「ヒッ、ヒッ、フー」と二人で息をしながら、今はすでに四歳になる、初めての子が出てくるのを待った。30数時間という難産の始まりだった。こんなところで大丈夫かなと案じながら、ひたすら待った。それは京都の助産院の一室。狭くて暗い部屋。陣痛が始まってから分娩直前までを過ごす部屋だ。
明るくて、清潔で、安全に管理された近代的な病院とはまったく対照約なやり方だった。助産院とは、要するに民家だ。医者はいない。戦前からの生業として続く老舗助産院。ベテラン助産婦だけが頼りだ。産後一週問ほど入院する母子のために食事をつくる息子とパートの助手で切り盛りする。その技にのみ信頼しきって多くの人が訪れる。
とくにラマーズ法と看板を掲げてはいない。お産は夫婦で行うものだという信念が実に自然に若い夫婦を導いていく。
「二人でつくったのだから、二人で産みなさい。ラマーズ法だかナマズ法だかそんなことはどうでもよろし」と言う。考えてみれば、至極当たり前のことだ。そうですねとうなずくしかない。
母親だけでなく、父親も一緒に来て、胎児がどんどん育つように、あなたたちも親になる準備をしましょうと言う。考えてみれば、親になることなんてだれも教えてくれなかった。自分の両親だって何を言うわけでもない。特に男は何も知らない。親父が私を育ててくれた記憶はまったくない。女性は体内に子どもがいるのだから親になることは自然に受け入れられていく。身体をかけて親になる。
でも、男は違う。とにかく因った。できることはお産や育児に関する本を読むことだけだった。頭で親になるしかない。別姓の連れ合いに笑われた。「学者らしく親になるのね。本ばかり」と。とは言われてもね。知育偏重型の親になってしまうのではないかと真剣に悩んだ。
助産院に二人で通いながら、ゆっくりと親になる準備をする。助産婦さんは医者ではない。おなかをさすり、親に話しかける。とにかく歩けとアドバイス。できれば二人で手をつないでや士の道を散歩するのがよろし、と言う。胎児の心音を直接聞く。そして、安心させてくれる。リラックスさせてくれる。「逆子なんてひょいと直せるよ」と言われた時には、「助産婦さんは宗教家だ」と感動してしまった。「よし、ここで産もう」と二人で決めた。
なかなか出てこない。子宮口が開かないのだ。独特の呼吸法で子どもに酸素を送る。痛いところをひたすらマッサージ。妻に合わせて一緒に呼吸。無我夢中の二人はもう必死の形相。ようやく頭が見えた。力むがまだまだ。こちらも思わず下腹部に力が入る。
ようやく、ヌルッと出てきた。へその緒を首に巻いて出てきたわが子は、2750グラムの娘だった。母子をつないだ命綱をチチョキンとはさみで切った時、喜びとともに責任を感じた。
北米大陸の先住民族にはベルダーシュという儀礼があったそうだ。夫も一緒に分娩を行う。ラマーズ法のごとき生易しいものではない。地域によって異なるらしいが、陰嚢に傷をつけ、血を流す。苦痛で顔をしかめる。感極まる男の出産だ。題して「擬娩」という。産後も妊婦と同じように、傷を癒すために肥立ちの時期を過ごす。
そこまではいかないが、この共同出産体験は、男である私には刺激的だった。とにかく夫たる私がしっかりしなければいけない。助産婦さんはまだまだですあと悠長なことをおっしやる。父親たるあんたがおろおろしてはいけないと、厳しい。何千人と取り上げてきた助産婦さんには、そのうちの一人にしかすぎないが、こっちはかけがえのない、それきりの体験だ。しかも医者はいないのでもしもの時は大丈夫かと不安は募る。
狭く暗い部屋の中で不安と期待におののきながら、時間の過ぎるのを二人で乗り切るという状況は、今から考えれば、あまりにも出来すぎた、儀礼的な親になる作業空間だった。
病院出産となればこうはいかないだう。会陰切開と縫合、明るすぎる部屋、なかなか認めてくれない夫の立ち会いなど、儀礼的な共同作業としての出産は望むべくもない。何らかの異常やリスクがあるときは、近代的なお産が必要だろうが、大半の正常分娩には、こうした「親性」の発達を促すような「演出」が必要だと思う。
そのためには、「擬娩」とまではいかないが胎児とともに、男の親としての意識と構えを養うとともに、「妊夫教室」を開きたいし、「父子手帳」も交付したほうがいいと思う。男の責任、それは一種の製造物質なのだ。
「3歳児神話」いうのがあるらしい。乳児のうちは母と一緒に過ごすのがよろし、ということだそうだ。父はいなくてもいいのか、母が働きたいときはどうするのか、なんていうことはおかまいなしの、勝手な神話だ。
わが家の娘は、そんなことは少しも考慮されず、保育園へ。幸い、三か所程度見学しただけでますまずの保育園が見つかった。いろいろな年齢の保母さんがいること、できれば保父さんがいればもっといい、給食に気を配っているかどうかが、保育園選びの私の評価ポイント。
五月生まれの娘は、九月にはすでに小さな社会のなかで集団生活を始めた。「神話」は3ヶ月に短縮された。この3ヶ月の間、確かに母と娘は親密な時をすごした。母乳がある以上、男は介入できない。私は父としての別の役割を発揮すべく努力した。
別姓という事実婚なので、出生届の前に認知届が必要になる。婚姻していることが証明できないので、わざわぎ別途、認知届を出さなければならない。子どもを産んだという事実だけで女性は母になるけれども、男性はそう簡単に父にしてくれるわけではない。父は制度がつくることを実感した。
仕事の合間をぬって、母子のための世話をした。ほ乳びんはその都度、煮沸消毒した。資源の節約にと思って紙おむつは避けた。「の」の字を書くようにおなかを洗う沐浴も丁寧に行った。乳児の病気についての本は熟読した。なんだかすごい「マニュアル・パパ」だったなとつくづぃ思う。
慣らし保育も無事すぎて、保育園通いが始まった。生活のリズムが出てきた。夜もよく眠る。不思議なもので、だんだんと「マニュアル・パパ」の緊張がほぐれていった。ほ乳びんの消毒が面倒になった。便利なので紙おむつも使い出した。病気をしてもあわてずに保育園ママから評判の病院を聞き出した。沐浴もずいぶんと手抜きになった。
もちろんこれは父の方で、連れ合いはちゃんとやっていたようだけど。赤ん坊は生きようとするエネルギーに満ちているので、その力に寄り添うように援助していけばいいと思い始めたら、ずいぶんと楽になり始めた。
娘は「桜咲いたら一年生、ドキドキの一年生、友達いっぱいつくるんだ」と楽しそうに春の歌を歌っている。卒園する子たちの歌を真似している。のどかな風景だが、親はそうはいかない。
学校に勤務していると年度の終わりと初めは慌ただしい。おまけに、この時期に保育園の春休みがあるので、毎年、保護者たちが自主保育体制を組む。その準備もしなければならない。
この春は、「桜咲いたら、消費税」と歌詞を変え、買いだめできるものはしておきたいと、「主夫」の思いも募る。慌ただしいかぎりである。
自主保育にはボランティアが必要だ。京都学生ボランティアセンターに依頼した。ここにはボランティアをしたい人と、してもらいたい人をマッチングさせるコーディネート機関だ。センターを通して駆けつけてくれた学生ボランティア、そして私のゼミ学生たち。四日間、延べ十五人のボランティアが、十人前後の子どもの面倒を見る。
ボランティアの活動は、年長の子どもたちに遊ばれているという感じだ。若いボランティアたちは、体力で勝負するしかない。園の庭をひたすら駆け回る。かくれんぼ、鬼ごっこ、肩車、四人だっこと結構ハードなボランティアだ。
「朝から飛ばすな」と言ったけど、無理。昼食後にダウンしたボランティアは、子どもの午睡の時間に一緒に寝ていたそうだ。こう心た光景を見ていると、保育は専門的な活動だということをつくづく実感する。保母さんはさすがにプロだけあって、芸と技で勝負する。ゲーム、体操、ピアノとメニューは豊富だ。
短い時間だったけど、ボランティアたちとの別れは寂しい。夕方迎えにいくと、「また来てね、バイバイ」と別れを惜しむように握手をする誰かに頼られるという経験は、若いボランティアたちの心を動かしたようだ。役立つという気持ちは効用感、達成感である。
一期一会のボランティア、非日常としてボランティア、自主的自発的だけど責任だけは重いボランティア、自己満足としてのボランティア。崇高なものでも、清いものでも、善なるものでもない。不恩議な活動だ。四日間の体験は、かかわった人みんなにとって心地よい余韻を残した。
保育園がないとやっていけない。働いているのだから、家事と育児と仕事の両立は難しい。時間のやりくりも大変だ。
自宅と保育園と勤務先が近いので、ずいぶんと助かる。同じ職場に勤務する保護者もいて、時々はお迎えを頼む。これがすこぶる便利だ。場合によってはそのまま夕食もごちそうになる。こうなると最高だ。子ども同士は喜ぶし、こちらもずいぶんと手を抜き、夕食の支度をしなくてもいいし、仕事に専念できる。もちろん、ギブ・アンド・テークだが。
他の保護者から、子どもの古着をもらう。午睡用のふとんセットをもらう。いい病院の情報をもらう。ついでに病気ももらってくるが。こうした人とのつながりの中で、したたかな親になっていく。
ほかのお父さんとは仕事のことでも話ができ、異業種交流にも役立つ。保育園の送り迎えをするお父さんは数少ないので、保育園少数派としての連帯意識が芽生える。
子ども同士の付き合いもある。友達が家に遊びに来たりすると、子どものロを通してその家の子育ての具合が分かる。
「うちの父さんよくたたくで」「うちのママの方が料理うまいな」「どうしてパパが迎えに来るの? 仕事してへんの?」「このうち汚いし、狭いな」「もっとおやつちょうだい」…
なんだこいつら、勝手なガキども。親は、いったいどんなしつけをしているのかと言いたくなるが、わが娘も同じように、よその家でこう言っているのかと思うと、何も言えなくなる。
少子化社会では、家族を大切にする意識が高まり、愛情こそが絆とばかりに密着度が高まる。親密で、愛に満ちた関係は、他者を寄せつけない、見えない壁をつくる。家庭関係にものすごい緊張が形成されていく。
子どものしつけとコントロール、愛情と束縛、善意と地獄、保護と息苦しさはメダルの裏表。家族の周りにある見えない壁を低くするためにも、子育てを通して形成される他者との関係を大事にしたい。子育ては人をつなげるネットワーキング。少子化社会のいいところをもっと発見したい。
所用があって、平日の朝の新幹線で東京に向かった。春の日差しを浴びて心地よく疾走する列車の中では、ビジネスパーソンたちが書類とにらめっこ。コーヒーの香りが広がる静かな空間だ。
途中で三歳ぐらいの男児を連れたお父さんが乗り込んできた。珍しくもほほえましい二人の姿に印象づけられた。お父さんは、むずがる子どもを何とかしようと懸命。窓の外を見せたり、絵本を読んだり、おやつをあげたり、実に熱心だった。しばらくは何事もなく過ぎた。
突然、その子が駄々をこね始めた。ぎゃーぎゃ−と騒ぎだした。狭い空間では騒ぐのは 無理もないなと、同じ年齢の子持ちの親として同情したのだが、なかなかおとなしくならない。
すると後方から「静かにさせろ!」と声が飛んだ。まあそんなに言わなくても。そのうち落ち着くのにと思っていたら、そのお父さんが子どもに言い始めた。「後ろのおじちちゃんがやかましいと言っているよ。もう少し静かにしなさい。ちょっと辛抱して」と。そんなことはおかまいなしに、子供は相変わらず、わめいている。
ちょっと持てよ。
よく考えてみると、この父子の会話は変だ。今子どもはお父さんの言うことを真に受けていない様子だし、お父さんもしかり方に何か真剣味がない。
そう、このお父さんの話し方には主語がないのだ。後ろに怖いおじちゃんがいて、怒っていると言っているだけだ。だから子どもも何をしろと言われているか分からない。要するに、お父さんである自分がどう思っているかが欠けている。「公共の空間で迷惑をかけてはいけない」と、このお父さん白身が語らなければならないと、私は思った。
父性の復権という議論がかまびすしい。子どもの問題行動が多くなると、こうした議論が盛り上がる。やさしい父、理解ある父、友達みたいな父が増えすぎて、強い父、威厳のある父、厳しくしつける父がどこかへいってしまった結果、家族を束ねることのできない事態になっている、というのである。
でも、肝心なことは、主語を持った私がきちんと子どもに語るいうことではないだろうか。それは母でも父でもいい。近所のおっちゃんやおばちゃんでもいい。とにかく「私があなたに話す」という関係をつくることだ。
「マンマ、パーパ、マーマ、ジューチュ(ジュースのこと)と、赤ちゃん言葉で話していたと思ったらみるみるうちに言葉が多くなってだれが教えたわけでもないのに、やっぱりすごいと感心していたが、魚のことを「かさな」、机は「くつえ」、テレビは「テビレ」、イチゴは「いごち」、バナナは「ナバナ」などと言う。まだまだ子ども。特に三文字の言葉がこうなりやすい。3歳3ヶ月になるまで、私の留学に付き合って、娘は八か月ほどアメリカのサンフランシスコ近くで過ごしたこどがある。サンキュー、ハロー、ウップス(し
まったとか、おっと、という意味)といった言葉や、トイレに行きたい時にはピピ、おやつやジュースをねだる時にはプリーズ、出かける時にはゴー、そしてシャンフランス(サンフランシスコのこと)などという言葉も出てくる。アメリカの保育園で覚えた英語だ。園で一番よく使ったのは、「アップルジュース、プリーズ」という言葉のような気がする。保育園の中をうまく生きていくために覚えたサバイバル・イングリッシュ。帰国したばかりの時にはこうしたカタカナ言葉も出てきたが、時とともに忘れていく。
それでも時には、これ英語で何て言うのとか、英語の絵本を読んでほしい言う。自分でも英語風に本を読むことがある。それに身体がアメリカを覚えているようで、人差し指を立てたり、話をする時には明快に指図するように言う。自己主張の激しい国の文化を学だ片鱗が今でも残っているようだ。
時々、私の米国の友人が来て話したり、テレビで英語が出て来たりすると、訳の分からない言葉ではなくて、日本語とは違う別の言葉だと分かるようだ。耳の構えはできている。
とはいえまだまだ四歳児。シタベッキ(スパゲッティ)マクドドナルド(マクドナルド)、レストラ(レストラン)と言いながら、ほほえましい言葉の世界を生きている。でもだんだんと言葉のひっくり返りも少なくなり大人と同じようになるのが、少々寂しい気がする。
子供が純粋無垢な世界から離れ始める時に親の心も変化する。「這えば立て、立てば歩めの親心」にも欲が出てくるのだ。ピアノや幼児英語という塾の隆盛である。3歳から4歳にかけて、子供は親の欲にもまれ始める。
絵本の好きな娘は、こちらの声がかれるほどまでに、本を読んでとおねだり。想像力を養うには絵本はもってこいだと思うし、何よりも、世知辛い大人の世界に生きていると子どもにせがまれて読む絵本も、しばしのやすらぎの時となるから、ついついのめり込んでしまう。
かつて私も好きだったファンタジーの世界を思い出す。ポケット、洞くつ、窓、トンネル、押し入れなど異世界に飛び込むのは「穴」と相場が決まっている。そこから不思議な出来事が始まる。お決まりの展開だけど、奇想天外のストーリーが親子を引き込んでいく。
もうどれくいの絵本を読んだのだろうか。お決まりと言えば、絵本の中の父親のイメージはあきれるくらいだ。もちろん、母親もお決まりのイメージで描がかれているが、なにせ登場頻度が違うし、描かれ方は豊富だ。
その点、父親は、あまり絵本に出てこない。一番多いのは間抜けなイメージ。そして逆に、あまりにも尊大なイメージか、働いていて留守か、早死にしているか、そんな程度である。
でも、そんな中で「これはいける!」と思わせる、父親や男性のことをうまく描いた絵本に出合うことがある。
たとえば、『100万回生きたねこ』(佐野洋子著)。死んでも死んでもまた生き返る。おれは死なないと威張ったオス猫が、愛に芽生えてやさしい猫へと変わっていく。『ぼちぼちいこか』(マイク・セイラー著)は、何をしても失敗ばかりのオスのカバが主人公。ぶきっちょな人生だけど、やっぱりマイペースがいいということらしい。
『パパ、お月さまとって!』(エリツク・カール著)は仕掛け絵本だ。何とも雄大で、気持ちがおおらかになる話。仕事がうまくいかない時に続むと救われる感じがする。『ピートとうさんとティムぼうや』(マーカス・フィスター著)は、一生懸命に息子の面倒をみるペンギンとうさんの話。ピートとうさんの自然体の子育てが、雪の中を生きる親子の触れ合いの温かさを際立たせている。
『おりょうりとうさん』(さとうわきこ著)は、料理をしたいという、とうさんを野菜が邪魔し、子どもやかあさんが嫌がる話。どうなることやら−。
とはいえ、とうさんの好きな本を娘が好むとは限らない。絵本にはまっているのはどうやら私らしい。
学生の現を対象にした催しで「自立と依存の家族物語−親の自立・子の自立」と題して話をした。
芥川賞作品、柳美里さんの『家族シネマ』を手がかりに、アダルト・チルドレン、夫婦間葛藤、父親不在と母性過剰、中年期の自立、児童虐待をはじめとする家庭内暴力などの内容を、家族のあり方が社会的に話題となる昨今の時代状況の背景として話した。
そんなテーマを掲げたのは、学生たちと接して気になることがあるからだ。反抗期をはっきりと思い出せない学生たちが増えている。自立と自由に戸惑う五月病も今は昔の話だ。
尊敬する人物に自分の父や母を選ぶ学生が結構いる。友人との摩擦を嫌う、優しい性格の持ち主が多くなってきた。元気な女子学生に出会うことしばしばだが、男子学生が何となく頼りない。教師の話にすぐに感動し、そのまま受け入れてしまう。
だからといって、今ごろの学生はうんぬん,と患痴をこぼしたいのではない。以前の学生に比べていいところもたくさんあると感じてはいる。しかし、学生たちの姿に、戦後社会の家族という点での一つの到達点、とくに‘70年代後半からの家族関係の変化があるように思えてならないからだ。
つまり、大黒柱として働く実と、パートもしくは専業主婦として家族を支える妻と、「一姫二太郎」の子どもたちから成り立つ、幸せを絵にかいたような標準世帯(核家族)に育った学生たちが大半だという点である。
戦後社会が家族の理想郷として目標にしてきた姿が、ここにある。そこで育った学生たちが示す「問題ともいえぬ問題」が気になるということだ。
もちろん変化は総体的だ。すでに反抗に値する親でなくなりつつあるのかもしれない。
五月病を生み出すほど大学はカルチャー・ショックを与えていないようだ。元気印の性差は女と男の関係が変容しつつあることのあかしだ。こんな具合に、たぶん大きな問題とかかわっているのだろう。
とはいえ、さしあたりの関心は、核家族の内部で起こっているのは何かということ。親離れできない子と子離れできない親がつくる親密で愛情に満ちた家族の呻吟(しんぎん)する姿だ。
青年と中年、親と子、女と男は合わせ鏡のようにして、互いを映し出す。青年期の自立の課題を通して見えてきたことは、講演会で熱心に耳を傾ける父母のまなざしに映る、中年期の自分らしさを探す姿だったのではないかと思っている。
公園でお父さんを見かけることが多くなってきた。家事は苦手だけど、育児にかかわろうとする男性は、少しずつ増えているように思う。でも、遊ばせ方、しかり方、しつけ方を見ていると、男らしく親になろうとする方が多いようだ。
例えば、男の子には、危険なことにチャレンジさせようとする。しかも、子どもの意思や気持ちを無視してそうさせようとする。
また、しごくようにキャッチボールやサッカーの練習をしている。うまくできない時はきつくしかる。できてもあまり誉(ほ)めない。忙しい仕事の休みをぬって子育てしようとすると、ついつい力が入るのだろう。
気持ちは分かるが、女の子には負けさせまい、競争に打ち勝つ強い男の子になってほしいと、ひたすら張り切るお父さんのやり方は、どことなくこっけいだ。
一方、わが娘は絵本が好きなので、よく図書館へ行くけれど子どもに読み聞かせしているのはお母さんが多い。植物園で優しく花を愛(め)でるのも母と子だ。
そんなことをするお父さんは少ない。男が親として活躍するのは、やはり戸外のスポーツものか、アウトドア活動だろう。女性からすれば「そんなの育児のいいとこ取りだ」ということになる。
そう、子育てを通して、性別の役割分担ができていくのだ。女らしく母になるし、男らしく父となる。家事も育児も、もちろんしないよりはした方がいいのは間違いないことだけれども…。
「男は仕事で女は家事・育児」という性別の違いに基づく役割分担から、「男は仕事で女は仕事に家事と育児」という新しい役割分担に移り、そして「男は仕事で家事も育児も男らしく、女は仕事もできて家事と育児は女らしく」という具合になりつつあるようだ。
役割分担は、相変わらず堅持されている。こうして男の子は男らしく男になっていく。男らしさの問い直しが始まる昨今ではあるが、一方では、父親には家族への責任は果たして欲しい、そして同時に男らしさからも自由になって欲しいと願う者からすると、やや思いは複雑だ。
何もしない男よりましだと思う女性も結構いるからだ。父親になることと、男らしさからの自由はどうすれば両立するのだろうか。
しかし、あれこれと悩む父を無視して、今日もわが娘は女の子らしい遊びに夢中だ。せめて、自分らしく女の子になって欲しいと願うばかりだ。
父子家庭のお父さんたちと話をしていると、いろいろなことを考えさせられる。父性を通り超し、母性的なものも含んだ「親性」を持つことが必要になるし、仕事をはじめとした社会では、なお期待される男らしさにこたえなければないからだ。
父としての親、稼ぎ手としての男を演じ、この両立しがたい役割を身に着けようと努力している者だからこそ、見えてくることがあるのだ。
育児休業制度がある。男女とも取得できる場合が多く、それなりに浸透し出した。しかし、現実は厳しい。
就業時間がきて、「子どもを迎えに保育園にいくので、残業はできません」「今度の出張は夜遅くの帰宅となりますので、子どもの面倒をみなければならない私としては行けません」と言わざるを得ないお父さんは、男らしく働くことを期待される職場では、実に肩身が狭い。
「そしたら再婚したらどうか」とか、「君の両親に面倒みてもらえないのか」というアドバイスをもらう。父になることを忘れろと言わんばかりだ。
思春期になる娘がいると、いろいろ大変だ。下着を買い与え、生理について教え、性と生殖のことを話題にしなければならないからだ。息子に対しても、性のことをきちんと話す父は少ない。
そして、離婚して父子家庭になった場合は、そのことが心のどこかに引っかかっている。男の離婚体験はなかなか聞き出しにくいし、本人もきちんと整理がつかず、忘れようとする傾向がある。
だが、気持ちの整理は大切で、現実を受け入れ、生活を再建し、子どもを育て、仕事を続けるという日々の暮らしを続ける出発点となる。男にとっての離婚は、慰謝料や養育費の支出も含めて、まだまだ語られていない。母子家庭についての関心は高いが、父子家庭への手厚い福祉的なプログラムは必要ないのだろうか。父子家庭問題なんてあるのか、というのが現状で、今はサイレント・マイノリティ(静かな少数者)だ。父親らしさと男らしさのすき間を生きる彼らの努力の中に、シングルペアレント(単親家庭)が増えていくだろう将来の課題を導き出したい。
「クレイマー・クレイマー」から「ミセス・ダウト」にいたるアメリカ映画の離婚と家族と父親のことを主題にした話が、いつまでも遠い国の出来事だと高みの見物はしておれなくなるだろう。母の日に比べて華やかさに欠ける父の日に、そんなことを思った。
どうもよくない。親が忙しいと子どもに当たってしまう。こちらに余裕がないと、「早くしなさい!」という言葉の連発となる。起きてから寝るまでに何度この言葉を使っているのだろうか。
ピークは保育園に出かける朝。それはもう戦場みたいなもので、てんてこ舞いだ。よくみれば、子どもなりのペースがあって、どんな色の服を選ぶか、ご飯をいれる弁当箱はどんなのがいいか、コップは何色のがいいとか、きちんと子どもらしく考えていることが分かる。
自分で決めて、ゆっくり支度ができることは分かっているが、仕事があるので、悠長に待っていられない。ついつい言葉が荒くなる「急がないとおやつは抜き」「今度の休みに公園連れてってあげない」「よその家の子はきちんと言うこと聞くのに」などと言ってしまう。
あるいは逆に、優しくなって、「帰りにアイスクリーム食べようか」「今日の夕食はカレーにしてあげる」「プリクラに寄って写真を撮ろう」「レンタルビデオ屋に寄ってあげる」となる。どうしてこうも貧しい言葉でしか言えないのかと、憂うつになる。しかも、モノで釣るとは、いやはや情けない。
感情の塊のような子どもを相手にしていると、自分の感情の処理の仕方が、悲しいほどによく見えてくる。怒りと焦りをはじめとして、親の思うように子どもが動かないことに対して言葉が荒くなる。そうなると、怒りの感情から、単に言葉だけではなくて、手が出てしまうこともあり得るなと感じる。
子どもとかかわり出すと、こうした感情面でのストレスが高まる。特に父親の場合は、気持ちを伝え合ったり、共感的なコミュニケーションを図ったりすることが不得手なようだ。怒ることは得意だが、褒めることは苦手という父が多いと思う。感情をきちんと表現できる父は、ずいぶんと出来た男だと思う。いろんな市民運動にかかわるなかで、離婚して子どもを引き取った父子家庭の父、障害児を育てる父、育児休業を取得した父、公園でキャッチボールをして、うまくなったと褒めることのできる父、娘と一緒に花や虫を愛(め)でる父、保育園に迎えに行くので残業できませんと言える父、娘や息子に性のことをきちんと話せる父に出会った。
ずいぶんと多様な姿の父である。こうした父たちに、「濡れ落ち築」という言葉は似合わない。感情や気持ちを柏手にきちんと伝えることが、二十一世紀へと生き延びることのできる男の重要な条件だと思う。