第2章

神秘的操作‥‥‥本当のところ、誰が「神の組織」を運営しているのか。


 「聖霊‥‥‥新しい秩序の背後にある力」は1976年に出版されたものみの塔出版物のタイトルである。使徒行伝のうち、ペンテコステ以来の「聖霊」の働きを調べた後で、この「聖霊」が、「神の建てた王国の良いたより」を伝道する働きを始めるため、1919年に投獄された8人のものみの塔組織の幹部にエネルギーを与えたことを証明しようとした。その本には述べられている。

 「ものみの塔」によれば、この「聖霊」は組織内の油注がれた者の「残りの者」にだけ、唯一働いてきた。一方、組織外の者は、すべて悪魔にだまされているだけである。この「聖霊」はいまだに現代のエホバの証人の組織の背後に控えている力であるとも言われている。
 

 どうして疑うべきでしょうか‥‥‥。それはもっともな疑問である。ものみの塔は110年間、存在してきた。その程度の期間であれば、この成長する組織に働きかけている「聖霊」の働きを十分検討できる。さて、その足跡としては何が残っているのだろうか……。
 その創草期にさかのぼれば、シオンものみの塔の創設者、C.T.ラッセルは、1799年が終わりの時の始まりであり、1800年代後半の世界の出来事は、まさしくマタイ24:3から14の「しるし」を満たしている、それは1874年、キリストが目に見えない形で復活する、1914年がこの世界の終わりとなるのは明確なである。その聖書研究生たちは、軍隊に入り、誕生日などの祝日を祝い、たばこが吸えて、投票もできて、その全員が天国にあげられていた。こうしたはじめの頃の信条はことごとく、今では「真理」とは思われてはいない。投票、軍隊勤務、喫煙、祝日のお祝いは、今では排斥の理由となる。1799年と1874年に関する預言は捨て去られ、1914年と「時のしるし」は解釈し直されている。「聖霊」は真理を伝えなかっただけだろうか。聖書研究生が正しくこの「霊」を理解していなかったのだろうか。
 
 
単一「霊」ではなく、複数の「霊たち」 

 ものみの塔の2代目会長ラザフォードは、この聖霊はもはや教会の「助け手」としてその必要がなくなったと、実際に主張した。キリストは今や目に見えない形で 臨在し、キリストの天使を通して人間の組織を監督するからだ。
          

 

 ラザフォードは、遠くから事物を監督している生命力のない「聖霊」ではなく、今や天使(あるいは奉仕の霊)が、組織と直接、交信していると教えた。

 ラザフォードもものみの塔も、霊感を与えられていることが否定されている箇所を覚えておきなさい。次の引用に明示されたように、エホバとキリスト・イエスが聖書をすべて解釈する。その解釈は、ものみの塔を作る者を通して、天使によって協会に手渡されると主張している。


 こうした天使の霊はどのようにしてラザフォードに「解釈」を伝達したのか。 そしてラザフォードはどうやって、それを出版できたのか。

 

 

もとのままの霊がいまだに管理している

 

 ラザフォードの時代が過ぎると、天使重用は衰えた。単一の「聖霊」が再び重視された。初めの頃からずっと、管理していたのは、はっきりしている。次の引用が明らかにしているように、秘密性と排他性へのこだわりは続いている。  
   

 その神秘的な「聖霊」は、どこかしら間違った進路に向かって操っているように見える。この移り変わりやすさを自白して、上に上げた挿絵にある帆船の絵が、「ものみの塔」1982/3/1号に取り上げられた。そこにはこう、書き留められている。  

  もっと詳しく調べれば、彼らが時々、以前の見解に戻ることが分かる。そうした事実を素直に考えても、なぜこの「聖霊」が教義上正しいものを正確に伝えていないのかと、疑わざるを得ない。つまり、彼らは、この終わり時にあって、世界に預言するためにこの「聖霊」が彼らに油注いだと主張する。次の主張に注意しなさい。


 彼らの記録を見直すと、不吉な底流が見えてくる。その教義の変更の背後に控えている「聖霊」は、突然、考えられないほど知的に出現する。読者も発見するだろうが、この「霊」は、過去の間違いに関し十分な知識をもっている。今でもなお、「霊」が教えようとしているものに対しことごとく、盲目の服従を強制する(排斥の痛みを抱えていながら)。この「霊」は軽率なマインド・コンドロールと詐欺行為にこだわっている。申命記18:20−22に注意をしなさい。



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