142回-衆-予算委員会-19号
教育関係
1998年3月5日(木)
盗聴の問題も取り上げられておりますが、割愛しました。
《省略》
○保坂委員 時間がどんどん押してまいりました。
本当に文部大臣に申しわけないのですけれども、私、ずっと子供の問題、子
供たちの悩みの声を聞いてまいりまして、アメリカのウォーターゲート事件も
そうでしたけれども、大人の社会がだめになってくる。あるいは不祥事あるい
はスキャンダル、これは官界、政界も含めて続出している。それが際限なく、
とめどなくと言ってもいいくらいにあるような気がします。
そして、極めて遺憾なことに、社会的な立場もきちっとある方が、追い詰め
られて死を選ぶ。これが極めていたたまれない空気を今日本社会につくり出し
ている。この影響を最も受けるのは子供たちだと思います。
この子供たちに対して、いわば成長を促し、あるいは教育を施していく文部
大臣として、こういった事態をどのようにごらんになっているか。そして、教
育の場から見て、こういったことの早期解決、徹底した疑惑の一掃ということ
が必要と思いますが、御見解、御所感をお願いしたいと思います。
○町村国務大臣 委員御指摘のとおり、昨今のいろいろな、政界あるいは官界あるい
は財界等を含めた一連の事件、これが子供たちに与える影響は少なからずある
だろう、こう私も思っております。
私どもの世代とは違って、今の子供たちは非常に情報にさらされることが多
いし、また非常に情報摂取能力が高い、こう思っております。それだけに、大
変大きな影響を与えているだろうということは想像にかたくございません。し
たがいまして、私どもも、子供は大人の鏡であるという言葉があるように、大
人の世界がやはりきちんとしなければいけないという思いは大変強くいたして
おります。
そんなこともございまして、例えば中央教育審議会、先般、座長中間報告の
骨子といったようなものが出されまして、そこでは、学校に対する呼びかけ、
親に対するあるいは家庭に対する呼びかけ、それから地域社会に対する呼びか
け、そしてその前提として大人の皆さん方に対する呼びかけというのを、提言
という形でお取りまとめを今いただきつつあるという状態でございます。
その大人に対する提言の中には、やはり、みずから大人たちが今の状況をよ
りよくする努力をしなければいけない。それは、さまざまなポイントがあろう
かと思います。ルールを守る、法律を守る、余りにも当たり前のことをまず大
人がしっかりやろうといったようなことが含まれているようでございますので、
そうしたことを含めてしっかりと、まず大人のサイドがやはりきちんとした、
正すべき点は正すということがなければ、子供たちに何を言ったって、お父さ
ん、お母さんたちの世代は何なんだよと言われてしまいますからね。そこはや
はりしっかりと取り組むことが青少年に対する一つの大きな教育そのものであ
ろう、こう思っております。
○保坂委員 大変私も同感いたします。
それで、実は、日本じゅうの家庭でテレビのニュースで飛び込んでくるのは、
だれが逮捕された、だれが亡くなった、だれがどうしたと、非常に暗いニュー
スが余りにも多過ぎる。我々はやはり希望をつくり、光をつくらなきゃいけな
いというふうに思っております。
その点で、中央教育審議会、教育課程審議会、さまざまな審議会では、日本
の教育が一九六〇年代の高度経済成長の時代に、いわば画一的で、早くてきぱ
きと物事を処理する、集団的によく訓練された人間を、生徒たちを育てるとい
う仕組みができ上がり、そしてそれがずっと続いてきて、さまざまな弊害が出
てきたということを審議会答申等で指摘されております。
橋本総理大臣のお話にもあったように、やはり、自立した、チャレンジ精神
に富んだ個人、いわば枠をはみ出せと。言ってみれば、子供たちが冒険心、挑
戦心に富んで、さまざまな挑戦あるいは試行錯誤をしていく社会、そこに学校
も大きくかじを切っていこうということだと思うのですね。
先日、本会議で土井党首の質問の中に、小学生の男の子が水色のランドセル
を背負いたいなと思ったら、つけていったらじゃないんですよ、思ったら、親
がもう心配でいたたまれない。いじめられるんじゃないか、あるいは、そんな
ことをしたら大変になっちゃうんじゃないかと。では、女の子でスカートをど
うしてもはきたくないという子供がいて、昔、たしか戦時中は、もんぺをはか
なけりゃ、逆にスカートなんかだめだという時代もあったわけですけれども、
スカートを義務づけられているというか、制服ではなくて標準服にしている学
校で、どうしてもズボンだ、あるいはジャージーで行きたい、こういう子が実
にいるんですね、目の前に何人も。これは登校拒否を覚悟しなきゃいけない、
あるいは、これじゃ学校へ行けないかもしれないということで、親はもう深刻
に悩んでいます。
ですから、町村校長先生にもう一度、地域の事情にそれぞれ合わせてその場
その場で判断するというようないわば官僚答弁じゃなくて、肉声で、少し子供
たちが希望を持てるような、こういったことに対して、一般論ではなくて、総
論ではなくて、一人一人の子供がみずからの生き方を、あるいは自分のスタイ
ルをつくっていけるような、そちらの方向を目指すべきじゃないかと思うので
すが、御見解をお願いしたいと思います。
(6/7) 次の分割内容へ
○町村国務大臣 日本の教育の画一性あるいは硬直性といったような問題、私も大臣
になって初めて勉強したのでありますが、実に明治時代からそういう指摘があ
り、そして、明治時代から個性を伸ばそうとか、いろいろな指摘が実は出され
ておるんですね。
どうも私も、戦後だけの事象かと思いましたら、決してそうでもないという
ことを発見したりしておりまして、しかしながら、今委員御指摘のとおり、私
は、今の学校制度が、もっと個人の特性を生かし、個性を生かし、それがまた
選択できるような学校制度であったり、あるいは教育内容であったりというこ
とが望ましいのであろうと。 そういう意味で、できるだけ弾力的で選択可能
な、あるいは複線であり、かつ自由なというようなことをやっていったらいい
んだろう、こう私は思っております。そういう意味で、今、教育改革全般をそ
ういう考え方に沿って進めているつもりであります。
そういう中で、例えば学校という場を考えますと、たまたま先般ナイフの事
件があったりいたしましたが、やはり、一つのグループで、集団で生活をし、
学び、そしてみんなで目的を達成していこうという場でございますから、そこ
にはおのずと一定の秩序なり一定のルールなりというものが求められるのは、
これは学校のみならず、ありとあらゆる世界でそれは共通の点だろうと思いま
す。
したがいまして、例えば何々県の何々町の何々小学校で、あるいはどこどこ
中学校で、こういうふうにやったらいいと思うということを、それぞれの中学
校、小学校の先生方がそれぞれの判断、責任において一定の決まりをつくると
いうことは、それはあって当然なんだろう、こう私は思っております。
ただ、それが余りにも瑣末にわたるような場合、ランドセルの色が瑣末であ
るかどうか、私は現場の校長じゃないのでやはりそこはなかなか判断できませ
んが、例えば、よく例に出されました、スカートの丈が何センチ何ミリでなけ
ればいけないとか、プリーツの数が何十本でなければならないとか、率直に言
えば、そこまでいくとやはり瑣末であろうと私は思いますが、そういうところ
まで極めて厳格にやり過ぎることはいかがかなと私も思います。大枠を決めて、
後はその中でそれぞれの子供たちの個性を生かしていく。
私は、授業の中身もまたそうであろうかな、こう思っておりまして、余りに
も画一的なクラス運営をするのではなくて、その子供の進みぐあいに応じた授
業をやったりとか、これからはだんだん教育課程を新しいものにして、選択の
授業をふやしていく、そのかわり基礎だけはしっかりとやる、そういう方向で
今カリキュラム、指導要領の改訂を検討している最中でございます。
そういうようなことで、子供の個性を生かしつつ、しかしやはり学校という
場で守るべきルールは一定程度しっかり守っていくということ、両面を兼ね備
えた形での学校経営、また現場でのあるべき教育ではなかろうか、こう考えて
おります。
○越智委員長 質疑時間は経過いたしております。
○保坂委員 時間がオーバーしましたので、もう終わります。
今回の質疑で本当に、ルールということを、捜査機関の追及によって促され
るのではなくて、やはり自浄作用、根を断ち切るその時期がまさに来たんだと
いう感を深くしました。
私の質疑をこれで終わります。
○越智委員長 これにて保坂君の質疑は終了いたしました。
次回は、明六日午前九時より委員会を開会することとし、本日は、これにて
散会いたします。
午後六時十分散会
(7/7)
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