付録E
ヘブライ語訳のギリシア語テキスト
『王国行間逐語訳』のギリシア語テキストの部分を調べることにより、『新世界訳聖書』の237のエホバ参照のどこかに用いられたギリシア語を検証することができる。『新世界訳聖書』の付録1ニにはその223の例が示されている。その本来の形式(、、、を含む)の一つであるギリシア語 Kyrios ()は、『ウエストコットとホート』のテキストで用いられたことばである。
表面上、これらの各例においては、テトラグラマトンよりも、むしろ Kyrios がもっともよい文章上の選択だと思える。しかし、考えなければならない別な可能性もある。これらの箇所での「エホバ」の復元を支持する証拠は、25のヘブライ語訳に見つかる。そして私たちは、これらの訳のギリシア語テキストの源泉を考えなければならない。
これらのヘブライ語訳が翻訳された比較的古い、そして比較的信頼できるギリシア語写本があるのだろうか。極めて古いヘブライ語訳の翻訳者は、テトラグラマトンが書かれている一世紀のギリシア語写本を利用したのだろうか。もしそうなら、そうした古いテキストでクリスチャン・ギリシア語聖書における神の名を支持する必要な証拠を発見する期待が持てるかもしれない。
書かれたヘブライ語訳の翻訳の日付は、その翻訳の時代に入手できたギリシア語テキストを暗示するだろう(たとえば一世紀に完成されたヘブライ語訳の翻訳者は、現在入手できるものよりも日付の古いギリシア語写本を利用しただろう)。
クリスチャン聖書のもっとも古い完全なヘブライ語訳は、1599年、エリアス・フッターが完成したJ7である。その新しい日付から、今日の翻訳者には知らされていない、それよりも古いギリシア語テキストの可能性は、ことごとく消去される。1599年のギリシア語テキストは、基本的に『ジェームス王欽定訳聖書』1611年版に用いられたのと同一のテキストである。このギリシア語テキストの一部は、次の頁に再現されている。加えて、ものみの塔が出版した『エンファティック・ダイアグロット新訳聖書』(1942年版)の前書きによれば、1599年には完全なクリスチャン・ギリシア語聖書は、だいたい八巻の写本くらいしか知られていなかった。
ジェームス王欽定訳聖書は、1611年に出版され‥‥‥それは2万以上の間違いを含んでいると有罪が下されている。今日、700近くのギリシア語写本が知られる(中には、きわめて古いものもある)。ところがふつうの版(『ジェームス王欽定訳』)は、八程度の写本だけからの恩恵を受けるだけだ。そのどれもが十世紀より古いものではない。
次の頁には、最も古いヘブライ語訳が翻訳された元のギリシア語テキストの写しがある。これらのルカの箇所のどこにもテトラグラマトンが見つからないことに注意を払いなさい。さらに、写本のほかのどの箇所にも表れない(ルカ1:6、9、11、15、16、17、25、28はすべて「エホバ」参照である)。
ヘブライ語訳の「J」参照で使われたギリシア語写本そのものは、新世界訳聖書の翻訳者と編集者の側の見落としをほのめかしている。ギリシア語写本の検証を支持しているテキストそのものは、古代の写本であるのは明らかだ。写本が古ければ古いほど、それは、もっと正確に本来の写本を反映するはずなのだ。そして、求めるべき写本は、最も古い写本である。
にもかかわらず、『王国行間逐語訳』1985年の版の中で編集者は、いっそうテトラグラマトンを選り好みする論を支えるために、新しくさらに「J」参照を加えた。次のものがそうである。
J22 クリスチャン・ギリシア語聖書ヘブライ語訳 1979
聖書協会世界連盟による
J23 クリスチャン・ギリシア語聖書ヘブライ語訳 1979
J・バウチェによる
J24 新訳聖書の逐語訳‥‥‥バチカン写本から 1863
J25 聖パウロからのローマ人への手紙 1900
J26 詩篇とマタイの福音書 1533
J27 Die heilige Schrift des neuen Testaments 1796
J22とJ23が特に興味深い。編集者たちは、二世紀、三世紀のギリシア語写本にテトラグラマトンが存在することを確実にするため、現在の聖書協会世界連盟の印刷されたギリシア語新訳聖書にあるヘブライ語訳を字義的に使用した。ギリシア語テキストJ22、J23を検証するためには、現行の聖書協会世界連盟のギリシア語新訳聖書を購入すればすむ。
『ジェームス王欽定訳聖書』1611年版の翻訳のために用いられたギリシア語訳と同一のテキスト、2頁。テトラグラマトンはこのテキストには使われていない