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ラッセルの年代に関する教義はピラミッドによって証明されました

 「聖書研究}シリーズ第3巻「御国の来たらんことを」"Thy Kingdom Come"にはラッセルの年代計算が事細かに書かれている。ただし王国会館に出向いて出典を求めようとしても徒労に終わる。どこの王国会館の図書館にも置かれていない。組織的に隠蔽しているからである。
以下にラッセルの年代計算の一例を上げる。

P.130
預言の光はこの「終わりの時」に収束している。それは「収穫」を指す、とても重要な時点であり、それは王の臨在の時であり、長い間にわたって約束されていた王国の確立の時である。
……再臨の事実は十分すぎるほど証明されている。

P.133
今、主は来られた。実際に臨在している。王国の設立は目前に迫っている。

P.150
主の再臨の時
すでに見てきたように、これと対応して1874年は主の再臨のときであることを強調しておこう。1878年秋は、主が目に見えない様で、王の中の王、主の中の主としての権威を執行し始めた時として強調しておく。

P.153
神秘主義的なバビロンに降りかかると予言された崩壊、災難、滅びなどは肉的なイスラエルに降りかかる大艱難、国難に予め示されている。肉的イスラエルは西暦70年の完全なる荒廃によって終焉を迎えた。西暦33年から西暦70年まで36年と半年である。1878年から1914年の終わりまでは36年と半年である。すでに預言で示したように、1914年の終わりには神がバビロンと称している、いわゆる全キリスト教界は消え去っている。

 ラッセルはそれらの計算を聖書から導出していると強調している。それでも不安にかられたのか、当時のエジプト学を援用して年代計算の正確さを証明している。

P.341
石の中に入った聖書であると証明するなら、また宇宙の偉大な「設計者」の隠された記録であるなら、書かれた御言葉と完全に一致するだろう。(略)
聖書的な時間の証明では、艱難の日付はキリストの再臨の時、即ち1874年からであり、その年に国々の裁きが始まった。
(略)
大ピラミッドの入口から「斜抗」や「地下の間」に通じる「上昇通路」は艱難に至る大いなる時にある世界の進路を示している。そこでは悪魔は終焉を迎える。「斜抗」が到達する時間と期間の計算法は明白な日付を知ればたやすい。それは「第一の上昇通路」と「大回廊」の接する点に日付をしめす印がある。その地点は「主」イエスの誕生を示し、そこから33インチ離れた地点にある「井戸抗」はイエスの死を示している。「第一の上昇通路」と「下降通路」の接する、下に向かう地点を測れば、下方の通路の印に定められた日付がある。それは1542インチである。
(略)
その地点から「下降通路」の下側の寸法は「斜抗」の入口に至る距離を測るためである。この世が終わる大艱難と滅びを示している。それは悪魔が権威によって投げ捨てられる時であり、それは3457年である。紀元前1542年から3457年経った年は1915年である。

P.342
この当時の測定法は簡単であり、災難が到来する時の決め方は明確な日付を知っていればとても容易である。「第一の上昇通路」と「大回廊」が接する地点には日付の印がある。その地点は主イエスの誕生日を表す。その地点から33インチ隔たった所にある「井戸抗」はイエスの死を表す。「第一の上昇通路」と「下降通路」の接点の下方向の寸法から一定の日付が分かる。その寸法は1542インチでありそれは紀元前1542年を表す。その接点から「下降通路」の方向の寸法は時代が終末を迎える大艱難と滅びを表している。終末には悪魔の力が奪われる。その寸法は3457インチであり、紀元前1542年から3457年を象徴している。この計算に依れば1915年は艱難が始まる年である(1542年+1915年=3457年)。1914年の暮れは未だかつてなかった艱難の年になると、ピラミッドは証ししている。

P.345
石の「証人」は聖書の証明に裏付けられた出エジプトからユダヤの終焉(西暦36年)は1650年であることを示している。ユダヤ人の運命とキリスト教の運命に対応する期間とこの期間を混同する者はいない。両者とも1845年であり、一方はヤコブの死んだ年から西暦33年であり、他方は西暦33年から1878年である。

P.362
言うまでもないが、聖書からそのご計画を学んできたように、ピラミッドの証言は細かいところまで神の完全なるご計画と一致している。驚くほどまでに聖書とピラミッドが対応している――それは疑いの余地はない。そのいくつかを試みてみよう。
「世」の異邦人の権力が終わりを告げるとき及び艱難の時は西暦1914年の暮れに始まり、そのわずかな時間の後にキリストの教会員が変えられ、栄化されることが聖書に示されている――それを忘れないように。ダニエルの1335日、ヨベルの周期によると「世」の「収穫」即ち「世の終わり」は1874年の10月に始まるはずであり、「収穫者」が臨在するはずである。そしてその7年後、1881年10月に「召し」は終わり、恩寵があるかもしれないがそれは「召し」を受ける価値の無い者の場を満たすためである。石の「証人」がこうした日付を試みる方法に着目し、次に同じ教訓を示そう。
最近になって「大回廊」の真北の壁から真南の壁にかけての地表面からの高さが慎重に測定されて、それぞれ異なる三つの寸法が得られた。@は真北の壁から蹴上がりを除いた「階段」まで測った地表からの高さである。蹴上がりを除く。Aは「階段」と水平な面の地表からの高さである。Bは床の表面の寸法と「階段」の蹴上がりと「階段」の表面を足した地表からの高さである。スミス教授は@1874インチ、A1881インチ、B1910インチの値を発見した。フリンダー・ぺトリエ氏はそれらより8/10長い値を報告している。理論的な見積もりだと@が1875インチ、Aが1882インチ、Bが1911インチである。

P.363
これら、通路の床の地表面からの高さを示すインチ・数が年を表すとしたら、「大回廊」のどれが召しの終了を表しているのだろうか。時の計算にインチ・年の数値を当てはめる時、私たちが使うA.D.は実際の日付よりも1年3か月進んでいることを忘れないように。地表面からのB.C.からある期間を計算する場合は実際の期間との差異はない。
(略)
単純化すると、間違ったA.D.年を基準として考えている。ピラミッドの寸法から1と1/4インチを減じるのだ。そうすれば@は1874年10月Aは1881年10月Bは1910年10月が得られる。
これら三つの終焉の日付は私たちが聖書から見出した事柄とことごとく一致している。1874年10月には「収穫、世の終わり」が起こり、「召し」は1881年10月に締め切られ、「一般人の召し」は完了したが、ふさわしい者たちへの特権は延長された。召しを受けたとき、その王冠に値しないと分かった者を排除するためである。
(略)
しかしピラミッドが示しているように、1910年は聖書から得られた日付とぴったり一致している。1910年は異邦人の終わりである艱難が終わる四年前である。「世」に加えられる大艱難を克服するに値する者がいるという「主」のみことばを想起しなさい。1914年10月に続く艱難に言及していることが分かる。しかし大艱難の前に教会に加えられる艱難は1910年頃から始まると推定される。

p362p363

  ラッセルのピラミッド観は当時のキリスト教徒からの借用である。それは早稲田大学・吉村作治教授著の『古代エジプトの謎を探る』から推測できる。

(4)知恵の書説。これはキリスト教徒の中から出た説で、キリスト誕生の年月日まで内部の構造からわかるというもの。中には文字はまったく書かれていない。前述したが第五王朝のピラミッドの中にピラミッド・テキストが書かれてるが、その内容は施主の王のことや神々への讃辞で、後世に対する預言の書ではない。

何を考えてもいいというのが学問のいいところであるから問題はないのだが、真剣に考えているエジプト学者は怒るに違いない」 『古代エジプトの謎を探る』P.35、P.36

 このように教授は「知恵の書」説に不快の念を示されている。


 "Thy Kingdom come" P.333 
ENTRANCE PASSAGE : 入口通路
DESCENDING PASSAGE : 下降通路
FIRST ASCENDING PASSAGE 上昇通路
GRAND GALLERY : 大回廊
SUBTERRANEAN CHAMBER : 控えの間

 


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