第10章

初期のギリシア語写本からのテトラグラマトンの除去

 本来のギリシア語写本書記者はテトラグラマトンを使ったが、続く世紀までには筆記者や写字生が取り除いたと、新世界訳聖書翻訳委員会は信じている。テトラグラマトンが取り除かれたかどうかの検証は、クリスチャン聖書にエホバの名が保存されたかを正当化する唯一の条件であるから、その可能性について、十分、精査する必要がある。

 この章ではテトラグラマトンが本来のギリシア語によるクリスチャン聖書写本から取り除かれたとする主張を認めたり、あるいはそれに反論することになるテキストの証拠を考察する。

 言うまでもなく、変更されたテキストがそれ自体の改編の過程を報告しないであろうことは明白であるのだから、クリスチャン聖書の書物自体の中からテトラグラマトンが取り除かれたという記述は見当たらない。むしろ、除去の問題は、本来のギリシア語写本を生んでいる歴史上の資料とテキスト資料を試みて解決されよう。読者は、この章がクリスチャン・ギリシア語聖書の中だけでのテトラグラマトンの存在を指しているのであって、セプトゥアギンタではないことも目ざめなさい。

ものみの塔協会の立場

 ものみの塔の教えは、紹介の形を取って『参考資料付 新世界訳聖書』(1984年版)1756ページの引用にまとめられている。


テトラグラマトンの調査の定義

 本来のクリスチャン・ギリシア語聖書にテトラグラマトンがあるかについて人がどう考えるかにかかわりなく、その存在を調べる研究は、独特の六つの論点を評価すべきだ。

 これら六つの論点は、重要な順に書いている。最初の記述が根拠となるなら、残りの証拠は確証に過ぎない。立証されなければ、昇順の記述はそれぞれ、強めている証拠の適切さが与えられるはずだ。

1.最も古い多くのクリスチャン聖書写本は、テトラグラマトンあるいは、合理的なギリシア語テキストに埋めこまれた派生語を示すはずだ。

2.古くて豊富に現存するクリスチャン・ギリシア語聖書の写本は、テトラグラマトンを除去した証拠を示しているはずだ。

3.古代の教父らの書物は、テトラグラマトンの除去を保証する論議を記録しているはずだ。

4.古代の外典は、テトラグラマトンへ言及しているはずだ。

5.使徒の時代や初代教会の時代、ヘブライ語で書かれたクリスチャン聖書の中にテトラグラマトンが識別できるはずだ。

6.その地域の地理学は、テトラグラマトンの除去と見なされる場面を証明する。

 テトラグラマトンを用いるクリスチャン・ギリシア語聖書は立証されなければならない。

 新世界訳聖書に「エホバ」の名が挿入された237例において本来のクリスチャン・ギリシア語聖書がテトラグラマトンを用いたと、ものみの塔は教える。もしそれが本当なら、その二つの条件の一つが存在するはずだし、できれば、適切な検証に対し二つとも真であるべきだ。

1.もっとも古い現存するクリスチャン・ギリシア語写本の大多数は、テトラグラマトンあるいは、ギリシア語で埋め込まれた合理的な派生語を示すはずだ。

 前述の聖書の霊感とその誤りの無さの議論には、重要な前提に基づいている。信ずべきものとして受け入れられるための聖書の一部として、それは権威のある古代写本で検証されなければならない。もっとも正確な写本の研究を抜きにした基準に則っては、聖書の本来のことばを有効にできない。テキストの語を書き取るための単なる思索を許すことだろうか。すべての種類のありあまるセクト主義的な聖書のために扉は開かれるであろう。テトラグラマトンが使徒的な著者の本来の事物に用いられたなら、ギリシア語写本のもっとも古い現存する写本に埋め込まれたyhwhla.jpgを発見できるはずだ。もっとも古く、もっとも正確なクリスチャン聖書のギリシア語の写しに先立つ情報源や慣例を抜きにしたら何も残らない。

 クリスチャン・ギリシア語聖書の中にテトラグラマトンが書かれている現存するギリシア語写本は一つもないことに読者は目ざめるべきだ。ギリシア語テキストの中でほかの別の形に修正を余儀なくさせるテトラグラマトンに対して、同じくらいの強い証拠が適切に求められる。五千以上、現存するギリシア語・クリスチャン聖書のギリシア語写本のどれにも、テトラグラマトンがただの一度も現れていない点で、私たちはクリスチャン・ギリシア語聖書の中のテトラグラマトンの議論はすべての単なる思惑であると結論できる。

 さらに、ヘブライ語yhwhla.jpgの代用語として用いられたギリシア文字の痕跡さえ存在しない。セプトゥギンタやオリゲネースの『ヘキサプラ』の特定の写本にあるギリシア語ΠΙΠΙ(PIPI)のような派生語を含んでいるとものみの塔から報告されたクリスチャン・ギリシア語聖書は一つも報告されていない。

 最後に、私たちはクリスチャン・ギリシア語聖書からの推定されたテトラグラマトンの除去を扱う話題を終わらせるときに、基礎的な現実性を思い出すべきだ。王国行間逐語訳で用いられているウエスト・コットとホートのテキストであろうと、連合聖書協会版ギリシア語新訳聖書であろうと、今日用いられるギリシア語テキストの中には、古代ギリシア語写本のテキストの裏づけなしにギリシア語テキストに復元された語は、ただの一つもない。ヘブライ語yhwhla.jpgは、それが許される、最初でかつ、唯一の例になるのだろうか。

2.古代の、かつ大量に現存するクリスチャン・ギリシア語聖書の写本は、テトラグラマトンが取り除かれた痕跡を示すはずだ。

 ギリシア語聖書の原本は現存しない。そのため、ギリシア語聖書の内容の根拠は、すべて継続して行なわれたコピーに由来する。

 これら237例において原作を書いた書記者が用いた言語にかかわりなく、クリスチャン教会発足から30年以上経って、おごそかにそのことばが写本の中に定められた。教会と写本を求めている個々人の間には遠い旅程が必要とされたために、このわずかな時間のうちに、原本からのたくさんの写本が世に出た。30年後、どれほどの数の写本が出回っていたかを正確に見積もれる基準はない。しかし教会が厳しい迫害によって解散させられたことや、急速な教会の成長を経験したこと、会衆が使用したり、個人が所有した写本が使用されたことを考えると、この時代の短い期間のうちに個々の書の個人的な写しは、数百(数千ではないだろう)件に上ったはずだ。

 ヘブライ語yhwhla.jpgを含む箇所がmatt2710.gifに代えられたことを考えると、必然的に何が起こったのだろうか。まず、一度にyhwhla.jpgが書かれている既存の写本を破棄しようとしてすべて集めることは不可能であっただろう。それをしようにも、写本は大量に、かつ広範囲に分配されていただろう。手始めに、選ばれた場所にあった少数の写本だけが破棄されただろう。多くのクリスチャンが迫害の危険な時期にあって、個人的な危険を冒して写本を保存したのだから、写本を執拗に破棄することは、いっそう困難であったろう。

 そして突然で完璧な変化よりも、むしろ「テキストの変化形」と呼ばれるものが生じただろう。yhwhla.jpgを用いる写本とmatt2710.gifを用いる写本の混交も起きただろう。時代が進むと、異教を支持する強力な要素の間が一致を見せて、大多数の写本はmatt2710.gifの変化形を含んだのだろう。しかし、変更への抵抗とさまざまな地理的な条件のために、本来のyhwhla.jpgを含んでいる写本は、流通されたままに残った。

 すでに見てきた写本の長命さを示す例がある。420年に死亡したヒエロ二ムスは、個人的にヘブライ語のマタイ伝を用いていたと報告する。言うまでもなく、この文書(またはその写し)はそれが書かれた後、少なくとも300年間、利用できた。

 もしyhwhla.jpgmatt2710.gifに変更されたなら、比較的新しい写本は変化形が書かれていたが、比較的古い文書は原形が書かれていた点で進行中の変化を見ることが期待できよう。比較的新しい写本は、時々、比較的古い文書から作られたために、いっそう新旧が混在して分配されたのだろう。そしてyhwhla.jpgが不規則に繰り返されたのだろう。

 しかしその変更は、yhwhla.jpgからmatt2710.gifになるようには、いつも簡単にことが運ぶことには限らなかっただろう。クリスチャン・ギリシア語聖書は、主に異邦人社会で流通したから、神学的な偏向よりも言語上の混乱によって促された変化形を見ることを期待できよう。セプトゥアギンタの中に見られるΠΙΠΙ(PIPI)のようなギリシア文字から生じた古い変化形や、ギリシア語の発音の再生ΙΑΩ(YAW)に由来する古い変化形がたぶん発見されるだろう。さらに、もしyhwhla.jpgが損なわれると、それは普通、matt2710.gifには変わらなかっただろう。yhwhla.jpgの源泉にさかのぼって調べたかもしれないギリシア語の変化形を見ることが期待できよう。しかしそれはほかの写本の中で選ばれたギリシア語とは違っていただろう。そうした理由のため、237の記述の個々の箇所で、単一の語matt2710.gifよりは、むしろ現存の写本の中のギリシア語とは別の様式を知るだろう。

 従って、識別が可能な写本の証拠を残すため、二世紀と三世紀にテトラグラマトンからkyrios への変化を予想しよう。たとえテトラグラマトン自体が書かれている写本がすべて損なわれたとしても、変更されたという意味深い証拠は、現存のギリシア語写本の中にとどめられているだろう。

 現在知られているクリスチャン・ギリシア語聖書の写本を写す前に写字生や書士らによってテトラグラマトンがkyrios に変えられたと、ものみの塔は教える。その論議は重大な障害に遭遇する。そうした変更が急速で完璧であったことはかつてなかったものであったろう。王国行間逐語訳は、四世紀(300年以降)のギリシア語写本がテトラグラマトンを記述しないでkyrios だけを伝えたことを豊富に証明する。『聖書全体は霊感を受けたもので、有益です』の本の中では、知られているkyrios を用いる日付を使徒の時代に一層近い日付に移すものとして、主要なパピルス写本の例のいくつかが、引用されている(313頁)。この前の章で見たように、P47は新世界訳聖書で「エホバ」と翻訳された黙示録9:10−17:2の四箇所が含まれる。この写本は西暦300年までに写された。黙示録は西暦96年ころ、ヨハネが書いたのだから、これら四箇所でkyrios が用いられたのは、原本が書かれてから204年以内であることが検証される。

 P72と識別される三世紀あるいは四世紀の別の写本は、新世界訳聖書で「エホバ」と訳されるkyrios の箇所が12、含まれている。ユダとペテロ第一、ペテロ第二を含むこの写本は、西暦201年から399年の間に写された。

 ものみの塔が参照している三番目の写本は、P66として識定される。それには、新世界訳聖書で「エホバ」と訳されるkyrios の箇所が5つ含まれている。この写本はだいたい西暦200年と同定される。これらの5箇所は、ヨハネの福音書(西暦98年ころ書かれた)に由来するから、それら写しは、原本が書かれてから102年後くらいに作られた。クリスチャン・ギリシア語聖書が書かれたときから、204年経ってではなく、102年以内という古い時期に、これらの箇所で適切な語としてクリスチャン教会がkyrios (Lord)を完全に受け入れた実質的な証拠があることは、逃れようのない事実である。

 ものみの塔から発行された情報に従って、本来のギリシア語クリスチャン聖書がテトラグラマトンをどれほど使って書かれたか、改作の痕跡を残さずに102年から240年以内にどれほど完璧に変更したかは、まったくの思惑である(我々が入手できた最善の日付を使うと、たぶんヨハネは96年に黙示録を書き、ヨハネの福音書は98年に書かれのだ。パウロの最後の手紙は61年に書かれた)。完全な異教が起き、今日残された文書をすべて変更し、今日手にする文書をすべて変更し、教父の間での論争が書き残されることなく修正された神学として完全に確立されるまで、西暦98年から西暦200年の期間が残る。しかし、『聖書全体は霊感を受けたもので、有益です』は次のように言うとき、二つの日付をもっと接近するように動かす。

 そのように急進的な調和の異教が96年から300年という非常に短い時間にローマ帝国全体に広がることができて、そしてその変化の痕跡をすべて完璧に取り除けることができたと、想像するのは難しい。使徒ヨハネの死後、それが「わずか数十年ほど」に起きたと想像できるだろうか。

聖書以外の古代文書は論争を反映するはずだ。

 聖書以外の教会の古い文書には、聖典化されない祈りの書物のほかに、注釈及び多くの教会の書士の論争の書物があった。使徒の本来の書物におけるテトラグラマトンの存在に言及するためには、これら二つの重要な情報源に期待をかけよう。

3.初期の教父たちの書物は、テトラグラマトンの除去を防ぐ論争を記録するはずだ。

 教会の発展は書物に銘記された。たいていの場合、その書物は手紙や書簡の形式を取った(クリスチャン・ギリシア語聖書には、手紙の形式の書き物が多く含まれる。ルカの福音書、使徒行伝、パウロのすべての書物、ヘブル、ヤコブ、ペテロ第一、第二、ユダ、ヨハネの手紙三通‥‥‥これらは、教会や個人に宛てられた。黙示録でさえ、「アジアにある七つの会衆」に宛てられている(黙示録1:4)。

 しかし、二世紀までに哲学者や神学者のかなりの長い著作のほかに、教えをしている手紙の書き物が、新しい教会で受容されたものの一部となった。その大量の書物が今日、私たちには保存されている。

 325年に第一次ニケア会議が招集された。私たちの目的からすると、その会議の中身が重大なのではない。しかし教父の書物はこの会議の基準に沿って分類される。「ニケア会議以前の教父」たちと呼ばれたグループは、西暦325年以前に書いていた。西暦325年以前の著者たちは、西暦100年から325年の間の初代教会の設立に続く神学的論争の信頼すべき報告者と考えられる。しかし彼らの個人的な観点を受け入れざるをえないように決して義務は課されてはいない(ものみの塔は初代教会の教父の書物を広く承認している。マタイのヘブライ語福音書についてのヒエロニムスの証明、セプトゥアギンタに関するオリゲネースの著作と注釈、神の名を発音することへのユダヤ人のためらいなどは、ニケア会議以前の著者によって報告された情報の実例である。「聖書理解の手助け」を一瞥すると、その時代の世俗の作者やクリスチャン作者から多く引用されている。その例には、タシトス、ヨセフス、オリゲネース、ヒエロニムス、イレナエウス、アフリカヌス、エウセビオス、アウグスチヌスなどと、たくさんある)。

 こうした書物を通して、初代教会とそれが存在する世界について多くのことが知られる。初代教会の生活の中で問題の重要性は、当然、同時代に書かれた資料の量に反映されていると考えるのには合理性がある。

 前に進む前に、書かれた資料の量と作者の主題を理解する必要がある。作者は、数多くの大きい図書館で入手できる標準的な百科事典の参照を評価した。『アンテ・ニセン教父』と題する9巻からなるセットがあり、「チャールス・スクリブナーの息子たち」という会社から出版された。これらの巻物には、西暦紀元に生きた者たちの書物が含まえている。その中には、ユスチノス・マルツール(110−165)、イレナエウス(120−202)、ポリカープ(?−155)、タティアヌス(ユスチノスの研究生)、セオフィラス(生没年不詳。181年に書かれた書物が知られている)、テルトゥリアヌス(150−220)などがいる。

 これらの9巻は、テトラグラマトンの研究に重大な貢献をする。まず第一に、これらの者たちは概してギリシア語聖書の原本が書かれてから20年から120年以内に書いたことに注意しなさい(ポリカープは実際、使徒ヨハネから学んだ者であった)。これらの者たちは、確かにテトラグラマトンからkyrios への改変ほどの重大な異教に目ざめていた。もしこの改変がイエスを被造物である(kyriosとyhwhla.jpgを区別して)ことよりも、「エホバ」自身の基本的な性質を有する者として(全てを包括することばとしてkyriosを用いることで)認めさせたなら、それは特に真だ。

 二番目に、彼らの書物にはそうした異教を記録する可能性の考えを伝えている。私たちが参照した9巻のセットは、翻訳された資料が全部で5433頁ある(索引と伝記的資料はその数に含めない)。一頁約千語から成り、彼らは私たちに約5400千語を書いた。比較すると、『参考資料付 新世界訳聖書』1984年版では、一頁につき約750語からなる聖句の頁は1494頁を数える。従って、新世界訳聖書全体で約1120千語がある。使徒の時代と西暦325年の間の教父の書物は、聖書全巻のおよそ5冊分に等しい量の百科辞典の中に示されている。オリゲネースによる広範囲にわたる注釈のように、この百科辞典に書かれていない既知の書物がほかにもある。テトラグラマトンを除去する異教は、確かに、この数多くの頁の中に記録されてきただろう。

 一例としてこれら9巻のうちの一節を評価する。イレナエウスと名乗る重要な古代の書士が西暦二世紀に『異端反駁』と題する書(実際にはスクロール)を書いた。これは英訳では258頁になる。都合のよいことに、この一揃え9巻の出版者は、各巻に包括的な聖書索引が書かれていた。どこかの教父によって引用された聖書の特定の箇所の参照が探し出される。従って、テトラグラマトンからkyrios への推定される書き換えに気がついていたどうか、確かめるため、イレナエウスの『異端反駁』の書の中で、関連する「エホバ」の箇所237の一部を探し出した。彼が引用した聖句の中には、推定された変更に関係した表現は一つも見つからなかった。代わりに、イレナエウスは、語Lord を十分に受容する聖句を引用した。

 次の引用にはイレナエウスの著作の実例が書かれている。左欄にあるイレナエウスによる聖書の説明的な記述と短い注釈は、英訳された『異端反駁』からであり、それは、「チャールス・スクリブナーの息子たち」社から1899年に『ニケア会議以前の教父たち』の中で公表された。右欄には、イレナエウスが引用した聖句を新世界訳聖書から引用した。

 『異端反駁』               
The Lord then,exposing him (the devil) in his true character
,says,"Depart,Satan; for it is written,Thou shalt worship the Lord thy God,and Him only shalt thou serve."
(vol.1,p.549)

 新世界訳聖書
  Then Jesus said to him:"Go away,Satan! For it is written,
 'It is Jehovah your God you must worship,
 and it is to him alone you must render sacred service.'"
                 (Matthew 4:10 NWT)
               その時、イエスは彼に言われた、「サ
                タンよ、離れ去れ!『あなたの神エホ
              バをあなたは崇拝しなければならず、
              この方だけに神聖な奉仕をささげなけ
              ればならない』と書いてあるのです」
              (マタイ4:10新世界訳)

 『異端反駁』   
 For in no other way could we have learned the things of God, unless our Master,existing as the Word, had become man. For no other being had the power of revealing to us the things of the Father, except His own proper Word.
 For what other person"knew the mind of the Lord or who else"has become His counselor?"
(vol.1,p.526)

 新世界訳聖書
 For "who has come to know Jehovah's mind,or who has become his counselor?"
(Romans 11:34 NWT)

      「だれがエホバの思いを知るようになり、
      だれがその助言者となったであろうか」
     (ローマ11:34新世界訳)

 『異端反駁』   
 Then again Matthew,when speaking of the angel, says, "The angel of the Lord appeared to Joseph in sleep."
(Vol.1,p.422)

 新世界訳聖書
  But after he had thought these things over, look! Jehovah's angel appeared to him in a dream.
(Matthew 1:20 NWT)
            しかし、彼がこれらのことをよく考え
           たのち、見よ、エホバのみ使いが夢の
           中で彼に現れて、こう言った。
           (マタイ1:20新世界訳)

 『異端反駁』 
  When he says in the Epistle to the Galatians: as Abraham believed God and it was accounted unto him for righteousness."
 (Vol 1.p.492)
 新世界訳聖書
  Just as Abraham faith in Jehovah and it was counted
 him as righteousness."
       (Galatians 3:6 NWT)

 『異端反駁』 
  For Peter said "...For David speaketh concerning Him,
  I foresaw the Lord always before my face."
  (Vol.1,p.430)
 新世界訳聖書
  For David says respecting him, "I had Jehovah
   constantly before my eyes."
   (Act 2:25 NWT)
     ダビデもこの方についてこう言っています。
    「わたしはエホバを絶えず自分の目の前に見た。
   (使徒2:25新世界訳)

 新世界訳聖書がエホバの名を挿入する箇所であっても、写字生や書士がクリスチャン・ギリシア語から神の名を取り除くために共謀を働いたとは、イラナエウスは何ら自覚していないことが示されている。不注意や詐欺によってテトラグラマトンから変更されたと新世界訳聖書の翻訳者が信じている箇所を、使徒パウロの死後、たった50年しか経っていないうちに書いていた人は、イエスの称号kyrios で満足していた。

4. 正典とされない古代の書物は、テトラグラマトンに言及をしているはずだ。

 古代の数多くの祈りの書は、一世紀からのものが利用できる。ある興味深い一例は、「コリントへのクレメンテの手紙」である。この手紙はピリピ4:3に記されている使徒パウロの仲間であるクレメンテの真正な書物と見なされている。その手紙は、西暦75年から110年の間の時期に書かれ、西暦100年のすぐ後に書かれた可能性がかなり高い。そのため、クレメンテがテトラグラマトンを用いたのか、kyrios を用いたかの点は、一世紀の教会の慣行とおそらくはパウロの慣行の双方を反映しよう(たとえ著者が使徒パウロの仲間でなくとも、この手紙の日付に基づき、その主張は少なくとも初代教会の慣習があてはまるだろう)。

 クレメンスは、イエスをLord と言及するとき、イエスを名指しして、広くkyrios を用いた。しかし、彼は新世界訳聖書がエホバを挿入したヘブライ語聖書参照をしばしば引用もしていた(あるいは暗示した)。次の「コリント人へのクレメンスの手紙」の引用は、「使徒的教父」と題する書から取られた。その本は英訳文といっしょにギリシア語テキストも書かれている。クレメンスが英語でLordと訳される語を使った箇所では、実際のギリシア語は括弧内に示されるだろう。「クレメンス第一」の中の章と節の名称は、引用に先行する。ヘブライ語聖書の参照は引用に続いて書かれる。ヘブライ語聖書の聖句は新世界訳聖書から引用される。

「クレメンス第一」 
  1 Clement 8:2 And even the Master of the universe himself spoke with an oath concerning repentance;"For as I live,said the Lord(matt1025.gif),  I do not desire the death of the sinner so much as his repentance."
(Ezek.33:11)
 新世界訳聖書
  Say to them,"As I am alive," is the utterance of the Lord Jehovah.  "I take delight,not in the death of the wicked one,but in that someone wicked turns back from his way."
 (Ezek.33:11)

「クレメンス第一」 
  1 Clement 8:4 "Come and let us reason together, saith the Lord(matt2710.gif):and if your sins be as crimson,I will make them white as snow..."
 (Isa.1:18)
新世界訳聖書
  "Come,now,you people,and let us set matters straight between us," says Jehovah."Though the sins of you people should prove  to be as scarlet, they will be made white just like snow..."
 (Isa.1:18)

「クレメンス第一」
 1 Clement 13:5 "I know assuredly that the Lord God(matt1025.gif ο theos.jpg)is delivering to you this land..."
   (Josh.2:9)
新世界訳聖書
 "I do know that Jehovah will certainly give you the land..."
  (Josh.2:9)

「クレメンス第一」
 1 Clement 15:5-6 "May the Lord(matt1025.gif) destroy all the deceitful lips...Now will I arise,saith the Lord(matt1025.gif),
 I will place him in safety..."
 (Ps.12:3,5)
新世界訳聖書
 Jehovah will cut off all smooth lips ...I shall at this time arise," says Jehovah " I shall put [him] in safety...."
 (Ps.12:3,5)        

「クレメンス第一」
 1 Clement 16:2-3 For it says,"Lord(matt0721.gif),who has believed our report, and to whom was the arm of the Lord(matt0938.gif) revealed?"
 (Isa.53:1)
新世界訳聖書
 "Who has put faith in the thing heard by us?  And as for the arm of Jehovah to whom has it been  revealed?"              

 クレメンスがコリント人へ宛てた手紙の中ではテトラグラマトンを使う例はない。西暦一世紀の教会の指導者であり、たぶん、使徒パウロの弟子、あるいは、同僚であったクレメンスが、ヘブライ語聖書を引用しているとき、テトラグラマトンではなく、kyrios を首尾一貫して用いたことを私たちは知っている。

 クレメンス(西暦一世紀における彼のありうるべき指導的役割と使徒パウロとの交わりにもかかわらず)は、テトラグラマトンを使うことを止めたから異教だったのか、あるいは、西暦一世紀の異邦人教会はそのギリシア語聖書の中で実際にkyrios を用いたとする結論が残されている。

 ヘブライ語聖書から引用するときに、kyrios を用いたのは、クレメンスだけだったのか、あるいはほかの者もそれに従ったのか。

 その時代のほかの著者の間にも同様の様式が見られる。西暦一世紀遅くあるいは西暦二世紀早くのその他の手紙は、「バルナバの手紙」と呼ばれる。この手紙は伝統的にパウロの同僚、バルナバの仕事だと主張されているが、正真正銘、バルナバの仕事ではないとするのがもっとも正しい。にもかかわらず、初代教会には重く尊重された。ここで霊感を論じているのでない。私たちの関心は、ヘブライ語聖書が引用されるとき、それら初期の書物でkyrios とテトラグラマトンのどちらが用いられたのか、である。同様に、「バルナバの手紙」は「クレメンスの手紙第一」の様式にならった。手紙の著者は、次のようにイザヤ1:11を引用した。

"What is the multitude of yoursacrifices unto me?" saith the Lord(matt1025.gif)."I am full of burnt offerings..."(Barnabas 2:4)

 これと同じ聖句が新世界訳聖書に書かれている。

 「あなた方の多くの犠牲は、わたしに何の益になろう」と、エホバは言われる。

 同じような例は、詩篇118:24、エレミア7:2、イザヤ1:10のような聖句で見つけられる。申命記118:24はテトラグラマトンよりもギリシア語kyrios を用いて引用されている。簡単なように例を一つ、用いたが、読者は「バルナバの手紙」や「デダーチェ」を研究したほうがいい。

 テトラグラマトンよりkyrios を用いている同じ例は、「デダーチェ」あるいは、「十二使徒の教え」と呼ばれる文書にも見当たる。この書物は西暦二世紀の前半に由来する。この書物はキリストの十二使徒の教えとして書かれたが、ある匿名の著者は、十二使徒が書いたとは言っていなかった。「デダーチェ」は聖書としての利点があるから、それについては言及しないが、それは初代教会の理解と実践を反映している。「デダーチェ」は「クレメンスの手紙第一」と「バルナバの手紙」と同じようにテトラグラマトンよりもkyrios を用いてヘブライ語聖書の箇所を引用した。

 疑問が出るかも知れない。「テトラグラマトンを取り除くという完全な異教の中で、教父の書物がことごとく、変更されたのか」。この章の地理学の最後の議論で見るように、その作業が大がかりだったため、これらの者の書物の変更は不可能だった。しかし二番目の、もっと恐るべき目的は、その手始めに参加するために先見の明の必要性であった。将来の世代の人々が異教と知らないほどに教父の書物を変更する必要性は、西暦二、三世紀の写字生たちには決して起きなかっただろう。結局、それが神学的な論争であったなら、同時代の人たちはそれに目ざめていただろう。すでに共通の知識であった論争を隠すために、膨大な量の写本を写し直そうと、一致協力したとするのは、全体的に合理的な考えではない。作者や写字生は、学者たちの将来の世代をだます目的だけで企てを計画したのではと考えるのは、それ以上に馬鹿げている。

 初代教会の聖典化されていない祈りの書物を簡単に試してみて、テトラグラマトンを含んでいるヘブライ語聖書の引用では、作者たちが決してyhwhla.jpgを用いなかったことが分かる。

5.初代教会の時代、ヘブライ語で書かれたクリスチャン聖書の中ではテトラグラマトンは見分けられるはずだ。

 私たちはすでに第五章でシェム・トブによるマタイの福音書と識別されるJ2参照を評価した。その章で私たちは、マタイ自身が書いた本来のヘブライ語の福音書の校訂版として、この写本の試験的な鑑定にあたり、ジョージ・ハワードが行なった重要な貢献を認めた。この重要な主題について、より詳しい著作が加わってほしい。未解決のテキストの研究に適切な注意をはらい、おそらく失われたであろうヒエロニムスが報告したヘブライ語のマタイ福音書が利用できるもっともよい例として、ハワードの著作を了解するだろう。

 第五章でシェム・トブのマタイの福音書は実際に、テトラグラマトンを用いていないことを発見した。むしろテトラグラマトンを代替する婉曲な言い方として、それは代用語name.jpg(「名」を意味するnamela.jpg)を用いる。これはマタイ自身、ヘブライ語文字matt1025.gifを用いなかったかもしれないとは意味しない。彼が行った表示は、現在失われていることを意味しているに過ぎない。

 J2は使徒の時代から唯一の現存する有力なヘブライ語福音書や書簡であるのだから、使徒の時代または初代教会の時代、ヘブライ語で書かれたクリスチャン聖書にはテトラグラマトンが識別できないと了解することで、上に書いた表題に結論をつけざるを得ない。それでも、引用された現存する一つの写本は、「名」を意味する婉曲な言い方として代理のものを用いた。

テトラグラマトンの除去はそれが書かれた舞台を反映するはずだ。

 異形を持つ数多くの写本は期待された変数から外れるかもしれないのだから、この最後の話題は重要な問題ではない。そしてこの話題は重い比重を示さない。しかし、書かれたクリスチャン聖書からのテトラグラマトンの除去は、自然な情況で起きたのだろうから、それも考慮に入れなけれならない。

6.その地域の地理は、テトラグラマトンの除去と思われる設定を定める。

 この本ではこの点については、写本自体に焦点を当てた。今、これら写本の保存の慣行を考えてみよう。最古の写本とそれが見つかった地理的な位置関係をざっと評価すれば、気候条件と写本の保存の間には明白な関係があることが分かるだろう。前に見たように、西暦一世紀においてはふつう、材料は、パピルスだった。それはエジプトで葦から作られ、ローマ帝国中に輸出された。パピルスはもろくて、古代の異邦人教会のように冷たく湿った気候の中では、生き延びなかった。もっとも古いと知れれるクリスチャン・ギリシア語写本は、ほとんど大部分が温暖で乾燥した気候の元で出土していた。そのため、残存している最古のギリシア語聖書写本は、広く北アフリカとシナイ半島から出土した。
 チェスタービーティ・コレクションのパピルス断片(P45、P46、P47)は、その地域から出土した。前に記したように、それらは西暦およそ200年のものである。

 本来の書物からテトラグラマトンが除去されたとする推定の議論には、これらは、重要な意味を持つ。キリスト教がローマ帝国の世界(欧州、アジア、アフリカの三大陸を含む)で急速に広まったとしても、北アフリカが地理的にも文化的にも隔たりがあったことには、意味がある。アフリカの初代教会は比類のない性格を発展させ、自分たちの教会指導者の登場を経験した。その独自性ゆえに、教会の知覚や教会の行事(中東、欧州、小アジアの)を必ずしも模倣することはなかった。

 テトラグラマトンが除去されたとする推定から何が暗示されるか、考えてみなさい。アフリカの初代教会は彼らの聖書の中でのmatt2710.gifyhwhla.jpgの違いを理解し、実践したことが求められる(アフリカの初代教会が神の名は「エホバ」であると知らなかったから、アフリカの教会は本物の教会ではなかったと論じられない限り、それは真だ。しかしアフリカの教会設立は、古い日付なのだから、そうした論議には、テトラグラマトンが使徒が生きていたときに失われたことが求められる)。その違いは、今日までに残されている聖書的な書物や外典の書物の中に何の記述もないアフリカの教会で失われたことが必要となる。加えて、yhwhla.jpgがアフリカに伝えられ、使徒ヨハネが書いてからたった104年後に喪失したとするすばやく起きた前例のない変革が必要となる。

 しかしこれらのほかのテトラグラマトンの喪失には、私たちが次のように信じる必要がある。この分裂する異教は、たいそう徹底的に編まれたのだから、使徒の本来の教えの足跡は、すべて西暦200年までに三つの大陸から取り除かれたのだろう。

この章のまとめ

 本来のギリシア語聖書からテトラグラマトンが失われたとする推定についての疑いにある六つの話題を考えてきた。それぞれの話題は、1940年代遅くから入手可能となったテキストの証拠と歴史的証拠を現在どう理解するかによって左右された。

1.テトラグラマトンを用いているクリスチャン・ギリシア語聖書の写本は一つも知られてない。kyrios を用いる現存する五千の写本があり、信頼できる最古の日付は西暦201年から300年である。クリスチャン・ギリシア語聖書の新しい翻訳の中にテトラグラマトンを含ませようとしても、この事実だけでも、否定しようもない障害となる。

2.いかなるクリスチャン・ギリシア語聖書のテキストの変化であれ、普遍的に、かつ即座には起きなかっただろう。yhwhla.jpgmatt2710.gifが代用された変化は、その二つの様式を示している古い写本の混じり合いとなっただろう。そうした変化は、平行してはいるが不正確な代用を示しているギリシア語の異形として残っただろう。

3.クリスチャン・ギリシア語聖書の中でのyhwhla.jpgからmatt2710.gifへの変更は、西暦一世紀の教会神学に深刻な影響を及ぼしたであろう。237箇所でテトラグラマトンからkyrios に変化したのなら、エホバとキリストの人格の理解は、急激に変更されたのだろう。そうした極端な変化が初代教会の書記者の一部から反対もなく、また提案した者による異なる考えとの闘争もなく起きたとは想像できない。

 教会の古代の歴史で表面化した異教と論争で頻繁に生じた問題点は、教父の書物の中に書かれた文字の上でのやりとりがあるからこそ知られている(多くの場合、異端の事実と信仰の擁護が表現されている)。グノーシス派、唯名論者、ドナトゥス派、マルキオン派、マニ教、アリウス論争、その他多くの論争がよく知られており、今日、記録にとどめられている。この中にあっても、テトラグラマトンの除去に関する議論はただの一度も話されていない。もっとも確かなことは、支持を受けた変更の重大さを考えて、それが起きたなら記録にとどめられただろう。

4.聖書とは別に多数の教会の書物がある。これらギリシア語での外典の類は、ヘブライ語聖書の箇所をしばしば引用した。もっとも古い教会の時代の書物がこうした引用の中でテトラグラマトンを使ったとする証拠はない。むしろ、ヘブライ語聖書の箇所を引用したり暗示するときには、これらの書物はギリシア語kyrios を自由に用いた。こうした書物でもっとも古いものは、最後の福音書が書かれてから10年から30年も経ってはいない。もしれそれらの書物がイエスの性質を偽るのと同じくらい重大な異教を含んでいたなら、聖書が最後に書かれた10年から30年以内に初代教会にこれらの間違いの多い書物が自由に出回ったとは、信じられない。

5.使徒の時代から残っているヘブライ語で書かれたクリスチャン聖書福音書の原本がある可能性がある。このシェム・トブのマタイ伝は、婉曲な言い方として代用語name.jpg(「名」を意味するnamela.jpg)を用いた。もしマタイがヘブライ語yhwhla.jpgを用いたのなら、彼の語った表示は、今や失われている。

6.初代教会の地理的な広がりは、初期の教えの書かれた証拠を跡形もなく、すべて抹消する画一的な異教を緩和する。


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