<沖縄県第三準備書面> 第六 米軍基地等に対する沖縄県民の世論
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一 はじめに
現代の政治、いわゆる世論の政治では、対立する意見の調整や利害の調停機能
がとりわけ重要である。しかも、現実の政治の運用に関わる調整・調停過程では、
民衆の潜・顕在的世論が正しく反映されねばならず、政治の意思決定はひとえに
「世論」の趨勢と不離一体の関係にあるといえよう。
沖縄県は、戦後五〇年の節目にあたり、県民の多数の支持の下に、植樹祭(緑
化推進)の実施、県民遺骨収集活動、平和の礎の建設等、一連の平和施策を展開
してきた。これは、時代の節目に際して、行政(沖縄県)が民衆(県民)の潜在
的意識に働きかけ、顕在化した意識形成(世論)を援助するとともに、平和の実
現への寄与という明瞭なる目的意識をもって将来を切り開こうとしたものに他な
らない。これこそが、現在、最も求められている世論による政治であり、行政で
ある。
今回、知事が立会・署名を行わないことが、いかに正当であり、沖縄県民の支
持を得ているかについて、ここでは、沖縄の米軍基地等に対する県民世論の観点
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から、沖縄県、NHK沖縄放送局、朝日新聞、沖縄タイムス及び琉球新報の調査
資料を用いて考察することにする。
二 政治意識調査
1 日米安保条約の有用性について
戦後日本の防衛政策を特徴づけてきたのは、日米安保条約と、自衛隊の存在
である。一九五二年四月に発効したサンフランシスコ講和条約と、日米安保条
約は、戦後の日本の進路を決定づけたものであった。それはまた、沖縄の特異
な政治的、軍事的環境を決定づける源であり、それ以後、戦後の沖縄の苦難な
歴史が始まったことを意味する。
一九七二年五月、沖縄は本土に復帰したが、それはまた、米国が本土の米軍
基地を「沖縄並」で使用できる権利を獲得し、日本が極東地域での米国との共
同防衛体制下に入ったことを意味していた。
一九九一年一月、国連多国籍軍のイラク侵攻に際して、沖縄の米軍基地は、
緊急作戦基地として展開された。現在、沖縄の米軍基地は、地域紛争と民族紛
争に対して、文字通り、緊急作戦基地として利用されており、日米安保条約は、
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米軍のアジア地域における広範囲な軍事作戦を保障する源となっている。日米
安保条約は、米国にとって、米軍の沖縄駐留を国際条約上も保障し、アジアの
キーストンたることを確約する最重要条約となっている。
図1は、日米安保条約が、日本の安全に役立っているかどうかについて、県
民の評価を時系列的に比較したものである。
「沖縄タイムス」「朝日新聞」では、過去一0回にわたり同種の調査を行っ
ている。一九六九年から同七一年の復帰前の調査では、数値にかなりの変動が
あるが、復帰後の調査では、「役立つ、必要」が「役立たない、不必要、危険」
が数パーセント上回り、数値は比較的安定していた。それが、一九九五年一〇
月の調査では、これまでの逆転現象が生じ、「役立たない、不必要、危険」が
三八パーセントで、「役立つ、必要」二三パーセント、「どちらともいえない」
三一パーセントを上回っている。
これは、直接的には、一九九五年九月に発生した米兵による暴行事件が契機
となったものであるが、その犯人引渡に関わる不平等な日米地位協定への反発、
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基地被害・公害への不安要素等が影響を与えたものであろう。一般に、日米安
保条約の評価は、基地と生活との関係に影響されることが多いが、県民の多く
は、日米安保条約、日米地位協定のもつ不平等性に着目し、その有用性を認め
なかったものといえよう。
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図1 安保条約は日本の安全に役立っているか(『沖縄タイムス』『朝日新聞』)
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2 米軍基地に対する不安感について
図2は、沖縄県民の米軍基地に対する「不安感」について調査したものであ
る。世論調査が開始された一九六七年の調査から、一九九二年の最終の調査ま
で、「不安だ」が、「不安を感じない」を一貫して上回っている。それは、沖
縄県民の信念にもなっているといえる。
一九七二年の復帰前後に見せた高い水準の基地不安は、米統括下での住民無
視の演習や基地公害、基地関連事故、さらに治外法権のもとに多発する米軍構
成員等(米軍人、軍属、家族)の犯罪と、人権侵害がその根底にあった。
一九七四年には、基地不安がやや下降ぎみにはなるが、八〇年代に入ると、
再上昇している。これは一九八〇年のソ連のアフガニスタン侵攻やイランの米
大使館員人質事件等により、国際的な緊張が高まり、沖縄の米軍基地もこれら
の外部要因に連動するかのように活発な米軍演習が展開されたという背景によ
るものと思われる。
一九九一年一二月の調査では、基地不安は一時的に下降している。これは、
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一九八九年一一月のベルリンの壁崩壊、翌九〇年の東西ドイツの統一、翌九一
年八月のソ連の崩壊とロシア共和国への移行等、世界の緊張緩和のムードを受
けたことによるものと思われる。
結局、県民の基地に対する「不安」の基底には、米軍基地そのものへの不安
と、米軍基地が海外での戦争、紛争へと直結している不安があり、これらの要
因が相乗効果をもち、国際的緊張の進展とともに県民の不安もまた増加してい
くという傾向がある。
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図2 米軍基地に対する不安の有無
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県民の米軍基地に対する不安感の中には、基地関係から派生する事件・環境
破壊・演習被害等も大きな影響を与えている。
表1は、復帰後の米軍基地関係事故等の発生状況を表したものである。目立
つのは、航空機関連の事故の多さである(一〇二件)。基地と隣接して生活し
ている県民の生命を奪ってしまう危険性の高い航空機関連の事故が、毎年、相
当数発生しているが、それは、県民に強い衝撃と不安を与えている。
その他、水源地の汚染、赤土の流出事故、廃油による海域汚染、基地内工事
や演習等による自然破壊等、恒常的な基地被害は、県民の生命・財産の全てに
及んでおり、基地不安の大きな要因となっている。
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表1 復帰後の基地関係事故等の発生状況(1972〜1994)
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さらに、基地あるがゆえの「基地犯罪」も、恒常的に高い数値を示している
が、これも基地不安の大きな要因を示している。表2・3は、一九七二年の本
土復帰から、一九九四年までの米軍構成員等による犯罪件数と、検挙人員を表
したものである。
これによると、一九七七年をピークに犯罪件数、検挙とも減少傾向にあると
いえるが、統計上の数値とは別に、米軍による凶悪犯罪は跡を絶たない。特に、
米兵による女性暴行事件は、沖縄県警が把握しただけでも、復帰後一一〇件を
超えている。基地に起因する性暴力は、「アンガー・レイプ」とも呼ばれ、軍
隊というシステムで去勢された部分を回復するため、より弱いと想定した相手
に対して加えられる暴力である。これらは、本来、基地が存在しなければ、統
計的にゼロに等しいものであり、県民にとり容易に承認できない種類の犯罪で
ある。反面、米軍基地がある限り、女性、女児にとって誰が犠牲になってもお
かしくない犯罪である。
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表2 米軍構成員等による犯罪件数状況
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表3 米軍構成員等犯罪による検挙人数
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3 米軍基地に対する態度について
図3は、県民の米軍基地に対する態度を示したものである。
復帰前後から、現在まで、「基地は不要」が「基地が必要」を一貫して上回っ
ている。
復帰を願望した沖縄の理念と主張は、異民族支配からの脱却(復帰)、人権
の回復、反戦・平和の希求の三つに集約できる。特に、沖縄は、今次世界大戦
で、日本国内で住民を巻き込む唯一の地上戦が行われただけに、県民の平和に
寄せる期待は特に強いものがある。米軍の基地建設と共に開始された沖縄の戦
後、復帰しても「本土並み」には整理・縮小されない米軍基地、その歴史の中
で、住民の眼前に大きく横たわる米軍基地に対して、県民は、一貫して「不必
要」といっているわけである。
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図3 米軍基地に対する態度
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4 米軍基地の現状と将来について
復帰前の沖縄の米軍基地は、「太平洋の要石」といわれたが、復帰後も、米
軍の西太平洋における最大戦略拠点であることに変化はない。日米安保再定義
により、その機能を更に強化し、役割が固定化されようとしている。
図4は、その米軍基地の現状と将来に関する県民の世論を調査したものであ
る。
復帰をはさんで、県民の世論は、「撤去」「早期返還」に傾斜していたとい
えるが、一九八〇年代に入ると、「縮小」を求める世論が大勢を占めるように
なっている。
これは、沖縄県内の政治土壌の変化が大きな原因だと考えられるが、それと
ともに、米軍基地の整理、移転や軍用地の跡地利用計画が自治体等において、
独自に計画される等、より具体的な基地問題解決の方策がいわれるようになっ
たからだと思われる。
とりわけ、一九九五年一〇月の調査では、実に七二パーセントのものが、基
地の「縮小」を求めており、基地禍にさらされている県民の願いが目に見える
形での基地縮小にあることが判然とする。
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図4 米軍基地の現状・将来(『沖縄タイムス』『朝日新聞』『NHK』)
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「沖縄タイムス」「朝日新聞」の一九九五年一〇月の調査によると、沖縄の
基地を整理、縮小して、一部を国内の他地域へ移設するに際して、沖縄では六
一パーセントのものが賛成するが、本土では二八パーセントのものしか賛成し
ない。すなわち受け入れを容認しない。沖縄の米軍基地の対応について、本土
政府と沖縄県との間にかなりの温度差があることが指摘されているが、それと
同様に、本土に住む人と、沖縄県民との間にもかなりの温度差が感じられる。
5 知事の姿勢について
NHK沖縄放送局が、一九九五年四月に実施した「戦後五〇年 沖縄」調査
によれば、沖縄の米軍基地返還に対する日本政府の姿勢は、「県民の立場に立
ち交渉している」とみるものは一五パーセント、これに対して「県民の立場に
立って交渉していない」とみるものは五九パーセントにものぼっている。同様
な調査結果は「沖縄タイムス」「朝日新聞」が実施した一九九五年五月の調査
でも、沖縄の米軍基地の整理・縮小の遅延を原因として「政府の取り組みが弱
い」が六七パーセントと圧倒的に高い数値を示している。
一方、一九九二年五月に、「沖縄タイムス」「朝日新聞」が実施した「復帰
二〇周年」調査では、米軍用地の強制収用に「賛成」が九パーセント「反対」
が六一パーセント、「やむをえない」が一六パーセントという結果になってい
る。
さらに、一九九五年一〇月の「沖縄タイムス」「朝日新聞」調査では、知事
の米軍用地の強制使用問題に対する姿勢の是非を問うているが、立会人の指定
及び署名を行わない知事の姿勢を「評価する」と回答したものは、沖縄県で八
九パーセント、本土でも六八パーセントと、県民・国民の圧倒的多数が支持し
ている。これに対して、「評価しない」と回答したものは、沖縄県で八パーセ
ント、本土では一六パーセントあるのみである。
数字から判断する限り、今回、知事が立会・署名を行わなかったことを支持
する人々の顕在的意識(世論)は、すでに一九九二年当時から潜在的世論となっ
て県民の中に沈潜化していたともいえよう。
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三 まとめ
以上述べたことから、知事が立会・署名を行わなかったことは、平和の実現へ
の寄与という潜在化または顕在化しつつあった県民世論を顕在化したものであり、
だからこそ県民の圧倒的支持を得ているものである。
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