ラテン語の"Nomina Sacra"(聖なる名)は、クリスチャン聖書におけるテトラグラマトンの研究に関連する高度に専門的な論議を確認する。その論議は専門的過ぎるから、『ギリシア語聖書の写本』(ブルース・メツガー著)での脚注に従えば、20世紀の前半以来、10冊以下の書物しか論を尽くしていない。これらの書物は、しばしば、英語ではなく、むしろ、ラテン語やドイツ語で書かれてきた。
可能性のあるわだかまりを軽減するため、ここにこの短い付録を入れた。万一読者がこの問題に踏み込む場合には、第一印象では、ギリシア語クリスチャン写本の中でテトラグラマトンが用いられたとする新世界訳聖書翻訳委員会の主張を"Nomina Sacra"が裏づけているのではと受け取るかもしれない。しかし、結論で見るように、翻訳委員会は『王国行間逐語訳』のテキスト上の道具の中に"Nomina Sacra"を紹介したので、エホバと主イエスの個々の区別は多いに軽減されてきたであろう。
確認された"Nomina Sacra"
"Nomina Sacra"は、聖書においてしばしば出現している15の名(または称号)を表わすギリシア語が短縮されているのだ。その短縮は、上に線が付されて書かれてきた。それらは主に速記の表記として用いられたとする古い時代の説明によって、以前はそれらの短縮を「短縮形(surrogate )」と識別してきた。それらの短縮は、パピルスのセプトゥアギンタ写本とパピルスのギリシア語クリスチャン聖書の双方に現れている。
前に引用した書物の36頁で、メツガーは古代ギリシア語パピルスコレクション全体の15の"Nomina Sacra"を一覧にしている。そこにはセプトゥアギンタが含まれる。メツガーは、次のように主格と所有格で再現している。
図12:セプトゥアギンタとクリスチャン聖書の双方の古代ギリシア語写本にあるNomina Sacraの完全なる一覧
英語の意味 | ギリシア語 | 主格 | 所有格 |
---|---|---|---|
God | |||
Lord | |||
Jesus | |||
Christ | |||
Son | |||
Spirit | |||
David | |||
cross | |||
Mary | |||
Father | |||
Israel | |||
Savior | |||
Man | |||
Jerusalem | |||
Heaven |
この特化したギリシア語の短縮形に対して、専門的な名称、"Nomina Sacra"は、聖的な(世俗的の反語)意味が含まれている。しかし"Nomina Sacra"が神性をはっきりさせるために用いられたかも知れないが、その術語自体は、神の名を意味してはいない。"Nomina Sacra"の名を使用しているからと言って、神の地位への言及する気高さが含まれてはいるわけではないけれども、中には"Nomina Sacra"が直接、神を特定する例もある。
"Nomina Sacra"の研究は、西暦一世紀から五世紀のギリシア語聖書的のコレクションに全体に密接に関係している。クリスチャン聖書と同様、セプトゥアギンタもそれに含まれる。しかし、この付録では、クリスチャン・ギリシア語聖書に書かれている"Nomina Sacra"のみに関係させている(ヘブライ語聖書は解かれていないジレンマを示してるのではない。"Nomina Sacra"を用いているセプトゥアギンタのテキストの中にあるがヘブライ語テキスト本文にあるから翻訳された六千以上の例をすぐに検証できる)
"Nomina Sacra"論争
"Nomina Sacra"の論争は、前に「短縮形(surrogate )」と特定した「短縮」の使い方とその意味合いに関係がある。頻繁に使われた語の単なる短縮形として、古代のパピルスですぐに目に付く、上に線が付いた「短縮」を学者たちが考察している。それが「短縮形(surrogate )」の認められた意味である。「短縮」の使用は、手で写した聖書テキストに込められた労働を考えることになるだろう。
一方、これらの語は、上につけた線と短縮形で写字生がはっきりさせた唯一で、神聖な名前を持つ階層を指しているのだと特定した学者たちもいた。この立場を弁護する学者は、写字生の意向は、単にパピルス・ペーパーの保存にあるのではなく、語を短縮して書物を手で写す努力のせいであると言っている。この学説を守って、古代写本には人間であるmasterを指すとき、Kyriosの語を短縮しないでと書かれた多数の例が見つかっている。それでも、Lordとしてイエス(またはエホバ)を指すとき、と書かれている。ほかにもそうした短縮された例は存在する。
その論争は、"Nomina Sacra"の出自にも関係している。短縮形はセプトゥアギンタの時代、ユダヤ人出身者の慣例にその起源があったと、古ラテン語学者ルドウィグ・トラウベが初めて唱えた。パープは後に、ユダヤ・クリスチャンによって後の時代にその形式が導入されたと論じている。
"Nomina Sacra"と霊感を受けた聖書
この議論は、霊感を受けた聖書の内容には関係していないことを読者は理解しなければならない。霊感を受けたクリスチャン書士は原文では「短縮」を用いなかった、短縮形(surrogate )を用いなかったと、大勢の人(この本の著者も)が思っている。その変更は、後の世紀に著者が導き入れたものであった。霊感を受けたクリスチャン書士の原作を再現するための正文批判の最善の努力は、ウェストコットとホートやUBSギリシア語テキストに再現されたように短縮形のないテキストに残されている。
"Nomina Sacra"と短縮形(surrogate )に関する議論は、霊感を受けた聖書の内容を扱ってはいない。むしろ継続する世代における記述の慣例の評価にすぎない。事実、簡単な速記の手段として短縮形(surrogate )を特定することで議論が解決できるなら、上に線の付いた語には、隠された意味も深い意味もないだろう。一方、もしも議論が意図的な"Nomina Sacra"のせいだと解釈されるなら、著者がテキストに付加した意味を説明する必要があろう。その意味(印の形として)は、本来の霊感を受けたクリスチャン書士によるテキストの中に付けられた意味ではない。
私どもの研究における"Nomina Sacra"の意味
"Nomina Sacra"の研究は非常に専門的だが、価値のある仕事である。初代教会が神聖な名としてこれらのギリシア語の名を尊重したか、上に線のついた語は手書きのテキスト複写の労働を減らすための写字上の省略を表わしただけだったのか、決定する利点はある。しかし、上述の古代ギリシア語写本への疑問への答えは、私どもの研究の重要な問題から外れている。研究は、霊感を受けた書士が書いた原文でのテトラグラマトンの用い方に限定される。
しかし"Nomina Sacra"は、霊感を受けたクリスチャン書士の霊感を受けた書物におけるテトラグラマトンの研究に重要な答えを与えることもありえる。二つの条件の一つは、すぐに、テトラグラマトンのありうべき承継者としての"Nomina Sacra"に注意を引きつけるだろう。
1.もしも新世界訳聖書での237箇所のエホバに限定された古代クリスチャン・ギリシア語写本にKyriosの"Nomina Sacra"形式(または)が見つかるなら、初代教会の世紀に写本に変更が加えられた可能性にすぐに緊張を覚えるだろう。"Nomina Sacra"が存在すると、原文でが用いられた強力な根拠を与える。
2.もしも古代のクリスチャン聖書ギリシア語写本の中でヘブライ語聖書の箇所を引用する42例に限定されたKyrios(またはtheos )の"Nomina Sacra"形式の首尾一貫した使用を一つでも発見したら、神の名
が書かれたヘブライ語聖書を引用したとき、霊感を受けた書士がテトラグラマトンを用いた可能性に緊張を覚えるかもしれない。
パープの広い範囲にわたる梗概から入手できた使用をくどく書かないように注意すべきだ。にもかかわらず、神の名を引用するヘブライ語聖書に限定される場合よりも、かなり頻繁に短縮形が使われることは、これらパピルスの研究が明示している。Kyriosが、主イエスやヘブライ語聖書でのエホバのどちらかに用いられる場合には、その形式(または)がパピルステキスト全体に、はっきり用いられている。結局、クリスチャン・ギリシア語聖書の中での714箇所のKyrios(またはtheos )の記述のほとんどにその短縮形が見つかるだろう。クリスチャン聖書の箇所でイエスやエホバ以外に言及する場合に限り、ふつうは短縮しないでと書かれている。
結論
古代ギリシア語聖書写本で用いられたような"Nomina Sacra"(神聖な名)の意味を決定することがこの付録の目的ではない。しかし、現存する聖書的な写本を通して、"Nomina Sacra"が繰り返し出現する頻度は、新世界訳聖書のクリスチャン聖書における237のエホバが出現する頻度・配置をはるかに超えている。 新世界訳聖書翻訳委員会が"Nomina Sacra"に気がついていたこと、並びにクリスチャン聖書の限られた237箇所でテトラグラマトンの存在を確かなものにするためにテキストの道具としてこの資料を使おうとはしなかったとは、推測の域を出ない。クリスチャン聖書ギリシア語写本のテキストでの"Nomina Sacra"(短縮形)が出現する大多数は、テトラグラマトンが存在するという、そうした目論見を打ち砕く。結局、クリスチャン・ギリシア語聖書での神の名の存在を確かにする意図を持つ"Nomina Sacra"の存在は、キリストの格をエホバと同定するであろう。に対するの形式の"Nomina Sacra"は、の派生語であると論じられるのなら、霊感を受けたクリスチャン書士たちは、イエス自身にを用いたと(イエスを指しているおびただしいの例からして)強力に論じられる。