エホバの証人とこころの病の問題
第6章 排斥の問題と長老
エホバの証人は、ブルックリンにあるものみの塔本部からもたらされる些細な規則のすべてに厳格に従うよう、求められる。愛と受容は条件次第であり、統治体が定めた独善への堅い忠節が基本である。自分の経験から学ぶ必要性はわずかながらも考慮されている。心理学的な研究によれば、精神発達にとって、成功のほかに失敗からも学習する必要もあることが分かっている。通常、何かを最初にしようとするとき証人は最初から正しく行うよう期待される。悪意のない過失でも欠点や短所があれば、それは計画的な罪の証拠であると解釈され、それに応じて罰せられる。
最近、ものみの塔は非行を犯した後の罪人に対する態度を評価する必要性を強調した。過去38年間、特定の罪に関わると(特に性的な「罪」)、罪人の態度に関わりなく、ほとんど自動的に排斥された。礼儀正しくし、謙遜にし、身構えない態度、悔いあらたが評価の対象とされるが、審理委員会の聴聞では被告は通常、防御に回る側に立つことが予想される。そうした場合、守りに回るのは通常の反応である。特に被告が3人以上の敵と対したり、あるいは少なくとも対決する相手が長老だと守りに回る。これは「悔い改めない態度を示している」とか、「(疑いのある)非行を正当化しようとしている」と誤解して受け取られる。ふつうに見られる反応は、何か別のものをしようとしているとたいてい誤って受け取られる。被告人が生来のエゴを守るために予想される、当然の努力をしようとすると、たいていは「悪魔的。わがままな、悔い改めない態度」と見なされる。ほかの仲間に敵意をそらそうとする不健全な能力を持つ者は、自分の感情をまともに口に出す者と比べれば、誤りを言いふらされても排斥を免れるらしい。
証人は、証人が置かれている特別な立場や、ほかの人が持っている世界観の基本となっている道理に気がつかない。特に証人が否定されるべき点は人を驚かせる性格であり、正統でないと思われる信者に対して持っている憎悪である。排斥に関して証人の長老とものみの塔の両者が持っている極端な厳しさは次の例で示される。
若いカナダの女性証人は、排斥された原因となった性的不道徳に関わったと言っていた両親と会衆からのストレス(父親は長老)に反抗した。まもなくその女性は交通事故で亡くなった。彼女の住んでいたカナダの小さな町には組織を表している礼拝堂などの場所はなかった。それはその地域の習わしであった。家族だけで家の中にそれを示そうと決めた。会衆のほかの長老は、もしその家族がわがままを通そうとするなら両親とも排斥すると脅かして強く反対した。その家族はその圧力もあって、家の芝生の前に開かれたひつぎを飾ることを決めた。この町では隣に誰が住んでいるかよく知っているほどだったから、町の人々からは証人に対する激しい抗議行動が起きてしまった。「この町でエホバの名を落としてしまった」とある証人は語っていた。
未信者からも、会衆からも、その家族に対する圧力は相当ひどかったために、まもなくその家族はその土地から立ち退くのが最善だと決めた。罪の代償は死であると聖書が教えていると考え、娘が罪の代価を支払い、もはや神の前に排斥された状態ではなくなったからだ。彼らは組織の出版物ではなく、聖書から決断したがほかの長老は食い違っていた。
たぶんこうした経験があったからだろう。最近こうした状況に対するものみの塔の規律は変更された。排斥された人の葬式に証人が出るのはもれなく、ふさわしくない行為だというのが昔からのものみの塔の立場だった(「ものみの塔」(英文)1961年544頁参照)。「ものみの塔」1977年6月1日号では(347頁)、個別の場合に応じてその利点を長老が判断すべきだと定めた。もし排斥された人の葬式で「それが平安を乱さず、会衆の調和を乱さないなら、あるいは神の人々へとがめが起きなければ長老があいさつをするのに反対はないだろう」。1979年、ものみの塔は再びそれを取り消した。排斥を扱っている事例をもう一つ上げよう(すべて、事件は著者のファイルから抜き出した)。
(1)聴聞委員会に出席した長老によれば、若い女性の証人が不当にも排斥された。その女性は排斥するほかに逃げ道がない不祥事に関係する重大な罪を隠していた。排斥しても明らかにその罪の意識を深めるだけだった。その女性は最近、長老の訪問が少ないのは彼女を避けているためだと誤って受け取った。彼女が援助を求めたときに訪ねなかったときには特にそうだった。彼女が自殺させたいようにしたとしても、肝心の問題にやっかい事が積み重ねられるだけだから、彼らは何もしようとはしないのだと感じた。自ら出血した血の海の中から、夫が見つけてくれた。意識はなかったが、まだ生きていた。危篤の状態で病院にかつぎ込まれたが、「神の律法に反する」として、輸血に強く反対した。その後、適切な医療援助を受けるためにほかの病院に移された。移った先の病院の医師は、なぜ彼女が自から命を落とそうとしているのか(彼女は拒絶されて不当に排斥され希望が失われるのではないかと感じていた)、血に対する宗教上の信念になぜ、それほどこだわるのか、理解できなかった。
(2)まだバプテスマを受けていなかった若い証人は、長老と一緒に研究していて、すべての集会に出席し、野外奉仕をしなければならない、「さもないとハルマゲドンで滅ぼされるだろう」と教えられた。この若い証人の両親は、この「新しい宗教」に反対し入信を思いとどまらせようとした。証人になろうとする決意は固く、彼は両親の家を出た。感情的な対立は相当に厳しかったから、2時間の野外奉仕をした後、ショットガンで頭を撃ち抜いて王国会館の近くで自殺をした。彼と研究をした長老は会衆からは「優れた長老だが、厳しすぎる。ほかの人を十分に愛してはいない」と思われていたと思われるはずだ。そして、こうした人物を長老にしておくべきではないと考えられている。
(3)長老の職と証人生活だけが人生のすべてであった22歳の男性が19歳の証人と結婚した。結婚したとたん、妻は夫からの性的な交渉に抵抗し、非常に限られた愛情しか許さなかった。交渉がないから、夫との性的関係を避けようとして夫と一緒に過ごさいと決めた。妻は夫と一緒に暮らすべきだ、夫は妻と正常な性的関係を持つことができるはずだと心に決めてしつように妻に反対した(それこそが妻が同居を拒絶した第一の理由だった)。妻は性に対しては極端に幼っぽくて、結婚生活の側面を十分に理解していなかった。
彼女に対しては、よく考え直すようにプレッシャーをかけた後で、会衆に対しては、夫の考えは聖書的な権利であり、妻の義務であると意見をしてくれるように求めて会衆の委員会に訴えを起こした。その意見の根拠としてパウロの書簡を引用した。「誰もがお互いにそれ(性交)を奪われるべきではありません。しかし……」。妻は長年、その会衆に出席していたし、夫にしてみれば結婚した後になってその会館に出席し始めた新参者だったから、委員会は「妻の側」に付いた。夫は委員会が間違っていると口外したため、「挑戦的で、委員会の権威を侵害している」という理由で夫を排斥にした。皮肉なことに、たいていの長老は、夫の立場を支持する。妻の立場を支持しないだろう。
排斥された状態になって夫が証人の組織を考え直す機会となった。「よそ者」となる結果、彼が証人の信仰体制を全体的に否定する時もあった。正当な理由もなしに排斥されると証人がものみの塔組織を離れる原因は共通している。ただし、不当な排斥の後があっても組織を離れようとはしないで復権を求める証人もいる。
(4)長老に感情的な問題へ援助を求めている一人の証人が、自殺をするおそれがあるとして、排斥された。そのトラウマは実行された自殺行為に直結するほど深刻な精神的な落ち込みにまで進んでいた。その自殺の書き置きを一部抜き出す。「今やエホバが私を拒絶した。私にはもはや望みはない。私は死ぬ」。
(5)別の事例では、ある思春期の男性がバプテスマを受ける一年前に「罪」を犯していたとして、一人の長老が若者を排斥する行動を始めた。ものみの塔の律法によれば、バプテスマを受けた証人となる前に起こした行為が原因で排斥されることはない。家族からの圧力があったからこそ、その長老にその若者を排斥にしないように働きかけた。そして少年を「限られた場所」に着かせた。偶然にも、組織の公表している指導に素直に答えていない処置である。こうした経験は証人の家庭に感情的なさまざまな波風を巻き起こした。その少年は今でも活発な証人だが、きわめて非情である。
ほとんどサディスティックになって排斥の脅しを用いる長老がいる例を上に上げた。こうしたトラウマの経験を経た後でも、次に一人の証人が著者が語っているように、排斥された証人はたいてい「あんなふうに病的な人々を癒す」組織に戻ろうかと躊躇する。
(6)ある会衆の委員会は、病気にかかりその後遺症で脳の損傷を患っていた女性の証人を診ていた医師との話し合いを拒否した。長老は精神科の医師にこう、伝えた「患者は悪魔にとりつかれている。エホバの清い組織から取り除かれなければならない。あなた方の世の考えに耳を貸す余地は全くないことは分かっている。私どもの知識は計り知れないものだ」。たとえその証人が「奇妙な言動」のために排斥されてもものみの塔の信仰に強くこだわっていた。長老から拒絶されたトラウマは、「生きる意志をなくす」よう作用したようだ。上に書いた出来事があった直後、彼女は病気のために亡くなった。
次の事件が描いているように、全体的に一致しない人に対しては長老も、証人も、意地が悪い。
ホバートの女性が夫婦ともに5年前エホバの証人のホバート中央会衆から排斥されたとき、夫婦は「悪魔」で「気違い」だと決めつけられたとして、今週、告訴した。ニュータウンに住むアニタ・マリア・スーナー(58)さんは、結婚した息子ロナルドが5年間、両親と話をしないし、両親が息子に贈った贈り物を返してきたと語った。20年間知っているホバートの人々は今では、「こんにちは」と言っただけで怯えて逃げてしまう。
エホバの証人から排斥された人は誰でも「悪魔」で「気違い」だと(彼らと関係を持つと同じ目に遭う意味である)、証人は教えられていると語った。さらに、エホバの証人の長老は道徳的に「一人の妻と素直な子供」の恥となるほどひどいのだと語った。20年間証人として過ごし、他人の妻の尻を追いかけ回していた長老を知っていた。その一人の奥さんの許には近親相姦の犠牲者と判明したときに「いたぶられた娘」もいた。長老が講壇から厳しく戒しめてから「もみ消した」場合もあったと、とスーナー婦人は語った。
シドニーの西の郊外にあるルーニアの王国会館を吹き飛ばした日曜日の爆発に続いて起きた証人の指導者からの「『反対の嘘』を思い切って話している」とホバートのある女性は語った。シドニーのエホバの証人監督、ダグラス・モーリッツは、破門された信者は教会から忌避されないと述べた。そして結婚を破棄させられた信者がいたとする主張を否定した。「数々の嘘に怒りを覚えた」とスーナーさんは語った。「長老たちが全員をゆすり」スーナーさんたちについての嘘を話し、証人全員が二度と私たちと口を利くことができないようにさせた。どんな場合でも、排斥された人々と話をする機会はないはずだと伝えて講壇から働きかけている。私もかつては証人であった。人々はひどく脅しを受けていたし、教え込みもひどかった。もしも講壇から言われたものであるなら、それは神の意志だと考える。もしそれをしないなら神に不忠実だ。多かれ少なかれ、彼らは神を悪霊にしている。
スーナーさんは28年間、証人の一人であったと語った。初めはドイツ、次にタスマニアに住んでいた。聖書研究の後、スーナーさんとその夫ルドルフは集会に行くのを止めて、「排斥」された(破門と同じ意味を持つ組織の用語)。長男クリスチャンは証人のバプテスマを受けて以来、両親とは一言も口をきかない。かつて息子とはとても親しく、「ふつうならあんなことをする子じゃない」と語った。しかし今では二番目の子供が産まれたときもそれを親に話さなかった。「息子夫婦は新聞に広告を載せた。もし年の若い友人がそれを目にしなかったなら、決して知ることはなかったでしょう」と語った。
スーナーさんは最近Kマートで起きたある出来事を語った。彼女はニューサウス・ウェールズ州に移ってきたある一人の証人を知っていた。何年も彼女に会っていなかったので、スーナーさんが「こんにちわ」と言うと、その女性は即座にスーナーさんの顔の前を手で遮って「いや。いや。あんたなんかとしゃべりたくないの」と言いながら背を向けて走り去った。「その知らせがどんなに速く知れ渡ったか分かるでしょう。私はまだ町じゅうの証人に知られています。あの人たちは会うとすべて陰気になり、走り出します。私が家を引っ越したとは知らずに、偶然にもふたりの証人がドアを叩きにきました。そのうちの一人が私を知っていて同じようなことが起きたのです。二人は走りました」と語った。
排斥になる前、スーナー夫妻は根拠として聖書を用い、夫婦の立場を説明する機会を長老に求めた。すると、その一週間後に夫婦は排斥されるのだから、会衆はその機会を決して与えようとはしなかったし、会衆はその要求を決して口に出さなかったと、スーナーさんは語っていた。
ワグナーは、スーパースターのマイケル・ジャクソンが同じような恐怖を抱いていたと主張する。
……は、マイケルの公的なセクシーなイメージと彼の教会が要求する私的なモラルのイメージの間の股裂きに遭っている。……エホバの証人の指導者から警告を受け、非難を受けている。
……メークアップの使い方、……感覚的なダンスの動き、……ヒットしたマイケルの「スリラー」のビデオの中でオカルトを支持しているように見える
「マイケルが抱いているおそれは、自分が献身した教会からの排斥だ」……マイケルの友人であり、長年、助手をしている人が語った。「今までは一緒にやってきたが、今は薄い刃の上を渡っている。最近の彼のやり方を見ればそれが分かる」。その教会(エホバの証人)はマイケルのイメージを快く思っていない。まず破格のレコード売り上げと衣装、メークアップに懸念を示した。それでも教会もマイケルの家族も、その件については何も言ってなかった。
「最近になって、教会は『友人を加えるように』とのエホバの証人の計画にそぐわないイメージであるとメッセージを伝えてきた」とその友人は語った。マイケルはその意味が分かった。マイケルは今でもメークアップをしているがそれは厚くならないように調整をした。マイケルは教会を信じているし、それがマイケルの救いであると信じているから、教会の意に添うようにしている」。協会は、ジャクソンの葛藤が教会と良い関係を保つこととロックスターのイメージを残すことの対立から生じていると言った。……メークアップはマイケルと教会との最初の問題につきまとっていたが、彼のヒット作のビデオ、「スリラー」は事態を悪くさせた。
教会の幹部はビデオを見てジャクソンがそのビデオのために限りなく「排斥」に近い段階にいると決めつけた」とその友人は言っている。彼らの目には「それはオカルトのすすめだと解釈するできると考える。その件に関し、マイケルと話し合いを持った。その結果、ビデオの冒頭でお断りを置いた。そこでは、どうあろうともオカルトを勧めるとは解釈されないとマイケルは言っている。マイケルはオカルトを信じてはいない。彼はそうやって教会の幹部を喜ばせている」
教会の役人との話し合いの後、マイケルは「スリラー」を巨大な発射台の上に引っぱりだせたと、その友人は語った。教会からの排斥はマイケルをトラウマの状態に陥れてしまう。その友人によれば、「教会の活動にぶら下がっているようだ」「その後ろに座っていないといけない。ほかの誰にも言ってはならない。誰もあなたに言わない。もしそんなことをしたら、マイケルが死んでしまう。家庭と教会にいるときだけ、彼は正常な人格者として認められるからだ……」。
マイケル・ジャクソンはそれ以来、証人を辞めた。
(伝道者としての)4D選抜資格を維持しようとする証人の法廷の記録を見直すと、たいてい、その主張が無責任な人からのものだと分かる。たとえば『USvsルフス・カール』誌によれば、被告の通った学校の元教師は、被告がものみの塔の一員になったと主張しているが、そうなる前の彼は「とても怠慢で、どこか無責任だったと覚えていた」。別の被告の場合、「フロリダに住んでいるし、資金が不足しているからボルチモアに行って資格に関係する行事に出席できない」と、地元の当局者に通知した。さらに「同時に、週に8ドルでブロックの石屋に雇われている趣旨の情報を提出した」。1960年に年に15千ドルの収入ではボルチモアへ旅行する余裕はないだろうと考えるほうが不自然だ。
エホバの証人の間に高い精神病罹患率が見られるのは、証人が長老から必要な援助を得ていないことも一因になっている。さらに長老は「スクラップ・ヒープ手法」をしきりに使う(自分では処理できない問題を抱えている者を会衆から排除して問題を解決する)。そうすれば、協会は「私たちの集団は未信者よりも優れた集団です」と主張できる。病院が手に負えないと思う患者の受け入れを拒むなら非常に高い治癒率を主張できるのと変わらない。その優れた一例を次に示す。
かつて長老は、今では全快している私の精神的な病を発見したことがある。私は信頼されていないが、私が言うことが支離滅裂なのではない。精神衰弱になって以来、私を排斥するしかないと決心したが、排斥される前、まともになるまで待ってみようと結論を下した。それがクリスチャンの愛だった。
私が病気になったとき、ひどく惨めに扱われたのが今でも信じられない。死んでしまいたい。彼らは私が自殺するほど落ち込んでいる状態なのは百も承知だった。彼らの答えは、誰に対しても同じ。目を閉じなさい、教えられたことに疑いを挟まないで受け入れる、それだけだ。奉仕に出なさい、エホバに奉仕しなさい、それですべて丸く納まる。それで結構。私は20年間もそれをしてきてすべては丸く納まらない。
長老に対する非現実的な恐怖が高じてきた。電話のベルが鳴っただけで私はパニックに陥った。娘がまだ証人だったから排斥されたくはなかった。私はただ「立ち去り」たいだけなのに。彼らはそうはさせてくれない。マフィアのようだ。栄光と尊厳を保ちながら証人を足抜けする方法はないのです。
最大の災厄は私が指摘することもできない恐怖だった。なぜ長老が怖かったかは、分かっていた。長老は脅しをかけていて、傲慢で、独善的であった。ほかにもわたしの身に取り入った恐怖が私を脅し、苦しめた。日常的な洗脳は犠牲を伴うものだという一つの結論に至った。長い年月、私が教えられてきたすべてが真実だと信じていたのに、悪魔に怯えていた。旧約聖書の「知恵の書」の聖句が実際に、頭の中に爪でひっかいた。「というのは、恐れとは、理性に由来する多くの助けを放棄することの他ではない」(ソロモンの知恵17:12)
上に上げたような経験を経ても、羊の檻に戻る証人もいる。しかし彼らはしばしば、非常につらい思いをし、どんな仕方でも元には戻れないし、この先良くなる見込みもない。一人の証人がこう言っている。「排斥された後、かつて持っていた愛を持って行う神への奉仕がとうてい、できなくなる。喜びは薄れ、憎しみと憤慨が取って代わり、しばしば自分に情けなさを感じる」。これは、証人の集会で「新しい証人は活発な伝道者です。不活発で、まれにしか出なかった時期に比べ、たいてい真理の中にいる証人である」と言われるゆえんである。長老が「同じ誤りが何度も何度も繰り返され、何も良くなっていない。さらに伝道者が一度罪を覚えるとほとんどの人がすぐに排斥されている」と人のせいにしていると思うと、証人らは憤慨する。排斥になった一人の証人の経験とその耐え方に注意してみよう。
新しい友人や家族からさえも疎んじられる恐怖があるから、多くの証人は社会に出ていく道をさえぎられる。同じ種類の心理的なプレッシャーを与えて、最初の出足で大きく躓かせようとする。それが迷っている信者の心をとらえる。証人の中でためらっている信者が持つそうした恐怖を感じ取ることで、社会に目を向けて他人にも手を差し伸べようとする元信者を納得させる。……ためらっている証人に関して、ワラリー氏は、こう語っている。「私がその人の持っていた恐怖心を知ったとき…それが私を本気にさせた」。それがあって、初めて組織への不満を公然化させる決心がついた。
リブリー氏はトルローの下街に「シット・セル・サイン」という小さな商店を経営している。そこで看板や、それに関連した商品を製作したり販売している。以前ならエホバの証人への不満を口に出すときは恐怖心を感じた。商店の信用に傷が付かないか、恐れていた。……社会に出るのは並大抵ではなかった。リブリー氏はノバ・スコシアで最初の元証人であるかもしれないのだ。(ノバ・スコシアに脱会者がいるか知ろうとして)リブリー氏は南部の人と文通していたから「それが起きたとき痛快の思いをした」。密かに文通していた証人を知ったときだって、見つかりはしないかとか、会衆から断絶されないかびくついていた。
ほかの元証人と連絡を取り合って新聞広告も考えてみた。「新聞に広告を載せようと促した」信者におびえていたからだと言っていた。広告は「君は一人じゃない」と元信者に訴え、詳しい情報を連絡するよう伝えていた。……広告が目を引くと、ハリファックス、トルロー、ウィニペグに住んでいる元信者からたくさんの反響が得られた。……リブリー氏はすでに脱会した信者、あるいは現役でも脱会を考えている信者の二つのタイプの人たちを自立支援するグループを発足させる気になっている。
ノバ・スコシアの支援グループに興味を持つ6人ほどの人たちや、グループについて知りたがっている人たちと連絡を取っている。彼の心に残っている例は、支援グループがあるために脱会した信者との最初の電話での反応、「本当にあなたにいてもらいたい」であった。この元証人は直ちに家に来るように手はずを整え、トルローでリブリーに面会すると、支援してくれる人を見つけられてるなんて、こんなにうれしいことはないわと言って抱きしめられた。……ほかにもハリファックスからの女性から電話があったと述べていた。その人は10年前に元証人になっていたが、3年前に脱会した女性が友達を持っていた。二人の女性は台所のテーブルに座ってその広告を見た後、「互いに抱き合い、10分間も台所で踊っていた……。支援者を見つけられてとても喜んでいた」。……
彼は1974年から1984年まで10年間、忠節を尽くしていた。奉仕の僕に任命された。……私を宗教信条を考えはじめさせたものといえば、「息子アドリアンが1977年に生まれて、いろんな影響を受けたこと、それがこうしたことを深く考えさせてくれた」。……宗教信条で納得できないことと言えば、排斥の政策である。辞めたい信者は自ら断絶しなければならない。会衆にいる信者はどのような形であれ、元信者と交わってはならないことになっている。そこでは反抗する信者は組織から断絶しなければならない。会衆の成員はどのような形であれ、元信者と交際してはならない。「たいていの人は別れを選べないから、脱会について悩むことはない。特に(その宗教に)まだ友人や家族がいるなら、家族を引き裂くことになる」とリブリーさんは語っている。
そのほかにも批判はある。唯一無比の地位にあるという協会の主張である。「組織の外には永遠の命も救いもないと彼らは言う。仲保者としてのイエス・キリストに代わって組織は仲保者のようになってしまっていると思う」。信者の個人的な生活に対する会衆の権威についても疑問が起きている。証人は国歌を歌わないし、クリスマスや母の日のような特別な行事を守らない。「投票や誕生日の祝いさえ自由がない。…それに反対する箇所は聖書には見つからない」。現在の宗教的な立場について「私は一人のクリスチャンとしてはっきりと自分を考えられる」。彼の祖先の宗教はプロテスタントの伝統があった。
その豊富な禁令に従うことが非常に難しいとはたいていの証人は認めている。ほかの宗教の人たちとは対照的だと思っている。ほかでは、規則を守るのは非常にたやすいものだと思われている。彼らの結論では、本物の宗教こそは非常に厳格な宗教でなければならない、一番厳しい宗教でなければならないというのだ。宗教が信者に規則を課せば課すほどそれはますます「本物」になるはずだ。セブンスデー・アドバンティストの宗教に比べ、どれほど証人の宗教が厳しいかを証人と議論したときに(アドバンティスト派が菜食主義者となるため、どれほど自制を働かせているか強調した後に)証人は、「証人になるのは大変なんだ。なぜかっていうと、自分の誕生日だって祝えないんだ。たいていの人にとって自分の誕生日を祝わないよりも菜食主義のほうがいっそう困難である。30%以上の人たちはそうしようとは思わない。もし証人が「本物の宗教」の概念を支持するなら禁欲的なセルフイメージを持たなければならないんだ」。信教上の禁令に厳格に従うなら、本物の神秘主義にさせてしまう立場であると考えていることが分かる。
ほかの宗教に比べ、証人が主張する基準は「厳格」と呼ばれるかもしれない。しかし労働を強いる統一協会やモルモン教、セブンスディ・アドベンティストなどの集団に比べ、ものみの塔の必要要件は実際は、たいてい、ある程度の理由がある。寛大なものもある。それにも関わらず、ものみの塔が制定した基準に対して、大量の謀反が存在する。その理由の一つは、権威ある立場の者が(長老の肩書きは別にして)規則遵守を命令する気配がほとんどないからだ。ほとんどの長老の知能は平均点だが、理解力も人間の行為の一般的な知識も、どちらも不足している。
優秀な一人の巡回監督のIQが高位の7%レベルに入っていることを証明しようと、一人の巡回監督が「大人用のウェクスラー知能指数」の語彙の部のテストを受験した。パナマがどこにあるか、平均的な女性の身長、ハムレットを書いたのは誰か、米国に何人の上院議員がいるか、その監督は知らなかった。それでも、監督は啓示の書は何か、創世記の主なシーン、酵母菌がどのように作用するか、バチカンの疑惑といった「宗教的」な問題では優れた得点を上げていた。一方、総合的な分野では、税金、鉄、児童労働、聾唖、結婚といった問題では得点がなかった。それでもものみの塔協会で彼は比較的高い地位に任命されていた。世間の一般的な知識が不足していても、聖書的な見地から資格があれば神の組織の中では高い地位に付けるのは当然と思って、証人はそれを正当化する。それでも監督は明らかに彼を知っている人すべてから愛されている優れた人であった。監督の例が例外で、平均的な証人の知能が平均点であっても、たいていは世間の情報源を広く読もうとしないから、証人の知識はたいてい偏っている。
たいていの長老は、権威と命令と指令を使って目下の者の面倒をみようとするセミ・プロの労働者である。元ベテリスト(ものみの塔本部で働く者)は、情緒的な問題を長老に相談するかどうか、尋ねられたとき、「何だって。助けを得ようと、百姓や工員や電車の運転士にものを尋ねるんだね。彼らが精神の問題について何を知っていると言うんだ。彼らのやることといえば何回も何回も単純な協会の陳腐な決まり文句を繰り返すことさ」。ものみの塔が何度も何度も繰り返す考えを取り除いたら、ふつう、長老はものみの塔の教義と歴史の上っ面な知識だけしか持っていない。聖書の歴史や聖書解釈学、終末神学などには注意を払らない。証人の間に悪意の反逆や結果としての排斥が顕著であるのは、会衆内での長老への尊敬が全体的に不足しているからでもある。別の正統派の証人は、自分らは「地元の長老を尊敬していない」と言っているのは、ふつうであり、ある長老がほかの長老をほとんど尊敬していないと主張するのは、もっと共通している。医療の訓練を受けていない一人の長老が、精神的な問題を抱える証人をこう結論付けている。
「…の脳の中では化学的なバランスが崩れている」とハリウッドのエホバの証人の副監督テッド・チャールズが語った。彼は塗装請負業者である。「バランスが取れていると、彼女は輝いて見えるし知的な女性だ」。チャールスは、ジョアンに問題があるのは過労が原因かもしれないと結論を下した。ドン・ブルー長老はこう言っている……ものみの塔は開拓者や全時間奉仕の資格を得る者に、毎年千時間の自発的ボランティア活動を求める。時間がそれ以下だと、「伝道者」として扱われる。彼はものみの塔の教師であり、組織の地域大会センターの監督機関の一員である。本職はハリウッド不動産開発業者で相談役である。
ものみの塔以外の人間の作ったほとんどすべての組織を常に叱りつけるから(特に宗教に対して)、ふつうの証人に歪んだ世界観を持たせてしまっている。そうではない知的な証人でも、ほとんどの聖職者や伝道者は神学校で聖書をほとんど学習していないとか、聖書に無知だとか信じているのは、別に異常ではない。すべての伝道者には高額の給与が支払われていると教えられていて、人々はそれが欲しいからといったほとんど個人的な理由からしばしば聖職者になっていると信じている。(たいていの長老はこう、納得している「我々には全くなんにも支給されていない」)。大勢の伝道者は、「金の亡者で淫行をしている。証人が真理を教えているときに羊の群に嘘を教えている不正な盗賊だ」といった意見をしばしば口にしている。たとえば証人の環境下に育った人たちの犯罪率が全米の犯罪率の約32倍であると報告している研究が見つかると、彼らの常に指摘している世界の紛争は嘘になる。ハリソンは世界に対する証人の見方を簡略に集約している。
彼らの切望はすべて未来にあるから、現在(物質、性欲、肉)を憎むように縛られている。……もしあなたが神による滅びを望むばかりであるなら、現在を味わい楽しんだり、良い形に世界を変革するためにエネルギーを傾けるのは不能だ(と信じている)。ハルマゲドンが差し迫っている証拠としての地震や、人種暴動、ヘロイン、麻薬、国連の失策、離婚、飢饉に対しはある種の冷酷な歓喜を言い表す。
「エホバと比べたら、ちっぽけで取るに足りない人類が何をしてきましたか」のようなことばで常に人類とその功績を批判して、ものみの塔は常に「自分に謙遜になるよう」にと、信者に求めている。「私たちはこの死にゆく体制において世俗的な立場を求めるべきでしょうか。あるいはエホバの「事物の新しい体制」に奉仕して神に喜んでもらえるよう、努めますか」「エホバを愛する人はいつも、まず第一に王国に関心を持ちます」といった巧妙な甘い言葉で、ものみの塔は証人に対し、服従するようにと騙している。
本当のところ、証人は何はともあれ、まず真っ先に組織に目を向ける。フレッド・フランズは、ものみの塔の副会長であったときに話した「狼の中の蛇としての注意」と題する談話の中でも、もし「クリスチャンの利益を守るため」だったら、嘘も正当化されると述べた(神権的戦略)。ものみの塔は組織を守るためあるいは、人々の前に存在しないものを見せるために、偽造(少なくともごまかし)をいろんなやり方で奨励している。組織を守るための嘘は正当であるとも教えている。実際、問題のある証言の中で、退職した証人の弁護士、ワーは、その考えを公式に守ろうとしている。次のようにものみの塔が教えていることに注意しなさい。
マグガニ:キリストの戦士として彼は親権的戦争の中にいるし、神の敵を相手にするときはさらに十分、注意して行動しなければならない。神の利益を守るために神の敵から真理と隠すのは正しいと聖書は教えている。
ワー:敵軍の捕虜となってはいるが、自国の政府を支持している兵士のことを言っているのかな?
マグガニ:その通り。私たちが真理の隠蔽を話しているとき、その人は誰に対して隠しているのかを理解しないといけない。神の敵としては未信者を考えているのであって、もちろんエホバの証人ではない。神権的戦いあるいは霊的な戦いといった用語については、エホバの証人は証人以外の者はすべてサタンの陣営に属し、エホバの証人は神の陣営にいると信じていることを理解しなければならない。それだから、神権的な戦いがある。国家間の戦争の場合は、人々が必ずしもお互いに嘘をついている状況にはない。全く違う立場に立っている。
ワー:あなたは戦争について言っている。たとえば第二次世界大戦の間、アメリカ兵の捕虜となったドイツ兵が二つの陣営の間で嘘をついてしまうことで選択に迷いがなっただろうか?
マグガニ:エホバの証人について言うなら、生きる上でのエホバの証人の主なモチーフはものみの塔が提出するように求めるものは何であれ何でも与えることだ。組織が反対のことを言ったら、未信者なら話し合いをしようとする。これは私の経験から言って、また私の所有する記録からすると、基本的には隠したり、嘘をついたり、ゆがめたりす。また、紳士の目にはよく見えるようにするのは、証人の義務である。
個人の友情については、協会は最初のうちはきれい事を言う。一人の証人がものみの塔を脱会するように決断するときには、たいていの証人はその人を拒絶する。少なくともものみの塔の外にとどまっている間は感情的に冷淡になる。14年の経歴を持つとても尊敬されていた長老が次のように述べた。
私はエホバの証人の中に少なくとも数人、本物の友人がいると思っていた。その友人の価値は貴重だと信じていた。私がものみの塔を脱会するとき、私に向けられた憎しみに衝撃を受けた。実際、彼らの憎しみは悪意に変わっていた。それがあって、ものみの塔への全体的な幻滅を抱き、明らかに人間を信用する尺度をなくしてしまった。言うまでもなく、ものみの塔についての嘘を口に出してすぐに憎しみが生じるような経験をすると、ふつうは証人を辞める決断を強める。脱会について入り交じった気持ちを持つ人もいる。しかし以前の兄弟からの復讐される経験をした後では、脱会する決意がぐらつく者も少なからず、いる。
元証人のノーブルは次のように注意をしている。
たいていの者は単に「逃げ去る」だけでは済まなかった。たいてい排斥された身には痛みを覚える恥辱を経験しなければならなかった。ふつう、その手順は猛々しい猛牛的な専門知識で処理される。憤慨と怒りの感情を持つのがふつうである。ほかに別の委員会の召集を求めても、私たちの場合、長老は、私たちをいじめ、電話をかけ続けた。夫は私がアルコール中毒だったことを言い訳にして、首尾良く一年以上も長老たちから遠ざかっていた。私は確かに病気だったけれどもアルコールも問題の一因であった。飲酒を辞め心を落ち着かせてもう一度元に戻ろうとして、禁酒の集会に出ていた。一年以上たって、最終的には私たちが声をかけるまで彼らは決して私たちを脱会させるつもりがないことが分かった。私は一人の姉妹と一緒に仲保者としてのキリストの考えを共有していた(ものみの塔ではなく)。それは長老たちに戻っていった。仲保者の問題は最後には私たちの排斥の基準になった。私の排斥はサーカスだった。生涯でかつて証しする機会のなかったキリストの愛がひどく欠落している様を反映するほどであった。
同じ光景は次に上げる48歳になる母親の体験にも見られる。
彼女の母親が亡くなった後、「わたしにはエホバの霊が宿っている」と固く思いこんで、彼女は証人にのめり込んでしまいました。集会に連れて行くのにも、何かをするのにも、彼女は他人の力を借りなければならなかったのです。その人に食べさせたりすることに抵抗を覚え、徐々に幻滅を感じるようになりました。証人は少しは友情を示したり、一人前の人間として気にかけていると言って関心を寄せますが、冷たくて厳しい人々だと思うようになりました。集会に出席している間、ひどく落ち込んでしまうくらい常に憂鬱になっていました。「いつもひどい孤独感を味わいました。特に集会に出席していた最後の2年間はそうでした。証人を知ることがいかに難しいかが分かりました」と言っている。
後に彼女は、こう言っている。
エホバの証人を脱会した後、生活はだんだん良いほうに向かっているとは言えます。私は箱を開けたから、持ち前の自分を取り戻せました。私はダンスや音楽が得意だし、どんな人たちでも好き。証人なら慎むようにと言っていることも好きです。証人に関わってからは、それまで楽しんでいたいろんな活動にブレーキがかけられました。いつもいつも、もう一度元の人生を生きられたらと思っていました。高校にいた頃、チアリーダーになろうと試していました。もっと早く体重を減らせたら、人気もあったでしょう。いつもよく太っていておまけに証人だったから、学校では変わり者のように見られていました。王国会館では十分に認められていなかったから、自分を悪い人間にしてしまいました。証人は王国会館ではたいそう潔癖でしたから、常々、いろんな細かいところまで完全にするよう求めているかのようでした。証人の要求をすべて満足させられないことが分かりました。大勢の証人が私の活動実績にもの足りなさを感じていると分かったときは特にそうでした。私は完全ではありませんでした。どこかしら、感覚が鋭いので、表面化しそうな批判は気になります。
私が王国会館に行くようになってから一年がたちました。素直に言って、もう戻りたくはありませんし、訪ねてみる気も起きません。証人には苦い思いが山ほどあります(良い思い出もあります)から、落ち込んでしまったり憤慨するだけの思いしかありません。証人が成長を促した高い道徳規範には感謝しています(今でもそうしなければなりません)。たとえば決して無分別にはなりません。一人の人にだけしか尽くしたいのです。ほかの人ではいけません。
家族全員が証人だった時期もありました。母は6年前、正規開拓をしていたときに亡くなりました。そして母が亡くなってから数年して父が証人とトラブルを起こして組織から脱会しました(会社を持っていましたが、雇っていた数人の証人が多額の金銭を横領したのです)。私の肉親である数人の姉妹はいつもトラブルを起こしていました。一人は二回排斥を受け、ほかの一人は一度排斥をされました。一人の妹はいかにもトラブルを起こしそうな人間でした。その夫は証人で刑務所の中で首を吊りました。妹は現在、州を訴えています。当局は適切な警戒処置を取っていなかったと思ったからです。その夫は何度も精神病を発症し、とうとう自殺しました。
下の妹はまだとても熱心な証人ですが、私が脱会してからというもの、いっしょに何かをしようとはしません。妹は私のことを「世の人」あるいは「邪悪な人」だと思っています。たとえ私が全く変わってなくとも。そして脱会してからは私がダンスに行く(非難されなくとも、いやな顔をされます)ようになったのですが、それを除いたら、証人として過ごしたときと比べて変わったことは何もしていないのです。それでも現役の証人である友人と一緒に過ごしたり(たいていは脱会した)証人の家を訪ねますと、いつも私の訴えに賛成することが分かります。もはや自分は証人だとは思っていません。
長年、ベテルで校閲係の仕事をしていたバーバラ・ハリソンが回想するように、どんな些細な分野にでも、いろいろな方法で行われる組織の厳格さを次に表わす。
実際それは私を滑稽にさせました。兄弟が分詞に必要以上に掛からないあつかましい私を許すよう、本当にエホバに祈れるのでしょうか。私は祈りました。言語に対して迷信的になっているのは、不思議ではありません。コンマや不分詞や分詞の私流の書き方に依存した永遠の救いを考えるのに2年かかりました。誰かが何の説明もなく、突然ベテルを去るとき、…そのときは快くは思いませんでした。それは辞めた人が赤鉛筆でゲラ刷りを「カンマで切らなかった」からであり、彼が信仰を失った責任の一端は私にもあるかもしれないと言っていました(善良な男性を滅ぼすためにサタンが前もって女性を用いたのです)。脱会して男性は以後の生活を空白(ブランク)で続けようとしました。もしも分詞で続けさせようと教えなかったなら、彼はいまだに元気で、心から信仰に熱心になっていたかもしれないと思えてきました。
ものみの塔が現在実践しているもっと残酷な政策の一つが排斥政策である。排斥は社会的な管理をするためには、もっとも効率的な方法なのかもしれない。それがものみの塔によってひどく悪用されている。乱交や飲み過ぎ、薬物常用、うそつき、詐欺といった行為に歯止めをかけるような利点もあるだろう。禁令に従うことを保証するには決定的に効果的な方法であるけれど、それを適用するやり方には有害な側面があり、その犠牲者となる者にとっては有害だ。長老にとって自分の力を誇示できる手段はたいてい排斥である。トラブルを起こす者や問題を抱える者を排除するために通常採られる方法である。特に組織は、世間の人に貧乏や知恵遅れ、不平分子などといったイメージを伝えない模範者を考えている。ものみの塔は助けを必要としている人々(たいていの場合、組織と宗教を求めている人たち)を助けないでこうした人々を遠ざける傾向がある。歴史上に見られるキリスト教の優れた長所は、貧者や虐げられた人、病人、迫害された者、犯罪者などにまで及んだ英雄的な努力にある。実際、キリストのたとえは、大衆がこうした人たちを見る見方に変革を起こしたのである。最近のアメリカにおける公民権運動では、それが明確に表現されていた。その運動の性格と運動の動機は、初めは宗教的であった。
皮肉にも、ものみの塔が現在、実践している排斥処置は、1950年代以降に今日の姿になるまでには発達してはいなかった。比較的に歴史が浅い。「ものみの塔」誌1944年5月15日号には曖昧な表現ながらその政策が初めて公示された。悪い行いは以前のように会衆が処理するのではなく、「権威ある神権的な代理人即ち、本部から派遣された個人」が処理すること、であった。その指摘があったため、排斥の過程ではものみの塔協会からのかつてない強い介入があった。協会の歴史では悪行に対する主な対応は、戒告、警告、討論、控えめの組織的な圧力であった。この反応に値する犯罪は主に道徳的なものであった。偶像崇拝、中傷、酩酊、詐欺、性的な不道徳、さらに通常の犯罪が相当する。やがてだんだんと、そのリストに罪名が追加された(たとえば、1961年に輸血禁止が追加された)。まもなく、クリスマスカードのプレゼント、国旗敬礼、そしてこの著作の他の箇所で指摘しているような長い禁令の一覧が付け加えられた。
おもに1950年代以降、協会がますます排斥に力点を置きはじめたとき、会衆からも、監督からも、疑問の声が起き始めた。特にどんな行為であれば協会からの排斥とみなされるのか、明確な定義を求める声が多かった(『良心の危機』(英文)248頁)。ものみの塔からもたらされる、果てしのない新規の規制の間に存在する微妙な食い違いは難問だとフランズが注意をしている。しばらくして「ひんぱんに起きてきた」食い違いへの疑問への回答は、「フレディに送ってしまえ」ということになった。「フレディ」とはフレッド・フランズのことで、彼は「組織を代表する定評ある主要な著述者、聖書学者」であった(『良心の危機』(英文)248頁)。彼は通常、メモの形で疑問への答えとその論理的根拠を示した。たいていの場合、聖書がその状況について特に何も言及していないことが問題なのだ。皮肉にもフランズが注記しているように、「副会長は事件に関係する状況を直接、すべて知る由もなかった。フレディが答えた決定によって影響を受けて生きる人とは個人的な意志の疎通を持たなかった」。フレディが下した決定に問題が多いのは(まれな場合には、ノーザン・ノアが神権的にそれを覆した)フレディが「20歳前半からずっとものみの塔本部で隠遁生活を送ったのと、ふつうの人たちの生活から大きく遠ざかっていたためだった(『良心の危機』(英文)249頁)。分けられたわずかな差は滑稽さが伴う。たいていはまもなく関係者に明らかになる。その大部分が取り消されたり、修正された。
フレディは、甥が冷淡な男ではないとは知ってはいたが、「彼の人間的な問題に対する考えにはどこか世俗とは別なものが見える。時には困難で悲劇的なことにも、宿命論者のように考える」。そしてレイモンド・フランズは叔父のフレデリック・フランズが人間としての感覚(人間の生命にさえ)に対し異常なまでの鈍感さを表している多くのエピソードを回想している。特にレイモンドが当惑した出来事は、証人の葬式での講話がたいていの場合、協会が死者を犠牲にして自分の売り上げに努力する手段以外の何ものでもないと語っている事実だ。ものみの塔はたいてい死者に対して関心を払わない。ときには死者に冷淡でさえある(『良心の危機』(英文)250頁)。長年、会長職にあり、世紀の変わり目からその政策に影響を与えてきた男の冷淡さは、その政策や手続きにはっきり反映されていた。底辺にいる人たちは大事ではない、大事なのは、協会だけだ。
協会は雇用の面でもあえて口出しをしている。職業に従事する証人にはどんな性質の労働がふさわしいか、どんな性格だと危ないか、である。防衛産業やたばこ産業やポルノ産業関連企業における労働はすべて否定される。雑誌『プレイボーイ』や『ペントハウス』を売るドラッグストアーでの労働でさえ、否定される。それ自体、霊的であっても「悪い行為につながったり、それを助長する仕事」に従事すると排斥されるかもしれない(『クリスチャンの自由を求めて』(英文)252頁)。フランズはこと細かな事項にまで至る細かさを軍事基地でメードとして働いている二人の女性の例を使って描いている。家主が軍人である家庭で掃除するために雇われている女性と隊舎を掃除するために軍隊に雇われている女性がいる。前者は組織から肯定され、後者は悪行とされる(『クリスチャンの自由を求めて』(英文)252,253頁)。「曲がった理論を考え出したり、理屈よりも技術的な定義を強調するのでは、説得しにくい。そうした律法的な解釈はパリサイ派あるいは古代のラビに源泉に平行していると気がつかないほうがおかしい」(「同」253頁)。レイモンド・フランズはこのほかにも例を書いた。そこでは、教会の水道管を修理する鉛管工の証人には罪がな。しかし、教会の屋根を修理する瓦職人の証人は排斥を免れない。「バビロン帝国の永続に手を貸し、もっぱら、偽の崇拝の発展に協力するために用いられる建築に長期間、従事する請負仕事であるからである」(「同」254,255頁)。レイモンド・フランズが注記している別な規則は「ものみの塔」1982年6月15日号(英文)、31頁)で論じられている。血液を抽出する将来のシリンダー器具の危険性を減じるための医療処置が使えるかどうかに関してである(協会はそれが間違っていると結論を下している)。こうした、微に入り細をうがつ理屈はどこかひどく邪悪なものであり、どんな証人でもものみの塔にもめ事を持ちこんでいると結論を出せる屁理屈である。