在トロント「Star」紙(インターネット版2012/7/2)の論評邦訳
原告によると、9歳のとき、仲間の教会員(エホバの証人)と聖書を戸別に配っていた頃、性的虐待が始まった。加害者は口数の多い、不細工な男。ケンドリックであった。
それは1990年代中葉、カルフォルニア州のフリーモントでだった。原告の両親は夫婦の問題を抱えていた。母親は病気であった上に、精神も病んでいた。だから、少女は外見がきちんとしていたエホバの証人会衆に家族並みの親しみを覚えた。そうしてケンドリックにとっての犠牲者となった。
原告によると、ケンドリックは二年間、頻繁に乱暴を重ねた。少女が伝道の時に一緒に連いて行くときにはその頻度は増した。ケンドリックに側に寄られると少女は押しつぶされる恐怖を感じた。
「ひどく怯えていました」。現在26歳になる被害者はカルフォルニアから電話でそう答えてきた。
自分がケンドリックの初めての犠牲者ではないこと、過去に児童へのわいせつ行為で有罪の宣告を受けていたことを知った。少女の属する会衆の長老たちはケンドリックの犯罪履歴を認識しながら少女を守る手段を採らなかったという理由でニューヨークのものみの塔聖書冊子協会を訴えることになった。
先月、カリフォルニア陪審は画期的な決定を下し、損害に対し、ものみの塔協会には約25百万ドル、ケンドリックには約3百万ドルを支払うよう命じた。
「変わるようにとものみの塔には言っていたところなんだが」「彼らはそれを隠蔽していた張本人だ」と原告側の弁護士サイモン氏は語った。
この勝訴に続いて、同じような裁判がカナダでも始まると予告する専門家もいる。カナダには11万人以上の活発な証人がいるし、大勢の元証人が過ごしている。
今回の裁判はエホバの証人内部の性的虐待に前例のないスポットライトを浴びせた。近年、社会の耳目を集めたカソリック教会が関係する性的虐待とは違う側面を持つ。
原告は名前を秘す権利を有する性的虐待の被害者であったにもかかわらず、裁判で名前を明かす道を選んだ。ものみの塔協会が秘密を隠蔽したことに対し、あえて世間の注目を集めることを望んだ――犠牲をもみ消していた長老たち、裁判で証人として立たされるであろう虐待を受けたほかの子どもたち、虐待する者とつきあわさざるしかなかった犠牲者たち……。すべてが隠蔽されていた。
ものみの塔協会は1989年以来、方針として児童への性的虐待の訴えを秘密にしておくよう長老たちに指示していたと、原告は主張してもいた。
先月の評決を受けてものみの塔の弁護士は上訴するが、協会の敗訴は新たな訴訟を誘起するであろう。カナダでもその可能性があると専門家は見ている。
元証人であり、エホバの証人に関係する本を三冊、書いている元レスブリッジ大学教授ジェームス・ペントン氏は、「この事件でエホバの証人らはいたく傷つけられ」、「これで多くの人たちがエホバの証人の話を聞かなくなるし、内部の人たちは、働きに疑いを持つようになる」。
ペントン氏(80)は、エホバの証人では児童虐待がほかの宗派に比べ常態化してはいないと考えている。
また、ほとんどの長老たちは児童虐待の容疑があれば当局に通報する法令を順守しているとも述べていた(児童虐待に関するものみの塔の方針では法的手続きに従うべきだと明白に述べている)。それと同時に、ものみの塔協会は児童虐待事件に対処する際には秘密を厳守しなければならないと主張していると語っていた。
また、「ものみの塔はこの件は秘密にしろとか、さまざまな指示を長老たちに送り続けている。恐ろしくもあり、かつやっかいな事犯の全体像はもみ消されている」と語った。
さらに、この裁判で証拠として採用された書類によると、長老たちにはケンドリックの過去の性的虐待を話題にしないよう協会から働きかけがあった。この黙殺がケンドリックの性的虐待を許したと法廷は断言したのだと、サイモン氏は語った。
ものみの塔は『スター』紙に何らコメントを返さなかった。しかしものみの塔の弁護士ジム・マッカーベ氏は、陪審の決定は尊重するが異議を申し立てると書簡で述べていた。
「この若い女性の被った被害を痛ましく思う。しかし協会には責任はない」。「訴訟は指導者や権力者の立場にない陪審員の悪意とも取れる行為に基づいている」とも語っていた。
さらに、ものみの塔の弁護士は、エホバの証人は児童虐待を嫌悪しているし、そのような犯罪から子どもを守る努力をしていると語った。協会が性的児童虐待に関して箝口令を敷いているのではないかといった疑惑を否定している。
カナダの証人の中には、法廷で原告がものみの塔とその弁護士に勝利した事実に接して、泣き寝入りするしかなかった自分の事件も訴えてやろうと身構えている者もいよう。協会はそれを念頭に置いて裁判を批判している。
ものみの塔で働いていた元証人のバーバラ・アンダーソン氏はテネシー州の自宅からWatchtowerDocuments.comと称するサイトを運営している。彼女は『スター』紙に次のように語った……一万人以上の大勢のカナダ人が見ているこの掲示板には、この裁判以来、自らの虐待の体験を語り、どうすれば訴えられるかを知ろうとする人たちで白熱化してきた。
ウィリアム・ボーエン氏も同じようなウェブサイトを運営している。エホバの証人の会衆に参加していたときに暴行を受けた人たちの話を世界中から聞かされてきた。
ボーエン氏は活発なエホバの証人であった。会衆では長老をしていた。会衆内での性的児童虐待の報告を秘匿するような働きかけを受けた後、組織を離れたと語っていた。
「彼らは、エホバの御手に委ねるよう行ってはた。それは手を出すな、訴えられた会衆のメンバーがわいせつ行為を続けてもそれを許容しろという意味であった」と語った。
原告側弁護士サイモン氏は、世界中の人たちからエホバの証人会衆内で同様の経験をしたという電話を受けてきたと語った。
すべてが明るみになることこそ原告が裁判に期待していたものだ。原告が体験を公にする決断をした背景を弁護して次のように語った。「沈黙していても何も得られない。将来、子どもたちを守る目標を達成する良い出発点になると思っている」。
ここ、カナダでは、10年以上前、ビッキー・ボアさんがものみの塔カナダ支部と会衆の長老を訴える民事訴訟を起こした。どのように性的虐待の訴えが処理されるのか、エホバの証人共同体内の虐待の実態に焦点を当ててほしいと願った。
ボアさんは1980年代、12歳から16歳にかけて、父親からどのような虐待を受けたか、法廷で述べた。二人はオンタリオ州シェルバーンにあるエホバの証人会衆に属していた。長老に話をすると、長老は父親の前で詳しくその嫌疑を話すよう強いた。
「それは私にとっては不利な取調の過程でした。悩んでいたからこそ長老のところに行ったというのに、部屋の中で、虐待を説明していたときに父の前に座らせられました」。
エホバの証人は、訴えた者は嫌疑のある者の証人を探すよう厳格なルールを定めている。だから、エホバの証人が児童虐待で訴えられたとき、長老は訴えた者と訴えられた者の双方と個別に、そして両者を交えて、会わなければならない――ものみの塔は方針としてそのように定めている。
ものみの塔オンライン児童保護申し立て書には次のように書いてある。「その会合のときに嫌疑のある者がまだ犯罪を認めず、立証できる者がほかにいなければ、そのときは長老たちは会衆の中では何らの処置も採れない」。「聖書に基づく組織としてなぜそれができなかって――私たちは文字通り聖書に忠実にならなければならない。『間違いや罪に関係する者であっても、証人もいないのならその者に対抗できない』」。
元エホバの証人によれば、長老たちは子どもとその家族には次のように教えていた――もし疑わしい虐待を証明する証人がいなければ、名誉毀損になるから口外してはならない。口外すれば忌避処分の対象となる口実になる――追放された追従者は友人からも、家族からも切り捨てられ、元の生活には戻れない。
結局、ボアさんは注目を浴びた訴えで勝ってはみたものの、自分たちが裁判費用を払うよう命じられた。
最終的にはものみの塔は原告の裁判費用を減らすことになるが、求めていた判決は勝訴ではなかった。
ボアさんは、今回の評決のニュースを聞いても手放しで喜べなかったと語った。「彼女に拍手を送りましょう。自分自身に、また、自分の行為にはそれなりの信念が必要だったからです。こんな悪行は断たなければなりません」。
原告の闘いは終わったわけではない。ものみの塔が上訴して原告の賠償額が減らされる可能性が残っている。
原告の弁護士サイモン氏は、裁判は最も重い勝利であるが、これ以上会衆内で性的虐待が起きたり、それが協会内部に隠蔽されない保証が必要だ。そのためにはもっと訴訟を起こす必要がある。「これは最初の一里塚に過ぎない」と語った。