14章 証人を辞めた後の生き方
ノーブル氏は証人を脱会した後のトラウマを「ポスト・エホバの証人」シンドロームと呼んでいる。脱会には多くの「精神的な願望の断絶」が伴っていると強調している。配偶者の死と比肩されるほどのひどいトラウマだ。多くの要素が原因となって脱会するが、そのうちのいくつかを以下に論じよう。数百の自助グループが世界中でできている。大きな進歩である。その一例が「ハル・デイリー・メール」(1985/4/24)に報じられている。
ハル夫妻は元エホバの証人の自助グループを設立した。信仰を捨てる際の問題は深刻なトラウマを覚えることだから、何らかの支援が有効だと、二人は信じている。
アナルダール・ロードに住むディビッド・ウィルキンソンさん(40)とその妻ビッキーさんは17年間証人をしていた。「わたしたちは昨年の夏脱会し、それからは同じ境遇の人たちをたくさん発見し、情報を求め、助言をしてきました」とウィルキンソンさんは語った。信仰でがんじがらめにされているために脱会をするのは難しいと人々は分かっている……彼はそう信じている。もし脱会したら、長年交わりを持った友人から疎んじられるし、証人たちは二度と話をしないように命令を受けている。「以前なら私たちを熱愛していた人々からも、通りで会うと顔をそむけられてきました。そうした彼らのやり方は一種のショックとなって残っています」
友人がほとんど一緒に加わっていたか、あるいは家族の大部分が加わっていたかに関係なく、脱会とリハビリ後の回復までの時間はふつう、その人の入信までの経験や、入信していた年数、脱会にかかった時間、脱会するときの支援体制によって左右される。ものみの塔との関係、支援する側の構成、個人的な強さは癒しの過程に影響する主要な要素となるだろう。組織を離脱した後ではたいてい、その人のトータルの人生の立て直しが必要となる。その理由のひとつを次に上げる。
一時は完璧に見えてはいても、協会の教えや活動は、今やほころびを来たし、矛盾を見せ始める(今まではそれが客観的には見えなかった)。長老のやりかたと、人間が支配するほかの宗教集団との平行性が見え始める(ノーブル1983年)。
人が「新しい人間」になり、ベテランは「見知らぬ人」になり、再構築が始まる。脱会してから何年も過ぎ、その経験を振り返り、「昔の自分」を思い出すとき、ものみの塔が教えた信仰を実際に是認することは難しいと、たいていの証人は語る。昔の兄弟姉妹は別人となり、新鮮な記憶はなくなった。たいていの場合、脱会にはトラウマがつきまとうが、ほかの人よりも問題なく脱会する人もいる。
テリー・パーカーは証人として育てられた。母親は今でも現役だ。しかし昔ほどではないのははっきりしている。テリーは8才頃から20代半ばまで活発に働いた。そして大人になってからは宣教学校の監督になった。一人の証人と結婚した。それは8年間続いた。一緒に生活を始めたとき、妻はバリバリの証人であった。そして排斥された。二人は無理に結婚させられたから妻のほうは元に戻った。なぜ脱会したか夫のほうに聞くと「私は成長しただけ」と答えていた。テリーはたくさん本を読み、考え、研究をして、長老や協会が回答できないような質問を重ねた。純粋にテリーの霊的な幸福を気にかけた者もいたし、ほかの者はテリーの疑問にとまどったり、いらいらをつのらせた。テリーはとても自分に厳しい知的な(考えのはっきりした)はっきりとものを言う人柄だった。しかし「ヌードショー小屋の計画」を始めてから、地域のエホバの証人の厳しい指導を受けた。その計画は明らかにほかに人たちにとって「生きがい」に「かなう」と強調していた。テリーは期待し、評判を得た。「ニュースウィーク」などの主要なニューメディアにその記事が書かれた。テリーは、いろんな面で証人が自分の助けになったとテリーは考えている。エホバの証人が大学進学について否定的な態度を取っていたからだ(大学進学はいいことだとテリーは考えている)。
家族や親しい友人がまだ組織にとどまっていると脱会はことに難しい。長い間証人になっていればたいていはそうなる。たいていの場合、もし一人が脱会するとその人と交わりを止めるか(排斥されるとそれを促される)家族の大半が組織から脱会するかのどちらかになる。何年もかかるだろうが後者の確率は60%である。グロリア・マスカレーラは脱会後の経験を次のように語っている。
質問:脱会してもっとも辛かったことは何ですか。
答え:一番苦しかったのは両親の失望でした。私は一人っ子でしたし、家族の名声と評判は王国会館にかかっていました。個人的に『良心の危機』を読んで深刻に悩みました。あの組織が人生のすべてだったなんて。
質問:最近、ある葬式に出席された話をされてましたね。そこで何があったのですか。
答え:私の祖父が3週間前に亡くなりました。祖母は4百万ドルの財産を相続したのですけど、私には一銭もくれないとはっきり言いました。二人とも私に対しては非常な怒りを感じてました。
質問:どうして審理委員会になったんですか。 答え:私の母は私をある教会に追いやりました。長老たちがやってきて(うち一人は私の叔父でした)、委員会が終わって5時間後、私は断脱の手紙を出しました。彼らはそれを受け取りました。彼らに質問をして彼らの信仰に挑戦できましたし、それがうまくいったんです。
質問:これからどうなさるおつもりですか。
答え:まだリハビリの途中ですが、神は私を強くさせ、励ましています。近所に住む人といったら、私の家族と家族が貸している貸家に住むエホバの証人しか居ません。一つの地域に45人の人が住んでいますが、わたしの両親を始め、私に話しかける人一人も居ません。あんたなんかまったく相手にされないよと、言い放ちます(「ベテル・ミニストリー・ニュースレター」1989年8・9月号9頁)。
リハビリが非常に難しい場合が多く、ときには何年もかかる。その人の全体的な世界観や人生観の大事な再構築も要る。生やさしいものではない。その人のよりどころになるものの中でも癒しとなるもっとも大切なものは時間である。一方、回復途上の証人の気短かさやうつ状態などに対しては、友人や家族はできるだけ我慢しなければならない。脱会のトラウマから証人を助けるにも、脱会というのは重い病気から回復するようなものだと考えて、耐えに耐え、心を広く構えないといけない。両方とも適応を必要とする。それも大事な適応だ。大事な適応の期間を見積もるとすると、活発な証人の年数を二倍してその平方根を取る(それも人生の中でその点に到達する年数を指している。完璧に回復する者はいない)。
例:もし8年間証人をしていたら、回復と調整にかかる時間は約4年。2X8=16 16の平方根=4年。32年間証人をしていたのなら、2X32=64 64の平方根=8年
長年証人をしていたとしたら、比較的完全に適応するには時間がかかるようだ。筆者には、この時間関係は平均的なもので、明らかに多数の要素が関係していて、人によって数字が変わることが分かった。「重要な」適応は比較的短い期間(証人をしていた年数の平方根)に起きる。9年証人をやっていたとしたら最高で、それは3年間、36年なら6年間である。
不満を抱いた多くの証人は脱会しようとする前には、たいていは何年間も組織を「改造」しようとあがいている。例えば、過去にしばしば破綻を来した様々な誤った日付の予告の不適切さを指摘する手紙を書いたり、それを長老に話をしたりする。人間の心は文字通り人間の感情の座であり、源であると「ものみの塔」に書いてあるのを目にしたかも人もいるかもしれない。心臓移植の後、健康が回復してもその人の個性は変わらないとする科学的な証拠を読むかもしれない。それを長老たちに気づかせようとしても(せいぜい抵抗を受けるだけだが)信仰が薄いと言われたり、協会を疑う危険を冒しているといった説教を受けて落ち込んでしまうのが関の山だ(「ものみの塔」1983/9/15)。そして公平に見て協会の悪いところを目にしたり、発見したり、違った観点から外の世界を見るようになる次の段階になると、幻滅感が増す。ひとたび「一山越える地点」に至るとたいていその嫌疑はさらに確信を深める。この段階になると証人の信仰構造はたちまちぼろぼろになってしまう場合が多い。この段階で全員が辞めるわけではない。深刻な挫折があっても辞めない証人もいる。
カナダで弁護士をしている証人、グレン・ホーウェは、1977年、長老をしているときに、頻繁に住宅を変えた。明らかに、地元の長老との意見の衝突が原因だった。彼は強い意志を持つ人ではっきりものをいうタイプだった。協会あるいは証人の組織について問題をはっきり口に出すほうだった。証人の研究指導者をしていたとき、証人の意見を引き出そうとして、「さあ、兄弟たち、あなた方だってこの質問に答えられるのです。簡単です」と言ってひんしゅくを買ってさえいた。初めのうちこそ許されたけれども、まもなく敵を作ってしまった。1977年から1980年まで、彼は三つの会衆に出席してきた。事情があって全部辞めている。皮肉にも長老は辞めているが、協会のために法律事件でまだ存分に働いている。「目ざめよ!」などにも投稿している。妻はとても落ち込んでいる。1992年現在、彼はまだ現役である。
何はともあれ、回復するためには、そのときに様々な感情(怒り、恐怖、嫉妬、落胆、失望は共通している)をことばにする必要がある。脱会する証人を支える者は、後になって彼らが後悔するかもしれないことば、あるいはたとえ言ったとしてもそのつもりのないことばを口に出すと常に知っておくべきである。一例を挙げると、無条件に受け入れられる人かどうかを確かめるために、支援をしようとしている人を「試みにあわせる」ことだ。おそらく「時間を浪費された年月」とか、ハルマゲドンがすぐにも来ると思って子供を作らなかったり、延期したこととか、協会の政策のために中断させられた学業に関して、証人は怒りを覚える経験をしている。それを口に出すのが当たり前だ。しかし証人生活の否定的な側面に過度に注目するのは建設的ではないかもしれない。そうしたことを語るのは必要だが、ほかに有意義な活動へ頻繁に首を突っ込むのは、大事な働きを遂行する時間を過ごさせるために必要な気晴らしである。それは何者にもまさる最高の癒しである。
しっかりとした健康診断(特にストレスの有無)をしておくのは大事な時間の使い道でもある。特に血中の糖の濃度(負荷テストで測定)、血圧、コレスタノールなどのレベルに気を配らないといけない。これらの値はすべて精神的なトラウマの影響を受ける。食事の習慣を変えたり、社会的な生活を変えたり、ささいなものでも生活していく上でのものの考えを改善するのは益になる。元証人をあつかう訓練を受けたカウンセラーが近所にいるなら、そのカウンセラーに連絡を入れるべきだ(大きな都市ではこの分野で訓練を受けた人がいる)。
信仰を失うと、たいていは愛する人との死別ときわめて酷似している悲しい悲嘆のプロセスが必要となる。宗教信仰体系の喪失の場合にもこの悲嘆の段階が見られる。証人の信仰と組織に代わるものが必要なのは、こうした理由による。その代わりのものが有効であればあるほど悲嘆は軽くなる。信仰を持った証人の状態からほかの組織への改宗へとすんなり行ってしまう人も中には、いる。ほとんどの場合、適用の過程は重要な期間である。たいていの人は「パウロの改心」のような経験はしない。マクレイが書いた状況を回避しないといけない。「……過保護を想起させる支配の核心は、毎日の組織化、その反復、支配的な儀式に依存している。それはことばに出さない畏敬の習慣や疑いを差し挟まない受容を強要する」(『統括の過程と非公式な社会的支配』)。
人が難しい調整の期間を過ごすときには、それを支える医学的な治療が必要になるときもある。牛乳のようなある種の飲食物が睡眠の役に立つ場合もあるが、何らかの治療が求められるほど、睡眠パターンが乱れるようだ。特に共通した問題として、朝方3時か4時に目が覚めてしまい、二度と眠れなくなる状態になる。布団の中で「半覚醒」になってもそれが益になるときもある。布団から起きていろんな家事をこなし、飽きるまで本を読み、それからまた布団に戻ってその問題を解決する人もいる。24時間放送をして、バラエティに富んだ番組を流しているケーブルテレビは眠れない夜を過ごすには役に立つ。早朝の散歩、長いおしゃべり、趣味は正常な睡眠習慣を再開するには役に立つかもしれない。
癒しのプロセスが軌道に乗るまで薬物治療について過度に心配をしてはならない。薬物の効果は人によって異なるのだから、時には量を変えたりして医学的な治療をする必要がある。例えばバリュームを服用すると眠気が差す人もいるが、ほとんどそれが効かない人もいる。うつを押さえるためにプロザックやシナクアンが役に立つ場合が多い。様々な睡眠を誘う錠剤、トランキライザーなどの抗うつ剤を服用することには異論があるけれども、それをときたま服用するのではなくそれに過剰に依存し、多用するのが問題なのだ。睡眠を誘う錠剤といった治療は辛い状態(ただ長いだけの)を効果的に克服する役には立つかもしれないが、長期間にわたり、多量に服用するとトラブルの元になる。排斥から数週間がもっとも危険な時間かもしれない。歓迎すべきではないが、活動を中断していると、最終的には葛藤は解消される。そのときには、容易には後戻りできない。排斥された後の数日間はたいていの人が何の気も起きなくなる。それがトラウマになる。この期間でのふさわしい薬物投与は、回復の動的な段階に進むために役に立つ、特に大事なものであるかもしれない。
深い眠りの効用を得ようとはしないで、人工的に眠らせることは、睡眠薬療法につきまとうもっとも重要な問題である。それでも全く眠れないよりはましだ。たいていの人にとって眠れない状態は、それ自体、全くいやな経験である。もし一時的な薬物治療が再調整(調整のもっとも大事な部分)に効用があるなら、あるいは正常な睡眠・覚醒のパターンを獲得する上で役に立つなら、一時的な服用は価値がある。脱会してから日の浅い元証人の中には特に初めの数週間、あるいはなかなか眠れないが、昼間のエネルギーの消費が少ない人とか、だるくなる人もいる。夜中に熟睡するには、昼間に動いて、適度に疲れているほうがいい。疲れていないし、その日の結果に精神的な充足感がないというだけで、夜中になると眠れない人たちもいる。
ふつうは数週間、あるいはもっと多いのは数ヶ月すると、まもなく睡眠の大きな障害は解決される。休息なしにそんなに体が働けないだけではない。ある時点に達すると睡眠を妨げることがほとんど不可能になる。さらにたいていの人は夜中のほとんどの時間、覚醒していると思っているが、実際、布団の中にいればほとんどの時間、眠っている。心配すれば問題がこじれるが、人は実際、心をコントロールし精神をコントロールできるものだと思うのことが大事だ。人は自分の考えをコントロールできる(そして行動がそれをさらに容易にする)。証人のこと、その問題、その異常性などへのこだわりを止めるのはたやすい。それを考えるのが習慣になり、回復が遅れるときもある。初めは辛いが、大多数の証人は回復することを忘れないように。もう後戻りできないし、したいことをする。
人はいくぶんかは自分の考えを効果的に監視する術を学べる。人や死に関する好ましくない問題、証人の場合には特に人への怒りや人の痛みなどに関する考えに襲われるときは、心の中からそれを追い出すようにしなさい。体を使って何かに打ちこむとか、どこかよその土地に行くとか、よその人とつきあうとか、何か新しいことをやってみるといった行為が役に立つ段階だ。知り合った人と、問題を考えたり、話し合ったりするのはある程度は役に立つが、それをこねくり回してくよくよ考えると問題がもっと深刻になるおそれがある。たいていの人には証人から逃げたり、証人を非難したい傾向があり、怒り、それも激しい憤怒の念に満たされる場合が多い。多少なりとも怒りは人に苦痛を与えるだけだ。証人は多少なりともその怒りを気にも止めないし(少なくとも心の中では)それによって排斥を正当化する。もっとも正当な怒りであっても、心の中に秘めたうつでも、証人から見ればそれを悪魔のせいにさせられる。怒りやうつは証人の神学に取り付かれ、脱会したほとんどの人たちに起きるものである。生きる上で意義があり、大事だと思っているものを失うとトラウマを引き起こす。宗教を失うとトラウマを引き起こす。その中心的な動機はたいていが献身である。特に証人のような要求する宗教に加わった者はそうである。トラウマを予測してそれに対処しなさい。
薬物のほかには、沈静効果を持つ薬用食物も多くある。睡眠を促したり、憂うつ感を抑えるのに大きな助けになるものもある。食事療法を専門にする健康食品の専門店あるいは医者は、ふさわしい食物を選ぶときに役に立つかもしれない。ほとんどすべての薬物は実際は植物が起源である。自然のものである。少なくとも最初に発見されたときはそうだった。ビタミン療法は非常に効果があるケースが知られている。少なくとも役に立っている。医者の指導があるなら、ビタミンの大量服用療法も役に立つかもしれない。
たぶん最も重要な段階は元証人の自助グループに自分から参加することだ。それは脱会する人たちのためにある。元証人だけが十分な理解を示してくれる。証人の活動を止めるときに起きる問題に相談に乗ってくれる。この時点では心の支えが特に大事だ。自分の経験があるから、通常、元証人は支援するにはもっともいい位置にいる。こうした自助グループの多くは非常に強い関心を示してくれる。お互いの心配事を話し合えるし、新しい元証人の相談に乗ることにも喜んで時間を割いてくれる。賛成してくれるなら電話で話してもよいだろう。この時点では特に自殺しようとする考えが全くないとは言えないから、おろそかにできない。その考えが起きても元証人は驚かないだろう。その人生の中心となる宗教を失うとき献身的な元証人は自殺を思い立つ経験をしてきたとだと理解できる。もっとも長く生き残っている者たちはそれ以外の人たちのためになる(ブロナーの格言)。ほかの者を助けると、彼自身も回復する上で大きな助けになるから、ほかの証人を支えるために時間を費やすことは回復途上の証人にとってもとても役に立つ。他人を助けることは回復するために自分自身を助けることになる。
この時点ではまったく新しい何かをしようとする気持ちが特に役に立つ。目に見える進歩、変化、前進の兆しである。新しいヘアスタイル、部屋のペンキ塗りや模様替え、整理整頓、あるいは証人の頃にやろうとしていても止められていたり嫌がられた行為(クリスチャンの音楽やクリスマスの祝い)をするのは新しい活動の一例である。ほかに役に立つと思える活動は合唱サークルに入ったり、ジョギングクラブや水泳チームに入ったり、ヘルスクラブに通ったりする活動だ。この時点では忙しい思いをするとか、関係を続けることがとても大事だ。皮肉にもふつう、人は証人からの脱会を経験するとき、活発な活動を好ましく感じない。しかし頻繁にそうするように自ら励まさないといけない。友人たちは、外に出て自分で充足感が得られる活動に参加するよう、励まさないといけない。もっとも大事なのは、「ものみの塔の外の生活がある」事実を忘れさせないことだ。必ずと言っていいほど回復が始まる。早い回復のためには失われたものの代替物が要る。それは、友人、信仰体系、道徳観、生涯の目標、生活の目的などだ。
深呼吸は心理的に、生理的に軽い高揚感を作り出しながら、老廃物のガスを取り除き、体に酸素を供給するのだから、深呼吸には大きな効果がある。そのような、深呼吸といった軽い運動を初めとして、体を動かす行為は再調整のため役に立つ。排斥といった問題を処理する方法はほかにもある。休暇を取ったり、よその土地に住んでいる親戚を訪ねたり、いろんなリゾート地や娯楽性の強い土地に旅行して一週間ほど労働から離れることだ。家族が居るとそうした勧めは実現が難しいだろうが、有益と思うなら、変化のためにはそうした準備も良い。
アルバート・エリスの書いた「憂鬱と罪の感覚に打ち勝つ」やウィン・ディーヤの書いた自尊心に関する本は、バランスの取れた見地から世界を見るのに役立つだろう。休養、有意義な考えを熟考すること、音楽や観劇、十分に筋肉を弛緩させること)はすべてだめ。ほとんどの証人、あるいは元証人たちは、もしそんなことをすれば悪魔が心の隙間に入り込んでくると恐れられているからだ。そうしたことはすべてとても有益なのである。
生活のすべてが精神的に安定していた人たちなのに証人から追放されると初めて本当に命に関わるトラウマに襲われる。世界全体から引き離される。もし排斥されれば、ノーブルの書いているようにいまだに証人でいる家族や友人や親族と十分な話ができなくなるかもしれない。
家族が律法主義から解放されるなら、私たちの悲しみもそれほどひどくはないのだ。ほとんどの場合、家族は形式主義の奴隷のままだし、人間の指導者の追従者である。家族は自由になることを望んでいるが、恐怖心や体面、混乱に囚われている。飛び越えるには高すぎる障害である。愛する近所の人、もっとも大事な人を失うときどうやって喜びの感覚や幸福感が感じられるのか。生やさしくはない。しかし全く不可能ではないのだ。
証人を辞めるまでは全く考えもしなかった治療の流れの全体を調べてもいいのかもしれない。たいていは見ず知らずのものだ。精神的な問題のために治療がある。それがすべて問題を解決するものではないが、問題の奥にある矛盾が適切に処理されるまでの間、症状を軽減する一助となる。
ものみの塔との交わりを終結させるのが難しいその理由の主なものは次の通りである。何があってもものみの塔の教義に納得ずくの同意を示そうとしている(そしてたいていはそれがとてもうまく成功している)。証人は彼ら流のキリストの特有の解釈などの教義を裏付けているかのような聖句を数多く引用できるのがふつうである。一人の証人として特有の方法で世界を見る目を学ぶ。それは平均的な証人にとっておびただしい量のものみの塔の出版物と一週間に五回の集会出席、日常的な交わりによって強化される。さらにそれは国際的な「兄弟姉妹」のネットワークと、良い立場にいる証人の世界に存在する一致の感覚によって補強される。著者がヨーロッパを訪ねたとき、どんな町に行こうが王国会館を探し求められれば、滞在する場所も、その町の上等の旅行ガイドも、たくさんの新しい友人も、すぐに見つかる。ほとんどすべての教会でもほかの教会との間には垣根があるが、さらにそのどれよりも急峻な垣根が証人と未信者の間には存在している。証人はほかのどんな教会よりもいろいろな面で異なる立場に立つ(こんな言い方をする教会はないのだが、もしものみの塔を捨てるなら帰るべき霊的な故郷はなくなるんだと圧力をかけ、違いを強調する)。そうした理由から調整の過程は難しさが伴う。英国国教会の信者がその教会を離れて、長老派の教会やカソリックの教会に出席するのには何の障害もない。けれども証人が脱会すると同じような組織がほとんどないことに気が付く。米国には比較的、証人に近いクリスタデルフィアン教会があるが、米国ではとても小さな規模で、大都市にしか会衆がない。ふつうこうした教会でも最大で百人くらいしかいない。さらにクリスタデルフィアン教会は過去二世紀をかけて徐々に成長してきたのであり、ほとんどの証人は、18世紀中葉にジョン・トーマスが創立したこの宗派を知らない。
元証人を魅了するものはそれほど多くはないから、証人を辞めるのは難しい。証人の殉教と迫害の歴史は、神の選ばれた民の一つの証明である、国旗敬礼や血の忌避を含めてその正しさが徹底して教え込まれる。「新しく生まれる」クリスチャンとなった者でさえ、たくさんの元証人は、いまだに協会のそうした教義のいくつかにこだわっている。今では輸血に関する証人の神学解釈を拒否し、ある福音派の教会の熱心な教会員となっている男性がいる。その男性は、決して輸血を受けることはできないと私に語っていた。証人はほかの人と違うと常に強調する。証人の働きはほかのどんな宗派と比べても、非常に対照的である。けれども世界にはいろいろな教会がある。証人はまもなくものみの塔とほかの宗派の間には明白な共通点があることが分かってくる。はじめのうちはそれらしく見えなくとも、またそれが難しくとも替わりのものはある。はじめのうちにはそう思えなくとも、何度も目にすると見えてくる。数千人の元証人がものみの塔からいろいろなほかの宗派への移動に成功してきた。彼らは地元の教会で活発に働いている。
まとめ
脱会した証人が回復する過程では、トラウマが起きるのがふつうだ。ここで論じてきた技巧をからめて利用できるし、ずっと痛みも少なくなる。脱会した後、決して完全とは言えないまでも、ほとんど元通りに回復できる条件が証言されている。それが重要だ。もし証人と関係を続けたら、回復する人はほとんどいない。トラウマの程度も、回復の長さも、減らすためには、やれることは多い。この章では重要な技法のあらましを概説した。