5章 こころの病に罹る率が高い要素はほかにもある

 

 エホバの証人がこころの病にかかる率が高くなる重要な要因のひとつとして、エホバの証人が過去においてアメリカを代表する地位に着いていなかったこと、いまだに幾分なりともそうだが、低い社会階層に偏在する傾向がある。中間階級や比較的上級階級に属する者はわずかながらも、いないことはない。収入と教育に限って言えば、徐々によくなってはいるが、中間階級以上の階級に属する者は、いまだに少数派であり、上流階級はほとんどいない。一人の支部監督がこう語っていた。

 この引用も今となっては古くなった。監督が言っていた教授のほとんどはそれ以来証人を辞めている。証人の数のうち、一万人に一人あるいは州に一人、医者がいる。マッサージ師以上の資格を持つ者もいるが、最近までその職業は高校で3年の教育課程を受けていれば十分だ。過去において、証人はしばしば10年生くらいになると高校を辞めている。大学教育を受けた経験がある者は、宗教からの重大な影響は少ない。1950年以来の傾向だが、ほとんどの証人はとても若いうちから結婚する傾向がある。女性は17から19、男性なら18から21の間だ。若い人たちにとって、開拓を別にすれば、結婚は認められた数少ない選択肢の一つであったからだ。過去においてはその結婚さえ、ものみの塔からは快く見られていなかったときもある。ハルマゲドンが差し迫っていると考えるから、協会への全時間奉仕の障害になると思われていた。大学進学や就職といった、ふつうの若い人たちが求めるような、当たり前の進路選択は強く抑制される。証人として育てられた、匿名希望の精神科医が次のように語った。

 この好い例は最近、証人になったロジャー・バンディントン博士(生理学)である(「目ざめよ!」(英文1974/9/22)では誤って心理学と報じられている)。脳の生理学に関する研究の職を辞めた後、非常に低い額の収入と世間の評判を気にして自動車部品を販売する職に就いたために、証人からは仲間として受け入れられた。証人は彼が「真理」に入るためにほとんどを犠牲にしていると思っている。彼は教育をあきらめているし、彼の今の地位を見て彼を「ひとりの味方」と思っている。興味あることに、一人の証人としてバティントン博士は記録の上では長老になっている。しかし、ほかのも起きている例がこの場合にも起きる。協会のかかえる問題を深く知ると、幻滅を感じてしまうし、証人になるために犠牲にしたことを考えると辛くなるだろう。

 長い時間と大きなエネルギーを必要とされる音楽や演劇などの専門の職業に加わるのにさえ、反対を受ける。ものみの塔本部のボブ・バルザーは芸術家とエホバの証人を両立させるのは非常に難しいと言った(「ザ・スター」1984/4/17)。ベッカーによれば、「ミュージシャンは他の人とは他の人よりもまともだと思う傾向がある。だから生活のどんな場面にでも、第三者のやっかいになるべきではない」と思う。他の人とは違うふうに生きることを理解しようとすれば、そう努力するしかない。ベッカーは次のような注意をしている――「ミュージッシャンはほかの人たちとは違っている。彼らは違うふうにしゃべるし、違うふうに振る舞う。違うふうに見る」。ものみの塔がふつうに信者を支配しているような態度を取ると、こうしたミュージシャンの気風とは衝突する。元証人でスーパースターのマイケル・ジャクソンが非常な成功を収めるとすぐに、メーキャップを使っているといった些細な行為(それも誰でもがするような)に対して公式の場で非難を受けた(「ザ・スター」1984/4/17)。

 証人のうち、教育程度が高い証人ならば、入信からの長さはどうあれ、たいていは密接に証人同士の付き合いを維持できない。読書をよくする、分析的な人が証人にとどまるのは難しい。協会の主要な信仰や価値観が根拠がなく、非合理的なためだけではなく、証人の知的な生活の領域にまでものみ協会が厳しい締め付けを加える傾向があるから、一人の証人が協会のための弁護者として尽くそうとしても彼にはそれが許されていない場合が多い。ふつう、証人はその説が協会の教義に十分合っていなくても排斥にはならないが、ものみの塔の組織は証人が宗教の分野で出版をしようとすると強くそれを抑えつける。マタイ・アルフスやビクター・ブラックウェルの弁護士、J・A・バックレイ、ランディ・ウィソン博士、マーレイ・コール、ジョイ・ヘス、ジェームス・ペントン博士の例がある。ペントンは協会寄りの本を書いたのに、組織から退出を「強要」された。ブラックウェルは長老を辞め、同じような抗議活動を慎むように言われた。

 皮肉にも、ものみの塔は証人が独自に神学的な調べものをしたり、論議をすることを喜ばない。協会の教義に問題がたくさんあると分かってしまったり、最近のものみの塔の指導者が思ってもいない考えを信じるようになってしまうのが怖いからである。協会自身の教義に添っていたとしても、「協会より先走りしない」ないよう、常に奨励されている。協会が後になって提示する重要な変更を多くの証人が独自の調査に基づいて予想していた。そうした例には、後になって見直された排斥された者に対する態度(後に撤回された)、復活、上位の権力、離婚、ハルマゲドンがある。後になって協会がそれを認めたとしても自分で調べた結果を大胆にことばにした者には、たいてい、厳しいとがめが待っていた。一人の優秀な証人が次のように語っていた。

 その好い例がマリクの経験である。証人になるとき、人はいろいろなことをあきらめるよう、奨励を受ける。芸術家でも、ジャーナリストでも、あるいは大学教授でも、今持っている職業をあきらめることだってその中に含まれるだろう。召使いのような仕事をするよう励ましを受けるから、本を読んでいる人とか、教育のある人たちが証人になるには、職業をあきらめなければならない。証人の活動と直接関係のない副業であっても、圧力が加えられて、あきらめなければならない場合が多い。さらに、一般的に言って、証人たちにとって参加が規制される活動は多方面にわたっている。一人の証人の少女が高校の同窓会の「女王」に選ばれたが、一悶着を起こした末にその称号を返上するよう、長老から圧力がかかった。彼女が後になって証人の教義から生じる問題に目ぜめれば、後から個人的なストレスが悪化する恐れがある。「ものみの塔」誌では、証人になるために職場を捨てた運動選手やカーレースのドライバーが取り上げられたり、証人の大会でその経験が語られたりする例は多い。かつてテレビタレントだったテレサ・グレープは例外である。証人になったとき、初めはしばらくは「クリスティ・ラブをゲット」の仕事を続けていたが、正規開拓者になるために1992年、職場を捨てたと書いている。過去の何人かの証人がそうしたように、証人には五輪ゲームの招待でさえ、拒絶するように期待されている。もっとも最近には、活発な証人になるためデトロイト・タイガースを辞めたロブ・リチーの例がある。

 著者は、後になって幻滅を覚えた大勢の証人、それも協会の教義を受け入れたとき納得ずくであきらめさせられたものに対してとても辛く感じている証人、あるいは証人として育てられたために何でも我慢させられた証人と接してきた。たとえ証人が組織を離れないとしても、犠牲にしてきたものが後になって内面的な葛藤の原因となる場合が多い。開拓には賞賛が与えられるが、以前持っていた人生の目標を実現したいと望んでいるから、開拓者の地位を手に入れた人たちの大部分は幻滅を覚えてしまう。その年になっていれば、たいてい結婚をしているし、子どももいる。以前持っていた人生の野望を実現させるには、もう遅すぎるとあきらめるしかない。

 組織の歴史を通して、組織は、証人になるためにたくさんのものをあきらめさせようと圧力を加えてきた。「ものみの塔」(英文)1892/12/15号 376頁の「読者からの手紙」欄ではそうした高い期待感が書かれている。

 ラッセルは「誇り」が問題なのだという結論を出した(ラッセルはものみの塔の創始者で初代会長、生前ものみの塔の編集長)。その手紙を書いた人は、その後の手紙で、「私の誇りこそが神の恵みを受けるじゃまをしていると言って私を教えてくれたラッセルさんに感謝いたします」と書いた。自我へのにらみは、貧弱なセルフイメージをもたらす場合が多い。それが精神的な問題や社会的な問題を起こす可能性がある。善良な自己概念を持っていれば自己統制は善良な性質を持つだろう。ラッセル自身も、次のようにすぐれた人たちが有しているセルフコントロールの発達について書いている。

 王国会館を訪れる者は、演台から発する講話が常に人類をしかりつける話で構成されていることにすぐに気がつく。証人は人類は罪深く、嘘と悪魔の傾向を持って生まれてきた、小さい頃から悪であると、強調する。もちろん、間違っているわけではないが、ものみの塔協会とほとんどの証人はそれを過度に協調しすぎるし、証人がよくなるための手だてを整える気はほとんど見えない。証人たちは、ものみの塔だけに奉仕する。それも、完璧な献身で奉仕する。そうやって手始めにものみの塔協会の目標を埋め込もうと、罪の概念で圧力をかける。自分自身の欲求は二の次、三の次だ。証人の時間も、エネルギーも、野望も、動機付けもすべては協会にゆだねるべきである。もしかして時間が余っているのなら、自分の個人的な興味を目指しても好い。証人はたいてい、十分な参加が得られないなら、参加していないのと同じだと考える。世の職業に就いていて証しをしない一般の人たち、あるいは野外奉仕に十分な時間を割いていない者が、ハルマゲドンで死ぬのなら、結果的にハルマゲドンで滅亡する人たちだったからなのだ。証人の活動を無視した人、人をつまずかせる者は、生まれながらの罪を持っているとものみの塔は強調する(その理屈からすると統治体をはじめ、少数の優れた者だけがハルマゲドンを生き残ると言われたのかもしれない)。心理学で何度も繰り返された原則には、人が他人を受け入れる前には初めに自分自身を受け入れなければならないという原則がある。自分の欲求を犠牲にし、欲しいものに目を配らないようにしなさいとか、自分のことはなおさら考えないようにしなさいと、常々、証人に強制すると、証人がしばしば経験するような対人関係の障害を起こす道具になってしまうのは間違いない。

 数は少ないながらも、教育程度の高い人、何らかの分野で十分な才能がある人は、常に会衆から「辱め」を受けている。無学な者、貧しい者、才能のない者は、何らかの分野で成功をした者や物質的な富を持つ者を辱めることが自分の義務にする傾向がある。証人がお互いに侮辱していないときには、誇りや虚栄心、うぬぼれ、自分の欲求への配慮、自己管理といった「悪魔の性質」の痕跡を消し去るようにと、仲間の信者にしばしば働きかける。一般的に言って、証人はそれが必要だとはっきりしていても、自分の関心事は後回しにしたり、全体的に抑制しなければならないと言う。その反作用として、しばしば重大な自己概念や同一化の障害を引き起こす。

 もちろん、人は達成した地位に着いていたからではなく、他人に尽くす量に応じてそれよりも優れた結果が得られることを教えてもらう必要がある。「辱められる」必要もある。しかしものみの塔はそれを極端に伝える。そして証人がきわめて貧弱なセルフイメージや深刻な内面的コンプレックスを発達させる場合が多い。繰り返して言えば、仮に穏健でバランスの取れているなら、有益な導きであるかもしれないものを過激に伝える、それが問題なのだ。基本的に言って、常に「辱め」を受けると、その結果は……。

 もしも証人が善良な行為をするならそれはすべて神が行ったこと(少なくとも神の信任を受けている)。悪いことをすればそれはその者自身の過失であり、他人のせいではない。基本的に人間は邪悪なこと、悪魔的なことだけしかしない。証人が達成する善良な行為は神の業のなした産物であり、その人のせいではない、ほとんどすべての邪悪なものは間違いを犯す人のせいであると、協会は間接的に推測する。そうした比較考量ははっきり明示されないが、どこでも暗示されているし、少なくとも無意識のうちに信じられ、作用している。そうした性格もあって、多くの証人の間には自分には価値がないといった感覚が行き渡っている。

 理論が好きな証人であれば証人の防衛メカニズム(ふつうの証人はそれを過度に用いる)を利用しようという気持ちが少ない。そしてものみの塔の信仰と合わない情報や考えを覚える傾向がある。平均的な証人の価値体系は、反対意見に耳を傾けたり、「大きな政府や大きな企業、大きな宗教」からの情報を入れようとしてその陳述を疑わないなどといった、よく本を読んだり、考える証人とは正反対の性格を持っているのは、何ら異常ではない。証人が個人的に「内面の信仰」を支えてもらおうとしても、間接的に妨害を受ける。ふつうの証人はものみの塔のどこかに嘘があったり、事実にほとんど基づいていなくとも、全体的にものみの塔とその説明を信頼しようとして、協会とその考えを過度に守る傾向がある。脳ではなく文字通りのハートが人間感情や衝動、態度、価値観の実際の元になっているといった教え(「ものみの塔(英文)1971 P.133-152)はその一例である。その考えは、心臓を取り替えた患者が医学的な効力や外科手術のトラウマを別にしても手術前に有していた感情や衝動、態度をいまだに持っているといった事実と調和しない。

 現実を直接体験してたびたび教義が変更されている。たいていの証人は神の新世界に入るためにハルマゲドンに生き残ると待ち望んでいるから、地的な級である証人はやがて神からの特別なご加護が望めるとする過去の証人の信仰に対し、セトナーは注目をしている。反面、油注がれた証人はたとえ死んでもその神のご加護を享受できないことが予想されている。セトナーはドイツ支部の僕(ものみの塔の幹部)コンラッド・フランケのことばを引用している。地的な級(大群衆)の一人であると思っていた証人がそうした理由から第二次世界大戦中、大英帝国空軍の空襲の最中、防空壕に避難しなかった。日毎の教えを学んでいるときに爆弾が直撃した。ほぼ即死だった。こうした体験から、再評価を迫られ、後になって変更する契機になった。

 分析的な証人であればあるほど、こうした問題に気がつくようだ。どこか気まぐれの説明をするものみの塔のような合理化をしようとはしない。ものみの塔協会は、時には疎外された目覚めた証人にも届くと根拠の薄い調査に基づいて結論を出している(協会はしばしば変更を余儀なくされている)。アルミニューム製の調理器具やワクチン接種の拒否、特別の未来の事件が特別な年に起きるといったたびたびの間違った予告は、その一例である(それらはすべて取り消されたり、解釈に変更を加えられるはずであり、すっかり忘れられなければならない)。こうしたたいした根拠のない決定から様々な問題が生じた。ベスティクは次の結論を出していた。

正直な疑問でもトラブルの種になる

 常々、ものみの塔の支配層に反対したり、ものみの塔を困らせる質問をする人たちはしばしば排斥の処分を受ける。いったん、ある人が排斥されると、ほかの証人にはその人の考えと同じように考えてはならないとの厳しい命令が下される(たとえ大勢の人たちがそう思っていても、人を困らせる考えはたいていその人の考えになる)。そうした考えは境界の外に追い出され、考慮の対象にはならない。その人の手紙を読んだり、その人に手紙を書くことさえ非難される。禁じられた「印刷されたページとの交わり」だからだ。もしも誰かが同じ疑問を口に出して尋ねても、それに答えれば、基本的に排斥された人と「交わりを持っている」ことになる。少なくとも罪に値する行為と考えられる。トラブルの種になる疑いへの回答を避けるために何度も何度も、この策略が用いられてきた。ベスティックは次のような例を書いている。

 程度がどうであれ、協会の教義と正しく一致していないと気がつくと、情緒的な多くの問題が生じる。教義論争は、ふつうの会衆でふつうに見られる権力闘争の重大な要素になっている。そして協会の発足時から今日まで、それは日常茶飯事になっていた。"Watchtower" 1928/3/15号には、「級での闘争」と題する記事がある。

 言葉を変えて言えば、ものみの塔の教義に全面的に賛成しない者は、たいてい沈黙すべきであり、自分の努力でその疑いを解決すべきであり、あるいは会衆を去るべきである。正直な疑いをくじいて、自分の身だけ気をつけるようにし向ける。正直な質問が言いふらされてはならない。抑圧すべきだ。正直な疑いは証人の潜在意識に働き、苦しめる。詰まるところ、ぜんそく、高血圧症、潰瘍などのような心身症といった身体症状に苦しめられる。

 

疑惑の問題

 精神を病んでいる人たちを研究していると、その病気の原因がその人たちの人生の目標や目的、職業についての心配と深い関係があることがわかる。そういったものが彼らの人生哲学や個人的な価値観と一致しているかずれているか、気にかけている。今やっている事の重要性がその中心を占めているのは明らかである。少なくともすぐ分かるものであり、滅多なことではそれは心配の種とはならない。いわゆるカルトでは、宗教的な疑問について言えば、その宗派の創始者が定めた信条の正当性について疑う余地は残されていない。嘘ではないかと口にも出せない。モルモン教のジョセフ・スミスも、エホバの証人のC・T・ラッセルもそうだ。多くの証人がその宗教にすっかり熱中していても、その全員が疑問を感じている時もある。証人の宗教が証人の世界のすべてである場合が多いから、宗教的な疑惑は強いトラウマとなる。滅多にこうした疑惑は外部には聞こえてこないが、セラピストが証人の信頼を獲得するとたくさんの重大な疑惑が聞こえてくるのは何ら異常ではない。

 疑惑はいろんな形を取る。ものみの塔の書籍にあるあからさまな矛盾を発見するとか、ものみの塔の高級幹部の誤導の明らかな証拠や偽預言や教義の変更に目ざめたりとか、協会が教えているような「神は地上の人間の3分の1(中華人民共和国の中国人全員)を滅ぼす。なぜならその人たちは政府が国全体のための決定を下すとの立場に立って証人の伝えるたよりを一度も聞かなかったからだ」といったことばが思いつきめいた洞察だと分かる。もし親が救われるなら、その子供たちも救われる、もし親がハルマゲドンで滅ぼされるなら、その子供たちもすべて亡くなるという状況と変わらない。中国の場合で言えば、政府の幹部はその親のようであり、国民全員がその子供のようである。たいていの場合、ものみの塔の理論は、結果的に起きた事件がとても不適正である状況を作り出しているようだ。預言は失敗したという疑惑が、指導者にさえ生まれた。1914年が「事物の体制」の終わりとなると言ってたラッセルの希望はくじかれ、この年に起きるとする予想は実現しなかったと、ラッセル自身が認めた。1914年のわずか二年後の1916年10月31日にラッセルは死んだ。協会の三代目会長のノアは、その狭い世界の中で1975年10月に「終わりの時」がやってくると予想した。彼もその二年後の1977年に死んだ。二人とも間違いなく深い失望を味わったはずだし、十分に待ち望んで過ごしてきた年が明けると、わずか二年しか生きていなかった。

 たとえば職業の選択と精神的な葛藤あるいは宗教的信条の関係、そしてある人がかかっている精神病理との間には強い因果関係があることが認められている。強い組織志向の人や強烈な宗教信条を持つ人たちは、次のような個性を反映する傾向がある――権威主義、行き過ぎた攻撃性、服従心、保守性、権力を持つ者であるとのうぬぼれ、保護貿易主義、厳罰主義、既成概念志向……。証人はものみの塔と自分を強く同一化して、ものみの塔の問題を外部の世界に投影する傾向がある。          

 またきわめて懲罰に依存する傾向がある。特にハルマゲドンの概念はそうであり、いかなる違反行為でも会衆で処理することからもそれが見て取れる。紋切り型の固定観念からの行動をしがちでもある。たとえばほかの人たちは大部分が悪者であり証人はほとんど善人であると信じている場合が多い。キリスト教の聖職者はしばしば「自分たちの肉の求めにしか興味を持たない」、とか「金を作るのが一番」と思っていると描かれるが、証人は「他人を助けることだけ」しか関心がないと描かれている。証人は人類の歴史全体を貧弱でおおざっぱな一般論に格下げする傾向がある。

証人とその外の世界

 ものみの塔はあからさまに、「世からのしみを除く」ため「外の世界の人たち」とは交わりを持たないよう、励ましている。証人は祝日などのお祭りをしないから遠くに離れている親族とはそうしたことでのつきあいはほとんどしていない。また、そうしたお祭りのときには同居している親族とも距離を置く時もある。外の世界の人たちとは「行き過ぎたつきあい」をしないよう忠告を受ける。また、未信者との親しく社会的な交際をすべて回避する。そして、スポーツをしたり、趣味を楽しんだり、教育を受けたり、ボディビル・ヘルスクラブに通うといった活動は非難を受ける。時たまやっている家族でのピクニックや仲間うちの野球のゲームを例外にすれば(それも頻度は少なくし、競争をあおるほど熱中することはない)娯楽といったものはほとんど避けている。ものみの塔の出版物以外の本を読むことは避けているが(それも最近の協会の書籍だけが奨励されている)地元の新聞は読める。それらの締め付けは、効果的に証人を外の世界と隔絶する作用をする。同様に、経済的な自己啓発も、創作活動も、すべての市民活動やボランティア活動も、残業も、高等教育も、世俗的な仕事を始めるのも、すべて妨げられる。いかなる形であれ、カーレースや競馬、ギャンブル、ナイトクラブ、バー、劇場への立入はだめだと言われている。立入禁止になるような禁令のリストがあって、証人たちを社会の表舞台から遠ざけている。もちろんこうした行為は利益の面からいえば最低限に抑えられるかもしれない。しかし証人は仕事の面では外の世界と関係のない状態に置くようなこうした禁止活動のリストを拡大解釈する。

 協会は聖書を取り替えたと思っている証人が多い(それは規則の上に規則を重ね、非常に厳格な服の着方の規則に従わせるといった「目に見えないタルムード」を作り出している。服の着方の規則は、カラーシャツや靴の留め金、もみあげの長さ、婦人用のスラックスの長さにまで及んでいる。会衆によってはさらに規則を厳しくしている)。特にもっと大事な事があるのにと思っている証人はそう思う。服の着方については、たいてい際限のない話になる。井戸端会議でおそらく真っ先に上るのだろう。上品な服装をするという件にはほとんどの証人は賛成する。だからといって角刈や3.5センチ幅のネクタイ、茶色のスーツ、ウィングチップの靴なら上品なのだろうか。聖書には「必要な事のほかは、どんな重荷も負わせないことを決めました」(使徒行伝15:18)と書かれていることに気がついてはいても、その忠告はほとんどの場合、無視する。1コリ5章では排斥はひどく悪い行為をする者に対して行うと読める(この場合は近親相姦))。その人はそれを自慢していたが、2コリ2:4-10によればその者は反省した時に受け入れられた。

 際限のない禁令に従わせる結果、証人を証人自体の夢の世界に逃避させる。もしそれぞれの証人が世間の人々に融け込めにくい状態にあれば特にそうだ。個人的な能力には限界があるから、証人の世界の中に受け入れられているかどうか分からない。前にも書いたように証人はふつう自尊心とエゴの欲望は抑圧され、ものみの塔の外の世界からの報酬を思いとどまらせる。結局、大変な量の自尊心を競うエネルギーが会衆内に充満している。各会衆で限られたわずかな受け入れ可能な方法の中で自己の欲望を満足させるようとしているたくさんの数の人々は、際限のない葛藤の渦の中にいる。

 エホバの証人を始め、様々な宗教カルトによって世から遠ざけられると、精神病罹患率や自殺率にも影響を与える疎外の原因になる。ウィーン精神医学・精神学クリニック勤務のオーストリーの精神科医マーガレット・アンディは、1930年代、自殺を試みた人、百人と面接した。それによると、自殺をした当時家族や友人仲間よりも広い意味での共同体に帰属していた例は一件だけではなかった。彼女は「世の歯車を回す手助けをしない者は人生がまもなく目的のないものに思えるような状況下に住んでいる」という結論を出している。存在が意味を持っていると思えるためには、その人は世と関係を持ち、全体的に人間性を認められる必要がある。少なくとも現実的に世の一員として求められなければならない。

 もし証人がものみの塔の世界の重要な一員、必要とされる一員と思われるなら、その欲望は満たされる。しかし長い間、協会の筋金入りの成員としてとどまれる証人は、わずかしかいない。ものみの塔やそのほかの小異規模で結束の堅い目標が狭い組織は、程度の差はあれ、個人を「大きな目的」に関係を持つ欲求の代替手段になる。しかしそれもそのグループがその人を受け入れ、感情的な支えとなり、グループが霊的な支えとなる時に限られる。

 けれども証人はいろんな理由があって、いつも仲間の証人を支えているわけではない。証人になるための研究をしていた一人の若い男性がいたが、彼にはある外科手術が必要となった。証人としての信条ゆえの堅い決心があって、彼は自分の住んでいたカナダの町での外科手術を拒んだ。輸血に対する彼の立場と医師が無輸血手術を歓迎しなかったのがその大きな理由だった。地元のカナダの医師はその手術に賛成していたテキサスの病院と連絡を取ったが、患者は旅行をする費用を出す余裕はなかった。当時は生死の境をさまようまでになっていた。患者の属していた会衆の長老団はその旅行の費用として会衆の金銭を使うことに賛成した。患者はテキサスに行った。手術は成功し、まもなく快方に向かった。

 話はそれで終わらなかった。一つの王国会館に二つの会衆が同居していたが、基金から支出する案に賛成した会衆は一つだけだった。事実関係が判明すると、大勢の証人、特に別の会衆の長老たちが猛烈に抗議した。その患者はまだバプテスマを受けていない、従ってまだ「世の人」だったから航空券の支払いをすべきではないと思っていた。一つの長老団はその患者を助けるために会衆の基金を使う権利はないはずだ、初めにほかの長老団に相談すべきだったと考えていた。第二の長老団は統治体に訴えた。基金を移動させた長老団を厳しく咎めている委員会の情報が残されている。収拾は困難を極め、大ぴらに反対を口外して集会から退出する者もいた(当時たいていの証人は集会から退出するのを好んではいなかったとしてもそれは稀有な出来事だった)。新入りの証人を助けるために金銭支出に反対した開拓者もいた。たいていの証人は「彼を死なせてはいけない。彼が正しいのならエホバが復活させるからだ」と考えていた。何人かの長老たちは過度に金銭にこだわり、人命にひどく無関心だったから、たいていの証人はこの事件に困惑を覚えた。

 証人の強固な社会的つながりとは裏腹に、証人の間には驚くほど高い率の社会的疎外が存在する。その一例はシェリア・ウッドの「友だちを探そう・クラブ」だった(「ミッドナイト・グローブ」誌の恋人募集、結婚相手募集の広告欄)。1977/8/16付けの同欄にはエホバの証人の友人を探している証人の広告が4コマ掲載されていた。タブロイド判の新聞のたった2頁しかない広告欄にこの広告が占めていたから、大勢の人の目を奪った。最近も掲載される確率は同じように高い。

 「兄弟姉妹」の関係から期待されているとは言え、助け合いの精神が欠けている例を上げよう。長年、会衆の中で活発に活動したものの、家族で引越をする時に家財道具を移動するような作業を手伝う証人がわずかしかいない例に如実に示されている。他人を助けるそのわずかの証人はたいてい普段からほかの証人を助けている。そのために明らかに多忙を極めている。誰でも助けるような証人はごくわずかであり、たいていの証人は人を助けない。そしてどんな形であれ、未信者に助けを求めることに臆病になっている証人が多い。それは教えられている証人の規範――「真のキリストの追従者はすべてほかの兄弟の助けとなる」とは逆である。

 

社会的に孤立した宗教集団に参加したためにもたらされる作用

 自分から一つの集団に没入すると、その集団の目標が即、その人の目標となり、その集団の野心がその人の野心となる場合が多い。個人的な野心や個人的な積極性を喪失して「ソフトな強烈さ」を身につける傾向がある。ナチ・ドイツやマラウィでの厳しい迫害事件は、集団を団結させるために証人の前に見せびからされる。戸別訪問などの会衆活動によって、彼らがその信仰を守るにはお互いに依存しなければならない状態にしてしまう。「世」からの報酬を求めないようにさせて、会衆の中で証人の標準的な霊的欲求を満足させるしかない。前にも書いたように、そのためにごくわずかの人々(ものみの塔の指導者)の意志が優先される状況下で、欲求を満たそうと格闘をしている人たちが絶えず滞留している。そうして自尊心といった社会的な欲求が見られなくなる場合が多い。自己実現は妨害を受け、その努力さえ試みられない。予想されているとはいえ、私たちすべてが持っている欲望(食欲も含め)を阻止するために欲求不満や不幸の感覚が生じる。生きる上で必要とされるエゴの欲求は限られた認識しかない。証人は限界までこうした欲求をすべて服従させるように思いこまされる。ある面では、もっと厳格なヒンズー教のセクトやキリスト教のカルトのような苦行をする孤立したカルトに近い。ノーブルは次のような結論を出している。

 それほど深刻ではなかったものの、協会ができてすぐの時代にも従順に従わない者に対する排除と疎外は行れていた。"Watchtower"1913/1/1号には、次のような質問と答えが書かれていた。

 この手紙の答えの中には協会の歴史に関係する一つの面白い考えが見えてくる。何はともあれ、排斥に関して何も言及されていなかった。もし指導する長老が協会に同調していないなら、そのときは各会衆に存在していた自立の程度に鑑みて、その会衆はピルグリムの奉仕を求めるべきではないと「懲らしめ」をしているだけに過ぎない。

 どう見てもそれは信じられないほどの下手な忠告、それもつまらない忠告であるのも問題だ。ラッセルは、長老が「誓い」(背教徒)と同調していないかどうかの判断を個々のピルグリムに任せている。ピルグリムは特定の人物が異教徒であるかどうか、その理由をたくさんの事例の中から自ら結論を出せた。今となっては、ラッセルを「忠実で智き僕」と認めないために、「ものみの塔」誌に書いてある記述の上に鉛筆でマークを付けたり、下線を引いたりして分類できるようになった(たいていの証人は、「ものみの塔」誌は半ば聖なるものと考えている。そのためにその上にマークを付けるべきではないと思っている。神の組織からの言葉に付け加えるあなたは何者なのか………これに尽きる。一方、多くの会衆では下線を引くことが奨励されている……これはあなたが自分のレッスンを研究し終わったことを示す)。ものみの塔に忠実だったと結論を出せるような長老が会衆を率いているとしても、その長老が背教徒だったと、ピルグリムが結論を出す十分な根拠を与えている。ラッセルの答えはすべての種類の害毒を流す水門を開いた。そこから問題が起きてきたのだろう。

 この号の中でラッセルが「主の賢明な羊にもとても愚かな者がいる」といった文を書いているのにも、とても驚かされる。卑しい印象を持たせる名称を用いたとあっては、その読者の大多数から聖書と肩を並べるほどに称えられている宗教的な雑誌にしては全く適切さに欠けている。

 

内向的な小集団における実際的な作用

 結合の強い小集団に属すると、そこからつきあい上の便宜や心理的な恩恵が与えられるかもしれない。たとえば、証人は優先的にほかの証人たちと交わりを保つように奨励されるし、ふつうの会衆は50人から150人の人たちから成り立っているので、年齢や人種に基づいた差別は限定される。証人は会衆に出席するすべての年齢の人たち、すべての人種の人たちと交わりを持つように励ましを受ける。その中でも特に年長の人たちと交わるように言われる。たいていの会衆は小規模であるから、同じような年齢の若者や子供が同じ会衆で顔を合わせるのは滅多にない。そしてたとえその若い人たちが優先的に同じ年頃の若者と交わりを持つとしても、たいていそのグループの歳の差は大きい。そうした理由があるから、親しく交わりを持つ証人たちの相手は広い年代層にわたっている。

 どんな証人とお互いに交わりを持つか、どれほどお互いに親しく人生を共にするかは、主にそうした親近関係に依存する。たいてい、証人は同じ年輩の友人を持っているが、同じ年齢というのは滅多にない。そこから生じる有益な効果については、ブルンフェンブレナーの研究からはっきり見えてくる。粘着性のある小規模の集団に属すると否定的な影響がもたらされるおそれがある。もたらされる主な不利益は、高い頻度で発生する傾向のある継続的な内紛(証人の間のありふれた問題)である。相互の人間関係に誠実さが欠けている説明は、次のような理論からもたらされる……仲間の証人との友情を失うといったことは恐れない。それは証人を悩ませることになっても、もっと取るに足りない心配事があるからである。次の理論がその一般論の基礎となっている。

 

少数派のグループからの影響

 こころの病にかかる率が高くなる要因は、ほかにもある。全体として、人口比で少数派の人種に属する人たちが証人になる率が高いことである。次の事例はこの問題を示している。

 カソリック教会に属しエホバの証人の研究の第一人者であるウォーレンは、黒人たちにとって証人のもっとも魅力的な性格のひとつには、伝統的な人種平等の政策であると信じていると述べていた。ウォーレンは1950年代その書『分裂した兄弟』の中で証人について一章を著したが、その後、証人と一緒に活動を共にして発展的で実践的な研究を重ね、ほかにも意見を述べていた。証人の間では首尾一貫して黒人が平等に扱われていることに注意を向けてきた。

 証人になる黒人は、黒人が常に人間として歓迎されることを知っている。1950年代、南部では人種隔離をした王国会館がまだ存在していたが、黒人の証人の登録はほかの多くのキリスト教教会よりも多かった。黒人の証人は全体の20%から30%を占めていたとする見積もりもある。黒人に熱狂的に支持を得た理由としては宗教的な要因のほかに社会学的な要因があるのは明瞭である。ほとんどの王国会館では黒人を一人前として歓迎している。この事実は黒人社会で知られていないわけではないし、それがあってアフリカでの証人伝道活動の支えにもなっている。

まとめ                       

 この章では証人になっているとこころの病にかかる率が高くなる重要な要因を数多く検証してみた。それらの要因を列挙すると、(1)生涯の運命を変える才能を持っていたとしても、証人を経済的に下位の階層、貧しい教育を受けた階層に押し込めておこうとする社会的な圧力が多く存在する。(2)音楽、スポーツ、絵画の趣味といった価値のある活動への参加、職場での利益の追求は歓迎されない。(3)一般的に知的な活動には社会的なストレスを加える。特にほかの証人よりも活動的な証人、本を読む証人、内省的な証人の体験を問題にする。(4)一般的な証人の持つ心理学的な欲求、情動からの欲求を満足させるようなことをものみの塔はしていないし、それらを抑圧している。(5)多数の教義上の変更。根拠の薄い、貧弱な研究に基づく神学。人間関係の欠如。ものみの塔本部の薄情さ。伝統的に研究者は次のような心配をしている。「ものみの塔の宗教が心の病を生じさせているのではないだろうか。心理学から見て問題を抱えている人を引きつけているのだろうか」。次の章で論じるようにその両方の問いとも、肯定できる。


 
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