第9章:写本公表の日付
以前の章で、私たちは起源のありそうな日付によって写本に言及しただけだった。この本は、新世界訳聖書翻訳委員会がその作業が完了したとき以降に入手できるようになった新しい写本の知識に関心を持っているのだから、今、個々の様々な日付に考えてみなければならない。私たちは写本を公表された日付も決定しないといけない。聖書翻訳をするにあたり、特定のギリシア語写本が利用できるようになった写本の公表の日付がもっとも古い日付であるから、写本の公表の日付は大事なのだ。
この章はもっぱらパピルス写本に関係している。一般的に言って、パピルス文書は研究のために利用できる現存しているもっとも古いギリシア語聖書を表している。ギリシア語聖書の羊皮紙文書は比較的、新しい。
ある写本が聖書翻訳に意味を持つ前には、その真正さが識別されなければならない。私たちは、どのようにしてギリシア語写本が未知の巻物から信頼に足る聖書的文書になるのかを示さなければならない。
写本が見つかった
パレスチナ、シナイ半島と北アフリカの乾燥した不毛の地域には、無数の古代写本が保存されてきた。その単純な理由から、聖書的な写本の発見には次の三つのどれかの特徴が示される。
<<教育の乏しい者によって発見された写本>> 概観すると、私たちはクムランの洞窟の最初のスクロールを発見したベドウィンの羊飼いの話を伝えた。この話は写本発見の歴史の中で何回も繰り返された。この最初の例では、その地域の現地住民はその重要性に無知であったが、偶然、古代文書を発見した。このようにして発見された文書は、ふつう雑に扱われたり保存されたりする(多くの場合、ただ家の中に隠されるだけだ)。脆弱な頁にはとりかえしのつかない損傷が与えられる。ときには、古物商の手に渡ってわずかな金銭のために文書類が投げ売りされるかもしれない。
そうした文書の内容はまったく知られないかもしれない。しかし、古物商は売物の価値を高めるために文書の内容をあいまいながらも確かめるだろう。言語学の教授に見せるために書物の一部を写そうとしたり、損傷した頁をはずして実際にその一部を書き写すかも知れない。大概の国家の政府は古代文書を私的に所有したり、売買することを禁止しているから、古物商はしばしば隠密裏に行動する。
時には、古物商は原産の国から文書類をこっそり移す仲介者に文書類を売るかもしれない。結局、その文書類は外国の図書館の蔵書になったり、あるいは、チェスター・ビーティやボドマーコレクションのような個人の所有物になるかもしれない。
言うまでもないことだが、文書が学者の研究に供されるまで、それが配置された来歴や考古学のほかの分野との関わりの来歴の多くは失われてきた。当然、こうした方法で発見された文書が価値を持っていると証明されるであろうとは限らない。結局は、写本のごく少数だけが聖書研究に貢献させられる真正な古代文書として認められる地位を得る(そうした文書は、多くは、無名の人同士の取るに足りない文通であるとか、長く忘れられた邸宅の在庫品リストとなる)。
<<教育のある収集家が発見した写本>> 1844年、聖カサリン修道院でのティッセンドルフによる重大なコーディックス・シナイ写本(Aleph)の発見の物語は、ある大事な写本の発見となる独立した収集家の一例である。すでに見てきた通り、ヘブライ語聖書の紙切れはごみ箱に捨てられたり火にくべられる運命にあった。ティッセンドルフが緊急に保存する策が必要だと訴えたために、結局ほぼ完璧な聖書のために修道院に支払った金額は、朝の煮炊きのために使われた紙屑の値段よりもかなり値が張るものだったのだ。
過去150年間に学者や常識のある収集家の(ときには不屈の)努力によって多数の聖書写本が発見された。多くの場合、これらの発見物は、文書が本来存在した位置の回りにあったささいなものや付随したそのほかの文献類や工芸品と一緒になって残されてきた。
<<考古学者が発見した写本>> 写本はすべて、教育のない羊飼いや市井の人々によって雑に発見されてきたのではない。実際、死海写本は、古代の墓荒らしではなく、教育ある考古学物によって発見された重大な、多数の文書と工芸品の代表的な例である(しかし初めに発見されたものは、重要なイザヤ書のスクロールとそのほかの主要な写本類の代表的な例である)。
古代の聖書的な文書がもっともよく保存される地域全体で、教育された人に古代の発見物を指揮することが許されたのは、しばしばこれら写本や考古学的資料を保護することを望んでいた政府の努力があったればこそである。マサダやクムラン洞窟やエレサレム周辺のような聖書的な考古学的遺跡は、すべて専門的な考古学者の監督の元に作業チームが発見した聖書的文書の情報源である(上に上げた三つの地理的な場所よりも北アフリカのほうがパピルス写本の主要な源泉である)。教育された考古学者と写本の専門家が写本が復元の過程に入ると、写本に取り着いている情報を最適に保存するように維持管理される。この情報は、写本自体の写しの日付の確定を容易にするかもしれない。
興味深い二つの例
P52と識別されるパピルス文書は、主要なギリシア語聖書写本の発見となったパピルス断片の興味深い代表例である。写本全体は約2.5インチから3.5インチの幅であり、ヨハネの福音書の小さくて、不規則な形状をした断片から構成される。それは、1920年、エジプトでバーナード・P・グレンフェルが手に入れた。1934年、オックスフォード大学のC・H・ロバートはマンチェスターのジョン・ライランド図書館が所蔵する数百の乱雑な未解明のギリシア語写本を分類していた。彼はこの小さな断片がヨハネ18:31−33と37、38から来ていると認め、識別した(31−33節が断片の表に書かれ、37、38節が断片の裏に書かれていた)。もっと重要なことに、写本の形式を注意深く研究することによって、二世紀の前半に作られた写本と識別した。1935年、ロバートは『ジョン・ライランド図書館にある四つの未公開の福音書断片』と題する重要な冊子を発行した。その中で彼はこの部分をその古い日付以降のコピーであると識別した。『聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です』316、317頁は、この写本の断片の日付を125年と識別する(この写真の写真複製版は『洞察』を見よ)。
この小さな紙屑は、使徒自身の手になる本来の書き物から30年以内の日付を持ち、今やクリスチャン聖書の知らされている最古の写しである。ヨハネの福音書が西暦160年に氏名不明の作者によって書かれたとするひどく批判的な論争は、この小さな写本がその日付から明白に否定する(第2章脚注12を見よ)。
この章では、1950年以降に出版されたギリシア語写本の新しい知識に主要な関心を持たされる。これから見るように、P66は模範となる形式を示してくれる。
M・マーティン・ボトマーという名のジュネーブの愛書家は、多数の重要な聖書的な写本を手に入れた。その中に6帖から成るパピルス写本P66がある(今日バインダリ・ステッチと呼ばれる折り畳まれて細かく切られた大判の頁である)。大きさは約6インチから5.5インチ幅である。ヨハネ1:1−6:11と6:35b−14:15が含まれている。ジュネーブ大学の文献学の教授、ビクター・マーチンはこの写本を製作した日付をおよそ西暦200年と鑑定する研究を1956年に公表した。後になって、M・ホドマーがこの同じ写本の46頁の追加分を手に入れ、続けて1958年、マーチンによって公表された。
写した日付と公表の日付
上述の例によって、今や、写した日付と公表した日付の違いが知られる。写しの日付から、書記者や写字生によって特定の写本が作成されたおおよその時間を示そう。たとえばP66は,西暦200年ころに書記者により写されたと判定される。しかしこの写本が学者の研究にとって入手可能になった時であるとは言っていない。この後者の情報は写本の公表の日付として表わされるだろう。上の例から、写本が写された日付を確定するためにマーチン教授が行なった学術調査は(公表された)1956年、58年に利用可能になったことが分かる。
写した日付と公表の日付の違いは、聖書翻訳者の作業にとって重要である。テキスト批判は、使徒のような著者のギリシア語の書物の可能な限りもっとも正確な複製を収集する方向に向けられる。翻訳者は、使徒的な著者のことばの正確な意味を理解可能な現代語に表わす方向で考える。最終的な翻訳は、テキスト批判と現代語への聖書翻訳者の組み合わされた努力を表わしている。しかし、翻訳者はテキスト批判が終わったあとに限って、ギリシア語テキストに接したのだから、翻訳者はテキスト批判の作業に依存する。それは、翻訳者にギリシア語テキストのもっとも信頼できることば遣いを書かせたテキスト批判が公表された故である(テキスト批判は、翻訳者のようにも作用した。しかし新世界訳聖書の場合、翻訳委員会は主にウエストコットとホートのテキスト批判の著作に依存していた。委員会はその上に、ほかのテキスト批判からの補助的な助力も利用した)。翻訳者が未公開の文書へのテキスト批判者として動かない限り、新しいギリシア写本が公開される日になるまで新しいギリシア語写本が発見されることにはたぶん、気がつかないだろう。
パピルスを識別する番号体系は、写した日付と公表の日付の違いを表わしてはいない。表向き、識別された最初のギリシア語聖書写本のパピルスは、P1の識別番号が付される。二番目のパピルスは、P2と区分される。以下、それぞれ、継続する分類法がある。
言うまでもないが、古代文書は年代順で発見されるのではない。この分類体系で最初に位置するP1は、西暦三世紀のものであり、P2は六世紀、P3は六世紀か七世紀、P4は三世紀の古い写しである。分類されたパピルスは各々、P76まで番号が付された。事実、もっとも発見の遅れたと分類されるパピルスは、もっとも古い。P46、P64、P66、P67はすべて西暦200年頃の日付である。
パピルス公表の日付は、それぞれ発見された日付に大体、対応している。そのため、早く見つかったパピルス写本は、公表日付も早い傾向があり、一方、新しい写本はそれよりも新しい日付となる。しかし例外もある。いろいろな事情から、ある写本は、発見されるとすぐには既存のものの直後に分類されないかもしれない。次の表にある内容から分かるように、記号Pの上に付けられて示される発見の日付は、公表の日付の正確な順番とは一致しない。分類は、必要な研究をする資格を持つ者の効力や写本の予想される重要性から生じることもしばしばである。上の例では、P52は長い間、見落とされた。それは取るに足りないサイズであり、そのパピルスの重要性をあいまいさせる別な無数の小断片と混じりあっていたためである。
パピルス写本とエホバの記述237例
この章で私たちは、主に1950年以降にクリスチャン・ギリシア聖書研究で利用可能になった新しい知識に関心を持っている。特にkyrios とテトラグラマトンのどちらがギリシア語聖書に用いられたかの問題に新しい知識を示しているものを決定したい。
次に上げたパピルス写本の表の中には、次の二つの型の情報のうちの一つ(あるいは両方)を含んでいるP1からP76として分類されたこれら写本について書かれている。
、1950年、新世界訳聖書の中のクリスチャン聖書の部分が完成した後に出版された分類済みのパピルス写本の情報が書かれよう。
、新世界訳聖書の中のクリスチャン聖書で引用された237例のうち一つ以上のエホバの箇所を含んでいる分類済みのパピルス写本についての情報が書かれよう。
表5にある76以上のパピルス写本からの情報を評価する前に、示された情報について簡単な説明をすべきだろう
1.見出しの部は次の通り。
「番号」は、その分類の番号によって個別のパピルスを識別する。
「存在する部分」は、写本の中にある箇所を上げる。
「写された日付」は、古代写本が作られた時代を識別する。
「公表された日付」は、研究のために学者の間で写本の内容が解放され、写しが定められた日付である。
「J参照」は、新世界訳聖書の中でのエホバの言及237のうち、パピルス写本の中でギリシア語の様式が用いられた箇所を識別する。
「パピルス」は、エホバの箇所237に対応してパピルス写本の中にあるテトラグラマトンの発生回数を表示する。
「NWTエホバ」は、引用されたパピルスの中で見つかる新世界訳聖書にあるエホバ参照の番号を示す。
2.特別な情報は、「存在する部分」の見出しの下に含めた。
a.引用の章と節は、ハイフォンをもって継続して「通して」読むため。たとえばP11にある記述、「1コリ1:17−23、2:9−12、14、3:1−3、5−6、4:3−5:5など」は、「その写本はコリント第一1章17節から23節、2章9節から12節、2章14節、3章1節から3節、5節と6節、4章3節から5章5節など」を意味することが分かる。
b.それぞれの一連の記述では、ゴジック体の括弧付きの番号は、新世界訳聖書での237回のエホバの記述の一つであることを示す。P46のような場合、エホバがローマ14:8で3回出現することを表わすため、(8)、(8)、(8)のように個々の節の番号により、エホバが重複して記載されることが示される。
c.ダガー(+)で識別された記述は、写本が断片であったり、記された語がテキストから損なわれていることを示す。
d.記述の引用のない書の名前は、その書がその写本中で完結しているものを表わす。コリント第一、コリント第二、ガラテア、フィリピ、コロサイ、ヘブルが完結していると識別されるP46の記載を注意して見なさい。にもかかわらず、これらの記載にもゴジック体のエホバの記述の引用を示すこともある(例えば、「コロサイ(1:10)、(3:13)」など)。
e.書の順序は英語訳聖書に従う。実際のパピルス写本は、それとは異なった順序で書が収容されているのだろう。
3.パピルス写本の中に用いられるギリシア語についての情報は、UBSから出版された「ギリシア語新訳聖書」からすぐに入手できる。この研究のために第3版を用いた。聖句は、パピルス写本の中に含まれていた237回のエホバの個々の記述に対応するUBSの文で調べた。それらは、ゴジック体の括弧の中に区分される記述である。もし信頼できるギリシア語写本に変化形(変化させられたことば遣い)があるなら、UBSの道具(原文の脚注)は、写本とその語句の一覧を上げている。Kyrios()の記述はすべて検証された。76のパピルス写本を識別する記述は、すべて注記されている。二つの欄、「J参照()」と「パピルスの」は、この情報に由来する。「J参照と「新世界訳聖書のエホバ」の違いは、脚注に説明されている。
この情報の簡単なまとめは、表6に書かれる。読者はこのまとめに目を通してもよいだろう。しかし完全を期すため、情報は以下のように十分に与えられている。
表5 ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンに新しい知識を与える1950年以降に出版されたパピルス写本の解りやすい一覧。が出現する例は無い
凡例:(3)写された日付
(4)公表された日付
(5)J参照
(6)パピルス
(7)新世界訳聖書のエホバ
番号 | 現存する部分 | (3) | (4) | (5) | (6) | (7) |
---|---|---|---|---|---|---|
P1 | マタイ1:1-9,12,14-20(20),23 | 3世紀 | 1898 | 1 | 無 | 1 |
P2 | ヨハネ12:12-(13)-15 | 6世紀 | 1906 | 1 | 1 | |
P3 | ルカ7:36-45;10-38-42 | 6世紀 または 7世紀 |
1882 1885 1963 |
無 | 無 | 無 |
P4 | ルカ1:58-(58)-59,62-(66)-(68)-(76)- 2:1,6-7;3:8-38;4:2,29-32,34-35; 5:3-8,30-38;6:1-16 |
3世紀 | 1938 | 3 注4 |
無 | 4 |
P5 | ヨハネ1:23-(23)-31,33-41;16:14-30; 20:11-17,19-20,22-25 |
3世紀 | 1898 | 1 | 1 | |
P7 | ルカ4:1-2 | 5世紀 | 1957 | 無 | 無 | 無 |
P8 | 使徒行伝4:31-37;5:2-9(9);6:1-6,8-15 | 4世紀 | ? | 1 | 1 | |
P11 | 1コリ1:17-23;2:9-12,14;3:1-3,5-6;4:3- (4)-(19)-5:5,7-8;6:5-7,11-18;7:3-6,10-14 |
7世紀 | 1868 1957 |
2 | 無 | 2 |
P13 | ヘブル2:14-5:5;10-8(16)-22,29-(30)- (12:5)-(12:6)-12:17 |
3世紀 または 4世紀 |
1951 | 4 | 無 | 4 |
P45 | マタイ20:24-32; 21:13-19; 25:41-46; 26:1-39; マルコ4:36-40;5:15-(19)-26 ,38-6:3,16-25,36-50; 7:3-15,25-8:1, 10-26 ,34-9;9:8,18-31; 11:27-33;12:1,5-8, 13-19, 24-28; ルカ6:31-41,45-7:7; 9:26-41, 45-10:1,6-22,26-(27)-11:1,6-25, 28-46,50-12:12,18-37,42-13:1,6-24,29- 14:10,17-33; ヨハネ10:7-25,31-11:10, 18-36,43-57; 使徒行伝4:27-(29)-36;5:10- (19)-20,30-39;6:7-7:2,10-21,32-(33)-41, 52-(60)-8:1,14-(22)-(24)-25(25),34-(39) -9:6,16-27,35-10:23,31-(33)-41; 11:2 -14,24-12:5,13-(17)-22; 13:6-(10)-(11)- (12)-16,25-36,46-(47)-(48)-(49)-14:3 (3),15-23(23); 15:2-7,19-26,38- (40)-16:4,15-(15)-21,32-(32)-40; 17:9-17 |
3世紀 | 1933 | 21 | 21 | |
P46 | ローマ5:17-6:3,5-14;8:15-25,27-35, 37- 9:(28)-(29)32;10:1-(13)-(16)-11:(3)-22,24 -33,35-(12:11)-(19)-14:(4)-(6),(6),(6) -8(8),(8),(8),9-(11)-15:9,11-(11)-33, 16:1-23,25-27; 1コリ(1:31),(2:16),(3:20),(4:4), (4:19),(7:17),(10:9),(10:21), (10:21),(10:22),(10:26),(11:32), (14:21),(16:7),(16:10)2コリ(3:16), (3:17),(3:17),(3:18),(3:18),(6:17), (6:18),(8:21),(10:17),(10:18) ガラテア(3:6),エフェソ(2:21),(5:17), (5:19),(6:4),(6:7),(6:8)ピリピ、 コロサイ(1:10),(3:13),(3:16),(3:22), (3:23),(3:24),1テッサリ1:1,9-10; 2:1-3; 5:5-9,23-28;ヘブル(2:13),(7:21),(8:2), (8:8),(8:9),(8:10),(8:11),(10:16), (10:30),(12:5),(12:6),(13:6) |
200 年頃 |
1934 1936 |
64 | 無 | 64 |
P47 | 黙示録9:10-(11:17),(15:3),(15:4), (16:7)17:2 |
3世紀 終わり |
1934 | 4 | 無 | 4 |
P49 | エフェソ4:16-29,31-5:13 | 3世紀 終わり |
1958 | 無 | 無 | 無 |
P50 | 使徒行伝8:26-(26)-32; 10:26-31; | 4世紀 または 五世紀 |
1937 | 1 | 無 | 1 |
P59 | ヨハネ1:26-28,48,51; 2:15-16; 11:40-52; 12:25,29,31,35; 17:24-26;18:1-2,16-17,22; 21:7,12-13,15,17-20,23 |
7世紀 | 1950 | 無 | 無 | 無 |
P60 | ヨハネ16:29-19:26 | 7世紀 | 1950 | 無 | 無 | 無 |
P61 | ローマ16:23,25-27; 1コリ1:1-2,4-6; 5:1-3,5-6,9-13; ピリピ3:5-9,12-16; コロサイ1:3-7,9-(10)-13; 4:15; 1テッサリ1:2-3; テトス3:1-5,8-11,14-15; フィレモン4-7 |
700 年頃 |
1950 | 1 | 無 | 1 |
P63 | ヨハネ3:14-18;4:9-10 | 500 年頃 |
1953 | 無 | 無 | 無 |
P64 | マタイ26:7,10,14-15,22-23,31-33 | 200 年頃 |
1953 | 無 | 無 | 無 |
P65 | 1テッサリ1:3-(8)-10; 2:1,6-13 | 3世紀 | 1957 | 1 | 無 | 1 |
P66 | ヨハネ1:1-(23)-6:11,35-(45), (12-13),(38),(38)-14:26,29-21:9 |
200 年頃 |
1958 | 5 | 無 | 5 |
P67 | マタイ3:9,15; 5:20-22,25-28 | 200 年頃 |
1956 | 無 | 無 | 無 |
P68 | 1コリ4:12-17,19-(19)-21; 5:1-3 | 7世紀 (?) |
1957 | 1 | 無 | 1 |
P72 | 1ペテロ,(1:25),(3:12),(12), 2ペテロ(2:9),(11),(3:8),(9),(10),(12); ユダ (5),(9),(14) |
3世紀 または 4世紀 |
1959 | 12 | 無 | 12 |
P74 | 使徒行伝1:2-5,7-11,13-15,18-19,22-(24)- 25; 2:2-4,6-(20)-(21)-(25)-(34)-(39)- (47)-3:(19),(22)-26; 4:2-6,8-(26)-27, 29 (29)-(5:9)-(19)-(7:31)-(33)-(49)- (60)-(8:22)-(24)-(25)-(26)-(39)- (9:31)-(10:33)-(13:44)-(13:47)- (13:49)-(16:32)-(18:21)-(19:20)- (21:14)-27:25,27-28:31;ヤコブ1:1-6,8-19, 21-23,25,27-2:15,18-22,25-3:1,5-6,10-12,14, 17-4:8,11-14; 5:1-3,7-9,12-14,19-20 1ペテロ1:1-2,7-8,12-13,19-20,25(25); 2:7,11-12,18,24; 3:4-5;2ペテロ2:21,3:4, 11,16;1ヨハネ1:1,6;2:1-2,7,13-14,18-19, 25-26;3:1-2,8,14,19-20;4:1,6-7,12,16-17; 5:3-4,10,17;2ヨハネ1,6-7,12-13; 3ヨハネ6,12;ユダ 3,7,12,18,24-25 |
7世紀 | 1961 | 30 | 無 | 32 |
P75 | ルカ3:18-22,33-4:2,34-5:10,37-6:4,10-7:32, 35-43,46-(10:27),(13:35)-18:18; 22:4- 24:53; ヨハネ1:1-(23),(6:45),(12:13),(12:38), (12:38)-13:10;14:8-15:8 |
3世紀 初め |
1961 | 7 | 無 | 7 |
P76 | ヨハネ4:9,12 | 6世紀 | 1959 | 無 | 無 | 無 |
脚注
4 P4は、ルカ1:68で(Kyrios)を省略している。
5 P45、P74、Aleph(ウエストコットとホートの)は、B(バチカン写本1209)(ウエストコットとホートの)が(theos)を用いているのに、(Kyrios)を使う。
6 P46は、Aleph(ウエストコットとホートの)が(Kyrios)を用いているのに、Χριστον(christ)を使う。
7 P46、Aleph(ウエストコットとホートの)、B(バチカン写本1209)(ウエストコットとホートの)はすべて(theos)を用いる。
8 P72は、Aleph(ウエストコットとホートの)が(Kyrios)を用いているのに、Χριστοσ(theoschristos)を使う。
9 P74は、P45が(Kyrios)を用いているのに、(theos)を使う。
10 P74もAleph(ウエストコットとホートの)も、B(バチカン写本1209)(ウエストコットとホートの)が(theos)を用いているのに、(Kyrios)を使う。
11 P45、P74とAleph(ウエストコットとホートの)は、B(バチカン写本1209)(ウエストコットとホートの)が(theos)を用いているのに、(Kyrios)を使う。
12 すべてのテキストが(theos)を用いる。
上に書いた公表済みのパピルスに加えて、番号を付されてはいても公表されなかったり、その写しの日付について、十分な作業が行なわれていない写本が少数ある。それはP73、P77、P78、P79、P80、P81である。番号を割り当てられていないペテロ第一の四世紀の追加の断片がそれに加えられる。
1950年以降の新しい写本の知識
今では私たちの調べを集約できる。この本の最初にこう問いかけていた。「クリスチャン・ギリシア語聖書を書く時、使徒的な書記者が237回もテトラグラマトンを用いたのだろうか」。私たちは古代のクリスチャン聖書写本からの新しい知識はこの質問に答える助けとなるかどうか、探究した。
表6のまとめの情報は、最も古いギリシア語写本のどれかにテトラグラマトンが存在することに価値ある新しい知識を与えてくれる。新世界訳聖書翻訳委員会が1950年にその作業を終えたとき、これら18の写本は彼らには知られていなかった(しかし、P3とP11はだいぶ前からなんらかの形で公表されていた)。
表6 ギリシア語聖書においてテトラグラマトンに新しい光を当てる1950年以降に出版されたパピルス写本のまとめ。が出現する例は無い
番号 | 複写した日付 | 出版した日付 | (4) | (5) | (6) |
---|---|---|---|---|---|
P3 | 6世紀 または 7世紀 |
1882 1885 1963 |
無 | 無 | 無 |
P7 | 5世紀 | 1957 | 1 | 1 | |
P11 | 7世紀 | 1868 1957 |
2 | 無 | 2 |
P13 | 3世紀または 4世紀 |
1951 | 4 | 無 | 4 |
P49 | 3世紀終わり |
1958 | 無 | 無 | |
P59 | 7世紀 | 1950 | 無 | 無 | 無 |
P60 | 7世紀 | 1950 | 無 | 無 | 無 |
P61 | 700年頃 | 1950 | 1 | 無 | 1 |
P63 | 500年頃 | 1953 | 無 | 無 | 無 |
P65 | 3世紀 | 1957 | 1 | 1 | |
P66 | 200年頃 | 1958 | 5 | 無 | 5 |
P67 | 200年頃 | 1956 | 無 | 無 | 無 |
P68 | 7世紀? | 1957 | 1 | 無 | 1 |
P72 | 3世紀または 4世紀 |
1959 | 12 | 無 | 12 |
P74 | 7世紀 | 1961 | 30 | 無 | 32 |
P74 | 7世紀 | 1961 | 30 | 無 | 32 |
P75 | 3世紀初め | 1961 | 7 | 無 | 7 |
P76 | 6世紀 | 1959 | 無 | 無 | 無 |
公表されたパピルスの合計 | 75 | ||||
1950年以降に公表されたパピルスの合計 | 18 | ||||
最古のパピルスの日付 | 200年頃 | ||||
新世界訳聖書がエホバを挿入するパピルスの個所の合計 | 163 | ||||
1950年以降のパピルスの内、 新世界訳聖書がエホバを挿入する個所の合計 |
65 | ||||
全部のパピルスにおけるKyriosの使用の合計 | 160 | ||||
1950年以降のパピルスの内、Kyriosの使用の合計 | 63 | ||||
全部のパピルスにおけるYohdh,'He,Waw,'Heの使用の合計 | 無 |
これらの新しい写本は非常に古い日付を示している。三つの写本は実際、およそ西暦200年ころに写された。ほかの五つの写本は西暦四世紀に写され、三つの写本は明らかに三世紀からだ。しかし八つのもっとも古い写本は237回のすべてでエホバを記述していない。にもかかわらず、西暦三世紀以降(遅くとも四世紀まで)のこれらの新しい文書に表わされたギリシア語kyriosは29回出現する。もし新しく公表された写本をすべて数えると、新世界訳のクリスチャン聖書の英語文の中でエホバが挿入された同じ箇所では、kyriosが全部で63回も出現する。
しかし私たちが求めることのできるもっとも重要な質問はこうだ‥‥‥「これらのとても古い写本(やっと公表された写本)の中にテトラグラマトンが見つかるのか」。答えはこうだ‥‥‥「いいえ、見つかりません」。1950年以降に公表されたこれら18の写本のうち、もっと古い写本でテトラグラマトンが見つかる望みがある箇所は全部で65ある(これらの箇所は「1950年以降の新世界訳聖書のエホバの総数」として次のまとめで識別される)。これらの箇所のどこにもテトラグラマトンが一つも現れない。これらパピルスの中に示されているとする163例を含む237例すべてに関する情報を評価すれば(この163例は、「新世界訳聖書がエホバを挿入するパピルスの箇所の総計」として識別される)、ここでもを記述する写本がまったく存在しないことが分かる。
今日、非常に古いギリシア語写本が意味のある増加を見せているから、西暦二百年以降、現存するギリシア聖書のどの写しにもテトラグラマトンが使われていない圧倒的な証拠を目にする。
この章のまとめ
新世界訳聖書クリスチャン・ギリシア語聖書が完成したときから、聖書的な写本の新しい知識と、見方が著しく増加した。パピルスに表わされた聖書のもっとも古い写本合計75篇のうち18篇が、学者の研究のために1950年以降に公表された。
1.現在有しているその新しい知識には、すでに知られているギリシア語聖書のもっとも古い写しが含まれる。これら新しい写本のうち3篇は西暦二百年ころに写された。ほかの3篇は西暦三世紀の終わりまでに写された。そのほかの二篇は四世紀より遅くはない。
2.西暦四世紀以前に写された新しい写本八篇の内に、テトラグラマトンがたったの一度も出現しない。たった二つの例外を除き、テキストには、はっきりとKyrios が用いられる(ふたつの例外は、P74である。その両方ともテトラグラマトンではなく、を用いている)。
3.もっとも古いギリシア語聖書写本(パピルス)から手に入る証拠は、237回のエホバの箇所のうち、163カ所でKyrios が160回、theosが二回現われる証明をしている。残りの74回のエホバの記述は、これら、もっとも古いパピルス写本から立証されない。さらに、それより新しいギリシア語写本の証拠のどれでも、テトラグラマトンの使用を示していない。
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