第2章 エホバの証人の精神疾患罹患率

 

 精神保健の分野に携わる人々は、エホバの証人の高い精神疾罹患率と高い自殺率に注意を払うようになってきた。筆者は、学会などに参加しているうちに、宗教と精神保健が話題になる場合、エホバの証人が議論の的になることが珍しくないことに気付いた。エホバの証人の精神疾患の症例はよく見受けられるので、宗教と精神保健を主題にする論文で取り上げられている場合が多い。特に大都市の中心部の地域では、精神保健の関係者は日常的にエホバの証人問題に取り組んでいる(Pearsal,1981)。ある大病院などは、「ものみの塔ハウス」というあだ名を持っている。これは、エホバの証人の患者の数が多いせいもあるが、その患者たちが熱心に伝道していて目立つからだ。エホバの証人の問題は広く知られるようになってきたが、なぜそのような問題が存在するのか、精神保健の専門家が必ずしも理解しているわけではない。

 

精神疾患罹患率の測定に関する問題

 精神疾患罹患率を測定するには、いくつかの要素を検討する必要がある。罹患率は、研究者が精神保健をどのように定義しているかによって左右される。「精神疾患」という語は、「完璧な正気」と「まったく完全な狂気」の間のどこかで、人工的に二つに分けてしまうことから出てくることばである。両極端は判別しやすいけれども、めったに存在するものではない。現実には、わたしたちは、このふたつの両極端の間のどこかにいる。ゆるやかな基準で精神疾患かどうかを判断するとしたら、全エホバの証人の8割が精神疾患にかかっているという結論になってしまうかもしれない。反対に、狭い定義を使った場合、罹患率はわずか2パーセントということにもなりうる。つまり、どのような基準で考えるかによって、精神疾患罹患率は、高くもなるし低くもなる。

 

 理想的な方法は、1000人のエホバの証人と、同数のエホバの証人でない人を無作為に抽出して、それぞれの群が母集団として全人口を代表するようにすることだろう。米国の全人口のうち、仮に12%が黒人、52%が女性だとしたら、対象群の内訳も同じになるようにする。次に、厳密で客観的な基準を用いて、ふたつのグループに一連の心理テストを行なう。無意識の偏見を排除するため、テストの実施・評価をする者にはどちらのグループか知らせないようにしておく。そして最後に、双方のグループの精神的な適応の評価レベルを比較できるテスト結果を用いる。このような方法を用いれば、人口全体と比較したエホバの証人の適応水準が測定できる。テストは、関連のある項目だけを測定するものであるように、慎重に選ぶ必要がある。たとえば標準のMMPI(ミネソタ多面人格目録)には、悪霊やキリストの再臨などを信じるかといった「正常な」エホバの証人にとって不利な偏向がある。最新版はいくらかよくなっているが、偏向がすべて除かれているわけではない。

 

 残念ながら、このような理想的研究はおそらく現実にはありえないだろう。まず第一に、エホバの証人が組織にメスを入れる研究にはほとんど協力しないし、協力したとしても、組織がなるべくよく見えるように反応しようとするだろう。外部の人間による研究の主な目的は組織を批判することだと感じている証人が多いし、そんな研究は時間の無駄だと考えるのがほとんどだろう。終わりの時に生きている自分たちの時間は、無意味な研究などにではなく、未信者への伝道に費やすべきだと信じているのだ。それに、このような研究には多大な費用がかかる。助成団体のほとんどは、一般に重要度が低いと思われているマイノリティ・グループの研究には、必要な最低限の額でさえ援助するのを躊躇する。

 精神疾患の重さや罹患率だけではなく、それに影響する個々のファクターも研究する必要がある。たとえば、エホバの証人を活動の活発さに応じて、不活発な状態、平均以下、平均、平均以上、およびきわめて活動的というように分類し、それぞれの群の健全さを評価できるだろう。このようにすれば、エホバの証人としての活動の高さと精神疾患に相関関係があるのかどうか、また、あるとすればどの程度かをある程度中立的に測定することができる。筆者の経験では、エホバの証人としての活動の活発さと感情的不適応とは正比例すると思われるが、さほど強い相関関係あるとは言えない。精神的な障害を来たしている非常に活発なエホバの証人ケースが目に付く傾向はあるものの、筆者の統計では、活動度が主要な要素である場合が少なくないとはいえ、常にそうだとも言えない。時間とエネルギーとほとんどの人生を捧げた熱心なエホバの証人がものみの塔に対して深刻な幻滅を経験したために、自分の人生を無駄にしたと思って失望することがよくある。関与の度合いではなく、この「失望」の程度によって感情的問題が引き起される主要な要素になる場合が多い。熱心に関わり、活動していたエホバの証人は強い失望感を覚え、そのために、エホバの証人を辞めるときの苦痛も強い(フランズ1983)。 もうひとつ、別の問題がある―エホバの証人の信仰は社会の大多数の人々と一致するものではないので、精神疾患の基準の多くがエホバの証人全体を「異質」なものとして分類してしまうことがありうる。エホバの証人はその宗教のために、「普通の人」とは非常に異なる暮らしや行動をしてしまう。

 平均な人とはかけはなれた行動は、定義上、「異常」とか「奇妙」ということになってしまう。ハルマゲドンの戦いが目前に迫っていて、その時世界のほとんどが滅び、忠実なエホバの証人だけが生き残る(そしてその生き残りが地上の楽園で永遠に生きる)という信仰は、人類の大部分が支持している世界観とは全く異なっている。このような信仰を公然と保持することにより、エホバの証人は、ほとんどの人々と一致しなくなるわけだ。エホバの証人はものみの塔の信仰をすべて受け入れ、言うなれば、その信仰そのものによって、外部の人々と比べて感情的に不適応であるということになってしまうが、エホバの証人世界の中では高度に適応している水準に達していることになりうる。エホバの証人は、外部の人々とうまく適応できない反面、エホバの証人同士ではよく適応できることが多い。こうした人たちは精神保健の専門家のところへのめったなことでは連れて来られない。この人々のケースを統計に含めれば、エホバの証人の精神疾患罹患率は何倍にも跳ね上がるだろう。問題は、多くのエホバの証人が外部の人を絶えず疑い、日常的に避けられない接触以外、外部の人たちを全面的に避けようとすることだ。しかし、これらのエホバの証人の多くが証人社会の中ではかなりよく適応していて内輪ではきわめてうまくやっていけているとしても、妄想的人格障害の症状がよく見られる。

 

 排他的な団体のほとんどにはこれらの特徴が見られる。事実、「我々対彼ら」的現象は多くの社会団体に見受けられるものである。しかし、いかにありふれたものであるとはいえ、このような二分論は機能不全であって病理の証拠であり、少なくとも適応不全の現れであると感じる研究者は多い。クリステンセンが述べているようにOates1961:247)、「…個人や社会から正常と思おうが異常と思われようが、あらゆる宗教的信条は病的な使い方をされる可能性がある。」だから、特定の信条が日常生活の問題にどのように関わるのかを理解するためには、個々のエホバの証人がその信条をどのように使っているかを調べる必要がある。楽観的感情を得たり、人きる目的を与えられたり、日常生活で遭遇する不測の事態や失望に振り回されすぎないために到来間近な新世界の信仰を使う人もいるだろう。反対に、日々の問題を避ける逃げ道として使い、現在ではなく「自分の新世界」に生きるために信仰を使う証人もいるだろう。

 

 だから、多くのエホバの証人(といっても全員ではないのはもちろんだが)が外部に対して抱く軽蔑の念や、自分たちの組織を賛美する傾向に注目するのではなく、組織内部と外部の両方に対して現れがちな適応の欠如に注目して考察したい。ここまで述べたことを視野に入れると、エホバの証人の精神疾患罹患率を正確に測定するのは難しいが、以下に挙げる諸研究からすると、人口全体に比べてエホバの証人の罹患率がかなり高い事実を示している有力な証拠があることが読み取れる。罹患率が高いのは、証人社会のシステムの主たる側面以外にも、証人の行動病理に影響を与える要因があるからだ。ものみの塔社会には責められるものもあるし、誉められるものもある。多くの人にとって組織からの離脱が難しいのはそのためである。

 

スペンサーの研究

 

 エホバの証人の精神疾患罹患率に関する5つのオリジナルな既刊の研究のうち、最も新しいのがスペンサー(1975)である。スペンサーは、西オーストラリアの精神病院に入院した全患者7,546人について、1971年1月から1973年12月までの36ヶ月間調査した。患者が自己申告した宗教の加入状況のデータから、活発なエホバの証人50人が含まれているという数字を得た。ものみの塔自身の統計によれば、西オーストラリアには1974年には約4,000人の証人が居住している。1974年の人口総計は1,068,500人である。スペンサーはこれらの数値を用いて、一般の入院者数の比率とエホバの証人の入院者数の比率を比較した。全疾患について見ると、人口全体に対して一年あたり1000人中2.54人の比率であるのに対し、エホバの証人1,000人中4.17人、つまりエホバの証人が1.54倍高いという結果になった。妄想性分裂病のレベルは人口全体では0.38、エホバの証人では1.4であり、一般と比較すると3.68倍高いことが分かる。神経症は人口全体に対する増加数が一番小さく、人口全体に対する比率は0.39であったが、エホバの証人に対する比率は0.76(1.95倍)であった。つまり、これらの数値によれば、分裂病の発病率はエホバの証人の場合、一般と比 べてほぼ3倍、妄想型分裂病は約4倍高いと言える。

 

スペンサーの研究の評価

 

 使用されたサンプル・ベースの性質上、スペンサーの統計がエホバの証人の精神疾患率を相当に低く算定している可能性がある。その主な理由としては、エホバの証人が精神病の治療、特に精神病院での治療を徹底して避ける傾向があるということだ。ものみの塔は、精神医療従事者や精神保健の治療者一般に対して非常に批判的である。現在(1992年時点)の公式の教えでは、精神科医や心理学者の診療を受けるかどうかは個々のエホバの証人の良心の問題とされているが、ものみの塔出版物の多くは、精神医学やすべての種類の精神保健の治療に反対する論調が強い。典型的なエホバの証人は、精神科医や心理学者に相談するのは全く馬鹿げたことであるとか、ひどく悪いことだと信じている。

 また、スペンサーは、患者の宗教的な背景については、患者の自己申告に頼らざるを得なかった。入院手続きの際にはほとんどの証人は本当の宗 教的立場を明かさなかっただろう。精神病の治療を受けなければならなくなったエホバの証人は、自分たちがものみの塔に従っていることを認めるのを非常に躊躇する。筆者が診療したエホバの証人の中には、自分の宗教をエホバの証人と言わずに、「プロテスタント」だと言ったり、「無宗教」とさえ言った例がかなりある。精神疾患にかかったエホバの証人は、自分の病気をひどく恥じている場合が多く、自分の病気のことが公になるとものみの塔が非難されるのではないかと恐れて、たいていは治療者と打ち解けないし、正直になれない(ライランダー1946、バーグマン1984)。ものみの塔を守るために、あえて強い苦しみを引き受けるエホバの証人は珍しくない。ものみの塔組織や『ものみの塔』誌に対する態度は、ものみの塔の幹部ヒューゴー・リーマーに関するある証人の経験談によく現れている。その証人はリーマーにこのように述べたという――「リーマー兄弟、私は新しい『ものみの塔』誌を今日受け取りました。お母さんと私が雑誌を受け取って最初に何をするかご存知ですか? 私たちは包装を解く前にひざまづき、どうか私たちを、エホバが私たちにくださるメッセージが何なのか知るのにふさわしい者にしてください、とエホバに祈るのです。ですから、私たちが包みを開ける前に、あなたもひざまづいて私たちと一緒に祈ってくださいませんか?」(『ものみの塔』1934:574)

 

 エホバの証人が精神疾患にかかると、たいていは非常に重大な罪を感じる。病気になった原因が劣悪な環境だろうと、宗教だろうと、あるいはホルモンのアンバランスだろうと、脳腫瘍だろうと、それとも低血糖であろうと関係ない。エホバの証人は一般に、ものみの塔に忠実であるなら、精神的な問題を抱えないはずだ、身体的な原因で起きる精神病なんて避けられるはずだと、ある程度、意識して信じている。精神的な問題は、個人の罪や宗教的・倫理的な欠点の証拠であると解釈される。活発なエホバの証人は幸福で十分調整された人間であるはずだ。さもなければ、そういう者は神の怒りを買っているか、神が望まれることをしていないかのいずれかということになる。エホバの証人は詩篇128:1-2のような聖句を鋭く意識している。「すべてエホバを恐れる者、その道を歩む者は幸いである。…あなたは幸福になり、あなたにとって物事は順調に行く」(新世界訳)すなわち、「もし私が幸福でないなら、私がエホバの怒りを買っているからだ。私が悪いから問題があるに違いない。神の組織に問題など絶対無いし、ありえないのだから」

 

 このように信じているせいで、エホバの証人の罪の感覚はますます強まり、皮肉にも、エホバの唯一の組織だと自分が信じているものに対する忠誠心を確固たるものにする―「組織は正しいのだから、悪いのは私に違いない」というわけだ。活発なエホバの証人が忠実に従っている組織を治療者が批判してしまわないで、このような「私は悪いが、あなたは善だ」式の価値観を変えるのは、治療者にとっても困難である(ハリソン1978)。活動歴の長いエホバの証人や二世が精神疾患にかかり、しかもエホバの証人の信仰体系を内面化している場合には、次のように思い込んでしまうだろう――「私は本当のエホバの証人ではないんだ。そうであるはずがない。エホバの証人なら、幸福で満足しているはずなのに、私はそうではないのだから。神が私を斥けたのだ。神が私を神の僕の一人としてご覧くださるはずがない」。
 このような感情は当然深い失望や重い罪悪感などを起こすだろうし、他に抱えている精神的問題を軒並み悪化させるだろう。ひとたび精神的問題の兆候が明らかになると、ものみの塔の教えのために自分に責任を帰してしまうから、典型的なエホバの証人は、回復するどろこか、ますます悪くなる(ペントン1984、スタンレー1982)。
 ものみの塔を辞めたあとも、エホバの証人の信仰や価値観の大部分とは言わないまでもそのかなりの部分を維持し続ける人は多い。これは特に、人格の形成期にエホバの証人の影響を受けて育った人にあてはまる。組織を辞めた人の多くが精神上の問題を抱えているにもかかわらず、この人々は精神疾患の統計に含まれていない(スタンレー1982)。精神病や重度の神経症にかかったエホバの証人は、自分から組織を辞めたり、追い出されたりすることが多い。これは、エホバの証人の中に、ふつうでない行動をする人を「悪霊がとりつかれている」から他の信者を守るために追放するべきだと信じ込む傾向があるからだ。一般に、個人的な意見の不一致を表現する余地はほとんどなく、たとえ身体的な病気が原因の場合でも、他の人との違いが大きすぎるとたいていは大目に見てはもらえない。

 

ヤナーの研究

 ヤナー(Janner,1963)は、早い時期にエホバの証人に関する精神医学的研究をしたが、この研究は、兵役拒否によって収監されたスイス国民から100人を無作為に抽出、調査したものだ。この100人のうち、85%がエホバの証人だった。もちろん、そのうちのかなりの数の者が、異常に強い恐怖・不安を内に秘めており、孤立的、ないし重度に神経症的であるとヤナーは診断している。このようなヤナーの診断は、部分的には、「エホバの証人は外部の人間との接触を避けるべきである」というものみの塔の教義の影響によるものであり、また、いくぶんかはヤナーが面談をした状況、つまり、証人たちが政府を代表している刑務所でヤナーの面談に応じていたという状況を反映している。

 

 ヤナーの調査サンプルに含まれていたエホバの証人の大部分が未熟練または半人前の労働者であり、その10%強には犯罪歴があった。約半数が性犯罪(主に子どもに対する性犯罪と露出行為)、残りが物または人に対する犯罪である。ヤナーは、サンプル中のエホバの証人たちは全体として「かなり精彩に欠けた人々であり、強い宗教的感情をあらわした人が若干いたが、どこか現実から遊離している」と結論している。ヤナーはエホバの証人と未信者の精神疾患罹患率を比較できるようなデータを示してはいないが、未信者と比べてエホバの証人のほうが罹患率が高いことがこの研究から確実に読み取れる。

 

ペスカーの研究

 そのほか、エホバの証人の精神保健を検証した初期の研究には、アメリカ人の精神科医ペスカー(1949)の研究がある。ペスカーが調べたエホバの証人全体(すべて合衆国選抜徴兵法違反で収監された人々であり、したがってこの研究にもヤナーの研究と同じ問題点がある)のうち、ペスカーによれば、16%が「入院が妥当」な状態である。さらにそのうちの44%が精神病であり、50%が慢性的な精神病と診断された。ということは、収監されたエホバの証人の7%が重度の精神病であると診断されたことになる。ペスカーは、人口全体では一年あたり精神病罹患率が1%である(バビジアンBabigian1977)のと比べてエホバの証人の精神病の割合は一般人の7倍であると述べている。この研究が完了した1940年代の終わりには、徴兵年齢に達した大多数のエホバの証人が徴兵を受け、その大部分が収監されている。であるから、以下に述べる問題を除いては、ペスカーのサンプルは献身した若者のエホバの証人の優れた断面的な実例と言ってよかろう。収監されたエホバの証人の中には、代替業務に応じなかったり、健康診断の受診すら拒んだ者もいるが、多くは入隊の拒否に関連する法律違反で拘留されている。しかし、実際には99%が徴兵登録をしており、もよりの選抜徴兵機関と連絡をしなかった者は、そのうちのわずか1%である。

 この研究によるとエホバの証人の統計的特徴は次のようである――その95%は両親がアメリカ生まれ。ほぼ半数が小規模農家で育ち、人口5,000人以上の町で育ったのは39%しかいない。約半数が高校に進学しており、成績の中央値は9.2である。エホバの証人の大多数が農業に従事しており、徴兵前の経済レベルが「良好」だった者は全体のほぼ半分である。精神科医により「性的に未熟」と診断された者は20%で、これは、結婚前には極端な性的抑制、結婚後は配偶者との控えめな関係を求める協会の教えの影響が反映されている。その大多数が未婚であり、既婚者のうち、84%が結婚生活に満足と答えている(何も問題ないと見せようとするエホバの証人の傾向を反映して、面談の際に証人たちがうまくいっている結婚生活を印象付けようとした可能性はある)。両親の約3分の2は「快適な」経済状態にある。家族の誰かに「異常に依存」していると診断された者は3%にとどまり、その全てが母親に対して甘えていた。子どもの時のままに親と同居を続けているのは85%で、親に対しては従順で行儀がよい。大人として好ましくない悪徳や習慣に染まっているのは4%のみで、「社交的」であると考えられる者は75%を越える。IQ(知能指数)の中央値は101.5であり、社会全体の平均である100に非常に近い。ものみの塔の教育プログラムのおかげで平均的能力も達したエホバの証人もいるだろう。

 この研究の示す精神病罹患率は、本章で概括する他の研究と比べて高くなっている。おそらく、この研究ではエホバの証人に不利な偏見がより強いのだろう。とはいっても、この点を考慮に入れてさえ、サンプル中の精神病の割合は依然としてかなり高い(ペントン1985)。エホバの証人の全サンプル中(全員が軍の身体検査に合格している)、87%は重大な精神疾患がなく、7%が精神病、1%が精神病質の人格を有しており、1%が「精神薄弱」、4%にその他の精神異常が認められ、5%が重度の身体的な疾病に罹っていた。連邦刑務所の医療センターでは74%のエホバの証人に保守の仕事が与えられ、15%が事務の仕事を割り振られた。刑務所内では事実上全部のエホバの証人がよく適応していると判断され、仕事を怠けていると評価された者は2%にとどまっている。実際、ペスカー(1949:647)は「本当のところ、もしエホバの証人がいなかったら、刑務所当局は、戦争時に刑務所内の農場・店舗・その他の活動を維持する受刑者を得る苦労をしなければならなかっただろう」と述べている。40%以上が収監中に教育制度を利用している。多くは、刑務所の提供する通信教育だった。主に人気があったのはスペイン語の学習で、おそらくは、釈放後にものみの塔協会のために伝道者として奉仕するためだろう。

 

 ペスカー博士の測定した精神疾患罹患率の水準が現実の割合には及ばないことを示す要素がいくつかある。まず第一に、明らかに精神病のエホバの証人は健康上の理由で徴兵猶予になったはずで、徴兵の対象にはならなかっただろう。所定の身体検査と精神的な検査に合格した者だけが、選抜徴兵法に従わなかった罪で収監される可能性がある。身体検査や精神的な検査に合格しなかった者は自動的に徴兵猶予になり、通常は1-Yの分類になる。したがって、重度の精神病にかかった場合を含めて、あきらかに健康状態のすぐれないエホバの証人は、このサンプルに含まれるはずがない。一方、ペスカーが測定値を実際より高くしたかもしれない別のファクターも考えられる。ものみの塔の教えに反して代替業務を受け入れたエホバの証人がある程度はいた。不適応の程度の強いエホバの証人ほどものみの塔の教えをすべて無批判に厳しく守る傾向があることから、代替業務を受け入れたエホバの証人は比較的適応状態がよいと考えられる。一方、刑務所から釈放されるようにと精神病を装った可能性もありうる。とはいえ、このような詐病は、ものみの塔が一貫して是認しなかったものなので、あまり多くはなかったことだろう。また、精神病を装ったとしてもふつう減刑にはつながらず、単に刑務所内の病院に収容されるだけだという事実を考えると、なおのこと可能性は少なそうである。もちろん、刑務所では入院扱いになるほうが受刑者にとって望ましいのは間違いなく、それを目的として詐病したエホバの証人がいなかったかもしれない。他方、我々の社会が精神病者に抱いている否定的感情を考えると、もしエホバの証人が詐病したとすれば精神病ではなく身体上の病気を装った可能性のほうが高いだろう。

 

ライランダーの研究

 

 エホバの証人の精神疾患罹患率に関する最も徹底した研究はライランダ(Rylander1946)の研究である。この研究が行なわれた当時―40年以上も前―はエホバの証人の構成は現在とかなり異なっていたことに注意する必要がある。当時は、エホバの証人は全体に今よりずっと貧しかった(Beckford1972,Penton1985)。また、現在よりも、嫌われ者や問題のある人々を多くひきつけていた(Cohn1955, Bergman1985)。エホバの証人は、ある意味で社会の主流派に近づいてきている。現在では、王国会館は魅力的で、何万ドルもかけた財産価値のある建物が多いが、かつては安い貸部屋を借り、折りたたみ椅子に座っていた。現在でも大卒者の数は少ないが、ほとんどの証人がまずまずの職についているし、多くはまあまあの地区に住んでいる(Whalen1962)。新興宗教は社会の嫌われ者を引き寄せる傾向があるが、成熟するにつれ、その信者は中流階級の水準に従うようになる。多くの研究者は40年前のエホバの証人を非常に否定的に描いているが、現在では、エホバの証人が明白に経済的立場を向上させたことを強調している研究者が多い。エホバの証人は、端的に言って、以前よりまともで、世間から受け入れられていて、中流階級的になっている。

 

 ライランダーの関心は、主に、スウェーデンにおける良心的兵役拒否者(CO)の問題にあり、COに対して、ライランダーはきわめて共感的であった。研究が行なわれた当時、スウェーデンの法律では、入隊を拒否するすべての男性を収監することになっていた。COが釈放された時点で再び入隊を拒否した場合、再び収監されなければならなかったのである! ライランダーが述べているように、「何の効き目もないのに何度も刑務所に送られることに対して、次第に世論が盛り上がっていった」。ライランダーはこの問題の研究を委託された。

 

 エホバの証人は、当時も今も、「完璧な兵役拒否者」として知られている。つまり、エホバの証人は、民間部門での任務を含めていかなる軍関連の任務も拒否するのである。そのため、エホバの証人たちの事例は詳細に調査された。すべての検査施設で、一日あたり二人のCOが身体的・精神的調査を受けた。遺伝や病歴、社会的および軍務上の履歴、どんなことに興味を持っているか、生活習慣、また、人生に対する一般的態度が対象になっていた。被検者調査135人のCOのうち、126人がエホバの証人だった。残りのうち6人がバプテストやペンテコステ派などの自由教会員であり、倫理的信条によるCOは2人だった。エホバの証人がなにを信じているか、ライランダーは次のようにまとめている:

 

新しい王国、ミレニアムが今にも来ると期待されており、信者の行動は完全にこのことに適合していなければならない。この宗派の信者の心の中では、年代学が重要な場所を占めている。…人類の手によって作られたものはすべて、徹頭徹尾悪魔の業である。他方、…エホバの証人は神の完全な組織を代表している…

 

 他の研究と同様、ライランダーは、エホバの証人が自分たち以外の人々に対して無神経で、非常に冷淡な傾向があると述べている。このような態度は、人類のほとんどが「まもなくやってくるハルマゲドンで情け容赦なく滅ぼされる」という信条を反映している。この冷淡さと、信者としての厳しい要求は、自分自身や仲間の証人たちに対しても発揮される。ライランダーによれば、ある証人は次のように述べたという――「私は自分の罪の許しを祈ったりしません。わたしが意図的に罪を犯した場合、決して許されないのです」。また、別の証人はこう述べた――「エホバに忠実な人間が罪を犯すことなど不可能だ」(興味深いことに、ものみの塔協会は、このような教義を持っていたことがない)。

 

 エホバの証人の他人に対する冷淡さは、ライランダーの次のような観察にも描かれている―エホバの証人は隣人に対する伝道には関心を持つが隣人を助けることには興味を示さない、本質的に隣人に対してほとんど愛を示してない。また、エホバの証人は、社会改革運動に現れているような、クリスチャンの愛の業にも参加しようとしない。エホバの証人たちは、この「古い事物の体制」は完全にサタンの支配下にあるのだから、それを変えようとしたりましては支援するなど意味がないと信じている。ある証人はライランダーに、次のように述べた――「国家のために働く者は滅び、まもなく彼らの世界は滅びると聖書に書かれている」。(この研究は45年以上前に完成されたものである。)

 

 エホバの証人には感情がないという見解に関連して、ライランダーは、「判断基準を軽蔑するといった態度はエホバの証人たちの感情に影響を及ぼしているが、それはエホバの証人たちの外見に現われていると指摘している。街中や市場で奉仕している「雑誌配布者」に対するライランダーの評価は、「プラカードを帽子の回りにつけたり、普通のひもでプラカードをお腹に結んで」なにやら無感情に突っ立っている、というものだ。ライランダーが調査したうちの75人が、生きていく上でエホバの証人の奉仕以外には興味がないと言っており、また、126人中50人が、エホバの証人同士の付き合いしか持たないと述べている。以前には世俗の仕事のかたわら、寄り合いに参加していたとか、同業者の組合に入っていたとか、ゲームやその他の娯楽、趣味、道楽を楽しんでいたが、エホバの証人になってからは「そういう趣味はあきらめなければならなかった」と述べている。調査対象者の約30人は、時間があれば、世俗の文学を読むとか、工芸的な趣味とか、音楽、絵画、語学の勉強などをやっていると述べた。しかし、限られた「世の娯楽」を楽しむ証人がたまにぱらぱらといるとはいえ(「奥さんがうるさく言えば」映画やサーカスを見に行くという証人もいないではない)、定期的に「娯楽」の時間を持っているエホバの証人は非常に少ない。エホバの証人の生活のむずかしさについて、ライランダーは次のように述べている:

 

こうした人たちにあふれるような賞賛の念を抱かずにはいられない。もっともこれは、この人たちの風変わりな観念の世界を棚上げにすればの話ではあるけれども。信仰のためにすべてを捧げ、苦しみを担おうとする意欲と能力はたいしたものである。この人たちの仕事は、やさしくはないし、楽しくもない。あわれむような微笑を向けられたり、冗談の種にされたり、ひどいことを言われたりするのだから。ある全時間奉仕者が私に言ったことだが、「楽しみに待っている王国がなかったら、こんなことに耐えられはしないだろう」。エホバの証人は、出版物の販売には意欲を失わない。以前訪問したことのある家にも何度も訪問を繰り返す。「もしかしたら、別の時に訪問したら、その家に住む人が前より話を聞く気になってくれるかもしれない」と理屈を付けるのだ。徴収を受けた一人の兵が私に述べたところによれば、何度も繰り返し訪問したのにどうしても見込みがない場合は仕方なく訪問先リストからはずすが、その前に必ず、エホバの証人がこれを最後と、拒否したらどういう結果になるかを誠実に語りかけることになっているそうである。それでも断わるなら、それは断った当人だけの責任なのだ。そういう人は容赦なく滅ぼされるであろう、と証人たちは信じている。

 

 ライランダーは、多くのエホバの証人が持つ、以下のような建設的な側面を観察した。

 

…居住区域内で決して反社会的な行動を取らず、自分の仕事をよく果たし、税を払い、全般に[伝道活動で]さほど押し付けがましくない。最大で6人が国防のための賦課金支払いを拒んだ。とはいえ、エホバの証人たちの中には、変わった考えの人や伝道制度や生活習慣のせいで、少し「変わっている」と近所の人に思われている者もいる………ある証人は、自分の部屋と家具を緑に塗って自分も緑の服を着ていると言っているし、岩を爆破するマニアだと言う証人もいる。極端なフルータリアン(果食主義者)やベジタリアン、その他の健康法を実践している人が報告されている。

 

 不満足な職歴を持つ者もいるが、働く意欲がないからではなく、能力に欠けるとか未熟であるなど、心理学上の欠陥によるものである。ライランダーの観察によれば、調査対象のエホバの証人の中で以下のようなことを行なった者は少数である。

 

…比較的多数の微罪や通常罰金だけですむその他の軽罪…窃盗および盗品所持で検挙されたもの3人、いろんな違犯行為で罰金に処されたもの36人(交通違反、酩酊、酒類の違法販売、密漁、不法侵入など)。

 

 彼らの多くは仕事が続かず4,5回の転職を経験している。これは部分的には彼らが社会に適応しようとして経験する障害と不安定な性格の結果だとライランダーは述べている。ライランダーの調査対象者の多くは、「神経症的症状、特に、不快感、不安感、不眠、人生の無意味さや自分たちがこうむった不正や自分たちが犯した過ちに対する罪悪感などを思い悩むこと」があった。これらの要因はすべて、この人たちの不満足な職歴に重要な影響を与えている。この人々はものみの塔の教義が「彼らの人生のすべての問題を説明し、彼らの人生にプラスの影響を与えてくれる満足と落ち着きをもたらす」と信じている、と、ライランダーは結論を出している。

 

 ライランダーは、エホバの証人は概して多くの問題を抱える人々であり、要するに利己的な理由、つまり、この宗教が自分の問題を解決してくれるだろうという理由でものみの塔に加わったのだと述べている。エホバの証人の入信の過程を、ライランダーは以下のように観察している。

 

何らかの圧倒的な宗教的体験に影響されたり、身体上のトラウマがあったりして突発的に起きることでは全くない。この団体の文献を学び、他の証人たちの影響を受けた結果、何ヶ月も、何年もかけて、ゆっくりと進行した。

 

 親族に影響を受けて自分もエホバの証人になったという人は、全サンプル中の30パーセントだった。合計82人には近しい身内にエホバの証人がいた。したがって、家族や友人の影響は入信の重要な要素である(宗教への入信に関するほかの多くの研究でもその正しさが示されている。)身内や自分が尊敬している人がエホバの証人の信仰を受け入れていると、その信頼性は増進する。また、自分に宗教的知識がなかったり、判断に影響を与えるような感情的問題を抱えている場合にも、概してエホバの証人の信仰を受け入れやすい。

 ライランダーによると、調査したうちの30人は、エホバの証人になる前には宗教的な拠り所を持っていないと感じていたという。ある種の霊的な答を真剣に捜し求めていたにもかかわらず、それまでの宗教とのかかわり方に失望を覚えていた。地獄での永遠の苦しみという教えに強い抵抗を感じ、エホバの証人がその教えを認めていないことに魅力を感じたと述べている者もいた。ある徴収兵は、燃える地獄についてライランダーが「真性の神経症」と呼ぶ状態に進行していた。彼岸の生がなにやらあいまいな場所で霊的な形で与えられるのではなく、この地上で与えられるという教えも、エホバの証人へ改宗した者にとっては、非常に望ましい教義であった。無意味さや空虚さの感覚や、人生に目的がないという感覚が、エホバの証人への改宗理由の重要な要素になっている、とライランダーは強調している。また、貧困や不幸な境遇も非常に重要な要素だった。エホバの証人組織は、彼らの生活に、意味と目標と目的を与えた。「千年王国」の保証は、耀かしい未来を楽しみに待つ希望を感じさせた。ライランダーの診断結果は表1のとおりである。

 

 

表1 エホバの証人126人の性格分類および性格診断(一部重複、すなわち、一人で複数の診断に分類されている場合がある)

診断

人数

神経症的診断

分裂気質    

19

循環気質   

8

虚無的   

24

人格障害

分裂性(schizoid)  

18

偏執性(paranoid) 

7

反社会的障害

1

ヒステリー       

1

循環気質的人格

1

無気力

4

幼児性

10

精神薄弱
(精神遅滞)

教育可能な遅滞

19

訓練可能な遅滞

9

脳障害(脳の外傷による精神障害)  

5

合計

126

 ライランダーは、この診断はエホバの証人が組織の教義をどれだけ受け入れているかによってではなく、あくまでも明白に病理的な行動やエホバの証人への転向以前から明らかであった性向に基づいたものだと強調している。これらには、特定の妄想症候(エホバの証人およびそれ以外の人々の両方について全く同等のものであるが)、異常なまでの内向性、重症の抑うつなどが含まれている。以下のライランダーの指摘は重要である。

エホバの証人は、全般的に、他の人から不安定だとか精神的に変だとか思われることを極度に嫌がる。自分の不安な気持ちについて話したがらず……したがって、専門誌に報告されている症状はおそらく実際の数より控えめになっているのだろう。

 

 よって上述のように、エホバの証人の中で感情的問題を抱える人の数は、この調査でも他のほとんどのサンプルでも実際より低く現れていると思われ、実際より高く現れているということはありそうもない。まとめとして、ライランダーは、全人口の21パーセントがスウェーデンの標準に適合していると評価されたが軍隊に向かないという事例が明らかなったが、これと相当する軍隊に不適応なエホバの証人の数は、心理学的な理由のため、4倍ないし5倍多くなっている、と結論している。従って、他の研究と同様、ライランダーはエホバの証人中の精神病者の比率は、うんと少なく見積もっても非証人の4倍であると述べている。次のようなごくありふれた事例から、ライランダーが扱った事例への洞察ができるだろう:

 

R.は11人の兄弟姉妹(片親のみ同じくする兄弟姉妹を含む)と一緒に、貧しい境遇の元で育った。知能の劣っている母親は4人の男性との間に子どもを産んだが、結婚したのはそのうちのふたりとであった。R.には先天的奇形があったが、12歳ごろに手術による治療を受けている。奇形が原因でR.は何歳か年下の子どもたちのクラスに入らなければならなかったが。そのため、クラスメートからいじめられたり、しょっちゅうからかわれたり、あざけられたりした。このような原因で、R.は非常に内向的になり、強い劣等感を生じさせていた。15歳のとき、非熟練労働者として就職した。孤独で不幸であったために、R.は時々酒に酔ってうっぷんを晴らした。ほんの少量のアルコールでも、飲むと手がつけられなくなり、生意気で荒っぽくなった。酔っているときは、劣等感が攻撃性に変わった。酩酊と喧嘩のかどで何度も捕まっている。不安、不快感、身体的緊張状態や過敏状態などにも苦しんでいる。かつてR.は全然何の理想も持っていないと言っていたものだが、今では「主の霊」を持っている人々に属していると話している。今ではR.は以前より落ち着いていて、さほど「押しのけられ」てはいない。酒も完全に断っている。「もし『真理』を持っていなかったら、自分はもっと悪くなっていただろう。今の私には希望がある」[ケースワーカーの]家庭訪問は彼にとって大きな負担で、その前になると昔の緊張がぶり返すときもある。しかし、そういうとき、彼は報いについて考える。「これがわたしの持っているなぐさめだ。私たちは新しい身体を与えられるのだ」このようにして、彼は、手術後にも残っている奇形を逃れることができる。「王国では、完全な身体をもった新しい女性たちが与えられる、これはすばらしいにちがいない」という思いに彼はなぐさめを見出している。

 

診察中、彼は青ざめて疲れ、やや緊張したようすだった。彼の感情的な生活は生来のもので幼児的だった。何度かおびえた子どものようにあごをふるわせて涙ぐんだが、筋肉を緊張させてひどく深刻な表情をすることもあった。顔色は赤く、首に筋を浮き出させて、どもり、声が裏返った。それから、ひとこともものをいえないほどあえいだ。彼は考えをまとめることが難しく、言語表現は非常に貧弱だった。軍隊付き牧師は、R.にはかなり劣った知的能力しかないように思えるが子どもっぽいなりに正直で公正な人間だと思う、と記録している。彼は近所では知恵遅れと扱われている。知恵遅れで、精神が異常で体の奇形(そのために大変な苦労をした)もある、このような人が、入隊を拒んだからといって、当局に二度も投獄されたのである!

 

 問題を抱えている人がエホバの証人になりやすい傾向があるという、よくある観察はライランダーによっても支持されている。特定のタイプの人がエホバの証人のとりこになると考えられる根拠があるとライランダーは述べている。

 

 ライランダーのこの主張に対して、その研究対象の大部分は不活発な末端の証人だったとか、あるエホバの証人のことばによれば「真理に近いところに育ったが、まだ真理の中に入るところまでは至ってはいない」証人だったという前提に立って、反論する人がいるかもしれないが、そのような反論はあたらない。ライランダーは、自分が調べた証人たちのほとんどが活発なエホバの証人であると認めている。126人中少なくとも110人が、徴兵時には全時間または半時間奉仕者であった。これは現在の開拓者にあたる。さらに、徴兵拒否によって逮捕・投獄などの処罰を受ける覚悟をするほど、ものみの塔組織に忠実に従おうとしてもいたのだ。ライランダーの研究は、研究に時間や費用をかけすぎていると批判されるほど、明らかに徹底したものだったのである。研究費用を正当化する根拠の一部として、彼は次のように述べている。

 

読者の中には、この比較的少数の良心的兵役拒否者の調査のためにあまりに大掛かりな体制を開発しすぎたのではないかと考える人もおられよう。また、これだけの労力と費用は、他のもっと重要な仕事に用いるべきであったと思われる向きもあろう。しかし、私は、医師として、また人間として、世界の争いが続いているさなかに、個人の権利を守るため、そして権力の誤用や国家による軽率な行いから個人を保護するために、わが国が時間と金を使ったのだということをどれほど強調しても足りない。人道的観点から見て、このような行為は非常に価値のあるものと見なされるべきである。

 

 

 

その他の研究

 

 マクドナルドとルケットは中西部の精神科クリニックで患者7,050人を調査した(1983年)。彼らは「精神病はカルトの特徴だ」と述べている(19頁)。残念なことに、「カルト」の範疇は明らかにされていないが、カルトにはクリスチャン・サイエンス、エホバの証人、末日聖徒教会およびセブンズデー・アドベンチストが含まれている。他の研究によれば、これらのうちエホバの証人以外のカルトの精神疾患罹患率は平均より低いとされているので、おそらくエホバの証人が人口比以上にこの調査結果に影響を与えていると考えられる。

 

 これから取り上げる最新の研究はモンタギューが実施した(1977年)。モンタギューは、1972年から1986年までオハイオ州の公立・私立の精神病院と地元の精神保健のクリニックへの入院患者を、観測した。病院の入院患者からのデータ収集は継続中であるが、102の試験データからモンタギューは次のように見積もっている。

 

エホバの証人の精神疾患罹患率は、一般の非エホバの証人の約10倍から16倍高い。……エホバの証人はたいてい、事実をたくみに隠蔽しようとすればできるのだが、平均的な会衆では伝道者(正会員)のおよそ10%は専門家の治療が必要な状態である。

 

 エホバの証人の精神保健では宗教が重要な地位を占めている事実は、親権をめぐる裁判で表面化することが多い。宗教の重要性が著明な事例がある――全部で485ページに上る訴訟記録の中で、その51%(289ページ)が宗教に関して言及をしている(Tyner1991:9)。エホバの証人である妻のほうが親権を得ることが好ましく、また、幼い娘が妻のほうに強い依存性を示していると、ふたりの心理学者とひとりの精神科医の意見が賛成をしている。しかし、同時に、この三人は一様に、[エホバの証人の]信仰が、少なくとも子どもに影響する点で問題があるとも述べている。心理学者らは、この宗教が「変わっていて」「主流ではなく異端」であると述べた(Ward1988:22)。このような表現で彼らが言おうとしていることは、信仰が原因で学校で疎外される問題を指しており、これがあると健康的な面でも危機を招く可能性があると言っている。レヴィ博士は以下のようにも検証している。

 

[エホバの証人の教義が]この社会の西洋的生き方にそぐわないという事実に基づけば、エホバの証人として育てられることは子どものためにならないと私は思う。この社会に生きる以上、この子はこの社会の主流の文化に適合する必要がある。この子は、エホバの証人[の国]で成長するわけではないのだから。この国でエホバの証人が多数派であれば、なにも問題はない……この子がエホバの証人として育てられることは健全ではないと言わざるを得ない。(Ward1988:23)

 

 レヴィ博士は次のようにも述べている。

 

西洋社会で生活する上で、精神保健の眼目は、個人が特定の文化に適応する能力である……エホバの証人として育てられるような状況をわざわざ選んで限定された状態に置くよりは、カトリックとして育てたほうが、この子はこの社会に適応できるし、カトリックの子どもがこの社会で自由を享受できよう。(Tyner1991:9における引用)

 

 判決の中で、判事は、宗教によって引き起こされる養育上の対立や重大な医学的治療の放棄が子どもにとって有害であると述べた専門家に感銘を覚えたと認めて、宗教的訓練、福利、宗教的教育および教え[についての決定]はもとより、医学的・歯科的・健康上および一般的福利に関わるすべての決定を完全に夫の裁量にだけゆだねると命じた。第3地区控訴裁判所の3人の判事団は、離婚する両親の宗教的な意見の違いが子どもに与える影響を審議する裁判所の権利を認めて、ナイトの判決を支持した。そして、1988年3月7日、最高裁はこの事件の再審を棄却した(Tyner1991:10)。他にも同様の事例が多数ある。

 

 サック博士はその博士論文の中で、抽出したクライエントの精神保健に対する宗教の影響を評価している(Sack1985)。事例研究の手法が用いられてはいるが、この研究で到達したのと同じ所見が多数、得られており、サックの研究は多くの面でこの研究と一致している。サックが観察したクライエントにはものみの塔や類似のカルトの病理的プロセスに関するとてつもなく豊かな知見があり、サックの論文は一読に値する。また、エルマ・コップルによる「エホバの証人:心理学的分析」(ドイツ、1985年)もこの研究と同様の結論に達している。

 

 

 

既存の入手可能な諸研究から言えること

 

 これまでに刊行されているエホバの証人の精神保健に関する実証的研究の範囲は以上のようである。カルトは多くの人々の個人的生活に衝撃を与えるものであるから、この分野にはもっと徹底した研究が切に求められる。エホバの証人の精神疾患罹患率の水準だけではなく、通常見られる高い罹患率に影響する因子についても、より確実な知見を与えるいくつかの研究が進行中である。

 

 ここで概観した諸研究は、異なる国々で異なる時期に行なわれたものであるため、比較はむずかしいが、エホバの証人の精神疾患罹患率が平均より高いと、一貫して示している。平均よりどのくらい高いかを確定することは困難だが、一般人の約4倍というところが妥当な見積もりである。また、実証的研究は、アルコール依存、自殺、一般的犯罪なども一般人よりもエホバの証人のほうが多いことを示している。なぜそうなるのかについては、以下の章で扱う。考察するべき主な課題のひとつは、「精神的に不安定な者がエホバの証人組織に魅力を感じるのか、それともエホバの証人組織そのものが信者に心の病を起こさせるのか」という問いである。エホバの証人組織の中で育った人々と、改宗して外から入った人々の両方とも精神疾患罹患率が高い事実からして、そのどちらとも有力な因子である可能性が高い。  


 

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