<沖縄県第三準備書面> 第八 米軍基地のもたらす違憲状態



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 一 平和的生存権の侵害
  1 平和的生存権誕生の歴史的背景
    平和的生存権は、想像上生み出された抽象的観念的な権利ではなく、人類の
   幾多の戦争、特に二〇世紀における戦争の経験を通して具体的な形で存在する
   権利として誕生したものである。
    平和的生存権を生み出すに至った背景としてまず挙げられるのは、二〇世紀
   における戦争が、これまでの戦争観・平和観を一変させてしまったことである。
   諸国の人々が二度にわたる世界大戦の経験から認識したことは、戦争が戦勝国、
   敗戦国に関係なく、ただ双方ともに甚大な被害をもたらすだけだということで
   ある。これによって、国家間の問題解決のために戦争に訴えるということは違
   法であるという一般的な考え方が形作られていった。例えば、一九二八年の不
   戦条約は国際紛争解決のための戦争を違法視し、国策の手段としての戦争の放
   棄を宣言している。また一九四五年の国連憲章も平和的手段による国際紛争の
   解決を国連の目的の一つとし、武力行使を原則的に禁止して、戦争を違法なも
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   のとして捉えるというものである。このように、戦争に対する基本的な考え方
   の変化が平和的生存権誕生の大きな歴史的背景となったのである。
    また、戦争が国家そのものにもたらした被害は小さくなかったが、一般国民
   にもたらされた被害の方は、それをはるかに凌ぐものであったことも、平和的
   生存権の確立を求める原因であった。二〇世紀の戦争の特徴はいわゆる総力戦
   にあり、一般国民を直接巻き込んで行われてきた。従って、その被害の甚大さ
   は、これまでの戦争の場合の比ではないことは明らかである。ちなみに戦死者
   数を挙げれば、一八世紀は四四〇万人、一九世紀は八三〇万人と倍近くに増え
   ているが、二〇世紀に入ると一挙に前世紀の一〇倍をはるかに超える九、八八
   〇万人にも達する(World  Military and Social Expenditures,1986.p26 .山
   内俊弘・古川純一「憲法の現状と展望」)。特に、広島、長崎の例に示される
   ように、核戦争という状況の下では、戦争の口実が何であれ、最も悲惨な被害
   者は一般国民であることが明白である。このようなことから、国民自らが戦争
   を拒否し、平和のうちに生存することを誠実に希求するのは、極めて自然な姿
   であった。
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    さらに、平和と人権の不可分一体性が一般的に承認されてきたことも、その
   名の示すとおり「平和的生存権」の登場を促した必然的要因として挙げられる。
   平和のない戦争状態においては、軍事優先の国策がとられ、国民の人権が侵害
   されることは、戦前のわが国やナチスドイツの状態の例がよく証明している。
   したがって、平和を維持することが、人権保障の必須の前提であるといってよ
   い。たとえば、一九七五年の欧州安全保障協力会議の「ヘルシンキ宣言」は、
   「人権と基本的自由の尊重は、・・・平和、正義ならびに福祉にとって基本的
   な要素である」としている。また、逆に思想・良心の自由、言論・出版などを
   通してなされる政府批判の自由、国民意思の反映を図る参政権、などの人権を
   保障することが独善的な政府の行為による戦争を防止し、平和を維持する有効
   な手段となる。このように平和と人権が密接に関連しており、両者は不可分一
   体であることは、たとえば一九七八年の「平和と人権=人権と平和」会議(オ
   スロ会議)の最終文書が、「平和への権利は、基本的人権の一つである。いか
   なる国民も、いかなる人間も、人種、信条、言語、性によって差別されること
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   なく平和にうちに生存する固有の権利を有する。」、「基本的人権と平和は、
   いずれか一方に対するいかなる脅威も、他方に対する脅威になるという意味で、
   不可分である」としていることにも強く示されている。これらの背景によって、
   平和が人権保障に不可欠のものであることが確認され、そこから、戦争のない
   平和な状態で生存すること自体が、人権であると考えられてきた。
  2 国際社会と平和的生存権
    戦争や軍隊のない状態で平和のうちに生存する人間の権利を擁護する考え方
   は、国際社会においてもすでに採用されてきた経緯がある。一九〇七年の陸戦
   の法規慣例に関する条約や一九二二年の空戦に関する規則には、いわゆる軍事
   目標主義が定められており、一切の戦争と武力保持・行使を放棄した状態にあ
   る都市・住民は、武力攻撃を受けることなく、平和のうちに生存し得ることを
   保障したと考えられる。また第二次大戦後の一九七七年に署名されたジュネー
   ブ条約追加議定書も、非武装地帯への攻撃禁止を定めており、非武装地帯の住
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   民は、外部からの武力攻撃を受けることなく、平和のうちに生存しうることが
   国際社会でも保障されるに至ったのである。
    また、最近の国連決議の中にも、明示的に平和的生存権の保障をうたったも
   のが登場してきた。一九七六年の国連人権委員会決議は「すべての者は国際の
   平和と安全の条件のもとに生きる権利」を有する旨をうたい、一九七八年の国
   連総会決議「平和的生存の社会的準備に関する宣言」は「すべての国とすべて
   の人間は人種、信条、言語または性のいかんにかかわらず、平和的生存の固有
   の権利を有する」と定めている。また、同年の総会決議軍縮のための国際協力
   に関する宣言」の前文も「すべての国とすべての人間が有する、戦争の脅威な
   く自由と独立のうちに平和に生きる不可譲の権利」を強調しており、さらに、
   一九八四年の総会決議「人民の平和への権利についての宣言」でも「地球上の
   人民は平和への神聖な権利を有することを厳粛に宣言する」と述べている。
    「平和に生きる権利」、「平和への権利(right to peace)」に示されるよ
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   うに、戦争のない状態で平和に生きること自体が、基本的な権利、すなわち平
   和的生存権として、今日では国際社会、国連の場でも確認されるに至っている。
   このことは、日本国憲法の平和的生存権が、世界的な人権思想を受けて我が国
   の戦争体験の上に築かれたものであることを示している。この点、九条の戦争
   放棄条項をはじめとして徹底した平和主義を使用した日本国憲法は、国際社会
   における平和をめざす流れの先端を行く考え方を取り込んだものといえる。

  3 日本国憲法と平和的生存権
 (一) ポツダム宣言と平和的生存権
     五一年前の一九四五年八月一四日、ポツダム宣言の受諾に伴い日本の敗戦
    が確定した。ポツダム宣言の具体的内容は、戦争遂行能力の破壊、平和安全
    と正義の新秩序の確立、軍国主義権力の除去、軍隊の武装解除及び撤退、民
    主主義の復活強化および基本的人権の尊重、平和産業維持と軍需産業の廃止、
    国民の自発的意志による民主的政府の樹立などであった。同宣言のほとんど
    の項目が、日本国憲法の三つの柱となる原理である国民主権、基本的人権の
    尊重、平和主義に関するものであった。すなわち、実質的にはポツダム宣言
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    の受諾により、民主、人権、平和の問題について新国家建設のための方向性
    が示されていたということである。ポツダム宣言の特徴は、特に平和主義に
    関する項目が多く、「戦争遂行能力の破壊」、「平和安全及び正義の新秩序」
    など、戦争放棄を定める憲法九条に同宣言の趣旨が反映されていることであ
    る。世論調査によれば、平和に生きたいことを望む国民の気持ちは、この九
    条の戦争放棄条項に対する支持率に表れており、七割が必要と考えていた
    (毎日新聞、一九四六、五、二七)。
     このように、ポツダム宣言は、日本国憲法誕生と深く関わっているが、こ
    のポツダム宣言と重要な関連性を持つものがもう一つある。それは原爆であ
    る。当時の日本政府は、ポツダム宣言に対し、「政府としては何ら重大な価
    値あるものとは思わない。ただ黙殺するだけである。我々は断固戦争に邁進
    するのみである」という談話を発表したため、米国はポツダム宣言の拒否と
    断定し、広島、長崎に原爆を投下するという重大な結果をもたらした。ここ
    にポツダム宣言黙殺↓原爆投下↓ポツダム宣言受諾↓日本国憲法制定、とい
    う構図が浮かび上がってくる。ポツダム宣言九項は、軍の武装解除・撤退に
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    ついて「平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる」という平和的生
    存権の生成に関する規定があり、さらに政府についても一二項において、
    「平和的傾向を有し、かつ責任ある政府」の樹立を求めている。
     日本国憲法制定の背景には、おびただしい戦争の惨禍、特に原爆投下によ
    る惨禍を受けた経験と反省及び平和への渇望があり、その結果、日本国憲法
    は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する
    権利を有すること」(前文)を強く確認したのである。
 (二) 憲法前文と平和的生存権の保障
     日本国憲法の前文は、戦争を忌む並々ならぬ決意と憲法制定に至った経緯
    を切々とうたっている。日本国憲法前文における「諸国民との協和」、「人
    類普遍の原理」、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」、「専制と隷従、
    圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」、「国際社会において名誉ある地位」、
    「全世界の国民」などの文言は、この憲法の究極的対象が人類であり、その
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    究極的目標は地上(全世界)に民主的で平和な社会を建設することであるこ
    とを示している。このように、憲法制定の動機の奧には、人類共通の願いが
    滔々と流れている。これは、すでに述べたように、日本国憲法の先進性を示
    すものといえる。
     広島・長崎に投下された原爆による一般国民の被害が甚大であることを身
    を以て体験した日本国民は、これからの戦争が核兵器によってむごたらしい
    ものになること、今度戦争が起これば、人類の滅亡・地球の破壊の危機に陥
    ること、戦勝国・敗戦国の無意味なことなどを訴え、全世界の国民に向けて
    憲法前文第二段において「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏
    から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」としたの
    である。
     この「平和のうちに生存する権利」の源は、米国のF・ルーズベルト大統
    領の「四つの自由」宣言(一九四一年一月)及び大西洋憲章(一九四一年八
    月)であることはよく知られている。前者は、言論の自由、信教の自由、欠
    乏からの自由、恐怖からの自由をその内容とするが、特に欠乏及び恐怖から
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    の自由はそれぞれ「すべての国家がその国民に健康で平和な生活を保障でき
    るように、経済的結びつきを深めること」、「世界的な規模で徹底的な軍備
    縮小を行い、いかなる国も武力行使による侵略ができないようにすること」
    などの文言と組み合わされており、「平和のうちに生存する権利」と関係が
    深い。
     また、これをふまえて後者は「すべての国民が、自国の領土内で安全な生
    活を営むための、及びこの地上のすべての人類が、恐怖と欠乏からの自由の
    うちにその生命を全うするための保障を与える平和を確立することを希望す
    る」と宣言し、日本国憲法前文の平和的生存権の直接の原型を示している。
    日本国憲法は、この国際的人権保障の潮流、および我が国の戦争体験を踏ま
    えて、平和を確立する「希望」を「権利」にまで高めたのである。
 (三) 憲法の基本原理
     日本国憲法は前文において、基本原理として国民主権主義、基本的人権尊
    重主義、平和主義を採用している。
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     すなわち、前文第一段は「日本国民は、正当に選挙された国会における代
    表者を通じて行動し、・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この
    憲法を確定する。」と規定して、国民主権主義は国家の基本原理であること
    を明らかにしている。
     また、同じく第一段において「そもそも国政は、国民の厳粛な信託による
    ものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを
    行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
    この憲法はかかる原理に基づくものである。」と規定して、基本的人権尊重
    主義を前提に、国民主権主義の目的が基本的人権の尊重にもあることを明ら
    かにしている。
     さらに、第二段は「日本国民は、恒久の平和を念願し、人類相互の関係を
    支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正
    と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した。われらは、
    平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め
    ている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世
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    界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を
    有することを確認する。」として、平和主義を定めている。
     日本国憲法前文は、この平和主義が国民主権主義、基本的人権尊重主義と
    相互に融和し、密接不可分に結びついていることを説示している。
     まず、前文第一段は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの
    ないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」て、
    平和主義を守るために国民主権主義が必要であることを明らかにしている。
    すなわち、過去の歴史上、戦争が、国民とは遊離した政府の独善と偏狭によっ
    て起こされてきたという事実に鑑み、そのような過ちを二度と繰り返さない
    ために、国民の民主的統制の下、政府の独善的行為を抑制排除することによ
    り戦争の原因を取り除き、平和を確立する必要があることを示しているので
    ある。一方、国民主権主義は平和主義が万全に確保されて初めて、真に国民
    のために確立され、保証されるのである。
     また、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平
    和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定して、平和主義
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    と基本的人権尊重主義が密接不可分の関係にあることを明らかにするととも
    に、平和的生存権が、これまでの国家の政策としての平和主義の反射的利益
    にとどまることなく、積極的に全世界の国民に共通する基本的人権であるこ
    とを宣言し、これを保障している。
     日本国憲法は、この前文における基本原理を美辞麗句に終わらせることな
    く、これらを本文において具体的に保障している。まず、国民主権主義は、
    本文の一条「国民主権」、一五条一項「公務員の選定罷免権」、四一条「国
    会の地位」などにおいて具体化されている。
     また、基本的人権尊重主義は、第三章において豊富な基本的人権規定を設
    けて、具体的に保障されており、さらに、平和主義についても、九条におい
    て、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認などを定めて、永久平和主義、戦争
    放棄主義として具体的に保障されている。
  4 平和的生存権の具体的権利性、裁判規範性
    前文第二段にいう「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する
   権利」としての平和的生存権は、国民の具体的権利として保障されているか。
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    この点について、原告は、 (1)憲法前文は理念ないし目的を抽象的に表明す
   るにすぎず、裁判規範となるものではなく、裁判規範となり得るのは本文の各
   条項であること、また、「平和」とは理念ないし目的としてのフ鋳鰹ロ的概念であっ
   て平和的生存権の具体的権利性、裁判規範性を基礎づける根拠とならないこと、
    (2)憲法九条は戦争の放棄、戦力の不保持を定めた国の統治機構に関する規定
   であって国民の人権規定でないこと、 (3)憲法一三条後段は、基本的人権に関
   する一般的・包括的規定であること、また、仮に、人権保障の根拠を求める余
   地があるとしても、権利の性質、内容、効果が具体的に特定されない限り、平
   和的生存権は憲法一三条によって保障された基本的人権と解することはできな
   い、ことを理由に平和的生存権の具体的権利性、裁判規範性を否定している。
    しかし、いずれも平和的生存権の具体的権利性、裁判規範性を否定する理由
   にはならない。以下、この点について論証する。
 (一) 右理由 (1)について
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     原告は憲法前文は裁判規範となるものではなく、本文の各条項のみが裁判
    規範となり得る旨を主張するが、本文にも前文と同様の抽象的な内容を持つ
    条項は多く、その意味で前文と本文の抽象性は相対的なものであり、抽象的
    であることを理由に前文を特に区別する合理的理由はない。
     また、前文の内容がすべて本文に具体化されているわけではないので、前
    文の裁判規範性を否定する説にあっても、憲法の根本規範に関し、本文の規
    定に欠けつがあるときには直接前文が適用されることを承認している点に注
    意すべきである。
     憲法前文は、憲法の基本理念、目的を規定しているが、それにとどまるも
    のではなく、前文第一段が「人類普遍の原理」に「反する一切の憲法、法令
    および詔勅を排除する。」と規定して、前文が本文とともに最高法規として
    の性格を有することを明らかにしている。
     日本国憲法制定の審議の際にも「唯前文であるから法規的なものでないと
    いうことは決定できない。それは個々の内容に従って決定すべきものと思い
    ます。」(金森国務大臣)と述べているように、前文の裁判規範性について
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    は、それぞれの規定の内容の特定性・具体性に応じて個別に検討すべきもの
    で、一様に前文だから裁判規範性がないということにはならないのである。
    最高裁判所も、「憲法第三七条および前文は陪審による裁判を保障するもの
    ではない」(一九五〇年一〇月二五日大法廷判決)、「地方税の賦課徴収権
    が納税者訴訟の対象となるべき財産に含まれないと解しても、主権在民を宣
    言した憲法前文に違反しない」(一九六三年三月一二日判決)と判示して、
    前文の裁判規範性を認めている。
     平和的生存権についても、前文に文言上の根拠があるというだけで、その
    裁判規範性を否定されるということはできない。
 (二) 右理由 (2)について
     原告は、憲法九条は戦争の放棄、戦力の不保持を定めた国の統治機構に関
    する規定であって国民の人権規定でないから、これを根拠として、平和的生
    存権を導きだすことはできない旨主張する。しかし、被告の主張は、平和的
    生存権というとき、憲法前文の「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存
    する権利」を指すのであるが、その具体的保障を憲法九条に求めるというこ
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    とである。確かに、九条を人権規定の根拠と考える場合、憲法第三章の人権
    規定として構成されているのではなく、独立して第二章を形成していること
    が問題とされるが、およそ現代国家の憲法は、国民の人権保障の法典として
    存在しているのであり、憲法のすべての条項は人権保障との関連で把握され
    ねばならない、従って、九条が国民にどのような人権を保障しているかとい
    う点が、規定の法典上の位置付けよりもむしろ重要なのである。
     戦争法規と戦力不保持を定める九条は、消極的側面では、日本国民を一切
    の戦争協力から解放したのであるが、それだけでなく、積極的には、財産や
    人的な力を戦争と軍備のない自由で平和な国家建設にのみ用いる権利、例え
    ば自分の所有する土地を軍事基地のためには収用されない権利など、をも保
    障したといいうる。むろん九条がストレートに憲法前文の平和的生存権を保
    障するのではなく、第三章の基本的人権を制度的に保障するという媒介方法
    によって、平和的生存権を保障するのである。すなわち、この場合九条は、
    第三章(一〇条―四〇条)の前に置かれたことに意味があり、人権規定を全
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    体として制度的に保障するものである(この意味では人権保障そのものに近
    い)ので、むしろ九条の存在そのものとその立法趣旨からは、第三章以下に
    平和的生存権が含まれていることが裏付けられる。
 (三) 右理由 (3)について
     「個人の尊重」の意味は、人間の尊厳を根底においたうえで、国政におい
    て、個人を尊重するという基本原理を述べたもので、この「個人の尊重」原
    理と結びついて、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」は、人
    間的生存に不可欠の権利・自由を包摂する意味で包括的な権利であり、裁判
    での救済を受けられる具体的な権利である。判例も一三条に基づくプライバ
    シーの権利などは早くから認めており(東京地裁判決一九六四年九月二八
    日)、また、いわゆる包括的幸福追求権についても、その具体的権利性を認
    めるに至っている(最高裁大法廷判決一九六九年、一二月二四日)。従って、
    憲法一三条後段は、基本的人権に関する一般的・包括的規定であるがゆえに、
    平和的生存権の根拠とすることができないとするのは、誤りである。  
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     そもそも、憲法典のなかに「平和のうちに生存する権利」として、明確に
    「権利」という文言を使用しながら、これを憲法上の権利ではないとするの
    は、憲法そのもののいう権利の意義を軽視するものであり、プライバシーの
    権利や知る権利など憲法典に文言上明記されていないものも権利として保障
    されているのであるから、原告が平和的生存権を否定しようとする主張は、
    法的根拠が薄く、政策的な主張にすぎない(小林武「平和的生存権の歴史的
    意義と法的構造(三)」南山法学一九巻二五三一頁)。
     また、原告は、人権保障の根拠を求める余地があるとしても、権利の性質、
    内容、効果が具体的に特定されな限り、平和的生存権は憲法一三条によって
    保障された基本的人権と解することはできない旨主張するが、この点につい
    ては次項で論ずる。
 (四) 憲法一三条と平和的生存権
     前述したように、憲法九条は平和的生存権を制度的に保障するものである
    が、本文の人権規定の根拠としては、第三章以下の各条項、特に憲法一三条
    にこれを見出すことができる。憲法一三条前段は「すべて国民は個人として
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    尊重される」としているが、核兵器によって、人類滅亡までをも予想されう
    る現代においては、この個人の尊重は、個人が人間として尊厳を有するもの
    であるがゆえに尊重されるべき存在であるということであり、人間社会を支
    える基盤としての重要な意義を有している。すなわち、個人の尊厳を何より
    も重視することが、戦争を起こさないための大前提であり、戦争はいかなる
    形であれ個人の尊厳を、最も無残な形で侵してきたのである。それは、戦場
    に無頓着に放置された人間の死体を映した一枚の写真を見るだけで十分であ
    る。
     世界人権宣言(一九四八年)は、「人類社会のすべての構成員の固有の尊
    厳と平等で譲ることのできない権利とを保障することは、世界における自由、
    正義及び平和の基礎である」と述べて、個人の尊厳が「平和の基礎」である
    ことを宣言している。また、これを受けて国際人権規約は、A規約・B規約
    ともその前文で「人類社会のすべての構成員の尊厳及び平等のかつ奪い得な
    い権利を認めることが世界における自由、正義および平和の基礎をなすもの
    である」と述べて、「これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認
    め」ている。
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     次に憲法一三条後段は「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利につい
    ては、・・・立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする」と定める。こ
    こで「生命、自由、幸福追求に関する国民の権利」とは、一三条前段の人間
    が「個人として尊重」されるがゆえに当然保障されるべき権利の内容であっ
    て、個々の国民が例外なく享有している人間としての生存と尊厳を維持し、
    生命の危険に脅かされることなく、自由と幸福を享有することができるよう
    にするために、その社会的、経済的諸条件・環境を整備することを求めるも
    のであり、その一つが平穏な生活を営む権利である。これを憲法の基本原理
    である平和主義から考えると、平和的生存権は、戦争行為(広く戦争類似行
    為、戦争準備行為、戦争訓練、基地の設置管理などを含む、以下同趣旨)に
    よって、生命の危険に脅かされることなく、平穏な社会生活を営むことを阻
    害されない権利を重要な内容とするものである。
     生命に対する国民の権利は、明確な権利であって、人間が尊厳的存在であ
    るがゆえに、「立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする」ことを国の
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    責務として定めている。したがって、「政府の行為によつてふたたび戦争の
    惨禍の起こることのないやうにすることを決意し」て制定された日本国憲法
    は、政府に対し、国民が尊厳的存在であるがゆえに、戦争行為によって、生
    命の危険に脅かされることなく、平穏な社会生活を営むことを阻害されない
    権利、すなわち国民の平和的生存権を守ることが最優先されなければならな
    いことを要求している(久保栄正「平和的生存権」ジュリスト六〇六号三一
    頁)。
     この点、長沼訴訟第一審判決が、憲法前文第二段にいう平和的生存権は
    「全世界の国民に共通する基本的人権そのものである」が、それは一方で国
    民主権の原理と他方で基本的人権尊重の原理と密接不可分に融合していると
    強調し、「国家自らが平和主義を国家基本原理の一つとして掲げ、そしてま
    た、平和主義をとること以外に、全世界の諸国民の平和的生存権を保障する
    道はない、とする根本思想に由来するもの」であるとしたこと、そして、
    「社会において国民一人一人が平和のうちに生存し、かつ、その幸福を追求
    することのできる権利を持つことは、さらに、憲法第三章の各条項によって、
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    個別的な基本的人権の形で具体化され、規定されている。」として、前文の
    裁判規範性および平和的生存権の具体的権利性を認めたことは正当である。
  5 平和的生存権の展開
 (一) 平和的生存権は、基本的人権として捉えられるのであるから、その権利主
    体が国民(個人または集団)であることは明らかである。平和的生存権は、
    前述の戦争行為によって、生命の危険性を脅かされることなく、平穏な社会
    生活を営む権利を中核的内容としながら、さらに次のような側面、内容を有
    するものと解される。(浦田賢治「憲法裁判における平和的生存権」、『現
    代憲法の基本問題』早稲田大学出版部所収四一頁)。
 (1) 公権力の軍事目的追求によって平和的経済関係が圧迫されたり、侵害され
    たりしないこと。この例として、自己の土地・財産を軍事目的のために使用
    されない権利などが挙げられるが、戦後、軍用地負担関係法令の廃止により
    財産権を軍事目的のために制限・侵害することを認めていない土地収用法の
    存在は、この権利を具体的に保障している。
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 (2) 公権力による軍事的性質を持つ政治的・社会的関係の形成が許されないこ
    と。例えば、徴兵制の採用、軍事的秘密保護法の制定などは、国民の平和的
    社会関係、信頼関係を破壊し、人間としての尊厳を侵すもので許されない。
    また、軍事施設を設けることにより、軍事的危害を誘発することや国民の健
    康または生活環境に被害を及ぼすことなどは具体的な平和的生存権の侵害と
    なる。
 (3) 公権力によって軍事的イデオロギーを鼓舞したり、軍事研究を行うことは
    許されないこと。例えば、軍事教育政策をとったり、マスコミを政策的に軍
    事利用したり、戦争または戦争準備のための科学技術の研究などは、国民を
    戦争へ導き、平和の精神的・科学的な基礎を揺るがすものとして許されない。
 (二) また、平和的生存権は、単に消極的ないし受動的に戦争行為による人権侵
    害を排除しうる国からの自由という自由権的側面を有するにとどまるもので
    はなく、戦争行為に反対し、あるいはこれを阻止・廃止し軍事力の削減・撤
    廃をもたらすためや、平和な世界を創造するために能動的に国政などに参加
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    する参政権、また積極的に国や地方公共団体等の公権力によって、よりよい
    平和を確保・拡充せしめることができる社会権(国務請求権)的側面をも有
    する権利である(深瀬忠一『戦争放棄と平和的生存権』(岩波書店)二二四
    頁以下)。
     このように、平和的生存権は、具体的な内容を有する権利である。
  6 在沖米軍による沖縄県民の平和的生存権の侵害
    この平和的生存権に対する侵害主体の典型が軍隊であることは明らかである。
   そして、世界一の軍事力を誇る米軍、その一部を構成する在日米軍が一般的な
   意味でも、現実においても「戦力」であり「軍隊」であることは否定できない。
    在日米軍の専用施設の約七五%が集中する沖縄県においては、在日米軍の戦
   争行為(広く戦争類似行為、戦争準備行為、戦争訓練、基地の設置管理などを
   含む)によって、日常生活を送る過程で恒常的に県民の平和的生存権が侵害さ
   れている。
    そこで、沖縄県における米軍の戦争行為によって、県民が生命の危険に脅か
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   されることなく、平穏な社会生活を営む権利がいかに侵害されてきたかを具体
   的に明らかにする。
 (一) 沖縄戦における県民の戦争体験
     前述した沖縄戦(第二、二)は、国内唯一の地上戦であり約一六万人もの
    県民が非業の死を遂げた。戦場におびただしい数の死体が転がっている惨状
    は、人間の尊厳を侵害する最たるものであり、戦火の中を逃げ惑った人々も
    同様であった。髪を振り乱し、恐怖におののき、ボロをまとい、肌をさらけ
    出し、食物に飢えた人々の姿は、まさに「恐怖と欠乏」に追いやられ、そこ
    にはおよそ人間の尊厳はなかった。それは、自らすすんで望んだ姿ではなく、
    自己の怠慢から来たものでもなく、あるいは貧しさから来たものでもなかっ
    た。
     政府の行為によって導かれた結果としての人間の尊厳に対する「戦争の惨
    禍」そのものである。このような惨状は、焦土と化した日本の至るところに
    見られたが、とりわけ沖縄戦は、「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生
    存する権利」としての平和的生存権、すなわち人間としての生存と尊厳を維
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    持し、戦争行為によって、生命の危険に脅かされることなく、平穏な社会生
    活を営むことを阻害されない権利を国民の基本的人権として保障することの
    重要性を痛感させるものであった。
 (二) 戦後も続く米軍の戦争行為による恐怖
 (1) 沖縄戦のように、戦火の中を逃げ惑い、無数の死体が転がっているという
    状況こそなくなったが、沖縄県民は戦後になっても、米軍の戦争行為から解
    放されることなく、「恐怖」から免かれ「平和のうちに生存する権利」は侵
    され続けてきた。
     前述した「米軍基地の実態と被害」(第四)から明らかなように、地域に
    よっては、五〇年前に近い状況を作り出しており、住民を平穏な社会生活と
    は程遠い「恐怖」に陥れている。沖縄では、一定年齢以上の住民の多くは悲
    惨な沖縄戦を体験しており、これらの住民が戦争でみた衝撃的光景は各人の
    脳裏に焼き付いており、簡単に取り除くことはできない。親子・兄弟、友人・
    知人を戦闘で失い、人間の尊厳を蹴散らす様を目のあたりにした人々にとっ
    て、筆舌に尽くしがたい戦争体験は、もう二度と同じ思いをしたくない、で
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    きれば蘇らせたくないものなのである。
     このような思いや記憶が、これらの人々の苦痛を顧みることなく、平然と
    米軍の戦争行為によって五〇年間も繰り返し再現させられてきたのである。
    また、戦後世代の沖縄県民も米軍の戦争行為によって、あるいはそれに起因
    する事件・事故によって、恐怖を体験させられてきた。
     人間としての生存と尊厳を維持し、戦争行為によって、生命の危険に脅か
    されることなく、平穏な社会生活を営むことを阻害されない権利がいかに具
    体的に侵害されているかは、尊厳的存在である人間の五感、すなわち、視覚、
    聴覚、嗅覚、味覚、触覚等を通して認識し、判断できる。
 (2) そこで、沖縄県民の平和的生存権侵害の実態を人間の五感により具体的に
    論証する。
    ア 視覚を通して認識できる米軍による平和的生存権の侵害
     (1) 米兵による住宅区域内の行軍
       米軍は訓練の一環と称して、住民の生活区域内を部隊ごとに、武器を
      携行して練り歩いている。戦闘服姿の多数の兵隊が、武器を携帯して行
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      軍する様を見るたびに、同じような戦闘服の米兵が沖縄戦において、村々
      を練り歩いて、住民を捕虜にしたり、火炎放射器で草木を焼き払ったり、
      あるいは壕の上に馬乗りになって手榴弾を投げ込んだりした光景が蘇っ
      て、心の奥底まで恐怖感を与えるのである。
     (2) 戦闘機、輸送機等の軍用機による離着陸
       嘉手納飛行場では、戦闘機が恒常的に昼夜を問わず軍事目的として離
      発着を繰り返している。普天間飛行場は、民間密集地にあるため、軍用
      飛行機の離発着をいやがおうでも見ざるを得ず、常に戦争行為を現認し
      ている。編隊を組んだ戦闘機や軍用ヘリが上空を我がもの顔で行き交う
      光景は、戦争を思い出さないほうがむしろ異常である。
       戦闘機やヘリコプターの墜落事故もたびたび発生しており、吹き上が
      る黒煙や火炎は恐怖をさらに大きくする。事故の際に米軍側に異常なほ
      どのあわて方が目にみえる場合には、積んでいた爆弾が通常よりもはる
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      かに大きな破壊力を持つもの(たとえば核爆弾並みの)ではないかとい
      う疑念が持ち上がり、一瞬のうちに恐怖感は極限に達する。
       さらに、ベトナム戦争や中東の湾岸戦争の際には、嘉手納基地等から、
      B−52戦闘爆撃機やF−15イーグル戦闘機等が爆弾を積んで離発着
      をしていた。
       これを見た沖縄県民が、戦争による恐怖から免れて平穏に生活できる
      だろうか。湾岸戦争において示されたように、ピンポイント攻撃によっ
      て軍事施設のみを破壊するとしても、沖縄のように基地と住宅地が隣接
      している状態では、民間に多くの犠牲が出ることは誰の目にも明らかで
      ある。何の原因もなく、いきなり侵略の攻撃をしかけられてくるという
      ような抽象的な恐怖ではなく、こちらの基地から出撃していったのであ
      るから、報復攻撃の目標にされるという恐怖はより具体的・現実的恐怖
      である。
       このように、戦時さながらの恐怖感を沖縄県民は今なお味わうことが
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      あるのである。
     (3) 米軍演習場における戦闘訓練
       沖縄県北部の国頭村には広大な米軍の演習場があり、戦闘訓練が行わ
      れている。人を殺戮するための実践訓練が、あれほど悲惨な戦いのあっ
      た沖縄の地で行われているのは、これを一目見た沖縄戦体験者にとって
      は言いようのない恐怖である。
       この戦闘訓練が時として県民の飲料水の水ガメである北部のダムの水
      際で行われることもあり、米兵の土足で洗われた水を県民が口にすると
      いうことによって、県民の人間としての尊厳は無視されている。
       県道104号線超えの実弾砲撃訓練は、恩納連山を着弾目標地として、
      もうもうとした土煙を上げながら行われている。着弾地点である恩納岳、
      ブート岳は、赤い地肌をあらわにし、まだら模様の禿げ山と化している。
      沖縄戦での砲撃は「鉄の暴風」といわれるほど激しかったが、五〇年の
      歳月を経て、ようやく本来の自然の姿を回復しつつある山々の中で、そ
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      の一部を集中的に実弾砲撃によって破壊している光景は、沖縄戦の恐怖
      を蘇らせるに十分であり、また、誤射による被害の状態を想像するに十
      分な恐怖を与えている。
     (4) パラシュート降下訓練
       読谷村では、住民が農作業に従事している傍らで、あるいは学校で授
      業が行われているそばで、上空からのパラシュート降下訓練が行われて
      いる。同村では一九六五年にパラシュートを付けた軍用トレーラーが落
      下し、女子小学生が下敷きになって死亡した惨事があったこともある。
      このような犠牲があっても、パラシュート降下訓練が継続的に行われて
      いることは、住民人間としての尊厳を過小にとらえるものである。音も
      なく戦闘服の米兵が多数上空からまい降りてくる姿は、最も戦時と戦闘
      訓練との区別がつきにくいものであり、まさに効果音なしの視覚のみで
      恐怖に陥れるものである。
     (5) その他異様な光景
       「その他異様な光景」というのは具体的表現ではないがまとめて表現
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      することが困難なものを指す。たとえば、ヤギが弾薬庫や兵器庫の周辺
      につながれていたことがあったが、食用にするわけでもなく、異様な不
      釣り合いである。結局は毒ガス漏れの早期発見の道具としてヤギがおか
      れたようであるが、このようないわば異様なミスマッチは、見たものを
      言いようのない恐怖と不安に陥れる。
       また、カバーをかけて何かを隠す作業を不自然にあわてている場合や
      緊急に工作や作業を進めているのが見える場合、住民は、特別な注意を
      払うべき兵器や危険な装置などが運ばれているのではないかという恐怖
      と不安に陥る。人間は考える動物といわれ、尊厳的存在であるがゆえに、
      心理的恐怖が人間の精神的活動に与える影響は大きい。
    イ 聴覚を通して認識できる米軍による平和的生存権の侵害
     (1) 戦闘機・爆撃機等の軍用機による爆音
       前述した昼夜を問わない戦闘爆撃機の爆音は、周辺の県民の生活の平
      穏を明らかに害している。裁判所も、爆撃機の爆音が県民の受認限度を
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      超えた違法なものであることを認めている(嘉手納基地爆音訴訟判決)。
       米軍の戦闘機等の轟音を聞くとき、沖縄戦体験者は、街を焼け野が原
      にした空襲の恐怖が、あるいは低空で襲ってくる機銃掃射の恐怖が、蘇っ
      てくるのである。特に夜間あるいはまだ薄暗い早朝の戦闘機等の飛行音
      は、西も東もわからぬ中で逃げ惑った夜間空襲の記憶を引き戻し、恐怖
      におののかせるのである。
     (2) 実弾砲撃演習による射撃音、爆裂音
       アの (3)で示した砲撃演習は、沖縄の日本復帰後一九九五年までの間、
      その回数約二六〇回以上、着弾数三万九四三五以上に及び、その際の騒
      音は一〇七ホンとの記録もある。砲撃演習現場での砲撃の様子が見えな
      くとも、その射撃音、爆裂音は周辺地域に轟いているのであり、五〇年
      前の沖縄戦で最も多く聞こえ、最も耳をふさぎ、首を振って思い出すの
      をふりほどきたい音なのである。少なくとも音として聞こえるかぎりで
      は、戦時と演習時とはまったく区別がないのであり、戦争の恐怖と不安
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      は現存する。
     (3) 米軍による住宅区域内の行軍の音
       アの (1)で示した行軍は、住民の生活区域内を練り歩きながら行われ
      ているが、武器を携帯した戦闘服姿の米兵が集団で行進する光景が目に
      飛び込んでこなくとも、行軍の音は沿道の家々に聞こえてくる。がらん
      とした屋内の押入や物かげに身をひそめ、あるいは森の中に隠れて、耳
      だけを頼りに米軍が近づいてくることを察知し、怯えていた沖縄戦の記
      憶に、米兵の行軍の足音は突き刺すように入り込んでくる。少なくとも
      沖縄戦では、この音が聞こえなくなれば、一時的ではあるが、生命の危
      険に脅かされることなく、恐怖から免れることができたのである。これ
      は沖縄戦体験者にとって大変重みのあるもので、音というものは決して
      軽視できるものではない。
     (4) 墜落事故の音
       米軍の演習・訓練及び事件・事故の状況(第四の二)で見たように、
      復帰後二三年間で一二一件もの米軍用機関連事故が発生している。最近
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      二年間(一九九四―九五年)でも六件の墜落事故があったが、基地内で
      の墜落炎上事故、墜落大破事故等も相次ぎ、一歩間違えば、住民地区を
      巻き込んだ大惨事となるところであった。これらの事故の衝撃音は、周
      辺にも響きわたり、住民を瞬間的に恐怖と不安に陥れる。特に基地内で
      の墜落炎上は、兵器、弾薬等の大爆発を誘発する危険性もあり、恐怖は
      さらに拡がってゆくのである。このような危険性と恐怖は抽象的なもの
      ではなく、一九六八年一一月一九日には嘉手納基地でB―52爆撃機が
      墜落し、爆発した事実を振り返るとき、墜落事故等の音だけでも生命の
      危険に対する恐怖を与えるに十分である。
    ウ 味覚、嗅覚を通して認識できる米軍による平和的生存権の侵害
     (1) 飲料水
       米軍基地に起因する復帰後の水質汚濁事例は六五回以上もあり、とく
      に嘉手納基地からの油脂燃料類の漏出・流出等が多く、一六回も発生し
      ている。付近を流れる比謝川からは沖縄県民の飲料水を採取しており、
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      基地からの汚染物質等の混入のおそれが不安のもととなる。基地からの
      汚染物質については、基地の本質的性質として各種の兵器等が保管され
      ていることから、どのような兵器があるか不明で、飲料水の味に異変を
      感じた場合の恐怖は決して小さくない。PCB流出による土壌汚染も問
      題になったことがあり、飲料用地下水についても同様の問題があるが、
      井戸水に火をつけると燃えだすという「燃える井戸水」が過去にあった
      だけに、地下水の味の異変に対する恐怖はさらに大きい。
       これらも、戦争目的の基地から起きる問題であり、沖縄県民は生命の
      危険に脅かされることなく、平穏な生活を営む権利が阻害されている。
     (2) 燃料、ガス等
        (1)に示したように基地からの油脂燃料類の漏出・流出等の事故が多
      く発生しているが、河川や土壌に混入して味覚から恐怖を感じる場合よ
      り以前に、油脂燃料等の臭いは風向き等によってより広範に拡散し、異
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      変に気づく住民の範囲もより広い。漏出した燃料等への引火によって、
      兵器、弾薬等の爆発を誘発するおそれもあり、少なくともその臭いを感
      じた住民を恐怖に導くのである。また、油脂燃料等以外の異様な臭いの
      場合、とくに刺激臭の場合には、直接生命にかかわる恐怖のどん底に陥
      れられる。それは、一九六九年七月一八日に毒ガス漏れ事故があった事
      実があるからである。沖縄県民は毒ガス即時撤去の県民大会を行ったが、
      毒ガス漏れの事故がありながら毒ガスが撤去されたのはその二年後の一
      九七一年であった。しかし、毒ガスが完全に撤去されたかは疑わしい向
      きもあり、いまなお基地からの異臭、とくに刺激臭がある場合には、言
      い知れぬ恐怖がある。
    エ 触覚を通して認識できる米軍による平和的生存権の侵害
     (1) 離発着、飛行、墜落事故、砲撃着弾等に伴う地響き
       アの (2)で示した戦闘機等の離発着、飛行は視覚、聴覚に恐怖をうっ
      たえるだけでなく、轟音とともに地響きをも体感させる。窓ガラスを振
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      動させるほどの離発着、飛行が日に数十回もあり、断続的に地響きを体
      感させられるのである。復帰後の米軍用機関連事故は一二一件にも達し
      ているのであり、地響きの度に墜落等の恐怖が頭をもたげるのである。
       アの (3)、イの (2)、 (4)で示した墜落事故、砲撃着弾はいずれも単
      発的には瞬間的なものではあるが、墜落の場合は予想外の異常な地響き
      であり、何が起こったのかという恐怖を駆り立てる。それとともに兵器、
      弾薬等の爆発を誘発する危険を抱かせるのである。また、砲撃着弾は、
      日に数百発も打ち込むことがあり、演習中は引っきりなしに爆裂音とと
      もに地響きをも轟かせているのである。その間は戦争が行われている状
      態とさほど変わらないのであり、沖縄戦において、ガマ(壕)の中で身
      をひそめていても引っきりなしにあった砲撃の地響きの記憶を考えれば、
      とくに戦争体験者の恐怖感は多くの説明を要しないであろう。
     (2) 地中の異物
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       沖縄では建築工事現場あるいは庭先において、スコップ等で地面を掘
      り起こした場合、コツンという感触があり、それが石ではないことが判
      明すれば、次に不発弾ではないかという恐怖感がくる。一九七四年三月
      二日に那覇市小禄の幼稚園工事現場で起こった不発弾爆発事故では、園
      児らの命が犠牲となった。これは米軍基地に直接起因するわけではない
      が、不発弾による犠牲は決して軽視できるものではない。同じ沖縄の地
      で五〇年前の戦争で使用された危険物を掘り起こし、解体して恐怖を取
      り除こうとしているのに、かたや砲撃演習によって同様の危険物を地中
      に撃ち込んでいるのである。
       このように、五感を個別に通しても、米軍の戦争行為による恐怖を感
      ずるが、通常はこれが視覚、聴覚、触覚等いくつかが結合して一度に襲っ
      てくるのである。したがって沖縄県民は、未だに戦争の恐怖におののき、
      極めて具体的・現実的に生命の危険に脅かされ、平穏な生活を送る権利
      が阻害されている。
 (三) 直接的に個人の尊厳を侵す平和的生存権の侵害
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 (1) 婦女暴行事件
     軍隊では、個人の尊厳性のゆえに生命に対する権利の尊重があるという面
    を排除し、敵国人を殺害することを目的として戦闘訓練を行っている。その
    ような戦闘訓練は、男性的闘争本能を引き出し、性のはけ口も含めて、肉体
    的弱者である婦女子に襲いかかるという本質を構造的に作り出している。
     米軍人による婦女子に対する暴行事件は過去において枚挙にいとまがない
    が、これらの事件をあくまで米兵個人が起こした不幸な事件にすぎないとす
    ることはできない。これらは、本質的に米軍基地の存在、米軍による戦争行
    為によって引き起こされたものであり、個人の尊厳を最も侵害するものであ
    る。
 (2) 殺人、強盗等の凶悪事件
     さらに、右の軍隊の本質は、軍人に比べて肉体的弱者である一般住民に対
    する犯罪としても露呈する。復帰後から現在までの米軍人・軍属による刑事
    事件は四〇〇〇件をはるかに超えており、殺人・強盗等の凶悪犯罪が恒常的
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    に多発している。これも前述したような軍隊の構造的なものに関わっている
    のであり、住民の人間としての尊厳が侵されている。中には射殺された事件
    もあり、一般住民は何ら抵抗の手段がないのであって、敵国人を殺害するこ
    とを本質的に自己目的化している軍隊に所属する兵隊のみが成し得る業であ
    る。
 (3) 住宅地、耕作地付近での実弾砲撃演習等の実施
     アの (3)、イの (2)で示した砲撃演習等は住宅地、耕作地等の付近で行わ
    れており、住民は生命の危険にさらされることになる。実際に爆弾の破片が
    民家に落下し、化粧中の女性が重傷を負うという事故等も発生している。ま
    た、銃等の射撃訓練でも流れ弾が住民地区に被害を与えたこともある。こう
    いった住民の生命そのものにも関わってくる実弾砲撃演習等を実施している
    ことは、誤って住民の生命が犠牲になっても仕方がないというようなほとん
    ど未必の故意に近いものといえよう。このような実弾演習は住民の人間とし
    ての尊厳を無視しているものである。
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 (4) このような事件・事故等が起きる度に、沖縄県民は戦争の恐怖を思い出し、
    あるいは実感し、戦争の犠牲となった者たちの人間としての尊厳性を思い起
    こしては、戦争行為によって、生命の危険に脅かされることなく、平穏な生
    活を阻害されない権利としての平和的生存権の実質的保障を求めているので
    ある。
     これらの個々の被害の中には、個別の人権侵害として捉えることが可能な
    ものもあるが、平和的生存権によって初めて保障されるものもある。少なく
    とも諸々の被害を生じさせている米軍の戦争行為が共通項として存在してい
    るのであって、まさしく米軍の戦争行為による沖縄県民の平和的生存権の侵
    害に他ならない。
  7 平和的生存権を侵害する米軍の行為に対する裁判所の審理・判断
 (一) 憲法九条と統治行為論
     これまでの裁判では平和的生存権の根拠を憲法前文ないし九条に求め、在
    日米軍、あるいは自衛隊が憲法九条二項にいう「戦力」に該当するか否かと
    いうかたちで議論されてきた。
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     すなわち、在日米軍が駐留する根拠が日米安保条約であることから、日米
    安保条約に対する違憲審査の問題として議論され、裁判所は日米安保条約は
    高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判
    所の違憲審査権は及ばないとして、実質的には統治行為論を採用した(砂川
    事件最高裁判決一九五九年一二月一六日判決・那覇地裁一九九二年五月二九
    日判決)。また、在日米軍については、憲法九条二項が保持を禁止した戦力
    とは我が国自体の戦力を指し、我が国に駐留する外国の軍隊はそれに該当し
    ないとした(前掲砂川事件最高裁判決)。
     さらに、自衛隊の存在等が憲法九条に違反するか否かについても、統治行
    為に関する判断であり、国会、内閣の統治行為として究極的には国民全体の
    政治的批判にゆだねられるべきもので、違憲性が一見極めて明白でない限り、
    裁判所が判断すべきものではない(長沼訴訟控訴審判決一九七六年八月五日)
    等と判断している。全体的には、下級審のわずかな例を除き、統治行為の問
    題であるとして、憲法判断を回避する消極姿勢を示している。
     このように在日米軍や自衛隊の存在を憲法九条違反の問題とし、それに平
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    和的生存権の主張を絡めた場合、憲法九条二項の「戦力」にあたるかは一見
    極めて明白でないがゆえに、憲法判断を回避することと、平和的生存権が認
    められないこととは結果的に同じ帰結になっている(長沼訴訟控訴審判決、
    百里基地訴訟判決等参照)。
     しかし、この論理的組合わせは誤っており、憲法九条の「戦力」該当性や
    統治行為論は、平和的生存権侵害を否定する根拠にはなりえない。
 (二) 個人の尊厳と平和的生存権の侵害
     すでに論証したように、平和的生存権は、憲法前文に理念的・文言的な基
    礎をおき、憲法九条によって制度的に保障され、直接的には憲法一三条前段
    の個人の尊厳に不可欠の具体的な人権として保障されていると解すべきであ
    る。
     すなわち、個々の国民が人間としての生存と尊厳を維持し、自由と幸福を
    求めて生命の危険に脅かされることなく平穏な社会生活を営むことを、戦争
    行為によって実質的に阻害されない権利ということができる。
     そこで、仮に、砂川事件最高裁判決が示すように、「同条がその保持を禁
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    止した戦力とは、我が国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し
    得る戦力をいうものであり、結局我が国自体の戦力」を指すとしても、世界
    一の軍事力を誇る米軍およびその部分を構成する在日米軍が、平和的生存権
    を侵害する典型的主体である一般的意味での「戦力」に該当することは明ら
    かである。
     そして、前述したように、この米軍により戦争中は勿論のこと、戦後五〇
    年間余にわたって、沖縄県民の平和的生存権が侵害されてきたことも明らか
    である。
 (三) 平和的生存権の侵害と裁判所の審理判断
     以上から、憲法により保障されている沖縄県民の具体的内容をもった平和
    的生存権が、在沖米軍により具体的に侵害されている事実があり、これを裁
    判所が認定し判断することは在沖米軍が憲法九条に違反するか否かに関係な
    く十分に可能である。
     従って、当裁判所は統治行為論により憲法判断を回避することなく、在沖
    米軍による被害の実態を十分に審理して、沖縄県民の平和的生存権がいかに
    侵害されているかを具体的に審理・判断すべきである。

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 二 平等原則違反
  1 地方公共団体への人権保障規定の適用
    地方公共団体についても、憲法の人権規定が適用されるのかどうかについて、
   これまでこれを明確に論じた判例も学説もない。しかし法人の人権享有主体性
   について、最高裁判所一九七〇年六月二四日大法廷判決は、「憲法の第三章に
   定める国民の権利及び義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも
   適用されるものと解すべきである」と判示し、法人が憲法の保障する人権の享
   有主体であることを明確に認めた。今日、憲法の人権保障規定が法人にも適用
   されるものであると解されるべきであることは争う余地のないところである。
   そして、地方公共団体も又法人であるから(地方自治法二条一項)、憲法の人
   権保障規定が適用されると解することに何らの障害もない。
    もっとも、憲法は統治権力を中央と地方とに分割し、立憲民主主義の観点か
   ら、それぞれにふさわしい権力を配分したのであるから、地方公共団体はむし
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   ろ住民との関係では、権力を行使する主体であって、人権保障の名宛人となり
   うるものではないとの見方もあるであろう。原告第二準備書面第一、三、1が
   「人権の保障規定は、第一次的には個人の自由を公権力の侵害から擁護するこ
   とを目的とするから、公法人に人権享有の主体性を肯定することは無理であ
   る。」との主張も同趣旨であろう。
    しかし、地方自治制度は地方の固有の文化を保存し、住民の自発的・創造的
   エネルギーを蓄積・発揮せしめる場となるものとして、あるいは中央政府の権
   力を抑制してその濫用から少数者や個人を守るものとして、あるいは民主主義
   の学校としての役割を果たす意義をもつものである。したがって、地方公共団
   体は、その住民との関係では、権力を行使する主体であって、人権規定が適用
   される側面はない、と言わざるを得ないが、他方、中央政府との関係において
   は、中央政府から独立した団体として、中央政府の不当な権力の行使を抑制し、
   その濫用から住民を守る等前記の地方自治の意義を有する面においては、憲法
   の人権規定の名宛人たる側面を有しているのである。
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    原告の主張は、地方公共団体をあくまで公権力の行使の主体としてのみ捉え
   たものであって、地方公共団体の理解について一面しか見ていないと言わざる
   を得ない。地方公共団体は中央政府との関係においては、独立した団体として
   の地位を有し、むしろ中央政府の公権力の行使の客体としての側面を有してい
   るのであって、この点に着目するのなら、地方公共団体に憲法の人権規定とり
   わけ平等原則規定の適用を認めることに問題はない。
    さらにこの点については、地方公共団体に属する住民に人権規定が適用され
   るのであるから、地方公共団体にまで人権規定の適用を認める必要はないとの
   考え方もあろう。しかし、地方公共団体に属する住民がそれぞれ人権を保障さ
   れているとしても、中央政府が、特定の地方公共団体を不利益に扱った場合、
   それが直接的には住民の人権を侵害するものではなくとも、かかる不利益な扱
   いを通じて、住民が結果的に不利益ー人権侵害ーを被ることになる場合がある。
   このような場合、地方公共団体自体が国家権力の濫用から守られる必要がある。
   従って、人権規定の性質によっては、地方公共団体自体が直接憲法の人権保障
   規定の適用を受ける主体として位置づけられる場合があり、その意味は、決し
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   て小さなものではない。
    このように、地方公共団体に人権保障規定の中のいくつかについては適用が
   あるとすると、沖縄県もひとつの地方公共団体として、その性質に反しない限
   り憲法の人権規定の適用を受ける地位にあると解されるべきである。
  2 沖縄県における平等原則の適用
    法人に人権規定の適用があるとしても、それは「人権の性質上可能な限り」、
   という制約がある(前記最高裁判決)。そこで、どのような人権が法人にも適
   用されるかが問題となる。この点、今日、法人に、憲法一四条に定める平等原
   則の適用が認められることについては、全く異論がない。そうすると、沖縄県
   は法人として、憲法一四条に定める平等原則の適用を受ける地位にあるもので
   ある。
  3 平等原則の意味するもの
    それでは、地方公共団体に平等原則の適用が認められるとすると、それは具
   体的にはどのような意味を有し、どのような効果を持つのであろうか。
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    それは、国が特定の地方公共団体を他の地方公共団体と差別する扱いをする
   ことを禁止するということを意味し、不平等を内容とする行為(法律ないし処
   分)を違法とし、無効とする効果を持つと同時に、存在する不平等を助長する
   ような行為をも禁止し、さらに存在する不平等を撤廃するように要求する積極
   的な権利を持つものと理解されるべきである。
    もっとも今日まで、平等原則は、法適用の平等を意味するのみか、立法者も
   拘束するのかということで論じられてきており、国の地方公共団体に対する対
   応についての平等まで論じられたことはなかった。しかし、今日平等原則は、
   法の適用たると立法たるとを問わず、およそ国政全般にわたって差別を禁止す
   る趣旨(佐藤幸治、現代法律学講座、憲法)として理解されるべきものである
   から、平等原則は単に立法の問題ではなく、国の行政の運用においても、不平
   等な行政権の行使を許さないという趣旨まで意味すると解されるべきである。
   そして、国の地方公共団体に対する各行為もまた国の行政の一つであり、これ
   が不平等な内容である場合にはかかる行為は禁止されるものと言わなければな
   らない。加えて現実に不平等が存在する場合には、その存在する不平等な状態
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   を除去する作為義務をも国が負うものである。
    このように、一つの地方公共団体が他の地方公共団体と差別されてはならな
   いという点は、憲法九五条においてもその趣旨を伺うことができる。即ち同条
   が「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、
   その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会
   は、これを制定することができない。」と規定しているが、これは地方公共団
   体の本質にかかわるような不平等・不利益な特例を設けることを立法の面にお
   いて防止しようとするものであって、地方公共団体が平等原則の適用を受ける
   ことを、具体的に指摘したものということができる。
  4 平等原則と沖縄県の現状
    では沖縄の基地の現状はどうであろうか。第四「米軍基地の実態と被害」の
   項でも述べたように、沖縄には全国の米軍専用施設の約七五%が存在しており、
   県民は基地から派生する様々な被害を被っている。又、県も広大な米軍基地の
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   存在によって地域振興のための各種施策が立ち後れ、住民の福利の増進を図る
   上で障害を負わされている等様々な米軍基地による弊害を負わされている。
    このように国土の〇・六%の面積しかない沖縄県に全国の約七五%もの米軍
   基地(米軍専用施設)を置くということは、明らかに沖縄県にのみ米軍基地の
   過重な負担を強い、他の都道府県と差別して不平等に取り扱うものである。こ
   のような不平等な状態は明白に平等原則に違反するものと言わねばならない。
    ところで、国が沖縄県に米軍基地を設置する根拠法は、日米安保条約六条、
   日米地位協定二条1(a)、そして駐留軍用地特措法である。なるほど、これ
   らの条約や法律は条文の上からは、沖縄県に過重な米軍基地を負担させること
   を内容としているものでも、また沖縄県にのみ適用されているものでもない。
   それゆえ、沖縄県に米軍基地が過重に存在することは、法内容においても、法
   適用においても不平等なものではないとの反論も予想される。
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    しかし、これら条約や法律そのものの合憲性の問題は今しばらく措くとして
   も、問題は、国がこれらの条約や法律を施行するにあたり、その施行の結果、
   沖縄県に過重の米軍基地が押し付けられているという実態である。すなわち前
   記条約や法律の内容や適用が平等原則に違反するかどうかが問題ではなくて、
   これらの条約や法律の施行によって、平等原則に違反する結果が発生している
   事実をどう捉えるのかということである。
    この点に関して原告第二準備書面第二、三、3は、「右のような事態は、原
   告が『駐留軍の用に供するため土地を必要とする』、『土地等を駐留軍の用に
   供することは適正かつ合理的である』と判断して当該土地の使用認定をした結
   果にすぎない。」と述べて、あたかも法の内容において不平等な内容がなく、
   原告の判断の結果として不平等な状態が発生したに過ぎない場合は平等原則違
   反の問題は生じないかのような主張をしている。
    たしかに、駐留軍用地特措法は、その内容において沖縄県を不平等扱いする
   ことを内容とするものではないし、沖縄県において不平等に適用されるべきこ
   とを内容とするものでもない。しかし、問題は同法の適用の結果沖縄県にのみ
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   過重な米軍基地が偏在しているという実態である。これを不平等な状態と見る
   のかどうかという問題なのである。法律そのものが不平等な内容を定めている
   ものではなくとも、その法律の運用において、結果的に不平等な状態が発生し
   た場合、これは平等原則に違反すると言わねばならないのである。なぜなら前
   述したように、今日平等原則は国政全般にわたって差別を禁止する趣旨と理解
   されるべきであるから、前記条約や法律の運用が、差別的な状態を顕出させ、
   また存在する差別を助長するものである場合は、このような国政の在り方が平
   等原則に違反するものである。
    具体的には、国が米軍に基地を提供するために、沖縄県内の国有地を米軍に
   使用させること、公有地を借用して米軍に提供すること、民有地を借用して米
   軍に提供すること、そして駐留軍用地特措法によって民有地に強制的に使用権
   原を設定してこれを米軍に提供すること等々が、平等原則に違反する各行為な
   のである。なぜならこれらの各行為によって、沖縄県に全国の約七五%もの米
   軍基地(米軍専用施設)が生み出され、明らかに他の都道府県に比べて不平等
   な状態が作り出されるからである。
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  5 合理的な差別か否か
    憲法一四条は差別を禁止するものであるが、合理的な差別まで禁止するもの
   ではない。そこで、他の都道府県と異なり、沖縄県に米軍基地を偏在させると
   いう不平等な扱いは、合理的なものかどうか一応検討する必要があろう。
    この点原告は「我が国が日米安保条約及び地位協定上の義務を履行するため
   に」、沖縄に米軍基地を置く必要がある趣旨のことを述べており、この必要性
   をもって、不平等状態を生じさせる合理性があるかのような説明である。
    しかし、我が国が右条約を履行する義務があるとしても、これは国がかかる
   義務を負っているのであって、沖縄県が負っているのではない。何故、沖縄県
   にのみこれほど広大な基地を集中させ、沖縄県及び沖縄県民に過重な負担を負
   わせることが必要なのであろうか。日米安保条約及び地位協定上の義務を履行
   する必要性のみをもって、この不平等状態を正当化するような合理的な理由と
   は到底なりえないのである。
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    それでは、外にこの不平等を合理的なものと説明する根拠を見出すことがで
   きるであろうか。例えば沖縄県の地理的な条件が米軍基地を置くことに適して
   いるとか、他の都道府県へ米軍基地を移設するには莫大な費用がかかるとか、
   地理的、経済的な理由で沖縄県への基地の集中を説明したりすることがある。
   しかし、沖縄県に米軍基地が集中しているのは、米軍による沖縄占領、それに
   引き続く土地の囲い込み、銃剣とブルドーザーによる土地の強制的な取り上げ
   という歴史的な経緯によるものであって、地理的な理由によるものではない。
   原告第二準備書面第四、三、(三)は沖縄県が日本列島の南西端に位置するか
   ら日米安保条約の目的を達成する地理的条件を満たしていると述べ、沖縄県へ
   の基地の存在を合理的なものであると説明するようであるが、なぜ南西端なら
   地理的な条件を満たしているのか、他の都道府県ではどうして地理的条件を満
   たしていないのか、なぜ沖縄県に米軍基地を偏在させるのかについて全く理由
   がない。
    さらに経済的な問題については、むしろ沖縄県は平等原則の適用を受けるも
   のとして、国に対し、沖縄県に基地が偏在し、住民の福利を妨げているとして、
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   右不平等な扱いを除去することを求めうる憲法上の権利を有しているというべ
   きものであるから、逆に国は莫大な費用をかけてでも沖縄県に存在する基地を
   整理縮小する義務を負っているものと解されるべきである。経済的な問題が、
   不平等扱いの合理性を説明する根拠となりえないことは言うまでもないのであ
   る。
    国は沖縄県を他の都道府県と区別して不平等に扱うものであるから、この不
   平等な取り扱いが合理的なものであることを立証すべき義務がある。しかし、
   前述したように、国が説明する理由はいづれも、合理的なものではない。そし
   て、この不平等状態を合理的に説明できる理由は全くない。
 三 財産権の侵害
  1 財産権保障の意義
    日本国憲法二九条は、「財産権は、これを侵してはならない」として、財産
   権を不可侵の人権として保障する。
    歴史的にも、市民革命以降、財産権は、国家権力によって侵すことのできな
   い個人の不可侵の人権とされてきた。史上最初の人権宣言と言われる一七七六
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   年のヴァージニア権利章典は、「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立して
   おり、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を
   組織するにあたり、いかなる契約によっても、その子孫から奪うことのできな
   いものである。かかる権利とは、すなわち財産を所有取得し、幸福と安全とを
   追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する権利である」(一条)と
   謳い、所有権が人権として保障されることを確認した。一七八九年のフランス
   人権宣言は、あらゆる政治団結(国家)の目的は、「人の自然の、時効にかか
   ることのない権利を保全することにある。これらの権利とは、自由、所有権、
   安全および圧政への抵抗である」(二条)と述べて所有権を自然権と位置づけ、
   所有権を「侵すことのできない神聖な権利」(一七条)としてその重要性を強
   調し、一八〇四年のフランス民法典(ナポレオン法典)は、「所有権は、法律
   または規則によって禁じられる使用を行わない限り、最も絶対的な仕方で物を
   収益し、かつ、処分する権利である」として、所有権の絶対性を規定した。こ
   のように所有権が天賦不可侵の人権、絶対権とされたのは、それが、本来自由
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   で平等な各人の生存を確保するためのものであり、かつ、各人が生存のために
   労働をして得た成果は、その者に属するという思想に基づくものであった。
    日本国憲法は、この沿革に鑑み、自律的な個人の自由な生存を確保するため
   に、財産権を基本的人権として保障したのである。
  2 公共性の意義
 (一) 公共性についての国の主張の要旨
     国は、公共性(ないし公益性)に関し、要旨次ぎのとおり主張する。
     米国に対し、日本国内の施設・区域を提供することは、国益を確保する上
    で重要であるから高度の公共性を有し、駐留軍用地特措法に基づく本件土地
    の使用は、憲法二九条三項にいう「公共のために」私有財産を用いる場合に
    該当する。
 (二) 国の主張の欺瞞性
     国の主張について、まず指摘をし、注意を喚起しておかなければならない
    のは、「公共性」という用語について、ことさらに概念を曖昧にしている点
    である。
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     用語というものは、その使用される文脈によって、その概念を異にするも
    のであり、等しく「公共性」という用語を用いる場合でも、それは使用され
    る場面によって異なる意味に用いられることは当然である。
     およそ国家の活動は、実質的な正当性を有するものでなければならず、し
    たがって、個人の人権制約を伴わない行政活動についても、それには合法性
    及び実質的正当性を有するという意味での「公共性」が当然に要求されるの
    である。この行政活動の根拠という意味での「公共性」が認められないので
    あれば、国民の権利を何ら制限せず、単に利益を与えるだけの給付行政を行
    うことも許されないのである。
     しかし、行政活動の根拠としての「公共性」が認められるということは、
    直ちに個人の人権制約原理としての「公共性」が認められることを意味する
    ものではない。
     このことは、次のような例をとって見れば容易に理解できるであろう。国
    が公務員宿舎を建設しようとする場合、公務員宿舎を建設する一応の必要性
    が認められれば、宿舎の建設が付近に弊害をもたらすような特段の事情のな
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    い限り、宿舎建設の「公共性」が認められることになる。したがって、国が
    任意に土地を取得したり、賃貸借契約を締結し、その土地上に宿舎を建設す
    ること自体は許される。しかし、公務員宿舎建設の一応の必要性が認められ
    れば、現に宅地として使用されている個人所有の土地を強制的に収用して宿
    舎建設をすることが認められる訳ではない。むしろ、公務員宿舎建設のため
    に個人の宅地を強制収用することについて、人権制約原理としての「公共性」
    が肯定される場面はまず考えられないと言ってよい。
     このように、国家がある行政活動を行うこと自体が許されるかということ
    と、そのために個人の人権を制約することが許されるかということは、全く
    次元の異なる問題なのである。
     したがって、そもそも日本国が米国に駐留軍用地を使用させることが許さ
    れるか否かという次元で用いられる「公共性」概念と、米国に軍用地を使用
    させるために個人所有の土地を強制使用することができるか否かという次元
    で用いられる「公共性」概念には質的な相違があり、前者が肯定されれば、
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    後者も当然に肯定されるという関係は存在しない。
     しかるに、国は、日本国が米国に軍用地を使用させることには「公共性」
    が認められるから、当然に本件土地を強制使用することの「公共性」が認め
    られるという短絡的な暴論を主張しているものであり、「公共性」概念をこ
    とさらに曖昧に用いる国の主張の欺瞞性には、決して惑わされてはならない。
 (三) 人権制約原理としての「公共性」の意義
     日本国憲法二九条は、一項で財産権を人権として保障しているが、他方、
    三項で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることが
    できる」として、私有財産を公共のために収用できることを明示している。
     ここにいう公共性とは、抽象的な国家の利益、全体の利益を意味するもの
    では決してない。日本国憲法は、人間社会における価値の根源を個人に求め
    て、他の何よりも個人を尊重しようとする人間の尊厳の原理を最高の価値と
    している(一三条、二四条)。このように、個人に至上価値が存する以上は、
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    個人の自己実現は自由でなければならず、ここにおいて、個人は国家から干
    渉されないという自由主義原理が直ちに派生する。そして、日本国憲法は、
    人間が社会を構成する自律的な個人としてその自由と生存を確保し、もって
    人間の尊厳性を維持するため、「憲法が国民に保障する基本的人権は、侵す
    ことのできない永久の権利」(一一条)として保障したのである。人間の尊
    厳性を最高の指導理念とする日本国憲法においては、個人に優先する「全体」
    の利益ないし価値というようなものは存在しえない。「憲法が日本国民に保
    障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
    これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵す
    ことのできない永久の権利として信託されたものである」(九七条)が、人
    権確立の過程とは、国家の個人に対する干渉の排除を求め、「国家からの個
    人の自由」を闘いとってきた歴史に他ならない。抽象的に、国家のため、国
    民全体のためと称して、個人の人権を制約することは断じて許されない。
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     それでは、公共性という人権制約原理は何を意味するのか。それは、個人
    の人権と対立する公権力や多数者の利益を意味するものではなく、各個人の
    人権の保障を確保するための、人権相互の矛盾・衝突を調整する衡平の原理
    であると解さなければならない。すなわち、人間の尊厳の原理は、各個人を
    最高かつ固有の価値を有する人格として尊重する原理であり、一方において、
    他人の犠牲において自己を利益を主張しようとする利己主義に反対し、他方
    において、「全体」のためと称して個人を犠牲にしようとする全体主義を否
    定し、すべての人間を自主的な人格として平等に尊重しようとするものであ
    る。したがって、他者の人権との調整の限度での制約は当然に人権に内在す
    る。公共性とは、この人権に内在する衡平の原理を言うものにほかならない。
     そして、日本国憲法が保障する基本的人権は、社会に存在する数々の権利
    の中から、個人の自律的な生存に必要不可欠なものとして厳格な保障を要す
    るものを選択してカタログ化したものであるから、それに対する制約は最小
    限度であることが原則であり、その審査は厳格になされなければならない。
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     ただ、社会権との調整についてのみは、その性質上、立法府に一定の裁量
    が認められることになる。すなわち、資本主義社会の進展に伴い、巨大資本
    による所有の独占が生じるようになり、このようなものについては、財産権
    の人格的自律との関わり、生存の前提としての性格が薄れるとともに、他方
    で、経済的・社会的強者と弱者との格差、実質的不平等が顕著なものとなっ
    た。そのため、日本国憲法は、二五条で保障される生存権などの社会権を人
    権として明示的に保障して、国家による各個人間の実質的平等の確保をはか
    ることとした。そして、社会権という人権を保障するためには、立法府の政
    策的な判断によって、財産権に政策的な制約を加えることが当然に必要とな
    る。そこで、憲法は、財産権について、社会権保障を保障して実質的平等を
    実現するためという積極目的の制約を許容したのである。そして、この場合
    には、立法府の政策決定に一定の裁量が認められ、財産権制約の違憲審査に
    ついても、立法府の判断に一定の尊重をすることとなる。
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     本件で問題となる米軍の軍用地確保を目的とする財産権制約には、巨大資
    本の財産権を制約し、そのことによって、社会的・経済的弱者の社会権を保
    障し、実質的平等を実現するという要素は全く存しない。すなわち、憲法二
    五条ないし二八条で保障された社会権を保障するという目的に出たものでは
    ない。したがって、駐留軍用地特措法の合憲性判断については、立法府の裁
    量をほとんど認めることができないのであるから、合憲性判断については厳
    格になされなければならず、その制約目的が正当であり、制約の限度も必要
    最小限度であることを要するのである。
  3 財産権制約立法について
 (一) 駐留軍用地取得の必要性は財産権制約の根拠となりえない
     外国軍隊の日本国内への駐留を認めることが、日本国憲法の下で許容され
    ているか否かの議論をさておくとしても、外国軍隊を駐留させるために個人
    の意思を制圧して人権を制約することは許されない。
     日本国憲法は、立憲民主主義に立脚し、多数者による圧政を否定する。す
    なわち、憲法制定時に、憲法制定権力によって、多数者の意思によっても侵
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    しえない個人の自由・権利を確認し、これを人権として保障したのである。
    したがって、日本国憲法で保障された人権の制約は、憲法で認められた範囲、
    即ち、憲法上人権制約について明記されている場合か、憲法上保障されてい
    る他の人権との調整の限度でしか認められず、それ以外には、たとえ国会の
    多数決による立法をもってしても、人権制約をすることは断じて許されない
    のである。
     したがって、例えば、仮に自衛隊が存在すること自体は日本国憲法が禁止
    していないとしても、憲法には、軍事目的のための人権制約を許容する条項
    が存在しない以上、国会の多数決をもってしても、徴兵制度を設けることは
    許されない。また、後に詳論するとおり、自衛隊基地用地取得のために、個
    人の財産権を制約して公用収用することは認められていないのである。
     したがって、日本国憲法に外国軍隊の駐留目的のための人権制約を認める
    条項が一切存しない以上、仮に外国軍隊の駐留自体が憲法によって禁止され
    ていないとしても、少なくとも、外国軍隊の駐留という目的のために、基本
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    的人権を制約することは許されない。
     したがって、外国軍隊駐留のための軍用地取得という財産権制約の目的に
    は、正当性を認めることはできない。
 (二) 国は、強制収用手続によって土地使用権限を取得する義務をおわない
  (1) 国は、「本件土地の使用は、日米安保条約上の義務を履行するために、
     駐留軍用地特措法に基づいて行われる」と主張する。国が「日米安保条約
     上の義務」と主張しているのが、具体的にどのような義務を意味している
     のかは不明であるが、仮に、日本国が強制的手段を用いても土地の使用権
     原を取得した上で、米軍に土地を使用させなけれはならない義務があると
     主張するのだとすれば、それは誤りである。
  (2) ところで、日米安保条約及び地位協定の解釈にあたっては、次の点に留
     意する必要がある。
      条約法に関するウィーン条約の三一条一項には、「条約は、文脈により
     かつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠
     実に解釈するものとする」と規定されており、日米安保条約及び地位協定
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     の解釈について、文言の通常の意味を離れた拡大解釈をすることは許され
     ない。
      また、もう一点留意しなければならないのは、領域主権の原則である。
     現在の国際法は、領域主権国家を構成単位とする国際社会を基盤として、
     発生し発展してきたものである。それゆえ、国際法においては、一国が、
     自国内で立法、司法、行政権限を行使することについて、他国の干渉を受
     けないという領域主権の原則が基本原理とされ、すべての解釈の出発点と
     されているのである。したがって、外国軍隊の駐留のように駐留国の主権
     に重大な影響を及ぼす可能性がある問題を扱う条約の解釈にあたっては、
     一国の主権に対する制約はできるだけ制限的に解釈されなければならず、
     条約規定の用語が、いくつかの許容しうる解釈のどれを選ぶかについて明
     確でない場合には、当事国に課される義務を最低限とする解釈が選ばれな
     ければならない。
  (3) 日米安保条約には、「日本国において施設及び区域を使用することを許
     される。」(六条)とのみ規定され、日本国が米国に対して、土地・施設
---------- 改ページ--------355
     の使用権限を取得して、実際に使用させなければならない義務は、文言上、
     何ら規定されていない。すなわち、「条文の文言通りに解釈するかぎり、
     米軍が在日米軍基地を設置することを『許す』も『許さない』も、日本国
     の自由」(本間浩「在日米軍基地と日本国内法令)駿河台法学第七巻第二
     号・一七頁)のであるから、日米安保条約には、日本国が米国に対して、
     日本国内に軍事基地を設置することの許可を与えることが出来るというこ
     とが定められているに過ぎないと解釈すべきである。
      対等な独立した国家の間で、自国の軍事基地を他国に設置することがで
     きないことは、領域主権の原則上、当然のことである。したがって、米国
     が、日本国内の土地を取得や賃借しても、条約に基づいて日本国の許可を
     得なければ、その土地を軍事基地として使用することはできないのである。
     日米安保条約は、日本国が米国に対して軍事基地を設置することについて
     許可を与えることができる旨を定めているに過ぎない。
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      地位協定にも、日本国が土地の使用権原を取得して米軍に提供しなけれ
     はならないという義務を定めた条項は存在しない。地位協定で定めている
     のは、日本国は米軍に対して、日本国内の地域について施設・区域として
     使用を許可することができること(日米安保条約六条、地位協定二条一項
     a)、個々の施設・区域の設定は、日米合同委員会で取り決めること(地
     位協定二五条)、日本国が経費を負担すること(地位協定二四条)に過ぎ
     ず、日本政府が施設・区域として使用される地域の使用権限を取得して、
     現実に米軍に使用させなければならない義務はどこにも定められていない。
     したがって、日米合同委員会において、ある土地を施設・区域とする旨の
     合意がなされた場合には、それは、当該土地について軍事基地として使用
     してもよいという許可を与えたこと及びその施設・区域について日本国が
     経費を負担することを定めたものに過ぎず、日本国が当該土地の使用権原
     を取得して、米軍に使用させなければならない義務を負担したことを意味
     するものではない。
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  (4) 日米安保条約及び地位協定について、日本国が強制的手段を用いて土地
     の使用権原を取得する義務をおわないと解釈すべきことは、国際社会おい
     て確立している基本的人権尊重と平和主義の理念からも裏付けられるもの
     である。
      第二次世界大戦後の国際社会は、大戦がドイツ、日本、そしてイタリア
     といった全体主義国家によって引き起こされた教訓のうえに成り立つもの
     である。すなわち、これら枢軸国では、多かれ少なかれ反民主主義的で人
     権抑圧的な体制がしかれ、この戦争を阻止しようとする国民の声は押さえ
     つけられ、戦争の惨禍をもたらした。第二次大戦は、反民主的で国民の人
     権を抑圧する国家が、国際的にはこの戦争へとつき進むものであることを
     具体的に例証したのである。これを踏まえて、戦争を阻止し、平和を確保・
     実現するためには、国内的にも国際的にも人権の保障がなされることこそ
     が必要であるという共通認識が国際社会において確立されたのである。こ
     の人権の保障が平和の条件であるという考え方は、第二次大戦後、国際法
     規などによって繰り返し確認されてきた。
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      一九四五年の国際連合憲章は、一条三項で「経済的、社会的、文化的又
     は人道的性質を有する国際問題を解決するについて、並びに人種、性、言
     語又は宗教的による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊
     重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」を国
     連の目的の一つとして規定し、五五条に「人種、性、言語又は宗教による
     差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の尊重及び遵守」を協
     力の目標として掲げ、五六条で「加盟国は、第五十五条に掲げる目的を達
     成するために、この機構と協力して、協同及び個別の行動をとることを誓
     約」し、人権の国際的保護を国際社会の普遍的課題とした。そして、国連
     憲章一〇三条には「国際連合加盟国のこの憲章に基づく義務と他のいずれ
     かの国際協定に基づく義務とが抵触するときには、この憲章に基づく義務
     が優先する」として憲章義務の優先が定められていることから、自国ない
     し他国の国民の人権の制約をもたらす条約の義務の履行は許されなくなっ
     たのである。
---------- 改ページ--------359
      さらに、一九四八年に国連総会で採択された世界人権宣言は、前文にお
     いて「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできな
     い権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であ
     る」との認識を示した。「世界人権宣言は、一八世紀以来、今日まで、世
     界中の各人権宣言が進化発展を続けてきた成果の国際的集大成として、人
     権の歴史において、きわめて重大な地位を占める」(宮沢俊義「憲法II
     〔新版〕」有斐閣・七二頁)ものであるが、この世界人権宣言は、人権の
     尊重こそが国際平和の基礎条件をなすもので、人権擁護が国際社会の共通
     の目的であることが、国際社会における普遍的な認識であることを確認し
     たのである。そして、人権保障に関する国際的な条約の中で最も重要なも
     のとして一九六六年に採択された国際人権規約は、A規約、B規約共に、
     その前文で「この規約の当事国は、国際連合憲章において宣言された原則
     に従い、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのでき
     ない権利とを承認することが、世界における自由、正義及び平和の基礎で
---------- 改ページ--------360
     ある」と規定し、あらためて平和の基礎としての人権の重要性を確認し、
     人権を国際的に保障したのである。
      また、一九四七年に締結された、連合国とイタリア、ルーマニア、ブル
     ガリア、ハンガリー、そしてフィンランドとの平和条約は「(五カ国は)
     人種、性、言語又は宗教の相違に関わらず、その管轄下にあるすべての人
     に対して、表現、出版刊行の自由、信教の自由、政治的意見及び公の集会
     の自由を含む、人権と基本的自由の享有を保障するために必要なあらゆる
     措置を講ずるものとする。」と規定し、一九五二年に発効した対日平和条
     約の前文は「日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場
     合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために
     努力し、国際連合憲章第五十五条及び第五十六条に定められ且つ現に降伏
     後の日本国の法制によつて作られはじめた安定及び福祉の条件を日本国内
     に創造するために努力」する意思を宣言している。このように、旧枢軸国
     との平和条約で人権の保障が謳われたということは、人権の保障が平和を
     実現し、戦争の再発を防止するうえで極めて重要であるとの認識を表明し
---------- 改ページ--------361
     たものに他ならない。
      さらに、一九七五年に、東西ヨーロッパ諸国(米ソを含めて)三五カ国
     が集まって開かれた欧州安全保障協力会議の最終文書として発表されたヘ
     ルシンキ宣言では、例えば「参加国は、人権と基本的自由の普遍的意義を
     確認する。これら人権と基本的自由の尊重は、参加国間並びにすべての国
     家間における友好的関係及び協力の促進を確保するために必要な平和、正
     義並びに福利にとって基本的な要素である。参加国は、つねにこれらの権
     利と自由を、その相互関係において尊重し、協同してあるいは個別に、国
     連との協力をも含めて、これらの権利と自由への普遍的並びに効果的な尊
     重を促進することを努力するものとする。」として、基本的人権の尊重が
     安全保障のために重要な役割を果たすことを明らかにしている。また、一
     九七八年の「平和と人権=人権と平和」会議(オスロ会議)の最終文書は
     「 (1)平和への権利は、基本的人権の一つである。いかなる国民も、いか
     なる人間も、人種、信条、言語、性によって差別されることなく、平和の
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     うちに生存する固有の権利を有する。この権利の尊重は、他の人権の尊重
     と同様に、人類の共通の利益にかなうものであり、かつすべての地域にお
     ける、大小を問わずあらゆる国民の発展にとって不可欠の条件をなす。
      (2)基本的人権と平和は、いずれか一方に対するいかなる脅威も、他方に
     対する脅威となるという意味で、不可分である。 (3)人権と平和は、人権
     を促進する行動は、平和の促進と維持と結合されなければならないという
     意味で、国内的にも国際的にも相互依存的である。 (4)平和と基本的人権
     は、いついかなる場所においても、不可譲かつ絶対的なものであり、人類
     の共通の財産である。 (5)上記の諸権利の完全な実施は、各個人の政治生
     活への積極的かつ自由な参加に依存するので、この基本的な権利は承認さ
     れ、かつ、確保されなければならない」と述べて、平和と基本的人権の保
     障の必要性が確認されている。
      このように、第二次大戦後の国際社会では、平和を保障するために基本
     的人権が尊重されなければならないということが共通目標とされているの
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     でのある。したがって、条約の解釈は、基本的人権尊重と平和主義の理念
     に適合的になされねばならず、日米安保条約、地位協定の解釈についても、
     日本国が国民の基本的人権たる財産権を強制的に制約してまで土地使用権
     限を取得し、米軍に実際に使用させなければならない義務を負っているも
     のと解釈することは許されないと言うべきである。
      国は、「日本国憲法九八条二項は、『日本国が締結した条約・・・は、
     これを誠実に遵守することを必要とする。』と規定している」と指摘して
     いるが、軍事基地用地取得のために個人の意思を制圧して基本的人権たる
     財産権を制約することを拒否することこそが、国際連合憲章、世界人権宣
     言、国際人権規約、対日平和条約等を遵守することになり、平和主義と国
     際協調の理念に合致するものである。しかも、基本的人権保障を確認した
     前記諸条約や宣言は、国際社会の構成員によって一般的に承認され、普遍
     性を持つ「確立された国際法規」であり、強国によって事実上弱小国に押
     しつけられる可能性のある単なる個別の条約に優越するものであるから、
---------- 改ページ--------364
     米軍用地のために個人の意思に反して財産権を強制剥奪することこそが、
     憲法九八条二項に反するものというべきである。
  (5) 日米合同委員会においては、当該土地について施設・区域として使用し
     てもよいという許可を与えること及びその施設・区域について日本国が経
     費を負担することを定めうるに過ぎず、日本国が当該土地の使用権原を取
     得して、米軍に使用させなければならない義務を定めることができないこ
     とは、地位協定の実施のための国内法である「日本国とアメリカ合衆国と
     の間の相互協力及び安全保障条約六条に基づく施設及び区域並びに日本国
     における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う国有の財産の管理に
     関する法律に照らしても、明らかである。
      すなわち、同法七条は「合衆国に対して政令で定める国有の財産の使用
     を許そうとするときは、内閣総理大臣は、あらかじめ、関係行政機関の長、
     関係のある都道府県及び市町村の長並びに学識経験を有する者の意見を聞
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     かなけれならない」と定め、政令で定める財産とは「第二条〔無償使用〕
     の規定により合衆国に使用を許そうとする財産のうち、その使用を許すこ
     とが産業、教育若しくは学術研究又は関係住民の生活に及ぼす影響その他
     公共の福祉に及ぼす影響が軽微であると認められるもの以外のもの」とさ
     れている。これは、米軍に対して国有財産の使用を許すことが産業、教育
     若しくは学術研究又は関係住民の生活に及ぼす影響その他公共の福祉に及
     ぼす影響が軽微でなく、使用を許すことが不適当である場合には、米軍に
     対して使用を許さないことを前提とする規定である。このような規定を設
     けているのは、日米合同委員会で施設・区域とする旨の合意がなされた場
     合でも、それは直ちに日本国が米軍に土地を実際に使用させなければなら
     ないことを意味するのではなく、別途、米軍に土地を実際に使用させるか
     否かを判断して、取り決めることを示しているものにほかならない。
  (6) 日本国が、強制的に国民の財産権を制約しても施設・区域の使用権原を
     取得し、実際に米軍に施設・区域を使用させなければならないという合意
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     を、日米合同委員会で取り決めることができないことは、日米合同委員会
     における合意手続から考えても当然のことと言える。
      基本的人権は何よりも尊重されねばならず、基本的人権の制約は、国民
     の国政への積極参加と公開が実質的に保障された民主制の過程でしかなし
     えない。また、国民の基本的人権に対する制約については、当該人権の享
     有主体、さらにはそれによる利害関係を受けるものについて、その手続に
     参加して防御をなしうる機会を保障し、手続的正義が確保されなければな
     らない。この民主主義、手続保障を欠く手続で、国民の人権を制約するこ
     とが許されないことは、現代の国際社会では自明のこととされている。 
      ところが、日米合同委員会の合意は、日本国外務省北米局長と在日米軍
     参謀長との間でなされ、そこに国会のコントロールはなく、しかも、日米
     合同委員会における合意事項は原則的に公表されておらず、国会、国民が
     合意事項を検証する手段、機会も保障されていない。さらに、施設・区域
     の設置について合意する場合にも、地主、当該土地の所在する地方公共団
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     体等が、意見を述べる機会すらないのである。このように、民主的手続も
     なく、利害関係人の権利保障のための適正手続も用意されていない日米合
     同委員会において、国民の財産権を強制剥奪してまで日本国が土地使用権
     原を取得することを合意することは許されない。
      したがって、国は、米軍用地の使用権原を取得する義務を負うものでは
     なく、米軍用地の取得のためのという目的は、財産権制約の正当な目的と
     はなりえない。
  (7) 以上のとおり、日米安保条約上、日本国は、所有者の意思に反してまで
     土地の使用権原を取得して、米軍に施設・区域として現実に使用させなけ
     ればならない義務を負っているものではない。
      したがって、そもそも日本国は、強制的に土地の使用権限を取得する義
     務はないのであるから、米軍に施設・区域を使用させるという目的は、お
     よそ財産権を制約する正当な目的とはなりえない。
  4 法に違反する地位協定の運用と財産権制約法令の適用
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    憲法に違反する目的のために、財産権制約法令を適用することができないこ
   とは、法治国家においては当然のことである。
    そして、日米地位協定の施設・区域の使用許可、提供についての運用は、沖
   縄県民の平和的生存権を侵害し、沖縄の住民にのみ基地の重圧をしわ寄せして
   平等原則に違反しており、この運用の一環として、財産権制約法令を適用する
   ことは許されない。
    すなわち、地位協定は、沖縄にのみ米軍基地を集中・固定化させるように運
   用されている。狭隘な島に極端なまでに基地が集中させられたため、沖縄の住
   民は直接基地の影響下に置かれてしまったのである。そして、演習による生命・
   健康の被害を被り、また米兵の犯罪行為による犠牲を被っているのである。し
   たがって、沖縄に基地を集中・固定化させる地位協定の運用は、平和的生存権
   を侵害するものとして憲法上許されないものである。
    また、沖縄の県民のみに、基地による様々な権利侵害が集中させられること
   は、衡平の原理に照らして到底許されることではなく、沖縄に基地を集中・固
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   定化する地位協定の運用は、平等原則に違反するものである。
    このように、憲法に違反して沖縄に基地を集中させるための目的で、財産権
   制約法令を適用することは、許されない。
  5 財産権制約法令の適用
 (一) 生存的財貨に対する適用
     本件各土地は、いずれも個人の農地や宅地として使用されていたものであ
    り、所有者は、本件各土地を戦争のために使われたくない、生産の場、生活
    の場として取り戻したいという強い願いをもって、賃貸借契約を締結するこ
    とを拒否しているものである。この当該財産権の具体的な性格を離れて、財
    産権制約の合憲性を認めることはできない。
     そもそも財産権が神聖不可侵の人権とされたのは何故であったか。人権と
    は「人が人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在としてあり
    続ける上で不可欠な権利」(佐藤幸治「憲法〔新版〕青林書院・三五八頁)
    である。農地所有権を典型とするように、財産権は、自由な生存の前提であ
    り、個人の生き方の中枢に関わって人格的自律を支え、精神的自由とも分か
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    ちがたいつながりを有しているものとして、基本的人権として保障されてき
    たのである。まさに、財産権の保障は、人間の尊厳性と直接結びついていた
    のである。したがって、このような性格を有する財産について、政策的に強
    制収用することは許されない。すなわち、「ひとしく『経済的自由』に分類
    されるものであっても、もっぱらその経済的側面だけを問題にすればよいも
    の(多くの場合、巨大法人の経済活動の自由)と、個人の生き方にかかわる
    人格的な要素を無視することができないもの(例えば、みずから働く農民の
    農地所有権)とでは、それらの制約の憲法適合性を判断する際の基準が、ち
    がっててきてしかるべきもの」(樋口陽一「憲法」創文社・二三三頁)であ
    り、「企業に集中した大資本と個人の消費的財産、山林地主の大土地所有と
    個人のわずかな宅地所有を同一の財産とみて、第二九条の財産権の制限を考
    えることは正当ではない。ここで制限の対象となる財産権は、主として資本
    としての財産権である。たとえば、新幹線工事のための小土地所有者の土地
    取上げに第二九条二項を援用するのは、とても『公共の福祉』に適合すると
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    はいえない。自衛隊の軍事施設のため農民の土地を取り上げるようなことは、
    憲法第九条をもちだすまでもなく、『公共の福祉』による財産権の制限とは
    いえない」(長谷川正安「日本の憲法」岩波書店・一七二頁)のである。
     本件各土地は、個人の農地や宅地として、個人の自律的生存そのものに関
    わる生存的財貨であるから、これを政策的に強制収用することは許されず、
    外国軍隊に土地を使用させるために、財産権制約法令を適用することは許さ
    れない。
 (二) 返還されるべき土地に対する適用
  (1) 本件各土地について,日本国は米国に対して返還を求めることができる
     にもかかわらず、これを怠っているものである。したがって、本件各土地
     の返還を実現することこそが国の責務であって、さらに本件各土地を米軍
     用地として使用させる必要性は認められない。
  (2) 地位協定二条二項は、日本国政府及び合衆国政府は「施設及び区域を日
     本国に返還すべきこと」を合意することができるとし、同条三項は「合衆
---------- 改ページ--------372
     国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなっ
     たときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設
     及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意す
     る」としており、必要性がなくなれば、日本国は米軍に対して返還を求め
     ることができることが定められている。
      この必要性の判断基準について、まず参考となるのが、「ドイツ連邦共
     和国に駐留する外国軍隊に関して北大西洋条約当事者間の軍隊の地位に関
     する協定を補足する協定」(ボン協定)である。同協定四八条五項aでは
     「軍隊又は軍属の当局は、使用する土地の数と規模が必要最小限に限定さ
     れていることを保証するために、絶えず土地の需要を点検する。これに加
     えてドイツ当局の要請がある時、個々の特殊な場合における需要を点検す
     る。」とされ、同項bには「共通の防衛任務を考慮したうえでドイツ側が
     土地を使用することによって得る利益が大きいことが明白な場合、ドイツ
     当局の明渡し請求に対し、軍隊又は軍属の当局は適切な形でこれに応ず
     る。」とされている。そして、これを受けたボン協定の署名議定書の「四
---------- 改ページ--------373
     八条について」には、「軍隊又は軍属が占有している土地の返還又は交換
     について、ドイツの民間の基本的必要性、とくに国土整備、都市計画、自
     然保護及び農業上並びに経済上の利益に応じるため、交渉を行う。派遣国
     の当局は、その際連邦政府の申請を誠意をもって考慮する。」と具体的な
     判断基準が示されている。藤山愛一郎外相は、安保国会において、「北大
     西洋条約当事者間の軍隊の地位に関する協定」(NATO協定)とボン協
     定とを参考にし、地位協定について、「原則としてNATO協定と比して
     遜色のないものを作るということでございます。それらのものを勘案して
     できましたものは、NATO協定の長所を取り入れると同時に、さらに日
     本の実情に即しましたように改善されている点があろうと思っておりま
     す。」(「参院安保委」第七号)と述べている。地位協定がNATO協定
     (藤山は、この語に、NATO協定とボン協定の両方を含めている)と比
     べて、「遜色のないもの」であり「改善されている点」さえあるならば、
     ボン協定に具体的に示されている基準に加え、さらに日本の住民や地方公
---------- 改ページ--------374
     共団体の利益に配慮した判断基準によらなければならないものと解される。
      そして、このことは、先に述べた地位協定の実施に伴う国有財産の管理
     に関する法律が、「その使用を許すことが産業、教育若しくは学術研究又
     は関係住民の生活に及ぼす影響その他公共の福祉に及ぼす影響が軽微であ
     ると認められるもの以外のもの」については、米軍に使用を許すことがで
     きないし、すでに使用されている土地については返還を求めることができ
     ることを想定していることからも裏付けられている。すなわち、地位協定
     上、このような場合には、米軍は土地を使用する必要性がないものと解釈
     されるからこそ、国内法でもこのような規定が設けられているものと解さ
     れるのである。したがって、国土整備、都市計画、自然保護、産業、教育、
     学術研究、関係住民に及ぼす影響、その他公共の福祉に及ぼす影響等に照
     らして、土地の返還を求める必要性が高い場合には、国は返還を求めるこ
     とができると解される。
---------- 改ページ--------375
      そして、前述のとおり、米軍基地の存在は、地域振興開発の重大な阻害
     容易となり、自然・教育・生活環境を悪化させており、日本国は米軍に対
     して、国は米国に対して返還を求めうる立場にある。
  (3) また、米軍基地が付近住民の権利を不法に侵害している場合に、日本国
     が使用許可を取り消し、当該施設・区域の返還を求めることができること
     は当然のことである。
      外国軍隊が領域国の同意なしにその領域内に入ることは、その領域主権
     に対する侵犯であり、侵略行為と見做され、国際法上許されないものとさ
     れている。そして、侵略の禁止という一般的に確立された国際法原則上の
     「侵略」の範囲については、一九七四年一二月一四日国連総会によって採
     択された「侵略の定義に関する決議」に判定基準が示されているが、その
     三条には、「受入国との合意にもとづきその国の領土内に駐留する軍隊の
     当該合意において定められている条件に反する使用」は「侵略行為とされ
     る」と規定されている。「日本国は法治国家であり、国連加盟国であって、
     自ら国際法を遵守するばかりではなく、法の支配による世界秩序にそれ相
---------- 改ページ--------376
     当の責任を負っている。仮にも、在日米軍がこれらの原則に対する違反を
     続けることがあるとすれば、日本国政府は米国政府に対して異議を主張し、
     場合によっては、米軍に与えられていた施設・区域の使用の許可を考え直
     すことができるし、それどころかそのような責任を負っている、というこ
     とさえもできる」(本間浩「在日米軍地位協定概論」神奈川県渉外部基地
     対策課・二四頁)のであるから、米軍が使用条件に違反して基地使用を継
     続する場合には、使用許可を取消し、返還を求めなければならない。
      そして、地位協定は、三条三項で「使用している施設・区域における作
     業(Operations in  the  facilities and
      area in use)」は、日本国側の「公共の安全に妥当な考慮
     を払って行わなければならない」と定め、一六条には日本国法令の尊重義
     務が定めており、米軍は、基地周辺住民の人権、権利を違法に侵害しない
     限度での使用を認められているのである。
      ところが先に詳述したとおり、飛行機の爆音や実弾演習等によって、住
---------- 改ページ--------377
     民の平和的生存権や人格権、子どもの生存と発達の権利等が違法に侵害さ
     れるなど、様々な基地被害が頻発しており、米軍が使用条件を遵守してい
     ないことは明白である。
      したがって、国は米軍が違法に付近住民の権利を侵害し続けている以上、
     施設・区域の使用許可を取り消して、返還を求めるべきなのである。
  (4) よって、国は本件各土地の返還を実現させるべきものであり、国がこの
     義務を怠って、返還されるべき土地の使用を継続させるために、財産権制
     約法令を適用することは許されない。
 (三) 必要最小限度を超える本件各土地の財産権制約
     沖縄の米軍基地は、沖縄戦終結後、住民を収容所に押し込めている間に土
    地を取上げ、さらには、銃剣とブルドーザーによって住民から土地を強奪し
    て形成されたものであるが、この強奪による土地使用は、明らかにハーグ陸
    戦法規に反する違法な財産権侵害であった。沖縄の住民は、悲惨を極めた沖
    縄戦が終結してもなお、米軍よって住む家、耕す農地も奪われ、苦しみ続け
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    たのである。この違法な沖縄県民に対する権利侵害について、日本国は、沖
    縄県民に対してどのような責任を果たしてきたのか。沖縄県民は、米軍の占
    領下においても、また対日平和条約三条に基づく米国の支配が行われていた
    時においても、日本の国籍を有する日本国民であることに変わりはなかった。
    したがって、米軍の違法な権力行使によって沖縄県民の権利が侵害されたな
    らば、日本国は、自国民に対する外交保護権によって、米国に対してその是
    正措置を要求すべきであった。それにもかかわらず、日本国は、沖縄県民の
    財産権を回復するための外交努力を怠たり、沖縄戦終結から二七年間もの長
    期にわたって、沖縄県民は財産権を違法に侵害され続けてきた。
     そして、沖縄の本土復帰に際しても、米軍によって違法に侵害された財産
    権の回復はなされなかった。日本国憲法前文は、国民を主権者とし、国家は
    国民から国政を信託されたものとしてその権限を行使しうると規定している
    が、同時に、国は国政の受託者として、これを国民の福利のために行使すべ
    きものとしている。したがって、国は、憲法が保障する基本的人権が侵害を
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    受けている場合には,それを回復すべく、権限を行使しなければならない責
    務をおうのである。したがって、国は、沖縄における主権の全面的な回復に
    あたって、米軍の施政下で侵害され続けてた沖縄県民の財産権の全面的回復
    を実現させる責務をおっていたのである。米軍の土地使用は国際法上許され
    ないものであり、その所有権者は米軍に対して返還を求める正当な権利を有
    していたのであるから、その返還が実現されるよう努力することこそが国の
    沖縄県民に対する義務であった。復帰によって、沖縄県民の憲法上の権利の
    実現を妨げる法的障害がなくなったのであるから、国はこれを実現しえた筈
    である。ところが、国はこの義務を怠った。それどころではない。米軍の土
    地利用のために、「公用地法」で五年間、「地籍明確化法」でさらに五年間、
    その後は駐留軍用地特措法によって、国自らが土地を取上げて米軍に使用さ
    せ、沖縄県民の権利制約が継続されてきたのである。
     なぜ、戦後五〇年以上、復帰からでも二〇年以上を経過しても、沖縄の米
    軍基地は一向に整理縮小されないのか。それは、国が米国に対して沖縄の基
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    地整理縮小を働きかける努力を怠ったからである。沖縄県民に対する人権侵
    害を見過ごしてきたからである。
     これまで、沖縄県民は五〇年以上もの長期にわたって財産権制約を強いら
    れてきた。民法六〇四条は、賃貸借契約の存続期間は二〇年を超えることは
    できないと規定しているが、沖縄県民はその意思に反して、民法の定める最
    長期間の二倍をこえて土地を取り上げられ、これからも継続されようとして
    いる。特定の国民に対してのみ、このような財産権制約を押しつけることは、
    到底、正当化されうるものではない。沖縄県民に対する加重負担を解消する
    努力を五〇年余の長期間にもわたって怠ったうえ、財産権制約を今後も継続
    することは、明らかに本件各土地の所有権に対する必要最小限度の制約を超
    えるものと言わなければならない。
     この制約の限度という点から見ても、本件各土地に財産権制約法令を適用
    することは許されない。
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