第8章
治療者としての長老
前にも書いたように、エホバの証人は自分たちが精神科医や心理学者に相談することは勧められていない。その代わり地元の長老と問題を話し合うように忠告を受ける。その原因がどうあろうと、どんな精神的な問題であろうと、長老たちはただ一つの解決策を適用しようとする。その万能薬とは、もっとものみの塔の出版物を研究するように、もっと祈るように、野外奉仕にもっと時間を費やすようにであり、(端的に言えば)ものみの塔協会の命令にもっと厳格に従って生きることである。ある一人の証人が次のような理屈を考えていた。
もし宇宙の物理法則に逆らうなら、その結果、苦労を背負うはずだ。もし世の人(背教者)が心理学の法則に逆らうとしたらどうだろう。結果的に苦労をしなければならないはずだ。神が人間の体の内面に植え付けた心理学的な法則にエホバのクリスチャン証人が逆らったとしたら、どうなるか。そのときもその結果に苦しむはずだ。
聖書は特定の目的を意図していて、その目的に限定された神の導きである。人間の問題の答えがすべて聖書には書かれてはいない。もし自分の自動車を動かそうとして、隅から隅まで聖書を読んでも自動車を修理する答えは得られない。どこかに行こうとするなら、差し迫った問題は自動車の修理である。聖書でも解決できないことはほかにも多く存在する。しかし神との関係を持つ手助けとなるといった目的で言えば、聖書は完全な導き手である。
これを書いたエホバの証人の考えによれば、心理学者がやっている研究というのは、基本的には神の造った行為の法則を決める努力である。その法則は、どこに住んでいるか(王国会館にいるかどうか)、奉仕しているか、聖書研究をしているかに関わらず、作用する。どこに存在するかに関わらず、大きな力を秘めている重力の法則のようだ。神が私たちの心を創造し、私たちの心を操作する法則を作ったのだから、その法則を学ぶことによって間接的に神の心を研究している。現実にこれらの原則は憶測の域を出ない。法則の範疇には入らない。実際は、指図の感覚がある。
さらに、この文を書いたエホバの証人は、神が私たちに脳を与えられ、脳を使うようにと望まれた、それに祈りは自分で解決できる問題を解決する手段になっていないと強調した。そのエホバの証人は長老が採っている方法を強固に批判していた。そうした論を張る者がいても、長老は自己流の解決策を採り続けた。もし協会が長老たちにこうした理屈を直接教えていたなら、長老たちの態度は変わっていただろう。しかし協会はそれをしないから、ほとんどの長老は疑う。
長老は、証人にとってたいていは重荷になりそうな罪を建設的な行動に変えてその重荷を降ろそうはしないし、悩みの種は何なのか確かめようとはしない。長老たちはさらに罪を重ね続けている。長老の役割は厳格な教師であるとたいていは信じている。頑固な父親のように間違って証人に応対する。長老は人々に応対する訓練や精神的な障害を扱う訓練をほとんどしていないか、あるいは全くしていないから、たいてい問題の本質を理解できないし、常にとても下劣な忠告をする。集会の時間に子どもをおとなしく座らせる問題に悩んでいたある証人は、生まれて18ヶ月の子どもに「弟子訓練」をするために毎日一時間、きっちりといすに座らせ、じっとさせなければならないと教えられた。霊的な指導者から与えられたこの忠告を実行すると、この子どもの調整機能をだめにする。
夫の子どもではない子どもがいた故に罪の感覚を訴えていた証人がいた。その子どもを妊娠したときには活発な開拓者をしていて、一度しか結婚していなかった。夫は未信者ではあったが子どもが自分の子どもではないことには気が付いていなかった。長老に相談をした当時、子どもは4才になっていた。妻は長老から次の忠告を受けた。「何事にも正直になりなさい。その子はあなたの子ではありませんと夫に伝えなさい」。夫が子どもの出自を知ったら、何をされるか分からない、離婚されるかもしれないと妻は長老に恐怖心を訴えた。しかし長老は、「エホバの律法に従うなら、エホバが祝福する。過去の出来事をすべて夫に正直に話すことがもっとよい。どんなに悪い過去であろうと構わない」と考えていた。言葉を換えれば、「思い出せるすべての過去の罪をすべて掘じくり 返し、夫にもその重荷を負わせる」というのだ。
長老の忠告に一致して彼女は子どもの出生の秘密を夫に伝えた。恐れていたとおりその告白があってからまもなく離婚するに至った。娘が自分の子どもではないという事実にとても憤慨し、夫は子どもにも怒りを覚えるようになった。もとはと言えばすべて長老の説教が原因でこんな状況に至ったのだが、子どもの精神的な適応に深刻な悪影響を及ぼした。同じように長老が与えているずさんな忠告の事例は枚挙にいとまがないほどに増加している。ノーブルが次のように、要約している。
私がまだその組織にいたとき、排斥されるまで精神衰弱に陥っていた。聖書に書かれていた事柄に不安感を持っているのだと悟った。それは精神的に対処できない内容であった(アルコール依存症のせいだったのは、ほぼ間違いない)。いずれにしても兄弟に助けを求めた。証人の心に浮かぶ最初の考えは、長老のところに行くことだった。長老たちは決して「助け」ようとしないとすぐに感じ取れた。「非難」しようとしているのだ。私は審理委員会に出席した。長老に助けてもらいたかったのだ。それは全く長老の興味を引かなかった。私が何を考えているか、すべて知りたがっていた。
その当時、心の中に重い課題を抱えていた。「1975年が終りのときだと伝道していたのだから、組織も、私も、死罪を犯したのではないのか」。私たちはあの日付で人々をつまずかせたと思うし、大勢の兄弟姉妹が離れていった、死んでいったと思う。協会は悔い改めるべきであり、やってきた過去について神の許しを求めるべきだ、その上で罪を告白すべきだと考えていると発言した。神の目から見れば私たちはすべて罪を犯したと思っていたと言ったが彼らは全くそうは見ていなかった。それも私が飲酒のトラブルを起こしていたため罪人だと見ていたからだ(アルコールの件は私から話を聞くまでは彼らは気が付いていなかった)。その審理委員会が終わるとき、もう一度私に質問しなければならなくなるだろうと言ってきた。私はこれ以上、言葉を使った精神的な虐待を受ける力はないと分かっていたから、もう二度と出ないと答えた。長老らはそれが気に入らなかったらしく、「そんなことはできない。私たちは死刑になるだろう」と語った。彼らこそもう殺人犯になっていると信じていたから、何も答えなかった。それでも委員会の会合から出た後に、「君のために祈ります」と一人の兄弟が言ってきた。「正しい」者の祈りは遂げられると言うのだ。ショックで顔を上げられなかった。彼は自分の言った意味が分かっていないのだろう。前にも書いたように長老は動的個性をほとんど洞察しない傾向がある。摂食や睡眠の必要性を認識するが、それさえも協会に犠牲を捧げる傾向がある。ある長老は、講話の中で一人の証人が何年間も十分な睡眠と食事を摂らないでいたために開拓者になれた模範例を話した。彼はほとんど王国会館の床に寝て、施し物を口にしていた。その後、彼が健康を損ねるとエホバの王国のために健康を捧げるほどエホバを愛した人物と称賛された。
会衆内では、受け入れられたい、尊敬を受けたい、尊重されたいといった正常なエゴの欲求を満たしたいとしても、欲求不満が高じる結果、自分の殻に閉じこもってしまう。そうした欲求を満たそうとする努力が挫折すると、敵意に通じる。前にも書いたように、その結果、おおっぴらに攻撃的な行為に駆り立てる可能性のある憂鬱と敵意が生じてしまう。それは、証人の中にいる人たちに殺人罪と凶暴な犯罪の発生率が高い一つの要因でる。
部外者であれば精神病と診断する行動は罪や悪魔主義(デーモニズム)が原因で起きると、長老は考える傾向があるから、ふつう、証人が罪を(特に性的な罪)犯すとその罪を厳しく調べられる。ある人が予想したようにそれでは、証人が持っている罪の感覚を強化してしまうのは当たり前だ。精神的な問題を割り切って考えることは、1世紀以上にわたり、雑誌「ものみの塔」で繰り返されてきた。”Watchtower”1892/12/15ではものみの塔の宗教に加わっていた人がこう語っていた。
最初に私の苦労をあなたに書いたときに比べたらますます神から遠ざかっているようだ。むしろ、よけい暗くなった。惨めな気持ちになっている。現実に私が神から遠ざかっていると思ったときに、自分と同じ喜びと平安を共有しようとして兄弟や姉妹の前で欺いていたのだから、自分はただの詐欺師に過ぎないのだと思った。これに答えてラッセルは雑誌に書かれていた手紙を引用した。そこにはこう書かれていた。「私には原因は『思い上がり』だとは前から分かっていた」。一時は「思い上がり」がすべての種類の問題の原因だと見られてはいたけれども、この「原因」は現在ではそれほど論じられてはいない。このところ、その原因は「悪魔主義」(デーモニズム)だと思われている。
長老は精神病の原因(医学的、心理学的、社会学的な原因)を理解しないし、精神的な病にかかっている人々を「悪魔にとりつかれた人」と見なしがちであるから、明らかに病気の兆候を持つ行動だからといって証人を排斥にすることは稀ではない。「悪魔」を口に出すと証人をひどくおびえさせる。長老は安心感や安らぎ、前進感を与えたり、助けとなる調整を与えてはいない。その代わりに相談にきた証人に恐怖を与えがちだ。なにがあったのか証人が熟知するとたいてい怒りに駆られてしまう。長老による「デーモンの影響」の暗示がノイローゼの証人を完全に悪化させてしまう原因となった多数の事例を研究者がまとめていた。協会はこのデーモニズムの教えにほとんど反対はしていないけれども、全体的にものみの塔の過激なはっきりした教えが原因でデーモニズムの恐怖が生じるのではない。デーモニズムに没頭しているのは、証人の教育程度の低さも一つの原因になっている。そのために問題の本質から目をそらして、悪魔のせいにしがちである。一つの事例を以下に示す。
幼い子供を抱える一人の若い既婚の証人には急性の行動変化が見られていた。そこでその妻は心理学のカウンセラーに相談した。彼は憂鬱あるいはある種の脳の腫瘍が原因だろうと考えて十分な心理学的な検査を受けるようにと諭した。証人の家族は次に長老に相談した。長老はその忠告は「世」的であり、正しくないといってあざけり笑った。「高級なエホバの知恵に寄り頼るべきだ」と妻に強く念を押した。長老は、それはデーモンのせいであるという結論を持っていた。特にその家族はとても貧しかったために地元の救世軍の店から家具を買っていた事実があった。
救世軍は全く証人の宗教とは関係がないから、デーモンに操られた宗教だと思われている。そうして彼らは家具がデーモンがとりついていたという結論を持っていた。その解決策は、その家具を壊すことであった。証人の夫はますます具合が悪くなり、家具のせいではないと分かっていても、妻が止めるまで裏庭で家具を燃やしたときもあった。症状が始まってから一年が経過すると、夫がいすに何時間も座ってうつろに空間を見ているまでに症状は悪化していた。また頻繁にいすの上で排泄をしたり食事を拒んだりした。
これほどまでになって妻はとうとう医者のところへ連れていった。診断結果は脳の腫瘍であった。脳外科の手術は大量の出血を伴うために問題をいっそう複雑にした。無輸血手術をする外科医を見つけるまでに数週間を要した。とうとう別な町で手術をしてくれる医者を捜し出した。しかしその証人を病院に運ぶ途中で死亡してしまった。証人がすぐに医者を訪ねていれば死なずにすんだかもしれないのだから、この事件は特に悲惨な出来事になった。その兆候が始まってから病院に行く途中で死亡するまで丸一年が経過していた。
証人の間では、同じような事例に事欠かない。たいてい、取り返しのつかない症状になるまで医療処置が遅延させられる。証人が病院と関係を持つとなると、長老も、平均的な信者も、どこかしら「世の医者」に不審の念を持つ。専門的な医療スタッフとの話し合いをさける傾向がある。彼らの宗教信条が脅かされるかもしれない話題となると特にそうだ。精神病院で9年間を過ごした証人に精神科医と何を話したか尋ねたところ、証人はこう答えた。「何にもありません。できるだけ質問に短く答えるだけでした。あんな世的な人間に私の貴重な宗教を冒涜してもらいたくはないわ」。もしも問題の根本原因が患者の宗教であると分かっていたり、少なくとも個人的な信仰に対する個人的な解釈のせいだとはっきり分かっていると、治療者と患者の意志疎通はひどく妨げられる。
一般の証人から長老になるのだから、程度の差はあろうけれど、ノイローゼにかかっていたり、精神的な異常をきたしている者も多いと予想できる。比較的重い症状の者が頻繁に長老に指名されはしない。しかし、実際にはある。大勢のノイローゼの患者だって、長老に指名されようとして、はた目からは十分調整されているように振る舞うことだってできるのだ。自分の精神的な障害に気もそぞろになっている者が、他人の必要に敏感になるなんてとてもありえない。自分には釣り合わない情緒的な欲求や心理学的な欲求を満足させようと長老になる者がいる。もし長老の仕事がそうした欲求に見合うなら、その者はとても上手に調整をするかもしれない。そうでなければ(たいていはそうだが)長老は他人を助けることに鈍感になるだろう。一方、生きていた中で精神病の経験をしたなら、他人の問題にも同情をしたり、評価する場合がある。他人の悩みを知るには、いくらかでも自分でも同じ問題に悩んでみなければならない。
長老には協会に従うようにと上から圧力がかかるだけではない。会衆内からも社会的な圧力がかかる。いろんな意味で、長老は会衆から注目を浴びて生活している。さらにたいていは会衆と協会の要求の板挟みになる。たいていの証人は内部の者に対してはお互いにひどい悪口を言い立てる。特に長老に対してはそうだ。証人はほかの人の模範となるべきだ……家庭をまとめる、「神権的な」質問に対する答えをほとんど知っている、すべての集会に出席するために研究する、野外奉仕に出る、十分節制をして常に自制する、いつも人に親切にする、礼儀正しくする、新しく入った人に贈り物をするために時間を過ごす、どんな祭りであろうと参加しない、などなど………。中でも長老は特にそうだが、証人は会館の管理上の問題であれ、建物の管理上の問題であれ、王国会館の活動すべてにわたり、何がふさわしいか、何が正しいかに過敏になっていて、宗教的な見地に立つ傾向があり、そのためなら何でも正当化される。
あれをしなさい、あれはだめといった長ったらしい一覧表に従って生活するように期待されているのに、それを達成していないと暴かれると、ふつうの証人はそれを隠したり過度の守りに入ったりする。長老の家族からすれば、完全に受入れられない、あるいは付いていけない、些細な欠点をおおげさに言い立てる傾向があるそんな「規格」に合わせようと、長老はしばしば自分の家族にプレッシャーをかける。父親は長老になり、長老にとどまり、会衆の中では模範的となるかもしれない。しかし、もめ事が起きるのであればその妻はそれを望まないかもしれない。ほとんどの証人は貧しい家族やその周りで育てられているから、その子供は会衆にとってはとても認められない行為を学習する機会が多い。
少年は学校で悪い友達とつきあったり、飲酒・誓約・喫煙のような悪い習慣を覚える傾向があるがそれはすべて、悪者と見なされるだけではすまない。排斥に値する悪行である。そんな事態になればその父親は長老をする資格がないかもしれない。協会が正当化しない行為であって、被害者だと見なされない行為が長老の家族の中で起きれば悲劇だ。著者は辞めさせられた長老を何人か知っている。息子がたばこを覚えたり、妻がフルタイムの仕事を始めたり、娘が短大に行ったりしたからだ。轟々たる非難が浴びせられてしまうし、長老と長老の志願者に感情的な問題を生じるおそれのあるほど自然な欲求を抑圧してしまう。一致への圧力はそれほど強く、ふつうの長老たちがそのすべてまたはその大部分に一致するのが難しいほど、広大な範囲にわたっている。長老には、普段ではできないことを会衆の前で披露するよう、常に圧力がかかっている。ふつうの伝道者にとっては「正常」と見なされるかもしれない行動も、長老やその家族がそれをすると罪と思われる。だから長老はほかの証人よりもさらに重い荷を負わされている。
他人に相応する能力が不足していたり、行為を洞察する力が足りないと別な問題が生じる場合がある。特に女性に言えることだが、長老は権威者の姿をしていて、父親や父親の理想像として尊敬される。それを承知していないと、長老は実際に優しさからその行動に及んでいるのであり、一緒に働いている女性が恋愛感情を寄せた上での行為と勘違いされるおそれがある。そうした事情があるからすべての醜聞はそこから生まれてきた。その大部分は全体的に根も葉もない。長老は会衆の中では自信を持っていて、告白を聞く者である。それでも長老が仲間に対しては開放的で正直者になるのは難しい。ほかの長老に自分の感情や希望、失望、熱意を明かすとほかの長老からの尊敬が失われるかもしれないし、長老の地位を失うおそれがある。
常に一定のイメージを保とうとする圧力がかかると、長老はたったひとりで問題を抱えていて、疑問を持っていて。欲求不満であり、ほかの長老や会衆、ものみの塔協会に敵意を持っている唯一の男だと思いがちだ。実際その感情はとても共通して見られるが、内に秘められている。長老は長老同士であっても滅多に正直にはなれないかもしれないし、お互いにその関係はわざとらしく、張りつめたものがある。長老の理想像が協会と個々の会衆の信者の前で常に誇示されている。この理想像が問題の核心だと長老たちは信じている。外見上、長老は会衆やほかの長老、外部の世界、そしてときには長老自身の偽りの姿に従っている。長老はそれぞれ常に自分の理想的な姿に近づこうとしているが、一般的に、ほかの長老や会衆の本当の態度がなんなのか、気がついている長老は少ない。ほとんどの長老は徐々にではあるが段階的に幻滅を感じていく。
私はエホバの証人と交わりを持ってから14年目の1984年12月に王国会館から去った。その間、会衆のレベルで、できる限りほとんどの奉仕活動に参加した。長老、奉仕の僕、研究司会者、ものみの塔の監督、ものみの塔主宰監督などもした。認められた話し手であり、コネチカット州のほとんどの会衆で注解をした。
はじめのうちは本物の宗教を探し当てたと思い、幸福感に浸っていた。それでも、重苦しくて、独善的で、愚鈍で繰り返しの多い雑誌「ものみの塔」の記事のスタイルには不快感が募っていたし、少しずつ疑いが表に出てきた。なぜだか分からないが、徐々にではあるが「神の組織」の歌い文句が疑わしくなってきた。我ながら「現代の成就」に全く批判的になっていた。集会がだんだんうっとうしくなっていった。1984年、長老の学校に行ったことが最後のわらくずになった。「是認された交わり」という組織よりの言葉の意味を丸一日かけて話し合った。二日間、顔を合わせて学んだけれども本当の価値あるものは得られなかった。すぐに巡回監督の訪問が待っていた。彼は厳しい方針を持つ、組織寄りの男だった。彼にはひとかけらの愛さえもなかった。ただ単に全員をものみの塔の方針に従わせただけだった。‥‥もうこの辺が潮時だろう。私を訪問しないようにと依頼する手紙を残して、その場を去った。長老が垣根を壊しものみの塔の嘘偽りを論じられるとき、組織への忠誠心が揺れ動いているふりをする傾向がある。まずそれはたいてい本物ではない。それでもたいていはそれがほかの長老たちの疑惑を生む。もしほかの長老が重大な気配を察知するとその疑惑は排除されるか、罪を感じさせたり、「独立的思考」を押さえるように圧力をかけられる。この組織的な圧力があるから、聖書研究をこっそりと実行させたり、宗教的な話題の本を読んだり、発見したものが露見しないようにする点では共通している。
著者は上述の長老と同じ世代の長老たちと一緒に働いた。ほとんどの協会の基本的な教義に重大な疑問を持っていたとしても、長老の大部分は証人としてとどまる。友人といっても全員が証人であるから、組織からの離脱をおそれ、何年も不活発なまま証人として残るときもある。生涯を通してその状態で過ごす者もいるし、大きな失望を味わって脱会させられるまで組織にとどまる者もいる。1975年から1990年にかけての大量脱会(約百万人)のときには、できるだけ「ぶらさがっていた」不幸な証人もおおぜい含まれていたであろう。1975年に起きるはずのハルマゲドンの失敗の予告は少なくとも長い間、最後の麦藁であり続けた。少なくともしばらくの間は重い問題であった。1982年までとどまったある証人はこう言っていた。
私は何年かが過ぎるまで、その失敗の意味が呑み込めなかった。1976年頃には、私はアル中になっていた。酒をやめると、そのショックは甚大だった。組織は1975年を誤っていたとはっきりと分かったときの衝撃が重なって、典型的な精神衰弱と妄想を覚え、入院した。そんな精神状態でも1975年に対する死に値する罪を悔い改めない限り、神は証人を滅ぼすぞと会衆に警告しなければと考えていた。組織を抜けた兄弟姉妹は死んでいく。ほかの者も1975年のせいで組織の言い分に耳を貸そうとしないのだから、真の神に奉仕したくなくなるだろうと考えた。それが1980年4月だった。どういうわけか、統治体が内紛状態だったと知ったときには、その当時それが信じられなかった。私が入院する前にそれを長老に伝えた。私が伝えたことが真実だと分かったのは1980年の秋以前だった。ニューヨークで起きたもめ事をどのようにして知ったか、いまだに分からない。長い間、悪魔が私の頭の中にその考えを吹き込んだのではないかと恐れていた。コールは一人の活発な長老の経験と感情を詳細に話してくれた。
私が死のうが生きようが、古い事物の世界経済が1975年を生き延びるであろうことは明らかであった。私には緊張が高まった。野外奉仕で家から家を尋ね歩いていたある朝、横腹に強い痛みが走った。その晩から、常に腎臓結石に苦しむ療養が始まった。冬が終わる前にはベルトの周りは結石による激痛が起きるほど悪化していた。霊的な牧羊で他人の問題や求めを引き受ける能力はいらだちと鋭い非難の中に埋没していった……。私たちはもっと辛いをしたのだろうか。そうではない。考えてもみたまえ――この古い事物の体制が1975年に終わっていたとして、どれほど計画したり、働いたり、自分を犠牲にできたり、喜びを持てたか。古い事物の体制があったから、とにかく喜んでいられた。いつ大艱難が来るかどうかに関わりなく、大艱難のための舞台リハーサルを経験してしまった。
まだ財産的な大艱難に直面する現実が残されていた。自分の信用や名声は地に堕ちていた。ある意味でエホバの名とエホバの組織に恥をもたらしたかのようだった。私の商売の経営には不名誉な傷がついていた。イエスのたとえを思い出す。……この事物の体制の子らは、自分たちの世代に対しては、実際的なやり方の点で光の子らより賢いのです(ルカ16:8新世界訳)。いずれにしろ一から出直しをしなければならなかった。もっと大きく、もっと早く、稼がなければならなかった。二月に共同して新しい商売を始めた。このときまで私の奉仕報告時間は月十時間に下がった。1975年の10月頃、私はイエスが大艱難の始まりの時について語った言葉を十分思い知らされた。……その日または時刻については誰も知りません。天にいるみ使いたちも子も知らず、父だけが知っておられます(マルコ13:32)。
私たちの中にエホバの年表設定に夢中になっていた者がいたのはなぜか、そのわけをしっかり把握しようとして「いったい大艱難とは何なのか」と題する説教を書き上げた。私の話を聞いた後に一人の兄弟が私にこう、打ち明けた。「7年前、1975年にすべてが終わると考えて、私は店を閉め、自分の時間をすべて神の奉仕にささげた。今からもう一度自分の商売を始めなければならない。前のようには繁盛していない。滅びを恐れている」。そうだ、その通りだ。熱中してしまったからこそ滅びがある。
一方では別な兄弟は次のように見ていた……。「ハルマゲドンは1975年に来なかったのだから、ハルマゲドンがいつ来るかは分からない。ものみの塔は支部の建物や輪転機、大会ホールや王国会館を拡張し続ける。私はなぜ一生懸命になって自分の商売を拡張してはいけないのだろう。……1975年から十年間、拡張の時代も初めのうちはマイナスの成長率が見られた。……この時代の中頃にはものみの塔会長のフレデリック・フランズが1975年の出来事に対する罪に値する咎めがあるならと、素直に個人的な責任を自分からかぶって世界中に旅をした。しかしエホバの証人はスケープゲートを探してはいなかった。「特に誰にも責任はない」が一般的な反応だった。「1975年にハルマゲドンが来るという考えは草の根から生まれたのではない――それだけは分かっている。一般信者が言い出したのなら、本部は直ちにその声を沈黙させていた」。
私たちを非難する者は、もちろん1975年の世の終わりの出来事を解説するために聖書の申命記18章を非常に好む。そして私たちに読み聞かせる。新世界訳聖書でそれを読んでみると……「もし預言者がエホバの名において話しても、その言葉が実現せず、そのとおりにならなければ、それはエホバが話されなかった言葉である。」(22節)「ここを見てご覧。偽預言者がいるよ!」。彼らははしゃぎながら指でその文章を指し示す。
アルコールの問題
もっとも高い地位にある者からふつうの伝道者に至るまで、アルコール中毒は大きな問題である。飲酒と長老の関係についてはワター氏が結論を出していた。
アル中はいつもものみの塔の健康に関する一番目のやっかいごとだった。権威を持つ者は特にそうだ(二番目に共通的なやっかいごとは精神病)。それは証人が誰から助けを受けられるか、どんな類の助けを受けられるのかといったものみの塔の考えを揺り動かすほどの重大な問題になってきた。以前なら聖書は十分なものであり、長老の力と自制心を借りて問題を克服できると、ものみの塔は教えていた。今ではもっと必要なものがあると表している。
「目ざめよ!」誌1992年5月22日号は、後見人・無二の親友・機能不全の家族・依存症になったアダルトチルドレンといった専門用語を使って、四つのテーマを扱っていた。自尊心を鍛え、未信者の本を読んだ後でゆがんだ思考パターンを改善する必要性を語る記事で、一人の証人がインタビューをしていた。ジョン・ブラッドシャーのような一般的な作家も好んで引用されている。助けとなるカウンセラーが大勢いると表現して結論を出している(その中には未信者のカウンセラーもいる!)。神の唯一の本物の組織は、なぜ、組織を助けるために、未信者の力に頼るのか――不思議だ。病気や悩みごとを解決するプログラムを開発するための時間を注ぎ込みたくないのだ。
まとめ
この章では、ほとんどの長老には証人の問題に適切に対処するために必要な訓練が欠けている事実を論じてきた。一般的に、人間の問題を扱うというのに、非常に権威主義的で懲罰的な方法を利用する傾向が強い。問題を抱える個々の証人を助けたり正したりするためにふつうに用いられる実行可能な選択の余地はほとんどない。その上、排斥処置(基本的には「スクラップ積重ね」技法)によって悪化させられる。排斥は証人を一致させる脅しとして利用される。また、長老や協会が解決できない健康の問題あるいは社会的な問題に対処する方法として利用される。この「スクラップ積重ね技法」は証人を一致させる動機になるかもしれないが、そのほとんどすべては有害・無益である。