第三章
ギリシア語逐語訳研究(第一部)
237回に上るクリスチャン・ギリシア語聖書のエホバの記述を試みるはずのテトラグラマトンの論議にたどり着いた。新世界訳クリスチャン聖書の翻訳事業は、1947年12月に開始され、1949年9月に完了した。当然、テトラグラマトンを支持している脚注は、今や、45年以上経過している。塔協会が公表した原本の情報と歴史的な情報の現状の理解に照らして、第三章、第四章では、それらの注記を再検討しよう。
以下の二つの章は、読者に『王国行間逐語訳』で用いられた脚注の仕方の簡単な説明もしよう(驚くべきことに、研究のために役に立つ逐語訳を使う多くの証人にとっては、脚注はよく理解されていない)
『王国行間逐語訳』と脚注
ギリシア語聖書の『王国行間逐語訳』は、237回に上る新世界訳クリスチャン・ギリシア語聖書でのエホバの名の出現に関する膨大な量の情報を含んでいる。以下の二つの章の情報の大半は、1969年の版による。その版は、包括的であるからだ。1985年の版は、初版にはなかったヘブライ語版の引用を追加している。
『王国行間逐語訳』で使われた脚注の仕方は、総合的で使いやすい。その有用性を高めるために、簡単な説明がいる。『王国行間逐語訳』は三つの完全なクリスチャン聖書の文章を含んでいる。主要な節は、元々のギリシア語文の忠実な再現と字句ごとの英語の逐語訳を含んでいる。右欄には平行する新世界訳がある。
新世界訳に神の名が出現するたびに、付加されたアスタリスク(Jehovah*など)はその聖句の脚注を識別している。それぞれの脚注では、読者はテトラグラマトンを含むヘブライ語訳からなる第一の引用群と、kyrios(Lord)を用いている本来のギリシア語写本を識別する第二の引用群を目にする。
1.原文上の情報の第一群は、その聖句でテトラグラマトンを用いるヘブライ語訳の例で構成される。Yohdh,He',Waw,He'が出現すると英訳Jehovahで置き換えられる。ヘブライ語訳はJ27まで続くJ1,J2,J3など識別される。これらの文字と肩書きの印は、J参照として知られる。それらは、新世界訳におけるJehovahの名を支持しているからだ。
2.原文上の情報源の第二群は、ギリシア語kyrios(時にはtheos)で置き換えている初期のギリシア語写本、アルメニア語、シリア語、ラテン語の訳から構成される。ギリシア語写本は、各々、個別に割り当てられた印、Aleph,A,B,C,D5L,P45,P46,P47,P66,P74,P75で識別できる。ラテン語版は、Arm.It,Sy,SyP,Syc,Syh,Syhi,Syp,Sys,Vg,Vgc,Vgsで識別される。これらの写本は、『王国行間逐語訳』のギリシア語と英語の部分を支持するLord(kyriosから)のことばを裏づける(それぞれの注記している印を識別するには、付録Aを参照しなさい)。
『王国行間逐語訳』の役に立つ前書きの節には、脚注の参照が簡単な記述と出版の日付を付けて一覧になっている。たとえば、上記の第一群のJ7(もっとも頻繁に引用される文献)は、「ヘブライ語のギリシア語聖書」としてリストに上っている。1599年、ニュールンベルクのエイアス・フッターが出版したギリシア語聖書原本のヘブライ語による翻訳(版)である。新世界訳にある参照J7は、その聖句でエホバの名を選んだのは、1599年のヘブライ語の翻訳の中で「神」の名を用いていることによると教えている。
同じエホバに関する脚注は、『王国行間逐語訳』にあるウェストコットとホートの選択を支持する第二群に区分されたギシリシア語写本をも一覧の中に入れている。たいていの場合、もっとも良く保存された写本からの選択は、ギリシア語kyrios(κυριοσ))によるのであって、それはLordと訳される。たとえば、もし脚注がギリシア語写本の物証として"B"を一覧に上げるなら、四世紀のギリシア語写本、VaticanMS.1207 と呼ばれるギリシア語聖書写本を参照している(『王国行間逐語訳』に用いられるギリシア語を支持しているこの物証は、kyriosが四世紀初めに用いられていたことが分かる)。
たいていの場合は、"J"の参照も、kyriosの参照も、多岐にわたるヘブライ語写本あるいは、ギリシア語写本を引用するだろう。
『王国行間逐語訳』の公式
逐語訳聖書の公式に慣れていない読者もいることであろう。次の章でマタイ1:24を参照するだろうが、読者がギリシア語文、対応するギリシア語の下の英語の逐語訳、右欄にある新世界訳訳文の三つの文から構成されている実際の書式の複製を知ることは役に立つだろう。すべての聖句の脚注は、頁の下の欄にまとめられている。図1は、『王国行間逐語訳』に現れる聖句としてマタイ1:22-24を示している(訳者注:表示が困難なため、実際の『王国行間逐語訳』を参照しなさい)。
研究とその見出し
前に進む前に、次の頁に示した研究の例を注意をして見なさい。237回に上るエホバの参照は、各々が横に並んでいるのがわかるだろう。一行の中には、その聖句にあてはまる多様な情報の区分(個々の欄の見出しで表わされている)が見つかるだろう。六つの見出し(参照する聖句を含む)は、直接、『王国行間逐語訳』に由来している。残りの四つの欄は、ヘブライ語聖書の引用から引き出されている。
研究には十の見出しがある。私たちは、もっと深く情報に注目する前に、33頁に示した分類のそれぞれの意味を簡単に説明しよう(完成した研究は付録Bに上げている)
(1)ギリシア語聖書の参照
この欄は、新世界訳でエホバの名を用いる237回の参照を表示している。『参考資料付 新世界訳聖書』の付録1ニのように、多数の情報源が一覧として上げられている(付録Aも見なさい)。
(2)『王国行間逐語訳』で用いられたギリシア語
この欄は、『王国行間逐語訳』で用いられるギリシア語を正しく再現している。いくつか例外があるが、それは普通、kyriosの形である。ことばの語尾は、主体か客体かのいづれで使用されるか、前置詞として用いられるか、所有格として用いられるかにより、対応する文法上の働きに一致するはずだから、語のつづりは、いつも違っている。ギリシア語kyriosの完全な説明は、付録Cを見なさい。
(3)『王国行間逐語訳』の中の英語
この欄は、『王国行間逐語訳』のギリシア語部分でkyriosと訳すために使われる英語を一覧にしている。
(4)LORD(またはGod)を支持している最古の写本の日付
この欄は、kyriosを用いる最古のギリシア語写本の脚注の日付を一覧にしている。たいていの場合、複数の写本が引用されている。日付は、ふつう、『王国行間逐語訳』の脚注の中の世紀によって区別される。比較のために、世紀の日付は年の日付に置き換えられる(四世紀は301年から400年と一覧に上げている)。最古の日付を表わす写本からの引用だけが示されるだろう。すべての日付は西暦で表わす。
(5)エホバを支持している最古の版の日付
この欄は、テトラグラマトンを使用している既知のヘブライ語訳の最も古いものの日付を記している。多くの場合、複数の参照は、実際の脚注に引用される。ここでも最も古い日付だけが記されるだろう(上記4の区別では『王国行間逐語訳』で引用されている証拠は、常にギリシア語写本である。テトラグラマトンのために引用される証拠の場合には、『王国行間逐語訳』は、常にヘブライ語訳(版)を引用する。ここでもすべての日付は西暦で表す。
(6)新世界訳で用いられる名
この欄は、新世界訳で用いられる名を一覧にしている。それは237回にわたる神の名の編集であるから、すべてエホバになるだろう。神の名は、この論点に含まれるのだから、研究の中でほかの情報とともに十分な比較ができる。
(7)神の名を用いているヘブライ語聖書の引用
あるときには、クリスチャン・ギリシア語聖書の書記者は、神の名が聖句自体の一部となるヘブライ語聖書を引用した。神の名が引用された特定のヘブライ語聖書の一部として直接引用された場合、ヘブライ語聖書の文章は、この欄に区分される。ヘブライ語聖書参照のために翻訳委員会が用いた最初の情報源はモールトンとゲデンによる『ギリシア語聖書語句辞典』J20であった。ヘブライ語の項目はJ20にあるとき、ヘブライ語聖書の参照は青色の書体で記した。この欄で普通の書体で表わしたものは、ヘブライ語聖書参照が『参考資料付 新世界訳聖書』の中央の欄あるいは、ほかの情報源にあることを表す。
(8)神の名に言及するヘブライ語聖書の引用
たいていの場合、ギリシア語聖書の書記者は神の名が聖句自体にはないが、エホバが引用された聖句の主題としてヘブライ語聖書の内容の中にはっきり識別できるヘブライ語聖書を引用する。この場合、ヘブライ語聖書の文章は、第8欄に区分される。(第7欄と第8欄の違いに注意しなさい。第7欄では、エホバの実際の名は引用の中に出現する。第8欄では、エホバの名は引用されたヘブライ語聖書にはない。しかしエホバの名は聖句の内容にはっきりと含まれている)。
(9)相互参照引用のみ
この研究のため、ヘブライ語聖書引用の主要な情報源は、『参考資料付 新世界訳聖書』の中央の欄であった。従って、違いは使徒的な書記者による本物のヘブライ語聖書の引用にある。神の名が出現する主題の引用、あるいは平行すると思える引用への単なる相互参照だからだ。中央の欄の参照は、用いられた相互参照の形を表示しない。平行すると思える引用は、内容のある引用ではあるが、上記の8個からなる欄は、四つの目的のために分けられる。この章の後半に見るように、ヘブライ語聖書に平行した主題があるからといって霊感を受けたクリスチャン書記者がそうした聖句を引用したことを、表示しない。相互参照の中には、全体的に神の名とまったく別の主題もある。ヘブライ語聖書の聖句が当てはまらない場合、Xで表示している。引用がクリスチャン聖書の聖句を参照するときには、記載はない。
(10)ヘブライ語聖書に引用や参照が存在しない。
エホバの名の出現する237例の中にあって、霊感を受けたクリスチャン聖書書記者がヘブライ語聖書を引用しなかった例もある。ヘブライ語聖書の情報源に欠けている箇所は、すべてXを付して最後の欄に区別しよう。
研究とその背景
著者による実際の研究において、クリスチャン・ギリシア語聖書全体におけるKyrios()の参照は、すべて評価された。完璧なkyriosの一覧は、『王国行間逐語訳』J20参照から得られた。kyriosが新世界訳の中でエホバと翻訳された箇所だけに当てはまる欄の記載が多数あるから、全体の研究は分割されてきた。237回にわたるエホバへの言及は、表にした情報の上記10の欄を持つ付録Bに記載する。ギリシア語聖書の中の714回のkyriosの出現は、新世界訳にある英訳がある付録Cに記載する。対照するため、付録Cにも、エホバがtheos(God)から翻訳された例の例外となるエホバへの言及が含まれている。
各々の表現にとっての写本の日付を得ることは比較的易しい。王国逐語訳にあるエホバの箇所の脚注は、それぞれ公表した日付が知られている複数のヘブライ語訳を識別するJ参照を常に与えてくれる。加えて脚注には普通、Loreの読み方をする古代のギリシア語写本の参照がある。この情報から、写本の日付を探すため、『王国行間逐語訳』の序文の「記号の説明」の節を引ける。
ヘブライ語聖書の参照の節を完璧にするのは、複雑ではないけれども、時間の浪費である。まず初めにエホバのある聖句は各々、『参考資料付 新世界訳聖書』で調べた。ヘブライ語聖書からの引用があると参照は中央の欄にある。そしてふさわしい区分の中に続く場所に配置されたヘブライ語聖書の箇所を読みとる。もしギリシア語聖書書記者がヘブライ語聖書の中にある神の名が用いられる聖句を引用したら、参照は、「神の名を使っているヘブライ語聖書引用」と題する欄に注記される。青色の書体で書かれた参照に特別な注意が払われるだろう。青色の書体は、ヘブライ語聖書の引用の中にあるテトラグラマトンを示すJ20からの引用を表わす。これらの引用はYohdh,He',Waw,He'を含んでいる引用の源のもっとも明白な証拠を表わす。そして常にほかの相互参照引用にまさる順位となる。
たいていの場合、ヘブライ語聖書の中に「エホバ」がはっきりと識別できても、神の名はギリシア聖書書記者がヘブライ語聖書から引用した聖句の一部ではない。こうした場合、その箇所は「神の名に言及しているヘブライ語聖書引用」の欄にはっきり識別できる。実際の神の名の引用と前後関係からの神の名への参照の区分は、趣味と正確さのために作成された。二つの区分は、重要さの違いを表示していない。ヘブライ語聖書の源が、実際の聖句自体で神の名を使わなくとも、文脈上、神の名が理解されるとき、ギリシア語聖書書記者は、忠実にエホバへの引用をすると考えられる。研究の概略の中では、これら二つの区分は実体が一つとして数えられよう。
「相互参照引用のみ」の見出しの欄には、もっと詳しい説明がいる。『参考資料付 新世界訳聖書』は頁の中央の欄に完璧な、多機能の相互参照の欄がある。ふつう、習慣として相互参照の仕組みは、その聖句の主題によって、相互参照の種類が多く含まれるだろう。期待されたように、「エホバ」の聖句がヘブライ語聖書から引用されるとき、ヘブライ語聖書参照が記してある。しかし相互参照の仕組みが分からないと混同が生じる。多くの場合、ヘブライ語聖書参照が神の名を含む主題参照あるいは、平行する参照として上げられる。しかし引用されたヘブライ語聖書の聖句からではない。多くの例が上げられる。マルコ5:19では、イエスはレギオンと呼ばれた者に「あなたの親族のもとに帰り、エホバがあなたにしてくださったすべての事について知らせなさい」と伝えている。脚注cは、出エジプト記を引用する。そこには「そしてモーセは、エホバがイスラエルに関してファラオとエジプトに行なわれたすべての事についてしゅうとに話していった」とある。これは、「エホバがあなたにしてくださったすべての事」の聖句には有用な比較である。しかし確かに直接的な引用としては理解されない。脚注が主題に関する平行句に過ぎない場合もある。ローマ14:6でパウロが言っている。「食べない者は、エホバに対して食べません」には、レビ記11:8「あなた方は、これらのものの肉をいっさい食べてはならず、その死体に触れてもならない」を参照する脚注bが付される。
「相互参照引用のみ」の見出しを付した欄については、二つの役割がある。ギリシア語聖書の聖句が相互参照として上げられる場合がある。その聖句は、ヘブライ語聖書引用の研究の範囲外であるから、区別は空白にしてある(たとえばコリント第一16:7を見なさい)。ヘブライ語聖書への相互参照が当てはまらないのにそれを正当化するため、稀には、神の名を不完全に有している場合もある。別な目的のために相互参照は価値を持っている。‥‥‥例えばイザヤ46:11といっしょにコリント第一7:17と詩篇143:10を見なさい。
しかし、ギリシア語聖書の箇所がヘブライ語聖書の中に引用の源泉を持たない場合が多い。その場合、「ヘブライ語聖書からの引用や参照なし」の欄の下に注記される。
最後のまとめとして、「相互参照引用のみ」と「ヘブライ語聖書からの引用や参照なし」のふたつの欄の結果を結びつけよう。私たちが研究でこの部分へ着目するのは、真正のヘブライ語聖書の引用の決定であるから、その計算に単なる平行する参照を含ませる事は間違いになるだろう。事実、この二つの欄は、ギリシア語文の中には神の名を用いているヘブライ語聖書からへの直接的な引用がないことを表わしている。
引用の源泉を見定めることは、精密な科学ではないことを読者は気が付かなければならない。特定の客観性が用いられることもあるかもしれない。参照J20が直接数えられるかも知れない。ヘブライ語聖書へ参照している新世界訳の脚注の多くは、明白な引用を十分、示している。しかし、ほかに引用の源泉として上げられた聖句の選択に関する決定には、主観的なものもある。そのため、これらの区分した欄に上げられた数字は試案として考えるべきだ。著者の意図は、確かな数字として見なされることではない。このジレンマの最善の解決策は、237回にわたるエホバに言及する各例を読者が自分で評価することだ。その難しさにもかかわらず、その調査で守るべきポリシーは、相互参照をいつでも可能な許容される引用の源泉として認めることであった。もし間違いがあったとしても、それを除くよりも、不正確な相互参照を許している側にある。
最初に上げたマタイの記述の例については、P33を参照せよ。情報にある初めの六つの欄は、『王国行間逐語訳』に拠っていることに注意するだろう。従って、この研究で残された本来のギリシア文に関する情報とその日付は、すべて、塔が定めた日付と原文上の情報であることを意味する。
驚くべき発見
1950年代初めの読者たちが新しい翻訳を初めて研究しはじめたその時期、その読者たちの期待がいかほどだったか、私たちにははっきりとしない。しかし、今日の経験からすると、クリスチャン・ギリシア聖書新世界訳でエホバの名が出現する237箇所の大多数は霊感を受けたクリスチャン書記者がヘブライ語からの引用を挿入した箇所に由来すると、新世界訳の読者は考えている。しかし、それは実情とは違う。付録Bで見たように、新世界訳はヘブライ語聖書から引用される源泉を持たない箇所でも、125回、神の名を示している。それは、ギリシア語写本の中で112例だけが神の名を含むヘブライ語聖書からの引用である。クリスチャン・ギリシア語聖書にエホバの名が出現する大多数は、「ヘブライ語聖書からの引用と参照なし」あるいは、「相互参照引用のみ」の区分に一覧に上げられよう。
ギリシア語聖書におけるエホバの言及の大半がヘブライ語聖書からの引用ではないと発見すると、大勢の人は驚くかもしれない。次に上げる新世界訳付録1ニの引用によれば、237回にわたるエホバの記述は直接ヘブライ語聖書に依存するとする印象を読者に残すかもしれない。
神の名がギリシャ語、あるいはによって書き換えられた箇所を知るために、霊感を受けたクリスチャンの著者がどこでヘブライ語聖書の節や句、表現を引用しているかを確定し、次いでヘブライ語本文そのものを調べて、そこに神の名が出ているかどうかを確かめました。このようにしてわたしたちは、キュリオスやテオスという語がだれを表わしているか、それらにどんな人格的特性を付与すべきかを確定しました。
翻訳者の立場を超えて聖書釈義の分野に立ち入ることがないよう、わたしたちはクリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名の翻訳に際しては、背景となるヘブライ語聖書をいつの場合も注意深く考慮しつつ、極めて慎重に作業を行ないました。ヘブライ語訳の聖書を調べ、それらがわたしたちの訳し方と一致しているかどうかについても確認しました。
二番目の驚くべき発見
読者を驚かすであろう発見が、まだある。本来の原本からの資料が集められてから45年以上も経ている現在の有力な時点からすれば、テトラグラマトンを支持している日付と本来のクリスチャン・ギリシア語聖書の書士がKyriosを用いたとする証拠の日付の間には、明白な不一致がある。237回のエホバの記述のうち、232回は、西暦4世紀ほどの現存するギリシア語写本でがKyriosの語を用いていると『王国行間逐語訳』脚注に証明されている。『王国行間逐語訳』の序文からの情報が『聖書全体は、神の霊感を受けたもので有益です』(1983年)と共に用いられるとき、これらの記述のうちの7例は、テトラグラマトンはよりもむしろ、がKyriosを用いているために西歴200年のものと断言される。ほかのことばで言うと、もし原作者がテトラグラマトンを用いたのなら、使徒のような著者が書いた時から100年から200年以内にその痕跡は、すべて消失した。『王国行間逐語訳』によって十分な根拠を与えられた7例(1985年版15頁、P46とP75)では、テトラグラマトンの根拠は、それが書かれたわずか102年の後に消失したのである。今入手できる残りの数千の写本の中でギリシア語聖書の中にのたったの一例さえも存在しないことを悟る。二番目に、現在、テトラグラマトンの根拠が極めて後の時代のものであることが分かる。テトラグラマトンが存在する初期のヘブライ語写本は1385年であり、かなり頻繁に引用されるものは1599年以降の物証である。
1947年−49年の翻訳の中で用いられた一層重要な文書類に対する特定の日付とその引用の頻度を注記することは、興味がある。テトラグラマトンを記録するために用いられたギリシア語聖書の初期のヘブライ語版は、1385年以降の日付がある。それはJ2であり、J脚注の中で16回引用される(J2は、単なる版と言うよりも、もっと重い意味がある証拠を第5章で見るだろう)。もっとも頻繁に引用された版(J7)は、181回の参照例のある1599年以降の日付のあるエリアス・フッターの翻訳である。『王国行間逐語訳』の脚注で引用された本来の読み方はkyriosであると示していている二つの初期のギリシア語写本は、4世紀以降の日付である。それはバチカン写本1209とAlephシナイ写本である。これら二つの文書は、『王国行間逐語訳』に232回参照を記されている。今日入手できる文書類の根拠をもって、もし比較の根拠として日付だけを考えるなら、これら二つの写本が少なくとも西暦1000年以上もJ2とJ7文書に先行する文書であるから、本来のギリシア語聖書書士がkyrios(テトラグラマトンよりも)を用いた強力な根拠を示している。
紙幅から見て、この章で完璧な研究は繰り返さない。付録Bで完全に再現されている。
この研究を始める原因となった目的を忘れないように。目標は、45年前に新世界訳翻訳委員会がすぐには入手できそうもなかった本来のクリスチャン・ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンを支持している原本上の物証と歴史上の根拠の新しい理解を評価することである。ここまでで、もっとも最近の情報(塔の文献から全体的に調べられた)は、を含む初期のヘブライ語の源泉とギリシア語の源泉のための明確な文書にはならないことを発見した。翻訳委員会が引用した唯一の源泉は、1385年以降の比較的新しい版である。一方、kyriosを支持しているギリシア語写本は非常に古い日付を持つことが文書で容易に証明される。
この章のまとめ。
クリスチャン・ギリシア語聖書にテトラグラマトンがあるかどうかの研究は、現在の聖書から由来するもっとも古く、もっとも信頼できる文書を評価しなければならない。45年以上前、新世界訳の完成時点から入手可能となった文書資料と歴史資料の進歩的な理解から見てあてはまる。次の点に関しては、『王国行間逐語訳』は内容の充実した情報を上げている。
1.新世界訳の中で神の名エホバを用いている箇所のために、読者をテトラグラマトンを用いて引用するJ翻訳文献とkyriosを引用する古代ギリシア語写本の両方に行く道を教えられる。
2.序文の部分(『王国行間逐語訳』からの欄外の参照に用いられる印の説明)は、脚注に引用された各文書の簡単な歴史と位置が書かれている。この情報は書かれた日付も含んでいる。
3.ギリシア語聖書の中で神の名が用いられる新世界訳の中の237例の大部分は、ヘブライ語聖書に由来するのではない。112例のみがヘブライ語聖書の由来のわかる源泉である。残るエホバの例125箇所は、1385年以降のヘブライ語聖書翻訳だけに頼っている。
4.クリスチャン・ギリシア語聖書の中にテトラグラマトンを記録するために用いられたギリシア語聖書の最も古いヘブライ語版は、1385年の日付である。それはエホバの脚注として16回、引用される。もっとも頻繁に引用される版の日付は、1599年であり、エホバの脚注参照として181回、引用される。
5.現存するすべてのギリシア語聖書の写本は、すべてテトラグラマトンよりもkyriosを用いる。エホバの脚注でもっとも頻繁に引用される古いギリシア語写本2冊は、4世紀の日付である。その二冊のギリシア語写本は、バチカン写本1209とAlephシリア写本である。これら二冊の写本だけで232回引用されている。『王国行間逐語訳』自体、その脚注で実質上、よりもKyriosを強く支持している。
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