テトラグラマトンとクリスチャン・ギリシア語聖書
第1章
テトラグラマトンとは何ですか。
正式なものみの塔の読者は、すでにテトラグラマトンということばの意味を理解している。しかし、そのことばに親しんでいない人には、その背景となる情報を挙げることはとても価値がある。
テトラグラマトンは、ヘブライ語で書かれているからこそ、神の名である。英語では「神」の名はJehovah やYahwehのような様々な形で書かれる。
しかし前に進む前に、テトラグラマトンのことば自体の意味に注目することは、益となるだろう。ギリシア語τετρα は、数字の4を表わす接頭辞として用いられる。ルカ3:1でこのことばが見つかる。そこでは『参考資料付 新世界訳聖書』の脚注に注記されているように、地方の統治者、tetrarchとしてヘロデに言及している。tetrarchは、王国の領土を分割して治めた。彼は4人の統治者の一人だった(反面、単一の統治者はmonarch と呼ばれた)。ギリシア語gramma(γραμμα) は、書物や文字を意味する。ガラテア6:11にこうある。「ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字(γραμμα) で自分のこの手であなたがたに書いています」。だから、テトラグラマトンということばは、4文字を意味する。テトラグラマトンということば自体、聖書には見当たらない。しかし、それは「神」の名に用いられるヘブライ語4文字を述べるには便利なことばである。
文字の構成
書き言葉の正書法(文字の構成)は、時と共に進歩した。それは古代から現代の数千年間に書かれたヘブライ語の本当の姿である。ヘブライ語聖書に初めて書かれたテトラグラマトンは、この頁の箱組の中に描かれている。ものみの塔の出版物『神のみ名は永久に存続する』(1984年)は、初期に書かれた形での神の名の優れたイラストを二つ挙げている。12頁の最初のイラストは、紀元前7世紀の後半からの陶片に見つかったものを示している。13頁の2番目のイラストは、およそ紀元前850年に書かれたモアブの石碑から二つのものを示している。その出版物に挙げられた標本を注意深く研究することで、二つの標本の間に文字の構成の小さな違いが識別できる。しかし両方の場合でも、この時代のテトラグラマトンはふつう、図1の形で出現する。
図1 最古のヘブライ語聖書書記者が実際に書いた神の名 |
『洞察』にある「ヘブライ語」の文章の中で著者は述べている。
これまでに知られている最初期のヘブライ語碑文は、西暦紀元後の初期何世紀かの碑文などの後代の文書のへブライ語方形文字とはかなり異なった古代の書体で記されていました。この方形文字はしばしば「アラム文字」または「アッシリア文字」と呼ばれています。古代ヘブライ文字から方形のヘブライ文字への変化はバビロンでの流刑の期間に起きたと考えられています。しかし、エルンスト・ブュルトブァインはこう述べています。「方形書体のほかに、古いヘブライ語書体が長い間、相変わらず使用されていた。バル・コクバの乱の時期(紀元132-135年)の硬貨には古いヘブライ文字が書かれている。死海の洞くつで見つかったテキストの中には、古いヘブライ語書体で書かれたものがある」
文字の構成が時代とともに変わったとしても、神の名自体のヘブライ語の綴りは変わっていない。古ヘブライ文字のも現代ヘブライ文字も、英語ではYHWHと音訳される。ヘブライ語は右から左に書かれるから、古ヘブライ文字の Yohdh も現代ヘブライ文字 Yohdh も、Y(Yohdh )、古ヘブライ文字の He'も、現代ヘブライ文字 He'も、両方ともH(He)、古ヘブライ文字 Wawも、現代ヘブライ文字 Waw も、両方ともW(Waw) である。
古ヘブライ語の名称は、結局、ヘブライ語の書き言葉の技術的な書き写しの問題になった。古ヘブライ語で表現すると、のような古い時代の形式の特定の文字となる。
この本の暗示として、私たちは初期のヘブライ語聖書筆記者が書いたテトラグラマトンを現代のヘブライ文字で表現するにあたっては、ものみの塔協会の一般的な習慣に従おう。考察すべき対象の時代がどの時代であっても、テトラグラマトンを表わすために4文字のヘブライ語を使用しよう。しかし、読者は、バビロン捕囚までの期間、神の名はのように書かれてきたことを知っておかなければならない。
ヘブライ人の土壌にあるテトラグラマトン
ヘブライ語聖書の初めにおいて、神の名に遭遇する。創世記2:4,16で、モーセが「これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を創られたとき」と語ったとき、初めて「神」の個有の名を書いた。モーセがこの聖句を書いた時、のようにヘブライ語4文字で「神」の名を書いた。
創世記2:4は、聖書で神の名に初めて言及する。『参考資料付 新世界訳聖書』は、脚注でこの聖句に次の情報を与える。
「エホバ」。ヘブライ語、(YHWH)ここではエフワ−と読むように母音符合が打たれている。「彼はならせる」の意。(ヘブライ語[ハ−ワ−]「なる」の変化形)七十人訳(ギリシャ語)キュリオス;シリア語、マ−ルヤ;ラテン語、ドミヌス。
神ご自身の独特の名(YHWH)が出てくる最初の箇所;ヘブライ語のこの四文字はテトラグラマトンと呼ばれる。神のこのみ名は、エホバが目的を持って行動する方であることを示している。まことの神だけが正当に、また真実の意味でこの名を帯びることができる。
テトラグラマトンは最も神聖な神の名であっても、それは共通のヘブライ語の文法構造に源を持つ。加えて、『参考資料付 新世界訳聖書』1573頁では、次の情報が与えられる。
「エホバ」(ヘ語、YHWH)、創世 2:4に最初に出て来る神の個有の名。神のお名前は動詞の一形態、すなわちヘブライ語の動詞(ヤーワー、「なる」の使役形、未完了態と同じ形をしています。
これはウィリアム・ゼネニスの手になる『旧約聖書のヘブライ語と英語のレキシコン』(1865年)に一層詳しく論じられている。そこでヘブライ語の動詞(母音の付いたヤーワー、「なる」)の主要な英語の意味が三つ挙げられている。ゼネニスは次の英語の意味で識別する。(1)to come to pass,to happen,to be (2)to begin to beなど。to become ,to be made またはto be done (3)to be.この動詞(母音の付いたヤーワー)の使いかたで、神の名の裏にある意味の持つ感覚が私たちに与えられる。
関連する主題は、神の名の発音である。発音を理解するために私たちはヘブライ語の母音のドットを考えなければならない。
イエスの時代の後まで、ヘブライ語は、子音だけを使って書かれた。発音を標準化するために西暦400年の後になってマソラと呼ばれたユダヤ人の学者たちの集団が母音のドットを加えた。ここでは母音なしに書かれた言語の例を挙げる。「Moses wrote the five books of the law.」という文章を使ってみよう。もし母音なしに文章を書くなら、こうなる。
mss wrt th fv bks f th lw
もちろん英語は正常な母音の文字を用いる。しかし後になってヘブライ語の文書は、母音の発音を識別するためにドットを加えた。ドットは、結合する音(母音)の読み方を教える子音の下または上に付された印である。もし現在の英語の母音を使うとしたら、上の文章は次のように見えるだろう。
m s s wr t th f v b ks f th l w
o e o e i e o o e a
(上の例では、語の最後にある二重の文字や母音は、省略されている。母音は、発音された個々の語にだけ働く)
ヘブライ語聖書は、元々、母音のドットを付けないで書かれた。そしてセプトゥアギンタ(70人訳)と初期のクリスチャンの時代には、神の名は母音の印を持たずにヘブライ語の子音だけから書かれていた。そしてと書かれた(音声で英語に相当する語はYHWHである)。母音のドットが加えられた後、「神」の名はと書かれた。母音を持つ語の音声での英語の相当語句は、YeHWaHのように英語に翻訳されるのがもっとも近い(後で見るようにたぶん、YeHVaHのほうが可能性がある)。
(いかなるヘブライ語聖書であれ、その正確な発音は、同じく、不正確である。述べたように、ヘブライ語聖書は、最後の本が書かれた後、何世紀も経った後になるまで母音の印を全部、欠いていた。母音が加えられた時、ふさわしい名前は、たぶんほかの通常の語句よりも一層、不正確になってしまった)。
モーセの時代の神の名がなぜ正確に私たちに知らされていないか、上に挙げた母音の喪失の実例から明らかになるだろう。その語の子音の部分(YHWHまたはYHVH)の発音には、確信が持てる。しかし書かれた対応する情報が保存されていなかったのだから、母音の発音には確信が持てない。書き言葉として母音のドットを持たない神の名は、この研究で関心を寄せる形式である。どのようにしてYHWHがJehovah になったか、『参考資料付 新世界訳聖書』をもう一度引いてみよう。そこでは、こう言っている。
信心深いユダヤ教徒は、神の名(YHWH)をいたずらに取り上げる危険を冒さないよう、固有のみ名そのものに代えてアドーナー(イ)という語を用い始めた。マソラ学者は、本文に元の四つの子音字をとどめはしたものの、子音字とは無関係にそれをアドーナー(イ)と読むべきことを読者に思い起こさせるために、(幾つかの理由から『ア』ではなく)『エー』という母音と、『アー』という母音を加えた。
マソラのユダヤ人が神の名に婉曲な言い方を保つために、テトラグラマトンの子音にアドナイの語の母音を付け加えた(英語のヘブライ語聖書では、アドナイはたぶん、Lordのように翻訳されるだろう)。『聖書研究の手助け』にこう書かれてある。
テトラグラマトンの四つの子音とアドナイまたはエロヒムの母音を結合することによってYeho-wahとYeho-wihの発音がつくられた。前者はラテン語化された形式Jehovah の根拠となった。この形式に従った初物には、13世紀の日付がある。ドミニコ派の聖職者、修道士レイモンドス・マルチーニが1270年、『Pugeo Fidei 』の本の中で用いた。
読者は、子音Wの元々の発音に関して不正確さがあることも知らなければならない。YHWHの英語の翻訳でWと表現されるヘブライ語の文字はwaw() である(このヘブライ語の文字の名称は、vav と発音される。しかし英語の文字で区別するときには、しばしばwaw と書かれる。面白いことにもっと最近の聖書的なヘブライ語の文章は、好ましい発音を反映するために、実際はこの文字を英語でvav と字訳する)。ほぼ間違いなく、テトラグラマトンとアドナイの文字の組み合わせは、YaHoVaH となる。『聖書研究の手助け』では、こうある(882頁)。「(右から左に書かれた)四つの文字はでありYHWH(YHVHとする説もある)と字訳されるだろう」。モーセの時代に発音されたように神の名前のもっとふさわしい音声を再現した結果が本当にYHVHであれば、英語の字訳Yahwehよりも、英語のJehovah が古代ヘブライ語の文字waw() をより厳密に再現している。
神の名に関してもっと深く読む方のためには、『参考資料付 新世界訳聖書』(1984年)にある付録1Aを引いてみなさい。ヘブライ語とギリシア語の双方を簡単に紹介するため、『参考資料付 新世界訳聖書』の付録3Aを読んでみなさい。その節はヘブライ語と母音について特別に有用な記述がしてある。神の名を広く研究するためには、『聖書理解の手助け』の882ページから始まる「エホバ」の見出し、あるいは、『洞察』の「エホバ」の同じ見出しの下にある文章を参照しなさい。
ヘブライ語聖書の中のテトラグラマトン
神の固有のお名前は、ヘブライ語聖書の中では、非常に多くの箇所に記されている。ヘブライ語テキストではテトラグラマトンが6981回、出現する。
この本の狙いは、クリスチャン・ギリシア語聖書の中のテトラグラマトンの使い方を普通に歴史的に理解し、テキストから理解をすることである。私たちは、ヘブライ語聖書の中のテトラグラマトンの箇所を強調しない。しかし、読者はこの本を通して忘れてはならないことがある。‥‥‥神の名は、ヘブライ語聖書で広範囲に用いられること、テトラグラマトンの存在を裏づけしているテキストの物証は、疑う余地がないことである。新世界訳聖書は、ヘブライ語聖書の中での神の名の用い方に倣っているのである。
セプトゥアギンタ(70人訳)におけるテトラグラマトン
テトラグラマトンが論じられるとき、時には、セプトゥアギンタとクリスチャン・ギリシア語聖書を混同しているときもあるから、セプトゥアギンタの簡単な紹介をきちんとしよう。
ヘブライ語聖書におけるイスラエルの国の歴史はよく知られている。士師とサムエルのような指導者の元における神権制度の期間、イスラエルの国は、国土の占領と統合に向かって動いていた。まとまった王国としての統合は、ダビデ王とその子ソロモンの時代に最高潮に達した。しかしソロモン王が神に不従順だったため、王国は分割され弱体化した。時には、善良な王が力を得たが、遂には神の裁きが下った。ユダとイスラエルの神の王国は捕われの身として連行される者たちとともに、結局は、征服された。
イスラエルの軍事的、政治的敗北の詳細には、立ち入らない。その時代の征服の典型的な例は、国土追放‥‥‥征服する側の国土への移住であった。ユダヤの植民地は、地中海世界のさまざまな領域に建てられた。エジプトのアレキサンドリアは、国外追放となったユダヤ人の重要な拠点となった。紀元前350年からローマ帝国によって征服されるまで、アレキサンドリアは、学問の中心地であり、ギリシア文化の中心地でもあった。
ユダヤ人指導者は、国民的な捕囚の時代以前に経験しなかった問題に直面した。ギリシア語を話す文化で暮していたユダヤ人はほとんど、もはやヘブライ語聖書を読んで理解することができなくなった。紀元前280年頃にヘブライ人学者の集団がヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳する作業を始めた。その翻訳事業についての言い伝えには(不確かだが)面白いものがいくつかある。少なくとも信頼できる言い伝えでは、神業のような権限を与えられ、70日のうちに作業を完了させた。もっとありそうな言い伝えでは、72人のヘブライ人の学者がその作業をした(あるいは開始した)。真偽のほどは別にして、翻訳は「70」として知られるようになった。私たちが目にするセプトゥアギンタはローマ数字LXX(70)と略して書かれる(セプトゥアギンタの名は、古代ラテン語によるsecundum septuaginta interpretesを英語化したことばである)。
しかしセプトゥアギンタ自体に関して、テトラグラマトンの研究を生み出す5つの詳細事項を尽くさなければならない。
1.私たちは、セプトゥアギンタの重要性を認識しなければならない。セプトゥアギンタは、ユダヤ人の考えにもクリスチャンの考えにも重要な影響を及ぼした。それは記念碑となる翻訳、強い影響力を及ぼす翻訳であった。ともかく、神の啓示はヘブライ語に限定されないことは、それを用いるユダヤ人の側にもある理解を表現した。その歴史と発展の研究から学んだことは多い。この本の主題ではないけれども、セプトゥアギンタにおけるテトラグラマトンの研究は興味深いし、価値のある仕事である。
2.セプトゥアギンタと翻訳されたヘブライ語聖書を区別して考えなければならない。ヘブライ語聖書は、ヘブライ語で書かれた(しかしながら、ダニエル4章は最初、ネブカドネザル王によってアラム語で書かれた。そしてダニエルの預言の書にふくまれた。エズラとエステルの部分もアラム語を含んでいる。『洞察』の「ヘブライ語はいつ衰退するようになったか」を見なさい)。初めに注意したように、セプトゥアギンタは、ヘブライ語聖書を特別にギリシア語に訳した翻訳であった。セプトゥアギンタという述語はヘブライ語で書かれた初期のヘブライ語聖書の写本と同じ意味で使うことは決してすべきではない。
3.セプトゥアギンタとその他のヘブライ語聖書の古代ギリシア語の翻訳とを区別すべきである。セプトゥアギンタは、ヘブライ語聖書のギリシア語訳として唯一のものではなかった。しかしセプトゥアギンタは、ギリシア語を話すユダヤ人にも、異邦人クリスチャンにも、広く受け入れられた。しかしながら、西暦3世紀末までのヘブライ語聖書のギリシア語訳が複数、手に入る。広く用いられた3つの翻訳は、アキュラ、セオドシオス、シムマチスが行った。アキュラのヘブライ語聖書の翻訳は特に興味をそそる。多数の写本が入手できるし、テトラグラマトンではなくむしろ、Kyriosが書かれている。最近では、アキュラのギリシア語テキストの中にがはっきりと用いられている写本がカイロで発見された。
4.セプトゥアギンタのどの版がテトラグラマトンをもっともらしく採用したのか、識別しなければならない。セプトゥアギンタは、当時、ギリシア語圏にあって広く流通したヘブライ語聖書のギリシア語訳であった。今日では、テトラグラマトンはユダヤ人の読者を意識したセプトゥアギンタの写本に広く用いられたことが知られている。一方、異邦人社会に流通したセプトゥアギンタは、神の名の翻訳としてギリシア語Kyrios()を用いた。今日までテトラグラマトンが書かれているセプトゥアギンタの写本がなぜそれほど少ないのか、この興味をそそる問題を含め、13章でさらにそれを論じよう。『聖書理解の手助け』は、次のように『カイロ・ゲニザ』からのカーレ博士の説を引いている。
ユダヤ人のためにユダヤ人が書いたギリシア語聖書テキスト(セプトゥアギンタ)に限っては、神の名をKyriosと訳さなかったが、ヘブライ語やギリシア語で書かれたテトラグラマトンが、それらの言語で書かれた写本に残されていることが知られている。ヘブライ語で書かれた神の名がもはや理解されなくなったとき、テトラグラマトンをKyriosで書き替えたのはクリスチャンであった。
5.最後に、セプトゥアギンタとクリスチャン・ギリシア語聖書を明白に区別をしなければならない。セプトゥアギンタはヘブライ語聖書の翻訳である。翻訳の作業は紀元前280年頃に始まった。律法の書(モーセの書)は、おそらく紀元前180年までに完成しただろう。ヘブライ語聖書全部の翻訳は、たぶん西暦二世紀までに完成されてはいなかっただろう。一方、クリスチャン・ギリシア語聖書は西暦41年(マタイの福音書)から98年(ヨハネの福音書とヨハネ第一からヨハネ第三まで)の間に書かれた。初代教会が広くセプトゥアギンタを用いたのは事実だが、二つの聖書ははっきり区別される。もし、真実の説明が一つしかないのなら、そのほかの説明も等しく真実であろうとは推測できない。テトラグラマトンがある特定の版に用いられていると述べて、古代ギリシア語聖書の写本自体の完全な研究がなされていないクリスチャン・ギリシア語聖書にテトラグラマトンが存在すること自体、証明されない。しかし二つの聖書が個々に独立して存在したから、セプトゥアギンタは、クリスチャン聖書に多きく影響を与えなかったとは、言えない。イエスもクリスチャン聖書書記者も広範囲にわたりセプトゥアギンタを引用した。
セプトゥアギンタは初代教会の聖書であった。クリスチャン聖書書記者がヘブライ語聖書を引用したときは、たいていヘブライ語テキストではなく、セプトゥアギンタを用いた。しかしセプトゥアギンタが大事なのは、クリスチャンギリシア語聖書の歴史と研究のためである。一つについては真で、そのほかのものも同じく真であるはずだとして、テキストの多様性を扱うことは、不正確である。二つの文書はまったく独立的な実体であり、二百年以上、経過したとき分離し、異なった文化に分かれた。
ものみの塔の教えの中でのテトラグラマトン
ものみの塔協会の中心的な教義は、本来のクリスチャン・ギリシア語聖書にテトラグラマトンが使われたことである。エホバの名(テトラグラマトンとして書かれた)は、本来のクリスチャン・ギリシア語聖書の書士によって用いられたこと、聖書を複写した聖書写字生による異端と変更のために現在のギリシア語文の内容となったと教える。たぶん、写字生がヘブライ語四文字(YHWH)をギリシア語Kyriosに変更したのだろうと述べる。
この教義の簡単な概要は、『参考資料付 新世界訳聖書』付録1ニ(1756頁)にある。その一部を引用する。
マタイは霊感によるヘブライ語聖書から100回以上も引用しています。マタイとしては、神の名の含まれている箇所を引用する際、忠実さを示して、ヘブライ語によるその福音書の記述にテトラグラマトンをそのまま含めざるを得なかったでしょう。マタイの福音書がギリシャ語に翻訳されたとき、当時の慣行に従い、テトラグラマトンは訳されずにそのままギリシャ語本文にとどめられました。
マタイだけではなく、クリスチャン・ギリシャ語聖書のすべての著者が、ヘブライ語本文もしくはセプトゥアギンタ訳から、神の名の出てくる聖句を引用しています。例えば、使徒3:22にあるペテロの話の中で申命18:15が引用されていますが、西暦前1世紀のものとされるセプトゥアギンタ訳のパピルス断片のその箇所にはテトラグラマトンが記されています。(付録1ハ§1を参照。)キリストの追随者であるペテロは、神の名、エホバを用いました。ペテロの話が記録にとどめれれた際、西暦前1世紀および西暦1世紀当時の慣行に従い、そこにはテトラグラマトンが用いられました。
西暦2世紀もしくは3世紀のある時期に書士たちがセプトゥアギンタ訳とクリスチャン・ギリシャ語聖書の双方からテトラグラマトンを取り除き、それを「主」を意味するキュリオスや「神」を意味するテオスという語に置き換えました。
クリスチャン・ギリシャ語聖書におけるテトラグラマトンの使用について、ジョージア大学のジョージ・ハワードは、「聖書文献ジャーナル」(Jounal of Biblical Literature,第96巻、1977年、63頁)にこう書きました。エジプトおよびユダヤ砂漠における最近の発見によって、キリスト教時代以前における神の名の使用を直接に見ることが可能となった。これらの発見は、新訳研究において、とりわけそれらが初期キリスト教文書と文学的類似点を示しており、新訳(聖書)の著者たちが神の名をどのように用いたかを説明するものとなり得るという点で重要である。我々は、つづくぺージで一つの理論を展開しようとしている。その理論とはすなわち、新訳における旧約(聖書)の直接及び間接引用箇所には当初、神の名(および恐らくはその省略形)が記されており、時を経るうちに、それがおもに代用語(「主」を意味するキュリオスの省略形)に置き換えられたというものである。我々の見解からすると、四文字(語)がこうして除かれたことにより、初期の異邦人のクリスチャンの思いの中に『主なる神』と『主なるキリスト』の関係について混乱が生じた。このことは、新訳本文そのものの写本伝承に反映されている」。
わたしたちは、次の一つの点を除き、上記の考えに全く同意します。ただ一つ異なっているのは、わたしたちはこの見解を「理論」とみなさず、聖書写本の伝わってきた過程における歴史の事実として受け入れていることです。
この本の概要に見たように、上記の引用は1940年代後期のテキストの読み方、歴史の見解に基づく新世界訳の翻訳者の考えを表現している。私たちは、その下敷きになったギリシア語写本のごく最近の理解の上に立って聖書を再評価する必要に迫られている。(全体としてのものみの塔協会に話すのか、個人としての証人に話すのか、いずれかにしろ)使徒である著作者が書いたものを正確に忠実に再現するクリスチャン・ギリシア語聖書を持つことはすべての人の望みであろう。
この本の残りの部分を通して、私たちは、中心となる疑問‥‥‥クリスチャン聖書の本来の書士はテトラグラマトンを用いたか、を尋ねるとき、入手できる最新のテキストによる情報と歴史的な情報を評価するであろう。もしそうなら、上の主張を検証する物証には、今日どのようなものが残されているだろうか。
この本の書式
クリスチャン・ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンの存在を研究するに当たり、この本では一貫して、は、歴史的な考察とテキストへの考察に基づく。本来のクリスチャン聖書の書物にテトラグラマトンが書かれている箇所に対する最後の疑問は、古代写本の物証に基づくであろう。これらの写本は、本来のクリスチャン聖書の書記者がクリスチャン・ギリシア語聖書に237回、ヘブライ語(テトラグラマトン)を書いたのか、あるいは、ギリシア語を書いたのかを示してくれるだろう。
私たちがギリシア語写本の歴史的な研究をしようとするとき、あっさりと読んでいるのではない。この本をできる限り有益である資料とするために次の書式に従う:一般的な情報は、中心となる章の中にある。補充となる情報は、脚注の形式で加えている。最後に、高度の専門的な資料は付録に収録した。付録にある情報は、ギリシア語テキスト自体の形式、新世界訳聖書の翻訳の脚注、237回のエホバの語を代用するヘブライ語訳聖書に関する情報、この研究が基にしたそれ以外の情報を扱う。その情報は、歴史的なギリシア語のテキストの正しい研究のために必要であるけれど、読みやすくするため、中心となる章の資料からは分離した。
注目を続けること
この本全体を通じて、しばしば特定の副次的な主題に言及するだろう。できる限り正確さを保つため、四つの副次的な話題を簡単に説明しておこう。
二つの二次的な主題(「神」の名の発音、テトラグラマトンに関係するセプトゥアギンタ)には、今のところ、不必要にその権威を高める記述を避けるために注意を払う必要がある。
三番目の副次的な主題(今日の「神」の名の用い方)は、誤解を避けるために簡単な意見を挟む価値がある。四番目の二次的な主題は、Kyriosとを扱う。重要な専門的事項である。常によけいなことに詳しく立ち入ることなく、私たちの文章を記述する必要があるからだ。
「神」の名の発音
初めの副次的な主題のもっともやっかいな問題は、テトラグラマトン自体の正しい発音である。も、YHWH(又はYHVH)もまったく満足できない。ヘブライ文字は正確だが、知識を十分に得た聖書研究生にはほとんど意味がない。がYHVHと表現されない限り、英語の子音YHWHによってがもっとも良く表現されることには、著者にも「ものみの塔」にも異論はない。YHVHの表現は、そのようにしてこの本にやっかいな問題を持ち込んで名前の発音の問題にまで至るむだな努力である。英語の子音は、書かれた字の適切な字訳である。それだけでは発音できない。母音を加えることは、問題を一層、複雑にする。幸いにも論争を簡単にする観測をF・W・カーがしている。
翻訳者が陥りやすい共通の罠は、英語の「Jehovah 」を用いて共通に受け入れられたヘブライ語「Yahweh」をだいたいそれに近いものにしようと考えることである。「Jehovah 」は英語の翻訳であって、ヘブライ語に近似したものであるとよく理解できない者、あるいはそれを無視したがる者が多い。
もしほかのすべての聖書の名前(IesousよりもJesus を含め)の英訳に満足できるなら、「Jehovah 」のほうが、心地よいかもしれない。
私たちは「神」の名の発音を研究するつもりはない。それは価値のある主題だが、この本の埒外とする。神の名として英訳されたエホバの名はありふれているのだから、私たちは、神の名を英訳されたエホバの名で置き替えないようにしよう。重要な問題は、「神」の名の英語風な特別な発音よりも、すばらしい「神」を崇拝し、神に従順になることである。「神」の名の発音の問題は、『洞察』第1巻394頁の記述にもっともよく要約される。
一般に、ヘブライ語学者は、「ヤハウェ」を最も適切な発音として支持しています。そして、詩篇89編8節やハレルー・ヤーハ(「あなた方はヤハを賛美せよ!」の意)という表現の場合のように、み名の省略方はヤーハ(ラテン語化された形ではヤハ)であることを指摘しています。(詩104:35;150:1,6)また、エホシャファト、ヨシャファト、シェファトヤその他のヘブライ語名のつづりに見られるエホー、ヨー、ヤーハ、およびヤーフーという形はすべて、ヤハウェから派生したと考える事ができます。‥‥‥‥‥とはいえ、この問題に関する学者の意見は決して一致を見ておらず、中にはさらに、「ヤフワ」、「ヤフーア」、「エフーア」など他の発音を支持する人もいます。
一方、LORDによる神の名への代用は、単なる発音よりも、もっと重大な問題である。英語の聖書の伝統ではヘブライ語聖書の翻訳者たちはを表現するために大文字のLORDを用いてきた。聖書から「神」のふさわしい名を取り除くことは、悲しむべき慣例であると、著者は思う。ヘブライ語聖書に神の名を持ち込む努力をすると、その翻訳はことごとく、ふさわしい形はどれか迷ってしまうだろう。 をLordと翻訳する伝統から外れる努力をした新世界訳の翻訳者を誉めよう。
現在、福音派のプロテスタントの宗派がその教義と聖歌の中で神の名を認める傾向がある。ものみの塔協会による「神」の名を尊重して用いることへの変わらぬ傾向は、キリスト教会の末端でも実を結んできたというのが、著者の意見である。大きい目で見て、その影響にブレーキをかけられない。著者は、この点に関して証人が日常的にしてきた貢献に気が付いている。
セプトゥアギンタとテトラグラマトン
簡単な意見をする価値のある二つ目の副次的な問題は、セプトゥアギンタ訳にテトラグラマトンが用いられた頻度である。初期のセプトゥアギンタ訳では、Kyriosよりもテトラグラマトンが用いられたことは最も確かである。西暦3世紀を通して、ユダヤ人が用いたセプトゥアギンタの写本の中には、テトラグラマトンが継続して使われた。一方、異邦人クリスチャンは、そのセプトゥアギンタの写本でを(kyrios)と訳した(なぜそれが真実か、13章で発見するだろう)。テトラグラマトンの研究に関係するのだから、この本の残りの章でセプトゥアギンタに言及しよう。ここでは長ったらしいその資質の有無の問題は避けたい。異邦人の写本にKyriosが使われたとき、今日の新しい証拠からユダヤ人のセプトゥアギンタの写本でのの使用が実証されることを簡単に忘れてはならない。(もう一度言うと、セプトゥアギンタにおけるテトラグラマトンの使い方についてのさらに詳しい研究に興味がある研究生には、『洞察』にある「クリスチャン・ギリシャ語聖書」の見出し以下の記述、あるいは『聖書理解の手助け』P.386 (英文)の平行する記述を薦める。加えて、ヘブライ語聖書の初期のギリシア語翻訳にあるテトラグラマトンを実証している資料の一覧がある「諸誌学注釈」にその節がある)。
セプトゥアギンタにおけるテトラグラマトンの存在に関する引用を含めることは、当座の目的は満たされよう。
(70人訳の中での)神の名の書き写しについて、B・J・ロバートソンは1951年に書いている。「まだ疑いは解決されない。議論の段階にある」。過去十年間に変更がなされてもそれは、ブッディシンの立場からは大きく隔たった動きの中にあった。この学者は、LXXはテトラグラマトンを(kyrios)と翻訳したこと、初めのころのАδωναι(Adonai)を置き換える例はなかったことは正しいと、そのセプトゥアギンタ原文から記述した。もっと正確な写本の中では、神の名は古代の写本(古ヘブライ語)で書かれたとするオリゲネースの証拠と、のちに同じ結果となるヒエロニムスの証明をブッディシンは、否定した。ワデルが指摘したように、ブッディシンの概略の記述はフォウド・パピルスによって「きっぱりと反証された」。もっと近い関係に書かれたクムランのレビ記2章から4章の断片は、テトラグラマトンをΙΑΩと訳していることが分かっている。カーレも同じ意見だ。C・H・ロバートにも賛成する。レイランド・パピルス・ギリシア458の申命記26章17節(神の名の出現の前で文章が中断する)では、ロバートが最初、賛成したようなは原文にはない、短縮されていないテトラグラマトンであった。手に入る最近の物証は、オリゲネースとヒエロニムスの証言を認める傾向があり、ユダヤ人によってユダヤ人のために書かれたLXXは、ヘブライ文字(古ヘブライ語またはアラム語)で、あるいはギリシア語の模倣型式(ΠΙΠΙ)で神の名を残したこと、による書き替えは、クリスチャンの発明だとするカーレが正しいことを証明するようだ(ジェリコ著『セプトゥアギンタと近代の研究』271から271頁)
この情報を手にすると、セプトゥアギンタにおけるテトラグラマトンの確かな物証についての資質の問題の蒸し返しを避けられる。しかし、セプトゥアギンタでのテトラグラマトンに関する記述は、クリスチャン・ギリシア語聖書にも当てはまると理解すべきではない。初めに書いたように、読む者は、セプトゥアギンタとクリスチャン・ギリシア語聖書は、全体的に異なった文献であり、時として別々の文書であることに気をつけなければならない。
現代の神の名の使い方
誤解を避けるために、ここでは現代の神の名の使い方についての立場を明確にする必要がある。一方では、クリスチャン・ギリシア語聖書でのテトラグラマトンの歴史上の出現について、またテキスト上の出現について、検証している。個人的な好みや神学的な好みで、聖書にことばを付け加えたり、取り除いたりすることは、決して弁護できない。そして私たちの見解では、今日のクリスチャン聖書の中でのテトラグラマトンの出現は、本来の書士による実際あった使い方を反映しなければならない。もし本来の書士がテトラグラマトンを用いたなら、取り除いてはいけない。本来の書士がテトラグラマトンを用いなかったのなら、加えてはいけない。
一方、私たちは、今日、神の個有の名前を用いることはふさわしいと思うだろうか。確かにその通りだ。そうすることが著者の個人的な習慣だ。
この本の主題は、クリスチャン・ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンに対する歴史的な証拠、テキスト上の証拠に限られると、読者は肝に命じておくようにお願いする。そうであっても、公式の礼拝でも、私的な礼拝でも、神の個有の名前の用い方に関し、神の神性をもっとも優れた意味を持って自由にその名を用いることは、全体的にふさわしいことであり、神に喜ばれると考えている。
エホバの記述
「エホバ」の名は新世界訳クリスチャン・ギリシア語聖書の中に237回、出現する。223箇所の例では、ギリシア語の(kyrios)の箇所に用いられる。13箇所の例では、(theos )の箇所に用いられる。ただ一つの例(ヤコブ1:12)では、「エホバ」は特定のギリシア語文法構造に由来している。
ギリシア語そのものよりも、英語の字訳kyriosを一般的に使おう。完全性を求めたり専門的な必要性のためkyriosとtheos の違いを区別するときもあろう。しかし、正確さを期する必要がない大概の場合には、theosの13例も、ヤコブ1:12の一例も、223回のkyriosの例に含めて使う。
ギリシア語の文法では、文の中でのある語の文法上の用い方に従って、ギリシア語は会話の部分で文法上の一致が求められる。そのため、ギリシア語は8つの変化形のうちの一つを取る(ギリシア語の変化形については、付録Cを見なさい)。kyriosを八つの文法形式を代表する語とするだろう。
第1章のまとめ
テトラグラマトンは四文字の「神」の名である。西暦400年まで、ヘブライ語の書物には、母音は書かれなかった。母音を付け加える前、神の名は、と書かれた。英訳された聖書のヘブライ語聖書の部分で「神」の個有の名前を用いる裏づけとして、豊富な写本から上の証拠を示され、テトラグラマトンは広くヘブライ語聖書全体で使われている。
1.セプトゥアギンタは、紀元前280年ころ、アレキサンドリアで始まったヘブライ語聖書のギリシア語の翻訳である。クリスチャン・ギリシア語聖書とは、はっきりと異なる文書である。セプトゥアギンタは、初代教会で広く用いられたが、クリスチャン・ギリシア語聖書と混同してはならない。
2.組織的な礼拝でも個人的な礼拝でも、「神」の名は頻繁に、そして丁重に用いられた。