多文化理解
著者は明治期の海外での日本紹介者として知られている。原題は、A Daughter of Samurai。女性としてはじめてコロンビア大学の講師をつとめたということだ。後、福沢諭吉の孫清岡暎一と娘千代野が結婚しているが、諭吉との直接の交流はない。ルース・ベネディクトの「菊と刀」にも登場する。
「武士の娘」のむすびの文章....
「女の子は心配そうに尋ねました。 「両方のお国は泰平で安心していられないでしょうか。船はお互いの国を近づけるものですと先生はおっしゃいましたが。」 すると祖母は、姿勢を正して申しました。 「エツ坊や、異人さんと神国日本の人々がお互いの心の中が判り合うまでは、何度船が往来しても、決してお国とお国とが近づきあうことはありませんよ。」 このお話から年月は流れました。一度、あから顔の異人さんや黒船のお話に耳を傾けていたエツ坊は黒船に乗って、異人さんの住む新家庭へ遠い旅をしたのでした。そしてそこで、西洋も東洋も人情に変わりのないことを知ったのでした。けれども、これはまだ大方の東洋人にも西洋人にもかくされた秘密なのです。それを説明するためには、祖母のお話に話の続編を附け加えなければなりませんーそうしてもまだ終わらないでしょう。あから顔の異人さんも、神国日本の人々も、今尚互いの心を理解しおうてはおりませず、この秘密は今も隠されたままになっておりますが、船の往来は今なお絶えることもございません。絶えることもございません。」 (杉本(稲垣)鉞子著 大岩美代訳「武士の娘」ちくま文庫)実は、縁戚の大叔父の叔母にあたる。というわけで、ご先祖さまだが、血はつながっていない。この一家自体、日本史の上でも興味深い。しかし、異文化との接触をこの時期におこなった鉞子の生涯は特に興味を惹く。