「卒業記念祭・入学を祝う会の問題」
に関する私のコメント

 埼玉県立所沢高等学校(地元では所高(とここう))は、自主・自立を校風として
自由を大切にした教育がなされています。この校風は長年の生徒・教職員の努力、
そして保護者の理解によりつくりあげられたものです。このような校風を大切にし、
更により良い教育を目指して欲しいと思います。

 所高は、卒業生・保護者は勿論、保護者OBも応援したくなるような高校です。
 所高を応援する保護者OBの一人として、このWebを作りました。
 このホームページでは、所高の活動を報告していきたいと思っています。

 所高では、生徒の自治活動を大切にし、この活動を通して成長を促すという教育 が大切にされています。生徒たちは学校行事に主体的に係わっていますが、新しい 試みなども生徒総会を通じて実現していきます。  生徒総会で議決された事項は、職員会議にはかられます。職員会議で承認されて、 初めて実行されますが、職員会議の承認が得られない場合は、生徒の代表と職員の 代表で協議会をつくり、その協議会で話し合います。  所高は、このように「話し合い」を大切にし、とことん話し合う高校です。
 現在、所高では「卒業記念祭」・「入学を祝う会」に関する問題でマスコミ報道 がなされています。  この「卒業記念祭」・「入学を祝う会」は、生徒総会で議決され職員会議で承認 された所高における正式な行事であり、「卒業式」・「入学式」については、この 所高の「話し合い」を無視したと思える校長の強引な決行により生じたものです。  マスコミでは「ボイコット」ということで報道されていますが、生徒たちにはボ イコットしたという意識はありません。3月18日の入学説明会で生徒会が配った ビラには次のように記されています。
「この『ボイコット』という言葉、ほとんどのテレビやラジオでも使われていまし た。でも、違うのです。私たちは卒業式に代わる行事として卒業記念祭を行ったの です。つまり、この『卒業式』というのは、今この所高にははじめからないものな のです。これは生徒総会でも職員会議でも承認されたことなんですよ。(※でも別 に永遠に存在しないわけではないです。これは毎年みんなで話し合って決めること だから、来年は式を復活させたければそうすればよいし、このままが良ければそれ でもよいのです。こうやって毎年毎年自分達で決めてゆくのですよ) だから校長先生は、学校中の誰の承認も得ていない『卒業式』を独断で行ったので す。・・・・ということで、この場合、卒業式に生徒のほぼ全員が出なかったこと を『ボイコット』とはいわないのです。だってもともとないはずのものだからです。 校長の行った『卒業式』は生徒の認めたものではないのですよ。
 この生徒たちの考え方をどのように思われますか。  「校長の行った『卒業式』は生徒の認めたものではない」ということに、抵抗を お感じになる方もいらっしゃるかもしれません。  ただ、私の理解では「校長の行った『卒業式』は所高の正式な手続きを経たもの ではない」という意味だと受けとめています。このような長年培ってきた所高の民 主的なやりかたを頭から無視して強行された『卒業式』・『入学式』には疑問を感 じます。  しかも、マスコミ報道をお読みになればわかりますが、『卒業式』・『入学式』 への参加については「生徒一人一人が自分で考えて決め」ています。一部の生徒の 扇動といった表現が県議会の文教委員会で見受けられますが、この表現は間違って いるのではないでしょうか。  それぞれの人の考えを大切にしています。  それぞれの人の人権を大切にする、それが所高の教育です。
 今回の内田校長の『入学式』実施をみると、校長は最高責任者なので他の教職員 の意見はどうでもよいといった姿勢がみられます。まして、生徒たちの意見などは 聞く必要がないというふうにみえます。  しかし、学校に権威による押し付けとか管理とかを持ち込んで、教育ができるの でしょうか。  今日、「いじめ」・「自殺」・「ナイフ事件」等々が起こっています。これらの 原因の一つとして、管理教育があるのではないかと思っています。子どもたちの気 持ちにもっと耳をかたむけて欲しいものです。

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