「家族のゆくえ」 はじめに
家族という日々の貌実は、学問の言葉よりも、文学や映画の描写の方が優れているのではないかと感じてしまうことが多い。「家族」という関係は心情的、情緒的な関係である、という意識がそう思わせるのだろう。
とはいえ、その活写さえもが、家族にまつわるたった一つの犯罪や非行や病理現象にはかなわないこともある。「事実は小説より奇なり」というがごとくに、そうした活写の手法もまた、祉会的現実からおのが想像力の源を得ている。まことに、家族という現実は、不可解で、非合理的で、客観的に論じにくいものなのだ。そしてさらに厄介なことに、「家族」について論じる際には、どうしても、論じる者の家族体験が滲み出てしまいがちである。
けれども、やはり客観的な言葉で論じられなければならない家族についての現実がある。とくに、家族関係が歴史的な変化の時期にあると考える老からすると、家族という関係が心情的、情緒的な関係だという意識それ自体の社会的背景がとらえられなくてはならないと思ぅからである。家族ほかくあらねばならないという思い込みや意識それ自体の成り立ちを考えてみたいと思ぅ、こうした見地から書かれた本書は、家族関係の見方を、社会病理学や家族病理学などの言葉で説き明かそうとするものだ。
家族はどんな風に語られているのか。
家族にまつわる不可解な犯罪や非行や病理貌象が発生するたびに、「喪失のレトリック」がもちいられるレトリックとは、どんな立場からある貌象を病理的だと判定するのかということを問うもので、論じられ方が課題となるのだが、「喪失のレトリック」というのは、こうである。近代化とともに都市的な生活の仕方が普及し、匿名化が進み、マス・メディアの発達がこれに拍車をかけ、もって人間同士の本来有していた絆が徐々に失われてゆき、いわば「たが」がはずれた状態になり、人々が欲望のおもむくままに行動することとあいなり、その結果として病理貌象が生まれる、というものだ。家族に即して言えば、「家族関係の稀薄化」ということである。
一般に、家族にまつわる病理現象があると必ず用いられる要因として、母親の過剰介入、父親の不在、知育偏重型教育の歪み、地域社会の衰退ということが挙げられる。これらは横能的なものの見方である。
まとめて言えば、家族という関係の一体感が欠如し、コミュニケーショソが不足し、絆がなくなりつつあるということである。これを一言で「喪失のレトリック」もしくは「衰退のレトリック」と呼んでいる。あるいは、一種の仮説とでもいえるので、「喪失の仮説」、「衰退の仮説」とも名付けることができる。
もちろんこの類のレトリックは家族病理だけに使われるものではない。ホームレスや野宿する人たちが多い地域を「解体地域」と呼ぶ人もいたし、何よりも一人の労働者を「浮浪者」と呼称する差別的な意識ほいまだ生きている。同じように、離解した家族は「欠損家族」と呼ばれていた、いや、いまでもそう呼ぶ人はいる。これも同じ類の社会観である。
夫婦別姓が議論される度に家族の一体感がなくなるという議論はあとをたたない。日本は「単一民族国家」だと信じて疑わない人も多い。みんなと同じでないということがいかにいじめを誘発しやすいかなど、「喪失のレトリック」を前提とした語りは結構ある。 こうして、社会病理貌象が目立ってくると、述べてきたような「喪失のレトリック」が盛んになる。絆を強め、もっと関係を密にし、病んだ人には必ず心の闇や傷があるはずだから探しだし、一定の組織に属さない不登校の子や無職の若者は、要注意人物なので日頃から監視し、社会のすみずみまで、心の襲まで、くまなく照らしだし、共同性を高めていこう、ということになる。「共同体のレトリック」とでもいうべきものの大合唱だ。
しかし、絆を喪失する以前のかつての時代は、そもそも密な共同性を保っていたのだろうか。子どもの数が多かった頃、もっと家族の関係はのんびりして、おおらかだったように思ぅ。子どもはすべてが生き残るとは考えていなかったからリスクを考えて多く産んだということを、祖父母の年代の人は平気で語っていた。もちろん、本気でそう考えての多産ではないにしろ、何かしら悠然としていたという印象がある。
あるいはこんな記憶もある。幼い子どもにとって、親は絶対的のように思うものだけれど、伯父や伯母の多い時代は、親の兄弟姉嫁が、盆暮れには両親の不甲斐ない幼い時の姿を伝えてくれた。「そうか、親もたいしたことはない」と思ったものだ。家族関係を相対化していく契故はたくさんあった。家族はいまほどそんなに密な時代を過ごしてはいなかったというのが実感だ。 だから、喪失したのは家族の絆ではなくて、それを相対化するような、家族を取り巻き、家族の濃密さを薄める役割を果たしていた環境の方なのかもしれない。多産時代の親族ネットワークや地域社会での人間関係など、かつて家族は自らの周囲にある環境に埋め込まれていた、つまり絆が強かったというよりも、それをとりまく社会のネットワークのなかに溶け込んでいた家族の関係が、かつてはあったということではないだろうか。高度経済成長を前後して生きた40歳直前の筆者の経験である。
現代は、家族という領域が独自なものとして存在し、世間が家族に関心を集め、家族を論じることが増えてきた、つまり家族という自意識がかつてに比べて大きくなってきた時代なのではないかと思う。そうすると単純な喪失のレトリックではない、もう少し複雑な家族関係の性格づけをする必要があるだろう。家族関係とはいったいどんなものとして存在しているのか、ということが本書の問いである。
こうした見方で本書を編んでみようと思った背景には、もちろん筆者の個人的な家族の体験がある。現在は、別姓の同居人として関係を営むようになった連れ合いに教えられた女佐学の考え方や女性としての立場と感覚、はじめての娘に鍛えられた父性、親睦を楽しむ余裕も出てきた父親としての思いと、多くの息子がそうであるように、言葉少なく、なかなか語り合えず、ついつい男らしくふるまってしまう相変わらずの息子である由分とが織り成す、この40年間の来し方からにじみでている私的な体験である。
また、アメリカに留学していた時に出会った友人たちの家族も多様だった。離婚と再婚を繰り返す「クレイマー・クレイマー」の国の人々は、やはり身近に接してみて実に新鮮だった。女性の性愛者同士が相互に子どもを面倒みるために日程の調整を行う姿、敬虔なユダヤ人家族は日々の家族の食卓に祈りを捧げ熱心に家族を演出する。生涯結婚しないと決めた人たち同士の奇妙な共同生活、三回日の結婚だといって30歳は年齢の離れた妻を紹介してくれた大学教授など実にいろいろだ。
そうした目でみれば、この間私もずいぶんと変化した。別姓結婚(事実婚)をめぐる一連の駆動(親との対立)、受理してもらえない婚姻届、ラマーズ法による自然出産、認知届と出生届、非嫡出子問題との出会い、男性問題や男性学との出会い、メソズセンターというNPO(非営利団体)での運動、スウェーデンでの迫力ある家族問題への取り組みの見聞、アメリカの男性問題への取り組みの調査などをとおして、あたりまえのように生きてきた家族についての常識と心の風景は激変した。
とはいえ、声高に家族解体を叫ぶつもりもない。ただ、家族についての自分なりの生き方を選択できるような、そんなライフデザインを描ける社会であればいいなと願うだけである。選択肢をいかに増やしていくか、家族のあり方の多様性はそれを考える格好の素材を提供してくれる。
物語家族という言い方は、こうした事情を背景にしている言葉だ。家族の多様性が高まれば高まるほど、私たちは自分たちの物語を築いていくしかない。共同体がもっていた通過儀礼も失われつつある今、家族は自ら家族構成員の成長を祝い、自立を促し、死を看取るという物語を編み上げていくしかない。家族という関係が純粋になり、その情緒的機能だけが最後に残ることとなればなるほど、こうした自己物語が必要になる。物語家族というのが、筆者なりの家族の現在を特徴づける言葉である。
この本は、末尾にとどめたように、この聞書きためてきたものを一つに編んだものである。NPO活動などをとおして体験したことや男性問題についてアメリカやスウエーデンで見聞したことを別の書物にしたためる作業と前後して書いた家族にまつわるものを集めている。この間出会った多種多様な人々の生きざまに多くを学んでいる。いろいろな種類の家族の、困難に出会いながらもなんとかその状況と折り合いをつけ、自分を説得しながら生きている人たちの声が背景になっている。そして、事実婚で連れ添う同居人と絶えず私親性を鍛えてくれる一人娘からも同じようにいろんなことを教えられている。こうした出会いのなかから生まれたのが本書である。