会報第19号
雑誌「創」に掲載された室生論文に抗議する!!
「創」編集部殿
2000年11月1日
「JWの夫たち」の会
私達は「エホバの証人」を妻に持つ夫の会で、インターネットや交流会を通じてこ の教団からの妻の奪回をめざした情報交換をおこなっています。ホームページ(http ://www.jca.apc.org/~resqjw/)でも公開しているように、この会は特定の宗教的バ ックグラウンドを持ちません。ただ愛する妻や子供を、このカルトとして広く認識さ れている教団から奪回することを最大の目標にしている、信者の夫を中心とした全国 的組織です。また一方で同教団指導部の隠された欺瞞性を暴くとともに、身近に信者 を持つ者としてこの教団の危険性を広く社会に公にし警告する活動もおこなっており ます。
最近貴誌「創」において連載された室生忠氏の「知られざる『強制改宗』めぐる攻 防」と題する一連の記事を拝見し、そのあまりに一方的で事実に基づかない内容に強 い驚きと憤りを覚えここに筆を取りました。同記事の中では、現在係争中のエホバの 証人関係の裁判の原告の元夫(本会会員)の証言の一部が引用されておりますが、こ れは本人への取材はもとより了解もなく使われたものです。また我々の知る限りでは これ以外の同裁判被告側関係者への直接的な取材は一切なく、原告側からの一方的な 提供資料による著者の憶測に基づく偏見に満ちた記事であると断ぜざるを得ません。 このような行為はジャーナリストとして資質はもとより、同氏の人格をも疑わざるを 得ないものであり、ここに会として強く抗議するものです。
「エホバの証人」(ものみの塔聖書冊子協会、以下ものみの塔)はその特異な教義 である輸血拒否により信者やその子供の貴い命を奪い、運動会での騎馬戦や生徒会活 動その他諸々の学校行事への参加拒否、選挙への不参加、誕生日や母の日などの祝い ごとの忌避など、数々の一般社会の通念とはかけはなれた行動で物議をかもしている ことは周知の事実かと思います。この結果多くの信者やその子供が一般社会から孤立 し、未信者の夫との間の不和や家庭崩壊を招き、更には離婚に至るケースが多いこと もよく知られています。
私達はこのような教団のメンバーである妻に身近に接し、その普段の言動や信者に なるに至る過程において、この教団幹部が実に巧みにマインドコントロールとも称さ れるべき信者操作をおこなっていることを共通の認識としております。オウムの例で も明らかなように、教団幹部が犯罪行為や偽りをおこなっていることが明白な場合で も、このようなマインドコントロールに基づく情報操作により、それが信者にとって は犯罪や偽りとは考えられない精神状態がつくられます。この結果脱会が極めて困難 であることが、いわゆる“カルト”と称される一群のグループの重要な共通項かと思 います。しかし確かにこのようなカルト教団に捕われた妻や子供を取り戻すことは困 難ではありますが、不可能ではありません。我が国で行われている一つの有効な方法 は、家族による信者の保護とカウンセラーによる情報提供です。
マインドコントロール状況におかれた信者が、自らの頭で考え客観的情報にもとづ いて判断をくだすことができるようになるためには、教団組織の接触を一時的に断つ とともに、系統的な情報提供が必要になります。家族によりこのような場が設定され 、カウンセラーの情報を正面から受け止め自分で考え判断できるようになると、ほと んどのエホバの証人は数日でものみの塔組織の欺瞞に気付き脱会に至ります。逆にい えばこのような情報提供活動により脱会者が数多くでるということ自体、その教団の 高いカルト性の証明であるともいえましょう。しかし、残念ながら教団の強い警告に 従い、耳に栓をしてまでそのような情報をかたくなに拒絶する信者が存在することも また事実です。
室生氏がとりあげているエホバの証人の原告も、このような教団によるマインドコ ントロールが強く浸透している一人のカルト犠牲者の例であるといえましょう。残念 ながらこの信者はカウンセラーの情報を聞くことさえ拒否したため話しあいには至ら ず、「強制改宗」されるという教団側の情報による恐怖感のみが残ったというのが真 実です。そして教団の指示に従い、またその全面的な支援を得て、本来このような保 護とは全く無関係のカウンセラーを提訴することにより、「宗教弾圧」、「強制改宗 」であると主張し、(宗教)対(宗教)の争いであるかのような構図をつくりあげよ うとしています。
このようなカルト教団の戦術にまんまとのり、家族によるカルト信者の救出活動を 宗教と宗教の戦いであると描き出し、キリスト教内部での一つの宗派による他の宗派 の「強制改宗」であると断じているのが今回の室生氏の記事の主な主張です。しかも これがジャーナリズムの本道である地道な取材活動に基づいて得た結論ではなく、初 めに結論がありそれを補強するために都合のよい情報のみをつまみ食いしていること は、今回のエホバの証人関係の裁判の一方の当時者である被告や原告の元夫などへの 取材を一切おこなわず、その主張の多くが教団側から提供された一方的な資料に依拠 していることからも明白です。
関係者への取材をまともにおこなっていない結果として、実態とは異なる多くの的 外れな主張が展開されているのが室生記事の特徴です。一つの例をあげると「ディプ ログラミング」をめぐる問題です。室生氏はエホバの証人に対する家族による教団か らの隔離とカウンセラーによる情報提供を、牧師が関与した「拉致監禁」による「強 制改宗」であるかのように描いております。そして、このような「ディプログラミン グ」は欧米では犯罪であると断じ、このようなことが行われるのは日本人の「封建的 体質の残骸にある」と論じています。
この部分では室生氏の、欧米で許されないことは日本でも許されるべきでない、許 されているのは日本が遅れた国だからであるという欧米コンプレックスが見えかくれ していますが、ここではこの点には深入りしないでおきましょう。ただ一つ、それぞ れの国には万国共通の価値観とともにその国固有の歴史や文化に根ざした価値観が存 在し、それゆえにそれぞれの国家の法律が独自性をもっておりまた互いに尊重されて いるという当たり前の事実を指摘しておきたいと思います。銃の規制が甘い米国では 毎年多く犠牲者がでていることは周知の通りですが、日本も人権意識の進んだ米国に 習って銃の所持をもっと自由にすべきでしょうか?
それはともかく、我が国におけるエホバの証人の「家族の保護による情報提供」が 米国で過去に問題にされた「ディプログラミング」とは全く異質のものであることは 、取材もしないで記事を書く室生氏には理解できないようです。「ディプログラミン グ」は1970年代頃から米国を中心におこなわれていた専門家(ディプログラマー)に よるカルト信者の拉致と監禁、およびそのような異常状況下での「逆洗脳」的な脱会 工作です。結果的にこの方法でカルトから救出することもできたようですが、室生氏 が引用している1980年代の米国の報告にもあるように、一方で後遺症を引き起こ すこともあり現在では本家である米国でさえあまりおこなわれていないのが実情です 。
もちろん我が国において「エホバの証人」信者の家族による保護による情報提供で は、このような専門家の手による拉致監禁、ましてや強制改宗などがおこなわれてい る事実は全くありません。系統的な情報提供には一定の時間が必要なため、旅行先な どでそのような場を家族が準備することもありますが、カウンセラーは単なる客観的 情報の提供者であり改宗を強制するなどということはありません。ものみの塔側はこ のような活動をあえて強制改宗であると描くことにより信者に強い警戒心と恐怖心を うえつけており、「絶対に話しを聞くな」「なにをおいても逃げだせ」という指導が 日常的におこなわれております。これこそがマインドコントロールの一部であり、信 者が他の情報を聞く耳を持つことができれば教団からの一時的隔離など本来は必要な いのです。室生氏の記事では意識的にあるいは無知のために、このような家族の求め に応じたカウンセラーの情報提供活動を、米国のしかも過去のものとなりつつある「 ディプログラミング」とあえて混同することにより読者に偏見を与え、自らの主張を 正当化しているのです。
室生氏はものみの塔側から資料の提供を受け、「筆者のスタンスで書いてもらって 結構である」というお墨付きをもらったことを述べ、いかにも同教団がこのような取 材にたいし寛容であるように読者に印象づけております。しかし、この教団が自分の 都合が悪い場合には取材拒否あるいはノーコメントを通し、また教団への質問に対し て返事さえよこさない場合もあることは周知の事実です。ものみの塔が室生氏の取材 に対して積極的に答えたのは、同教団にとって彼の記事が十分利用価値があると考え たからに他なりません。事実、このような教団側の主張をほぼそのまま取り入れてい る室生氏の記事が、前述の裁判の中で証拠資料として原告側から提出されています。
ここで思いだされるのはものみの塔幹部(統治体)の欺瞞的な体質です。このよう なジャーナリズムを利用した同教団の「自作自演」については、過去にも興味深い例 があります。
ものみの塔は一貫して「1914年から地震が増えている」という特異な主張をおこな い、今が「終わりの時」であることを強調して信者の恐怖感をあおっています。この 主張を裏付けるために多くの専門家の言葉や観測データが引用されていますが、その ほとんどが原文やデータに信者の知らないところでこっそりと手を加えた偽りの主張 であることが、我々の調査などにより明らかにされています。
このような「裏付け」の一つとして次のような一文があります。“イタリアの雑誌 イル・ピコロの1978年10月8日号の中で、ジオ・マラゴリは次のように述べています 。「我々の世代は、統計の示すとおり、地震活動の激しい危険な時期にある。事実、 信頼できる情報筋によると、1,059年間(856年から1914年まで)に、24の大きな地震 があったにすぎず、その結果197万3,000人の死者を出している。ところが最近の災害 [では]、1915年から1978年の間に起きた43の地震の結果、わずか63年間に160万人が 死亡していることが分かる。この劇的な増加は、認められているもう一つの事実、す なわち我々の世代は多くの点で不幸な世代であるということをさらに強調するもので ある」。(「ものみの塔」1983年8月15日号)”
勿論1914年以降地震の数が増えているなどと主張しているのはものみの塔をおいて 他になく、上記の「信頼できる情報筋」としてイル・ピコロが用いているのは同教団 の資料であることは明白です。この雑誌の記者がどのようないきさつでこの資料を利 用したのかは不明ですが、いずれにしてもものみの塔側は、自らの資料が用いられて いることを知りながらイル・ピコロ誌の記事を利用してその特異な主張が客観的に正 しいものであるかのように描いているのです。今回の室生氏の取材は、教団側にとっ てはこのようなものみの塔統治体により試され済みの手口でマスコミを利用し、自ら の主張を「ジャーナリスト」に語らせることにより客観性をもたせるための「渡りに 舟」であったわけです。同教団が室生氏の取材に対して大変寛容であったこと、また その記事が現在係争中の裁判にすぐに利用されていることがそのことを如実に物語っ ています。
貴誌「創」は大手マスコミにはない独自の取材力を生かした注目に値する雑誌であ ることは、我々の会員の何人もが認めております。また、そのマイナリティー擁護の 姿勢も大いに評価されるべきものであると考えます。しかしながら今回の室生記事は 自らの足で多くの関係者に取材して得た情報ではなく、係争中の裁判の原告側からの 一方的な提供資料に頼っており、貴誌のこれまでの姿勢から大きく逸脱したものであ ると指摘せざるを得ません。また、豊富な資金力を持った巨大教団の全面的なバック アップを受けた原告に対し、被告側は信者の家族ないしは地方の一教会の牧師などの カウンセラーであり、裁判費用にも困窮しているのが現状です。この点においても今 回の室生記事は、貴誌が長年に渡って貫いてこられた弱者の視点に立つという観点に 大きく反するものではないでしょうか。
以上のように我々「エホバの証人の夫の会」は、今回の室生氏の記事が事実に基づ かない一方的なものであり、その係争中の裁判への影響も鑑みてここに強く抗議いた します。また、このような関係者への取材もおこなっていない偏見に満ちた記事を、 雑誌という一般社会への影響の大きいメディア上に掲載した貴誌の姿勢に対しても猛 省を促すものです。