに第三の開国と言われ    る大きな転機に来ていると言われているわけであります。橋本総理を先頭に、    連日それに取り組んでいただいております。そうした中で、やはり心の問題が    改めて問われておる。物の面では見事に繁栄を遂げましたけれども、大事な心    の問題がいろいろな角度から問題がある。     これはある精神科医の方が高校生を対象に行った調査でありますが、この中    で最も高い反応のあったのが、自分がどんな人間なのかわからなくて困ること    がある。つまり、日本人であることや自分と社会、国との関係をどう考えれば    いいのかよくわからない、だからとても不安である、こういうことであります。     戦後、戦争に対する反省はいろいろありましたけれども、反面、国というよ    うな問題について余り考えない、むしろ国というのは対立するものである、個    人の自由を制約するものだと。そういうところから、日本人というみずからの    意識というか、そうしたものが非常に薄れてきているということは否めないと    思う。     私はその辺に、教育の問題にせよ、広く社会的にも問われている心の問題、    日本人のあり方、日本という国の姿、国の形ということが言われますけれども、    その根本にはやはり私は歴史というものがいろいろな形で戦後ゆがめられると    いうか、断ち切られるといいますか、歴史とのつながりを失ったところに、こ    れは家庭の崩壊につながる。あるいは地域団体の一つの連帯精神、日本人相互    の同胞意識、そうしたものの淵源するものは歴史であります、歴史の流れであ    ります。みずからがそれにつながっているという存在であります。     そういう面において、歴史とのつながりというものを改めて見直す必要があ    るのではないのか、心の問題はその辺に大きなポイントがあるのではないのか、    こう思いますけれども、総理並びに文部大臣の御見解を承ります。 ○国務大臣(町村信孝君) 板垣委員からはいつもこの問題について大変貴重な御示    唆をいただいております。歴史教育の重要性、これはもう委員の御指摘をまつ    までもなく、特に学校教育の場では重要な課題である、こう受けとめておりま    す。     これまでも学校の歴史教育は発達段階に応じまして、例えば小学校では、国    家と社会の発展に大きな働きをした先人の業績やすぐれた文化遺産に関心と理    解を持たせ、人物を中心に歴史に親しませる学習を展開する。中学校では、我    が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って学び、先人の努力により発展して    きた我が国の歴史の各時代の特色と移り変わりを理解させる。通史学習と呼ん    でおりますが、非常に古い縄文の時代から今日に至るまでということで、中学    校の段階では歴史教育を学ぶということを学習指導要領の基本にして行ってい    るところでございます。 ○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、文部大臣は学校教育の中における歴史教育の位置    づけから答弁をされましたので、私は少し違った角度でお答えをしてみたいと    思います。     確かに、将来この国を背負ってもらわなければならない子供たち、その子供    たちが、先人たちが築いてきた歴史あるいは文化、伝統と言いかえてもいいか    もしれません、こうしたものを理解することによって自分たちの文化や社会の    基盤をしっかりととらえる、そこから今度どのような生き方をつくり上げてい    くにせよ、それは非常に重要なことだと思います。     その意味では、学校教育の場だけではなく、お互いが子供のころを振り返っ    てみますと、それぞれの地域にはその地域の民話があり伝説がございました。    例えば、私の郷里の場合は吉備文化という言葉に総称される伝承が今も伝えら    れ続けております。そうしたものの中で、議員は国という立場から言われまし    たけれども、自分のふるさとを知るということ、そしてそれを通して自分の国    を知るということ、これは私は非常に大事なことだと思います。そしてそれは、    ただ単に教育の場だけではなく、家庭もありましょうし地域社会もありましょ    う、そうしたものを子供たちに伝えていく責任がある、私はそのように思いま    す。 ○板垣正君 それで、歴史を顧みますと、戦後の一番大きな問題はやはり端的に言っ    て東京裁判、またそこからもたらされたいわゆる東京裁判史観。東京裁判は、    過ぎ去った問題ではなくして、現在も大きくこの日本のまさに今申し上げた心    の問題も支配している問題ではないのか。     東京裁判については改めて申し上げるまでもなく、十一カ国、連合国の戦勝    国によって敗戦国日本を、新たな国際法の規約にない、それを超えた立場にお    ける日本に対する断罪が行われた。これはまさに法律なきところにおける、戦    勝国によるある意味における復讐裁判であると言うことも、見方もできるわけ    でありますが、この東京裁判、淵源する東京裁判史観ということについて、ま    ず総理の御見解を承りたい。 ○国務大臣(橋本龍太郎君) まさにちょうどその混乱の時代に私どもは小学校から    中学校にかかる時期を過ごしました。そして、私どもは、議員の言われるそう    した史観以前の問題として、敗戦、そしてその後何を教えていいのか先生方が    迷われ混乱した時期にその少年期を過ごしております。     そして、先ほども申し上げましたように、私は、将来の我が国を担う子供た    ちが我が国の歴史また文化というものを理解して、日本人の自覚、誇りを持っ    て国際社会の中で生きていく、そういうふうに育てていくということは極めて    大事なことだと思います。     そして、学校での歴史教育というものは、客観的、学問的な研究成果という    ものをきちんと踏まえながら、事実は事実として、国際社会の中における国際    理解、国際協調といった観点からバランスのとれた指導が行われるべきもの、    そして子供たちが歴史的な事象というものをみずから多角的に考察し、公正に    判断する能力を育てるその基礎を与えるものだと私は思います。     今後とも、子供たちがしっかりとした歴史理解をみずから行えるような、そ    うした歴史教育の充実に努めていきたい、そのように思います。 ○板垣正君 外務大臣、東京裁判についての御見解を承りたいと思います。 ○国務大臣(小渕恵三君) この裁判につきましては、既に諸外国におきましても、    学者の間でも裁判をめぐる法的な諸問題につきましては種々議論があることは    承知をいたしております。いずれにしても、国と国との関係において我が国は    サンフランシスコ平和条約第十一条で極東軍事裁判所の裁判を受諾いたしてお    りますので、同裁判について異議を唱える立場にはありません。     ただ、私自身も総理と全く同じ世代に育ってきたわけでございます。特に、    終戦後の小学校時代に、ニュース放送等を聞けばこの問題について触れられて    おったわけでございます。したがいまして、今日に至りましても、八月十五日    等にこの裁判の問題の記録並びに映画等が再放送されるたびに、真剣にこれを    見詰めながらみずからこの問題について真剣に考えてまいりたい、このように    考えております。 ○板垣正君 この東京裁判の問題については、外務大臣は御記憶かどうかわかりませ    んが、もう十年ぐらい前、決算委員会で御見解を承ったことがあります。その    ときの御答弁並びにそのときの外務大臣あるいは内閣法制局長官、まさに一致    した御答弁でございました。また、十年経たただいまの御見解も、つまり講和    条約第十一条によってあの裁判を日本は受諾したんだ、だからこれを批判する    立場にない、ある意味ではそれに拘束されるんだと、こういうことになるんじゃ    ないでしょうか。ここに大きな問題点があると思いますが、この点についての    総理の御見解を承ります。 (2/39) 次の分割内容へ ○国務大臣(橋本龍太郎君) 今改めてサンフランシスコ平和条約第十一条を眺め直    しております。     ここにはこうあります。      日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争      犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれ      らの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を      赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一      又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使すること      ができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限      は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く      場合の外、行使することができない。     我が国は、確かにこの条文を含んだ条約によって独立をかち得ました。極東    裁判というものには学者の中においてもいろんな議論がありますし、また学者    とは違った立場の方々からも御論議があることは、これは私自身も承知をいた    しております。     しかし、国と国との関係ということになりますと、私は、外務大臣がお答え    を申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約の第十一条によってこの    極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している、その上で独立を回復してきた。そ    うなりましたときに、この裁判に対して国と国との関係におきまして異議を述    べる立場にはないという外務大臣の御答弁は、政府としては同様の見解を公式    にお尋ねがあれば述べるということにとどまると存じます。 ○板垣正君 重ねて外務大臣、この条約は当時から解釈をめぐって、講和条約におけ    るほかの国からもこうしたものはない方がいいじゃないかと言われていたくら    い問題の条項であります。     講和条約が結ばれたにかかわらず、まだ千名を超えるいわゆる戦犯と称する    人たちが巣鴨にも豪州にもフィリピンにも、中には死刑の判決を受けたまま置    かれておった。元来、講和条約が結ばれればそうした者は全部釈放されるのが    当然であります。にもかかわらず、十一条を設けてまだ捕まえておく。刑を執    行するのは日本の責任でやれ、これが十一条の本旨じゃありませんか。ほかの    国の条約の正文によって、今読まれましたけれども、判決を受諾すると。これ    がイギリスなりあるいはスペインなりフランスの原文にはそうなっている。我    が国がどういうわけか裁判を受諾すると訳され、かつ今のような、まさに戦後    五十年なおこれに縛られているんだというような、世界の常識とも国民の多く    の考えとも隔絶した枠の中に今なお縛られているというのはいささか問題があ    るんじゃないですか。大いに問題があるんじゃないですか。その点、重ねて見    解を承ります。 ○政府委員(竹内行夫君) サンフランシスコ平和条約におきます用語の問題に関し    まして御答弁申し上げます。     確かに先生おっしゃいますとおり、英語文でジャッジメントという言葉が使    われておりまして、これを通常は裁判という文言を当てる場合と判決という文    言を当てる場合がございますけれども、いずれの場合におきましても特段の意    味の差があるとはこの場合におきましては考えておりません。     この極東国際軍事裁判所の裁判を例にとりますと、裁判の内容、すなわち    ジャッジメントは三部から構成されておりまして、この中に裁判所の設立及び    審理、法──法律でございますけれども、侵略とか起訴状の訴因についての認    定、それから判定、これはバーディクトという言葉を使っておりますけれども、    及び刑の宣言、センテンスという言葉でございますけれども、こういうことが    書かれておりまして、裁判という場合にはこのすべてを包含しております。     平和条約第十一条の受諾というものが、単に刑の言い渡し、センテンスだけ    を受諾したものではない、そういう主張には根拠がなかろうと言わざるを得な    いというのが従来政府から申し上げているところでございますことは、先生も    御承知のとおりでございます。 (3/39) 次の分割内容へ 板垣正君 それでは、私はこの歴史の流れをまさに顧みる意味において、この国会に    おいて我々の先輩議員がこの問題についてどういう姿勢をとられたか、どうい    う政治見識と信念を示されたか、このことについて記録に基づいて申し上げた    いと思う。     今申し上げたような千何百名も講和条約ができても拘束されていることに対    しては、まず国民的な運動が起こり、四千万と言われる署名運動が寄せられ、    釈放すべきだ、解放すべきだと。こういうものを受けまして国会で決議が行わ    れております。     講和条約が締結されたのは昭和二十七年ですね。二十七年の十二月九日、第    十五回国会、まず衆議院において当時の田子一民議員外五十八名、当時の自由    党、改進党、左右両派社会党、無所属倶楽部の共同提案による次のような戦争    犯罪による受刑者の釈放等に関する決議が圧倒的多数で可決された。独立後既    に半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数があ    る、たえがたい、釈放すべきだというのが国会決議でありますが、この提案の    趣旨説明に立った田子一民議員が、      およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パー     ル判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名に     おきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁     判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があると     いう以上には立証されなかつたとあります。     さらに、これは御存じの方もおられると思いますが、改進党の山下春江議員    もこの趣旨説明について本会議で、      占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されまして、その真相を報道     したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当     時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに     正義人道に反した不逞残虐の徒であり、正義人道の敵として憎むべきもので     あるかという、一方的の宣伝のみでございました。また外地におきまする戦     犯裁判の模様などは、ほとんど内地には伝えられておりませんでした。国民     の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものであり     まして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦     犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。      戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものでありま     す。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として     行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかも     フランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法     原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、     その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たとい     それが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の逆転であり、     法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなけ     ればならないのであります。     まさに独立を回復した本会議において、戦犯釈放という決議ではありますけ    れども、ここに込められた思いは、勝者の一方的な断罪に対するまさに国民の    叫びであり、国政の場における叫びではありませんか。     これは与党だけではない、当時の社会党議員による批判も行われている。決    議採択に際し、日本社会党の古屋貞雄議員は、     戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして敗戦国    の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追及するということ──言いかえまする    ならば、戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。    しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場    から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考    えましても、私は断じて承服できないところであります。世界の残虐な歴史の    中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、    すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、わ    れわれはこれを忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であつ    た広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬよ    うな理由をもつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないと    ころであります。     こうした決議のもとに努力が続けられましたけれども、最終的にいわゆるB・    C級戦犯の最後の方が釈放されたのは昭和三十三年に至るわけであります。     しかし、今読み上げましたのが、まさに当時における我々の先輩議員が、ま    だまだ貧しいあの廃墟の中から立ち上がり、しかも新たなる平和国家再建を目    指して立ち上がったときの烈々たる心情ではありませんか。我々は今これを受    け継いで、いかに第三の開国をしていくか問われていると思う。     改めて、先輩議員のこの思いに対する総理の御見解を承ります。 ○国務大臣(橋本龍太郎君) これは私が申し上げることが適切かどうかわかりませ    んけれども、議員が今触れられました中にパール判事のお話がございました。    そして、パール判事は、御承知のように極東国際軍事裁判の判事としてこの裁    判において被告全員の無罪を勧告された方であります。ただ、それは戦争中の    日本の行為を免罪としたものではございませんでした。そしてその上で、戦勝    国が敗戦国を一方的に裁くこと及び事後法によって被告を裁くことの不条理さ、    これを厳密な法理論のもとにその観点から指摘をされた、そう私たちは後に学    びました。     そして、東京裁判につきましては、パール博士の議論も含めまして法的にさ    まざまな問題について議論があることも事実です。同時に、私は、当時の日本    人、我々の先輩世代の方々が、このパール判事のこうした姿勢によって、敗戦    に打ちひしがれたその中で日本人が勇気づけられたことも事実であったと思い    ます。そして、議員が今紹介をされましたような先輩議員の党派を超えたその    声というものは、そうした当時の我々の先輩たちの胸の中に党派を超えて存在    した思いを表現されたものだと思います。     そして、みずからの責務に取り組まれたこの献身的な姿勢に対し、その真摯    な姿勢というものが日本人の心に深く刻まれておりますし、日印両国国民の精    神的紐帯のきずなとなっているということも御承知のとおりであります。政府    はこうした博士の功績をたたえて勲一等瑞宝章を授与いたしてまいりました。     今、サンフランシスコ講和条約から、あるいはこの条約によってその裁判を    受諾したこと、それについてのコメントは政府として申し上げることは適当で    はないと思いますけれども、このパール判事の行動に対する今も伝わっており    ます日本人の中に残る思い、それがインドとの紐帯を築いているきずなとなっ    ていること、そうしたものから国民の思いというものは御理解がいただけるこ    とであろう、私はそう思います。 (4/39) 次の分割内容へ ○板垣正君 今、パール博士のお話がありました。パール博士の顕彰碑が昨年十一月    に京都の霊山護国神社の境内に民間有志の手で建立されたわけであります。こ    れは大変意義の深いことでありまして、この除幕式には橋本総理もメッセージ    を寄せられ、祝辞を寄せられております。      世界の平和と正義を守る精神を強調することに尽力され、日本人の心の中     にいつまでも思い出を残されているラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑が     竣工されましたことを、心から慶祝いたします。     外務大臣は出席できませんでしたが、高村外務政務次官が出席をして、大変    心のこもったごあいさつをしていただいております。     最も劇的なものは、ナラヤナン・インド大統領からメッセージが寄せられて    おる。このメッセージには、      ラダ・ビノード・パール博士は、極東国際軍事裁判において、インド代表     として、極めて緊迫した国際的政治情勢の下で、困難な責任を背負われまし     た。      博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐と     を退け、それよりも平和そして国家間の和解と親善のために努力すべきこと     を説いた、感銘深い呼びかけでありました。     まさにパール博士は、今なおインドにおきましては、しかも昨年はインド独    立五十周年、こういう意味も込めてパールさんの顕彰碑が建てられたわけであ    りますが、まさにインド国を挙げてこのパール博士の当時の日本とのつながり    を今日に継続させておる。大変意義が大きい。今、総理も言われましたけれど    も、重ねてこのパールさんの東京裁判、これはパールさんが日本に同情してあ    あいう判決を出したという一部の曲解がありますが、そうではない。十一人の    判事の中で権威ある国際法学者はパールさんお一人ですよ。しかも、パールさ    んは四万語に及ぶ少数判決を書かれて、国際法、この基準からいって連合国は    そうした裁判を行う資格なしと膨大な判決を出されたわけであります。     そして、裁判後も何回か日本に来られて、侵略の元凶は欧米ではないか、そ    れをあなた方は学校で子供たちに、日本は侵略した、悪いことをしたというこ    とを書いて教えておるのは耐えられない、こう言って日本人を激励してくれた。    このことについて、もう一度総理の見解を承ります。 ○国務大臣(橋本龍太郎君) 私は、パール博士の御議論は、日本に戦争という行動    に対しての免罪符を与えたものではない、その上で、勝者が敗者を裁くことの    不条理性、そうしたものを指摘された、ポイントはそういうところにある、そ    のように思っております。     そして、この極東軍事裁判というものについて、私は国民それぞみずからの    胸の中にはさまざまな思いをお持ちであろうと存じます。しかし、近代日本開    国の後におきまして、当時の国際環境の中でそれがどう評価され、時代の変化    とともにどう変わっていったかということとは別に、朝鮮半島における植民地    支配を日本が実施したという事実、あるいは中国に対して侵略的な行動をとっ    たという事実、その事実を私は否定はできないと思います。     そして、当時の列強というものの行動がどうであったかということ、その中    においての日本の行動ということについていろいろな議論をしようと思えばで    きる部分はあるかもしれません。しかし、その地域の人々からすれば、日本に    よって植民地支配を受けたという思い、あるいは侵略を受けたという思い、こ    れは事実として否定し去ることのできるものではないように私は思います。     その上で、議論はさまざまありましょうし、一人一人のかかわりの中でまた    国民の思いというものもさまざまなものがあるでありましょう。私はそのよう    に思います。 ○板垣正君 日本の過去の歴史をすべて私は善なり、間違っていないということは一    言も言っておらない。一番いけないのは、日本は悪玉で連合国は善玉だ、中国    は善玉で日本は悪玉だ、日本のやってきたことは全部侵略だ、悪いことをして    きた。これはまさに村山談話の名において総括されているではありませんか。    日本は侵略を行い、植民地支配を行い、アジアを苦しめました、申しわけあり    ません、日本の歴史をそういう言葉だけで集約されて、しかもこれが外交の柱    になっているではありませんか。これが今なお東京裁判に距離を置いて、国民    の意識の方がもっと進んでいますよ。     そういう点において、歴史解釈の自主権を持ちたい、解釈権を持ちたいとい    うのが一貫した戦後からの流れですよ、心ある人の、志ある人の。みずからが    解釈権を取り戻してみずからの解釈権のもとに歴史の教科書をつくりたい、こ    ういう国民運動が起こっているではありませんか。こうしたことについて文部    大臣はどういう御見解でしょうか。 ○国務大臣(町村信孝君) 特に、戦後あるいは戦中に関する歴史認識については私    は総理と同じ見解でございます。その上に立ちまして、歴史の教科書のあり方    というものにつきましては、歴史にはもちろんさまざまな解釈があるでしょう、    そのさまざまな解釈にのっとって今、日本の歴史の教科書というものができ上    がっております。それは基本的に執筆者あるいは出版社の権利として、それは    まさに出版の自由という形で保障されております。     ただし、その中で教科書として何が適切であるかということに関しては、教    科書として載せるにふさわしい内容、あるいはそれが客観的な、あるいは学問    的な事実に基づいているかどうかということについて文部省は教科書の検定を    行っているわけであります。ただ逆に、こういう事実を書きなさいとか、こう    いう見方でこの教科書を書きかえなさいということを私どもとしては言う立場    にはないというのが、日本の教科書についての文部省の考え方であります。 ○板垣正君 この問題はなお論議が尽きませんけれども、京都に刻まれた碑の言葉、    これはまさにパールさんの四万語に及ぶ判決文の一番最後に書かれた有名な言    葉であります。      時が熱狂と偏見を      やわらげた暁には      また理性が虚偽から      その仮面を剥ぎとつた暁には      その時こそ正義の女神は      その秤を平衡に保ちながら      過去の賞罰の多くに      そのところを変えることを      要求するであろう     私は、まさにそのときが来ていると思う。それがやはり戦後五十年の脱皮を    して日本が立ち直っていく道である、こう重ねて申し上げておきます。     最後に、昭和の日をつくろうという国民運動が、あるいは議員連盟の結成が    進んでおります。     四月二十九日はみどりの日という、昭和天皇が亡くなって、あの日は残した    い、残したいが名前はみどりの日。このことについて当時から国会においても    昭和の日と呼ぶべきではないのかと。昭和の時代を思う、昭和天皇を思う、そ    ういう立場でみどりの日を昭和の日に改めてもらいたい、こうした国民的な署    名運動も活発に行われておりますし、国会でも党派を超えて議員連盟を進めて    いこう、こういう動きがございますが、これに対して総理は積極的に受けとめ    ていただきたい。     総理の御見解を承って、私の質問を終わります。 (5/39) 次の分割内容へ ○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、私は議員の御意見は御意見として真剣に拝聴いた    しました。そして、昭和天皇をしのぶ、その気持ちにおいては私は議員にまさ    るとも劣らないものを持っていると思っております。そして、昭和という時代    は将来ともに日本の歴史の中で考えていくべき非常に大事な時代であったとも    思います。     ただ、明治天皇の御誕生日、これも日本にとって忘れてはならない方であり    ますけれども、このお誕生日が御承知のように文化の日として定着をいたして    おります。そして、みどりの日を祝日とする法律、これが多数の政党の賛成に    よって成立をしたということ、こうしたことを考えますと、慎重な対応を必要    とすることであると私は思いますが、それ以上に、私は実は、みどりの日とい    う名称が決められましたとき、いかにも昭和様にふさわしい名前が選ばれたな    という思いを本当に持ちました。自然を愛され、学者としてもその道の尊敬を    集められる、そして、それこそ陛下が御出席をされる年間の行事の中で特に植    樹祭というものを非常に大切にされ楽しみにして、そのたびに緑のふえていく    ことを喜んでおられた。そのようなことを思い起こしますと、みどりの日とい    う命名は昭和様をしのぶ非常にいい名前だったという気持ちが私はするんです。     ただ、これは国民の判断をされることでありますし、また先ほど申し上げま    したように、多数の政党の賛成によって成立を決定づけたものでありますから、    むしろ国会において昭和の日がよりふさわしいということになりましたなら、    それに私はこだわるものではありません。ただ、私個人としては、いかにも昭    和様のお人柄、御人徳というものをしのぶ上でふさわしい名前が選ばれたので    はないかという感じを持っておりますことは申し添えたいと思います。 ○板垣正君 終わります。 ○委員長(岩崎純三君) 以上で板垣正君の質疑は終了いたしました。(拍手)     ─────────────
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